2015年11月24日

小高の菜種油「浦里の滴」生産販売 (復興になるのか?-地域の特産物を作るのはむずかしい)



小高の菜種油「浦里の滴」生産販売

(復興になるのか?-地域の特産物を作るのはむずかしい)


テレビで放映した菜の花が放射性物質の影響を受けにくいということで田んぼだったところに菜の花にして菜種油をとることにした。
その名前が浦里の滴である。福浦だから浦里になった。
米も試験的に作ったが放射性物質の影響がありうまくいかないとかなった。
そもそも米というのはずっと余っていて困っていた、それで余計に放射能の影響があるとなるとまず売れない、飼料の米とかなるだろうとか言っている
現代の経済は昔のような江戸時代のような自給自足経済ではない、絶えず物がいくらでも全国から世界から入ってくる、だから米がとれなくてもいろいろな米がいくらでも入ってくる、そうすると地元の米というより新潟産だとか秋田産だとか最近は北海道の米がうまいとか全国から米で入り選ぶことになる、農産物は全国的競走の中に否応なくさらされている

それは米だけではない、味噌にしても全国の味噌がスーパーに並ぶ、自分はめんどうだからダシ入れの味噌を使って味噌汁を作っている、地元の味噌も置いてあるが買っていないこれも地元にとって困ったことでもみんなどこでもそうなる
地元が繁栄しないと地元に生きるものにとっては困っても便利だからそうしてしまう
なんか知人が蔵王の米を買ってくれと言われてしかたなく買った、これは義理で買った。一人になると精米したものを一袋とか買った方がいいのだが義理で買う、それがやはり地元に生きるとそういう義理が生れるからどうにもならない


菜種油にしてもこれも別にここだけで作られるものではないしすでに各地で作られているからここだけのものを作ることは最初からむずかしい、だから搾るのできないので前からしている業者に頼むとかなる、自力できない。
菜種油の面白いのはもともと菜種油は江戸時代が広範囲に作られていたのである。
昔は油は食べるためのもんじゃなくて行灯(あんどん)の火に使う貴重品だった。

日本の油についてはここに詳しく説明されている。
「油を売る」とかが

先 生「菜の花の実の菜種を絞って油をとります。油を売る人は,買う人の
器に,ほそぼそと油を注ぐので,注ぎきるまでに時間がかかります。
その途中,なすこともないので,むだ話などをして時間をつぶしていました。」
そんなようすを表した言葉がありましたね。
カメオ"油を売る"という言葉ですね。


今はこんな言葉を使わない、酒でも樽から注いで売っていた時代があった。
そういう不便な時代はかえって人間と人間のコミニケーションが生れる
例えはこの待つという時間が意外と貴重なのである。
電車というとき駅舎がありホームがあり待つ時間が必ずある。それは五分とか待つ時間でもそれが電車である。電車がくるのを待っている、線路が伸びていてそれが何か旅情になる。
自分は電車の旅が長いからこうして電車で待っていることが多かった。
それが今ではなつかしい思い出となっている。
現代はこの待つ時間も失った。まず新幹線だと待つという感覚がなくなる
バスでも飛行機でも待つ感覚が生れないから旅情かないのである。

駅舎に電車を待つや秋薔薇

そのことはさておき。精製したものが白絞油(しらしめゆ)で食用油に
なる。搾り取った油粕は素晴しい肥料になり、肥料になるというのも重要である。
農業で一番苦労しているのが肥料である。鶏糞が安いから肥料にするとか肥料なしで農業は成り立たない、だから菜の花を農家で作りそれを加工して油にしてまたその油粕を肥料にするリサイクルが生れていたのである。
ともかく江戸時代から戦後十年でも自給自足が基本だから無駄にするものはなかった。
ともかくそういう時代は何でも貴重だった、油は特に貴重だった。
そもそも行灯に菜種油を利用したというときその灯自体が貴重なものだった。
それは長く使えば油を多く使うからもったいないとなる。要するに何でももったないとなるのが昔だったのである。
今でも貧乏になると電機を節約したり水を節約したりしている
それと同じ感覚なのだが電機は相当に無駄にしている

油というとき今はオリーブオイルも人気である。それで磐城ではオリーブを作りオリーブオイルを作るのに成功した。緯度が地中海沿岸と同じであり温暖だから適していたという、でも乾燥地帯にできるものだから水はけが悪いのでうまくいかなかったと言っている。外国はヨーロッパとかでも乾燥地帯が多いからそうなる
オリーブはヨーロッパではどこでも作られている、イスラエルのゲッセマネに樹齢千年くらいのオリーブの樹がある

「ゲッセマネの園」に入場した。ゲッセマネとはヘブライ語で油搾りを意味する。昔この辺り一面はオリーブの木が植えられており、オリーブの精製が行われていた場所である

これだけオリーブオイルにも歴史がある。
農業というのはそもそも歴史が長い、工業の歴史とは違う、だから磐城でオリーブの樹を作るのに6年とかかかり油を搾った。そもそも自然相手の仕事は時間がかかるのである。
だからとても簡単に菜種油でも作れないと思う。その土地土地の気候風土も問題になる。その土地独特のものを作ればそれは単に食料とかではなく文化となる。
まさにcultur-cultivate(耕す)ものとなる、農業がそもそも文化だったのである。
農業が自然相手であり文化も土に根ざすから長い時間がかかってできるものでありとても即性的にはできない、そこに農業の問題がある。何か特産物を作れと言っても簡単にできないのである。


それで面白かったのは鶴岡のだだちゃ豆である。

栽培する土地が合わないと風味が落ちてしまうことから、生産地が限られている。収穫期も短く、保存も困難だったため、長らく幻の豆と呼ばれたが、
だだちゃ豆は明治の後期に誕生したとされる。当時の大泉村白山に帰農した士族、森屋藤十郎の娘初が、隣村の寺田から貰い受けた早生種の茶豆の種を畑に植えたところ、なかに晩生で味の良い豆があったため、その種を大切に保存して自分の畑で増やしていき、現在のだだちゃ豆のルーツとなった藤十郎だだちゃを育てたという

だだちゃ豆の種は門外不出!食用のだだちゃ豆とは別に種取り用に栽培して、長年伝えられた味を伝承しています。


農業で大事なのは肥料と種である。この種が高いと趣味で畑をしている人は常に言っている。種がいいものでないといい野菜も作れないのである。
その残された種が貴重でありそれが特産物となったのである。
だから何か簡単にその土地の特産物が作れないし生れないのである。

