2015年12月08日

飯館村考(もう30年50年とかたたないと復興はできないだろう)



飯館村考(もう30年50年とかたたないと復興はできないだろう)


世界は世界観はどこでも空間と時間から作られる。それは縦軸は時間であり横軸は空間である。人間の思考は空間認識と時間認識で作られている
時間認識は歴史となり空間認識は地理となる。だから地歴という科目になったのである
それは空間と時間は切り離せないからである。
一つの場がありそこに人間の営為があり時間が積み重ねられて歴史となる
故郷とはそういう場と時間によって作られた場所である。
故郷というとき相馬藩内とか一つの場として形成されたアイディンティティ化されたものがある
その範囲は狭いからアイディンティティが形成しやすい場所であった
伊達藩とかなると大きいからアイディンティティを形成しにくい、それは政治的に大きくなり政治的境界を作ったからである。福島県でも浜通りは一体感があるが中通りとなるとない、阿武隈高原にさえぎられてなくなる


会津は会津藩であれ歴史的にも地理的にもそうである。
そして相馬藩内でもその土地土地によって村々によって住む場所か違っている
海側の漁村と山側の山村に住むのでは相当に感覚的に違ってくる
だから飯館村の大倉村と佐須村が隣り合って近いのに民情が違うから明治になって合併することに反対したのである。
江戸時代になるとその場その場で村々で自給自足していたから別な場と時間を生きていたのである。だから江戸時代の方が多様な世界に生きていたとなる
それは言葉でも隣り合う村でも微妙に違って方言化していたことでもわかる
隣村でもそんなに交流しないからそうなる


明治以降そうした江戸時代の土地に根ざして生活していたアイディンティティが失われたそれは交通の発達も原因していた。鉄道の発達が全国を交流させた。関所もなくなり気軽に切符一枚でどこにでも行けるようになったのである。
江戸時代から生きて鉄道に乗った人は驚きだったろう。一気に異空間に旅たてるようになったのである。そこには相当な恐怖感とか違和感があった。
見知らぬ土地へ行くときは常に恐怖がつきまとっていた。

佐保さほすぎて 奈良の手向たむけに 置く幣ぬさは 妹いもを目離めかれず
相見あひみしめとそ  長屋王


峠は故郷と異郷とを分かっ結界である。人が未知の世界へ分け入
る山の神や渡津の神が人の生命を奪うとする思考は、境界の意識と
る境として神威への畏怖を感じ神を奉斉して通る場所である。

峠を越えることは相当な恐怖だった。別世界異界に行くことだった
親しい愛する妻と別れることはとなりの村辺りでも何か遠い感じになるからこの歌ができた。歩いて峠を越えたということをイメージしなければならない、今だったら車であり妻と離れるのが解放された気分になるだろう。
自分も故郷の閉鎖された環境から離れることは解放感になったから旅ばかりしていたとなる
それだけ閉鎖された所で長年生活するということはその土地に密着して生きることになる
飯館村とか川内村とかは都市から原町でも福島市でも離れている、そして標高が高いから八木沢峠のような急峻な坂がつづく、その坂を越えたとき確かに別世界に入り空気も違っているものを感じるのである。

そうした土地に密着した生活から時間軸と空間で場で作られてきたのが村であり町であるその村や町が失われることは何かその場で培われた時間軸と空間の一つの世界が失われることにもなる。
それは飯館村だけではない、日本全国の限界集落などがそうである。
そういうところが今は価値がない、都会からするとインフラに税金がかかるから消えた方がいいと今は盛んに言われる
でもそれが都会の人にとって回りにとっても損失なのである。
経済的な面から見ればそうなるが精神的な面から見れば飯館村があることによってそこがオワシスのように癒しの場となっていたのである。
高原の空気は澄んでいたし森につつまれた癒しの空間だったのである。
例えそこに人が住んでないくても森があり山があることで癒しの空間を作ってきた。
それは人間にとって欠かせないものとして山があり森がある
都会にはそうした空間がないからビルだけになっているから殺伐としたものとなる


までいな生活というのもそれは飯館村の価値観を作る他とは違う村作りを目指していた。そして山菜料理を食べているというときそれは自給自足の延長としてあった。
それは買うものではなく自ら山に入りとる縄文時代の延長としての生活があった。
だから補償金をもらっても何でも買うとなると米まで買うとなると不安になるというのもわかる。
そもそもそういう自給的な生活がなくなったら飯館村に生きる価値がない、その生活は都会と同じだとなってしまう。確かに菊地製作所とかは今でも残っていて通っている
それが村を支えているとなるがそれだけではもう他と変わりないのである。
つまり自給自足的な生活がなければ本当は村に生きる価値がなくなっていた
都会に出れば何でも買えて贅沢はできてもそうした自給自足のまでいな生活はまた別な価値があった。
放射能汚染でそれができなくなったときさらに帰ることを絶望的にしたのである。
除染しても効果がない、補償金一億円もらって他で新しい生活をしたほうがいいとなった都会の方がぜいたくできるし便利だとなるからだ。
結局人間は何か得るものがあれば失うものがある、時代的にもそうである。
江戸時代は貧乏で嫌だといってもそこには今にない価値観があり得るものがある
そして現代とは互いに田舎でも信頼できない社会である。
田舎といっても今は昔とは全く違う金の力がもの言うのは同じである。
なぜアメリカに投資してアメリカのことが気になりカナダに投資してカナダのことを気にしている自分にも言える
何かそこに人間的な規模を越えた非人間化した社会で生きているのである。

保証人が必要だっていうのは、 
それだけ、世の中は信用できない人が多いってことなのかな。 
戦後の昭和史を見た限りでは、就職に『保証人』が必要な企業なんて、 
金融関係以外はほとんどなかったみたいです。 
会社にわざと迷惑をかけるような悪い社員がいることも事実みたいだから、 
会社側からいえば、仕方ないんやろけど。 

自分も身寄りがなくなってこのことで嫌になった。何でも保証人なのである。
その保証人がないために親戚でも脅してきたのである。
入院しても手術するにも何でも保証人なのである
就職するのにも保証人であり保証人のない人は部屋も借りられないとか
老人ホームにも入れないとかもう生きていけなくもなっている
保証人がいないということはホームレスになり野垂れ死ねということにもなっている
それだけ人間と人間が信頼できなくなったのが広域的グローバル社会である。
それいい点があったとしてもまたそれによって失われたものも大きい
もう江戸時代の五人組で保証される、連帯責任の方がいいともなる
時代が変わるとかつて封建的なもので平等でないとか差別されたことにもそれなりの
その社会でのいいものとして機能していたものがあったともなる
原発事故の避難区域で金しかなくなったのもそういう社会になったためでもある
金さえあればどこでも暮らしていいという社会になっていたからである。
今の市町村にはかつての村のような連帯とかつながりがすでになくなっていたのである。

今は贅沢で便利であるが失ったものもある。
例えば原町と小高とか鹿島とか新地になると不便になる
医者も二軒とか買い物でもスーパーは一軒とかイオンに行くと一割りは物価が安くものが豊富にあるとか差が大きい、現代の標準的生活をするとなるとまず4,5万の都市の規模が必要なのである。
それでも敢えて不便な所に住むというのも別な価値観に生きるということがある
それが意識できないとなるとそこにはもう生活できないとなり補償金をどれだけ高くもらうかしか今や関心はなくなったのである。


