2015年11月01日

山里の昔を偲ぶ詩 (栃窪村をイメージして)


山里の昔を偲ぶ詩


(栃窪村をイメージして)

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山よりの清き流れ 家の前にあわれ
洗い場ありて 日々の暮らしや
薪積みて 冬支度かな
秋の日静か 山里の昔を偲びぬ


その時、街はここより遠し
何もて行かむ 馬やリヤカーや
車なければ ここより遠し道
橋とてあわれ 木の橋ゆれぬ


炭焼きの烟は上り 街に炭を売る
街とて貧し 裸電球一つ
北風吹きて トタン屋根
炭にし暖をとり 寒しかな

その昔 街にし何を買ふ
ランプの油 近くにすむも
ランフの掃除、その灯し
暗き夜かな 藁葺きの家


山里に水車は のどかに回りぬ
その時の刻みの ゆるやかなれ
秋の日はさし 家々はまばらに
落葉を踏みて 山里は暮れぬ

薪を積む家や 鶏は放たれ歩み
清らかに水は流れ 洗い場あり
その流れの奥に 何かあれ
ひそけく野菊の残り咲くかな

街より遠く 医者とてなしも
救急車も来たらず 病になれば
ただ道の辺の 地蔵にすがり死ぬ
誰が墓やあわれ 村に残りぬ

流れの奥や 何かあれ
隠さる石は黙して 冬の日さしぬ
清き流れはひびき ひたすら黙す石
雪はふりつつ 春にも残る雪


ああ 貧しくも その村の暮らし
今はなつかし 便利なるも
今の暮らしは 何か平和なしも
贅沢なるも 不満のみぞ多し

汝いづこに憩わむ 満ち足りむや
便利なるも 贅沢なるも
人の心は荒れて 平和なしも
今原発事故に 荒れ野となるも悲しも

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これは栃窪村をイメージして作った。何回も書いたけど戦後十年くらいの生活は江戸時代のつづきだった。その時子供だったから貴重な経験だった。
それ以後急速に高度成長になり変わってしまった。
こうした暮らしは別に日本だけではない、世界中で同じである。
インドでは都会でも炭を今でも使っているが一方で牛の糞とかを街中でも利用しているし家では白黒のテレビでゲームをしていたし路地裏を野良牛が歩いている
インドでは現代と昔がまだあり混沌としている

栃窪村は街からするとその時は遠かった。なぜなら馬とかリヤカーが運搬手段だとするとかなり街に出るのは遠くなる。ただ炭焼きをどこでもしていたから街でその炭を売っていたから運んでいた。
これは日本中どこでも同じだった。つまり炭がエネルギーの基だったからそうなる。
ガスも石油も電気も燃料ではない、葛尾村などは電気が来るのはかなり遅かった。
それはネパールなどとにていた。電気がともらない村があるのだ。
そこの暮らしは当時とにていたし今でもそういう場所が世界にはある。

ともかく昔のことをふりかえると不思議になる。水道もいない、電気製品もない、舗装もされていない道とか橋でも木の橋でありそれが何かゆれて危険だったのである。
真野川にかかった橋もそうであり橋はみんなそうだった。だから洪水で木の橋は流されやすかった。それで江戸時代の野馬追いの行列では橋のない川をわたる絵が残っているのもそのためである。
道は舗装されていないからでこぼこであり自分は子供のとき家で店屋をやっていて農家に卵を買わされた、その自転車もいいものではなくどうしても糠に入れた卵が一つ二つは壊れるのである。それは道が悪いのと自転車もいいものではなかったからである。


今からするとこうした体験は不思議であり団塊の世代とかはみんなそういう時代に生きていた。何か団塊の世代は贅沢した時代とかみられるけど子供時代はみんな貧乏だった。
ものもないし電気製品もないし便利なものは何もない時代だった。
かえって農家の方が食料などでは贅沢していた。自家生産だからそうなった。
そもそもまだ物がない時代だからそうなっていたのである。
江戸時代は遠い昔とイメージするが戦後十年くらいは江戸時代の延長だったのである。
自給自足であり村はやはり江戸時代の村とたいして変わりなかったのである。
だから救急車など病気になっても来ない、そもそも車がない時代だからである。
ということは医者にもかからず死んだ人が多いということになる
地蔵などに祈り死んでゆくほかなかったのである。
そうなると長生きするのは無理だから60前で死ぬ人も多かったろう


そういう暮らしは村に閉ざされてなかなか外に出にくい社会である。何か鹿島の横手の人が相馬市に梨を売るためにリヤカーで運んだというのを聞いた
馬の肥料の草を橲原まで行って運んだというのも聞いた。
リヤカーが運搬手段だった。それも一日かかりなってしまうだろう。
確かに汽車は通っていてもそれで物を運ぶというのは遠くからのものだろう。
近くは馬とかリヤカーとかになる
そうなるとどこでも街から離れれば村は遠くなるのである。
おそらく経済でもせいぜい相馬藩内とかの経済だった。
今のように世界まで経済は広がるのとは大違いである。
身近にあるもので暮らす他ないのである。
ただそういう暮らしをふりかえるとき何か牧歌的に平和な暮らしだったなと思うのも不思議である。
それはその当時の負の部分が見えずただ過去を回想するからそうなる
医者にもかかれず死んでゆくのは辛いことだったというのもそうである。


それでも何か昔の方が人間的な暮らしに見えるし人間も素朴だっただろうと見える
現代は確かに便利に贅沢できるのだけど人間はかえって欲深くなりそのかえって満足できない、欲が世界大に広がったともなる。
その欲が拡大した結果、原発事故が起きたともなる。原発はこの辺では欲を満たすものとしてあった。原発は金になるから誘致したのである。
そして回りは荒野となってしまったのである。





タグ:山里の詩
posted by 老鶯 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

大量に墓も捨てられる時代 (墓を守りつづけるのはむずかしいー立派な墓はいらない)


大量に墓も捨てられる時代


(墓を守りつづけるのはむずかしいー立派な墓はいらない)


実家の墓は墓しか残っていない、その家を継ぐべき人が死んだとき、「墓を守ってくれ」と言い残して死んだ。でもそれを引き受けた人は今になるとあとの処理をどうするのかという問題に直面する
墓は一時崩れるような状態になり70万で直した。そのあとに3、11の地震が来たのであのままだったら壊れた。
まず墓というのは守りつづけるのが容易ではないのだ。
でも墓はまた簡単に捨てることもでないのである。
でも墓を守るものがいなくなればいつまでも放置しておけないから捨てることになる
それでどこかの島に墓石が大量に捨てられていた、その中には元禄時代のものもあった。おそらく元禄時代ともなると誰もお参りするものなどいなくなっていたろう。
最近は少子高齢化で家の跡継ぎすらいなくなり膨大な空家にも困る
日本が急激に人口もへり経済も縮小してゆく時代なのである。


墓というのは代々つづく家がないと誰もお参りしない墓になる。それをそのままにしておくこともてきないから捨てるのである。
でも墓を捨てるということかなかなかできないから放置されたままにもなる
空家でもそうである、誰も住んでいなくても放置されている
それで市では空家でも壊す権利がある法律が生まれたのもわかる
墓は空家よりもやっかいなことがある。
墓には霊魂が宿っているとか何かものとして簡単にかたづけられないのである。
だから墓を立派にするのは代々つづく家でありつづかない家は墓は粗末なものでもいい
立派なものにしたらあとの処理が誰がするのかとなる、それじ自分も失敗した。
墓を立派にすれば供養になると思う人がいるが後継ぎかなければ邪魔なものになってしまうのである。


つまり墓は代々つづくものとして建てられていた、それが少子高齢化とか核家族とか家族が分散して遠くになるとかいろいろな事情で代々受け継がれる墓は少なくなった。
だから大量の後継ぎもない墓が増えてその処理に困っている
それで島に墓の墓場ができてしまったのである。
核家族とかなるとまた墓が次々に増えた、家が増えたのと同じである。
今は家族が一カ所にとどまらずばらばらになりやすい、すると墓でも後継ぎがなくなる
そして墓は簡単に捨てられないとか残された墓をどうしたらいいかと大量に捨てられたのである。
だかち「墓をも守ってくれ」とかたいした金でもないのに引き受けるとその責任も重くなる。墓というもきを簡単に考えるからそうなる