小高ではその福浦でも家を壊していた、竜田駅前でもリホームするのかと思っていたら家を二軒壊していて更地になった所をここは自分の家があったところだと言って老婆が帰ったりと帰らない人が多い、子供に従うほかないとなり外に出て行く人が多いのである。
この菜種油は一つの復興の希望として作られたのだがこれを売るとなると高くなるし他と競走しなくてはならないとかまたむずかしい。
でも米がとれないとなると一つの復興の希望として託されたのである。

「菜の花や月は東に日は西に」蕪村

山村暮鳥の詩にもいちめんのなのはなという詩がある。菜の花が一面に咲いている風景は日本の風景かと思ったがギリシャに春に行ったときそこも一面の菜の花であり遺跡も菜の花に埋もれていた。ギリシャの遺跡は花に埋もれいるから美しかった。
そこはスパルタのあったペロポネソス半島である。
質実なスパルタと菜の花があっていたかもしれない、他でも菜の花は咲いていたのであるいづれにしろグローバル社会になると世界視野で何でも見なければならない
農業すらそうでありそうなると世界的知識も必要になるがインターネットではそれで役立つのである。
インターネットは知識社会にふさわしいものだったのである。
鶴岡ではテロワールを重視した地域作りをしている。今でも焼き畑をしていたというのは驚きだった。

スパルタの故地に菜の花一面に


テロワール(Terroir)とは、「土地」を意味するフランス語terreから派生した言葉である。もともとはワイン、コーヒー、茶などの品種における、生育地の地理、地勢、気候による特徴をさすフランス語である。

この菜種油のことで名前のことで工夫していたが「浦里」というのは霞ヶ浦とかにありそこも浦里とインターネットにでてくるからまぎらわしい、
やはり今はインターネットで同類のものを探してダブルないような工夫が必要だった
インターネットは年配の人はやらないから情報的には欠けていたとなる

タグ:菜種油
posted by 老鶯 at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年11月25日

ギリシャの春の俳句二十句 (海外旅行でもう一度行きたい場所ー海外旅行も危険でしにくくなった)


ギリシャの春の俳句二十句


(海外旅行でもう一度行きたい場所ー海外旅行も危険でしにくくなった)



ギリシャの春俳句二十句

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菜の花やスパルタの故地や一面に

スパルタや今は菜の花に羊かな

スパルタに城壁あれや残る雪

プロボネスその奥深く岩に雪

羊飼い山に上るや芽吹くかな

羊飼いギリシャの古りて春暮れぬ

ギリシャに女神現る春の花

松古りて神殿古りて春の花

神殿の跡に花々春の海

神殿にオリーブの樹や春の風

芥子の花赤く映えるや奥地まで

一本のギリシャの鉄路春の暮

春の日や雪に神々しオリンポス

ゼウス住むオリンポスかな雪閉ざす

ひびき落つ清水や春の岩の山

ドルフィに竜舌蘭や柱古る

島々を船のめぐるや春の海

島古りてギリシャの海や春暮れぬ

老人に露店や貨幣春暮れぬ

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菜の花に埋もれたドルフィの神殿

ギリシャの暮らし(ここにいい写真がある)




海外旅行してみてもう一度行きたい所はどこかとなると自分の場合は自然が美しい所だった。
それで春に行ったギリシャが良かったなと回顧する
ギリシャの良さは地形が山あり海あり島ありで日本ともにて変化に富んでいる。
そしてなによりも歴史があるから自然も古色蒼然としたものになる
自然がないところはピラミッドとかあるけど何か茫漠としてまた行きたいと思わない
ギリシャからあれだけの文化が生れたのはやはり自然が多様だということがあった
だから羊飼いがいてポリスが各地に生れ都市文明が生れ船を利用した貿易が生れ
植民都市が作られて繁栄した、そしてギリシャはヨーロッパ文明の基礎を築いたのである山の上に上ってゆく羊飼いを電車の窓から見えたのである。ギリシャの鉄道はしょぼい、日本のローカル鉄道よりしょぼい、それでも鉄道があった。

自然というときオリンボスの山々は荘厳だった。そこに最高神のゼウスが住んでいたことがうなづける。そこは本当に聖域の感じだった。おりしも春でも純白の雪におおわれていた。多々あそこでホテルがあり泊まらないのが失敗だった。
いい場所ではゆっくり見て印象に残すことが大事だった、そういう機会がなくなるからである。
海外旅行というとき一度しか見れないということがあるからだ。
それでヒマラヤでもそうである。春に行ったが曇っていて3000メートルまで苦労して上ったのに8000メートル級の高峰が見えなかった。あれも大損だった。
富士山だった実際見たのが日本にいても少なかった。富士山のきれいに見える場所ではなかったのである。山は高く見える場所がいいのである。
山は見る場所によって全然違ってみえるのである。


自分は高い山に憧れるのは自分の住んでいる所に高い山がないからである。
もう一度行きたいとなるとスイスが高い山があるから行きたいとなる
ヒマラヤも行きたいとなる、あとは自然で感動したのは大きな川である、それは日本にはなかった。
ともかくこれほど日本でもそうだが海外でもそれなりに旅した、海外は10年くらいだったから今だと旅行したとは言えないかもしれない、海外旅行の猛者がいるからである。
自分の人生は旅に費やされたとも言える、だから今になると不思議なのはいながらにしてやはり旅している、自分の魂が全国を外国をやはり旅して放浪しているというのも不思議である
だからこそこうして回想して詩や今回は俳句を作った。
今回のテーマは菜の花だった、ギリシャのプロボネス半島について鉄道に乗ったとき一面に菜の花が咲いていた。菜の花は日本のものかと思ったが外国でも咲いていたのである。これは日本と変わらないと思った。
ギリシャは春に行けば花がきれいである。日本のように湿気がなく乾燥していて雑草も少ないから花の絨毯のようになる。つくづくオリーブの樹が乾燥した所にあっているのもわかった。磐城でオリーブオイルを作るためにオリーブを植えて成長した。
磐城はそれだけ浜通りでもあたたかいからできた。ただ水はけが悪くて苦労したというのはやはり気候が影響するからむずかしい
とにかくギリシャはもう一度行きたいとなる


それにしても日本国内でも海外でも旅行しにくくなった。ギリシャでも経済難でありシリアの騒動でありヒマラヤでもネパールが地震とかで大被害でありテロが怖いとかある。
そしてここ十年は自分の住む場所も津波原発で騒乱状態になり一身上でも介護病気とかでさんざんな目にあった。そこには平和がなくなっていた
観光でも平和でないなら観光どころではなくなる、だから何か自分は幸運だった。
旅すら本当は簡単にできないものだとふりかえる
日本国内すらもうホテルがとれない中国人だらけたとかゆっくり日本の情緒すら味わえないのかとも思う時代である。
そういう時ではなく旅をしたから幸運だったとなる、旅というのも必ずしも簡単にできない、金があってもできない、社長でもできない、社長は忙しいから仕事に追われるからである。、そのうち旅する時間も鳴くなのである。