そして何か補償金をめぐってここの人間のエゴがむきだしになった。それは飯館村だけではない、もう金しかないと極端化したのである。もらうだけはもらうしかない
飯館村の人も福島市でギャンブラーになったとか荒廃した。
飯館村でも別に馬券売り場とかありギャンブルしていた人はそれなりにいた。
でもそういうことが目立つことなく隠されていたから良かったのである。
別に自分は村の人と交流もなにもなかった。
別に村の人と交流がなくてもその生活が隠されていたときそこは別世界になっていたのである。
それが原発事故後はその人々のエゴが剥き出しになり求めるものは金しかなくなった
隠された人間の醜さがむきだしになって現れてしまったのである。
そこで語られるものが補償金しかないのである。
村長がさらに寄付金を募るというのもまたそうである。これ以上金が必要なのかとなる
その金で何をするのかとなる、まさか村民に配りその人たちがギャンブルにまで使うのかと思ってしまうのである。
小高の人は鹿島の競輪場の券の売り場ち通っている、そんな生活に何の実りがあるのか、そんなことをしていれば精神を荒廃してゆくだけである
いづれちしろ残念だけど飯館村は住めないとしたら元の森に埋もれて30年後とかた50年後とかの時間をまてば放射能もへりまた住む人がでてくるだろうと願うほかない
放射能汚染をとめることは時間をかけないとできないのである。
だからもう飯館村でも時間が解決するほかない、今は補償金だけが関心であり村民も住むのは無理である。


第一津波の被害地でも店をはじめようとしたが買う人がいないとなりやめた。
原発の避難区域でも外に出る人は半額にして残る人に多く補償金を出せばいいと書いたが考えてみればそういう場所に残っても金が一億もらってもそれを今度は有効に使えないとなる、つまり回りには金を使えるものがない、荒野に一億円もっていても使いようがないのである。そして水さえ飲めない環境では本当に価値あるものがなくなったとなる
だから外に出る人をとがめることもできないとなる
小高とか他の地域とは飯館村はまた事情が違っているからである。


とにかく現代の町とか村は第一次産業主体だとすると崩壊しやすい、解体しやすくなっていたのである。それは自給自足の生活とは違う、田舎でも山村でもグローバルな世界に生きているからである。
国さえも捨てて外国に住むという人もいる社会である。
菊地製作所が残ってそこが働く場所として飯館村を支えているというのもそうである。
エネルギーにしても江戸時代からしたら何千倍か何万倍か知らないけと消費している社会である。
炭焼きとかがエネルギーだった社会とはあまにりも違ってるのだ



posted by 老鶯 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年12月09日

保証人問題は江戸時代からあった (江戸時代から継続している人間の問題)


保証人問題は江戸時代からあった


(江戸時代から継続している人間の問題)



学校を卒業してからの就職は雇用契約、結婚も契約、離婚も多くは契約、病気治療も契約、はかなく死亡した場合の葬儀、墓地埋葬も契約である。
 このように、生まれてから死ぬまで、人間は無数の契約を締結しており、ある一面では人間の一生は「契約で始まり、契約で終る」ということができる。


興味深いのが「埒明ける(らちあける)」という言葉です。奉公に出たもの(就職する人)が雇用期間中に、問題を起こしたり、行方をくらました場合は身元を保証した名主や親類が「必ず埒明けます(必ず解決します)」と約束しています。

人格の信用を第一としていた時代だったので、一度、奉公先を逃げ出し、埒が明かずに奉公を辞めた人間は二度と正業にはつけなかったようです。


借家人の身元保証人、家請人の事

この数年、借家人の家賃が滞り、借家明け渡しに関しての訴えが多い。
そのほかけしからぬ振る舞いなどもあるので、この度大坂の町で、家請人が判代金を徴収して、借家人の身元保証人になることを、別紙五十三人の者どもの願いにより申し付けた。身元保証の方法は別紙の通りで、この旨三郷の南組・北組・天満組の町役人は承承知した。もっとも、借家人の身元保証人になる家請人の営業をする者はこの五十三人のほかは、営業してはならない旨、町役人へ申し渡した。


このような人宿のなかには悪質な者も混じっており,奉公人と
共謀して,奉公契約を結んで給金を受け取っておきながら奉公先から欠落
させ,自分も姿をくらまして給金をだまし取る等のことにより,雇主であ
る武士の被害が無視できない状態になってきた。そのため,幕府は宝永7
年(1710)8月,当時390名余いた人宿を30名ずつに分け,13 の組合を作
ることを命じた。
この組合は,奉公人が欠落・取逃したら,組合としてその雇主に給金を
支払うか代人を出すこと,盗品がある場合はその代金を返済すること,欠
落した奉公人を組合として捜査することなどを責務とした。



奉公人争奪
がせり売り状態になって給金が高騰する, 手数料等の奉公人宿への支
払いが多くなって同様に給金が高くなる,という理由を挙げて,今後雇用
契約は相対にさせて欲しいとの願書を提出している。



江戸時代は何か現代とは隔絶した時代のように見える、でも人間社会は実際は継続している、歴史は継続して積み重ねて作られてきた。
だから何でも歴史的に考える必要がある。現代の問題は現代だけの問題のように見えてそうではない、必ず歴史的継続の問題として考察する必要がある。
保証人問題の根本は人をいかにしして信用するかにある。
これはまず人類が生れてからの最大の問題である。そもそも人間が信用できない、人間が罪を犯す、人間を性悪説を前提として法律ができたのである。
十戒でもそうである。殺すな、盗むな、姦淫するなとかはどこの国であろうがするなとなる、ただ十戒で偽証するなというのは何かすでに裁判制度があった証拠なのかもしれないそもそも人間とは罪を犯すものであり信用できないものだからこそ法律が生れた


なぜ保証人が必要なのかというとその人を信用できないからである。
人を雇うにしてもどうしてその人を信用できるのか?
私は信用できる人間ですといっても誰がそれを認めるのか?
雇う方でもどうして信用するのか?
それで就職するときも保証人を求める
なぜなら会社の金を横領されたら困るからである。
そういうことは常に起きて損害を与える、すると誰がその責任をとるのか?
責任問題が生じる、それで雇う方でも責任が問われるから保証人を求める
損害を与えたとき保証してくれる責任をとってくれる保証人を求める


雇う方でも責任が問われるから保証人を求める、雇われる方でも実は雇う方が保証してくれるのかという問題もある。
現実に江戸時代から賃金未払いはあり途中で雇われる方がやめて困ったとかすでにあり
雇われる方にも問題があり雇う方が損失をこうむる。
雇う方でも雇われる方でも双方に責任が生じている。
雇われる方が今だとフリーターとか派遣とかで正社員よりは気楽だとなるがそれなりに必ず責任問題が生じているのである。
本当は雇う方も雇われる方も双方の責任であり共同責任にもなる
会社だったら社長であれ社員であれ共同責任として会社を運営している
そして民主主義国家では個々人が自由だとしてもその自由には必ず責任を課せられているだから常に自己責任論が言われる、海外に行くのは自由だけど危険な場所に行ってはならないのに行ったから殺されたとなりそれは自己責任だとされる