ともかく墓ということ自体が問題になる時代である。それは時代であり少子高齢化であり社会の変化で家族も変わってしまったからである。
江戸時代の武家だったら時代も変わらないから代々守られることがあるし現実に寺はその墓を守る役だったのである。
でも不思議なのは明治時代のようにな佐藤家とか、、、、家とかの墓がなく名前が記された個人墓である。家族の墓は明治以降にできたものであり新しい墓の形態だった。
だから時代が変われば墓の形態も変わるのである。
江戸時代はまず庶民は墓をもっていない、ただ江戸時代後半から裕福な人がでてきて農家でも個人墓に名前を記したものができた。そういう墓は残っている
大方の庶民の墓は残っていない、明治でも多かったのは家族の墓てはなく夫婦の墓であり江戸時代にもあった。家族墓は新しいものなのである。


明治以降は今は簡単に墓を作りすぎたのである。誰でも作れるから作りすぎたのである。結果的にそうした墓の始末に困っているのだ。そんなに墓ばかりふやしても後の処理に困るのである。
なんか卒塔婆のようなものを建てていた方が良かったように思える
キリスト教なら十字架一本が建っている、そういう簡単にした方があとの始末も楽である立派な墓にするともし後が継ぐものがなければ壊すこと自体が一仕事になり金もかかるとしたら一体誰が金を出すのかとなる。
「墓を守ってくれ」というより墓を壊す金に使ってくれともなる
現実的には実家の墓はそうなりやすいし他でもそうなる墓が膨大に増えてくる
個人墓にしても一体その跡を誰が守るのかという問題がある。

ただ墓というのはいろいろなものがある。それがすべて壊して処理するのがいいとも限らない

沖縄南部の米須という集落に行くと、畑の中にブロック積みの小屋があり、中に位牌が祀られています。聞くと沖縄戦で一家全滅した家を、地域で祀っているのだそうです。

そして私は沖縄南部に八年暮らし、なんども糸満の平和祈念資料館を訪問し「平和の礎」に刻まれた人々の名前を見て回ったことを思い出した。
 これの施設も、広義には墓と言えるだろう。そこで重視されているのは遺骨よりも名前であった。あそこでは沖縄の戦禍という、ある共同性が示されていた。
 死者の名前というのはなんらかの共同性のなかで、継がれるものなのではないか。。


こうして歴史を語る墓もあり地域で守っているのは意義あることである。
自分も墓を見て歩き郷土の歴史をに興味をもったのである。
なぜなら墓というのは何かそこに現実に人が埋まっているというので無味乾燥な資料とは違うからである。
そういう点ですべての墓が壊して処理していいとはならない、でも一般的にもう墓が増えすぎるからどこかで処理する他ないのである。
墓より名前だとというのもまた言える、名前のない墓のことを書いたがこさも奇妙だった名前がないということはその人の個性とか実体までないのかとなる
その家で不詳の息子であり名前を記す金がないから親の名前を墓に記していないのである

沖縄では最近死んでわからなかった人が発見されて名前が記されたりしている
あれも一つの墓の形態であり共同墓地なのである。
でもいつまでも陸軍兵長とかなんとか戦時中の軍隊の位を記した墓がある、そういう墓に何の意味があるのだろとなる、今になるとそんな位は意味ないのである。
その墓が大きく目立つのはそれは戦没者として戦時中で国家が名誉を与えたからそうなっていた。今はなにかいつまでもそうして陸軍兵長とか目立つてども何か嫌悪感を感じるのである。墓というのはやはり何かあまり目立っても嫌なものを感じるのも不思議である。何か粗末な墓で人知れずうもれている墓にあわれを感じたりするのである。
権力者が大きな威圧的な墓を残すのも嫌悪を感じるのである。


墓とは結局古い家が壊され新しい家が建つように壊れされて処理すべき運命にある。
そうしなけれは墓だらけになってしまうからである。
ただどの墓を残すべきかとかは判断はいろいろあるが家族墓となるとどうしても後継ぎがなくなればお参りするものもなく荒れ果ててしまい邪魔になるのである。


だから墓は卒塔婆のようなもの十字架のようなものでもいい、すぐに処理できるものの方がいいとなる。石の墓だと取り除くこと自体手間であり金もかかってしまうからである。ただ墓に墓の役割がありこれも簡単に墓を軽視できないものがあるからやっかいなのである。
人を見るとき頻繁に墓参りする人は故人を思っている人なのことがはっきりわかる。
でも息子でも娘でも墓参りしない人は親を思っていないのである。
なぜこの人は墓参りするする気にならないのかとわからない人がいる
おそらくあまり親のことは思わないのだろう。親に苦労させられた人はそうなるかもしれない、墓参りしようとせずなぜ金ばかり要求するのかとなる


ともかく人間は死んでしまえば忘れ去られるのが早い、親でも子は忘れる、そして遺産ばかりを気にする、それがこの世であり無常である。だから死者を思いつづける人はその人を相当に思っていた人だとなる
墓参りしなくてもいいし死者は無言であり語りかけることもしない
墓参りしてありがとうなどとも言わない、何の返事もないからである。
墓参りすることはそういうふうに意味があることである、だからそのことを否定はできない、ただ後継ぎなくなるから立派な墓はいらないとなるのである。
粗末な墓でもむしろその墓に参る人の気持の方が大事なのである。
気持がなければ墓参り自体しない、親に苦労させられ人は毒親に育てられた人は死んでもあまり情がないことはしょうがないことである。


後継ぎかない墓はふえるというとき墓参りは必要でもその跡が簡単に始末できるのがいい親か死んでも子供が知っている人が生きている間は墓参りはする
その後となるともう少子高齢で核家族で分散化するからもう長くはできないのである。
家が二代とか三代くらいで終わるのが増えてくるということである。
だからそれに見合った墓がいいとなるのだ。立派な墓はいらなかったのである。



墓が捨てられる
〜無縁化の先に何が〜


「古石材預り所」と称する管理者(52)によると、中四国や関西の寺から撤去された墓石を石材店などの業者が持ち込んでくる。家庭の事情で墓を引き払い不要になった墓石のほか、無縁墓もある。1基1万円で受け入れ、最近は年300基ほど集まる。「ここ数年でどんどん増えている。もうけはないが、やめたくてもやめられない」。まだ9万基収容できるという。


posted by 老鶯 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2015年11月02日

抽象画ー様々な流れ(many streams)



(抽象画)様々な流れ(many streams)


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photoshopはなれるのは相当時間がかかる、でもなれてくると抽象画を作るコツがわかる
ソフトはなれであり回数を多くして試すことである。
この作業は機械的なのであり何か独創性が感じないのだけどできるのはやはり一つの創作品なのである。


オランダはうまくいった。確かにこんな感じである。
何か抽象画でもそれにふさわしい具象の対象を求めて操作している
そして偶然にこれは、、、、、だとなるのが多い


でも流れであり風であれやはり自然の反映があり抽象画でも自然界にあるものであり具象画であれ現実にあるものの反映であり何かわからないとなると鑑賞もできないことはある

タグ:様々な流れ

2015年11月03日

墓も無常をまねがれない (永代供養は無理である)


墓も無常をまねがれない(永代供養は無理である)



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海老村ー村は津波で消失して墓地だけが高台に残った



墓が何かというとき墓もやはりこの世の変化とともに変わるということである。
人間の世界は常に変わっている、だから墓も変わるのである。
墓は変わらないと永代供養とかの考え自体が間違っていたのである。
永代供養などできるのかとなるとできない、それは寺でそう言っていてもできない
それも一つの金儲けとなっている。
やがて経営が苦しくなりもしかしたら寺もつぶれて売られるかもしれない、寺は今すでにそうなっている。何のために寺があるのかもわからない。
死者の供養など永代にできないのである。


親くらいだったらできるがだんだん時間がたてば親すら遠い存在となってゆく
それをましてや他人が何のゆかりもない人が供養などてきないのである。
だから墓も無常をまねがれない、墓も人間の無常を前提にして作るべきなのである。
大きな立派な墓はいらない、卒塔婆や十字架で十分だとなる、それなり簡単にとりはらわれてまた利用できるのである。
墓参りでもだいだい普通は祖父母まででありそれ以上は知らない人が多くなるから墓参りなどしないのである。
ただ代々つづく家は立派な墓でもいいがではそうした家でもどうなるかわからないから無常の世だから永代に供養できない、そもそも永代供養という考え方自体間違っているのだ

