2015年11月01日

山里の昔を偲ぶ詩 (栃窪村をイメージして)


山里の昔を偲ぶ詩


(栃窪村をイメージして)

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山よりの清き流れ 家の前にあわれ
洗い場ありて 日々の暮らしや
薪積みて 冬支度かな
秋の日静か 山里の昔を偲びぬ


その時、街はここより遠し
何もて行かむ 馬やリヤカーや
車なければ ここより遠し道
橋とてあわれ 木の橋ゆれぬ


炭焼きの烟は上り 街に炭を売る
街とて貧し 裸電球一つ
北風吹きて トタン屋根
炭にし暖をとり 寒しかな

その昔 街にし何を買ふ
ランプの油 近くにすむも
ランフの掃除、その灯し
暗き夜かな 藁葺きの家


山里に水車は のどかに回りぬ
その時の刻みの ゆるやかなれ
秋の日はさし 家々はまばらに
落葉を踏みて 山里は暮れぬ

薪を積む家や 鶏は放たれ歩み
清らかに水は流れ 洗い場あり
その流れの奥に 何かあれ
ひそけく野菊の残り咲くかな

街より遠く 医者とてなしも
救急車も来たらず 病になれば
ただ道の辺の 地蔵にすがり死ぬ
誰が墓やあわれ 村に残りぬ

流れの奥や 何かあれ
隠さる石は黙して 冬の日さしぬ
清き流れはひびき ひたすら黙す石
雪はふりつつ 春にも残る雪


ああ 貧しくも その村の暮らし
今はなつかし 便利なるも
今の暮らしは 何か平和なしも
贅沢なるも 不満のみぞ多し

汝いづこに憩わむ 満ち足りむや
便利なるも 贅沢なるも
人の心は荒れて 平和なしも
今原発事故に 荒れ野となるも悲しも

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これは栃窪村をイメージして作った。何回も書いたけど戦後十年くらいの生活は江戸時代のつづきだった。その時子供だったから貴重な経験だった。
それ以後急速に高度成長になり変わってしまった。
こうした暮らしは別に日本だけではない、世界中で同じである。
インドでは都会でも炭を今でも使っているが一方で牛の糞とかを街中でも利用しているし家では白黒のテレビでゲームをしていたし路地裏を野良牛が歩いている
インドでは現代と昔がまだあり混沌としている

栃窪村は街からするとその時は遠かった。なぜなら馬とかリヤカーが運搬手段だとするとかなり街に出るのは遠くなる。ただ炭焼きをどこでもしていたから街でその炭を売っていたから運んでいた。
これは日本中どこでも同じだった。つまり炭がエネルギーの基だったからそうなる。
ガスも石油も電気も燃料ではない、葛尾村などは電気が来るのはかなり遅かった。
それはネパールなどとにていた。電気がともらない村があるのだ。
そこの暮らしは当時とにていたし今でもそういう場所が世界にはある。

ともかく昔のことをふりかえると不思議になる。水道もいない、電気製品もない、舗装もされていない道とか橋でも木の橋でありそれが何かゆれて危険だったのである。
真野川にかかった橋もそうであり橋はみんなそうだった。だから洪水で木の橋は流されやすかった。それで江戸時代の野馬追いの行列では橋のない川をわたる絵が残っているのもそのためである。
道は舗装されていないからでこぼこであり自分は子供のとき家で店屋をやっていて農家に卵を買わされた、その自転車もいいものではなくどうしても糠に入れた卵が一つ二つは壊れるのである。それは道が悪いのと自転車もいいものではなかったからである。


今からするとこうした体験は不思議であり団塊の世代とかはみんなそういう時代に生きていた。何か団塊の世代は贅沢した時代とかみられるけど子供時代はみんな貧乏だった。
ものもないし電気製品もないし便利なものは何もない時代だった。
かえって農家の方が食料などでは贅沢していた。自家生産だからそうなった。
そもそもまだ物がない時代だからそうなっていたのである。
江戸時代は遠い昔とイメージするが戦後十年くらいは江戸時代の延長だったのである。
自給自足であり村はやはり江戸時代の村とたいして変わりなかったのである。
だから救急車など病気になっても来ない、そもそも車がない時代だからである。
ということは医者にもかからず死んだ人が多いということになる
地蔵などに祈り死んでゆくほかなかったのである。
そうなると長生きするのは無理だから60前で死ぬ人も多かったろう


そういう暮らしは村に閉ざされてなかなか外に出にくい社会である。何か鹿島の横手の人が相馬市に梨を売るためにリヤカーで運んだというのを聞いた
馬の肥料の草を橲原まで行って運んだというのも聞いた。
リヤカーが運搬手段だった。それも一日かかりなってしまうだろう。
確かに汽車は通っていてもそれで物を運ぶというのは遠くからのものだろう。
近くは馬とかリヤカーとかになる
そうなるとどこでも街から離れれば村は遠くなるのである。
おそらく経済でもせいぜい相馬藩内とかの経済だった。
今のように世界まで経済は広がるのとは大違いである。
身近にあるもので暮らす他ないのである。
ただそういう暮らしをふりかえるとき何か牧歌的に平和な暮らしだったなと思うのも不思議である。
それはその当時の負の部分が見えずただ過去を回想するからそうなる
医者にもかかれず死んでゆくのは辛いことだったというのもそうである。


それでも何か昔の方が人間的な暮らしに見えるし人間も素朴だっただろうと見える
現代は確かに便利に贅沢できるのだけど人間はかえって欲深くなりそのかえって満足できない、欲が世界大に広がったともなる。
その欲が拡大した結果、原発事故が起きたともなる。原発はこの辺では欲を満たすものとしてあった。原発は金になるから誘致したのである。
そして回りは荒野となってしまったのである。





タグ:山里の詩
posted by 老鶯 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

大量に墓も捨てられる時代 (墓を守りつづけるのはむずかしいー立派な墓はいらない)


大量に墓も捨てられる時代


(墓を守りつづけるのはむずかしいー立派な墓はいらない)


実家の墓は墓しか残っていない、その家を継ぐべき人が死んだとき、「墓を守ってくれ」と言い残して死んだ。でもそれを引き受けた人は今になるとあとの処理をどうするのかという問題に直面する
墓は一時崩れるような状態になり70万で直した。そのあとに3、11の地震が来たのであのままだったら壊れた。
まず墓というのは守りつづけるのが容易ではないのだ。
でも墓はまた簡単に捨てることもでないのである。
でも墓を守るものがいなくなればいつまでも放置しておけないから捨てることになる
それでどこかの島に墓石が大量に捨てられていた、その中には元禄時代のものもあった。おそらく元禄時代ともなると誰もお参りするものなどいなくなっていたろう。
最近は少子高齢化で家の跡継ぎすらいなくなり膨大な空家にも困る
日本が急激に人口もへり経済も縮小してゆく時代なのである。


墓というのは代々つづく家がないと誰もお参りしない墓になる。それをそのままにしておくこともてきないから捨てるのである。
でも墓を捨てるということかなかなかできないから放置されたままにもなる
空家でもそうである、誰も住んでいなくても放置されている
それで市では空家でも壊す権利がある法律が生まれたのもわかる
墓は空家よりもやっかいなことがある。
墓には霊魂が宿っているとか何かものとして簡単にかたづけられないのである。
だから墓を立派にするのは代々つづく家でありつづかない家は墓は粗末なものでもいい
立派なものにしたらあとの処理が誰がするのかとなる、それじ自分も失敗した。
墓を立派にすれば供養になると思う人がいるが後継ぎかなければ邪魔なものになってしまうのである。


つまり墓は代々つづくものとして建てられていた、それが少子高齢化とか核家族とか家族が分散して遠くになるとかいろいろな事情で代々受け継がれる墓は少なくなった。
だから大量の後継ぎもない墓が増えてその処理に困っている
それで島に墓の墓場ができてしまったのである。
核家族とかなるとまた墓が次々に増えた、家が増えたのと同じである。
今は家族が一カ所にとどまらずばらばらになりやすい、すると墓でも後継ぎがなくなる
そして墓は簡単に捨てられないとか残された墓をどうしたらいいかと大量に捨てられたのである。
だかち「墓をも守ってくれ」とかたいした金でもないのに引き受けるとその責任も重くなる。墓というもきを簡単に考えるからそうなる


ともかく墓ということ自体が問題になる時代である。それは時代であり少子高齢化であり社会の変化で家族も変わってしまったからである。
江戸時代の武家だったら時代も変わらないから代々守られることがあるし現実に寺はその墓を守る役だったのである。
でも不思議なのは明治時代のようにな佐藤家とか、、、、家とかの墓がなく名前が記された個人墓である。家族の墓は明治以降にできたものであり新しい墓の形態だった。
だから時代が変われば墓の形態も変わるのである。
江戸時代はまず庶民は墓をもっていない、ただ江戸時代後半から裕福な人がでてきて農家でも個人墓に名前を記したものができた。そういう墓は残っている
大方の庶民の墓は残っていない、明治でも多かったのは家族の墓てはなく夫婦の墓であり江戸時代にもあった。家族墓は新しいものなのである。


明治以降は今は簡単に墓を作りすぎたのである。誰でも作れるから作りすぎたのである。結果的にそうした墓の始末に困っているのだ。そんなに墓ばかりふやしても後の処理に困るのである。
なんか卒塔婆のようなものを建てていた方が良かったように思える
キリスト教なら十字架一本が建っている、そういう簡単にした方があとの始末も楽である立派な墓にするともし後が継ぐものがなければ壊すこと自体が一仕事になり金もかかるとしたら一体誰が金を出すのかとなる。
「墓を守ってくれ」というより墓を壊す金に使ってくれともなる
現実的には実家の墓はそうなりやすいし他でもそうなる墓が膨大に増えてくる
個人墓にしても一体その跡を誰が守るのかという問題がある。

ただ墓というのはいろいろなものがある。それがすべて壊して処理するのがいいとも限らない

沖縄南部の米須という集落に行くと、畑の中にブロック積みの小屋があり、中に位牌が祀られています。聞くと沖縄戦で一家全滅した家を、地域で祀っているのだそうです。

そして私は沖縄南部に八年暮らし、なんども糸満の平和祈念資料館を訪問し「平和の礎」に刻まれた人々の名前を見て回ったことを思い出した。
 これの施設も、広義には墓と言えるだろう。そこで重視されているのは遺骨よりも名前であった。あそこでは沖縄の戦禍という、ある共同性が示されていた。
 死者の名前というのはなんらかの共同性のなかで、継がれるものなのではないか。。


こうして歴史を語る墓もあり地域で守っているのは意義あることである。
自分も墓を見て歩き郷土の歴史をに興味をもったのである。
なぜなら墓というのは何かそこに現実に人が埋まっているというので無味乾燥な資料とは違うからである。
そういう点ですべての墓が壊して処理していいとはならない、でも一般的にもう墓が増えすぎるからどこかで処理する他ないのである。
墓より名前だとというのもまた言える、名前のない墓のことを書いたがこさも奇妙だった名前がないということはその人の個性とか実体までないのかとなる
その家で不詳の息子であり名前を記す金がないから親の名前を墓に記していないのである

沖縄では最近死んでわからなかった人が発見されて名前が記されたりしている
あれも一つの墓の形態であり共同墓地なのである。
でもいつまでも陸軍兵長とかなんとか戦時中の軍隊の位を記した墓がある、そういう墓に何の意味があるのだろとなる、今になるとそんな位は意味ないのである。
その墓が大きく目立つのはそれは戦没者として戦時中で国家が名誉を与えたからそうなっていた。今はなにかいつまでもそうして陸軍兵長とか目立つてども何か嫌悪感を感じるのである。墓というのはやはり何かあまり目立っても嫌なものを感じるのも不思議である。何か粗末な墓で人知れずうもれている墓にあわれを感じたりするのである。
権力者が大きな威圧的な墓を残すのも嫌悪を感じるのである。


墓とは結局古い家が壊され新しい家が建つように壊れされて処理すべき運命にある。
そうしなけれは墓だらけになってしまうからである。
ただどの墓を残すべきかとかは判断はいろいろあるが家族墓となるとどうしても後継ぎがなくなればお参りするものもなく荒れ果ててしまい邪魔になるのである。


だから墓は卒塔婆のようなもの十字架のようなものでもいい、すぐに処理できるものの方がいいとなる。石の墓だと取り除くこと自体手間であり金もかかってしまうからである。ただ墓に墓の役割がありこれも簡単に墓を軽視できないものがあるからやっかいなのである。
人を見るとき頻繁に墓参りする人は故人を思っている人なのことがはっきりわかる。
でも息子でも娘でも墓参りしない人は親を思っていないのである。
なぜこの人は墓参りするする気にならないのかとわからない人がいる
おそらくあまり親のことは思わないのだろう。親に苦労させられた人はそうなるかもしれない、墓参りしようとせずなぜ金ばかり要求するのかとなる


ともかく人間は死んでしまえば忘れ去られるのが早い、親でも子は忘れる、そして遺産ばかりを気にする、それがこの世であり無常である。だから死者を思いつづける人はその人を相当に思っていた人だとなる
墓参りしなくてもいいし死者は無言であり語りかけることもしない
墓参りしてありがとうなどとも言わない、何の返事もないからである。
墓参りすることはそういうふうに意味があることである、だからそのことを否定はできない、ただ後継ぎなくなるから立派な墓はいらないとなるのである。
粗末な墓でもむしろその墓に参る人の気持の方が大事なのである。
気持がなければ墓参り自体しない、親に苦労させられ人は毒親に育てられた人は死んでもあまり情がないことはしょうがないことである。


後継ぎかない墓はふえるというとき墓参りは必要でもその跡が簡単に始末できるのがいい親か死んでも子供が知っている人が生きている間は墓参りはする
その後となるともう少子高齢で核家族で分散化するからもう長くはできないのである。
家が二代とか三代くらいで終わるのが増えてくるということである。
だからそれに見合った墓がいいとなるのだ。立派な墓はいらなかったのである。



墓が捨てられる
〜無縁化の先に何が〜


「古石材預り所」と称する管理者(52)によると、中四国や関西の寺から撤去された墓石を石材店などの業者が持ち込んでくる。家庭の事情で墓を引き払い不要になった墓石のほか、無縁墓もある。1基1万円で受け入れ、最近は年300基ほど集まる。「ここ数年でどんどん増えている。もうけはないが、やめたくてもやめられない」。まだ9万基収容できるという。


posted by 老鶯 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題

2015年11月02日

抽象画ー様々な流れ(many streams)



(抽象画)様々な流れ(many streams)


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photoshopはなれるのは相当時間がかかる、でもなれてくると抽象画を作るコツがわかる
ソフトはなれであり回数を多くして試すことである。
この作業は機械的なのであり何か独創性が感じないのだけどできるのはやはり一つの創作品なのである。


オランダはうまくいった。確かにこんな感じである。
何か抽象画でもそれにふさわしい具象の対象を求めて操作している
そして偶然にこれは、、、、、だとなるのが多い


でも流れであり風であれやはり自然の反映があり抽象画でも自然界にあるものであり具象画であれ現実にあるものの反映であり何かわからないとなると鑑賞もできないことはある

タグ:様々な流れ

2015年11月03日

墓も無常をまねがれない (永代供養は無理である)


墓も無常をまねがれない(永代供養は無理である)



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海老村ー村は津波で消失して墓地だけが高台に残った



墓が何かというとき墓もやはりこの世の変化とともに変わるということである。
人間の世界は常に変わっている、だから墓も変わるのである。
墓は変わらないと永代供養とかの考え自体が間違っていたのである。
永代供養などできるのかとなるとできない、それは寺でそう言っていてもできない
それも一つの金儲けとなっている。
やがて経営が苦しくなりもしかしたら寺もつぶれて売られるかもしれない、寺は今すでにそうなっている。何のために寺があるのかもわからない。
死者の供養など永代にできないのである。


親くらいだったらできるがだんだん時間がたてば親すら遠い存在となってゆく
それをましてや他人が何のゆかりもない人が供養などてきないのである。
だから墓も無常をまねがれない、墓も人間の無常を前提にして作るべきなのである。
大きな立派な墓はいらない、卒塔婆や十字架で十分だとなる、それなり簡単にとりはらわれてまた利用できるのである。
墓参りでもだいだい普通は祖父母まででありそれ以上は知らない人が多くなるから墓参りなどしないのである。
ただ代々つづく家は立派な墓でもいいがではそうした家でもどうなるかわからないから無常の世だから永代に供養できない、そもそも永代供養という考え方自体間違っているのだ

まずこの世の中がどれほど変わるものがこの辺は津波と原発事故で見せつけられた。
津波では村自体が消失してなにもない、これも信じられないことである。
海老村では高台の墓地だけが残り村は消失してしまった。
あれをみていると何か奇妙なのである。
そこで思うことは墓は津波で流されてもいいが村は残るべきだったとなとつくづく思う
墓地が残っていて肝心の村がなくなったら何にもならないのである。
それと同じように墓は永続するものではないしやはり無常だからいつまでもあるものではない
何か墓はいつまでもあるという幻想にとらわれているのである。
家だったら40年くらいで古くなりもうリホームしたり壊さないと住めなくなる。
墓だってやはりいつまでもつづくものではないのだ。
つまり立て替えが必要だし人も変わるのである。
そういう前提にして墓も作っておく必要がある

