2015年12月04日

冬の虹(我が街の路地裏の道)


冬の虹(我が街の路地裏の道)

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百歳の母を介護し冬の虹

故郷に住みて長しも冬の虹

我が街の大銀杏に冬の虹

故郷に老いて交わる冬の虹

我が町の路地裏歩み冬の虹

冬の虹消えし余韻や老いにけり


今日は夕方に雨がふり冬の虹が街の上にかかった、大銀杏の樹がありそこに虹がかかったそれは束の間だった、冬の虹は何か消えやすい、カメラをもっていなかたっのが失敗だった、毎日同じ道を行っても変化がある、この前は白い山茶花が雨に散って白く映えていた日常的なものにも詩が絵がある、四季の変化がある
結局詩でも絵でも遠くにあるとは限らない、意外と身近な所にも詩や絵になるものがあるこの路地裏の道を毎日行ったり来たりしていしても詩や絵になるものがあった


人間はやはり長く住んでいるとその街でも里でも一体化してゆく、それは別に京都とか住まなくても同じなのである。ただそこに詩とか美を発見しないだけである。
京都に特別なものが必ずしもあるとは限らない、日々の平凡な生活にもある


なかなか冬の虹は見れない、冬の虹も趣き深いと思った。冬の虹は田舎にふさわしい
老いにもふさわしい、介護も自分はなんとかしたということで冬の虹がかかった
これがやはり介護でもうまくしないとあとで恨まれるから冬の虹として映えないともなる美もまた人間の生活と一体となって映えるからである。


ともかくカメラをもっていなかったのがまずかった、いつも通っている道だからカメラにとるようなものがないと思っていたからだ
しかし自然は意外なとき所に美を作り出すのである。それは思いがけないものだからカメラは常時持ち歩く必要がある。でないと二度とその場面がとれないからである。


なんとか合成写真で冬の虹を再現した。これも現代的である。ソフトに精通すれば本当に現場にいたような写真を作ることもできるだろう。
それは一つの創作にもなっているのである。



タグ:冬の虹

飯館村が寄付金募集の疑問 (なぜまず自腹で出さないのか?ー避難民はただ補償金をもらうことしか関心かない)


飯館村が寄付金募集の疑問

(なぜまず自腹で出さないのか?ー避難民はただ補償金もらことしか関心がない)


飯館村の村長が寄付金募集とかテレビに出ていた。これもなんか地元からすると今はおかしい、飯館村も相当な補償金をもらっている、千軒の家が壊された
そして一体どれくらいの人が帰ってくるのか?
実際は帰らないという人が多数である。そもそも寄付金は何に使うのだろう
寄付金がなにかどこに流れてどこに使われているのかわからないから無駄という人もいるまず村長が自腹を切って何々のために金を出すというのならわかる。
なぜなら今回の避難区域になったところにはみんな相当な金をもらっているのである。
南相馬市の小高区の人が鹿島区に仮設に住んでいてその内容を知っている。

あらゆることが補償の対象になっている。仏壇にも補償されるし私道だったところにも補償されたとか一時帰ればその金もでる、引っ越しにも金がでる、福祉も医療も無料であり高速も無料でありありとあらゆることが補償の対象になっているのである。
それは飯館村でも同じでありさらに期間が長いから補償も手厚くなる
それで毎日避難した人はギャンブルざんまいであり高級車を買ったりと遊んでいる
小高の人も何もしないでも金がたまってほくほくだと言っている
何にもかわいそうだなどということはないし金がないということもない
だからもっと長く避難者でいたい、そして小高区の人は来年の四月に避難解除になるので浪江の人たちも相当いるので浪江や飯館村はもっと長くもらえるからうらやましがっている、何か復興したいとかないのである。
ずっと補償金で暮らしたいというのが本音であり老人が多いから特にそうなっている
あとは生活保護だとか言っている


だから寄付金募集というのは何なのだろうか、何に金を使うのか?みんなありあまるほど金をもっていてギャンブルに毎日使っているのだ。
それで何をまた寄付金を募集して何に使うのかという疑問がある。
第一金をもらったらかえって復興できないという皮肉があるのだ。
てぜなら金をもらったらもうもどらないで他に住むとなったからである
補償金で余所の土地を買い家を建てて住んだ方がいいとなったのである。
それでイワキには二万人以上が避難して家を建てて高級車を乗り回してギャンブルだとか飲み屋で金をばらまいているとか批判された。
そもそも避難区域の人たちは何を復興させようとしているのか?
何が復興なのか、それが外から見てもわからない、復興とは補償金をもらって外で新しい家を建てて住むことなのかとなる
実際はそうなっているし補償金をだからもっとくれとなる
補償金はそもそも避難区域を復興させるためのものであり外に出て新しい家を建てるために出したのではないのである。
補償金の額が多いからかえってもう故郷を出て外で新しい生活をした方がいいとなった


