2015年11月16日

南相馬市の「脳卒中センター」は放射能で脳卒中が増えるから? (また一人くも膜下出血の人がでた、医療の発達で介護の負担が増える)


南相馬市の「脳卒中センター」は放射能で脳卒中が増えるから


(また一人くも膜下出血の人がでた、医療の発達で介護の負担が増える)

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鹿島厚生病院ー「郷土愛[とあるのもいい



南相馬市にある市立総合病院に脳血管疾患に迅速に対応するための「脳卒中センター」が建設されることになり、16日、関係者が建設予定地で工事の安全を祈願しました。「南相馬市立総合病院」は、相双地域の医療の拠点となっている病院の1つで、震災と原発事故後、長引く避難生活によるストレスなど(ここはあいまいに誤魔化しているがはっきり言うと放射能の影響と考えられる)が原因と見られる脳血管疾患の患者が増えていることから、迅速に対応するために「脳卒中センター」を整備する計画です。


鼻血と、脳出血(くも膜下出血)どちらも、血管が原因。0.3マイクロシーベルトを越えると心臓発作やクモ膜下出血等リスクが急に増える


0.3ではこの辺では普通にある。自分の所は0.2である。0.3となるとそんなに影響があるのか?科学的根拠があるのかとなる。
南相馬市では小高や原町や鹿島でも相馬市でも0.2が多い、ただ相馬市の市内で0.5があった、でも今は減っているだろう。場所によって違っている。
脳卒中が増えたのは放射能が原因しているのかどうかわからないだろう。
ただ避難者にストレスがありそれで死んでいるとは聞いている、こっちの方が原因になっていることが多い。
この辺でどれだけの人が脳卒中になっているのか?その辺の統計が必要になってくる
医療関係では調べているだろう



町村信孝さん70歳=前衆院議長

この人は良くテレビなどに出ていたけど死んだ、七〇才は早いだろう

同級生の人が脳梗塞になり体が麻痺したが軽かったのか、頭は正常だった。
それで助かったと思う、ろれつが回らなくなったりしたら悲惨である。


今日は病院に行ったらくも膜下出血の女性がいた。86才とかでその息子が
三食食べさせていた。
脳出血になると自分で食べられないから食べさせないといけない、そういう介護している男性をテレビで見ていてあんなふうになったらひどいな、付き切りで何もできなくなると見ていた。
その人は金もなく仕事をやめて新聞配達して介護になった。
介護はいろいろだけど増えるのはなぜかというとくも膜下出血になったら昔だったらほとんど死んでいると思う
脳出血自体死んでいる人が多かったろう、今は医療が発達して生き延びる
自分の姉も脳出血になって南相馬市立病院に入院した。
それは原発事故前だった。


脳出血はやはり多い病気である。これの怖さが脳をやられることである。
一人の女性はしゃべれなくなりわんわんと泣いていた。
60代でなるのと70代でなるのと80代でなるのはまた違っている
60代だとまだ何かできる年だからつらい、今は70代でもそうである。
脳出血の治療がすすんでいるから今はすぐに死ぬ人はまれかもしれない
その人は40分内に病院に行って助かったとか言っていた。
同級生は2時間内に行って助かった。時間が勝負なのである。
こうしして助かるのはいいが介護の負担が大きくなる
あのように家でも毎日三食用意して食べさせねばならないのは苦労である。
その人は役場に勤めていて退職したからまだいい方である。


医療が発達していい面もある。でも脳出血でもそのまま死んだ方が本人も楽だし世話する人も楽だと経験から思う、そして介護する期間が長くなるからである。
皮肉なのは医療の発達が介護を長くさせ医療費の負担を増大させている。
そうして老人の数も増えるし医療の進歩でさらに長生きして介護の負担が増えて金もかかる、だから医療の発達は何なのだろとなる、ただ50代とかでもなり助かっている人は医療の発達の恩恵を受ける
でも80以降とかなるとそのあとがかえって辛くなるのである。
母ももう点滴しないと死ぬ、それで点滴したくない、死にたいと言っている
もう百歳も生きたからいいと言っている、まだ何か意識があり正気になっているのも不思議である。


おそらく二人が助かったのは南相馬市立病院では手術がうまい脳外科が優れているからだろう。及川副院長が手術がうまい、それは前から言われていたしそれで若い医者は九州とかからも習いに来ているのが強みである。
近くで知っていた人がもし男性一人だったら三食たべさせて介護となると苦しいと思う
ほとんどつききりになるからである。
自分はそこまでならなかった、三食出しても自分で食べていた。
ふりかえれば水だけを飲んでいて水も飲めなくなったら自然に老衰死になっていた。
それを点滴にしたからまた生きているのである。

水分と最低限の栄養素だけ点滴で賄えれば、何年も生きる方もいますよ。
自発で呼吸ができず人工呼吸器をつけ、点滴だけで数年生きて、数年ぶりに目覚めたといった話を聞いた事はありませんか?