草の戸も住替る代ぞひなの家 芭蕉

家もそうなら墓だってそうである。常に変わるのがこの世である。何一つ同じままになっていない、街自体も変わるし街や村まで消失するのだから墓も変わる
この世に永続するものはないのである。
例えは古い碑などは何か歴史の記念であるが個々人の墓はみんなそうではない
墓に対してみんな先入観があり墓は何代もつづいて当たり前という考え方が間違っているその考え方を改めれば墓をどうするかという答えもでる
墓がなくてもいいとか自然葬でもいいとかいろいろでてくる。
それは墓も長くつづかないし供養しつづけることはできないということである。
「墓を守ってくれ」と頼んでも哀願してもこの無常の世界では守ってくれないのである。母方の実家の墓は後継ぎがいないし一家離散のようになったからそのために長男だった人は墓だけ手も残したいと思ったのかもしれない。
そんなことを言ったてとてもこの無常の世では墓も無常なのである。
だから大量の墓が捨てられるというのは時代なのである。
ただ元禄の墓とかなると東北辺りではめずらしいから捨てないだろう。
西では歴史が古いからめずらしいものではないのだろう。


墓は結局明治以降から高度成長と核家族になり増えすぎたのである。
そんなに墓などいらないのである。墓で金儲けしようとしているのはカルト宗教団体でも寺でも同じである。葬式とかもそうでありそういうものは簡素な方がいいのである。
そんなところに金かけるより別な方に金をかけた方がいい
先祖が喜ぶというときではそんなに頻繁に墓参りしている人がいるのかと言ったらいない一年にせいぜい彼岸とかお盆にするだけである。
だから葬式とか墓に金をかけるのは無駄である。昔と今は違う。昔は火葬場がなくて野原で焼いていたから葬式は大仕事になったから村八分でも葬式はそうではないというのはそのためだった。自分の父親も野原で薪を積んで焼いていたからすさまじかった。
そういう時代とは今は違う、もう簡単に火葬場で5分くらいで灰と骨になるのである。


とにかくこの世にあるものは無常をまねがれない、今日あるものが明日あるとは限らない、その無常をこの辺の津波や原発事故でまざまざと見た。
津波を経験した人は金はもたないとか言っていた。家も何も流されて家族までなくなったらそんな考え方に変わってしまったのである。
何ももっていても金をもっていても流されてなくなる、金をためてもしょうがないとなってしまったのである。
江戸時代に江戸では火事が多かったから長屋住まいの人は物をもっていないから身一つで逃げた、何も持ち出すものもないから気軽であり燃えた跡にはまた家が建ち景気よくなったと言われる、何かありすぎるこまるのである。
墓もそうだがの始末なども困る、後継ぎがないとなる息子でも娘でも別所帯になるのが多いから余計にそうなる。


空家800万軒というのも今やあるものが重荷となっているのである。
これは老人になるとあるものが重荷になることが多いのである。
そして捨てられなくてゴミ屋敷になって死んでいた人もいた。
老人になると何でもシンプルだといいのである。
認知症の介護だと狭い部屋だと管理しやすくなる、忘れてもすぐ見つけられるかである。自分の家は二階があり広いから家族が認知症になったとき苦しんでいたのである。
二階に着るものを自分が置いて忘れていてどこにいったのとか盗まれたとか騒いでいた。そして泣いていたのである。これも家が広くて管理できなくなったのである。
こういうことは普通の老人にも起きてくるのだ。
家が広いと管理できなくなる、掃除でもかたづけても大変になるからだ。
狭いところだと整理しやすいが広いと整理とか掃除しにくいのである。


ともかく永代供養など無理である。それも寺の金儲けであり永代に供養などできない
この世が無常であるときその無常に誰もさからうことはできない、人は次ぎ次ぎに死んでは変わりあらゆるものが変わってゆく、だから変わること無常を前提にして墓でも作るべきだとなる
結局家でも最後は簡単に取り壊される鴨長明のようにな方丈の家の方がいいとかなる
その家は何か持ち運べる、移動できる家だったらしい。組立式の家の方がいいとかなる
ゆうすれば壊す手間もなにもいらないからである。
まさに草の家であり昔はそういう暮らし方が多かったから気楽だったともなる





タグ:永代供養
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2015年11月04日

天寿を全うするとは (長生きするのもいいが人生の質も大事)



天寿を全うするとは


(長生きするのもいいが人生の質も大事)


人間の不思議は死ぬときになると認知症でも一時正気にもどる。母も百歳で死が近い。
食べられなくなれば衰弱して死んでゆくという、最後は食を受け付けなくなる
水さえ飲まなくなる
そして俺はもう死ぬんだとしゃべれなちなるんだと言って大声で葬式に誰が出るんだとか金をおろしておけ、贈与税がかかるとか孫に金をやれと金のことを言っていた。
前は大金盗まれたのだが笑っていた。もともと店をやっていて十円と二十円の商いにこだわる人だったのである。
その後も金にこだわる人だった。でもその人は大金を失って笑っていたのは認知症になったからだと思っていた。
認知症になっても金にこだわる人はこだわる


ただ贈与税と言うのは普通は認知症ではありえない、特に金のことがわからなくなるからだ。
だから死ぬ前正気にもどりその人の伝えたいことを言うから人間はもうこの人は何もわからないとはならないから最後の対処は本当にむずかしい
姉の場合は意識不明になる前に戦争のこととあとは家族の不和があったが頭を下げてうなづいたからわかってくれたということで自分は本当に救われた。
ひどい重症の認知症だったからわからないと思っていたのである。
明らかに認知症でも正気にもどるときがあり特に死ぬ前に正気にもどることは確かなようである。


自分の家族は普通の家族でなかったけど何か最後に和解してくれたので救われた。
だから人間の最後は意外と大事なのである。恨みをいだいて死んだ人もいりそれはあとあとまで尾をひく、墓参りするにもする方も何かしこりを残し素直にできなくなる
それで介護というのは苦しいし嫌なのだけど恨まれたりするとまたそこでしこりを残しあと死んだとき困るのである。
でも介護でも十年とか二十年までしている人が現代ではいる。
介護は今はいろいろ手当てするから長くなるのである。もう自分も二人分で十年になる。二人になったら当然十年にはなる、一人でも二十年にもな人もいる
こうなると自分の人生すら奪われるから悲劇である。


そして天寿を全うするというとき長生きした人はそう言われるが必ずしもそうではない
もちろん自分の家のことで長生きしたことによって自ずから解決したことはある
徳川家康は信長や秀吉のような天才ではなかったがただ長生きした結果天下が転がり込んだのである。家康にはそれほどの才能はなかったのである。武田信玄も病気になり早めに死んだから天下はとれなかった。
でも長生きすることによって勝利者になるということもある。
だから長く生きることにはそれなりの意味はある。


でも長生きしたから天寿を全うしたのかとなると必ずしもならない
自分の母親はただ苦労の一生だった。ではその苦労した人生がすべていいとかならない
最後に金のことにこだわるより何かこの世のものにこだわるものがないのかとなる
最後は庭の樹などいらないとか大騒ぎしたり何一つ花でもきれいだとして見ない、それもそういう環境で育ったためにそうなった。
ただ働きづめの一生で長く生きたということである。
その一生が天寿を全うしたのか?まるで奴隷のような一生だった。
そういうふうに強いられたこめでもあったがそれがとても人間の天寿を全うしたとは思えないのである。
その人生の中味からみればそうなる。


天寿を全うするということはどういうことか?それはその人なりの個性を発揮して生きたということである。特に男の場合はそうなる。
だから自分などはあと十年くらい生きれば天寿を全うしたことになる。
いろいろ作品も残せるし旅の人生でも遊びでも十分にしたからである。
自由に生きられたからそうなる。何かそこに不満がない、そして自分の場合は世の中の汚れに染まらずにすんだから晩年に心が澄んだ状態になった。
この世の汚れに染まってしまうのが普通である。その人は晩年になったら真善美が見えなくなり心もゆがんでしまう。そういう人は長生きすることは苦痛にもなる
何も美しいものが見えないということはもう地獄にもなる、長生きしても苦しいとなる。そういう人はただ苦々しいこととして人生を回顧するだけになるだろう。
もう取り返しのつかない人生を悔いることしかなくなる。
そして人生はやりなおせないことの厳粛さを知るのである。
なんて自分は軽薄に生きてきたんだろうかと嘆くのである


人間には一生といっても家族の人生があり個人の人生があり故郷とかある場所で長く生きた人生があり今なら会社で働く時間が長いから会社人生になる。
だから癌とか病気になったとき会社にもう一度行き仲間と会い仕事したいというのもわかる。会社にそれだけ愛着があるのはそこで働いた時間が長いからである。
故郷に愛着があるというときそこに生きた時間が長いからなのである。
だから老人は故郷であれ長くいた場所でも長くつきあった仲間といたい離れたくないとなるから原発事故で故郷を失った人は悲劇だったのである。


ともかく現代は介護時代である。その期間が長すぎるのである。天寿を全うすることはいいではないかというがその負担がすでに家族だけではない国単位で膨大なものとなっている。自分の場合は若いときに介護されたら恨んでいた。50代でもそうである。
50代で海外旅行したからできなくなったから恨むだろう。
自分は自由に活かされたから恨むことはない、他の人は40代であれ50代であれ介護になるとその期間が長いから人生が奪われるのである。
そこが介護の一番の問題なのである。自分も十年間追われつづけたからである。
もっとひどくなったら家から出れなくなっていた。
三食ご飯をたべさせている人もいた。そうしたら一日かかりきりになるのである。
24時間はなれられない、夜まで認知症の人は見守っていなければならないとかその負担が大きすぎるのである。
そして家族が少ないのだから誰か一人に負担がかかってくる。
交代できないことは息抜きもできない、外にも自由に出れなくなるのである。
介護した人は多いがたいだい長いからもうかかわりたくないとかなっしまうのもわかる。自分は十分にやったとなりかかわりたくないとなる。
だから介護時代は何か社会でも工夫が必要になる。
でも介護は在宅にしろとかかえって家族の負担が増す方向にしかなっていないのである。

いづれにしろ急激に死ぬのと徐々に弱って死んでゆくのはは何か違う。
死ぬまでいろいろ考える余裕もあるし準備もできる、急激に死ぬと混乱するのである。
でも一回経験しているからその点は楽である。
人間は何でも経験していないととまどうのである。
そして意外とインターネットは緊急のとき役に立った
前の姉は重症な認知症に突然なったのである。
その時暴力になったし妄想にもなった。それで何が起きたのかわからず恐怖した
精神錯乱状態になったからである。その時誰も助けてくれない、認知症は医者すら対応できない
それで暴れたときとか妄想をみるときは何を言ってもだめだ、落ち着かせるのがいいと書いてあったのを見た。
そして相手の目を見て落ち着かせることだと書いてあったのを実行したら効果があった。なかなかその時相手の目をみて落ち着かせることは怖くなりできないこともある
一人はできないから介護ができなくなったのである。


今回も老衰死とはどうなるのだろうかと調べたら食をうけつけなくなる、水すら飲まなくなる、最後は食べ物をとる力が体になくなり眠るようになる。
そして衰弱して死んでゆくのが老衰死だと書いてあった。
それもそうなんだと見ていると納得した、人間は最後どうなって死んでゆくかわからないやはり死ぬ前に人は心にあることを言い残して死んでゆく
これも不思議な現象である。その後はしゃべる力もなくなり死んでゆく
ともかくこれからつききりになる、母はいつも眠るように死んでゆきたいと言っていた。それが死ぬときかなえられるのか?見ているとそんな感じになるから最後は死ぬときだけは楽なのかなとみている

タグ:天寿
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2015年11月05日

人間の経験は限られているから困難に対処できない (相手のことを理解できないから同情もしない)



人間の経験は限られているから困難に対処できない

(相手のことを理解できないから同情もしない)


人間の老人になればわかる、個々人で経験することが極めて限られている
ほんのわずかなことしか人生では経験できない、それぞれの一生でもそうである。
だから原発事故のとき、吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったというのは
外部から見ればそいなことがあるのかと思った。
普通だったら外部から見れば所長となれば全体を指揮するものだからそれを知らなければ指揮しようがないからだ。
管首相が理系の大学をでて原発も知っていたから「自分は原発を知っている」と叱咤して命令した。でも実際は原発のことをすべて知っていたわけでないから過ちがあった。
旭化成の社長でも薬学部出身であり建築のことは門外漢だとなって指揮はできない
もう今の社会はそうして分野が違うとわからないとなる
それでふくきょうこう手術で十人とかの死者を病院で出したがそれも手術する人の分野が違っていてうまく意志疎通できなかったと言っている
そもそも複雑に分化した細分化した社会は意志疎通ができなくなる社会である。
それはますますそうなってきてもう互いが異星人のようになってくる。
それは常に起きてきたことだけど社会そのものが互いが異星人化しているのは現代である

職業でもあいつは何をやっているんだとかなかなか理解できない、簡単なものは理解できる、原発で働いている技術者のことなど理解できない、そこは秘密のベールに閉ざされた世界である。理系と文系の分離も極端になったのも現代である。
人間と人間が意志疎通できない時代だから人間疎外とう言うことが言われる。
相手の立場にたって意志疎通できない、理解できない社会である。
何か仕事するにしても一人一人のお客さんの顔が浮かんでくるとか従業員の一人一人の顔が浮かんでくるとかないだろう。
一人一人はロボットが機械のように見えているという方が適切だろう。
だからこそ非正規の社員が膨大に増えたのである。それは部品のように取り付けてまた切り離すだけである。それは一個の人間として見ないから見れないからそうなる
便利な道具であり部品でありいつでも部品としてとりつけてまた新しいのを取り付けるとかいうのが雇用になっている
特に終身雇用がなくなれば余計にそうである。


そもそも人間が生きることは時間をきりうりすることではない、時間をその人の人生のために使われるべきであり会社の部品化として時間を消費させるべきではないというのが理想である。
それぞれの時間はその人のためにその人の人生を生きるために与えられているというのが理想なのである。
ただそれだからといって会社で働く時間が無駄だとはならない、そこで経験するものはやはり人生を作るからである。
社会で何も仕事を経験しない人は何か欠けているようになる
ただ人間は完全な人間はいない、必ず何か欠けている、それは人間は経験することがわずかだからである。ほんの一部しか経験できないからである。
どうしても人間の視野は必ず狭くなっているのだ。
都会に住む人は田舎に住む人を理解できない、漁師と山に住む人は海彦山彦のように古代から理解できないことがあった。それは人間として常にあったことである。
そういう物語が伝説でも神話でも昔話でも多いのはそのためである。
柳田国男の「遠野物語」でもそうした理解できない人が神秘化されていることでもわかる

例えば世界情勢でもいくら解説されても理解しにくい、要するに外国になると実際に経験することが少ない、本を読んだとしてもわかりにくい解説されてもわかりにくい。
自分がシリアで関心をもったのはトルコの宿で中年の日本人がいてその人が実際にシリアに行って盛んにシリアの人はいい、素朴だと言っていたことである。
それはその場で聞いたことでありシリアについては全く知らなかった。
それはラオスについて同じことを言う人がいた。それはなぜなのかというと日本で言えば江戸時代のようになっている。
外国の悪いものが入ってこない、貧しいけど素朴な人間が暮らしているからそうなる
つまり江戸時代が外国の人が見たとき平和な幸福そうな顔していたというときそれは別に日本だ下ではなかった、文明人が入ってきたときそうした素朴さは失われた。
ブータンなどもそういう素朴な社会が残っていることで人気があった。
文明とは様々な物欲を刺激する社会である。すると金が唯一の価値になってしまう社会なのである。その時人間はもう金しかないとなっているのが現状である。
田舎が素朴などということはもうとっくにない、この辺では原発があるときも金のことしかないし原発の後も補償金でもめているだけなのである。


その人はあらゆることをどう見るかは極めて限られた経験と視野でみているのである。
世界情勢になるとますますわからないからテレビなどで一方的に洗脳されやすいのであるなぜならシリアでなぜあんなに難民が出ているのだ、シリアって何なのだとなるとほとんどわからないからである。たまたま自分はトルコでそういうことを聞いていたからどうしてだろうとなった。
社会主義政権で外と余り交わらず欧米の文化が入らないから素朴な人が多いと今では思う欧米の文明がすべていいものではない、悪いものも大量に入ってきたのである。
トルコだろうがインドだろうが中国人だろうが外国人の観光客となる普通に金をふっかける、それは貧乏だからでありでも何か素朴ではないとなる。
観光地になると余計にそうなるのである。だまされるのが普通だとなる。


人間は経験で学ぶのが一番体で覚える、でも本とか知識が間接的なるとなかなか理解できない、外国でもいくら本を読んでもわからない、その土地の広さとか川の大きさとかいろいろテレビとか本だけでみてはわからないのだ
だから百聞は一見にしかずなのである。自分は外国に行ったのが50代だから遅かった。
それが大失敗だったとなる。外国に行ったことがない人が外国を語ることはできないのである。
でもなんとか要所は回ることができた、もう介護になったら行くことすらできなくなっていた。
外国では実際にアルジェリアの日本人が油田で働いていてテロで十人くらい死んだのには驚いた。そこにスヘインから船で入って働いていた人を知っていたからである。
今はそういう外国とかかわる人は日本人でも多いのである。
そういう人と直接会ったということは関心が違ってくる。これも経験である。
この十年間は一身上で病気とか介護で経験を積んだ。これも病院は何かとなると経験しないとわからないのである。
自分は病院を自分は身寄りがないから恐怖を覚えるようになった。家族もいない人が入院したら悲惨なことを身をもって経験したのである。
これも経験しないとわからない、人間はつくづく経験しない限りのんびりしているのである。
津波だってこんな経験して家族を失った人は一生忘れられない、その経験から何もいらないとか欲すらなくなった、それは死んで人たちがこれだけいて自分が助かったことだけで良かったとなってしまったのである。これも普通に経験できないことを経験したのであるともかく人は経験したことからあらゆるものをみて判断することが多い。
何かを経験しない限り人間は理解できないから視野狭窄に陥るのである。