ともかく人間は時代の影響を受ける、こんなに国内でも自分の住む所でも海外でも変化すると思わなかったからである
10年一昔は本当である。この辺のめまぐるしい変わり方がそうであり外でもそうだったのである。
だから30年くらい平和がつづいたということ自体が特別なことだったのかと思う
自然災害であれ戦争であれそういうものが起きるのが特殊のことではない、平和な時間が意外と持続しないのである。それは対外的にもそうであり一身上でもそうだなとつくづく思った。
回想するたびもまた一つの旅である。これだけ旅したのだから今は回想する旅をしているのも楽しい、その回想する旅をするにはやはりいかに心の中に印象として残されるかが問題なのである。団体旅行は自然に注意するというのがなかなかできない、ぺちゃくちゃ話していると自然が印象に残らないのである。
自然を見ることに集中することが旅には必要なのである。
そうすると回想して旅が後でてきることになる。
自分は一カ月くらい平気で旅していたから回想する旅が今になるとできたともなる


外国を俳句にするのはむずかしい、でも俳句は一つ一つの場面を思い出すのにいい、ただ一句だけでは作品にならない、連作となるとき作品となる、短いから一句だけはもう俳句は成り立たないのである。


ギリシャの旅ー春の俳句十句(ここに自分のとった写真)

ヨーロッパの詩

2015年11月26日

人間は死んでも終わらないが、、、 (家族墓は変わらざるをえないー供養の問題)


人間は死んでも終わらないが、、、

(家族墓は変わらざるをえないー供養の問題)


人間は死んだら終わりだとたいがい思うけど死んでも簡単には終わらない、もう何もなくなるけど死んだ人を愛していればやはり墓参りをして供養をしつづける
でも生前にいい思い出がない人は墓参りすらしない、そして死んでも供養はつづくのである。
生前からのことが死んでも途切れずに死んだ後は供養がつづく
仏教は死と死後にかかわりすぎた宗教であり葬式宗教になった
でもやはり日本人は死後まで供養しつづけることは悪いことではない
戒名とかはいらないしそういうことで金儲けするのが宗教ではない
要するに人間は死んだからといって特別扱いはない
その人の生前が反映されて死後もある
親子でも死んだら財産だけが目当てとなる人は普通にある
それはやはり生前の親の一生が反映している
人間はそんなに死者のことを子供でも普通思わないだろう、死んだら遺産の方が金だとなるのも普通である。


なぜ自分の母の実家の墓は「墓を守ってくれ」と長男になる人が言って死んだけどその原因は父親が事業に失敗して子供に多大な迷惑をかけて一家離散になったからである。
だから墓はあっても守る人がいなくなった。
だから供養もつづかない、なんらかでどうしても無縁墓になってゆくだろう
そこに自分の兄が入っていてもその娘は東京にいて全く墓参りすらする気持もないのである。
ただ死んでも兄の遺産があると思って金だけを要求してきている
これもやはり父であった兄の死によってひどいめにあったからだろう
そういう親であれば子供も心から墓参りとか供養すらしないのである。
自分はそこに複雑な事情があるから墓参りしている
だから子供でも墓参りも供養する気持もない人が結構いるのである。
そもそも墓自体が今は何かわからないことがある


お墓は単なる記念碑であってはなりません。 ご先祖様への敬愛の心と、自分の後にくる世代の繁栄と幸福を願う気持ちがこもっていることがぜひとも必要なのです


墓は一代では終わらない人間の継続の証なのか?それも違っている。なぜなら墓は一家の墓とか明治以前にはなかったからである。
家族墓になったのは明治以降でありそれまでは個人墓であり夫婦墓とかである。
有力な武家でもそれは個人墓であり寺で守ってきた
不思議なのは山田家とか苗字のつく墓はないのである。
だから明治以前に先祖を大事にするということはあるとはいえないのである。
だからそういう考え方も間違っている


ただ人間の心情として親でも誰でもその人を思うとき墓参りをするし供養をするのであるそれは必ずしも先祖と関係しているとは限らない、だいたい先祖といっても祖父母くらいまででありその前になるとあったこともないので何か墓参りでも供養でも架空の人にお参りする感じになるからだ。
だから先祖供養するという観念は明治以降に生れた、その先祖供養でも一家のことではなかったのである。
第一一家といっても家族墓がないからである。
その先祖供養という観念はおそらく村という共同体全体で生れたものであり個々の家族からは生れていないのである。
だから何か先祖供養が家族にのみ限定されてそれを継続することだという考え方は日本人の伝統にはないのである。
まず祖父母からその前になるとほとんどどういう人かもわからないからである。
そのことを強調するようになったのは明治以降でありその時村の共同体から家の共同体に変化したからだろう。
御家大事だというときはそれは武家のことであり庶民にはそんなことはなかったのである江戸時代には姓すらなかったのだから当然だとなる


現代ではそもそも家を継続すること自体がむずかしくなった。代々継続することができるのは少数者だろう。
何かを継続することは大事である。歴史は継続だからである。
でもそれぞれの家を代々継続して先祖を大事にしろというのは明治以降の考え方であり新しい考え方だった。
だからそうした考え方も社会の変化とともにまた変わって当然なのである。
墓がなければ供養ができないのか?それは別に心があれば気持があればできる
墓があっても子供ですら墓参りをする気にならない人もいるし供養もしない人もいる
それは気持がないからである。その気持が影響して形に現れるのでありその前に形を作っても仏作って魂入らずになってしまうのである。


そうはいっても人間というのは何か形になるものがないと供養もしにくいのである。
墓としてあれば供養しやすい、でもその墓も永続はしないのだから墓ばかり作ることが問題になる。
そして供養も孫の代までで知っている人もいなくなるから途絶える
それでも代々つづくならいいがそれもむずかしいとなると墓ばかり増えるのも困る
墓があっても何か卒塔婆のような粗末なものですぐに更地になり変えられるのがいいともなる。
石の墓で立派だと後継ぎがないとそれをかたづけること自体が容易でなくなる
後の人にも迷惑をかけるのである。
要するに墓も社会の変化とともに変わらざるをえないことは確かなのである。
結局家にしろ墓にしろ常に変化する、この世に永遠に残るものなどない
だから無常の世なのである。津波で村自体なくなったとか原発事故で故郷に住めなくなったとか
そうした無常をこの辺では経験した
つまり家であれ墓であれ仮の宿なのである。一時的にあるだけなのがこの世なのである。
家だって一時的なものであり墓も永続はしない、一時的な死人の仮の宿にすぎないのである。
それで孫の代辺りまでは墓参りとか供養がされてもあとはされないの考えるべきである。
先祖代々永続するなどと考えること自体、仏教であれ宗教なら考えない
まずこの世は無常であり仮の宿でありすべてが変わってゆくものと考えるからである。