まずこの世の中がどれほど変わるものがこの辺は津波と原発事故で見せつけられた。
津波では村自体が消失してなにもない、これも信じられないことである。
海老村では高台の墓地だけが残り村は消失してしまった。
あれをみていると何か奇妙なのである。
そこで思うことは墓は津波で流されてもいいが村は残るべきだったとなとつくづく思う
墓地が残っていて肝心の村がなくなったら何にもならないのである。
それと同じように墓は永続するものではないしやはり無常だからいつまでもあるものではない
何か墓はいつまでもあるという幻想にとらわれているのである。
家だったら40年くらいで古くなりもうリホームしたり壊さないと住めなくなる。
墓だってやはりいつまでもつづくものではないのだ。
つまり立て替えが必要だし人も変わるのである。
そういう前提にして墓も作っておく必要がある

草の戸も住替る代ぞひなの家 芭蕉

家もそうなら墓だってそうである。常に変わるのがこの世である。何一つ同じままになっていない、街自体も変わるし街や村まで消失するのだから墓も変わる
この世に永続するものはないのである。
例えは古い碑などは何か歴史の記念であるが個々人の墓はみんなそうではない
墓に対してみんな先入観があり墓は何代もつづいて当たり前という考え方が間違っているその考え方を改めれば墓をどうするかという答えもでる
墓がなくてもいいとか自然葬でもいいとかいろいろでてくる。
それは墓も長くつづかないし供養しつづけることはできないということである。
「墓を守ってくれ」と頼んでも哀願してもこの無常の世界では守ってくれないのである。母方の実家の墓は後継ぎがいないし一家離散のようになったからそのために長男だった人は墓だけ手も残したいと思ったのかもしれない。
そんなことを言ったてとてもこの無常の世では墓も無常なのである。
だから大量の墓が捨てられるというのは時代なのである。
ただ元禄の墓とかなると東北辺りではめずらしいから捨てないだろう。
西では歴史が古いからめずらしいものではないのだろう。


墓は結局明治以降から高度成長と核家族になり増えすぎたのである。
そんなに墓などいらないのである。墓で金儲けしようとしているのはカルト宗教団体でも寺でも同じである。葬式とかもそうでありそういうものは簡素な方がいいのである。
そんなところに金かけるより別な方に金をかけた方がいい
先祖が喜ぶというときではそんなに頻繁に墓参りしている人がいるのかと言ったらいない一年にせいぜい彼岸とかお盆にするだけである。
だから葬式とか墓に金をかけるのは無駄である。昔と今は違う。昔は火葬場がなくて野原で焼いていたから葬式は大仕事になったから村八分でも葬式はそうではないというのはそのためだった。自分の父親も野原で薪を積んで焼いていたからすさまじかった。
そういう時代とは今は違う、もう簡単に火葬場で5分くらいで灰と骨になるのである。


とにかくこの世にあるものは無常をまねがれない、今日あるものが明日あるとは限らない、その無常をこの辺の津波や原発事故でまざまざと見た。
津波を経験した人は金はもたないとか言っていた。家も何も流されて家族までなくなったらそんな考え方に変わってしまったのである。
何ももっていても金をもっていても流されてなくなる、金をためてもしょうがないとなってしまったのである。
江戸時代に江戸では火事が多かったから長屋住まいの人は物をもっていないから身一つで逃げた、何も持ち出すものもないから気軽であり燃えた跡にはまた家が建ち景気よくなったと言われる、何かありすぎるこまるのである。
墓もそうだがの始末なども困る、後継ぎがないとなる息子でも娘でも別所帯になるのが多いから余計にそうなる。


空家800万軒というのも今やあるものが重荷となっているのである。
これは老人になるとあるものが重荷になることが多いのである。
そして捨てられなくてゴミ屋敷になって死んでいた人もいた。
老人になると何でもシンプルだといいのである。
認知症の介護だと狭い部屋だと管理しやすくなる、忘れてもすぐ見つけられるかである。自分の家は二階があり広いから家族が認知症になったとき苦しんでいたのである。
二階に着るものを自分が置いて忘れていてどこにいったのとか盗まれたとか騒いでいた。そして泣いていたのである。これも家が広くて管理できなくなったのである。
こういうことは普通の老人にも起きてくるのだ。
家が広いと管理できなくなる、掃除でもかたづけても大変になるからだ。
狭いところだと整理しやすいが広いと整理とか掃除しにくいのである。


ともかく永代供養など無理である。それも寺の金儲けであり永代に供養などできない
この世が無常であるときその無常に誰もさからうことはできない、人は次ぎ次ぎに死んでは変わりあらゆるものが変わってゆく、だから変わること無常を前提にして墓でも作るべきだとなる
結局家でも最後は簡単に取り壊される鴨長明のようにな方丈の家の方がいいとかなる
その家は何か持ち運べる、移動できる家だったらしい。組立式の家の方がいいとかなる
ゆうすれば壊す手間もなにもいらないからである。
まさに草の家であり昔はそういう暮らし方が多かったから気楽だったともなる





タグ:永代供養
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2015年11月04日

天寿を全うするとは (長生きするのもいいが人生の質も大事)



天寿を全うするとは


(長生きするのもいいが人生の質も大事)


人間の不思議は死ぬときになると認知症でも一時正気にもどる。母も百歳で死が近い。
食べられなくなれば衰弱して死んでゆくという、最後は食を受け付けなくなる
水さえ飲まなくなる
そして俺はもう死ぬんだとしゃべれなちなるんだと言って大声で葬式に誰が出るんだとか金をおろしておけ、贈与税がかかるとか孫に金をやれと金のことを言っていた。
前は大金盗まれたのだが笑っていた。もともと店をやっていて十円と二十円の商いにこだわる人だったのである。
その後も金にこだわる人だった。でもその人は大金を失って笑っていたのは認知症になったからだと思っていた。
認知症になっても金にこだわる人はこだわる


ただ贈与税と言うのは普通は認知症ではありえない、特に金のことがわからなくなるからだ。
だから死ぬ前正気にもどりその人の伝えたいことを言うから人間はもうこの人は何もわからないとはならないから最後の対処は本当にむずかしい
姉の場合は意識不明になる前に戦争のこととあとは家族の不和があったが頭を下げてうなづいたからわかってくれたということで自分は本当に救われた。
ひどい重症の認知症だったからわからないと思っていたのである。
明らかに認知症でも正気にもどるときがあり特に死ぬ前に正気にもどることは確かなようである。


自分の家族は普通の家族でなかったけど何か最後に和解してくれたので救われた。
だから人間の最後は意外と大事なのである。恨みをいだいて死んだ人もいりそれはあとあとまで尾をひく、墓参りするにもする方も何かしこりを残し素直にできなくなる
それで介護というのは苦しいし嫌なのだけど恨まれたりするとまたそこでしこりを残しあと死んだとき困るのである。
でも介護でも十年とか二十年までしている人が現代ではいる。
介護は今はいろいろ手当てするから長くなるのである。もう自分も二人分で十年になる。二人になったら当然十年にはなる、一人でも二十年にもな人もいる
こうなると自分の人生すら奪われるから悲劇である。


そして天寿を全うするというとき長生きした人はそう言われるが必ずしもそうではない
もちろん自分の家のことで長生きしたことによって自ずから解決したことはある
徳川家康は信長や秀吉のような天才ではなかったがただ長生きした結果天下が転がり込んだのである。家康にはそれほどの才能はなかったのである。武田信玄も病気になり早めに死んだから天下はとれなかった。
でも長生きすることによって勝利者になるということもある。
だから長く生きることにはそれなりの意味はある。


でも長生きしたから天寿を全うしたのかとなると必ずしもならない
自分の母親はただ苦労の一生だった。ではその苦労した人生がすべていいとかならない
最後に金のことにこだわるより何かこの世のものにこだわるものがないのかとなる
最後は庭の樹などいらないとか大騒ぎしたり何一つ花でもきれいだとして見ない、それもそういう環境で育ったためにそうなった。
ただ働きづめの一生で長く生きたということである。
その一生が天寿を全うしたのか?まるで奴隷のような一生だった。
そういうふうに強いられたこめでもあったがそれがとても人間の天寿を全うしたとは思えないのである。
その人生の中味からみればそうなる。