頼るってのは、何もお金のことじゃない。 
病院まで送り迎えしてもらったり、施設の見学に付き合ってもらったり、 
入院の保証人になってもらったり家から着替えを持ってきてもらったり 
というようなこと。独身だったら、すべてお金で解決せねばならず、 
それが高くつくんだよ。


このことを痛切に経験した。結果的には病気になり独り身で大金を失った。
いかに人間が非情か、他人が信用できないか知ったのである。
そんなことお前は世の中のことを知らないからのんびりしていたんだと言われればそうである。
でも人間は体験しない限りあらゆることを理解できないのである。
ただこういうふうに考えがある人はやはり賢いというか人間を知っているとなる
人間はこういうことは家族なら当たり前だが他人になれば全く違ったものとなる
金で頼むにしてもそれは高価なものとなる、結果的に自分の場合は大金を失った。
もう金だけではこういうときはどうにもならないのである。
だからニートとか何か独身者が増えているがこの人たち最後に悲惨なものとなる
この世で家族がいないことはどれだけ悲惨なのものか知る。
もちろん家族があっても悲惨なことはあるがやはり家族のない悲惨はこの世を生きるのには最も厳しいことかもしれない。
ただそういう覚悟をしている人は独身者には少ないのである。


この辺で起きた原発事故でもそうである。補償金でもめているが「前の仕事仲間に仕事くれ」と言ったらあなたは補償金もらっているから仕事なくてもいいだろうと仕事をくれなかったというのもそうである。
確かにその金は事業していればかるく億の金になるからそう頼まれた人はうらやましいとなるだけである。
そういうことは他にもいくらでも起きているのがこの辺である。
かえって金が互いに理解させなくさせているのである。
極端になると「金でめんどうみてもらへ」とすべてなりやすいのが今の社会である。
そういうこともこの辺では極端なものとして起きている
金があるからいいじゃないかということで互いに理解できない、同情もしない、心は離反しているのである。
金がたがいを理解させない、離反させるものとなっている。
金の問題がなければお前困っているのか、一緒にしごとした仲間だから仕事を与えてやるよとかなり協力関係になったことは確かである。


金が人間を非情化させて分断させる (原発事故周辺に極端化して現れた)


金が人間を非情化させて分断させる


(原発事故周辺に極端化して現れた)


自分の家の混乱は一人が認知症になってからはじまった。その時まともな親戚がいなかった。だから親身になる人もいない、それはしかたがなかった。
そのことで象徴されていたのが
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と血相変えて去っていった女性だった。
何も世話などすることなのい関係なのだからそんなこと言う必要もないのである。
でも何か現代を象徴した言葉だった。

この辺で原発事故などで補償金でもめている。それは30キロ圏外でも40万とかもらえるので差別がありもめているのだ。人間は少額の金でももめるのである。
南相馬市では小高は避難区域になったから特別であり何でも補償されている。
一時帰宅するのにも福祉関係でも高速でも無料とかあらゆる手厚い補償がされているのである。
同じ南相馬市民なのに鹿島区はあらゆることで差別されている。原町区は30キロ圏内だからこれも補償の点では鹿島区より三倍もらっているのだ。
要するに30キロ圏内で区切ったからそこで差別が生まれた。30キロ圏外でも40万くらいでももめているのだから金で人間はもめる。

そして金で分断されるというときこれも象徴的である。
浪江の工場を経営している人が前の仲間に仕事をくれと言ったら断られた。

「よう、、、君、仕事したいけど仕事ないか」
「うう、あるけど、お前は補償金もらっているから仕事しなくてもやっていけるだろ」
「そんなこと言わないで仕事をくれよ」
「どれだけもらっているんだ、何億だ、その金をくれよ、」
「、、、、、、、、、」

これも金のために協力できない状態になった。金をもらったからといって金で解決しにくくしているのもこの辺なのである。
一方で金のために働かず毎日パチンコに行っているとかにもなっている。

「仕事しろよ」
「金あるから仕事などしたくないよ」
「どこも人手不足で困っているんだよ、働いてくれよ」
「金あるし働くとかえって金もらえなくなるんだよ、それなら働かない方がいいよ)
「みんな困っているのになぜ働かないんだ、それじゃ復興はしないよ」

実際にこの辺で除染であれ工事建築であれあれなんであれ働いているのは外部から来た人が多く未だにフレハブの簡易宿泊所はいたるところに建ち増えている。
スキヤでは時給1400円になったとかでも人手がどこでもたりないのである。
パチンコ屋通いをしている人は多いが仕事はしなくても補償金で暮らせるからそうなっている。
これも金が作り出した矛盾なのである。

例えば自分が苦しいときも同じになる。

「今自分は病気で苦しいんだよ、親の介護もあるし、苦しいんだ」
「おまえ金があるんだから金でなんとかしろ、金でめんどうみてもらへ」
「、、、、、、」

こういうふうになるのを経験している。昔だったらこんなこと言わないだろう。
ともかくそうか事情はわかるけど自分も苦しいのでなとか何か言うことがあり会話があるだろう。
それが現代は露骨に金だけが全面に出てきてそれで会話は終わりになるのである。
金でなんでも解決できると思う時代だからそうなった。
でもこの辺では補償金で分断され心も分断され協力しないのである。

「小高の人はなんであんなに優遇されているんだ、同じ南相馬市民じゃないか
もうあいつらとは口も聞きたくない」とかともなる
それが激しくなるとイワキのように行動にでてしまう。
それも補償金で高い土地を建て新築の家を次々に建てればうらやましいとなる。
だからそこでも協力はしないのである。
金でめんどうみてもらへ」というとき金が何でも解決してくれる万能化してしまっているからそうなる。

結局避難区域では復興とか言っても子供などは帰らず老人だけが残る、それも今なら補償金をもらって他で暮らした方が得だとなるからである。
故郷にこだわらない、老人はこだわるけど若い人はこだわらない。

「一億円やるからそれで解決してください」
「じゃ、俺たちは故郷を出て他で新しい暮らしをするよ」

つまり金で解決しようとしたら結果的にはそうなる。復興するというめんどうなことにかかわりたくないとなる。それでいち早く原町や鹿島に家を建てた人もいる。

要するにまず金が全面にでてきて復興といっても何かこの辺の地域では協力関係にならないのである。
でも本当に金で何でも解決すればいいが実際はそうなっていない、それはここだけの問題ではない、金で何でも解決すらならいい、人間の問題はすべて金で解決しない
だから家族のない独身者は金をもっていても悲惨になることを書いた。
家族がないということで病気になったりしたら様々な不利益をこうむる。
病院で身寄りのない人は実験台にされるとか現実にある。

ただ全部金が悪いとかいのではない、金で助かる人もいるし金の効用が大きいから否定できない、その金の効用があまりに大きくなるのも問題だったのである。
金が介在することで人間と人間の対話もなくなり非情化してしまった。
それはすでに貨幣が発明されたときからギリシャで紀元前7世紀からはじまっていたのである。貨幣の弊害がそれだけ歴史があり古いのである。
現代はその極限の状態に突入している。グローバル化したとき特に世界がそうなってしまったのである。

それでエジプトの奥の方でロバに乗った少年がワンドーラーくれと叫ぶ、アフリカの果てまでそうなっているだろう。そこまでドルが通用すること自体ありえないことだったのである。
今やこの辺でそうした金のことが極端なものとして意志疎通できなくさせている。
お互いに対話もない、お前ら補償金をたんまりもらっているのだから話し合うこともない「金でめんどうみてもらへ」となって対話も何もできないのである。
何かみんなで南相馬市民で問題を解決しようとよう気持もくなっている。
ただ外部まかせでありあとは何もしない、パチンコ屋で遊んでいるだけだとなる
そんなことで復興できるのかとなる。かえって金がいい方に働かず悪い方にも大きく働いたのがこの辺なのである。


タグ:金でもめる
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2015年11月06日

心をつなぐ一本の線路(詩) 北海道の消えゆく線路


心をつなぐ一本の線路(詩)

北海道の消えゆく線路

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北海道の果ての線路
一本のみが伸びている
駅舎も古りて単線のホーム
確かに一本の線は伸びている
広々とした野は枯れて
何かをつなぐように
一本の線は伸びている
でも果たしてその向こうに
駅があるのだろうか?
それも何かおぼつかない
それほど淋しい線路
北海道の路線は次々に消えた
この線もいづれは消える
野は枯れて霧の向こうに
寂寥とした枯野の向こうに
本当に駅があるのだろうか
町があるのだろうか
誰かが乗るのだろうか
誰かが下りるのだろうか
アメリカのアムトラックに乗った時
一人のみがその駅に下りた
駅の名はプリンスとか覚えている
王子様が住んでいる所
それも広大なアメリカであったのか
一本の線路は心をつなぐもの
でもそのかなたに本当に駅があるのか
誰かか待っているのか
ああ 家族はみな亡き人となった
故郷に帰っても誰も待つ人もいない
みんな墓の中だ
その駅には幽霊が待っているのか
良く帰ってきたなと
笑顔で迎えてくれる家族
その時自分は悲しく涙がでる
誰も待つ者もいない
人はみんな死んでゆく
ああ 一本の線路よ
それは心をつなぐ線路
それはかなたにつづき
人と人をつなぐ

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北海道には十回行っている、それは梅雨の時期に仙台港から苫小牧に船で行っていた。最初は電車の旅だった。二十年くらい電車の旅だった。だから日本の線路はだいたい乗っている。乗っていないのは関西など私鉄だけである。
ただ北海道の線路は今や半分は消えているだろう。
まず自分のように旅行した人もいないだろう。旅行が仕事だった。そんなことができたのも幸運だった、今なら遊んでいるニートなどいくらでもいるからめずらしくない
あのころはそんなふうにして遊んでいる人は少ない、一カ月も自由に旅する人は少ない
そのあとは物足りなくなって自転車の旅になった。
今になると自転車の旅もできない、筋肉が疲れてだめになったからだ。
遊びにしてもこれも簡単なようで時間がない体力がないとできなくなる


外国まで電車の旅をしていた。アムトラックで思い出したのはそれは深夜だった、一人の女性がおりた、それは一人だけだった。こんなところに駅があるのかと不思議だった。
さぞかし淋しい駅なのかと思ったらそうでもない、調べると写真もでているが「プリンス」という駅でありその名前で覚えていた。
外国でも名前で覚えることがあった。
アメリカは広くてこれも記憶に残りにくかった。外国の旅は記憶にのこりにくい。
でも旅はあとで思い出すことが意外と大事だった。景色も消えてその名前だけが印象に残ったからだ。アムトラックも観光路線であり冬でありがら空きだった。
アムトラックなどは座席が大きくゆったり座れることがよくそこでソァーのように眠れたから良かった。日本は座席が狭いから眠れないのである。


とにかく自分は鉄道にこれだけ旅行したのだから愛着がある。鉄道マニアというときいろいろある。撮り鉄とかいろいろある。実際に線路まで愛着を覚えるのが鉄道なのである。鉄道には何か人間的なものがあり旅情がある。
バスだと何かそういうものがないというのも不思議である。
鉄道の旅とバスの旅は全然違ったものなのである。
インターネットで藻琴駅とかの写真を見ていた。あそこも駅はあってもバスが線路を走るそうなると全く違ったものになる、やはり一両でも車両が走らないと気分がでないし旅情がないのである。
鉄道というと音にも感じる、汽笛でも線路を走る音でもそうである。
それはやはり旅しているからその心があの音に感じる、駅もまた旅情がありバス停とは違っている。鉄道はそれだけ人間的である、新幹線になるとまた違っている
早すぎて旅情がない、ただ早く運ぶだけだとなってしまう。
鉄道が全盛期のころがなつかしくなるだろう。
それは団塊の世代でもそのあとでもやはり鉄道が生活路線だったときがなつかしい
駅だってそこが街の中心であり駅前通りがありそうしてにぎわっていたころがなつかしい車時代になり道の駅になったが何かそれで淋しいのである。


人間は最後は思い出だけとなってしまう。原発事故で故郷から離れた人も何かこの詩のような感覚になる。もう駅があっても双葉とか大熊はいつ電車が通るのかもわからない
それも想像もできないことだったし村ごと津波で消えたことも想像もできないことだったあまりにも変わりすぎたのがこの辺なのである。
ゴーストタウンになりゴーストステーションになっている。
こんな映画のようなことが現実になることがおもいもよらなかったきである。
ゴーストタウンを幽霊のように彷徨っている姿がある。
そしてすべて消えたのか、やはり思い出はみんな残っているのである。
死んだ人はなにもなくなったのか、思い出だけが今でも残っているのである。
一本の線路は心をつないでいる、それは死者とも通じている
それは自分が死ぬまで消えることがない、心の線路なのである。




タグ:北海道の駅

2015年11月08日

金が共同体を破壊した (原発事故で避難民が優遇された問題)


金が共同体を破壊した


(原発事故で避難民が優遇された問題)


浪江の請戸の人が相馬市の病院に入院して特等室に入り相馬市に家を建てるんだと言っていた。その人は漁業関係で金がある人なのだろう
浪江には帰らず相馬市でもどこでも金があるから家を建てて住む人が多いだろう
でも相馬市であれいわき市であれ回りから見ると反発がある。
地元なのに外から来た人が金があるということで家を建てるけど自分たちは建てられないそのために土地の値段もあがり地元の人は建てられない、いわき市の場合は二万とか流入してきたから軋轢が生まれた。


相馬市でも商売している人は盛んに言っていた。なぜ原発避難者は働かないのかとかあいつらは金をもっているから贅沢しているとかスーパーで高いものを買っているとか女性だから細かいところを見ているのである。
自分の所でもスポーツカーを仮設であるのを見たからそこは前に聞いていた、一カ月百万くらいの金が入っているらしい、家族が多いと小高でもそれくらいもらえるのである。
おそらくそうして遊んで暮らしているから回りの不満も大きくなる
なぜ小高とか避難区域となるとあらゆるることに金が出るのである。
介護関係でも鹿島区は30キロ圏外で普通にとられるが小高とか30キロ内は援助があった。避難区域になと家に帰る旅に支援があり金がでている。
これほどなぜ手厚い援助があるのか回りから見るともらっていない人からみると不満になる


なぜ同じ南相馬市民なのに福祉関係まで差別しているのだろうとなる
例え30キロで区切られたとしても市の方で配慮してもいいではないか?
それはもう金の問題でもない、その金はたいしたものではない、それより不公平だということである。
人間は不公平だというとき一番反応する、公平を求めるのが人間である。
不公平だというときいわき市などは一番感じているから現実に危険な状態にもなった。
だからわかったことは政治の一番の課題は配慮しなければならないのは公平なことなのである。
ただ金持ちがいてもいいしそれもこの辺のように不公平なものでないなら容認される
金持ちでもパソコンを発明したジョブスとか何かそういう社会に貢献した人には文句は言わないのである。
江戸時代だったら庄屋がそれなりに裕福であっても村人は容認する、なぜなら庄屋とかは役所の代わりにもなっていたからそうなる、格式も必要になるからである。
殿様にしてもそれがある程度の贅沢は許されるのはそういう社会だったからである。
それは共同体の中でみんな了解して容認されるものとしてあった。


結局現代はそうした共同体の了解とか容認とかがない金だけが突出して力をふるう、それがこの辺では避難民だけが多額な金をもらったから回りでは不満になった。
でも今の時代はどうなっているかというと昔の村落社会とは違う。
避難民からしたらいくら仮設に住んでいても何かその土地の人に世話になることがあるのか?
確かに土地を借りたことは確かである、でもその他一体何か世話になったことがあるのか仮設を建てたのは土地の人でもないしみんな外部の人が来て政府とか東電の援助で建てたし、今は家建てるにもほとんど外部の会社になっている。外部から来た人が家を組み立てるだけである。地元の大工は多少補助役になっているかもしれないがその労働者も会社から派遣された人たちなのである。
だから仮設に住んでいても何か世話になることがありましたかとなる


もしそうでなかったら食料でも住む所すらなかったらいろいろ世話になることがあったろう。それもないとすると何か世話になったという感覚もない、金を出せば食料でも何でも外から入ってくるのだからその食料はもともと外部から入ってきたものが多いのである。それは国内だけではない、グローバルな世界経済となったときそうなっていたのである。江戸時代のような小さな自給自足の村落社会とはあまりにも違っているのである。
世界的に金が万能となってしまった社会である。
最初「十万で家事の手伝いでも頼む」と知り合いの人が来たが今や仮設に住んでいる避難民の方が雇う方になっていたのである。
普通だったらそんな避難民などありえないである。
それは現代の社会構造が反映してそうなっていたのである。


昔だと共同体というとき何か金だけでないつながりがあり共同体だった。それが確かに放射線の影響があったとしても町や村自体がばらばらになり崩壊して消失するということは現代が共同体というのがもうその前に崩壊していたから原発事故などを契機に崩壊したのかともなる
一億円もらって他で生活した方がいいと若い人たちは考える、それは別に故郷に固執するものがもともとなかったからだとなる。老人の場合はそこで長く生活したから愛着があるが若い人はそうでもない、別にいい暮らしが便利な暮らしができればどこでもいいというのが現状だったのである。
それは今はみんなが土地に愛着する農民でもないからそうなる