民主主義国家は自己責任論社会である。政治家を批判してもその政治家を選んだのはお前ら一人一人でありその一人一人が悪いのだとなる
また健康でもお前の生活が不健康だから年取ってから病気になったのだ、健康も自己責任論になり不健康な生活をして60代以降病気になった人は自己責任であり国で医療費をめんどうみるのは問題として政治家がいた。
それも一理ある、毎日タバコをすい、酒を飲み、健康を害するのは自己責任でありそのめんどうを国の金で税金で面倒みれないとなる
それは税金だからそうなる、税金とかはみんなか払うものでありそんな不摂生な生活をしている人はその人の責任でありみんなで面倒みれないとなる
周りの人に迷惑をかけるからである。
そうはいってもいくら健康に気をつけても必ず60代になると必ず病気が出てくるのであるそれを自己責任されるのも辛いとなる。


どうしたら人を信用できるのか、保証されるのか、それはもう人間が生れてからの問題だったのである。
人間はそもそも信用できない、罪を犯すしその言うことも嘘が必ずあり信用できない、まず嘘を言わなかった人はいないしその人は異例であり馬鹿しかいないとなる、だから馬鹿正直だとなる、利口な人は必ず嘘ついているのである。
だからこそ保証人を求めている、その個人を信用できないからである。
そしてその個人を信用できないとき、保証をどうするかという問題になる。
それは家政婦だったら家の中に入るから非常に危険である。
それでフィリンピン人は家政婦として出稼ぎ者が多い、それは信用システムが作られているからだという、借金を調べて借金ある人は雇わないとか国でも信用システムを作っている


また家政婦を雇う時はそうした信用システムがない、個人で勝手に雇うと非常に危険になる、被害あった場合もう責任も問うこともできない
それが家政婦団体としてあればそこで共同責任になるから保証されるということもある
つまり共同責任体制の方が責任を問い安いし安心だとなる
五人組制度というのもそうである。
江戸時代は地域的な連帯で保証されることがあった。地域のつながりが濃密だったからである。だから村に住んでいれば村の人は信用できるとなった
でも一端村から出ると出稼ぎ者になると信用が別な問題となる、そこでいろいろ問題が起きてくる
法律が生れたのはヨーロッバで生れたのはそれは異民族が交わることで公平な法律が自ずと要求されて文書化された。口約束とかでは必ず破られる信用できないからである。
そういう経験を自分の家でもしている。口約束は破られてわずかだが土地は近くの人にとられた。近くの人でも信用できないのである。
人間がいかに信用できないかということでそもそも法律が生れたのである。
絶えず人間には裏切りがありそれで命を落とす人もいる、口約束は常に破られるのはそこに信用システムが構築されていないからである。


五人組などが何か封建的で古いものとしてあったと思うが今になると何かそれは共同責任体制であり信用システムだったのである。
江戸時代の問題は現代に継続している。例えば口入れ屋とかは今の派遣業者とにているしそういうものが必ず必要になり江戸時代も今も同じ問題が生じていた。
なぜなら江戸時代は終身雇用などない、年季奉公というとき期限がありあとは日銭稼ぎがほとんどであるから今の派遣とかフリーターとかの労働とにているから現代はかえって江戸時代にもどったのかとなる
現代の問題でも常に歴史的継続してと考える習慣が必要になる
江戸時代だから人と人が信頼し合っていたということでもない
ともかく人は信用できないということから保証人問題が生じていた。
だからどうして人を信用できるのか?常にそういうことが問題になる
履歴書でも偽って書いてわからなかったとか言う人もいるしそういうことは文書化して何をしても防ぐことはできないし犯罪はなくならないのが人間社会である。
ただ被害を最小限にとどめるとか何かしらの保証を人は信用できないから求める
それで保証人問題が江戸時代でも今も継続されているのである。






タグ:保証人
posted by 老鶯 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

フランス人の一人旅の女性とあった (コメリの放射能汚染物質の廃棄場を写真でとったいた)


フランス人の一人旅の女性とあった


(コメリの放射能汚染物質の廃棄場を写真でとっていた)


最近できたコメリの脇の大きな放射性廃棄物の一時保管場所の前に年配のフランス人にあった。
何才かわからないけど60まではいかなくても50くらいの女性である。
不思議に思ったのはその放射性廃棄物処理場の写真をとっていたことである。
写真をとりに来たといっていた。新聞記者なのかとも思ったが普通の旅行者である。
あんなところでばったりあったので驚いた。


その女性はそこは放射性廃棄物であることを知っていた。英語がしゃべれるからわかったそれからここからすぐに海で津波の被害があったことも知っていた。
つまりこの場所がどういう場所が知っていたのである。
何らかの関心がありここに一人で来た
この辺は世界でも有名になったこともあり来てみたのかもしれない
ただ女性の一人旅というのはめずらしい、でも今や世界は一人旅は女性でもめずらしくない
インドまで日本人の女性が一人旅していたしなぜかいたるところに日本人がいた
日本人宿もどこにでもあるから日本人に合わないことはなかった
なんでここに日本人がいるのかと不思議に思った。
その時は円高で日本人の海外旅行者が特別多かったこともあった


今は日本に相当数の外人が旅行に来ているから都会に行けば珍しくないだろう
ただこの田舎で一人写真をとっていることはめずらしかった。
一日は泊まると言っていた。何かその女性はあまり話したくない
逃げる感じだった、まず日本は女性の一人旅でも安全である。
何か事件に巻き込まれることはない、女性の一人旅でも安全だから旅しやすいとなる
これたらは田舎の方にもそうした一人旅の人などが来るかもしれない
フクシマは世界的に有名になったから来るということもある


世界はグローバル化していて人の交わりでもそうなっている
仕事でグローバルに活躍している人と旅だけでグローバルするのはかなり違う。
旅だとどうしても表面的であり深くコンタクトすることはむずかしい
海外旅行で自分は何か外人と表面的でもものおじせず話せるようになった。
別に英語ができなくてもいいのである。
中学英語くらいで表面的なことは通じる
なぜ日本人が英語できないかというしゃべれないかというと欧米人にものおじするからだというのわかる
欧米人と話す前にものおじするから話せない、英語ができないというのもそうである。


自分が中国で犯罪にあわなかったのは汚い恰好して中国人に見えたからである。
日本人と中国人の区別がつかない、韓国人でもそうである。
だから金あるように見えないから犯罪にあわなかったのである
中国人は団体で買い物などに爆買しているがやかで一人旅とかでも来るようになるかもしれない、その時田舎に来るが中国人だとやはり日本に来たとき日本人に見えて見分けがつかないのである。
東京辺りでも中国人と日本人の見分けがつかない、中国語をしゃべっていたのであれ中国人だったのかとなる


フランス人でもフランスに行ってもも英語をしゃべらない、みんなが英語をしゃべれるとは限らないのである。
いづれにしろ田舎でばったりとフランス人の女性の一人旅の人にあったことは一つの事件ともなる
ただこの辺はそういう外人が結構来ているかもしれない、世界的に有名になっているからである。
ツバメの放射能汚染を調べる人がアメリカのサースカロナイナ大学が来ていたりいろいろな人が世界から来ているということはある
ただあの女性は新聞記者かと思った。でも普通の旅人である
しかし何かそれ意外はわからないからつまらないとなる



posted by 老鶯 at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年12月10日

老人は男女を生きることができる (男女の神秘の考察ー東西文明論としても)