天寿を全うするということはどういうことか?それはその人なりの個性を発揮して生きたということである。特に男の場合はそうなる。
だから自分などはあと十年くらい生きれば天寿を全うしたことになる。
いろいろ作品も残せるし旅の人生でも遊びでも十分にしたからである。
自由に生きられたからそうなる。何かそこに不満がない、そして自分の場合は世の中の汚れに染まらずにすんだから晩年に心が澄んだ状態になった。
この世の汚れに染まってしまうのが普通である。その人は晩年になったら真善美が見えなくなり心もゆがんでしまう。そういう人は長生きすることは苦痛にもなる
何も美しいものが見えないということはもう地獄にもなる、長生きしても苦しいとなる。そういう人はただ苦々しいこととして人生を回顧するだけになるだろう。
もう取り返しのつかない人生を悔いることしかなくなる。
そして人生はやりなおせないことの厳粛さを知るのである。
なんて自分は軽薄に生きてきたんだろうかと嘆くのである


人間には一生といっても家族の人生があり個人の人生があり故郷とかある場所で長く生きた人生があり今なら会社で働く時間が長いから会社人生になる。
だから癌とか病気になったとき会社にもう一度行き仲間と会い仕事したいというのもわかる。会社にそれだけ愛着があるのはそこで働いた時間が長いからである。
故郷に愛着があるというときそこに生きた時間が長いからなのである。
だから老人は故郷であれ長くいた場所でも長くつきあった仲間といたい離れたくないとなるから原発事故で故郷を失った人は悲劇だったのである。


ともかく現代は介護時代である。その期間が長すぎるのである。天寿を全うすることはいいではないかというがその負担がすでに家族だけではない国単位で膨大なものとなっている。自分の場合は若いときに介護されたら恨んでいた。50代でもそうである。
50代で海外旅行したからできなくなったから恨むだろう。
自分は自由に活かされたから恨むことはない、他の人は40代であれ50代であれ介護になるとその期間が長いから人生が奪われるのである。
そこが介護の一番の問題なのである。自分も十年間追われつづけたからである。
もっとひどくなったら家から出れなくなっていた。
三食ご飯をたべさせている人もいた。そうしたら一日かかりきりになるのである。
24時間はなれられない、夜まで認知症の人は見守っていなければならないとかその負担が大きすぎるのである。
そして家族が少ないのだから誰か一人に負担がかかってくる。
交代できないことは息抜きもできない、外にも自由に出れなくなるのである。
介護した人は多いがたいだい長いからもうかかわりたくないとかなっしまうのもわかる。自分は十分にやったとなりかかわりたくないとなる。
だから介護時代は何か社会でも工夫が必要になる。
でも介護は在宅にしろとかかえって家族の負担が増す方向にしかなっていないのである。

いづれにしろ急激に死ぬのと徐々に弱って死んでゆくのはは何か違う。
死ぬまでいろいろ考える余裕もあるし準備もできる、急激に死ぬと混乱するのである。
でも一回経験しているからその点は楽である。
人間は何でも経験していないととまどうのである。
そして意外とインターネットは緊急のとき役に立った
前の姉は重症な認知症に突然なったのである。
その時暴力になったし妄想にもなった。それで何が起きたのかわからず恐怖した
精神錯乱状態になったからである。その時誰も助けてくれない、認知症は医者すら対応できない
それで暴れたときとか妄想をみるときは何を言ってもだめだ、落ち着かせるのがいいと書いてあったのを見た。
そして相手の目を見て落ち着かせることだと書いてあったのを実行したら効果があった。なかなかその時相手の目をみて落ち着かせることは怖くなりできないこともある
一人はできないから介護ができなくなったのである。


今回も老衰死とはどうなるのだろうかと調べたら食をうけつけなくなる、水すら飲まなくなる、最後は食べ物をとる力が体になくなり眠るようになる。
そして衰弱して死んでゆくのが老衰死だと書いてあった。
それもそうなんだと見ていると納得した、人間は最後どうなって死んでゆくかわからないやはり死ぬ前に人は心にあることを言い残して死んでゆく
これも不思議な現象である。その後はしゃべる力もなくなり死んでゆく
ともかくこれからつききりになる、母はいつも眠るように死んでゆきたいと言っていた。それが死ぬときかなえられるのか?見ているとそんな感じになるから最後は死ぬときだけは楽なのかなとみている

タグ:天寿
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2015年11月05日

人間の経験は限られているから困難に対処できない (相手のことを理解できないから同情もしない)



人間の経験は限られているから困難に対処できない

(相手のことを理解できないから同情もしない)


人間の老人になればわかる、個々人で経験することが極めて限られている
ほんのわずかなことしか人生では経験できない、それぞれの一生でもそうである。
だから原発事故のとき、吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったというのは
外部から見ればそいなことがあるのかと思った。
普通だったら外部から見れば所長となれば全体を指揮するものだからそれを知らなければ指揮しようがないからだ。
管首相が理系の大学をでて原発も知っていたから「自分は原発を知っている」と叱咤して命令した。でも実際は原発のことをすべて知っていたわけでないから過ちがあった。
旭化成の社長でも薬学部出身であり建築のことは門外漢だとなって指揮はできない
もう今の社会はそうして分野が違うとわからないとなる
それでふくきょうこう手術で十人とかの死者を病院で出したがそれも手術する人の分野が違っていてうまく意志疎通できなかったと言っている
そもそも複雑に分化した細分化した社会は意志疎通ができなくなる社会である。
それはますますそうなってきてもう互いが異星人のようになってくる。
それは常に起きてきたことだけど社会そのものが互いが異星人化しているのは現代である

職業でもあいつは何をやっているんだとかなかなか理解できない、簡単なものは理解できる、原発で働いている技術者のことなど理解できない、そこは秘密のベールに閉ざされた世界である。理系と文系の分離も極端になったのも現代である。
人間と人間が意志疎通できない時代だから人間疎外とう言うことが言われる。
相手の立場にたって意志疎通できない、理解できない社会である。
何か仕事するにしても一人一人のお客さんの顔が浮かんでくるとか従業員の一人一人の顔が浮かんでくるとかないだろう。
一人一人はロボットが機械のように見えているという方が適切だろう。
だからこそ非正規の社員が膨大に増えたのである。それは部品のように取り付けてまた切り離すだけである。それは一個の人間として見ないから見れないからそうなる
便利な道具であり部品でありいつでも部品としてとりつけてまた新しいのを取り付けるとかいうのが雇用になっている
特に終身雇用がなくなれば余計にそうである。


そもそも人間が生きることは時間をきりうりすることではない、時間をその人の人生のために使われるべきであり会社の部品化として時間を消費させるべきではないというのが理想である。
それぞれの時間はその人のためにその人の人生を生きるために与えられているというのが理想なのである。
ただそれだからといって会社で働く時間が無駄だとはならない、そこで経験するものはやはり人生を作るからである。
社会で何も仕事を経験しない人は何か欠けているようになる
ただ人間は完全な人間はいない、必ず何か欠けている、それは人間は経験することがわずかだからである。ほんの一部しか経験できないからである。
どうしても人間の視野は必ず狭くなっているのだ。
都会に住む人は田舎に住む人を理解できない、漁師と山に住む人は海彦山彦のように古代から理解できないことがあった。それは人間として常にあったことである。
そういう物語が伝説でも神話でも昔話でも多いのはそのためである。
柳田国男の「遠野物語」でもそうした理解できない人が神秘化されていることでもわかる

例えば世界情勢でもいくら解説されても理解しにくい、要するに外国になると実際に経験することが少ない、本を読んだとしてもわかりにくい解説されてもわかりにくい。
自分がシリアで関心をもったのはトルコの宿で中年の日本人がいてその人が実際にシリアに行って盛んにシリアの人はいい、素朴だと言っていたことである。
それはその場で聞いたことでありシリアについては全く知らなかった。
それはラオスについて同じことを言う人がいた。それはなぜなのかというと日本で言えば江戸時代のようになっている。
外国の悪いものが入ってこない、貧しいけど素朴な人間が暮らしているからそうなる
つまり江戸時代が外国の人が見たとき平和な幸福そうな顔していたというときそれは別に日本だ下ではなかった、文明人が入ってきたときそうした素朴さは失われた。
ブータンなどもそういう素朴な社会が残っていることで人気があった。
文明とは様々な物欲を刺激する社会である。すると金が唯一の価値になってしまう社会なのである。その時人間はもう金しかないとなっているのが現状である。
田舎が素朴などということはもうとっくにない、この辺では原発があるときも金のことしかないし原発の後も補償金でもめているだけなのである。


