2015年11月10日

同級生が脳梗塞になり南相馬市立病院で助かった (脳外科の新しいビルができてその方面では充実する南相馬市)



同級生が脳梗塞になり南相馬市立病院で助かった


(脳外科専門の新しいビルができてその方面では充実する南相馬市)


母がまた入院


「及川友好先生(副院長・脳外科)のご配慮で多くの手術をこなせます。ここで出来ない血管内治療は、専門病院に出向させて貰えました」と言う。彼が南相馬に来たのは、被災地支援ではない。脳外科医として腕を磨くためだ。


同級生に土手の道であった。そして話したらその人は半年前に脳梗塞になったという。
その人を見たら見る影もないというかやせて十年はふけていた。
今でも病人の感じである。何でも本当は心臓の血管が破れて死ぬところだったが脳の方がの血管に障害が起きて助かったという、倒れて二時間で病院に行って治療したから助かったとかいう、今は4時間以内なら助かるという、その助かった理由が南相馬市立病院は脳外科では優れている、医者も院長先生も優れている。
それは一カ月南相馬市立病院に入院していたから脳出血でも手術がここにはうまい医者がいると聞いた。
病院には得意不得意がある、相馬市立病院はひにうょき科は充実していていいと言われるそういう病院には相馬地域ではなく他からも患者がくる。
名取の癌専門病院は有名でありそこに送られてたいがい診断する。


なぜ同級生が助かったかというとこうして南相馬市立病院は脳外科はもともと良かったのであり院長とかが率先して育てた実績があったのだ。
それで研究論文も出したり若い研修生などが脳外科で優れているから学びに来ている。
そして新しく脳外科専用のビルが建つ、かなり大きなものでありそこが脳外科専用になるからますます脳梗塞とか脳出血にこの辺では備えができる。
同級生が本当は重症であったが確かに見る影もないというかやせて病人のようにではあるが頭は正常であり普通にしゃべれる、ろれつが回らないということもない、普通にしゃべれるしわかっている。頭は全く正常なのである。ただ身体的には相当衰弱して十歳はふけてみえる。前もなにかセムシのようになっていた姿を6年前とか見た。
でもその時は脳梗塞になっていない、最近半年前に脳梗塞になったというから驚きである外見は病気をひきづっているが話してみると頭は正常であり普通に話できる、なんら普通の人と同じである。
そして車も運転できるから意外だった。車を運転できることは頭が正常だし頭が働くということである。全く認知症にはなっていない、それで救われたとなとつくづく見た。
脳梗塞とか脳出血とか悲惨なのを病院で見ている。話できなくなり泣いていた女性がいたわんわんと泣いていたのである。あれも悲惨だった。南相馬市立病院には一カ月いたから悲惨な人を見たから怖くなった。


ともかくまず60代になると何かしら必ず病気がでてくる。これはいくら生活習慣病と言ってもその人なりの遺伝病とかなにかしら出てくることはさけられない、いくら注意しても病気がでるのである。
その人の体は病人だけと頭が正常だということは話できるからいい、頭がやられたら話すこともできなくなる、だから結構知的なところがあり郷土史の話ができた。
いすいろなことをわかっているのである。
人間が確かに体をやられるのも悲惨だが脳をやられたら最悪である。アルツハイマーになった家族を介護したからわかる。何も世の中のことがわからなくなる
痴呆化するから怖い、こうなると会話は成り立たなくなる、同級生は知的な会話まで成り立つから話ができるから友達にまたなれる。ろれつがまわらなくなったら話もできなくなるから怖い。自分の姉は社交的で陽気な人だったけど誰も友達も来る人がいなくなった。話ができないからそうなったのである。
だから人間は頭が正常であれば生きている、だから認知症という病気が頭がやられるから人間でなくなるという恐怖を覚えたのである。
その認知症がこれから膨大に増えてくるから恐怖なのである。
そうなると本人も苦しいしなにより介護する人の負担が重すぎるのである。
同級生は車にのせてやるからと言ってくれとか言うからまだいい、あの体の状態で頭で運転できるというたとはかなりの強みになる。
脳梗塞でもほとんど脳が損傷してかったのである。
でも白内障になったとか体全体に影響はあったと言っていた。
あの体の状態を見ればすぐにわかる。本当に病人の姿なのである。