ある意味で逆に土地が奪われたりして自家生産できないと金が大事だとなる。
農家の人は今は何でも買うから野菜でもそうだし前は投げていたけどそいうことはできないとか言っている。
かえってより金に頼ることが大きくなっている。土地を奪われるとそうなってしまう
土地というのはやはり米でも野菜でも何かそれ自体が産み出すものをもっている。
土地をもたなければユダヤ人のように金だけが頼りとなるということはある。
ただ金が有効になるのはその金でサービスを受けられる社会である。
避難区域となったところはもうそこでは一億円もらってもそこに豪邸を建てても店もない、何かサービスも受けられないとしたらその金の価値もないのである。
だから一億円もらったらみんなかえって外に出て新しい生活をしようとする
結局金がかえって復興させないように働いた皮肉がある
金がかえって共同体のつながりをたち破壊したということがあった。
この辺はそうした様々な問題があらゆることで起きた場所である。
様々な現代社会の矛盾が具体的に現れた場所なのである。


このことはあとあとまでしこりとなる。なぜなら南相馬市民でも鹿島区や相馬市でも補償金をもらえなっか人たちは不満であり避難民に対して協力しないとなる
それは何か具体的にしなくても心でそういう思いがあるとき必ず影響する。
必ずそれがいじめとか具体的なものとして現れてくるから怖いのである。
人の思いは念は怖いものなのである。そういう思いや念を回りの人が抱いているということをやはり避難民も注意しないと危険になる
俺たちは別に世話になっていない、金もらうのも当然だ、何が不満なのだとなるとやはり避難民は回りからの冷たい視線をあびることになる
それはかなり住みずらいものとなる。現実にそうなっている。
避難民にはそういう自覚がないことも問題なのである。


もしこんなふうではなく互いに協力する関係になっていたら「土地の人には世話になった、その土地の人もあんたたちもがんぱって復興してくれよ、陰ながらも応援するよ」とかなっていた。それが地元でなくなってしまったことが最大の問題だったのである。
それは南相馬市でも行政の方で何も手をうたなかったことも問題だった。
せめて福祉関係だけでも鹿島区だったら公平にして援助すれば良かったのである。
それは政府とか東電とかは関係ない、市政の問題だったのであり市長の配慮がたりないとか政治的解決されるべきものだったのである。





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グローバル経済が普及したのはここ50年くらいだった (原発事故の前に故郷や田舎に生きる価値をすでに失われていた)



グローバル経済が普及したのはここ50年くらいだった


(原発事故の前に故郷や田舎に生きる価値をすでに失われていた)


●高度成長前は江戸時代のつづきだった


グローバル経済とか社会とか今は普通になっているけどふりかえるとそうなったのは50年前頃からでありそれまでは江戸時代のつづきだったということを書いてきた。
戦後十年くらいの団塊の世代の子供時代はグローバル経済とは何ら関係ないのである。
第一バナナ自体がこの辺で売っていないし高価なものだった。
それで自分の父親が病気になったとき仙台からバナナを買ってきたのである。
これをみてもグローバル経済など無関係だったし第一国内だってこんなに物が流通していないからみんな自給自足でありその延長だった。
国内自体でも江戸時代のつづきだったのである。それが何か錯覚しているのである。

要するに戦後十年くらいでテレビが売り出された頃から高度成長が急速にはじまったのである。それは二十年くらいつづいたが意外と早く下火になってバブルで崩壊した。
高度成長時代になったとき国内レベルで物が流通しはじめた。
物がない時代だったから物を置けば売れた時代である。
自分の家では店屋をやっていたから物を置けば売れたのである。
あの頃は子供多いし一番活気かある時代だったのである。
何か今になるとそういう時代がなつかしいとなる

店屋でも隣が魚屋だと豆腐屋だとか雑貨屋だとか小店が多かったのである。だから生活圏が隣であり狭い範囲で人は人が濃密に交わる社会だった。
それも江戸時代のつづきだったのである。
何か路地裏とかなると今はさびれて淋しいというか生活の匂いがなくなった。
人はそこで生活していても実際は買い物でも働く場も遠い会社や工場になっているからだ路地裏というときもう生活の匂いはない、下町というのもそうである。
そこには東京だったら工場があり生活の匂いが濃厚にあった。
つまりそうした中小企業とか小さな店とかあるのがその頃だった。スーパーもその時はない。だから地域から何か生活の匂いを感じないのである。
スーパーとかイオンに買い物でも集中して変わったのである。

高度成長の最初は国内で流通が盛んになった。でもその時はまだ車時代ではないからそんなに物が遠くから運ばれてはいない、その時は汽車から電車と変わった時代である。
それで駅にはどこでも引き込み線があり荷物をおろしていた。
そのために梱包するために縄屋とかあり自転車は汽車で運ばれたので駅前に自転車屋があった。
駅前通りがあり駅前旅館があった。駅前通りは駅ができて生まれたのである。

ふりかえるとグローバル化社会となるには一気になったのではない、路地裏の生活から
生活圏が拡大していったのである。まさに自分はその路地裏の店屋だったからそのことを実感できる。
それがスーバーに変わったとき生活圏は広がった。市町村内で広がったのである。
もう今になると村でも万屋とかはない、自分は阿武隈高原を自転車で旅してどこか浅川町なのか味噌汁をごちそうになったのを覚えている。
今の時代にそんなことをしてくれる人はまずいない、そこはまだ山の奥に残っていた万屋だったのである。だからそういう人情が残っていたのである。
町中だったら下町の人情とかあった。米でもオカズでも隣近所でやりとりして分け合っていたのである。
そういう狭い世界にはまたすべてがいいとはならない、いろいろ詮索されたりいきずらいことはあった。
でもそういう狭い世界からグローバル世界になったのである。
だから原点にもどって今をふりかえると今が見えてくる

●グローバル経済化すれば金が唯一の価値となる

なぜ原発事故で町や村まで住めなくてり荒野化したのか?それは原発事故の放射線のためであることはわかっている、でもそれだけなのかという疑問なのである。
それは明らかにグローバル化した世界経済化した社会になったときそういうことが起こりやすい下地ができていた。
つまりグローバル社会とは金がドルがアフリカの果てまで奥地まで通用する世界である。これはいままでにはありえないことだった。
アフリカの奥地を旅してドルでも金で買える通用していることはありえないことだったのである。そんな社会は歴史的にもありえなかったのである。
アメリカが世界を支配しているというときドルが世界で通用しているということにある。ドル札を発行しているのはアメリカでありアメリカに金融が支配されるのは当然だとなるそして紙幣というのは必ずしもそれと対価なものが物でも何でもあるわけではないのである。ドル札はアメリカのさじ加減でいくらでも刷って世界にばらまくことができるのである
そのドルが通用しているのはアメリカが世界を支配して信用されているからである。
それは円でそうでありそれは日本という国を信用して円を買っているのである。
その信用の土台に紙幣がありそうでなければ紙きれにすぎないのである。
だから信用を失えばたちまち紙きれになるのが紙幣である。
それは日本が戦争に負けたとき本当に紙幣は紙きれになったことでもわかる。

グローバル化はまず国内で起きた、次ぎに世界と広がった。それはどういうことかというと日本国内で流通が盛んになり交流が盛んになるとき婚姻関係も日本全国になる。
九州や北海道でもこの辺から結婚しているし外国まで婚姻関係が広がる。
それも国内で流通が盛んになったから起きたことである。
なぜ原発避難民が全国に散らばったかというとやはり婚姻関係がそれだけ全国的になったからである。結婚した先に頼るというのが多いから
である。

そういうふうにすでに自給自足とか狭い範囲での生活ではない、全国的に婚姻でも広がり物流でもそうである、そういう延長としてグローバル経済になったのである。
グローバル経済になるとどうなるかというと極端な話が金持ちは日本では税金がとられるすぎると海外で暮らした方がいいとが貯金が海外に投資した方がいいとか金が海外に流出して人すら流出してゆく、それは日本だけではない、中国の金持ちはアメリカに国籍をもつためにアメリカで子供を産むことをしているのもそのためである。

つまりグローバル化とは国すらこだわらない社会になる。多国籍会社というのもそうである。だから愛国心とか土地への愛着も希薄化してゆく社会である。
グローバル化はだから土地に根ざす文化を破壊するのである。
食文化でももともとその土地に根付いて育まれたものがみんな同じものとして規格化される、ハンバーグをみんな食べるというのもそうである。そこに土地の料理が喪失してゆく
原発事故でなぜ町や村の全部が捨てられて国内に散らばりもう帰ってこないというのはそういう素地ができていて原発事故が引き金になってそうなった。
だから原発事故だけに原因があるとも思えないのである。
一億円もらえばこんな不便な所に住んでいない、そんなことを日頃から考える若い人もいる。故郷に執着するのは老人はそうでも若い者はそうではない
若い人は姑と一緒にいるのも嫌だとかこの際別々に暮らした方がいいとなる
それは金があれば今はどこでも生活できるからそうなる
それが極端になると外国でもいいとかなる、現実に老後は物価の安いタイとかフィリンピンで暮らそうとなり現実にそういう人もいることでわかる。
金が通用して大きな力もどこでももつからそうなる。


第一一億円もらってもそれが今や避難区域の荒廃した地域にもどっても何らその金は活きてこないのである。店もない、何かサービスしてくれものがない、荒野に一億円もってきても何の価値もないとなる、すると当然金をもらったら外で生活した方がいいし荒廃した故郷を建て直す気持もなくなる。それはかなりの苦労を強いられるし老人にとっても若い人が流出しているのだから帰って金があっても楽ではない
サービスしてくれる人がいないのだから金をもっていてもどうにもならないのである。
今はどこでも人手不足であり建築関係でも人が集まらないくて会社まで倒産している、会社を作れないとかなっている。
そこでいくら金を出してもいい人材が集まらないとなる,人材そのものが不足しているのである。そもそもあらゆく分野で人材は簡単に作れない、一朝一夕に作れない
医者などは特にそうである、これも相当な経験が必要だし他の仕事でも簡単にできないものがある、簡単にてきるものは派遣とかパートとかあるが人材は簡単にどこでもえられないのである。
金があればどこにでも住んでいい、日本にこだわる必要もない、世界のどこでもいい、あなたの行きたいところ行きなさいとかなる
ではそういうグローバル経済社会というのは人間にとっていいものだったのか?
なんでもいい面と悪い面がでてくるからいちがいには言えない
でもこの辺のことかかから考えるとグローバル経済社会の負の部分が大きく出たのではないか?

●故郷とか田舎に生きる価値を見いださないと他でも同じ結果に

そして故郷とは何なのかということが問われたのである。
そんなこと普通は考えない、当たり前のものとしてあるものだった。
それが住めなくなったとき考えるようになった。
故郷より金だよというのがそれまでもあり今それが現実となったのである。
別に原発事故周辺でなくてもそういう社会なのだからその素地があるからそうなりやすいのである。
だから故郷にはどんな価値があるのか?どういう価値があるのかということが問われる
一億円もらったら故郷に住む必要などないとなれば故郷は金に換算すればそれだけのものとなる。原発事故前からそうだったら別に故郷がなくなっても嘆く必要はないとなる
かえって一億円もらって外に出て新しい生活をした方が良かったともなるのである。
でもそもそも故郷とといっても原発事故前から農業はだめだ、子供に農業だけはするなと親に殴られたとか漁業にしても実際は成り立たない、東電からの補償金で成り立っていたことがわかった。
例えば川内村でも三分の一は原発関係で働いていたのである。
そして結果的に市町村が東電の会社の社員になっていたということも事故でわかった。
東電とはそれほど国家並みの巨大な会社だったのである。
その東電によって町も村も買われていたともなる。東電に町や村自体を売っていたともなるのだ。漁業などはあれだけ補償金がでるのだからそうだった。
農業にしてもこれももうやっていられないとか後継ぎがないとか崩壊寸前だったのであるだから原発事故がありそれが契機となって崩壊したとなる

つくづくだから一体故郷といってももともとそうして故郷にどんな生きる価値を問う人などいなかった。そこにあるのは故郷に田舎に生きる不満しかないのである。
だからこそ原発を誘致して金になることを選んだのである。
金の社会であり金になればなんでもいいとなれば当然そうなる。
故郷に生きる価値がそもそも認識していなかったのである。
自分の相馬郷土史などは郷土の価値を全体的に追及したものでもあった。
そこに芸術がありそれも追及してきた。
それを今詩などにまとめつつある。自然とその土地と歴史と一体化することがアイディンティティ化することが自分の価値だった。
だから故郷にある一つの石でも樹でもそれは自分にとって精神的な価値がある
ただ物として材料としてではない、精神的なものとして価値がある
それを詩にしたのが自分だった。まだその全容は示していないがそうだった。

では他の人はどういう価値を求めたのかというと農業でも漁業でも何でも経済的価値でしか計られないのである。そうすれば故郷の価値は工業とか比べれば格段に今では低いものとなるからそもそも故郷に生きる価値を見いだしていなかったとなる。
そうなら一億円もらって他で都会でも生活した方が便利だとなる
ただ農業をしないで稲刈りしたとき喜びがあったと、魚をとったと喜びがあったということでその価値を再認識した人はいた。でも経済的には収入では常に不満であり経済的に価値を認める人はいなかった。
TPPとかなるとますますそうである。農業はやらずに外国の米でも輸入した方がいいとなる。
何かそうしてこの辺はTPPを実現するのに適した地域になったのである。
農業でも漁業でも壊滅すればそこはもう零細な農業や漁業はやめて別なもの,工場にしろとなる。アメリカなどは農業国だから米でもやすく売りたいと思っているからである。
では農業とかなくなった田舎は故郷なのか?何かそれも問われているのである。
グローバル経済はTPPのように必然的になってゆく、そこには例外はない、食料もそうなってゆくのである。
この辺はともかく生きることの根源的なものが問われている場所である。
第一故郷は何かなど問うことなとありえなかったからである。








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2015年11月09日

徴兵制より、徴介護士制にするべき。3年義務化。 (団塊の世代が介護になるともう介護できない時代に)


徴兵制より、徴介護士制にするべき。3年義務化。


(団塊の世代が介護になるともう介護できない時代に)



介護が大問題になるのは長寿社会の負の面が露骨に介護に現れるからである。
特に認知症になる人の数が膨大になる。もはや国民病でありこれで国の負担も家族の負担も増えて国が危うくなるとまでなる
そして介護は十年とか二十年とかまであり長いことが問題なのである。
90才頃まで生きる人は病気にならなければ必ず弱り介護状態に自然になる。
病気でないとなかなかすぐには死なない、90才から最低5年とかさらに長くなるだろう。
十年というのもめずらしくないのが介護なのである。自分は二人分で十年くらいになっているからだ。一人はひどい認知症だったけど早く死んだの助かった。
介護はしてみると軽いものでも意外と体を使うし神経も使う体力仕事である。
だから老々介護というのは相当に厳しいものとなる
看護師の仕事が体力仕事のように在宅介護もそうなる
家族が少ないなかでその介護をになう人は一人とかなると苦しくなる

若い人などは介護の仕事などしたくない、給料も安いし汚い仕事だからしたくない、それで介護をする若者にはいい心材が集まらない、いいところに就職できない人が入ってくるしやめる人も多いから人材が確保できない、そういう所で介護されると虐待も起きる
介護は何か生産的ではない、何か産み出すものでもない、たいがいトイレの補助とか
なんか汚いことも多いしそこに生きがいを見いだす人はまれだろう。
社会的にも評価が低いし給料も安いから誰もしたくないのである。
本当はこういう誰もしたくない仕事こそ給料を高くするのがいいのかもしれない。
何かその仕事に見合うものがなければ誰もしないのである。

一方で自分の好きな仕事なら給料が低くても金払ってでもやりたいとなる
ある人は農業が好きだからそのことで苦労するのだが好きだからやっている。
でもその農業は趣味であり一人分にもならない野菜しかとれない
その野菜をとる苦労の話を聞かされていだけでるあ。
そこに投資しても何も得られない、ただ苦労話を聞くだけである。
農業そのものが趣味でなくてもそういう傾向があったのである。
美瑛では美しい場所だけどそこで農業している人の話を聞いたら延々と農業はやっていられないと愚痴る、そして中国人の方がいいとまで言うのには閉口した。
農業は趣味の範囲でもそれだけ苦労が多いのである。
でもその人は農業が好きだから金にならなくてもしている

そして金になる仕事は掃除とか何かしたくないとなる。
この世の仕事はそういうことがまた多いのである。
金になる仕事が必ずしもやりがいのあるものとならないしその方が多いだろう
やりがいのある仕事は世の中ではなかなか与えてくれない
自分もこうしてプログで書いていてもやりがいがあっても何の収入にもならない
でも何か報道するにも自分の創作したものを出すのでも面白いから生きがいになるからやっている
むしろ金をだしてもこういうことをやりたいとなるのである。
人の奴隷になるようなことは誰もしたくない、家政婦などでもしたくない、むしろ家事は機械がしてくれた方が頼む方も頼まれる方もいいとなる
それが金になってもそうである。金のために嫌なことをしたくないとなればそうなる。

介護の仕事には何かメリットがない、あるのは家族だったらある。親に世話になったから恩返しだとか何か動機になるものがある。
家族でないものにはそうした動機がもてないのである。
例えば介護自体が面白いということもなかなかないだろう。
仕事でも何か新しいもの作るとか創造するとかなると面白いとなり生きがいになる。
そういう仕事ができるのは今では特別優れた人でありまれだろう。
介護には面白いことも給料も安いとかいいことがないのである。
そして介護は体を使う労働でもあり意外と疲れるのである。