その人はあらゆることをどう見るかは極めて限られた経験と視野でみているのである。
世界情勢になるとますますわからないからテレビなどで一方的に洗脳されやすいのであるなぜならシリアでなぜあんなに難民が出ているのだ、シリアって何なのだとなるとほとんどわからないからである。たまたま自分はトルコでそういうことを聞いていたからどうしてだろうとなった。
社会主義政権で外と余り交わらず欧米の文化が入らないから素朴な人が多いと今では思う欧米の文明がすべていいものではない、悪いものも大量に入ってきたのである。
トルコだろうがインドだろうが中国人だろうが外国人の観光客となる普通に金をふっかける、それは貧乏だからでありでも何か素朴ではないとなる。
観光地になると余計にそうなるのである。だまされるのが普通だとなる。


人間は経験で学ぶのが一番体で覚える、でも本とか知識が間接的なるとなかなか理解できない、外国でもいくら本を読んでもわからない、その土地の広さとか川の大きさとかいろいろテレビとか本だけでみてはわからないのだ
だから百聞は一見にしかずなのである。自分は外国に行ったのが50代だから遅かった。
それが大失敗だったとなる。外国に行ったことがない人が外国を語ることはできないのである。
でもなんとか要所は回ることができた、もう介護になったら行くことすらできなくなっていた。
外国では実際にアルジェリアの日本人が油田で働いていてテロで十人くらい死んだのには驚いた。そこにスヘインから船で入って働いていた人を知っていたからである。
今はそういう外国とかかわる人は日本人でも多いのである。
そういう人と直接会ったということは関心が違ってくる。これも経験である。
この十年間は一身上で病気とか介護で経験を積んだ。これも病院は何かとなると経験しないとわからないのである。
自分は病院を自分は身寄りがないから恐怖を覚えるようになった。家族もいない人が入院したら悲惨なことを身をもって経験したのである。
これも経験しないとわからない、人間はつくづく経験しない限りのんびりしているのである。
津波だってこんな経験して家族を失った人は一生忘れられない、その経験から何もいらないとか欲すらなくなった、それは死んで人たちがこれだけいて自分が助かったことだけで良かったとなってしまったのである。これも普通に経験できないことを経験したのであるともかく人は経験したことからあらゆるものをみて判断することが多い。
何かを経験しない限り人間は理解できないから視野狭窄に陥るのである。


頼るってのは、何もお金のことじゃない。 
病院まで送り迎えしてもらったり、施設の見学に付き合ってもらったり、 
入院の保証人になってもらったり家から着替えを持ってきてもらったり 
というようなこと。独身だったら、すべてお金で解決せねばならず、 
それが高くつくんだよ。


このことを痛切に経験した。結果的には病気になり独り身で大金を失った。
いかに人間が非情か、他人が信用できないか知ったのである。
そんなことお前は世の中のことを知らないからのんびりしていたんだと言われればそうである。
でも人間は体験しない限りあらゆることを理解できないのである。
ただこういうふうに考えがある人はやはり賢いというか人間を知っているとなる
人間はこういうことは家族なら当たり前だが他人になれば全く違ったものとなる
金で頼むにしてもそれは高価なものとなる、結果的に自分の場合は大金を失った。
もう金だけではこういうときはどうにもならないのである。
だからニートとか何か独身者が増えているがこの人たち最後に悲惨なものとなる
この世で家族がいないことはどれだけ悲惨なのものか知る。
もちろん家族があっても悲惨なことはあるがやはり家族のない悲惨はこの世を生きるのには最も厳しいことかもしれない。
ただそういう覚悟をしている人は独身者には少ないのである。


この辺で起きた原発事故でもそうである。補償金でもめているが「前の仕事仲間に仕事くれ」と言ったらあなたは補償金もらっているから仕事なくてもいいだろうと仕事をくれなかったというのもそうである。
確かにその金は事業していればかるく億の金になるからそう頼まれた人はうらやましいとなるだけである。
そういうことは他にもいくらでも起きているのがこの辺である。
かえって金が互いに理解させなくさせているのである。
極端になると「金でめんどうみてもらへ」とすべてなりやすいのが今の社会である。
そういうこともこの辺では極端なものとして起きている
金があるからいいじゃないかということで互いに理解できない、同情もしない、心は離反しているのである。
金がたがいを理解させない、離反させるものとなっている。
金の問題がなければお前困っているのか、一緒にしごとした仲間だから仕事を与えてやるよとかなり協力関係になったことは確かである。


金が人間を非情化させて分断させる (原発事故周辺に極端化して現れた)


金が人間を非情化させて分断させる


(原発事故周辺に極端化して現れた)


自分の家の混乱は一人が認知症になってからはじまった。その時まともな親戚がいなかった。だから親身になる人もいない、それはしかたがなかった。
そのことで象徴されていたのが
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と血相変えて去っていった女性だった。
何も世話などすることなのい関係なのだからそんなこと言う必要もないのである。
でも何か現代を象徴した言葉だった。

この辺で原発事故などで補償金でもめている。それは30キロ圏外でも40万とかもらえるので差別がありもめているのだ。人間は少額の金でももめるのである。
南相馬市では小高は避難区域になったから特別であり何でも補償されている。
一時帰宅するのにも福祉関係でも高速でも無料とかあらゆる手厚い補償がされているのである。
同じ南相馬市民なのに鹿島区はあらゆることで差別されている。原町区は30キロ圏内だからこれも補償の点では鹿島区より三倍もらっているのだ。
要するに30キロ圏内で区切ったからそこで差別が生まれた。30キロ圏外でも40万くらいでももめているのだから金で人間はもめる。

そして金で分断されるというときこれも象徴的である。
浪江の工場を経営している人が前の仲間に仕事をくれと言ったら断られた。

「よう、、、君、仕事したいけど仕事ないか」
「うう、あるけど、お前は補償金もらっているから仕事しなくてもやっていけるだろ」
「そんなこと言わないで仕事をくれよ」
「どれだけもらっているんだ、何億だ、その金をくれよ、」
「、、、、、、、、、」

これも金のために協力できない状態になった。金をもらったからといって金で解決しにくくしているのもこの辺なのである。
一方で金のために働かず毎日パチンコに行っているとかにもなっている。

「仕事しろよ」
「金あるから仕事などしたくないよ」
「どこも人手不足で困っているんだよ、働いてくれよ」
「金あるし働くとかえって金もらえなくなるんだよ、それなら働かない方がいいよ)
「みんな困っているのになぜ働かないんだ、それじゃ復興はしないよ」

実際にこの辺で除染であれ工事建築であれあれなんであれ働いているのは外部から来た人が多く未だにフレハブの簡易宿泊所はいたるところに建ち増えている。
スキヤでは時給1400円になったとかでも人手がどこでもたりないのである。
パチンコ屋通いをしている人は多いが仕事はしなくても補償金で暮らせるからそうなっている。
これも金が作り出した矛盾なのである。

例えば自分が苦しいときも同じになる。

「今自分は病気で苦しいんだよ、親の介護もあるし、苦しいんだ」
「おまえ金があるんだから金でなんとかしろ、金でめんどうみてもらへ」
「、、、、、、」

こういうふうになるのを経験している。昔だったらこんなこと言わないだろう。
ともかくそうか事情はわかるけど自分も苦しいのでなとか何か言うことがあり会話があるだろう。
それが現代は露骨に金だけが全面に出てきてそれで会話は終わりになるのである。
金でなんでも解決できると思う時代だからそうなった。
でもこの辺では補償金で分断され心も分断され協力しないのである。

「小高の人はなんであんなに優遇されているんだ、同じ南相馬市民じゃないか
もうあいつらとは口も聞きたくない」とかともなる
それが激しくなるとイワキのように行動にでてしまう。
それも補償金で高い土地を建て新築の家を次々に建てればうらやましいとなる。
だからそこでも協力はしないのである。
金でめんどうみてもらへ」というとき金が何でも解決してくれる万能化してしまっているからそうなる。

結局避難区域では復興とか言っても子供などは帰らず老人だけが残る、それも今なら補償金をもらって他で暮らした方が得だとなるからである。
故郷にこだわらない、老人はこだわるけど若い人はこだわらない。

「一億円やるからそれで解決してください」
「じゃ、俺たちは故郷を出て他で新しい暮らしをするよ」

つまり金で解決しようとしたら結果的にはそうなる。復興するというめんどうなことにかかわりたくないとなる。それでいち早く原町や鹿島に家を建てた人もいる。

要するにまず金が全面にでてきて復興といっても何かこの辺の地域では協力関係にならないのである。
でも本当に金で何でも解決すればいいが実際はそうなっていない、それはここだけの問題ではない、金で何でも解決すらならいい、人間の問題はすべて金で解決しない
だから家族のない独身者は金をもっていても悲惨になることを書いた。
家族がないということで病気になったりしたら様々な不利益をこうむる。
病院で身寄りのない人は実験台にされるとか現実にある。

