2015年12月03日

介護は愛情がないとできない (看護師はただ体の処理を機械的にするだけ)


介護は愛情がないとできない

(看護師はただ体の処理を機械的にするだけ)


三姉妹会うと、「お父さんはいつ逝くんだろうね」
そこに愛情はありません。トラブル・借金のことで恨む気持ちもなく、ただ無関心。もう二人とも見舞いには来ないかなと思ってます。

でも正直な話、介護生活が長くなるとだんだん愛情も薄くなってくるのではないでしょうか?
実親、義親の介護をしているすべての人に愛情が冷めないうちに終焉が来ることを願ってやみません。


今日病院に行って同室の人を見ていた。介護されるばあさんは眠っている、何かわからないみたいだ。
でもその女性は誰なのかわからないが顔をふいたり何か唇をぬらしたり手をさすり足をやさしくさすっている
その女性は何かやさしい感じなのである。体全体に何かやさしさがあふれている
あれを見ていたら介護はやはり女性が向いているなとつくづく思った。
無骨な男性の手ではあういうことはできないだろう。
女性でもいろいろいるからみんなあういうふうにはできない、そのしぐさがやさしさにあふれている
それは見た感じでわかる、だからその女性との関係はどうなのだろうかと気になった。
嫁ぎ先の義理の母なのか?それとも娘なのだろうか?
娘だったら理解できる、あんなふうにやさしくするのがわかる
体は細いがその手でさすることがとてもやさしく見えたのである。
そのことを寝ているばあんさんは意識しているかどうかわからない
やはりかなり症状としては重いからである。


介護というときまず医者や看護師は愛情をもって接することがない、人間を機械のように見て接しているのである。
医者だったら人間は機械であり管でも水道管のようにつまっているからそのつまりをとることだとなる。何かそういう感覚であり医者には別に愛情など必要ないのである。
看護師もまた病気をみるのであり体をみている、その体も機械のようにみていることはにているのだ。ただ看護師になると何かしらいたわりの言葉をかけたりはする
看護師はだから何か愛情とかいたわりとかを求めるが実質は病気をみるのであり体にふれるにしても何するにしても何か処理するという感覚になる、それは忙しいということもあるし家族のように特定の人にかかりきりになることはできないからである。


でも介護というときなぜ愛情とかが問題になるのか?それは体に直接ふれるという仕事だからである。
もちろん医者でも看護師でも体に直接触れる仕事だからそして相手が人間だということで機械のように扱えないのである。
微妙に医者にも看護師にも心を感じてしまう仕事だから特殊なのである。
でも実際は体を洗う、便を処理する、点滴をする、リハビリをするとかそういうことを何か機械的にしているのがほとんどである。
愛情をもってしてはいないしできないのである。
医者ー看護師ー介護士という順序で愛情が必要になってゆく、介護士は一番愛情が必要な仕事になる、もともと医者や看護師は病気の体をみるのであり愛情は二の次になっていた介護士は高齢化社会で新たに生れた仕事なのである。
医者や介護士は体の欠陥を機械のようにみる仕事だった。
介護士は愛情を持っていたわる仕事でありそのいたわることが最も介護士らしい仕事なのである。
それはもともと家族がしていたことである。家族の延長上にある仕事である。
それは仕事ではない家族が無償でするものであった
それが仕事となったのは高齢化という時代の変化で生れた仕事なのである。
それは家族で特に女性がしていたことなのである。


ともかく比較的若い40代くらいなのか?その人の仕草が何か女性的に繊細でありやさしさにあふれている、それをみて介護は女性がつくづく向いていると思った。
gentle loving touchesとかなる、女性的なものが介護で発揮される
ただ問題は介護する側と介護する側の問題が必ずある、あのように介護しているとなるとその関係がいいのだろう。まずそういういい関係の人は少ないだろう。
親戚で「ひどい娘だ」と最後に自分に恨みを残して死んだ人がいた。
そこにはいろいろ事情があってもやはりその女性はその娘を一番かわいがり世話したのだからそんなに冷たい人間になっていることが理解できない、ほとんど異常性格者になっていたのである。
そういう人はもう介護もなにもできない、その女性は病気になりすぐ死んだから良かった介護になっていたら虐待されたり放置されたりひどいことになったろう