KN3は維持薬ですね。水分の維持をする為のものです。これだけでも生きられますが、胃ろうができない方に高カロリーの点滴を使う事もありますが、高齢でその状態ではちょっと難しいかも知れませんね。

こういうこともある。つまり前も入院して点滴してまた食べるようになった。今はこれだけどうしても寿命を伸ばすのである。点滴がいかに効果的なものかわかる
食べられなかったらもう人間は終わりだったが点滴で寿命が伸びる、そしてまた生きるから医療費もかかるし国の負担も増えてゆくのである。
寿命が伸びることは悪いことではないがそれによる負担がさらに増大してゆくことが問題なのである。


この人は何かそれだけ長生きする意味があるのだろうか、苦労をかけて国にも金を負担させる意味があるのだろうか、なんかこうもふえてくると考える
医者ならともかく手当てをせざるをえない、簡単に死なせることはできない
大正生れとか戦前生まれは苦労して日本を築いた人たちだから大事にせねばならないとか言われる、団塊の世代でも高度成長時代を作った人だからとも言われるがあまり評価はされないので早く死ねと若い人たちは言う、そういうのはやはりそれだけ生きる価値があるのかと問われているのだろう。
それは個々人にもあり家族でもあり社会的にもある、そんなことは外からみてわかりにくいが普通なら考えないがあまりにも増えて社会的負担も大きくなるから考える
その労力と負担が大きすぎるからである。


なんか母は葬式のことを盛んに言っていた。それが最後に言いたいことなのか、そんなことを言うことはすでに葬式して死ぬ準備もできているから点滴をとれと言っているのである。もう死にたいと前から言っていたからである。
何か死なせられないのも今の問題である。
ただ人間は無意識になったとき死んだと同じである。そういう人はいる。植物人間のようになって何年も生きる人もいる、そうなるとその人は生きているのかとなる
人間は意識があれば生きている、百歳でも生きている。まだわかっているから生きているとなる、意志疎通もなんとかできているから生きている、無意識になればもう意志疎通ができないから死人なのかもしれないとなる
若い人なら植物人間から生き返ってとかあるけど80とかすぎるとそういうこともないだろう。


これから団塊の世代が介護になるときもう介護できない、そうなるとどうなるのか?
放置されて死んでゆく、原発避難区域に帰るのは老人が多い、単身所帯とか二人所帯とか多くなる、そして子供は介護したくないから帰らないとか姑と一緒にいたくないから帰らないとか言っている。
では残された親を誰がめんどうみるのか?なんらか引き取ることも要請されるだろう。
これもまたこの辺の問題なのである。

タグ:脳卒中

フランス革命の世界的影響 (日本はアメリカ型でありフランスの理念が欠けていた)


フランス革命の世界的影響


(日本はアメリカ型でありフランスの理念が欠けていた)


「非宗教」が国是

フランスはまた、「非宗教」が国是である。公共の場でのイスラム教徒の女性のスカーフやブルカ(全身を覆った衣服)を禁止した通称「スカーフ禁止令」は決して「信教の自由」には抵触しない。この法律ではユダヤ教のキッパ(男性がかぶる小さな皿状の帽子)もキリスト教の大型の十字架も禁止されている。服装などによる宗教的規律から解放されるがゆえに《自由》であり、宗教的外見から無縁であるがゆえに《平等》であり、信仰とは無関係な市民的空間を構築できるがゆえに《博愛》だからだ。


フランス共和国は、1789年7月14日に起きたバスティーユ牢獄への襲撃事件に端を発する一連の革命により成立した国家であり、「自由・平等・博愛」という建国の理念が国の標語となっています。。宗教については世俗主義(ライシテ)を採用しており、いかなる宗教であれ政治への介入を拒んでいます

このような価値観の影響圏は、フランス語圏のみにとどまりません。イタリアやスペイン、中南米などラテン系諸言語を使う国は、歴史的にフランスの影響が強かったことがあり、このような価値観の影響を受けており、そのような伝統的なつながりの中で社会的連帯経済という概念が、フランスから諸外国に広がっていった経緯を忘れるわけにはいきません