老人は男女を生きることができる


(男女の神秘の考察ー東西文明論としても)


主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。』こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。(創世記2:18-25)」


主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。

そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。

人間はまず男かつくられた、それがmanであり女はwomanになった。wobmとは子宮のことである。女には子宮を与え子供を生むようにした。
最初が男だということは男を女に変化できることなのである。
現実的に男性の生殖機能から女性の子宮とか他の女性の生殖器に作り替えられるという、それは科学的にも説明できるし構造的にそうなっている
女性とは男性の変化したものである。女性にも睾丸とにたクリストフがあることでもわかる。

生過程の性分化は、あらゆる場面において男性への分化の方が時期が早い。その時期を過ぎて男性への分化が起こらなければ、女性として形成される。

陰茎と陰核に限らず、男女の外性器は発生上は同じ構造である。元々持っている男性器の外性器は、原則的にはそれぞれ各部がそれに対応する女性器に作り替えられる。例えば上に挙げた陰茎の場合には、その亀頭部を陰核に作り直す。表陰嚢は大陰唇に相当するが、これは膣の内壁としても利用されるらしい。

これなども男性が先に作られ女性が男性の変容したものとして作られたことを証明している
ここでは女性の方が先に作られたとしている、男性と女性に分化する過程にその秘密を解いている。生殖器は一体なものが二つに分かれて変容した。それは一つのものだったのであるから両性具有になっても不思議はない、それは肉体的だけではない、心でも両性具有となる、老人になると一般的にそうなりやすい、男性は攻撃な性から女性の受容的な性に変わり穏やかに丸みを帯びたものとなる、でも男性的なものは持続している

ただなぜ骨から作られたのかということである。骨は人間を焼けば最後に残るものだし骨は肉がなくなっても残る、だから骨が人間の体で重要なものと認識した。
骨から人間が再生できる、骨から生命体が作られる、骨に肉をつけ霊をふきこむと生き返る、男の肋骨から女性が作られたように骨から人間が再生できる
ともかく聖書の語りの残したものも謎に満ちている、ただ科学的に見てそれがまるっきり架空の作り事ではない、科学的にも説明出来ることに聖書の不思議がある
聖書はそもそも奇跡を信じなければ成り立たない、そして奇跡が人間に起こるのだ
科学では絶対説明ができない奇跡が現実にあるしそれを記したのが聖書である。
だからただ人間はみんな死んで終わりだと考えてはならないのだ。
そんなだったら人間に何の栄光もないとなるかららだ。

「あばら骨のような比較的短い骨の骨髄は(骨の芯のやわらかい部分)は赤色骨髄であって盛んに裁縫分裂して急激に増殖する骨髄細胞をふくんでいる
骨髄細胞を盛んに分裂増殖すれば細胞培養によって人ひとりの数の細胞ぐらいわけなくできる」(創造論の世界、久保有政)

考えてみれば人間の肉はすぐに腐りなくなる、でも骨はいつまでも残っている
その骨を基にして生命の再生を計ることは科学的なのである。
また女性を肉の肉だというとき男性の肉が変化して女性の肉になったのである
だから肉の肉なのである。女性が男性に求めるのは肉だけではない、子宮があり子供を生むことでありそれが最大の相違である。

人間は男女があっても女性でも男性的な人がいるし男性でも女性的な人がいる。
両性具有というのもいるそうだから肉体的にもそうであり精神の面ではみんな両性具有である。
そして「柔和な人達は、幸いである、彼らは地を受け継ぐであろうと言われるのか?
それは男性的なものではなく女性的なものなのである。父と呼んだエホバなるものは男性でありだからこそまずその似姿として男性を作った。次ぎにその助けてとして女性を男性から作ったというのはまさに神の業である。
肉食獣は獰猛であり草食獣は柔和である。肉食獣は神の御意になく草食獣が神の御意にあるのか?肉食するものを神は嫌う、柔和なものを神の御意にかなうものとしている
それは不思議に女性的なものに柔和なもの優しさがある
それは男性にあるとしても女性に体となり具現化したものとして存在させた。
女性は男性を柔和にさせる、その体は優しさに満ちている


ただ女性にも男性的な女性がいてその人は女性を友達にするより男性がいいとしている
体つきもそういう人は肉食系であり今の若者は草食系だとして批判している
ヨーロッパは狩猟民族であり肉食系でありアジアは穀物を食べるから草食系だとなる
ヨーロッパ文明は獰猛な戦争好きの男性原理から成り立つ、アングロサクソン系とかアーリア人は特にそうである。相手を暴力でもってでも征服する。それ故に武器の発達があり機械の発達があった。これほどの機械文明になったのは西欧型の狩猟文明が基にあったからである。
ヨーロッパとか西と東と分けるがアジアというときイスラエルはアジアなのである。ヨーロッハは地中海をわたった方向をヨーロッパと呼んでいたのである。
宗教はアジアからはじまった、アジアのものであり東のものである。
ヨーロッパ文明がキリスト教文明だというがそのキリスト教はアジアのものであった。
だからローマ教会化した、政治化したのはヨーロッパ文明であった
宗教はアジアのものであり科学や機械や法律とかはヨーロッパ文明である。


資本主義とかもヨーロッパ文明から発展したものでありアジア文明ではない
そこに男性的原理が強烈に働く文明である。競走原理とか上下の支配の強固さとか階級制とかでもそうである。支配するものと支配されるものに二分化されるのもそうである
過度な機械文明であり環境を破壊する文明である。それはもう限界に来ている。
その結果としてこの辺の放射能汚染で住めなくなった現実がある
過度な機械文明は危険であり制御すべきものとなる
ヨーロッパ文明の延長としてアメリカ文明がありその挑戦を受けたのが日本であり明治維新だったのである。
だからアジアが復興するルネサンスになるというときそれは日本が再興することなのである。
それは資本主義とか競走原理の弱肉強食の男性的原理から柔和なる優しに満ちたアジア的原理に回帰することになる
つまりそれが宗教たからである。それはキリスト教でも仏教でも同じだからである。老子の教えでも思想的にはにているからである。
ただアジアというとき何なのか?それは広すぎて今なお不明確である。
ただ西欧文明と延長のアメリカ文明はもう限界に来て衰退してアジアが再び勃興することはまちがいない、そこには欧米の原理ではない新しい文明が再興するのである。


男性的なものと女性的なものは補完するものであり不思議なのは老人になると両性具有となり精神的にそうなる、荒っぽい男性からたいがい柔和な男性に丸み帯びたものとなる
それは性欲の減退とかと関係してホルモンのせいもある。
だから老人になってからは中性化するからかえって女性と男性を若いときのように取り合うとかより融和的になるのが一般的なのである
もちろん個人差があり若いとき同じように血気盛んな人はいる。ただ一般的には男女の区別がない幼児のような子供のような時代に逆戻りするのである。
その時美人とか容姿もあまり関係なくなる、それより話が面白いと別なものが注目されるその女性は若いときだったら近づくのも嫌だったろう、体型でもあまりにも無様なのである。でも何か話してみると違っている、面白いのである。
美人は三日みればあきるというのは本当である。何かそれより精神的なもの話が面白いとか性格がいいとか何か別な精神的なものが重要になってくることは若いときからあったが老人になると外見とか容姿よりそうした内面的なものなどが重要になっている
老人は外見はみすぼらしくても内面は若いときと違った充実しているのである。
若い人が老人なんか無駄だというが早く死ねというが若い人は内面が精神が充実していない、ただ血気盛んな肉体があるだけだともなる
だから何か芸術でも深いものは創作出来ないのである。精神的に成熟できないからそうなる