タグ:家族墓

2015年11月27日

人間は意識があるうちは生きている (死に向かう百歳の母)


人間は意識があるうちは生きている


(死に向かう百歳の母)


医者が言うにはもう母は水だけの点滴であり長くはもたないという、それがどのくらいになるのか?
明日なのか一カ月なのかわからない、ただ明らかに血圧が低くなっているから体が弱ってきているからいつ危篤状態になるかわからないという
でもあわずかに目をあけて自分を見つめて二言三言しゃべる、
「掃除しておけ」とか「一人でやれるのか」とか言う、母は異常に掃除とかにこだわる女性だった。
ただ自分のことを心配していること気づかってくれることは驚く
まだ意識がはっきりしている、脳も全くわからない認知症とは違う。
病気がひどくなると人間は意識が朦朧としてきて相手を気づかうなどできない
姉は一回正気にもどりうなづいてそれから一カ月意識不明になった。
意識不明になったとき実際は死んでいたのである。


人間は脳が意識していれば生きている、相手のことが誰かとか何か意識していれば生きている
意識がなくなったとき死んでいるのである。
だから認知症の怖さは脳が病気になって正気を失うことなのである。
正気のままに死ぬのとそうして正気がなくなり死ぬのとは大違いである。
ただ認知症のむずかしさは時々正気にもどるということがある
そして死ぬ間際には正気にもどりやすい不思議がある
だから死ぬ前に姉が正気に一瞬でももどったことは救われたのである。
それで人間は簡単に楽に死なせた方がいいとか言って早く死なせた方がいいとは必ずしもならないのである。
つまり正気であれば脳が意識してわかっていれば生きているからである。


とにかく人間は生きたように死ぬとか人は生きてきたように看取ってゆくとか言うのは人間は生は連続であり死に際になったから特別変わることではない
掃除にこだわっているのも生前もそうだったからである。
どうしてまともに生きてこなかったものはまともな死に方をしないとなる
死ぬときだけ特別にまともになるということはない
ただ死ぬときはやはりどんな人でも何か悟るということはあるがもうその時はすでに時遅しになる
死ぬ間際なって人間は特別変化するわけではない、生の延長として死がある
人間はそうして死のことを特別なこととみるが生きていることを特別なことと見ていないのである。
だから生きることを浪費しつづけているのである。
だから死ぬことが特別のように思うが実際は死も生の延長であり死に方もそうなのだろう
ただ人間は大きな死というかそういうのをほとんど見ない、無惨に体が疲弊して衰弱して心も弱り死んでゆく、何か大きな死を見ない、天地と一体化するような死があったら凄いと思う。
やせ細り衰弱して死んでゆく姿は敗者でしかない、生前どんな地位があり金持ちでもそうなのだ。


いづれにしろ自分の母は心臓が強いから長生きしているという、学校も一日休まなかったとか何か働きづめであり何の楽しみもない人生だった。ただ長生きするために生きてきたのかもしれない、でも長生きすることが人生の目的ではない
その中味なのでてある。百年生きても中味がなかったらただ長く生きた馬齢を重ねたとなってしまうからである。
とにかく自分にとってこの十年間は辛かった。自分自身も病気になりさんざんな目にあっこことを書いてきた。
近くで介護疲れて家に火をつけて義理の母を殺したという事件があった。
夫は入院したとか一人に負担がかけられたからである。
自分も一時は二人を介護したような状態になりパニック状態になった。
その時一人だったから苦しかった。何か介護は一人にまかせられて親戚であれ他の人でも無関心なのである。
一人に負担がかかるから耐えられなくなるのである。
そうなりやすいのが介護なのである。その人も親戚は何もしてくれないと言っていた。


これから介護の事件は次々に起きる、病院は次々に老人が運び込まれる、昨日いたかと思ったら今日はいない、病院は今は長くはいさせられない、あとがひかえているからである何かうーうーと騒いでいても看護師は何も気遣いもしない、何騒いでいるのとか言っている。次々に人が変わればこんなふうに無関心になるのだろう。
だから病院は長くいるべきところではない、でも今はほとんど病院で死ぬ
病院だけでは死にたくないといってもどうにもならない
ただ病院に入ってすぐに死ぬならいい、長くなることが問題なのである。
かといって今介護でも5年とか長くなる、両親だと二人合わせて十年になる
その十年は介護に費やされるのも辛い、二十年という人もいた
自分もつくづく長かった、でも脳出血のようにいちいち食べされるということはなかったその点は楽だった、ただ一人だから辛かった。
ともかくこの十年は津波原発事故だとなんだかんだと災いがつづいた。
こんなことがあるのかと思う、今になると涙もでない、それだけ悲しんだということもある
津波で家族を失った人たちもそうだろう。この辺は自分だけではないみんな災難に見舞われたのである。


逮捕されたのは、南相馬市原町区の自営業手伝い=白川三子容疑者62歳。
三子容疑者は、今月16日の午前6時30分頃自宅に火を放ち同居していた91歳の義理の母親=マツヨさんを殺害した疑いだ。
火事の当日、三子容疑者は「家が燃えている逃げ遅れた人がいる」と自ら消防に通報していたが、警察の調べに「自分が火を付けた」と容疑を認めているという。
三子容疑者は自営業の夫とマツヨさんと3人暮らしだったが、近所の人などによると犯行当時、夫は入院中で、白川容疑者がマツヨさんを介護していて老老介護の状態だったという。

もうこんな事件はめずらしくもない、次々に起こる、すぐ身近だから驚くが珍しくなくなる、それだけ介護は国民的課題になっているのだ。

2015年11月28日

犬に引っ張られて津波から助かった人 (動物は危険な場所からすぐに離れる)



犬に引っ張られて津波から助かった人


(動物は危険な場所からすぐに離れる)


病院で患者が話していた。一人の女性は烏崎の人であり実際に津波の被害にあった人である。孫の父親が35才くらいでなくなったとか言っていた。
もう一人は男性であり津波の被害にはあっていない
津波ではよく津波はどんなものかと見に行って津波にのまれたということを聞く
そこで津波のときは海の水がひくということがあった
地震が来て津波が来るとき犬は危険を察して海から離れようとした
人のように海を見に行ったり動物はしない
動物は本能的に危険を察すれば逃げる
人間のように津波がどんなものかなど見に行かない
それで犬に連れられて引っ張られて津波からその人は助かったという