デモクラシーの学校は、市場社会において競争力のある個人を養成することが任務であり、市場原理は教育においても有効であるだけでなく、市場経済に適応できる人間を養成して社会に送り込むポンプとしての役割が重視されることになる。



世界史の中でフランス革命は影響があったしそれが現代社会の先導役となり理念となった近代社会が作られたものはフランス革命で標語化したものである。「自由、平等、博愛」である。それは意外と思うごがネットからの引用でもそうなっている
ヨーロッパだと何かキリスト教一色にみえる、どこでも教会が立派な大聖堂があるからそう見える。それがキリスト教を重んじてもそれが否定されたのはカトリックが政治支配したことがあまりにも強くその反発からその理念が生れた。政教分離もそうである。
共和国とアメリカ的民主主義が違うというのもなかなかわかりにくいだろう。
共和国という概念がわかりにくいからである。
わかりやすいのはアメリカ型の民主主義である。これは日本ではそうであり現実生活に戦後はアメリカに支配されて浸透しているからもう肌でわかる。
日本はすでに日本人ではない、アメリカ人だというときそうしたアメリカ型民主主義を採用したからである。


そこで個々人の激烈な競走てありフランス革命のような共和国のような理念とも違うのである。アメリカ型民主主義には平等、博愛はない、自由を追及するが個々人の利益を追及するだけである。民利主義である。ひたすら民衆の個々人の利益を追及するだけである。だからこの辺でただひたすら個々が補償金をもらえばいいとしかならない、共和国というか共同体をどうして維持するかなど眼中にもなくなっているのだ。
個々人がただ私益を追及して肝心の市町村をどう建て直すのかという視点がない
補償金もらって若い人は外にでる、残る老人も年金代わりに補償金をもらえばいいとしかなっていないのである。そこに昔の村の連帯もなにもなくなったのである。
だからフランス的共和国の理念とアメリカ的民主主義が違ったものであり日本はアメリカ型になりすぎたのである。
共和国的な市民とか新しい共同体の再構築が必要になっているのだ。


フランスとかヨーロッパを見るときこれも相当な誤解かある。キリスト教の国だと思ったら宗教を否定する理念から新しくフランス国が建国されたとなる。
それを習ったのがトルコであり世俗主義になり政治と宗教を分離したのである。
それ故にEUにも参加したいとなったのである。
博愛というときそれはキリスト教の愛とも違っている。それはキリストがソマリア人を異邦人を助けたこととにている。その時ユダヤ人の宗教から万民の宗教へ変化して世界に受け入れられるようになった。ユダヤ人だけの宗教だったら世界宗教にはなれないからである。
さらに世界に受け入れられるにはカトリックという固陋な政治支配の宗教を否定せねばならなかった。それがフランス革命だったのである。
その理念が大規模なテロでゆきづまったというときそれはなぜなのか?
自由というときその自由の中味である。人間があらゆる自由が許されるのか、人権主義というときも人間としてあらゆる権利が認められるのか、自由に制限がない、それは結局混乱をもたらす。様々なカルト宗教団体も公然と跋扈して社会を動かす、それは自由にしても政教分離の法則も適用されていない、宗教分離の下に宗教の自由が許されているのだからそこには制限がある、なんでも自由ということでもないのである。


自由というのが近代化で求められてきた、それが世界的にもそうである。でも自由というときあらゆるものが自由となりうるのか?国境をなくしたら貧乏な国から大量の移民は流入してくる、そしたらそれをとめるためには殺さなければならないまで追い詰められる
人権主義になればかわいそうだとなり無下に殺すわけにもいかない
そういう深刻な矛盾にシリア難民などで世界は直面しているのである。
自由だといっても国を捨てるのも自由だとなるのか、国を捨てる自由もある、国に残る自由もある。自由は各人が選ぶものだというのも成り立つのか、それならはじめから国籍を与えない方がいい、国籍のない民族もいてその人たちのようにすればいいのである。
国籍には責任も強いられているのである。戦争になったらやはり国のために戦うことが強いられる。簡単に国籍は取得できないからである。フランスでも移民に国籍を与えたらフランスに敵対する行為したとなると見直される。在日しても常にそのことが言われているそれぞれの国があって歴史があって発展したきたものを否定して国を捨てて豊かな国に移ろうとしたらその国の人に拒否されるのはしかたないことである。
あくまでもその人たちの自由は制限されるのである。
だからなぜシリア難民はその国にとどまりイスラム国でもなんでも戦わないのかとか言われる。そんなに簡単に国を捨てていいのかとなる。








posted by 老鶯 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層