2015年11月18日

最近面白い30年前とかの推理ドラマ (請戸、夜ノ森駅、相馬港、塩釜を舞台にしていた)


最近面白い30年前とかの推理ドラマ


(請戸、夜ノ森駅、相馬港、塩釜を舞台にしていた)

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5年ちかく時がここでとまっている


1号機沸騰水型軽水炉 (BWR-3)Mark-11971年3月26日46.0万kWGEGEGE約390億円

最近40年前とかの推理ドラマをBSで放映している。今回は請戸中心を中心にして塩釜まで舞台が広がっている、これになぜ興味を持ったかというと津波でこの辺は大被害を受けたからである。そもそももう請戸港は壊滅して何もないし立ち入り禁止区域にもなっている原発ができたのは44年前だった、その時原発景気でその水商売の女性が浪江の請戸に来ていた。その前は塩釜でありそこで請戸の船乗りと出会っている。
その時の原発景気は相当なものだったろう。
今はこの辺で外部から除染作業員などが一万人も入っているという、いたるところがプレハブの簡易宿泊所なのである。
そして地元の飲み屋で対応できないから韓国のバー原町にできたという。
まず外からくる除染の人は全国である。北海道の人もいれば九州の人もいる。
こういうい人たちが集まり方言で話したらおかしなことになるだろう。
どうしても訛りが出てくるからである。


原発景気というとき大熊とかあの辺は塩田があり塩を東京に売りに行ったとかそんな時代があった。
それで話の面白い小高の人は原発で働いていたのが戦時中塩がなくて釜で塩を焼いた話をしていた。そんなことで塩がとれるのかと思ったがとれるのである。
塩焼くにも燃料が問題になる、それだけの燃料を用意するのが容易ではなかった。
原発景気のときあの鹿島の加藤建材が真野川で砂利をふるいにかけてその砂利を原発に運んで財を成した話を聞いた。そもそも原発ができて財を成したものはこの辺には結構いるだろう。
特に漁業関係者は原発御殿を建てたと今は問題になっている。
その請戸に呼ばれて家に案内されたら金の襖だった。それは東京から職人を呼び寄せて作ったという、それだけ景気が良かったのである。
それも今になると夢のように消えたのが不思議である。
その請戸の人が相馬総合病院で特等室で家を建てると豪語していたのも回りからどうみられるのか、その時はまだ意識していないかったのかもしれない。


このドラマは請戸、夜ノ森駅、相馬港、塩釜を実際にロケしている。だから貴重なものになっている。時々三陸の方でも津波の被害のあったところのドラマを見た
それがなにか不思議である。
今回の津波で意識されたのが津波にあった海岸線はもともと海でつながっていた。
海の道ができていた。江戸時代に請戸港ち岩手県の宮古から鉄の延べ板が運ばれて葛尾村で製鉄していたことは有名である。葛尾大臣がそこで生れた
松川浦には名取の人が遭難したと石碑に記されている
このドラマも請戸の船乗りが遭難したことがテーマになっている
必ず海では遭難があるからである。
そして塩釜神社の御札をもっているというのも塩釜から海でつながる歴史がある


海には海の旅情がある、これもずいぶん前だけど40年前とかなる、女川に行ったとき、鯨の解体するのを見た、そこで小学校の先生していた人が絹で漁具を作っていたという、その絹の糸を束ねたものは強度が強いから利用された、その頃養蚕がいたるところでしていたから絹はいくらでもあったから海でも利用されたのである。
その時港に入ってきたのは外国人である、中国語のようなものをしゃべっていた。
外国船の貨物船は女川にも入ってきていたのである。
そしてバーの灯が雨にぬれていて旅情があった。

女川港外国船よる秋の夜や雨ぬれあわれバーのともしび

このドラマでもそうである、塩釜の港などで相馬民謡を歌っていたというのもこれもドラマで演出したのだろう。
津波の後には何かこうした風景が失われたので不思議に思う。


駅名も開業以来平駅(たいらえき)であった。いわき市が成立した後も駅名はそのままであったが、1994年12月3日にいわき市などの要望により、現在のいわき駅に改名している

なにかいわき市というのがなじみがない、それでも20年たっている、南相馬市もなじみがない、やはり地名というのはたいだい何百年とか古い、だから地名がなじみがある、定着するには相当な時間がかかる。
夜ノ森駅には桜を見るのに一回くらいおりた。あそこはツツジの駅だった。
つつじを車窓に写して過ぎ去ってゆくのが旅情があった
ここはもう当分開通しない、写真をみるとなつかしいとなるだろう


ともかくこの辺は津波原発事故で失われたものが多すぎる、それが今は年取るとさらに回想するだけだとなる
スーバーヒタチは原町駅にもう5年近くとまったままである。
すでに5年もすぎようとしている、5年は本当に大きな区切りである。
小高の避難民も来年は避難解除になる、これも長かったなとつくづく思う。








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posted by 老鶯 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連