介護が人手不足だというとき介護のために強制的に人を集めてやらせるほかないとか週刊誌にでていたのもわかる。
外国人を雇うのもめんどうだし介護をできる人はいる。
特別なスキルなど必要ないからである。
介護で貴重な人材を奪われるのも社会の活力が奪われることになる
だから介護のために強制的に人を徴兵制のように集める
それほど団塊の世代が介護される状態になればもう介護する人はいなくなる

自分の経験ではこの辺で原発事故が起きた時、仮設に移り住んだ人が何もすることなく
パチンコ屋におしかけた。
その時親戚の人が借金のためにパチンコ屋で働いていた。
そしてパチンコ屋で人手がたりないから困っていると言っていた。
これも腹ただしいことだった。
自分の家が介護で苦しい状態にあり自分も病気で苦しんでいるとき何もしない、
ただパチンコ屋で忙しい、忙しいで何もせず帰ってゆくだけだった。
別にパチンコ屋が普通だったら息ぬきもありすべては否定できない
でも自分の家の状態がどうなっているのかも全く配慮されていなかったのである。
自分のことで精一杯だから他人のことなどみえなくなっていたのである。
借金したことはすでに何か選ぶことなどできない、ブラックでもなんでも金を返すためにするほかない、それもまたその人のカルマだったのである。

こういうことは何か介護問題でもある。介護している方になると何であいつらはゲートボールだパークゴルフだハチンコだと遊んでいるのだろうとなる
現代はニートであれ元気な老人でも仕事しないで遊んでいる人が膨大なのである。
だから自分が介護になったときそういう人たちを見て腹ただしくなったのである。
お前は遊んでいたのではないかと言えばそうだが自分か働いている人からみればそうみられたということは言える
でも介護するようになってからなぜあいつら遊んでいるんだ、困っている人が一杯いるのにと見る
それで原発避難者でも介護などで仕事をもたせるべきだという意見がでたこともわかる
回りで働いている人から見ればあいつら補償金で遊び暮らしているじゃないかと見られるからである。
あいつらの遊ぶために地元の人は働いているのかとまでなるからである。


いづれにしろ今や前もそうだが介護であれ認知症であれ国民的課題になった。高齢化社会でそうなった。これをいかに克服するかは一家族だとかでは解決しない、国民的課題だから政治であれあらゆる分野でその課題に向けて働きかける必要がある。
そうでないと国自体の活力も失い、その負担で次々に悲劇が生れる。今も生れている。
そうは言うもののお前か介護を手伝いというとき十年もしたかしたくないとなる
たいがい介護が長いから介護した人はしたくないとなるのもまた当然なのである。
自分は役目を果したからしない、次はあなたの番だとなり高みの見物だともなる
なぜならみんな介護したとき助けてくれたという経験がまれだからそうなる
一人に背負わされて四苦八苦しても近くに暇な人は遊んでいたのを見ているからそうなるもし助けてくれたりしたらそうはならない、自分の介護のとき助けてくれたから今度は少しでも助ける方に回ろうとなるのが人情である。
そういうことがないから他人の介護は無関心なのである。


いづれにしろもうぎりぎりになり強制的に介護させられる時代が来るかもしれない
在宅でも限界があり施設はたりない、人手はたりない、どうするんだというときもう強制的に暇な人とか余力のある人は介護させられる、ニートなんかは一番その標的にされるかもしれない。
それはもう個々の家族ではどうにもならない、国民的課題として解決が迫られているからそうなる。
ともかくこれまでのような日本が豊かな時代も終わり悪いことが重なる冬の時代になったのだと思う。膨大な下流化する老人でもそうでありもう日本のいい時代は終わったのである。そんなに医療や介護に金を使ったら国がつぶれるというのも笑い事ではないのであるそれほど窮迫してくると強制的に介護させる法律が施行これるのもありうる。
外国人を雇うというのも無理があるしそれなり働ける人を働かせるのがいいとなるからである。

やりたくもない介護の仕事をさせられた腹いせに、被介護の方が酷い目にあう未来図しか見えません…

これも仕事にはある、つまり生きがいを見いだせない意義を見いだせない、自分に合わない仕事を強制的にやらせるといつか不満が爆発してその被害者が介護される方になるから深刻になる。

でも第一介護するような特殊な人はほとんどいないというときどうすれば人材を確保するのかとなる。
確かに仕事は強制できない、では何か方法があるのか?それはもう一つの国民の義務としてやらせて意義をしらしめるとまでなる。
いちいち強制できない、やりたくないものはとやりたくない、そういうことを認めていたらいつまでも解決できない、では人材が集まるのかとなれば集まらない、義務だというときかえってそれはやっているうちに生きがいを見いだし国のためにもなっているのだ、他人を助ける仕事として意義があることだと見いださせるのだともなる


結局人間は何でも自由だというとき何もしなくてもいい,自分のやりたいことをやればいいというのも違う。義務としてやらねばならないことがある。
何か意義を見いだすこと自体むずかしいからである。それが義務としてやっているときかえって意義を見いだすとういこともある。
そもそも普通の人間は何か意義を見いだして働く生きるということ自体むずかしい、そういうことができるのはほんの一部なのである。
だから人間にとって自由は重荷にもなる。かえって義務を与えてくれた方が楽だともなる江戸時代はそうして上から与えられたものを義務として果す社会だから自由がなくても悩む必要もなかったのである。
何でも自由だというときでは何でも人間はできるのかとなるとできないからである。

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2015年11月10日

抽象画(あたたかい花園の地球)



抽象画(あたたかい花園の地球)


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あたたかい花園の地球

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二つの的

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これは何?

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春の湖




これらはインターネットにあったものを変化させたものである。花で一杯の絵がありそれを変えたら花の抽象画になったのも不思議である。
つまり抽象画にするときかえって具象画より何かまた別な新たなものとして蘇る不思議がある。
元の具象画はこんな感じではない、花だげが一杯咲いている地球である。
抽象画は形より色の作用で変化する、色の多様な変化が及ぼす精神への影響である。
五感というという匂いとかもあるし音もあるし肌で感じる風もあるが一番感じているのは視覚であり色のように見える、色というのはだから無限にある。
色と色のとりあわせも無限になる。色は究め尽くせない世界なのである。
音楽になると変奏曲なのかもしれない、一つの曲から多様に変化するのである。


抽象画は特にパソコンの抽象画は創作しているというより変化させる機械的作業である。それでもいくら変化させても何かこれがいいなとならないものがある、
ぱっと何回かでこれはいいと直感的に感じるものがある。
それは全く偶然にできるのである。こういうものにしたいからこう描いているという感覚がない、まるでクジをひいているとか偶然に当たるというだけなのである。
こんなのができたなこれはなんなのだという驚きがある。
だから創作しているという感じがない機械的作業で当たりくじをあてるという感じにもなる、これは別に才能がなくてもできる、ただそれをどうみるかはやはり感性なのだろう。題にしてもそれらしい名前をつけいるだけであり見る人によって違って見えることもあるタイトルは参考に出しているだけである。




タグ:花園

同級生が脳梗塞になり南相馬市立病院で助かった (脳外科の新しいビルができてその方面では充実する南相馬市)



同級生が脳梗塞になり南相馬市立病院で助かった


(脳外科専門の新しいビルができてその方面では充実する南相馬市)


母がまた入院


「及川友好先生(副院長・脳外科)のご配慮で多くの手術をこなせます。ここで出来ない血管内治療は、専門病院に出向させて貰えました」と言う。彼が南相馬に来たのは、被災地支援ではない。脳外科医として腕を磨くためだ。


同級生に土手の道であった。そして話したらその人は半年前に脳梗塞になったという。
その人を見たら見る影もないというかやせて十年はふけていた。
今でも病人の感じである。何でも本当は心臓の血管が破れて死ぬところだったが脳の方がの血管に障害が起きて助かったという、倒れて二時間で病院に行って治療したから助かったとかいう、今は4時間以内なら助かるという、その助かった理由が南相馬市立病院は脳外科では優れている、医者も院長先生も優れている。
それは一カ月南相馬市立病院に入院していたから脳出血でも手術がここにはうまい医者がいると聞いた。
病院には得意不得意がある、相馬市立病院はひにうょき科は充実していていいと言われるそういう病院には相馬地域ではなく他からも患者がくる。
名取の癌専門病院は有名でありそこに送られてたいがい診断する。


なぜ同級生が助かったかというとこうして南相馬市立病院は脳外科はもともと良かったのであり院長とかが率先して育てた実績があったのだ。
それで研究論文も出したり若い研修生などが脳外科で優れているから学びに来ている。
そして新しく脳外科専用のビルが建つ、かなり大きなものでありそこが脳外科専用になるからますます脳梗塞とか脳出血にこの辺では備えができる。
同級生が本当は重症であったが確かに見る影もないというかやせて病人のようにではあるが頭は正常であり普通にしゃべれる、ろれつが回らないということもない、普通にしゃべれるしわかっている。頭は全く正常なのである。ただ身体的には相当衰弱して十歳はふけてみえる。前もなにかセムシのようになっていた姿を6年前とか見た。
でもその時は脳梗塞になっていない、最近半年前に脳梗塞になったというから驚きである外見は病気をひきづっているが話してみると頭は正常であり普通に話できる、なんら普通の人と同じである。
そして車も運転できるから意外だった。車を運転できることは頭が正常だし頭が働くということである。全く認知症にはなっていない、それで救われたとなとつくづく見た。
脳梗塞とか脳出血とか悲惨なのを病院で見ている。話できなくなり泣いていた女性がいたわんわんと泣いていたのである。あれも悲惨だった。南相馬市立病院には一カ月いたから悲惨な人を見たから怖くなった。


ともかくまず60代になると何かしら必ず病気がでてくる。これはいくら生活習慣病と言ってもその人なりの遺伝病とかなにかしら出てくることはさけられない、いくら注意しても病気がでるのである。
その人の体は病人だけと頭が正常だということは話できるからいい、頭がやられたら話すこともできなくなる、だから結構知的なところがあり郷土史の話ができた。
いすいろなことをわかっているのである。
人間が確かに体をやられるのも悲惨だが脳をやられたら最悪である。アルツハイマーになった家族を介護したからわかる。何も世の中のことがわからなくなる
痴呆化するから怖い、こうなると会話は成り立たなくなる、同級生は知的な会話まで成り立つから話ができるから友達にまたなれる。ろれつがまわらなくなったら話もできなくなるから怖い。自分の姉は社交的で陽気な人だったけど誰も友達も来る人がいなくなった。話ができないからそうなったのである。
だから人間は頭が正常であれば生きている、だから認知症という病気が頭がやられるから人間でなくなるという恐怖を覚えたのである。
その認知症がこれから膨大に増えてくるから恐怖なのである。
そうなると本人も苦しいしなにより介護する人の負担が重すぎるのである。
同級生は車にのせてやるからと言ってくれとか言うからまだいい、あの体の状態で頭で運転できるというたとはかなりの強みになる。
脳梗塞でもほとんど脳が損傷してかったのである。
でも白内障になったとか体全体に影響はあったと言っていた。
あの体の状態を見ればすぐにわかる。本当に病人の姿なのである。


同級生でも自分は同窓会など一回も出ないからわからないけどまず人によっては急激にふける人がいる。
3才くらい下の人も障害児をもって苦労して十歳ふけた。今でも太った頑丈な体なのだけど顔はしわになり十歳老けているのである。
自分は二十代から老成してすでに老人に見えていた、だからその時自分はさほど変わっていないのである。むしろ今になると老人にしては元気に見えるのである。
自転車で原町や相馬市に行くのを車から見ている人がいるから元気だなと見られている。でも最近筋肉痛になりいつまで自転車で行けるかわからない、街内は買い物はできるけど原町とか相馬市となると辛くなるかもしれない。
同級生は車があると遠くに行けるから便利だというのはわかる、でも自分は車の運転にむいていない、事故をおこしやすいから乗らないのである。

●母がまた入院

ともかく60代以降の最大の恐怖は病気である。すでに60代で一割は死んでいる。
この前も67才くらいの人が近くで癌で死んだ。それば突然だったしまた近くで癌になった人もいる。それも50代である。ただ百歳になっても死なない人はいる
それが今日また入院した自分の母親だった。
10日間はわずかに甘いものを吸うくらいであと10日間は水しかのまなかったから老衰に入り衰弱して死ぬのかと思った。でもレントゲンとかで見たら病気はないという。
だから点滴してまた回復するかもしれないというから驚きだしまた介護がつづくのかと不安になる
つまり人間は病気にならない限り老衰であり老衰で死ぬということはかなり長引くことなにるのだ。でも風邪とかでも細菌にやられると感染すると抵抗力、免疫力がないから簡単に死ぬということがありうる
それがないので10日間も水だけでも枯木のようになっても生きている不思議である。
母親を見た先生は剽軽な医者だからめずらしい、東北の人ではない、東北の人は真面目なのが一般的に多いだろう。ただこれは今は東北人が真面目だとか全部はそうならない。
でもあんな剽軽な先生にあったことがないから自分では好感を前ももっていた。
「枯木にもう一度花を咲かせるかも」とか言うのも冗談がうまいのである。
そもそも感じが剽軽なのであり落語家のように見えるのである。


60代以降は病気の世代であり病気との戦いになることが多い。なにしからいくら注意しても病気がでるのである。むずかしい病気になったらもうこの辺では対応できない、同級生は最初は別な開業医にかかっていたとかそれは薬の副作用で悪くしたからあとで変わったとかも言っていた。
南相馬市立病院に行っていたのだからその辺はわかりにくい、すく利を飲まなくなってかえって良くなったといっていた。それも今はかなりある。効く薬はまた副作用が強いと言っていた。確かにそうである。薬は危険な面があるがあまり副作用のことを言う医者はいないのである。
でも自分も失敗したが素人判断は病気に関しては危険なのである。命取りなる人もいるし実際になっている。だから病気に対処することは本当にいくら医療が発達してもむずかしいのである。情報が氾濫してかえって迷いそれで早死にしたりする人もいるし失敗する人もいる。命にかかわることだからこれも困るのである。
自分も素人判断して死ぬところだったからである。
いづれにしろこの辺では津波や原発事故で混乱があったが脳外科関係とかでは医療が充実しているということで救われた人が現実にいたということである。
それは前からも言われていたのである。

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2015年11月11日

日頃積み重ねたものが困難な時に活きる (津波や原発事故で試されたもの)



日頃積み重ねたものが困難な時に活きる


(津波や原発事故で試されたもの)


今回の津波原発事故では様々なことが問われた。未だに問われているし解決もしていないただ何が問われたのかとなると困難なときには日頃積み重ねてきたものが活きる
南相馬市立病院は脳外科の面で脳梗塞と脳出血の治療を積み重ねていたのである。
それは副院長及川氏が中心的存在だった。
それでここには脳外科関係で手術がうまい医者がいるということは言われていて知られていたのである。
別に原発事故になったからではない、それは相当前からそうした実績を積み重ねてきていたのである。
原発事故になり応援のために若い研修生が来たのではない、脳外科で優秀な医者がいて病院でもその方面で研究を積み重ねてきて知られていたのである。
それがこのような困難な時に活きてきたということである。
何かこういう困難なときがきたとき日頃の行いが問われた。


そして自分の一身上のことを書いてきたが何か人生も終わりになるとその人生そのものが問われる。お前は何をしてきたんだということが厳しく問われる
それは別にこのような災害とか事故がなてくてもみんな問われるのである。
日頃から何をしてきたかが最後に問われるのか人生であり人間である。
そういうことを若い内は考えない、何をしようが勝手だよとかなっている
でも人間の時間は限られたものでありそこで時間を無駄にすればあとあと最後にその時間を失ったことに嫌応なく気づかされるその時すでに時遅しとなっているのだ。


なぜ自分が困難に直面したとき親戚といっても遠いものとなるが自分を助けられなかったのか?
それはその人の日頃の行いが悪いから助けられなかったのである。
借金で首が回らないから自分が困っていることなど眼中になくただ多額の借金だけが頭にありそんな人が自分が苦しいとき来たのだから最悪だった。
その人は人を助けるどころではない、弱みにつけこんで借金を申し込む、それが弱みがあるから無下に断ることができないから好都合だったのである。
自分にしてみれば恐ろしいことだったが相手も何も感じていない


ではなぜ助けられなかったからというと結局日頃の行いが悪い人が困難にあるとき助けることができない、その人はすでに借金を積み重ねていた、その原因は問わないにしろそうならずに前にすんだことはありうる。
つくづく人生をふりかえると日頃の何でもない行いが実はカルマとなりいいにしろ悪いにしろはねかえってくる。
人間は自分でも若いときからそんなことを考えないのである。その場その場をただ生きればいいとしか考えない、でも人間の行為というのは思いでも何かしら積み重ねれられていたのである。
何事一朝一夕になるものはない、例えば卑近なものでもそうなのである。
趣味でもそうである、将棋をやろうとしてもこれもかなりむじかしいから日頃がしていないと遊ぶこともてきない、写真でもそれをすぐに会得することはむずかしい、俳句だってこれは五七五に並べればいいんだとか老人にもなって暇つぶしにでもできるもんだとかはならない、やはりこういう簡単に見えるものでも積み重ねなのである。
季語を知るにもやはり毎年その季節をみてその感覚を積み重ねないとできないのである。


それはあらゆる分野でそうである。
積み重ねなくしてプロの粋に達するものはないのである。
積み重ねるときなぜ日本だけがアジアで西欧化に成功したかというと江戸時代の積み重ねがあったのである。一見外国と閉鎖して遅れていたように見えても江戸時代に積み重ねられていたものが西欧の文明にふれて活きたからこそ明治維新が成功したとなる
すでに和算とか技術的にもそれなりに明治になって活かされたものがある
工業化するための素地がすでに日本の江戸時代に作られていたということがある。
何でもそうして積み重ねたものが困難の時に活きるのである。