まずそんな人は介護などできようがないのである。全く愛情がないからである。
そういう人もこの世には親子でも多いから介護は愛情だなどと言ってもそれを実行できる人は少ない、いくらそう思ってもできない人もいる
だから今の世の中、高齢化であるが介護してくれる人がいない場合はとにかく自ら死ぬのような選択も考えねばならなくなるかもしれない、自殺というのではない、介護されないような状態を作り出すことが必要かもしれない
それで孤独死というのは介護されないで死ぬのだから悪いともいえないのである。
介護される人もいないのに生き延びた方が悲惨である。
介護する人がいても長生きするとかえって苦しむからだ
母も百歳生きてまた病院で生きているけど何かかえって苦しむようにもなったからである前から水だけしか飲めなくなりそのまま家で死んだら良かったのかと思う


人間はまず機械ではない、直接体にふれるのでも愛情をもってふれるるのと愛情もなくただ機械的にふれるのでは相当な相違がある、それは人間がロボットではない、人間だからである。
そしてどうしても病気でも介護でも体に直接ふれるということがそういう問題を起こすのである。
普通でも体にふれるということはやはり相当親密でないとできない、それが親密でなくても病気とか介護になると体に直接ふれるしふれられることになる
でも一般的には体にふれるにしても機械的にふれて処理するという感じなのである。

脈をとる看護婦の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅かたき日もあり。

これだけ繊細に感じる、普通は自分などでもそこまで感じない、ただ手がふれて握られたとしか感じないのである。
ただ人間が体に触れるということはこういうことがあるのだ。
あたたかくふれるときと冷たくふれるときは違って体で感じるのである。
でも実際は看護師は冷たく堅いというのが普通である。
ただ啄木は看護婦の手にあたたかいものを望んだのである。
それは誰しもそうである。でも今や病院や看護師や介護士でもそういうふうにあたたかい手で接する人は少ないだろう
みんな金であり仕事であり機械的にしているだけである。
でもこの仕事の問題はそういう愛情とかしたたかい手をもとめている、それがむずかしいのである。
自分はそんなことより病院で虐待されたから恐怖を覚えるようになった。
まず介護する人がいないのだから病院に入ることは本当に恐怖である。
あたたかい手はない、冷たい手でふれられ虐待までされるから恐怖である。
そんなところにゆくよりその前に死にたいとなってしまったのである。

看護師の仕事でも介護士でも前も書いたけど極めて人間的な仕事である。人間にしかできない仕事である。それは直接人間の体にふれるということがそうしている面があった。

今までエリートとされていた人が職を失い、 
 介護など人間相手の仕事だけが生き残って 
尊敬されるような世の中になる 

いろいろなものが機械化されるとかえってこうした人間的な仕事が重要な仕事となることもありうる、就職する場所がなくなったらそうなる、体をもちあげたり運ぶのは介護ロボットがするにしても愛情をもってやさしくふれるということは機械にできないのである。機械には愛情をもたせることはできないのである。
だからあらゆるものが機械化してもそうした人間的な仕事は残る
家政婦などでも家事は料理でも洗い物でも何でも機械化されるから今は別に一人暮らしでも困らない、でも女性はそういう一人暮らしを慰める仕事として必要になる
それは何か別な能力が必要になる、話がうまいとか何かなごみが感じるとか老人に優しいとかといったことが価値になる。
そういう能力は若い人にはない、容姿は良くてもそういうことは何かいろいろ経験をつまないとそういうものが備わらないからである。
それは人によっても違っている、それもまた女性の一つの能力として老人になってから評価されることもありうる
だから人間社会はすべてが機械化されて仕事が失うということはない
何か常に機械化されても別な価値が新しく見いだされる、それは機械ではできないものが最も人間らしいものが評価されるようになる、それが介護とかの仕事になるかもしれないのである。今はそういう途上にあり評価されないのである。


いづれにしろ介護はあまりに長くなるとどんなに愛情かあっても嫌になる、それが手当てするからどうしてもそうなる
それは本人も苦しむし介護する人も苦しむ,金もかかるから苦しむ、そして介護殺人が鰻登りに増えてゆく恐怖である。
介護が長くなればなるほどそうなってゆくのである。


でも正直な話、介護生活が長くなるとだんだん愛情も薄くなってくるのではないでしょうか?
実親、義親の介護をしているすべての人に愛情が冷めないうちに終焉が来ることを願ってやみません。

つまりこういう意見が出るのも介護が長くなるからも限界だとなってしまうのである。
最低で一人5年はかかるし両親がいればあわせて十年になるしそれよりも長くなることが問題なのである。
タグ:介護は愛情