ただ全部金が悪いとかいのではない、金で助かる人もいるし金の効用が大きいから否定できない、その金の効用があまりに大きくなるのも問題だったのである。
金が介在することで人間と人間の対話もなくなり非情化してしまった。
それはすでに貨幣が発明されたときからギリシャで紀元前7世紀からはじまっていたのである。貨幣の弊害がそれだけ歴史があり古いのである。
現代はその極限の状態に突入している。グローバル化したとき特に世界がそうなってしまったのである。

それでエジプトの奥の方でロバに乗った少年がワンドーラーくれと叫ぶ、アフリカの果てまでそうなっているだろう。そこまでドルが通用すること自体ありえないことだったのである。
今やこの辺でそうした金のことが極端なものとして意志疎通できなくさせている。
お互いに対話もない、お前ら補償金をたんまりもらっているのだから話し合うこともない「金でめんどうみてもらへ」となって対話も何もできないのである。
何かみんなで南相馬市民で問題を解決しようとよう気持もくなっている。
ただ外部まかせでありあとは何もしない、パチンコ屋で遊んでいるだけだとなる
そんなことで復興できるのかとなる。かえって金がいい方に働かず悪い方にも大きく働いたのがこの辺なのである。


タグ:金でもめる
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2015年11月06日

心をつなぐ一本の線路(詩) 北海道の消えゆく線路


心をつなぐ一本の線路(詩)

北海道の消えゆく線路

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北海道の果ての線路
一本のみが伸びている
駅舎も古りて単線のホーム
確かに一本の線は伸びている
広々とした野は枯れて
何かをつなぐように
一本の線は伸びている
でも果たしてその向こうに
駅があるのだろうか?
それも何かおぼつかない
それほど淋しい線路
北海道の路線は次々に消えた
この線もいづれは消える
野は枯れて霧の向こうに
寂寥とした枯野の向こうに
本当に駅があるのだろうか
町があるのだろうか
誰かが乗るのだろうか
誰かが下りるのだろうか
アメリカのアムトラックに乗った時
一人のみがその駅に下りた
駅の名はプリンスとか覚えている
王子様が住んでいる所
それも広大なアメリカであったのか
一本の線路は心をつなぐもの
でもそのかなたに本当に駅があるのか
誰かか待っているのか
ああ 家族はみな亡き人となった
故郷に帰っても誰も待つ人もいない
みんな墓の中だ
その駅には幽霊が待っているのか
良く帰ってきたなと
笑顔で迎えてくれる家族
その時自分は悲しく涙がでる
誰も待つ者もいない
人はみんな死んでゆく
ああ 一本の線路よ
それは心をつなぐ線路
それはかなたにつづき
人と人をつなぐ

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北海道には十回行っている、それは梅雨の時期に仙台港から苫小牧に船で行っていた。最初は電車の旅だった。二十年くらい電車の旅だった。だから日本の線路はだいたい乗っている。乗っていないのは関西など私鉄だけである。
ただ北海道の線路は今や半分は消えているだろう。
まず自分のように旅行した人もいないだろう。旅行が仕事だった。そんなことができたのも幸運だった、今なら遊んでいるニートなどいくらでもいるからめずらしくない
あのころはそんなふうにして遊んでいる人は少ない、一カ月も自由に旅する人は少ない
そのあとは物足りなくなって自転車の旅になった。
今になると自転車の旅もできない、筋肉が疲れてだめになったからだ。
遊びにしてもこれも簡単なようで時間がない体力がないとできなくなる


外国まで電車の旅をしていた。アムトラックで思い出したのはそれは深夜だった、一人の女性がおりた、それは一人だけだった。こんなところに駅があるのかと不思議だった。
さぞかし淋しい駅なのかと思ったらそうでもない、調べると写真もでているが「プリンス」という駅でありその名前で覚えていた。
外国でも名前で覚えることがあった。
アメリカは広くてこれも記憶に残りにくかった。外国の旅は記憶にのこりにくい。
でも旅はあとで思い出すことが意外と大事だった。景色も消えてその名前だけが印象に残ったからだ。アムトラックも観光路線であり冬でありがら空きだった。
アムトラックなどは座席が大きくゆったり座れることがよくそこでソァーのように眠れたから良かった。日本は座席が狭いから眠れないのである。


とにかく自分は鉄道にこれだけ旅行したのだから愛着がある。鉄道マニアというときいろいろある。撮り鉄とかいろいろある。実際に線路まで愛着を覚えるのが鉄道なのである。鉄道には何か人間的なものがあり旅情がある。
バスだと何かそういうものがないというのも不思議である。
鉄道の旅とバスの旅は全然違ったものなのである。
インターネットで藻琴駅とかの写真を見ていた。あそこも駅はあってもバスが線路を走るそうなると全く違ったものになる、やはり一両でも車両が走らないと気分がでないし旅情がないのである。
鉄道というと音にも感じる、汽笛でも線路を走る音でもそうである。
それはやはり旅しているからその心があの音に感じる、駅もまた旅情がありバス停とは違っている。鉄道はそれだけ人間的である、新幹線になるとまた違っている
早すぎて旅情がない、ただ早く運ぶだけだとなってしまう。
鉄道が全盛期のころがなつかしくなるだろう。
それは団塊の世代でもそのあとでもやはり鉄道が生活路線だったときがなつかしい
駅だってそこが街の中心であり駅前通りがありそうしてにぎわっていたころがなつかしい車時代になり道の駅になったが何かそれで淋しいのである。


人間は最後は思い出だけとなってしまう。原発事故で故郷から離れた人も何かこの詩のような感覚になる。もう駅があっても双葉とか大熊はいつ電車が通るのかもわからない
それも想像もできないことだったし村ごと津波で消えたことも想像もできないことだったあまりにも変わりすぎたのがこの辺なのである。
ゴーストタウンになりゴーストステーションになっている。
こんな映画のようなことが現実になることがおもいもよらなかったきである。
ゴーストタウンを幽霊のように彷徨っている姿がある。
そしてすべて消えたのか、やはり思い出はみんな残っているのである。
死んだ人はなにもなくなったのか、思い出だけが今でも残っているのである。
一本の線路は心をつないでいる、それは死者とも通じている
それは自分が死ぬまで消えることがない、心の線路なのである。




タグ:北海道の駅

2015年11月08日

金が共同体を破壊した (原発事故で避難民が優遇された問題)


金が共同体を破壊した


(原発事故で避難民が優遇された問題)


浪江の請戸の人が相馬市の病院に入院して特等室に入り相馬市に家を建てるんだと言っていた。その人は漁業関係で金がある人なのだろう
浪江には帰らず相馬市でもどこでも金があるから家を建てて住む人が多いだろう
でも相馬市であれいわき市であれ回りから見ると反発がある。
地元なのに外から来た人が金があるということで家を建てるけど自分たちは建てられないそのために土地の値段もあがり地元の人は建てられない、いわき市の場合は二万とか流入してきたから軋轢が生まれた。


相馬市でも商売している人は盛んに言っていた。なぜ原発避難者は働かないのかとかあいつらは金をもっているから贅沢しているとかスーパーで高いものを買っているとか女性だから細かいところを見ているのである。
自分の所でもスポーツカーを仮設であるのを見たからそこは前に聞いていた、一カ月百万くらいの金が入っているらしい、家族が多いと小高でもそれくらいもらえるのである。
おそらくそうして遊んで暮らしているから回りの不満も大きくなる
なぜ小高とか避難区域となるとあらゆるることに金が出るのである。
介護関係でも鹿島区は30キロ圏外で普通にとられるが小高とか30キロ内は援助があった。避難区域になと家に帰る旅に支援があり金がでている。
これほどなぜ手厚い援助があるのか回りから見るともらっていない人からみると不満になる