ではお前は何を積み重ねてきたのかというとこれもなんというか自分でも不思議である。ただお前は旅などして遊んでいただけであり何を積み重ねていたのだとなる。
それが自分でも不思議なのは何もしないことも隠者のような人でも何か積み重ねていたのである。
自分は石と樹とか花にひかれてそれを詩にしていた。それは社会生活とは離れたものであってもやはりアイディンティティ化していったということは積み重ねていたのである。
こういうことは勤め人になるとかえってできない、別な仕事に集中するようになるからである。
その人が積み重ねているものはみんな違っている。でも何かしら積み重ねていないものはない。それが60とかすぎると明確にわかってくるのである。
なんか自分の短歌とか詩が今避難区域になっている荒廃した地域の人に読まれているというのもそうである。
何か普通はあまり読まれないがこういう状態だから読まれたとなる
ふしだらな欲にかませた日頃の生活だったらまず若い内は許されるなどと言ってもでは後年、老人になったらできるかとなるとできない、
節制の生活も日頃からの積み重ねである。放蕩の限り尽くした人が突然節制した隠者になったなどはありえないのである。
そういう生活は打ち消しがたく顔にも刻印されるし心も刻印されるからもう打ち消すことはできないのである。



あらゆるものが積み重ねである。技術でもそうである。それは江戸時代からの積み重ねがあり発展してゆくものがあった。日本の技術が優秀だと言われるときやはりそれは江戸時代から明治維新から積み重ねてきたものがあったからである。
何か突然に奇跡のように日本が工業化したのではないのである。
この世に奇跡のように何の積み重ねもなくて成るもものはない
ただ天才になると努力しなくてもできるから普通の人は見習うことはできない
でも天才にしてもそんなにいろいろなことはできない、あの人は天才だったけどそれほどの功績を残していなかったなということはありうる
あの人は凡才だったけど後年結構いいもの作品を残したとかなる
ユダヤ人は悪く言われけど迫害されてきた歴史がある。
その中で土地をもたないから金融業とか会計とかに優れるようになったとも分析もある。
つまり農民とかと違ってそういう方面で積み重ねた歴史があった。
計算に強いということは数学にも科学にも強いからアイシュタインのような人が生れたとなる
最初はユダヤ人という人種が優秀に思えたのだがそれは特殊な事情で歴史的に積み重ねれらたものがあったからである。


いづれにしろ困難なのと時なにも積み重ねない人は何かしようにもできない
結局パチンコ屋とかギャンブルとか風俗とか金を費やすことしかできない
大工をやっていた人は大工で働いていた、それは日頃から大工の仕事をしてきたプロだからである。
例えば農家の人など土地がないから何もできないとなるが土地を借りて野菜作りした人がいる。経験しない人もしたがやはり経験している人はできる。
野菜作りはいろいろとめんどうでありむずかしいのである。ただあらゆるものは簡単にできない、何かしら熟練が必要になってくる。
こういう困難な時期だからとでは何ができるかとなると日頃何も積み重ねていなければ結局何もできない、ただ足手まといになるだけである。
そうして何もできない人たちはこういう困難な時期には迷惑になるだけである。
医者であれ看護師であれ大工であれ、、、、何かを積み重ねてきた人たちはこういう困難な時期に活きる、まず医者とか看護師ならどこに行っても就職できるからである。
そしてこういう困難な時期に看護師などはますます必要とされて活きるのである。
何か積み重ねたスキルがないものは突然に何かできるということはありえない
戦争するしたって自衛隊で無駄でも訓練も何もしなかったら最初から戦争などできない
技術の訓練をしていなければ今では戦争にもならないからである。


だから人生は日頃の行いで決まる。何も積み重ねないものは何もできない、困難に対処できない、何も積み重ねないから何もできないのである。
学問にしてもこれもまた地道な積み重ねなのである。自分は学問をしたけどやはりまだまだ地道な積み重ねが足りなかったとなる。つまり勉強することが知識は膨大だからみんなそうなる。
インターネットなどもなかったから知識の点でも狭いものとなったとかなる
必ずこうして人生は後悔しないものはいないのてある。
「鉄は若い内に打て」「若いときに汝の神を覚えよ」とかもめそうである。
若い内にそうしないものは一生その機会を逃してしまうから一生の悔いとなるから怖いのである。
ある時にしかできないものがある、恋愛すら時期をはずれるとできない、若いにしないならできない。それは一回しかできないとなる
見合い結婚が多いとき恋愛していないから六〇とかな退職してしてみたいとかいうのはそのためである。
旅などでもいつでもできるじゃないかと自分は思っていた。しかしこれもできない、ここほぼ十年は全くできなかった。でも旅は十分したから自分にはこの点では悔いがない
ただその他いろいろとしないものがあり悔いが残ったのである。
だから自分はいろいろな点で欠けている、でもあらゆるものが満たされている人はいないなぜなら人生の時間はそれぞれに限られているからである。
極限られたことしか経験しえないのである。


原発事故というのも津波とかの想定外というが日頃の積み重ねが悪かったのである。
事故が起きないようにせずに権力で政府と一体になり安全神話を作ってきたからである。もし三〇年とかの間にそうした技術の積み重ねをしていたら事故は起きなかった。
再三危険性を指摘されていても権力で無視できたからである。
だから自分はカルト宗教団体で経験したように権力をもつことは黒でも白といえることが怖いのである。アメリカとかは巨大な権力をもっているから軍事力で黒でも白と言えるのである。それは中国でも言える、権力が巨大化するのが怖いのはそのためである。
だからそうした権力の横暴を防ぐのも日頃からの積み重ねで国民がそうしなければもう権力の暴走はとめられないのである。
日頃積み重ねたカルマが良い結果となり日頃何もしないもの積み重ねないものは結果として必ず現れるから怖いのである。
それはこの世の厳格な法則である。それは個々人でもそうであり国家という共同体でもそうである。日頃の積み重ねなくして何もできない、困難なとき特別な力が奇跡的に働くということはありえない、日頃の積み重ねが困難なときに現れるのである。
だからこの辺の復興というときでも日頃から積み重ねがないものは何もできない
パチンコやギャンブルや何か無益なものに費やすだけだとなってしまう。
そういう人が多ければもう復興はできない、何の力もスキルももっていないからである。

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2015年11月12日

病院や病人や介護の仕事が中心の地方は異常 (この世には警官でも医者でもいない方が健全である)


病院や病人や介護の仕事が中心の地方は異常


(この世には医者でも警官でもいない方が健全である)


この世には因果な商売、ブラックなものが多い。本当にそんな職業などない方がいいのである。
病気になるとどうしも医者に頼り薬に頼り看護師の世話になる。
それで今は何でも商売だからいらない薬まで出して金にしようとする。
それが悪いというのではなく病気を相手にすればそうなるからである。
そしてそこにはどうしても過剰な薬とかいらない治療までする
それは金になるからである、病院や医者は健康にするのが目的なのだが皮肉なことにみんなが健康だったら病院は成り立たないのである。
本当はなるべく病院や医者にかからないで薬も飲まない方がいいのである。
でもそうなったらどうなるか?医者も病院も薬もいらないとなると医療関係の職業は失業するのである。


ずっと一年間口が渇いていたのは鼻腔がまがっていて鼻で呼吸できなかったからである。舌も乾くので唾液が出ないのかと思ったらそうではなかった。
口が渇くというだけで実際はいろいろな病気があるからこれも素人判断は危険だった。
なぜ自分がこうなるかというとなかなか病気をみてもらう余裕が時間がないので自分ですまそうとなる。
前の時もそれで失敗した。自分で介護などするようになると時間がないので自分の病気をみる時間がなくなるからそうなる
病院に行くのは手間になるからである。たいがい原町とかなると車もないから簡単に行けないのである。
今日は耳鼻科の開業医に行って良かった。口が渇く原因が明確にわかったからである。
それで鼻の治療をすれば鼻で呼吸できるようになれば直るとなる。
もともと自分は高校のとき二回も蓄膿症の手術をしている。だから自分は何か頭が冴えない、勉強にも集中できないので学校は嫌いだった、成績も悪かった。
鼻が悪いとこれは頭に来るので集中力がなくなりなにかだめだった。
自分は高校のときなにか本当に体力もなくだめだった、それでも大学に入れたのは三流大学だったからである。高校さえ卒業できない状態だった。
鼻腔が曲がっているとかは今は別に手術しなくても直せるというから治療もすでに四〇年以上たてば変わっているのである。医療の分野は日新月歩だからである。
だから病気はまず医者にみてもらいそのあとにその方面の情報を仕入れて対処するほかないのである。


原町辺りでもそうだがともかく病院が街の中心にある、この辺では高いビルはない、ビジネス関係のビルもない、それで南相馬市病院は一番高いビルであり入院していたとき海が広々と見えて船が行くのが見えた。
つまり地方では病院が一番高いビルであり目立つ、原町の駅前の小野田病院、大町病院などが街の中心のように見える。その回りに薬局がまた多いのである。
処方箋をもらったので耳鼻科の専門病院の隣にあったのでそこで薬をもらった。
そこで丁寧に説明してくれた。あの薬局その耳鼻科の専門病院の薬局のように錯覚するのである。
現代の地方は主な産業は病院と介護関係なのである。介護の施設も立派なのである。
その他はシャッター通りになっていて商業は衰退しているからだ。
だからこういう社会は健全ではないのである。


ともかく本当は病院とか医者とか看護師とか介護士とかそうした職業が中心になるような社会がゆがんでいるのである。つまり病人社会だとなってしまう。
みんなが健康であれば医者も病院もいらないのである。それこそ天国である。
犯罪が泣ければ警察もいらないのである。へたすると犯罪者がいなくて商売あがったりだと警官が言う、誰か犯罪をおかしてくれとかまでなる。
消防署員が火事がなくて仕事にならないからつまらないとかなり実際に自分で火事を起こした人がいたことでもわかる。
アメリカでは軍需産業が大きいから戦争がないと武器が売れないから戦争を意図的に起こすのだとか良く言われる。
これも怖い話だけどそれが全く空想ではない、現実にあるから怖いのである。


現代社会はそういうことが多い、教育にしても本当は独学ができれば自主的にできれば学校も先生もいらない、先生とか学校でも実際は補助的役割な時教育はうまくいっているのである。なぜならそういうときはみんな自主的に学んでいるからである。
だからインターネットでも自主的に学ぶ場があるといいのである。
武田邦彦氏などが音声でプログで発信しているけどあれも学校に行けなくても学べるなと思った。個人が主催する大学になっていた。
そういう場が増えれば学校に頼る必要がないのである。
そういうことをイリッチなどが指摘した。人間が専門家によって無能化されている社会である。
教育ではお前は学校と先生に頼らなければ何もできないとか、病気になればお前は医者や病院や薬局に頼らなければ健康になることはもうできないとかなる
株だって投資信託などに頼むのは自分にとても複雑な株などやれないからである。
そこで手数料とかかなりとられてもどうにもならないということである。


お前はなにもできない、無能なのだとどこでも知らしめられる社会だというのもわかる
何か問題が起きれば今度は弁護士を頼むとかなるがこれも法律がめんどうで専門家しているからわほからないから頼むほかない、何かもめごとがあっても自分では何も解決できないというのが現代の社会である。
そういう社会は何か個人でも非力であり何か自分が生きるという感覚にともしくなる。
生きる充実がなくなる、お前はただ何もできない、活かされている、専門家によってその支持に従えばいいのだとかなる
こういう社会では無力感があり何か自ら達成するとかの生きる喜びもくなるだろう。


いづれにしろ警察とか病院とか医者とかそうした職業が失業するようにな社会が健全なのである。だから天国にはそいいう職業はないのである。
病気にならないし老いることもないから介護の仕事もない、犯罪がないので警察も警官もいない、戦争がないから兵隊もいないのである。もちろん武器もないのである。
それが理想社会なのである。つまり警察とか病院とか医者とかが権力をもく威張っている社会は何か本末転倒なのである。だから天国に行けばそんなものないからなんだったろうとなる。
この世にはなくていいものがかなりあるのだ。カルト宗教団体などもそうである。
宗教が一つの商売として成り立つ、政治の票として権力を得られる
だからこんなものない方いいし戒名商売などの寺もない方がいい。
つまりこの世になくていいものはかなりある。その中心が地方だと病院だということは歪な社会なのである。
それは病人が中心の社会であることなのだ。そこに若い看護師が多いから地方では一番にぎわっているのが病院だというのも異常なのである。
そういう社会はまず活気などない、病人が中心になっていたらそうなる。
病院が必要でも脇役として目立たないのが健全なの社会である。
医療にはまた税金が使われ予算を圧迫しているし巨額だから深刻なのである。


自然にはそもそも病気がないのである。もちろん樹や花でも枯れるがまたすぐに蘇るしその枯れることに注目はしていない、枯れたらすぐに捨てるだけなのである。
自然はエネルギーに満ちた世界であり決してエネルギーが消失することのない世界である枯れることのない世界なのである。
そもそも人間が死ぬという世界自体間違っているから永遠の命なるキリストが生れたのである。
人間が死ぬということを前提にしたら社会でも何でも病的に見てしまうだろう。
人間は死なない、永遠に生きる、それも健康で生きる存在であってすべてのものに価値がありうる。そこに永遠の命の意味がある。
天国には老いている人も病気の人もいない、みんな若いというときそれが理想である。
まず病人とか老人とかが中心になっている社会はゆがんでいるのである。
老人でも元気ならいいが病人が中心になっている社会は異常なのである。
病人社会になると病人でない奴は社会の一員として認められないとまでなる
現代文明は病人社会だと批判した天才がいたのもそのためなのである。


ともかく母はまだ生きていて病院で死ぬ夢を見たという。自分も病院で死ぬ夢を見た。
それも彼岸へ魂が火の玉のようになって飛んでゆく夢だった。
病院ではそういう夢を見やすいのである。今はみんな病院で死ぬ
病院にはだから死臭が漂っているのである。当然死ぬ夢は見る。死ぬ場所だから当然だとなる 病人の幽霊が彷徨ってもいる。
でも家では寝ていても死ぬ夢はそんなに見ないかもしれない、病院では見るのである。
病院に行くと陰気になり病気が悪化するというのもそういう雰囲気がありそれが伝染するためだと思う。
何か生きるというものがない、人間は最後まで何か生きるということをもたねばならない病気になっても花が好きならその花に命を託すとか何か死ばかりにとらわれるのは良くないのである。
どうしてもそうなりやすくても人間は最後まで死ぬというより生きるということに焦点をあてるべきなのである。

とはいえ人間は弱いから体が弱ればどうしても精神も弱ってくるのである。
それを克服できる人はほとんどいないのである。
ちょっとした病気でも意気消沈するのが人間なのである。
こんなことを言っている自分でも病気になったら弱気になるのである。
高齢化社会長寿社会の課題はいかに元気で生きるかということに尽きる
そして死ぬときは仕事しながら死ぬのがいい、そういう人をみている。
自転車屋は自転車屋をつづけていてそのあと病院に入ったけどまもなく死んだとか一週間前まで九〇才の医者は患者をみていたけど死んだとかみている。
農民だったら田んぼや畑で死ぬのが一番成仏するとなる
病院に入るにしてもすぐに死ねば迷惑もかけないし医療費などかからないのである。
そういうふうに死ねない時代だから問題になる。


教授の診断は誤りで、手術の必要は全くないことがわかったのです。
ところがこの担当医は、「教授に逆らえば医者として生きていけなくなるから」という理由で、全く必要のない手術を、もちろん治療費を取って断行したのです。


医者というのも病院というものも世俗の場であり人間の負の部分が生々しく現れる場所でもある。第一聖職だなとと言っても一番腐敗したのは僧侶であったと同じである。
病院にも医者にも金にまつわることや派閥争いや地位の上下関係とかが露骨に現れそれで殺された患者がいたということはそういう世俗の争いに患者が犠牲になったということである。
病院の怖さは殺人罪にならずに人を殺せるという恐怖の場でもある。
人を容易に殺しやすい場所なのである。でも医療ミスでもほとんど問われることもないのである。
だから病院は恐怖の場所だった。でも一週間くらい緊急入院して死ぬのならかかわることもないからいいとなるのである。
そうはいっても脳梗塞とか脳出血とかその他そうした病気になるからみじめなのである。いくら願ってもみんながそうはなりにくい、まず身寄りがないとか独り身などは病気になることは恐怖になる。介護するものも誰もいないからである。
だからぽっくり死ぬことを真剣に願い何か病院とか介護にならない状態を求めることなになるが将来のことはわからないので願うほかないとなってしまうのである


タグ:病院 医者
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2015年11月13日

原発避難民で故郷に執着する人は少ない (話の面白い小高の人(続))



原発避難民で故郷に執着する人は少ない、帰るのは老人だけ


(話の面白い小高の人(続))

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精神的損害だけではない、ミネラルウオターまで補償金を出している、交通費もこまかく出している、いたりつくせりである。
五年から六年間補償すると土地や家もその間補償するからその額が大きくなる
浪江だとさらに倍とかになるかもしれない、期間も長いし土地を売るとなるとその額が大きい。
だから一億円をもらっている人はざらにいるというのもわかる。