老人になることを嫌うのは肉体的衰えがあり外見からだけみるからである。
精神は全く違ったものとして充実している、若い人はどうしても精神的には成熟できないいくら背伸びしてもそうである。それには時間がかかるからである。
自分の創作でも若いときに経験した旅でも今になるとその意味を深くして創造でる。
つまり旅でも旅しているときはその意味とかがわからないがあとでわほかるときがある
その場について後で深い洞察ができてくる。あちゆる経験でもそうである。
なかなか若いときでも体験しているときは夢中でありその意味を深く洞察できないのである。
老人になってはじめて本当の実りの季がくる、だがら自分も今は創作的にも充実している本を読んでも深く読めるのである。若いとき本は買うだけであり読んでもわからないのが多かった。今だと深く読めるから批評に向いていると思うようになった。
批評はやはり一段上の高みにたたないとできない、,人物批評でもそうである。
批評はだから老人に向いているのである。


若い日の熱情と火花が燃え上がる
一人の人間に男女があり
老人になると二つの性を生きる
老木は大地に根付いて深い知恵を語る
人間は以前として解明されていない
神秘であり謎である
自分自身すら謎であり謎を生きている
青春を生き壮年を生き老人を生きる
若者は老いがいかなるものか知らない
私の心は何になったのだろう
私の体は枯れてゆくのか
私の体も枯れてはいない
人間は死ぬその時まで神秘体験をする
旅した私の心は世界を駆け巡っている
郷土を生きて世界を生きている
人間は奇跡的な存在である
私は死ぬとき奇跡の変容を遂げる
風雲の中に私は轟き去ってゆく
その時来世への約束の虹がかかる








タグ:男女の性

2015年12月11日

避難解除になる小高の不安 (その女性は鹿島区の人の不満すら知らなかった)


避難解除になる小高の不安


(その女性は鹿島区の人の不満すら知らなかった)



家の庭を作ってくれた小高の人は塚原であり津波の被害にあった。その家は新築の豪勢な家だった。
そこには帰らないという、そこは津波で住めない地域になったからだろう
でもその人は原町でも事業していたから補償金は相当なものになっている
それで一時土地がないかと来たことがあった。
その土地はみんなが探していた、「土地がないか」と常に聞かれていたからである。
例えば鹿島区で一番いい場所は西町でありそこの土地は震災前は70坪で7百万であり
誰も買うものがなかった。自分はいつもその土地と値札をみていたのである。
あれを買っていれば今だと三倍くらいになってるかもしれない
大手の大東建託が十棟以上のアパートを建てたからである。
今度は大きな復興住宅が建つし新築の家はまだ建っているが一軒家は前のようには建っていない、小高の人は金をもっていても土地の確保が容易ではないから家を建てることは簡単にはいかない


ただ来年4月に避難区域が解除することでどこに住む不安になっている、小高に帰っても前から知っていた人と今日病院であったけど暗くて怖いんだよと言っていた。
確かに一万くらいの人口があったところで2000人くらい帰ったとしても街でも街からはずれたら暗くなり怖いというのはそうかもしれない、街自体がもう街という感じがしないだろう。それで帰ることを躊躇している人はかなりいる
そして老人しか帰らない町になってしまうからさらに淋しいものとなるからだ。


その人は何か5年近くいても自分たちの立場も何もわかっていないのは不思議だった。
鹿島区の人が補償金をたいしたもらえないから小高の人たちに大きな不満がありつきあわないとか言ってもそのことすら感じていなかった。
そして小高の事情だけを言っていた。その人は何かあまり仮設内でも交流がないのとその人が何かそういう事情を知らないというより人間が何か苦労を知らないからなのか
何かぬけている、女性でもいろいろいて何か世間をわたる能力にたけていない人がいる
女性には何かそういう世間知らずの人が相当いる、自分も実際は世間知らずだった。
だから最近知り合った女性は何か苦労の連続であり世間を知っている不思議があるからあの人の方が変わっていたとなる


ともかく小高の人は今相当先行きでも不安になっている、まず小高に帰ってどうなるのかそれもわからないし見通しがつかない、若い人は帰ってくるというけど帰ってこないとみるのが普通だろう、避難解除になった楢葉では5パーセントしか帰らなかったということでもわかる、帰れるような状態にないのである。
その女性も補償金もらっているけどこれからが不安だと言って自分に何かいい方法がないか聞いたのである。
大きな復興住宅が建つから仮設を出たらそういう所に入るにしても今度は家賃がとられる、自分の墓地の前の復興団地には家賃7万で入っている人がいる、家族が多く部屋数が多いと高くなる
その家賃を払い生活費を払うとなると金が必要になるけど老人だから働くこともできないということがある。
あの人は松川浦の魚売りしていたけどそういう仕事もなくなった。
ただ車が運転できるので有利なことはあるがそれでも年になっているから働くことがみんなむずかしくなっているからあと5年補償されればなとみんな言っているのである
ただあの人はなにかのんびりしているというのはそういう性格なのと何かお嬢さん的だからかもしれない,何か5年もいて近くの事情もわからないのもそうだしほとんどこの辺のことがわかっていないのもそうである。


小高に一億円あっても何か住んでもいいことはない、店もない、病院も入院できない、サービスが受けられないとしたら金があっても金が活きてこないのである。
だから原町とか鹿島とか相馬市でも新地にも小高の人が家を建てたというのもそのためである。小高に帰るということがそれだけむずかしいのである。
だから小高でも家をリホームするより壊している、竜田駅前の家もリホームしていたのかと思ったら壊していたのである。
飯館村では千軒の家が壊されたことでもわかる、つまりもう帰って来ない方が多いのである。
要するに避難区域が解除になっても楢葉町で5パーセントしか帰らなかったように簡単には回復しないし老人だけが帰り回りが暗くて淋しいとなるし住みたくないという人が増えてまた人口が減ってゆくかもしれない、そういう限界集落に住むのは誰もさける
ともかく避難区域解除になるこは小高の人たちにとっては今度は厳しいことちなることは確かである。


そのことを鹿島とかその他の地区でも同情しないかもしれない、お前たちたんまり補償金もらったのだからいいだろうとかなる、その女性がそのことを感じていなかったということはおかしなことである。
ただそういうことを感じないで5年近くも暮らしていたということも不思議である。
それだけ今は別に金があれば困らない生活になっているからなのだろう。
何か避難して困ることがあればこうはならないだろう。
誰かに助けてもらうとか頼みに来たりするからである、そういうことがなければ何も頼る必要がないのだから鹿島の人が不満だということすら知らなかったのである。
それが今度は避難区域解除されてどこに住めばいいのか、帰っても暗く淋しいから嫌だとかなり家賃を払うのも困るとかこの先の生活をどうするのかとか不安になってきたのである。
そのことはわかっていたことであり早くから手をうつべき問題でもあった。
回りの状況も知らずにのんびり暮らしていたというのもおかしなことだったともなる