その人がしきりに言うのは老人が多く死んだのは逃げなかったのは
何か家とか物に執着するから逃げなかったという
老人は確かに何か家とか物でもそれを全部捨てて逃げるということに抵抗があった
すくにみんな捨てて逃げることがとっさにできなかった
ただこれは老人だけではないだろう
老人にはなにか家とか物に執着することが強いことは確かである。
それは老人の習性かもしれない、要するに老人はまた動きが鈍いということもある
それで老人の被害が大きかったのか、それよりも老人が現実に多いので割合的に被害が大きくなったとも言える
でもやはり老人が津波など来ないと言って死んだ人が多いことは確かである。
そういう話を結構聞くことは老人が逃げないで死んだ人が多い証拠である

結局動物は危険を察したら一目散に逃げる、何も家ももっていないし何も身につけるものもない、動物は毎日食べるものがあれば満足である。
危険なときに何かもってゆくものもない、ただ身一つで逃げればいい
そういうことで動物は危険をいち早く察して助かるということはあるだろう
津波ではいろいろな教訓を残したことは言える


烏崎村の被害はひどかった、何も残っていない、50人死んだという
その女性の死体に身につけていたもの高価な指輪とかがとられていたという
他にも身につけていたものがとられたと言っていた
まだ金が紙幣が入っている袋などを中学生か高校生が盗ったとして警察に取り上げられたとか何かあったらしい
他にもあのとき混乱していて金目のものを探していた人がいたのかもしれない
大金を拾った人もいたらしい、それは本当だろう
烏の人は漁業もしていたしもともと火力発電所が建ったときも補償があったから金はある人はいた。
だからタンス預金をした人がいた、その女性が言うには香典をもらったばかりのを家に置いていたときそれをなくなっていた、盗まれたと言っていた。
また流されたのもある。磐城の豊間では近くに銀行などなくタンス預金した700万円の金をもって逃げようとして津波にあい流されたとか聞いた。
こういう話は本当なのだろう。


自衛隊がそうした死体を最後まで探していた、それで自衛隊員がそうした金を盗んだことがわかりやめさせられたということも実際にあった。
自衛隊員は泥の中から最後まで死体を探していて苦痛で自殺した人が三人くらいいた。
あのような異常な状態では人間の心理もおかしくなる
ただ人間はどこまでもどんな状態でも欲深い、欲がからんでくる
かわいそうだなと言う人もいるがそこで金目のもの金を探していた人がいたのも事実なのである。
そういことは一身上で自分も経験している
あれほどの被害でもそもそも人間は自分もそうだが自分が被害がなければ無関心になる
人間は相手が苦しんでいても何か自分が被害に合わない限り無関心になる
そししてかえって相手が弱ったとき苦しんでいるときその弱みにつけこみ欲を満たそうとする、それが人間の怖さだった。
そんな状態でも人間の欲が働く、それは死人から髪の毛をぬいた「羅生門」の物語とにている。


このことは別に人間に普通にあることでめずらしくない
そもそも人間が死んだらあとは子供でも遺産争いしかないとかその人について思っていることは財産だけだというのが普通である。
あいつが死んだら金をたんりまりもっているようにだからあの金は誰がもらうのかということが関心の第一になるのが普通である。
人間の欲がそういうふうに無情にさせているのである。
現実に自分が病気になり介護になりそういう時実際に自分もこれと同じことを経験したからである。
相手がどうであれただ金だけが求めてきたからである。
借金している人もそうである。まず借金している人は犯罪の動機になっていることが実に多い、それは別に推理小説だからそうなっているのではない、現実に多いから現実を反映してそうなっているだけである。


まず死人から金目のものはぎとるということは人間の深い欲望の現れであり醜さである。それを生々しく表現したから「羅生門」が名作になったのである。
芥川龍之介は「蜘蛛の糸」でもそういう人間の欲の深さを表現した。
人間は生きている限り欲から離れられないのである。
そして借金のように追い詰められた人間は何でもする、殺人までするようになる
それもまた人間である。だからそうした追い詰められた人間に出会うと犯罪にあうから怖いのである。
余裕のある人間はそんなことはしない、津波で泥の中を金や金目のものを探しには行かない、つくづく人間は余裕がなければみんなそうなる
その人が悪気がなくてもそうなってしまうのが人間なのである。


いづれにしろ津波や原発事故などにまつわる話は尽きない、5年たってもまだ語られないことがあるだろう。そんなに一人一人に聞けないからである。
ただそこで同じようなことを聞けばそういうことは人間の共通した心理だということもわかる。火事場泥棒も常にあり人間の醜さも同時に現れる、ただそういうことはまだ明らかにされていないのである。
タグ:火事場泥棒
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2015年11月29日

木の葉(写生俳句の意味するもの)



木の葉(写生俳句の意味するもの)

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残月や木の葉一枚路地の道

鶏鳴きて朝日昇るや寺の鐘

冬の灯や街中にあれ福祉の湯


はらはらと木の葉一枚我が墓地に散りてここに我も眠らむ

路地裏に雨しととふり山茶花の散りて白しも我が一人ゆく

日々に行く路地裏の道我が墓の前を通りて山茶花白し

街中の菜畑にしとと冬の雨ふりつつあわれ目立たぬ人かな

残月の冬の未明に輝きぬ雲にかくろいまた輝きぬ

秋すぎて駅に散り残る薔薇の花もはや散りなむ我が母も死なむ

庭の石空家に淋しものさびて枯蔦はいて時は時はすぎゆく


写生というとき何か無味乾燥な感じになる、でも写生の意味するものを探求すれは深いものとなる
最近自分の行動範囲は狭い、一万の街の路地裏の道を買い物だとか病院にゆくだとか仮設の食堂にゆくだとかきるりきった平凡な道を往き来するだけである。
だけどそこを写生すれば何か趣深いものがある。

残月や木の葉一枚路地の道

これは最近死にゆく母をテーマにしている、するとなにかそのことにぴったりな俳句だった。
死にゆく母とは残月であり路地裏に一枚の木の葉が散っている
写生はそうして何かそこから深いものを読み取ることに意味がある。
写生はそれぞれ違ったものとして読まれることがある
写生俳句はなるべく主観を入れてはならないのである。

鶏鳴きて海に朝日や寺の鐘

これも全く写生俳句である。鶏が鳴いて海から朝日が昇る、そこに一回だけ寺の鐘がなったのである。
手地は嫌いだけど鐘の音だけがいい、鐘の音はもともと時を告げる時計の役割を果たしていたのである。ゴーンとなるとき何か心落ち着くものがあるのだ。
その寺は山陰の奥まった所にあることはわかっていた。
そこからひびいてきたのである。