話の面白い人とまた土手の道であった。それでまた小高の人がどんなことを思っているわかった。
最初は小高の人は原町の人は家があるのに補償金をもらったとしてうらやんでいたというそれは最初の内は補償金のことがわからなかったからである。
それで小高の知っている人が十万で知り合いの人を雇ってもらえないかと来たのである。原町の人は人で鹿島区に仮払金を一〇〇億とか市の財政から一時的にでも払うことを反対した人がいた。その時は補償金のことがわからなかったからである。
その後段々補償金のことがわかりそんなことはなくなった。
でもこの辺でもめているのは補償金のことだった。浪江の人と病院であったけど東電はずるいとか土地の補償金でもめていた。
それより今は小高の人でも今度は補償金が打ち切られるから浪江の人がかなりいるから浪江の人がうらやましいとかなっているという。
三〇キロ圏外と圏内では補償金の差は大きかった。それでも三〇キロ圏外のヒトデも四〇万くらいでももめていたのを知ったからつくづく人間は金でもめる。
遺産相続ともにている。人間の欲はきりがないのである。


ともかく三〇キロ圏内でも小高の人の補償は本当に手厚いのである。
今日の話でも仏壇にも墓にも補償金がでていた。仏壇には四〇万とかでたという、
それから狭い私道がありそこにも書類があり補償金がでた。
まず家と土地がある人は六年間とか補償金がでる、土地を広くもっている人は相当な額になる。例えば牛をもっている人でも補償金がでるし土地にもでるから額が大きくなる。
それで一億円もらった人はざらにいるというのも驚きである。
そのことは言わないというがそうかもしれない、どのくらいもらったか正確にはわからない、原町の人も言わないからわほからない。
ただ鹿島区の人は明確にわかっている。一人十万で七カ月分である。原町はこの三倍はもらっている。浪江とかはさらにもらっているし双葉、大熊となるはさらにもらっている。

そして今になると原発事故があっても補償金をもらった人は東電にそんなに恨んでいない、かえって喜んでいる人も多い、まず老人は喜んでいる、年金などたいしてもらえない人が多いからである。何も仕事しない人でももらえた。だからそういう人は原発事故があって得して良かったとなる。
その補償金で近くの競輪券の売り場で遊んでいるという、あとはパチンコ屋で遊んでいるだけだとなる。
年取った女の人は集まって何か話して遊んでいてかえって良かったとか何より金が入るので喜んでいるという。あと五年長引きけばなと言っている。
そして浪江の人をうらやんでいるのだから変なものである。
浪江の人は浪江の人で東電はずるいとか金をさらに要求している。
そして大臣が金目のものでしょうというのは本音だったのである。


原発避難民は故郷に住めなくなってさぞかし悲しいだろうと外からみている人もいた。
最初の内はそうだったろう。でも補償金がこれほど手厚いとなるとかえって得したというのが本音にもなる
なにかやといっても今は金の力が大きいということを感じる
金がないと子供すらよりつかないし友達つきあいもできないから貧乏老人は悲惨だとなるだからなにか自分は郷土をテーマにしてものを書いてきたがその郷土に執着する人はすくないのである。
今は田舎でもみんな会社員であり事故の後も移った会社に浪江の人が二本松に会社を移したので通っていた人がいた。そういう人はすでに二本松に住んでいる。それも補償金で家を建てたかもしれない。
不思議なのはこの辺で多くの新築の家が建ったけど小高の人だったけどその家に住んでいないという。住むために買ったのかと思ったらそれも一時的であり他に移り住む人がいるというのも不思議だった。
家は高いものだからそんな簡単に買えないものと思ったからである。
てもそれだけの補償金をもらった人は買ったのかもしれない、小高の人などは補償金バブルになったのかもしれない。


要するに補償金をもらって得したという人が多いというとき故郷に帰るとか帰らないとかあるけど故郷自体に執着している人は少ない、沖縄辺りまで移りそこに職をもって定住した人もいるという。
故郷に執着して住むという人は少ない、なにか自分が故郷にこだわるが他の人はこだわっていない、それが田舎に住んでいる人自体がその土地に執着していない人が増えた。
それより現実をみれば金だとなる。前からも書いたけど金の力が大きくなりすぎたのである。金があされば原発事故周辺でも食料に困ることなどないのである。
だからこんな状態になっても金がもらえたので良かったともなる
復興のことを考えているのはかえって外からの人たちであり小高なら小高でも補償金もらってほくほくだと言っているし小高自体の復興のことなど真剣に考えている人はいない、原町まで行けば何でも買えるし車で売り来る人がいるから買い物に困らないという。
飯館村も貧乏な人がいて借金していた人がいたけど補償金で払ったとかみんな遊んでいるだけだという。
時々何か飯館村でしていた牛の牧場を経営している人をテレビで写しているがそれはほんの一部であり他の多数は何もしない、ただ遊んでいる、ギャンブラーになったとかが多いのである。
実際もう故郷にこだわり住むという人は少ない、他に移り住むことを決意した人たちの方がもう三分の二とかなり還ってこないのである。
今は金の方が吸引力があり故郷自体にはないという時代である。
いろいろ書いてきたけどそれが現実だとなる。


小高といっても原町とか鹿島でも相馬でも移った人はそんなに故郷にこだわらない、そもそも同じ場所に住んでいると変わりないからである。
東京辺りの東電のビルに移ったような人たちは故郷をなつかしむかもしれないが
この辺ではほとんど同じ場所に住んでいるのと変わりないのである。
だから補償金をもらって得したと感じている人が多いということである。
啄木のように故郷を思う人は少ないとなる。
啄木は病気になって死んで故郷に帰れないということで望郷の歌を残した。
でもこの辺では故郷から離れてもすぐに死ぬわけではないし金をもらって余裕をもって生活できるならどこでもいいとかなる。
沖縄に住んだらそこも温暖でいいとかなる。そこに望郷はない。
それでこれだけのことが起きても外部からいろいろ同情されるのと内部の人の感覚は違っている、むしろ原発事故で補償金をもらって良かった人が多いとなる


津波では補償金は出ないが原発事故では補償金の額が大きかったから違っていた。
老人にしてもその人も自分もそうだがどうなるにしろ人生も終わりだというこでは同感である。それなら金をもらった方が得だったとなる
「どうせ終わりだ」というあきらめが老人にはある。だから深刻に考えないのである。
若い人と老人の感覚の差がこのことが一番にでる。
若い人はこれから何かを得ようとするが老人はもう何かを得ようとするより人生は終わったという感覚になる、若い人は何かを得ようともだえ苦しむが老人にはない、あとは死ぬだけだからどうでもいいとかなってしまう。
でも本当にどうせ終わりなの?となると疑問である。
なぜなら何かを必ず後世に伝えるものがあっていいからである。それが何であったのか?
それが老人にはと問われているのである。人間は歴史的に生きるとは一代で人生が終わらない、必ず次の代に受け継がれるものがあるから歴史的存在なのである。
津波原発事故のことも後世に負の遺産として引き継がれる、それも歴史である。


ともかく故郷をどうしようかとか復興についてもあまり考えない
若い人は若い人で見切りをつけたからこれまた故郷に執着などしないのである。
ただ三〇キロ圏外では補償金で大きな不満が残った。かえって損したとなる。
その補償金の差が三〇キロとか二〇キロ圏内とかで差があまりにも大きすぎたのである。引っ越すにも四〇万とかなにから何まで二〇キロ圏内とかなると補償されたからである。南相馬市だったらその補償がもっと公平にあるべきだった。
政府や東電が決めたにしても何か行政で公平な配分を考えるべきだった。
福祉関係、介護まで鹿島区は差別されたのである。
そういうことが今後も尾をひく、小高の人たちは補償金を多くもらったのだから別に協力しなくてもいいとかなるのである。
だから金は誰のものととなるかというと政府や東電だけで決められるものでもなかった。それはただ便宜上、三〇キロで区切り決めただけである。
金は共同体のものである。共同体というときいろいろあっても南相馬市のものとしての共同体にまず支払われるべきものだった。
もちろん小高はそれなりのものが支払われるべきである。しかし福祉関係まで差別しているのは差別であり不公平であり南相馬市の共同体員としては許されるものでないから不満が大きいから金の問題はしこりが残ったのである。

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タグ:原発補償金
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2015年11月14日

南相馬市小高区の人たちに問われているもの (小高病院の配管修理七億円は誰が負担するのか?)


南相馬市小高区の人たちに問われているもの

(小高病院の配管修理七億円は誰が負担するのか?)


南相馬市の問題はすでに小高と原町と鹿島とが合併したとき起きたのである。
合併のとき利害関係でもめたのである。どうしても原町が五万と人口が多いのだから中心となり予算も原町中心に配分される、主な施設も旧原町市に作られる。
だからそもそも合併したとき鹿島区は一番損だったと言われてきたのである。
結局市町村ではこうした問題は他でも起きている
ただ津波や原発事故でこの辺はその合併のことで問題が浮き彫りにされた。


合併による効果を追求すれば、中心部に投資を集中し、周縁部を切り捨てていくことでしか成り立たない。企業合併では、集中化された投資でこれまで以上の成果があげられればそれでもよいが、市町村はすべての市民と地域に対するユニバーサルサービスが前提であるから、そういう意味でも効率化は進まない。

国が進める市町村合併は、行財政の効率化に主眼が置かれ、本来の目的である地方分権=住民自治の推進の影が薄れ、強制合併の流れを加速させるような動きさえ見られます。

近接する自治体だけでなく、概ね共通した歴史的背景や産業構造に立つ圏域全体について、自分の地域との関連を見渡す視点も必要です

合併論議が行き詰まる背景として、核的な自治体がある場合には「小が大に飲み込まれる」との不安が大きい。

合併というのは行政でもむずかしいものだった。それは国から押しつけられたものであった。だから合併後も様々な問題が他でも生れたのである。
南相馬市は津波や原発事故で特別な地域として合併したことで問題が起きた。
それは原発事故直後から起きた。鹿島区は三〇キロ圏外であり国や東電から補償金が出ない地域だった。でも実際は久ノ浜も三〇キロを栄にした地域だが一所帯百万とか出ていたのである。この辺で一番もめたのが補償金問題である。


最初事故が起きたとき鹿島区の人も補償されないと当面金で困る人がでてくるということで補償の仮払いとして緊急措置として百億円を市の財政から出すことに桜井市長は決めたそのことで旧原町市の人で激しく批判した人がネットにいた。
それが市の財政だからそうなった。鹿島区も原町も小高も財政的配分で一番もめたのである。政治とは財政であり予算の配分のとき、金の配分のとき一番もめる。
それは遺産相続と同じである。それが不公平だと市民としての団結は喪失する。
つまりなぜ鹿島区は30き圏外でありそれを市の財政で一時的にも負担せねばならないのかということで原町の人が怒ったのである。それはネットだらか目立たないにしろ自分は読んでこれは何なのだと思ったのである。


そのことは今度は小高の人たちに向けられている。その具体的例として一番わかりやすいのは小高病院の配管工事に七億円かかるということなのである。
小高の人はそのことについて関心がない、その金をどうするんですかと聞くとそんなもの市であれ県であれ国であれ東電が補償するんだよと言っている。
でも病院の配管が壊れたのは原発事故のためではない、地震のためだったのである。
政府と東電は地震と津波の被害は補償しないのである。
何かこれもこの辺では混同されているのである。


南相馬市民や福島県でも広く放射能の被害があった。そして多額の補償金をもらったのは三〇キロ内の人であり特に小高は一億円もらった人もざらにいるというときそうだった。ではその金をなぜ南相馬市の財政から出さねばならないのか?
また県で国で出せねばならないものなのか?
その理由が明確ではない、原発事故に由来するものならわかる。でもそうでもない。
鹿島の厚生病院でも大規模に直している、でもそれは農協で運営しているから農協で出すのだろう。
小高病院は南相馬市で運営しているから南相馬市で負担しろというとき南相馬市民としては納得できないのである。
小高区は補償金をそんなにもらっているのになぜその人たちが自分達の住む小高の病院のために金を負担しないのかとなる、ただただ自分たちだけ補償金をもらえばいいというのは勝手すぎないか?


小高区の人達はそういうことを全く考えていないし頭に浮かんできてもいない
ただただ自分たちは補償金をもらうだけもらえばいいと思っている
これも合併した結果として起きた問題でもある。
もし小高町としてあったなら小高町の財政から出すのだから別に原町とか鹿島の人から文句は出ないからである。
つまり小高との軋轢は南相馬市民となったときなぜ小高だけがそんなに原発の補償金がもらえるのかということなのだ。
原町区も鹿島区の三倍とかもらっているから鹿島では不満になり不公平感を募らせているそれは国や東電で決めることで南相馬市の行政ではどうにもならないことだとなるがそれもまた政治の問題だから何か解決方法がとられるべきだったとなる。
それは政治家と行政の怠慢だったともなるし市長にも問題があったとなる。
三〇キロ圏外はもともと補償金は支払われないのを支払われるようにしたのですよと市長を援護している議員がいたけどこれもまた勝手に思う
現実に久ノ浜もは三〇キロ圏外でも一所帯百万とか補償金がでているからである。


小高の人は小高病院が老人でも帰るとき大事だとしたら寄付金を集めても修理すべきではないか、それくらいの金はもらっているのだから集まるだろう。
その目的も明確だからである。でもそういうことすら考えにも浮かんでない
ただひたすら補償金を個々にもらえばいいとしかなっていないのである。
そして若い人は補償金をもらったら他で暮らせばいいという考えしかないのである。
だから補償金の奇妙なのは政府や東電から個々の家族に補償したものであり小高区という前の町という共同体に補償されたわけではないからみんなそれでは金をもらったら若い人は外に出て家を建てて帰ってこないとなる
もし南相馬市であれ前の小高町に補償金が出るならその共同体でその補償金を分配すれば違っていた。
小高に住まない人には補償金の配分は少なくするとかいろいろ方法があった。
そもそも個々人に家族に分配したからもう小高としての共同体は分離して分散してしまったのである。


金は誰のものかというときその問題は世界的にも問題になるしどこでも問題になっている金は共同体のものだということを歴史的理論的に追及した本を読んだがなるほどと思った金とは共同体のものであり私権を追及して私利だけでは処理できないものである。
だから小高だけではない、浪江であれ双葉であれ原発事故周辺ではなぜ三〇キロ圏内だけが特別補償されるのかといういわきでもそうだが広域的な共同体として問われたのであるなぜなら浪江の人でも相馬市にでも二本松市でも福島県に広範囲に住むようになったからである。
そうなればやはり現実的に浪江町民だけの問題ではない、そこに住んでいる住民の問題としてのしかかっているからである。
だから自分たちがただ国や東電から補償金をもらうだけもらえばいいとはならないのである。それは広域な共同体の問題となっていたからである。





タグ:市町村合併
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推理小説に興味をもった訳 (自分も犯罪にあって経験してわかったー人類の歴史は罪の継続)



推理小説のドラマに興味をもった訳


(自分も犯罪にあって経験してわかったー人類の歴史は罪の継続)


自分は推理小説とか読んだことないしテレビでも見ていない、何か馬鹿にしていたのである。
なぜ興味をもったかというと自分自身が深刻な犯罪にあったからである。
犯罪にしてもテレビとかニュースで毎日みている限りそれはただ面白いというだけであるところが一旦自分の身にふりかかれば自分自身が甚大な損害を受けるのだから全く違ったものとなる。
テレビでもマスコミは犯罪を絶え間なく報道しているのは犯罪というのが人間にとって一番興味深いのである。
ただ幸福な家庭の風景を写しても誰も興味を覚えないのである。
「不幸な家族はみんなそれぞれ違っている」が「幸福な家族はみんな同じ」だとトルストイが言うのもわかる。
犯罪でも様々な犯罪があり同じものがない、ただ動機には人間はじまってから同じものが延々として継続されている。
そもそも聖書でも犯罪の記録というのが一面あったのである。
カインが犯罪を犯したことが人類最初の犯罪の記録である。それは兄弟殺しだったということはすでに兄弟間で起きたというとき家族が不和になることはどこでもあるのだ。
調和した家族があったのかというと何か家族そのものが調和しないものがある。
だからそもそもキリスト教でも仏教でも家族を否定することからはじまっていることでもわかる。それはもともと肉の結びつきだから否定されたのである。
どんな家族でもだから何かしらそうした兄弟殺しでなくても何か問題が起こりやすいのである。


推理小説でテレビドラマでも犯罪が起きたとき必ず動機を重んじる。
なぜ殺人になったのか盗みになったのか、なぜそんなことをしたのか問題になる。
犯罪動機が問題になる。それはカインの犯罪から共通したものがある。
カインの犯罪の動機は宗教がからんでいるから複雑だけどこれもまた自分の捧げ物
カインは地の実り野菜や果実をアベルは羊を捧げたということにあったが神が認めたのはアベルの捧げ物だった。

お前の弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいる」というのです。「わたしに叫んでいる」というのです。殺されたアベルの血は殺したカインに向かって叫ぶのではなく、神に向かって叫んでいるというのです。

ただカインへの復讐を求めての血の叫びではないだうろと思います。そうではなくて、殺された者は殺した者に対して直接復讐しないで、それを神に訴えよ、神に復讐を任せなさい、それが神に向かってのアベルの血の叫びであり、それが「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」ということなのではないかと思います。