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2015年12月12日

老木の語ること(詩) (原発避難区域で老人が帰りたいのはなぜ)


老木の語ること(詩)

(原発避難区域で老人が帰りたいのはなぜ)

その土地に根付いた老木は語る
私はここに生れここに育ちここに老いる
私はこの地でこれまで生きてきた
幾度もの寒い冬を耐えて生きてきた
北風が唸り雪が積もる日もここに生きてきた
春は桜が咲きタンポポなど花が一斉に
この地をおおい芽吹きがある
さえづりはここにひびき春があり
夏は涼しい木陰をなして
涼しい風がこの地にそよぐ
遠くに流れる川の水の音が聞こえる
秋の日がさして晩菊だかたまり咲く
この村は昔からあり継がれた村
一枚一枚と木の葉が散り
落葉に埋もれて家々は静まる
私はこの地に生れ育ちここに老いる
そしてやがては朽ちてここの土となる
その私が今さらどこに移れるのか?
私はここが死ぬ場所なのだ
私の思い出はここにあり他にない
私はここに生れここに育ちここに老いて
そしてここに死ぬこの地の土となる
私の生きた場所はここであり他にない
私の一生はここで終わる
そして私の思い出はここに生きつづける
そうしてここに生きる者を見守っている

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人間も生物だからこうなるのが自然なのである。この辺で故郷に住めなくなったけどもう老人はその土地から移り住むということは酷なのである。
それで98才の女性だったから原発で避難するときもういいと墓に入りますと言って自殺した、その気持がわかる。老人は長く生きた場所から離れにくいのである。
その人が生きたのはその場所であり思い出もその場所にあり他に思い出をまた作ることはむずかしいからである。
だから老人だけは避難区域でも帰りたいとなるのはそれは人間も生物の一種だから本能的にそうなる、それが自然の生なのである。土に還るというときもそうである。


そして年取るとわかるけど人生は一回しかないのである。思い出を作る時間も限られている、もう二度と思い出を作る時間がなくなるのである。
人間は結婚するにしてもそんなに何度も結婚したりできないだろう
その結婚でも思い出を作れる時間は限られているのである。
だから結婚は一度して老いるまでつづくのがいいとなる
人間が生きる時間は限られているのだから一人くらいしか思い出を作る時間がないのである。
人間はそんなにいろんな人と交わることはできないのである。
だからなんであれ自分の場合60年間も一緒にいた家族の思い出が一番の思い出だとなる
その他は一時的でありそれより瞬間的にすれ違ったというくらいの出会いになってしまう最後はさよならだけが人生だとなってしまうのである。
人間のこの世の出会いは長くはつづかない、遂に一瞬すれ違うだけだったとまでなる


ただある土地に生きることはその場が記憶として残りつづける、記憶は土地とともにある古い碑などもその土地とともにある記憶なのである。
そして人間は死ぬと死ぬ前からも忘れられるということがある
人間は本当に死ぬともうすぐに忘れられる、自分の世代になると次々に人が死ぬからいちいちもう記憶できない、有名人でもそうである。
あの人が死んだのか、あの人も死んだのかと、次々に同世代の人が死んでゆくからである

奇妙なことだが最も憎んでいる人がいたとしたらその人が思い出の人となることもある
なぜならたいがい忘れて無関心であり思い出せない、ただ泡沫のうよに人は消えてゆくだけである。そんな人がいたのかどうかすら最後はわからなくなる
それほど人の出会いははかないものかと驚く、さよならだけが人生だ、ただ人間は次々に消えてゆくだけだとなる
それでもその土地に根付いた生活は記憶として残りやすい、それは土地があるかである。土地とともにその生が記憶されているから長く記憶されるのである。
その土地が奪われたとき今回のように他に移れば記憶も失われるのである。
だから老人は避難区域に帰りたいとなるのは人間も生物の一種だからそうなっているのだ。

タグ:老木の詩
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母(小林トミ子)百歳は今日死亡しました


母(小林トミ子)百歳は今日死亡しました

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今日母の命日となる冬紅葉



5時ころ病院に行ったときまだ生きていた。でも一週間くらい目が閉じて相手が誰かわからなくなっていた。
その時意識不明になり死んでいたのだろう、意識がなくなれば肉体が生きていても死んだと同じなのである。
でも最後まで目がこちらを見ているようだった。姉の場合は目が完全に死んでいた。
その死に方は悲惨だった
母の場合は眠るように死にたいとかいつも言っていたがそのことだけはほぼかなった
体が冷たくなっていたのだから死ぬということはわかったかもしれない

でも血圧が下がっていないとか看護師が言っていた。
ただ今日は酸素吸入をしていた。だから悪くなったのかと思った。
そしてまもなく死んでしまったのである。
やはり体が衰弱しているからもうもたないということであった。
つまりその機械と数値で計れない手とか体をさわってみればすでに冷たくなっていたのである。
それはもう死ぬということだったのである。機械に頼りすぎるのも良くない


ともかく母の一生はいいことはなかった。ただ最後だけが楽に死にたいということをいつも言っていたがその願いだけはかなったのである。
なんか死んでも悲しくないのは自分は姉と母を介護して随分悲しんだ
だから涙もその前に尽きたともなる
最後は家で死にたいと言ったので家で今日と明日と家で一緒にいて送ることにした


合掌

2015年12月13日

百歳で死んだ母の安らかな死に顔 (自然と一体化すると荘厳な死になる)



百歳で死んだ母の安らかな死に顔


(自然と一体化すると荘厳な死になる)

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昨日の状態

まだ顔がこわばっている、何かまだこの世に生きようとしている
口の感じからそうなっているのか?


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今日の夜は昨日の顔のようにこわばっていない
何か力がこの世に執着する力がぬけてきているからだろうか?
何か微笑んでいる感じにも見える、死者としての怖さがない不思議がある
母の死に顔は何か安らかなので人に見せてもいいと思った。
なかなかあとは記録していなとこうした写真はとれないだろう。
死者を冒涜しているという人もいるがやはり一つの記録として貴重となる


静粛に母の死に顔冬の水

我が家に母を安置し冬の菊

我が家に母の遺体や朝の霜

死に顔に白百合向きて咲きにけり

しとしとと母は死にき冬の雨


母はともかく辛抱強い女性だった、死に顔をみると唇をしめて何かまだまが辛抱している感じに見える
一方でやっと安らかになった、苦しみから解放されたような顔にも見える
何かほっとした解放された感じに見える
死に顔もまたその一生を物語っているのだろうか?
がまん強い感じはまだあるがそれと同時に安らかな面持ちにも見える
顔はやはり何かその人の一生を語るのか?
やはり死んでも何かを語っている、そこに死に顔の不思議さがある
顔はやはり死んでも精神を表現している
ただそれも一日二日でありあとはすぐ死体は腐乱してゆく
つまり一日二日はなお死人でも生きている感じになる