短歌となると写生とは違うがやはり写生を基本にしている。ただ現代はもう俳句は短すぎて限界にきている、短歌だと長いからまだ現せるものがある。
俳句はもう短すぎて限界である。でも基本的に写生だということでは変わりがない
写生に専念すれば別に才能がなくてもいいものができる
だから俳句でも上達するのは写生を基本にすべきなのである。

タグ:木の葉

2015年11月30日

我が街の家の墓地への情をつづる (文語体で記す)


我が街の家の墓地への情をつづる

(文語体で記す)


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我が家の近きに墓地あり、その墓地に眠れるは我が父と姉と姉の母なり、次ぎにこの墓に入れるは我が母と我となりしや、ただその後に継ぐものなしも
この墓地の街中の近くにあれば日々我が墓の前を通りぬ、我が墓は道に面してあれば親しく我の通るを死者の見るごとしも、今し秋はすぎ冬となりしも、木の葉は一枚この墓地にひらひらと散りぬる、この墓地の街中にあれどもふるしも、その故の古き碑のあれば知りぬ、古きは宝永(1700)の大きなる石碑なり、これ弘法大師空海の真言宗の碑なり


さらに古きは隣が古代に由来する神社なればここは鹿島神社の領域なり、その後寺になり神宮寺となれり、これは全国的に神社より神宮寺になるもの多し、他に天保の碑あり、これは記されし字を見ればここは寺子屋なりしも、これまた全国に多し、何か暗唱せよという文字の記されてあればなり、天保と言えば明治維新に活躍した吉田松陰、山県有朋、坂本龍馬、,,元勲と言われた人々はみなそうなり
天保が1840年として明治元年が1868年として丁度天保に生れし人が明治に青年となり
重責を担いしなり、それ故に天保は今につづく年なりしを知るべし
天保よりの墓の多くなりしも幕末となりこの頃から豊になりて庶民も墓を作りしためなり
久しくも話もしない、同級生のその家はこの近くにあり、その家の由来を今に知れば古りしも、南北朝時代にさかのぼる古さなり、南北朝時代に霊山から落ち延びた時の祭りお浜下りのおつづら馬という馬につづらをのせたものの役を担う古い家柄なりを知りぬ
その人の街中に住むとなればこの街もまたそれなりに古りしを知りぬ

我が家の墓は新しきものなり、なぜなら我が家は明治か大正時代に今の双葉町の新山より移りすむ、父はそこの酒屋の丁稚にして葛尾村(かつろう)村から出て奉公しぬ。
その後暖簾分けしてここにいたりぬ、明治までさかのほるにしても江戸時代まではさかのぼれぬ新参者の家なり、ただこの街でも我が家の近くの神社に天明の碑あり、天明と言えば相馬藩の大飢饉で三分の一の人口の減りしときなり、そのようにその神社の古しを知らじ、天明は1780年とかになりぬ、天保より一時代前の80年前とかなりぬ
それでもまた天明もさほど遠きにはあらじか、明治より二百年前、今から三百年前、そして慶長津波はそれより百年前なりしも

たいがいの墓地は古く神社も古く江戸時代にさかのぼる、ただここが墓地となりしは明治以降であろう。江戸時代は寺の領域なり、それ故に寺子屋がありその碑があるなり
この墓地の我にとりて親しきは我が父と姉との眠ればなり、父は13才の頃に死ぬもその面影はあり、また姉は最近死ぬ故にその記憶は生々しも、次ぎに入るは我が母なり、余命幾ばくもなし、その後に我も寿命なればいつ死すとも知らじ、故に墓のことの気にかかりぬ我はここ十年介護に追われ遠くに行けず、ただこの狭き街の路地を往き来す、そしてその時必ずこの我が墓のある墓地の前を通りぬ、故に我が墓は親しきものなり

ここに眠れる人はいかなる人や、近くに生きて知る人もあり、同級生もすでにここに葬られてありしも、60代になれば死す人もあり、同じ同級生は脳出血となり一命をとどめしと語りぬ、まことに六〇代は病気の世代なり、必ずやなにかしらの病気のいでくる世代なりそれ故に死はすでに身近なり、両親の今は長生きして我が母の百歳ともなれり、余命幾ばくもなしも次ぎに死すは我なりしも、我が生きるは何故ぞ、我のみの残りて墓参りと供養なるべし、故に母死してもこの墓は我が墓参りと供養のためにありぬ
しかしその後は知らじ、我が生きる限りは墓参りと供養は欠かさじ、近くにあればその前を日々通れば墓は身近にて死者も身近なり、死者とともにあるともなれり


ここに北風は吹き木の葉は舞い散り落葉たまりぬ、この墓地の回りも前は幼稚園がありそれが取り壊されて更地となり次ぎにまた津波や原発被害で復興団地となれり、これは大変化なり、この墓の前はもともと沼地なり、それ故に地盤悪しと建設にたずさわる人の言えり、それが都会のような団地になることに驚く、ここには原発の避難者の小高の人も住めり、この変遷の大きく人の入れ代わりも激しきなり
世は常に変わるとてこれほどに変わることを前もて知るは不可なり、津波にて草茫々となり一軒の家も海岸地帯にはなくなりぬ、この変化はあまりにも無常なりしも
その海岸の村の人は家もなく仮設に住みて同じ場所に住むことなしも


この路地の道の何回か曲がりて行きぬ、晩菊のかたまり咲き日のあびぬ、山茶花の垣根に咲きて道に散り雨しととふりその白さき映えぬ、我はこの道を一人行く、この街の小さくなにもなし、最近この町の本屋も空地となり店もわずかなり、スーパー一軒のみの小さき町なり、ここに用をたすもできず、隣の市に行く、自転車屋すらこの町よりなくなると淋しも、電車は通るも駅舎はあるも二両の電車の相馬市と原町市と往き来す、中に鹿島駅のあれど淋しも、一応無人駅にあらじも乗客も少なく淋し、枯菊の何かにあうもあわれ
秋薔薇も冬となり残る花びらも散りぬれ、寥々と北風の吹く、津波原発事故の後の変わりようは予想だにせざりことなり、ただ我はこの町に生れこの町に生きる、そしてこの町に死するや、その往き来するのは路地裏の道なり

この町に開業医二軒のみなり、前は四軒ほどあり、すぐ近くにもありて往診のあり、我が父は病気のとき良く往診にきて最後を看取りしなり、その医者もなく今は空家なり
そしてもう一軒の町医者の医院も空家となり、その前も日々通りぬれば淋しも
石がありその医院に枯蔦のはいていかにも淋しも、空家となるも多し時代なり、全国にて八〇〇軒の空家ありという時代なり、何か少子高齢化で日本はさびれゆく
その路地の道に一枚の木の葉散りぬ、朝見れば残月のなおかがやく、それは我が母のもはや死なんとするとかさなりぬ景色なり
それで一句作りぬ