同級生でも自分は同窓会など一回も出ないからわからないけどまず人によっては急激にふける人がいる。
3才くらい下の人も障害児をもって苦労して十歳ふけた。今でも太った頑丈な体なのだけど顔はしわになり十歳老けているのである。
自分は二十代から老成してすでに老人に見えていた、だからその時自分はさほど変わっていないのである。むしろ今になると老人にしては元気に見えるのである。
自転車で原町や相馬市に行くのを車から見ている人がいるから元気だなと見られている。でも最近筋肉痛になりいつまで自転車で行けるかわからない、街内は買い物はできるけど原町とか相馬市となると辛くなるかもしれない。
同級生は車があると遠くに行けるから便利だというのはわかる、でも自分は車の運転にむいていない、事故をおこしやすいから乗らないのである。

●母がまた入院

ともかく60代以降の最大の恐怖は病気である。すでに60代で一割は死んでいる。
この前も67才くらいの人が近くで癌で死んだ。それば突然だったしまた近くで癌になった人もいる。それも50代である。ただ百歳になっても死なない人はいる
それが今日また入院した自分の母親だった。
10日間はわずかに甘いものを吸うくらいであと10日間は水しかのまなかったから老衰に入り衰弱して死ぬのかと思った。でもレントゲンとかで見たら病気はないという。
だから点滴してまた回復するかもしれないというから驚きだしまた介護がつづくのかと不安になる
つまり人間は病気にならない限り老衰であり老衰で死ぬということはかなり長引くことなにるのだ。でも風邪とかでも細菌にやられると感染すると抵抗力、免疫力がないから簡単に死ぬということがありうる
それがないので10日間も水だけでも枯木のようになっても生きている不思議である。
母親を見た先生は剽軽な医者だからめずらしい、東北の人ではない、東北の人は真面目なのが一般的に多いだろう。ただこれは今は東北人が真面目だとか全部はそうならない。
でもあんな剽軽な先生にあったことがないから自分では好感を前ももっていた。
「枯木にもう一度花を咲かせるかも」とか言うのも冗談がうまいのである。
そもそも感じが剽軽なのであり落語家のように見えるのである。


60代以降は病気の世代であり病気との戦いになることが多い。なにしからいくら注意しても病気がでるのである。むずかしい病気になったらもうこの辺では対応できない、同級生は最初は別な開業医にかかっていたとかそれは薬の副作用で悪くしたからあとで変わったとかも言っていた。
南相馬市立病院に行っていたのだからその辺はわかりにくい、すく利を飲まなくなってかえって良くなったといっていた。それも今はかなりある。効く薬はまた副作用が強いと言っていた。確かにそうである。薬は危険な面があるがあまり副作用のことを言う医者はいないのである。
でも自分も失敗したが素人判断は病気に関しては危険なのである。命取りなる人もいるし実際になっている。だから病気に対処することは本当にいくら医療が発達してもむずかしいのである。情報が氾濫してかえって迷いそれで早死にしたりする人もいるし失敗する人もいる。命にかかわることだからこれも困るのである。
自分も素人判断して死ぬところだったからである。
いづれにしろこの辺では津波や原発事故で混乱があったが脳外科関係とかでは医療が充実しているということで救われた人が現実にいたということである。
それは前からも言われていたのである。

抽象画(あたたかい花園の地球)



抽象画(あたたかい花園の地球)


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あたたかい花園の地球

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二つの的

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これは何?

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春の湖




これらはインターネットにあったものを変化させたものである。花で一杯の絵がありそれを変えたら花の抽象画になったのも不思議である。
つまり抽象画にするときかえって具象画より何かまた別な新たなものとして蘇る不思議がある。
元の具象画はこんな感じではない、花だげが一杯咲いている地球である。
抽象画は形より色の作用で変化する、色の多様な変化が及ぼす精神への影響である。
五感というという匂いとかもあるし音もあるし肌で感じる風もあるが一番感じているのは視覚であり色のように見える、色というのはだから無限にある。
色と色のとりあわせも無限になる。色は究め尽くせない世界なのである。
音楽になると変奏曲なのかもしれない、一つの曲から多様に変化するのである。


抽象画は特にパソコンの抽象画は創作しているというより変化させる機械的作業である。それでもいくら変化させても何かこれがいいなとならないものがある、
ぱっと何回かでこれはいいと直感的に感じるものがある。
それは全く偶然にできるのである。こういうものにしたいからこう描いているという感覚がない、まるでクジをひいているとか偶然に当たるというだけなのである。
こんなのができたなこれはなんなのだという驚きがある。
だから創作しているという感じがない機械的作業で当たりくじをあてるという感じにもなる、これは別に才能がなくてもできる、ただそれをどうみるかはやはり感性なのだろう。題にしてもそれらしい名前をつけいるだけであり見る人によって違って見えることもあるタイトルは参考に出しているだけである。




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