良く成仏にこだわるけど母の場合はその一生を死に顔に凝縮させている感じである。
唇をしめて辛抱強い、そして性格が柔和だから何かその苦しみから解放された面持ちになっている
人間の死に顔もまたそれぞれの一生や個性を語っている
自分は何か冷静に見ている。その前にずいぶん悲しんだから涙もでない
それで母の死に顔を冷静に見ている
葬儀屋の人に聞いたがみんなが安らかな顔ではないという、事故死とか自殺死は安らかにはとてもならない、だから商売でもそういう人に接するのは嫌になるし
不気味になり、何らかの精神的影響を受けることもある
死に顔から死体は完全に死んだというのではなく何かそこから発するものがまだある


「徐々に霊体は手足から抜け出し、頭の方に凝縮する。やがて頭頂から後光(ごこう)が現れ大きくなる。次第にそれは形を現し、ついに抜け出した肉体と全く同じ形になる。霊体は高く上がり、一個の美しい霊が私の前に立つ。他方、肉体は下に横たわっている。だが一本の細いコードが霊体と肉体をつないでいる。このコードは次第に薄れていき、やがて消滅する。こうして霊は永久に地上と縁を切るのである。」

スピリチャルではそう言っている。だから死んでまもなくの状態はまだ生きているのだ。生の延長がまだ残っている、生前の生が凝縮されて残っている
確かに母の顔にはそれを感じる、だから完全にこの世を去っているように見えない
今も歯をくいしばりこの世に残り生きようとする顔である。
もともと辛抱強い人だったから顔もそうなっている。
昨日死んだのだが今日の午後からの死に顔を見るとさらに安らかになっている。
やはり徐々に顔も変わり体もかわりやがて体から霊がでてゆくのかもしれない。
いづれにしろ人間は神秘的存在であり死んだからすぐ終わりではない、死後まもなくはまだ生きているのだ
だから生きている人のように語り一緒に寝る、死んだ人に思えないからだ。
顔の中にその人の心が以前として残っているのである。


俳句とか短歌でも死をテーマにしたとき荘厳なものとなる
死ぬということは平凡な人でも何か厳粛なものを感じるからである。
そして死というのは自然に映えるとき荘厳なものになると思った。
自然の中での死が理想的である。死ぬとき本当に自然と一体化する
自然の厳粛さと人間の死が一体化して自然はさらに重さを加える
つまり自然も人間の死によって一段と深い意味を価値を帯びることにもなる
だから都会の死には自然がないから荘厳な死がないのである。
ビルの谷間で死ぬのだから何か機械の部品のうような死にもなる
人間は自然の中でこそ意味と価値を帯びるのであり都会にはそれがないから死はただ部品が一つ消えるという感じにすらなる
それで常に言っているように人間の死すら自然によって価値と意味を与えられている
そういう価値観をもつ時田舎に生きるということの方がいろいろたりないものがあってもいいとなる。
つまりそういう価値観は物質的豊さとは違ったものでありそういうものを見直すことが新しい文化を作り出すのである。
それは経済的豊さとかとは違ったものであり原発とかに頼るものとも違う価値観に生きることなのである。
自然の中に荘厳に死ぬということは別に経済的に豊でなくてもできるからである。

タグ:死に顔

2015年12月14日

郷土史と関係していた葬儀 (共有する死ー納棺終わる)


郷土史と関係していた葬儀

(共有する死ー納棺終わる)

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葬儀はもともと大変なことだった、だから村八分にしても葬儀だけはしないというのはとても一人でできないからである。
自分の父親が死んだときは野辺送りであり薪とか積んで死体を燃やした。
それを中学生の時に経験したからショックが大きく死のことばかり考えるようになった。あういうふうにして死体を焼くのはすさまじいものでありそれを忘れることができなかった。
だから宗教とは死を克服しない限りないものとして求道してきたのが自分である。
宗教は政治とは関係ないものである。経済とも関係ない、そうした死の無常観から生れたものである。


今回の母の死の葬儀では前の姉のとは違い親戚とか親しい人が8人くらい集まったのとは違っていた。
自分一人ともう一人とあとは組の人が数人は焼香して最後の納棺は三人でした。
でもこの三人くらいは最低は必要になる。自分の場合は一人だったら精神的に葬儀は苦しいと思った。
葬儀はやはり一人の死と直面する、それが70年も一緒にいた家族となるショックが大きいのである。
確かに葬儀屋は今はみんなしてくれるから何かするということはそんなにない、でも何か死者を送るというのは精神的負担が大きいのである。
まず明日火葬場で焼き骨を拾い骨壺に納めるまでは精神的負担が大きい
母の死に顔はいい顔だとみていたがそれも明日はなくなり骨だけになる
その変化がまた大きいのである。
だから精神的負担がそこまで大きいから一人だったら苦しい
二人でも三人でもいると負担を分担できるから楽になる


その納棺で供物とかいろいろなものを生前好んだ食べ物を入れるのだと言われた。
母は干し柿だとか梅干しとか大正生まれだから好きだった。
イチゴも好きだから買った。こんなときはケチはししていられないと思った。
そして考えたことは何か本当は郷土でとれたものを棺に入れればそれもその土地に生きたものとしてにあうものだと思った。
昔は何か葬儀というのはそうしてその土地土地に違っていて風習があったというのは
その土地に生きてきたものが違っていたから風習も違っていたのである。
それは郷土史として探求すべきものでもあった。
その土地土地のものとして生きるということがありその土地でとれたものを食べる、活かされる、そして死ぬときその土地で作られた食べ物を供物としてささげる
それが供養でありその土地に生きてきたものとしての死にふさわしいということに気づいた


この辺では松川浦で石鰈を大晦日とかには食べる習慣があった。それはこの辺で石鰈をとれたからそうなっていた。今は放射能汚染で食べられなくなったのである。
つまりその土地にふさわしい生き方をして死ぬならその土地にふさわしい葬儀の仕方もあり風習が違っているのもその地域地域の生活が違っていたから当然だとなる
そういう地域に生きることがなくなるとき葬儀屋にまかせてしまう、
葬儀屋ではでも葬儀の仕方をいろいろ研究している、地域のことも研究して地域の風習に合わせようともしている。
でも葬儀屋が葬儀をするのと地域で葬儀をするのとでは相当に違っていた
だから何でも専門家してそれが職業になるということもまたそぐわないものを感じる
そうかといって今は葬儀することも専門家に会社にまかせるしかできなくなった。
それはそれでいい面もあったが何か今回葬儀の意義を何か考えさせられた


結局人間は生れた時と死ぬときが一番重要な時である。
だから誕生日と命日がある。ただ死ぬ時は今は葬儀屋に頼んで一人の人間がどこであれ一地域であれ死ぬということの意義を共有するということがなくなった
これまでなら供物でもその土地でとれたものを捧げて土地の人々が集まり見送る、野辺送りとなるとそれは自然へ土へ返すという意義があったとも言える
何か死を自然とともにまたその村であれ共同体で共有する死だった
これは戦争中も戦死した人を迎えるとかなると国全体で共有した死だったのである。
今でも戦没者を弔うのは戦死者は国で共有する死だからそうなっている
昔は昔でいろいろ問題があったが何か戦後の高度成長時代から共有するということが少なくなってきたのだと思う