小高でも小高病院の配管を修理するのに7億円かかるという、でも一体それを誰が出すのか?そんなことを知らない人もいるし全く避難している人は関心もないのである。
補償金をもらえばいいとしかならない、それは誰かが政府か東電か県なのか出して修理してくれると思っている。自分たちがその金を出そうなどと思うことすらないし何も関心もないのである。
でも病院がないと帰って一番困るのは小高の人たちなのである。
まず鹿島区で老人が医者に通う人がいるからなぜ小高の人は何でも無料なのかという不満をいつも言っている、ありとあらゆることが補償される
30キロからはずれた南相馬市でも補償は一人十万で7カ月分しかなかった
あとは一切医療費も福祉関係もなんにもないのである。
となりの相馬市でもそうだし仮設の人たちに対して大きな不満がある
相馬市になると何万とかしかもらえなかったからである。
その差はあまりにも大きかったのである。
飯館村の人にさえ不満がある、浪江の人も来ているから不満がある
相馬総合病院の特等室に入って相馬市に家を建てる豪邸を建てるとか言っていた。
そしたらやはりなんなのだろうと地元では不満になる
相馬市でも津波の被害を受けた人は何ももらえない、そしたらその人たちの不満も大きいのである。


ともかく何か前から書いてきたけど「絆」だとか言って一時は協力しようという気運があった。今になると全くない、なんで避難民だけがいたりつくせりで補償されて金をもらい他の人はなにももらえない、してくれないという不満が大きいのである。
その原因はやはりあまりにも金の力が大きくなった結果としてその歪みが原発事故周辺に出たということもある
そういうもともと社会がそうした歪みが出やすいものとてなっていたからこの辺は極端な現象として現れた。
だからそれは現代の社会の問題でもあったと自分は指摘して書いてきたのである。
「金さえあれば、金になれば」何でもいいということから原発もはじまっていた。
原発事故もまたその補償金で金をもらえばいいとなった

でもその補償金は漁業組合でも原発事故前も後も手厚く補償されていた。
原発御殿が建っていたとか明らかにされた。
そういうことも原発事故を起こした要因になっていたのである。
漁業権を傘にして補償金をがっぽりもらっていたのである。
別に漁業で稼ぐならそんなこと言わないし問題にもならない
原発で稼いでいたことが大きな不満と今ではなっている
事故にならないならまた問題にはならなっかたし第一気づかなかったのである。
何か漁業も大変だなと同情していたのである。
こんな原発事故の被害にあったのは誰の責任だということになった
それは地元の人にもあったのである。


ただみんな個々人でも金さえもらえばいいしかない、では何か復興のためにしようとすることかあるのか?一部にはあってもほとんどの人にはない
若い人は帰らない、補償金で外で新しい生活をした方がいいとなって帰らないのである。補償金によって故郷は捨てられ家族は分離して残ったのは老人だけになる
その老人を世話するのは誰かとなる、もう若い人いない、うば捨て山になる
飯館村の人でも毎日補償金でギャンブルしているという時また寄付金を募集してその金を何に使うのかとなる
だから帰る人と帰らない人とに分けて補償金を出した方が良かった。
みんな一律だから金をもらえれば外に出た方がいいとなった
そもそも復興とは何かなになのかさえ今になるとわからない
故郷を出て新しく再出発することが復興なのかとなる、若い人にとってはそうなっている故郷を復興させることではない、外にでて新しい生活をすることが復興なのである。

何か心一つにして復興するという気持もない、南相馬市でも補償金で心は分断されてしまった。
それで外部の人は知らないからまだ何か援助しなけれはならないと思う人もいる
でも内部でそもそも復興が何かわからなくなっている
何か自分たちは関係なく余所の人がやってくれる、除染でも何でもそうである。
家すら今は建て売りであり地元の大工が作っていないということもある
みんな外からくる人たちが復興しているともなる
地元の人は毎日ギャンブル三昧だというのも変なのである。
そんな人たちを応援してどうなるのかともなる、地元でも心は分断されて絆などないのである。
だから仮設の居酒屋で外から来たボランティアなのか遊んでばかりいる地元の人たちと喧嘩になったというのもわかる。
こんな状態を見たら応援するのも馬鹿らしくなるからだ。


原発事故で失われたもの(飯館村の場合)

タグ:原発補償金
posted by 老鶯 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(火球 水球)



抽象画(火球 水球)

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火球

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水球

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虹の惑星

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healthy body

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女性の波動



これも変化させたものだから著作権的には間すい、原画を示せば変化させたことがわかるそうしやすいのがまた抽象画なのである。

heathy bodyは何か抽象画らしい、これは自分でもなにかわからないが色に感じるものがある

抽象画はどうししても芸術的には劣る、そもそもこれが創作なのかどうかわからない
ただパソコンのソフトで変化させているだけだともなる

タグ:火球水球