なぜ同じ南相馬市民なのに福祉関係まで差別しているのだろうとなる
例え30キロで区切られたとしても市の方で配慮してもいいではないか?
それはもう金の問題でもない、その金はたいしたものではない、それより不公平だということである。
人間は不公平だというとき一番反応する、公平を求めるのが人間である。
不公平だというときいわき市などは一番感じているから現実に危険な状態にもなった。
だからわかったことは政治の一番の課題は配慮しなければならないのは公平なことなのである。
ただ金持ちがいてもいいしそれもこの辺のように不公平なものでないなら容認される
金持ちでもパソコンを発明したジョブスとか何かそういう社会に貢献した人には文句は言わないのである。
江戸時代だったら庄屋がそれなりに裕福であっても村人は容認する、なぜなら庄屋とかは役所の代わりにもなっていたからそうなる、格式も必要になるからである。
殿様にしてもそれがある程度の贅沢は許されるのはそういう社会だったからである。
それは共同体の中でみんな了解して容認されるものとしてあった。


結局現代はそうした共同体の了解とか容認とかがない金だけが突出して力をふるう、それがこの辺では避難民だけが多額な金をもらったから回りでは不満になった。
でも今の時代はどうなっているかというと昔の村落社会とは違う。
避難民からしたらいくら仮設に住んでいても何かその土地の人に世話になることがあるのか?
確かに土地を借りたことは確かである、でもその他一体何か世話になったことがあるのか仮設を建てたのは土地の人でもないしみんな外部の人が来て政府とか東電の援助で建てたし、今は家建てるにもほとんど外部の会社になっている。外部から来た人が家を組み立てるだけである。地元の大工は多少補助役になっているかもしれないがその労働者も会社から派遣された人たちなのである。
だから仮設に住んでいても何か世話になることがありましたかとなる


もしそうでなかったら食料でも住む所すらなかったらいろいろ世話になることがあったろう。それもないとすると何か世話になったという感覚もない、金を出せば食料でも何でも外から入ってくるのだからその食料はもともと外部から入ってきたものが多いのである。それは国内だけではない、グローバルな世界経済となったときそうなっていたのである。江戸時代のような小さな自給自足の村落社会とはあまりにも違っているのである。
世界的に金が万能となってしまった社会である。
最初「十万で家事の手伝いでも頼む」と知り合いの人が来たが今や仮設に住んでいる避難民の方が雇う方になっていたのである。
普通だったらそんな避難民などありえないである。
それは現代の社会構造が反映してそうなっていたのである。


昔だと共同体というとき何か金だけでないつながりがあり共同体だった。それが確かに放射線の影響があったとしても町や村自体がばらばらになり崩壊して消失するということは現代が共同体というのがもうその前に崩壊していたから原発事故などを契機に崩壊したのかともなる
一億円もらって他で生活した方がいいと若い人たちは考える、それは別に故郷に固執するものがもともとなかったからだとなる。老人の場合はそこで長く生活したから愛着があるが若い人はそうでもない、別にいい暮らしが便利な暮らしができればどこでもいいというのが現状だったのである。
それは今はみんなが土地に愛着する農民でもないからそうなる


ある意味で逆に土地が奪われたりして自家生産できないと金が大事だとなる。
農家の人は今は何でも買うから野菜でもそうだし前は投げていたけどそいうことはできないとか言っている。
かえってより金に頼ることが大きくなっている。土地を奪われるとそうなってしまう
土地というのはやはり米でも野菜でも何かそれ自体が産み出すものをもっている。
土地をもたなければユダヤ人のように金だけが頼りとなるということはある。
ただ金が有効になるのはその金でサービスを受けられる社会である。
避難区域となったところはもうそこでは一億円もらってもそこに豪邸を建てても店もない、何かサービスも受けられないとしたらその金の価値もないのである。
だから一億円もらったらみんなかえって外に出て新しい生活をしようとする
結局金がかえって復興させないように働いた皮肉がある
金がかえって共同体のつながりをたち破壊したということがあった。
この辺はそうした様々な問題があらゆることで起きた場所である。
様々な現代社会の矛盾が具体的に現れた場所なのである。


このことはあとあとまでしこりとなる。なぜなら南相馬市民でも鹿島区や相馬市でも補償金をもらえなっか人たちは不満であり避難民に対して協力しないとなる
それは何か具体的にしなくても心でそういう思いがあるとき必ず影響する。
必ずそれがいじめとか具体的なものとして現れてくるから怖いのである。
人の思いは念は怖いものなのである。そういう思いや念を回りの人が抱いているということをやはり避難民も注意しないと危険になる
俺たちは別に世話になっていない、金もらうのも当然だ、何が不満なのだとなるとやはり避難民は回りからの冷たい視線をあびることになる
それはかなり住みずらいものとなる。現実にそうなっている。
避難民にはそういう自覚がないことも問題なのである。


もしこんなふうではなく互いに協力する関係になっていたら「土地の人には世話になった、その土地の人もあんたたちもがんぱって復興してくれよ、陰ながらも応援するよ」とかなっていた。それが地元でなくなってしまったことが最大の問題だったのである。
それは南相馬市でも行政の方で何も手をうたなかったことも問題だった。
せめて福祉関係だけでも鹿島区だったら公平にして援助すれば良かったのである。
それは政府とか東電とかは関係ない、市政の問題だったのであり市長の配慮がたりないとか政治的解決されるべきものだったのである。





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グローバル経済が普及したのはここ50年くらいだった (原発事故の前に故郷や田舎に生きる価値をすでに失われていた)



グローバル経済が普及したのはここ50年くらいだった


(原発事故の前に故郷や田舎に生きる価値をすでに失われていた)


●高度成長前は江戸時代のつづきだった


グローバル経済とか社会とか今は普通になっているけどふりかえるとそうなったのは50年前頃からでありそれまでは江戸時代のつづきだったということを書いてきた。
戦後十年くらいの団塊の世代の子供時代はグローバル経済とは何ら関係ないのである。
第一バナナ自体がこの辺で売っていないし高価なものだった。
それで自分の父親が病気になったとき仙台からバナナを買ってきたのである。
これをみてもグローバル経済など無関係だったし第一国内だってこんなに物が流通していないからみんな自給自足でありその延長だった。
国内自体でも江戸時代のつづきだったのである。それが何か錯覚しているのである。

要するに戦後十年くらいでテレビが売り出された頃から高度成長が急速にはじまったのである。それは二十年くらいつづいたが意外と早く下火になってバブルで崩壊した。
高度成長時代になったとき国内レベルで物が流通しはじめた。
物がない時代だったから物を置けば売れた時代である。
自分の家では店屋をやっていたから物を置けば売れたのである。
あの頃は子供多いし一番活気かある時代だったのである。
何か今になるとそういう時代がなつかしいとなる

店屋でも隣が魚屋だと豆腐屋だとか雑貨屋だとか小店が多かったのである。だから生活圏が隣であり狭い範囲で人は人が濃密に交わる社会だった。
それも江戸時代のつづきだったのである。
何か路地裏とかなると今はさびれて淋しいというか生活の匂いがなくなった。
人はそこで生活していても実際は買い物でも働く場も遠い会社や工場になっているからだ路地裏というときもう生活の匂いはない、下町というのもそうである。
そこには東京だったら工場があり生活の匂いが濃厚にあった。
つまりそうした中小企業とか小さな店とかあるのがその頃だった。スーパーもその時はない。だから地域から何か生活の匂いを感じないのである。
スーパーとかイオンに買い物でも集中して変わったのである。

高度成長の最初は国内で流通が盛んになった。でもその時はまだ車時代ではないからそんなに物が遠くから運ばれてはいない、その時は汽車から電車と変わった時代である。
それで駅にはどこでも引き込み線があり荷物をおろしていた。
そのために梱包するために縄屋とかあり自転車は汽車で運ばれたので駅前に自転車屋があった。
駅前通りがあり駅前旅館があった。駅前通りは駅ができて生まれたのである。

ふりかえるとグローバル化社会となるには一気になったのではない、路地裏の生活から
生活圏が拡大していったのである。まさに自分はその路地裏の店屋だったからそのことを実感できる。
それがスーバーに変わったとき生活圏は広がった。市町村内で広がったのである。
もう今になると村でも万屋とかはない、自分は阿武隈高原を自転車で旅してどこか浅川町なのか味噌汁をごちそうになったのを覚えている。
今の時代にそんなことをしてくれる人はまずいない、そこはまだ山の奥に残っていた万屋だったのである。だからそういう人情が残っていたのである。
町中だったら下町の人情とかあった。米でもオカズでも隣近所でやりとりして分け合っていたのである。
そういう狭い世界にはまたすべてがいいとはならない、いろいろ詮索されたりいきずらいことはあった。
でもそういう狭い世界からグローバル世界になったのである。
だから原点にもどって今をふりかえると今が見えてくる