それが葬儀とかにでもそうなる。ただ前のようにはもどれないのが歴史である。
墓とは何かとか考えてきたけどこれも何かむずかしいのである。
葬儀も死者を見送るといかことで深い意義ある行為である
ただ仏教で戒名とか何か檀家がしきりやる葬儀は必要なくなった
そういうものを否定してもそれに変わる新しいものが葬儀には実は生れていない
葬儀屋は葬儀を便宜的に請け負うだけでありそこに何かしらの意義をがあっても死者を送り葬るにふさわしいとはならない
そううい共有するものがなくなったから今いろいろと墓でも模索されてい葬儀でもそうなのである。
簡易にするというのは金がかかりすぎるのもこまるし金をかけなくても意義ある葬儀はできる
ただそれがどうなるのかわかりにくいのである。


今回わかったとことは一人の死とはその人だけの死はあっても共有するのが人間の死である。
それは一地域とも結びつくから郷土史の分野にもなる、一人の人が生きて死ぬということは家族ともかかわるが一地域ともかかわりいろいろなものとかかわる死でありそれは生でもそうである。
だから死というのは一個人のものとしてあってもまた共有するものとしてある
人が死ぬとういのは一個人の問題として解決せねばならないものである。
死ぬ時は一人だというとき家族でも同伴はできない、看取るにしても結局死ぬ時は一人だとなる
実際に母は看護師がみてもいない間に死んでいた。死んだ後に連絡がきたのだから一人で死んだとなる、家族がみていてもそうなるときがある
死ぬ時は一人であり一人であの世に行く、そしてその時は誰に頼ることもできない
同伴者は信じるものキリスト教ならキリストしかないなとなる
ただ死には様々な側面があることにも気づいた。
共有としての死がありそれは全体と関係して郷土史とも関係していた。
郷土史からみれば共有の死のことであり個人として死のことではない
それは人間が生きることは個人としてだけでなく家族の中で生き一地域の中で生き会社で生き広い国という中でも生きるからそうなる
だから戦争の時の死者は国全部で共有する死となっていたのである。







タグ:納棺

死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない 死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない



死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない 


死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない 

このように哲学者ソクラテスは言いました。死は残された者にとっては、悲しく痛ましいできごとですが、もしかしたら、本人にとって死はあらゆる善きものの中で最高のものかも知れないのです。 

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母の一生は苦しみの連続だった。それは父が事業に失敗してから一家離散になりそうなった。
継母に育てられたのもそうだった。
母の話で一番忘れられないことは小学生のとき弁当を作ってもらったのだがその弁当を残したとき「本当の親でないから俺の作ったものは食えねえのか」とその弁当を投げられたという話は忘れられない
そんなひどいことをするのかということ、そんな仕打ちをされた子供時代の過酷さであるたいがい子供時代はみんな愛されるからそんなことをする親は普通はいないだろう。
でも子供を虐待したり殺す時代でもあるからないことはない
その継母も最後は老人ホームで目が見えなくなり「悪かったな」と母に言って死んだ
老人ホームで目が見えなくなり苦しんでいたとき母は行っていたからである。
つくづく何かそうして人生の最後には人は自分のしたことを後悔する
そしてその報いは必ずあるのだ。後悔して反省したときはもうすでに時遅しなのであり
その償いをする時間がなくなっているのである。


母はそれから東京にでて結婚したが夫を事故でなくした。これも不運だった。
そして子供がいたが自分の家に嫁いできた。そこにはまた自分の家の複雑な事情があった母は後妻であり複雑な家の事情で何か召使のように使われるだけだったのである。
ただ自分にとってはこの複雑な家の事情が全部は悪く働かなかったというのもふりかえると不思議である。
つくづく人間というのはそれだけ複雑なのである。とても外部からはわからない家庭の事情がそれぞれある。
夫婦が仲良しのなかで子供が育つというのも何かめずらいしということもあるかもしれない、これだけ離婚していればそうなる
ともかく母の一生は不運であり苦しみの一生だったともなる
そして介護されるということもいくら老衰で死んだといっても苦しいのである。
母の不思議は最後まで病気がなかったということである。人間は何らかの病気になって死ぬのが大半なのである。病気がないということは老衰死になる

ともかく人間の一生は苦しみなしでは語り得ない、必ず苦しみの人生がある、だからお釈迦様も生老病死と言ったのである。老も苦しみであり病もそうでありその果てに死があるだけだとなる、母の一生はそうだった。
ただ人間は本当に不可解なものであり家族関係でもそうである。
その力関係とか愛情関係でも複雑なのである。特に自分の家族はそうだった。
母だけではこの家は持続できなかった、自分の幸福もありえなかったのである。
姉がいて母がいて自分の家は成り立っていたのである。
その二人が争っていてもやはりこの家をもりたててたのは二人がいたためである。

母だけだったらかよわい女性だから何もできず自分が負担を背負ようになったからとても楽はできなかった。もちろん仕事に追われて学問でも芸術でも何もできないよう状態になっていた。
自分が楽だったのは二人がいてこそであり二人一体となって自分は負担をまねがれたのである。
だから今になると60までも食事を用意してくれた母には感謝している
それを意識しなかったが介護で全部自分がやるようになって意識したのである。
だから死んでから感謝の心が深まった、墓参りとか故人を思うことは供養は感謝することにある、そうすれば故人も喜んでいるのだ。
私も子供を産み子供のために尽くしてきた。それも60までもそうだった。
何の報いがあるのか、でも最後は介護してくれたし死んでも感謝されているので報われたとなる。


そして何よりも母の死に顔をみて救われたのは一生の苦るしみから解放されたことなのである。あんなに死に顔が安らかになるのかと思った。
人間の体は快でもあるが体があるかぎり病気になりまたいつまでも生きない、老化になり体自体は必ず弱ってゆき、いくら病気がなかったとしても体がある限り苦しむのである。つまり

人間は死なない限り苦しみから解放されない

これだけは確かである。母の死に顔はその苦しみから全面的に解放されたからあのような笑っているような不思議な顔になった。それは何よりも苦しみから解放された苦しみがぬけていったからである
だから本人にとって死は悪いものではない、ただ悲しむのは生きて別れてしまう人である本人にとっては苦しみから全面的に解放されたのである。
だからあのような安らかな顔になったのである。
「ああ、もう自分は苦しむことがない」そういう顔だったのである。
老衰で死ぬにしても人間は苦しいのである。苦しまずに死ねる人はいないのである。
楽に死にたいというとき他の人よりは楽でもそれなりに介護に入ってからもいろいろと苦しんできたのである。


とにかく死は全部悪いものではない、本人にとって悪いものではない
何かこうして死んだ人について文を書くのもカルタシスの作用があるみたいだ。
文を書くということは何でも客観的になるからだろう。
感情的ではなく冷静に見るということである。
何か冷たいようだが自分はこれまで介護ですでに姉から十年近く苦しんで泣いてきたのである。
だから今回はもう涙もでないのである。
ただ明日は焼かれるので骨になるので辛い、葬儀というのは精神的負担が大きい、一人だったら苦しかった。もう一人とかさらにまた一人とかいたので和らいだ。
一人というのは病気とか葬儀とかが家族がいる人より何倍の負担になる
自分にとって姉と母は自分の死ぬまで忘れられない人であることは確かであり供養をしつづけることになるし墓守にもなる、それが残されたものの勤めともなる
ただ姉のことは6年くらいすぎて忘れてきた。
人間は忘れやすい、家族でもそうであり忘れるから救われるとういこともある
そんなに悲しみ続けていたら生きることもてきなくなる




タグ:死とは何か