残月や木の葉一枚路地の道

この町もしかしにぎやかなる時あり、我が家は駄菓子屋のときあり、子供たちにて活気あり、母は忙しく働き休むことなし、母は大正生まれにて働くことしかなし、何か趣味もなく遊ぶこともなし、しかし子供のときは子供は多くその声は巷に木霊しぬ、町医者も四軒ほどありて忙しき、店も多く活気あり、町はその時活きてありしも、街中に店があり人は買い物をする、今はみなスーパーに行き街中に活気はなし、どこも街中の店はシャッター通りとなりぬ、街自体がなにか空家となる淋しさのあり
墓地もまた街と一体となりてありて活きぬ、墓地もただ死者のみならば活きず、今を生きる人の通いて墓も生きるなり、死者も生きるなり
ああ 我もこの墓地に我が家の墓に眠らむやなればこの墓地の親しきものとなりぬ
四季を通じて我はこの我が家の墓の前と墓地を通りぬ、墓にも墓地にも意味のあるべし
ここに眠れる人々のまたこの町に生きし人たちなり、ただ死者はこの変わりよう知らじ
ただ墓とていつまでもあることなし、墓もまた取り壊されて無縁墓となる時世なり
この世に永遠にあるものはなし、墓も墓地も変わりゆく、しかし我が生きる間しばらくは我が墓と墓地を通りて墓参りと供養のあらむ。
なお我が父と姉とのなおそこに立ちてあらむや、ここを日々我は通りぬ



俳句も写生だが文学でも基本は写生なのである。
空想したとしても実際に起こったことを記すことが歴史であり文学である。
だから写生に忠実だとそれで別に飾らなくても一つの記録となり文学となり歴史となる
それがなぜか現代文より口語体より文語体になると平凡なものでも味わい深いものとなる不思議かある
前にもそういうものを書いて読み直してこれも書いた
これも別に空想ではなく写実文なのである。

やはりある街でも平凡な街でもそこに長く生きることは思い入れができる
だから人は老人は特に簡単に長年暮らしたと土地から離れにくいのである
別にこの土地が街がいいというのではない、長く住んでいる所は人間でも自ずから親しいものとなり一体化してゆく
大都会になるとこういう感情はもていな、あまりにも大きく無機的になり何か書き記すことさえできない
人間が感じ得る範囲は広すぎると人が多すぎてももう人間的に一体化できない
だから大都会に情を感じるということはない、索漠とした世界があるだけになる

ともかく何か書き記すとか語るとかは何か思い入れがあり記して起きたいとなる
それが人間なののだろう。墓地に眠っている人もわからないにしろそれぞれの人生があり今は忘れられ眠っているのである。
いづれにしろ自分に残されたのは墓参りであり墓守となり供養することである。
それもまた人間の勤めなのだろう。
タグ:墓地

トヨタ創業一族の御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係迫った件で処分 (実質の権力は現代は会社がもっている)


トヨタ創業一族の御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係迫った件で処分

(実質の権力は現代は会社がもっている)


トヨタ自動車グループでvZ自動変速機(AT)世界最大手の「アイシン・エィ・ダブリュ(AW)」(愛知県安城市)の男性幹部が、 
就職活動中の女子学生に不適切な関係を迫ったとして、処分を受けたことが同社への取材でわかった。 
この幹部はトヨタグループ創始者の故豊田佐吉氏の兄弟の孫にあたり、すでに退社した。 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1448778348/


企業の不祥事のニュース、例えば社員が飲酒運転で死亡事故を起こした場合、小さな企業ならそのまま報道されるところを、トヨタのような大企業の場合は、広告費をたくさん出しているので、報道を小さく扱ったり、自動車会社の社員が自動車事故を起こしたことが発覚したら企業イメージに打撃があることを、頼まれなくてもマスコミが自ら企業名を公表することに躊躇し、「会社員が飲酒運転で死亡事故」などの報道になります。


理彰氏と女子大生のやり取りはチャットツール「LINE」上でも「証拠」として残っており、「あなたの能力ではうちの会社には受からないから、私と特別な関係を持てば、親戚扱いにして入社させてやる」といった趣旨の発言をし、嫌がる女子大生に迫っている。そして、その女子大生が断ると、「採用は絶対にない」「友達を紹介してください」といった返事を送っている。強要とみられても仕方ない行為といえるだろう




現代の問題は会社が大きくなりすぎたことである。だからトヨタ王国ともなり東電王国ともなる。
社会の支配者の実質が実際は実業にたずさわるものであり富を産み出すものである。
政治家は仲介者でありかブローカーでありコーデネーターとかなる
政治家は実際は力を権力をもっていない、政治家は選挙で選ばれるからその地位も不安定なのである。それに比べて会社は政治家より長くつづく、東電となればもう電気社会なのだから電気がなければもう社会活動ができくなるから政治家などより力あるとなる
トヨタでも車がなければ社会活動もできないから車が必需品だからともなる
でも車は別に日本のものだけではなくて外国からも買える、それより日本車を売ることによって莫大な利益を得ているから国の経済を支えているのだから国の政策まで左右するし政治家以上の力をもっている


だから原発事故でわかったように東電は市町村を買収して市町村ごと買うほどの力ももっていたことに驚いた。つまり市町村が東電によって買いあげられていたのである。
原発事故以後も国や東電の補償金をあてにして生活が成り立つほかない状態になった。
東電にそれだけ依存した経済になっていたのである。
それは結局電気や車に依存する社会になっていることでありだからこそ東電とかトヨタが国並みの力をもつようになったのである。
そもそも自給自足のような生活のとき炭焼きして都会に頼らないで自力で生活することを誇りとしていた時代があった。
考えてみるとこのことも不思議である。科学技術の時代になると科学技術が権力を作るようになる、テクノクラートが支配者層を作る
「電気がなくなったらどうするんだ」「車がなくなったらどうするんだ」「その車でも火力発電所でも石油がなくなったらどうするんだ、、、」とか脅されることになる
要するに政治家なといなくなっても何にも困らないのである。
誰か代わりがいるしそれは選挙で選ぶものであり政治家が力をもっているわけではない
そして民主党でも電事連とか組合を通じて原発に賛成する立場にあったのである。
これからもわかるように今の社会は政治によって動かされている社会ではない
実質の権力は巨大会社にありそれはグローバル経済になるとアメリカですら国ではなくロックフェラーだとかロスチャイルトとか巨大会社が世界を動かしているとなる
その会社の利益のために国も動かされている、軍需産業ならば国が戦争して武器を売らせてくれとなり必要のない戦争までするように仕向けられるとなると怖いことである。
また金融となると何か株を操作して巨額の金もうけを金融会社でたくらむからそこで戦争までして金もうけしようとするとかそれがユダヤ人だとか言われる、それも一部あっても金融というのは今やそうして国の権力より上にあるからそうなる
そもそもだから今や国とは何かなどわからない、巨大会社の代表なのかとなる