●グローバル経済化すれば金が唯一の価値となる

なぜ原発事故で町や村まで住めなくてり荒野化したのか?それは原発事故の放射線のためであることはわかっている、でもそれだけなのかという疑問なのである。
それは明らかにグローバル化した世界経済化した社会になったときそういうことが起こりやすい下地ができていた。
つまりグローバル社会とは金がドルがアフリカの果てまで奥地まで通用する世界である。これはいままでにはありえないことだった。
アフリカの奥地を旅してドルでも金で買える通用していることはありえないことだったのである。そんな社会は歴史的にもありえなかったのである。
アメリカが世界を支配しているというときドルが世界で通用しているということにある。ドル札を発行しているのはアメリカでありアメリカに金融が支配されるのは当然だとなるそして紙幣というのは必ずしもそれと対価なものが物でも何でもあるわけではないのである。ドル札はアメリカのさじ加減でいくらでも刷って世界にばらまくことができるのである
そのドルが通用しているのはアメリカが世界を支配して信用されているからである。
それは円でそうでありそれは日本という国を信用して円を買っているのである。
その信用の土台に紙幣がありそうでなければ紙きれにすぎないのである。
だから信用を失えばたちまち紙きれになるのが紙幣である。
それは日本が戦争に負けたとき本当に紙幣は紙きれになったことでもわかる。

グローバル化はまず国内で起きた、次ぎに世界と広がった。それはどういうことかというと日本国内で流通が盛んになり交流が盛んになるとき婚姻関係も日本全国になる。
九州や北海道でもこの辺から結婚しているし外国まで婚姻関係が広がる。
それも国内で流通が盛んになったから起きたことである。
なぜ原発避難民が全国に散らばったかというとやはり婚姻関係がそれだけ全国的になったからである。結婚した先に頼るというのが多いから
である。

そういうふうにすでに自給自足とか狭い範囲での生活ではない、全国的に婚姻でも広がり物流でもそうである、そういう延長としてグローバル経済になったのである。
グローバル経済になるとどうなるかというと極端な話が金持ちは日本では税金がとられるすぎると海外で暮らした方がいいとが貯金が海外に投資した方がいいとか金が海外に流出して人すら流出してゆく、それは日本だけではない、中国の金持ちはアメリカに国籍をもつためにアメリカで子供を産むことをしているのもそのためである。

つまりグローバル化とは国すらこだわらない社会になる。多国籍会社というのもそうである。だから愛国心とか土地への愛着も希薄化してゆく社会である。
グローバル化はだから土地に根ざす文化を破壊するのである。
食文化でももともとその土地に根付いて育まれたものがみんな同じものとして規格化される、ハンバーグをみんな食べるというのもそうである。そこに土地の料理が喪失してゆく
原発事故でなぜ町や村の全部が捨てられて国内に散らばりもう帰ってこないというのはそういう素地ができていて原発事故が引き金になってそうなった。
だから原発事故だけに原因があるとも思えないのである。
一億円もらえばこんな不便な所に住んでいない、そんなことを日頃から考える若い人もいる。故郷に執着するのは老人はそうでも若い者はそうではない
若い人は姑と一緒にいるのも嫌だとかこの際別々に暮らした方がいいとなる
それは金があれば今はどこでも生活できるからそうなる
それが極端になると外国でもいいとかなる、現実に老後は物価の安いタイとかフィリンピンで暮らそうとなり現実にそういう人もいることでわかる。
金が通用して大きな力もどこでももつからそうなる。


第一一億円もらってもそれが今や避難区域の荒廃した地域にもどっても何らその金は活きてこないのである。店もない、何かサービスしてくれものがない、荒野に一億円もってきても何の価値もないとなる、すると当然金をもらったら外で生活した方がいいし荒廃した故郷を建て直す気持もなくなる。それはかなりの苦労を強いられるし老人にとっても若い人が流出しているのだから帰って金があっても楽ではない
サービスしてくれる人がいないのだから金をもっていてもどうにもならないのである。
今はどこでも人手不足であり建築関係でも人が集まらないくて会社まで倒産している、会社を作れないとかなっている。
そこでいくら金を出してもいい人材が集まらないとなる,人材そのものが不足しているのである。そもそもあらゆく分野で人材は簡単に作れない、一朝一夕に作れない
医者などは特にそうである、これも相当な経験が必要だし他の仕事でも簡単にできないものがある、簡単にてきるものは派遣とかパートとかあるが人材は簡単にどこでもえられないのである。
金があればどこにでも住んでいい、日本にこだわる必要もない、世界のどこでもいい、あなたの行きたいところ行きなさいとかなる
ではそういうグローバル経済社会というのは人間にとっていいものだったのか?
なんでもいい面と悪い面がでてくるからいちがいには言えない
でもこの辺のことかかから考えるとグローバル経済社会の負の部分が大きく出たのではないか?

●故郷とか田舎に生きる価値を見いださないと他でも同じ結果に

そして故郷とは何なのかということが問われたのである。
そんなこと普通は考えない、当たり前のものとしてあるものだった。
それが住めなくなったとき考えるようになった。
故郷より金だよというのがそれまでもあり今それが現実となったのである。
別に原発事故周辺でなくてもそういう社会なのだからその素地があるからそうなりやすいのである。
だから故郷にはどんな価値があるのか?どういう価値があるのかということが問われる
一億円もらったら故郷に住む必要などないとなれば故郷は金に換算すればそれだけのものとなる。原発事故前からそうだったら別に故郷がなくなっても嘆く必要はないとなる
かえって一億円もらって外に出て新しい生活をした方が良かったともなるのである。
でもそもそも故郷とといっても原発事故前から農業はだめだ、子供に農業だけはするなと親に殴られたとか漁業にしても実際は成り立たない、東電からの補償金で成り立っていたことがわかった。
例えば川内村でも三分の一は原発関係で働いていたのである。
そして結果的に市町村が東電の会社の社員になっていたということも事故でわかった。
東電とはそれほど国家並みの巨大な会社だったのである。
その東電によって町も村も買われていたともなる。東電に町や村自体を売っていたともなるのだ。漁業などはあれだけ補償金がでるのだからそうだった。
農業にしてもこれももうやっていられないとか後継ぎがないとか崩壊寸前だったのであるだから原発事故がありそれが契機となって崩壊したとなる

つくづくだから一体故郷といってももともとそうして故郷にどんな生きる価値を問う人などいなかった。そこにあるのは故郷に田舎に生きる不満しかないのである。
だからこそ原発を誘致して金になることを選んだのである。
金の社会であり金になればなんでもいいとなれば当然そうなる。
故郷に生きる価値がそもそも認識していなかったのである。
自分の相馬郷土史などは郷土の価値を全体的に追及したものでもあった。
そこに芸術がありそれも追及してきた。
それを今詩などにまとめつつある。自然とその土地と歴史と一体化することがアイディンティティ化することが自分の価値だった。
だから故郷にある一つの石でも樹でもそれは自分にとって精神的な価値がある
ただ物として材料としてではない、精神的なものとして価値がある
それを詩にしたのが自分だった。まだその全容は示していないがそうだった。

では他の人はどういう価値を求めたのかというと農業でも漁業でも何でも経済的価値でしか計られないのである。そうすれば故郷の価値は工業とか比べれば格段に今では低いものとなるからそもそも故郷に生きる価値を見いだしていなかったとなる。
そうなら一億円もらって他で都会でも生活した方が便利だとなる
ただ農業をしないで稲刈りしたとき喜びがあったと、魚をとったと喜びがあったということでその価値を再認識した人はいた。でも経済的には収入では常に不満であり経済的に価値を認める人はいなかった。
TPPとかなるとますますそうである。農業はやらずに外国の米でも輸入した方がいいとなる。
何かそうしてこの辺はTPPを実現するのに適した地域になったのである。
農業でも漁業でも壊滅すればそこはもう零細な農業や漁業はやめて別なもの,工場にしろとなる。アメリカなどは農業国だから米でもやすく売りたいと思っているからである。
では農業とかなくなった田舎は故郷なのか?何かそれも問われているのである。
グローバル経済はTPPのように必然的になってゆく、そこには例外はない、食料もそうなってゆくのである。
この辺はともかく生きることの根源的なものが問われている場所である。
第一故郷は何かなど問うことなとありえなかったからである。








posted by 老鶯 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連