そしてマスメデアは全くこうした巨大企業に支配されている、トヨタでも東電でも湯水のように巨額の金が流れる、そうすると何も批判できないとなる、現実にトヨタのこうした悪質の江戸時代の代官のようなことが現代の民主主義社会で行われていることが暴露されたことでもわかる
でもマスコミでは何にも報道していない、話題にもしないのは宣伝費をもらっているからだとネットでは盛んに言うようになった。
それは東電の原発事故のときもそうだった。ちょうと中国にマスコミの要人を招待していたとき事故が起きたのも因縁だった、何か事故というのは自分も一身上に起きたことを書いたが偶然とも思えないのである。
何か偶然にその時起こったのではなく日頃からそうしたことをしていてマスコミに金を流していたから起きたのである。
そして福島県自体がそうした東電とかに政治家であれ市町村自体がとりこまれていた。
それは東電が金のなる木だったからである。
もちろん福島県の地方紙などは何も批判などはしない、金をもらっているから批判できないのである。要するに現代は何でも金で買収できる、市町村すら買収されていたことに驚いたのである。それだけの権力を東電とかトヨタはもっている、だからトヨタでも名古屋ではトヨタの悪口は言えない、新聞でも言わない、もうトヨタ城下町でありトヨタ王国となっている
それで江戸時代のような代官のようなことができる


巨大権力化すると何か悪いことでも隠蔽できることが問題なのである。東電も前の佐藤知事がプルサーマルで指摘してもとりあわなっかたとかいろいろ隠蔽されていたのである。つまり権力でいくらでも隠蔽できる体質になっていたことが事故につながっていたのである。
庶民はどうにもならないといえばそうだけど庶民自体も金になるからと安易に金だけを求めているからそうなったともいえる。
景気よくなるなら何でもいいとかなっていた。
権力で隠蔽できるということは非常に常に危険になる。悪がとくに巨悪は隠蔽されるとそれがどうなるのか?
最後はそのが戦争になったり巨大事故になったりするから怖いのである。
建設関係でも不正が行われていても隠蔽される、それが名だたる大企業だったから問題になった。
権力が巨大化するとモラルも腐敗してゆく、権力でどうにでもなる、警察なんかも怖くない、権力に従うからだとなる、現実検察は時の権力者に従うからである。
まず社会で権力がないものは訴えることもできない、とりあげることもしない、隠蔽されるのである。
権力というとき実は大会社の幹部に問題なのかとなると組合も恩恵を受けているからそれは民主党支持でありやはり民主党も恩恵を受けている
それで福島県で原発に賛成していたのは民主党であり民主党主導で原発は推進されていたと矛盾があったのである。
自民党の政策を受け継いだの民主党だったのである。渡辺恒三が政治家のボスとして原発を推進させていたのである。


民主主義の最大の問題はこうして巨大な権力をもつものをどうして監視して操作できるのかということである。
創価などのカルト宗教団体でもそうである。それも巨大な権力意外の何もものでもない
だからそこでは悪は隠蔽される、司法とか政治に権力をもち隠蔽させるのである。
マスコミも聖教新聞をすらせて金を流して批判させないのである。
それはあらゆるものが権力をもつことを目指して活動しているからそうなる
それで民主主義社会では宗教の権力をおさえるために政教分離政策が生れた、政治が宗教に支配される、宗教でも権力をもつと宗教ではなくなる、権力を操作することなるからである。もちろんそもそも権力をもって支配しようとするのが目的なのだから当然だとなるそういうことを許していたらまたファシズムとなり庶民がその犠牲になる
でも人間はそうした巨大権力に金でも支配されてゆく、それをどうしたらいいのかとなると最もむずかしい問題になる
現代の権力機構からはじきだされたものはまたそうした権力に頼らざるをえないのであるそれは宗教とは何の関係もない、でも現実社会ではパンの方が大事なのである。
それがカラマーゾフのゾシマ長老が天からふってきたパンより地上でのバンが大事だということを言っていた、つまりそれを実行しているのが政治社会である。
それは自民党でも民主党でも創価でも共産党でも全部政治は現実のパンのことであり天上のことなど関係ないのである。庶民が日々求めているのはそれしかないからである。
まず詩にしてもそれを理解して読む人などほんのわずかなことでもわかる
庶民が求めているのはそういうものではない、文化でもない、日々のパンなのである。
動物でも餌をやればなつくのとにている、高等なものはいらないのである。


民主主義の課題がいかに政治であれ宗教であれ会社であれ組合であれマスコミであれ巨大な権力をもたないようにするか監視して制御できるようにするかである。
それが今もむずかしい、結局原発事故が起きたのはそうした国と東電が一体となり「安全神話」を作りあげたが津波によって悪が暴露された。
それは神の力でしかできないともなっていたのである。なぜならすべてが庶民すらも欲に動かされて原発推進になっていたからである。
それをとめることができるものはなかった。そして津波が起きてその悪が暴露されたのである。
だからそういうことがこれからも起きてくる、もう人間の力ではどうにもならない
神の力が天の力が悪を暴露して悪を滅ぼしてくれなければどうにもならないとなる
権力とは結局サタンなのである。サタンが支配されているこの世だから権力によって支配される
この世は権力によってゆがめられるようにできている
それは人間の欲がそうさせるのである。欲がない人間はいない、トヨタの御曹司でも権力があり欲があるからそういうことが実行するようになる
ただ何にも権力がなかったら人間はそういうことはできない、権力をもつと人間の悪が露骨になるのである。
そして人間は社会ではどうしても権力をもつものともたないものとに分かれる
ただいつまでも権力をもつことはできない、東電の権威は事故で失墜したしまたトヨタ王国でもいつか凋落する、それが権力の運命である。
劇的に権力が崩壊するのは別に大会社だけではない、個々人でも家族でも起きてくる
一家に君臨していた人が突然認知症になり銀行から金もおろせなくなったことには驚いたその時完全に一家を牛耳っていた権力は喪失してしまったのである。
痴呆になったのだからその極端な失墜は驚愕だった、これは老人には起こり安いのであるいくら社会的地位や権力があった人でも認知症になると一転して最悪の弱者になってしまう、だから認知症は恐ろしいのである。
病気になっても頭がわかっていれば権力は維持できるかもしれないが頭がやられるともうすべてを失ってしまうのである。





タグ:トヨタ
posted by 老鶯 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層