このサイトではカインに徴(しるし)をつけたのはカインが殺されないように守るためだったと書いてある。神は復讐を禁じたのである。
神が復讐する、人は復讐をしてはいけいない、神が裁き神が罰を与える、人を裁くなというとき人間にとても裁く力ももっていないからである。
何が正義かなにが悪か善かも本当のところはわからない、この世では悪が善になり善が悪にもなにからである。
世界になるとイスラム国の問題があるけどそれももともとアメリカがイラクを攻撃した結果として生れた。アメリカが善でもない、日本とアメリカの戦争もアメリカがすべて正しいとならない、それを裁けるの神しかいないとなる。だから裁くなとなる。
でもアメリカは世界は日本を敗者となったとき裁いたのである。戦犯として裁いたのである。


神が裁くなというとき江戸時代までは仇討ちが許されていたが公認されていたが明治以降は禁止された。それは復讐を拒否する宗教的なものが実は法律にあったからである。
法律が生れたのは宗教が基でありたいがい直接的な復讐を禁じる。
西欧文明が文明が日本では技術とか機械に注目したがそれ以外に宗教もかかわっていた。キリスト教が西欧文明の基だというとき内村鑑三はそう見たのである。
つまり西欧文明にはキリスト教を根幹としているからキリスト教なしではありえないとしたのである。


カインの罪は捧げ物が神に拒否された理由は一つは自分を義としたことにあったのかもしれない、人間は自分を義とすることはできない、義とするのは神しかないのである。
そこに人間の過ちが以前として継続されている。アメリカは常に自分が正しい、義としていることでもわかる。義とするのは神であって人ではありえないからである。
このカインの罪はまた宗教的問題でもある。カルト宗教団体はその団体自体を義としている。だからオウムではポアしてもいいとなる信仰になった。
そういう宗派的なことはイスラム教でも起きている、自分たちだけを信仰で義としてそうでないものは殺してもいいという思想である。それはカインのアベル殺しからはじまっていたのである。それは宗教戦争のはじまりでもあったのだ。
人類とは歴史とはつくづく罪の継続なのである。延々と罪の継続なことは変わりなかったのである。


推理小説でもドラマでもまず殺人があったとき、動機が問題にされる。なぜ殺したのかということである。それにはいろいろ動機がある。金が欲しくて一万くらいでも殺人がある他に男女関係でもありそういうことは人類の歴史では延々と継続された歴史である。
ただ人間はあまりにも複雑だから殺人の動機でも面白いから殺人するとかまであり複雑なのである。動物はただ飢えているから他の生き物を殺すだけであり人間のような複雑なものはないのである。
今回の推理ドラマで殺人する動機に強いものがないとして刑事が疑った。これも深い洞察だと思った。動機がそれだけ大事なのである。
ある人が犯罪を犯す強い動機があればまず最初に疑われる
自分も犯罪にあったからそのことがわかった。犯罪にあった人が今でも近くにいるから殺したいと思った、他にも自分が苦しめたものに何か復讐の念さえ起きた。
いじめられるたりしたらそれで復讐しようとするだろう。そういう念が起きたしそれは長く消えないのである。


しかし今は復讐する気持はなくなった。犯罪の不思議は犯罪を犯した人と犯された人との間に深刻なものが生れる、もちろん殺人を犯した人が普通ではいられないだろうことはイメージする。しかしまた身内を殺されたとか何か甚大な被害を受けた人もまた深く傷つくのである。その傷痕は深く残るのである。
だからこれ許すというなると容易なことではないのである。
だからそういう被害を受けたものは殺したものは殺されるべきであり目には目を歯には歯をとイスラム教国では今でも実行している。
宗教で復讐しないで許しなさいということが言われても実際に犯罪を受けたら誰でもそうはならないのである。
それがいくらそれがキリスト教信者でも何かの信仰をもっていてもそうである。
何か犯罪を受けたら許しなさいとは簡単にならないのである。


ただ自分の経験では不思議なのは許しとは犯罪の相手を許すということではない
その犯罪者を前にしてその人が謝ったとしても決して許さない人もいる
とても許せないのである。だから許しとは何なのかとなるとこれも複雑である。
許しとは犯罪を犯した相手を許すことではない、自分自身の心の中で許すことにより
自分自身が救われる、心が平和になるということである。
なぜならそうした犯罪者に激しい憎しみをもちつづけたら心の平安が延々と得られないからである。
その犯罪者を前にして許すというとき本当に許すいうのは心の中で起きてくることなのである。
心の中で許すとなれば平安が得られるからである。
一方で犯罪を犯した人の許しはどうなるのか?
犯罪の被害者が許せば許されるのか?
この犯罪者の方が罪の問題として深刻になる
それは被害者ではない、その良心が問題になるからである。


私は罪を犯しましたといって誰が許すのかとなる
それは被害者ではないとしたら誰が許してくれるのかとなるからである。
それは誰に求めればいいのかともなるからだ
そして簡単に許されて心の平安が得られるのか、それも犯罪を受けた人より深刻になる
でも全くそんな罪を感じない人もいる、それも何なのだろうとなる
ただ殺人を犯した人はどうしても深刻なものとなるからそこで罪を感じないことはありえないと思う、その罪を消されないということで延々と苦しむことになる。
そっちの方が過酷だとなるからそれは神が許さなければ許しがないとなるから深刻である犯罪の被害者は心の中で許せば許されるからである。


何かこの感覚はそうした経験を得ないかぎりわからない、人間はとにかく経験しない限りわからないことがあらゆることで多すぎるのである。
だからニュースで絶え間なく犯罪が報道されてもドラマとして面白がっているだけなのである。
例えば宗教を説くにしてもただ教義を説く人でもわかっていない、それが学問でも同じである。現実の問題でどう活きるかが問題なのである。
それはこの辺の津波とか原発事故でも同じだった。この窮地を問題をどう解決していいのかなど未だにわからないからである。


ともかく許しということは犯罪を犯した相手を許すということに見えてそうではなかった自分自身の心の中でまず許すのでありそれは心がそれにより愛に満ちて平安を得るからである。延々と憎しみと呪いになっていたら平安がなく自分自身が不幸になる。
例え復讐しても決して平安は訪れないしさらに自分自身が犯罪者になるという恐怖であるそれが推理小説ドラマのテーマとなっていることでもわかる。
必ず復讐が動機となって犯罪を犯された人がまた犯罪者になるという悪循環が生れるからである。
その復讐の連鎖を断ち切らない限り人類に平和はないのである。
それは個々人でもそうである。
人間は他人の罪を追及する人が多いが自分が罪人だと自覚する人はまれである。
何も犯罪も犯していないのにそういう人はかえって宗教的である。


親鸞はだから悪人が往生するというときそのことだったのだろう。これは誤解されやすいが自分を悪人だと自覚する人がまれだからそう言っている
たいがい自分は悪いことをしていないと言っている、自分は善人だとしているからであるそういう自分もそうである。それはほとんどの人がそうなのである。
自分か悪人だと思っている人はおそらく殺人犯でもそうかもしれない
殺したとしてもあいつは殺されて当然の奴だ、神に代わって俺が殺してやったのだとかと思っている人さえいるかもしれない、だから自分が悪人などと思う人がいないからそう言ったのだろう。
それは宗教関係の牧師とか僧侶でもそうである。その人たちは自分が罪がないとしていて人の上に立っているからである。
あたかも罪がないようにふるまっているけどそういう人が最悪の罪人だということもあるカルト宗教団体の長になっているような人はみんなそうである。
自分には罪はないとして聖人だなどとしているのは一番罪深いともなる。
だから宗教団体とは教会ですらかかわらない方がいい、自分は一回も教会に行ったことがない、教えを乞うたこともない、カルト宗教団体で活動していて時間を浪費してからかかわっていない。
宗教自体が誰かに頼ったり団体にかかわること自体が危険なのである。


とにかく今日見た推理小説はドラマは相当に人間を洞察したものであり感心した。
それは犯罪の動機を深く追及したものだったからである。
いくら過去に殺す動機があってもそれが強いものとはならないとして犯人を探したからである。
実際は簡単に殺人があるのも確かだが普通はか殺人まで簡単にはならないということでもある。
結局人間の一生はドラマであり神が作ったドラマである、そのシナリオは神が作っているのである。だからその結末は本人も誰もわからないのである。
死んでみてやっとわかったとかなるし歴史の真実も百年たってもわからないこともある。それだけ人間を理解することはむずかしいということである。



2015年11月14日(土)12:00〜13:52
火曜サスペンス劇場
刑事 鬼貫八郎6 「十六年目の殺人」

これはドラマ的にも深いものがあった。一六年目前のことが尾をひいている。
でもその一六年前に帰れないということがテーマだった。
人間はもう青春時代でも何でも帰りたいと思っても帰れない
なぜあの時戦わなかったのかと親の言いなりの結婚したことを反省している
従順なこともいいとは限らない、一旦そこで行動しなければ全生涯にわたって影響するしもうその時点にもどれないことが致命的なのである。
このことを人は必ずあとでふりかえり悔いるのである。
でも時間はもどらない、永遠にもどらないのである。
人生は一回であり二回を経験することができないからである。
そうした過去の因縁にこだわり事件を起こしたのである。
そもそも過去の因縁にこだわったことがいけなかった。
今は成功していたのだからそんな過去にこだわる必要もなかったのである。






2015年11月15日

フランスのテロはなぜ? (なぜテロはなくならないのか?ーその原因の追及)



フランスのテロはなぜ?


(なぜテロはなくならないのか?ーその原因の追及)


●経済的問題

●宗教的問題

●政治歴史問題



フランスでテロがなぜ大規模に起きたかその原因はイスラム国にあり世界で協力すべきだと会合があった。
そもそもなぜイスラム国が生れたのか?それはイランへの理不尽なアメリカの一方的な侵略にあった、化学兵器があると難癖つけて一方的に攻撃した。
フセインの残党がイスラム国になったといわれるからだ。
シリアでもトルコであった日本人がシリアはいい、素朴な人たちだと感心していたのもそうである。別に社会主義国で平和に暮らしていたのである。
そういうものを壊したのは民主運動でありそれは欧米が介入していたのである。
リビアでもイラクでもシリアでも元の状態のままが良かったと今ではなる
それが悪い面があるにしても独裁でもこんな悲惨な混乱状態になるよりは良かったとなるつまり民主化がそれなりの土台がないとできないということである。
日本ができたのは江戸時代から民主主義が根付く基盤ができていたからだとなる
明治維新でもなぜ日本だけが欧米などにより植民地されない唯一の国だったかなると
そういう基盤が国としてあったからである。
もしなかったら今のようなイラクやリビアやシリアのようにずたずたにされていた。
大国が加勢して二分されてずたずたにされていた。


そしてこの混乱を産み出した原因はテロの原因は何かというと経済的問題がある。
イスラム系はアラブ国は経済的に中国のようにも発展できないのである。
工業化できないから先進国になりえない、貧乏な人が多いのである。
貧乏問題というとき日本にも今は深刻である。そこから様々な問題が生れる
貧富の差が大きくなれば国が二分して争うことにもなりかねないのである。
ではなぜ貧富の差が生れるのかというとこれもいろいろあるからいちがいには言えない
なぜ創価でも共産党でもそうしたカルト宗教団体であれ政党であれ力をもつのか?
そういう組織団体が根強く社会に存在するのか?
それは底辺層が経済的弱者でも権力の恩恵にあづからない人たちが必ず一定数いて不満をいだいているからである。


だからイスラム国の問題でもその底辺には貧乏問題があり欧米に搾取されている先進国に石油だけもっていかれて豊になれないという問題がある
創価とイスラム国は違っているようでにている面もある。
今は違うがもともと底辺層を見方にして拡大したからである。
それが宗教になっているのもにているのである。
底辺層というのはそういう人を知っているがその人たちは宗教をどうのこのうイデオロギーがどうのこのうと関係ないのである。何か得になる、困ったことがあれば助けてくれることだけを望む、仏教の悟りとか信仰とは関係ない、何かしら人がいて助けてくれるから頼れるから入る
一方社会で経済的に困らない人たちは宗教でも自主的であり経済問題から入らないのである。だからどこの国でも底辺層がいるかぎり不満がありそれがテロの温床ともなる
社会の不安要素となるから社会を安定するには経済問題の解決が必要となる


底辺層にはまず保証人などいない、就職するにも保証人が必要でありそのとき高い地位にある人はコネがありそれなりのいい所に就職できるとかいろいろ有利なのである。
そこから差別される、フランスでも移民はそうして常に不利な立場にあり不満を募らせるのである。それがテロの温床になる。
保証人問題はいたるところにつきまとっている。そういう立場に自分がなったときもう施設にも入れないとか嘆いている人たちに同感した。
奇妙なのはその人は多額の借金していて自分が困ったとき病院で手術するときとか保証人になってくれた。
でもそれを恩にきせて借金を要求してくる。それは絶えず何かしたら借金を要求するから怖い、弱者が弱者を食い物にする、責めてくるのもある。弱者が弱者と協力するとも限らない、弱者になると責めやすいからそうなる。弱者が弱者をねらうのはそのためである。
まさにこの世は食うか食われるかの地獄である。

自分と似たような境遇で比較的親しい人と、「どっちかが入院することになったら、入院の時には互いに保証人になりましょう」と、病気になる「前」に契約しておくことです。

こんなふうに弱い者同士助け合うほかないのである。ところが金銭的なものになると弱いもの同士では助けられない、金がないもの同士では助けられないのである。ここにも弱者の問題がある。

現実に連帯保証人で苦しんでいる人が一千万いるとか保証人問題は深刻なのである。
保証人のいない人は社会で弱い立場になる、保証人とはコネなのである。一方で社会で権力をもち地位のある人はそういう心配はない、常に有利な立場に生れたときから立つともなるのである。
そうするとどうなるかとなるとそういう弱い人たちは弱い人たちで集まり助け合うとういか団体を作り社会の有利な立場にある得する人たちと対抗することになる。
それが激しくなるとテロになるのである。
そういう格差が解消すればテロはなくなるのである。
つまり革命とは何か?それはそうして社会の中で得する人たちがいてそういう人たちの作った社会を壊して自分たちが得する権力を得る人たちになるということである。
それは中国でもロシアでも同じだったのである。結果的には今度は権力をもったものが下を虐げ権力を得られないものは不満がつのりまた革命が起きる
だからこうして経済的にも権力的にも公平にならないといつまでも社会には不満分子がいるかぎり不安定な状態はなくならない、テロもなくならない、グローバル化社会では世界的貧富の差で不満が募りテロが起きる。


一見宗教戦争のように見えてもそうではない、現実に確かに最初の殺人がカインにはじまったというとき宗教戦争のはじまりだった。自分が捧げたものが神に認められないということの不満がアベルを殺した。それは宗教的なものに由来していた。
それは確かに宗教的な問題でありそれが殺人の始まりだというのもわかる。
その殺人は別に貧富の差とかとは関係していない、純粋な宗教的問題であり宗派争いともにている。
でもヨーロッパではカトリックの宗教は権力をもち政治支配をしたことの反省から政教分離が生れたし人権主義に移行した。宗教がかかわると宗教戦争とか世俗のことが治めれられないからである。
イスラム国のように極端になると無宗教者や信仰しないもの、キリスト教でも人ではないとか殺されても当然だとなり実際に実行している。
そうしたらとても国も治められない、それでフランスでは人権主義になったし、人権主義が世界的になったのは例えばこいつはイスラム教徒ではない、キリスト教徒ではない、だから苦しくて助けてくれといっても助けなくてよい、死ぬのかいいとなってしまう恐ろしさかある。
そういうことが病院でも起きる、この人は信仰していないから医者でも看護師でも殺してもいいとかなることが怖いのである。
現実に宗教団体か経営している病院だとそうなりやすい、宗教に関係なく助けるということがない
人権主義ならその人の宗教も国籍も関係なく困っている人苦しんでいる人を助ける平等と博愛にならからいいのである。
それはフランス革命で起きたのである。結果としてイスラムからの移民も宗教と関係なく受け入れた。
でも実際はフランスでも移民は差別されるから不満が募りテロになったのである。

そもそも宗教とは何かというときそれは心の内面の問題である
自分が犯罪の被害者になったときそれがわかった。その人自体を許すとかとは関係ない
自分の心の中で許したとき平安になった。それは不思議な経験である。
自分に被害を与えた人とは直接関係しない、自分の心の中で許したとき愛が満ちて平安になったという不思議である。そういう改悛とかが宗教なのである。
そういうことはいくら説教されてもわからないのである。自分がそういう立場になるないとわからないのだ。
いづれにしろ宗教がかかわるとややこしくなるからかかわりたくないとなる。
オウムのようにな何がなんだかわからなくなる。最も複雑なものとなる。
宗教の恐ろしいのはこれも人殺しが全く恐れもなくできるようになることである。
神の信仰のために人を殺すことが平気でてきるようになるから怖いのである。
「アッラー、アクバル」で何でも通ってしまことになる。
それは題目を唱えて日蓮宗でも念仏宗でも戦争することに痛じている。
聖戦とか天皇が神だとして戦ったことにも通じているから怖いのである。


宗教はもともと一つである。特にユダヤ教からキリスト教からイスラム教はもともと一つである。アブラハムの信仰から発している。だからイスラエルにはその三つの聖なる場所となっている。
最大の戒めは偶像崇拝の禁止の一神教である。だから今の争いは宗派争いだともなる。
宗教で一番守らねばならないことは偶像崇拝なのである
人間はどうしても神がなにかというとき見えるものを拝む、それが自然でもそうであり人間が神となることもある。でも神が目にみえないものであり目に見えたとしたら必ず汚されるから目に見えないのである。
偶像だってそれは永遠のものではない、必ず壊されるしはかないものである。
だから宗教というとき偶像を倒さない限りありえないし否定することが最も大事なのこととなる、だからどうしても仏像などを作る宗教とは相反するのである。
つまり偶像を否定する戦いが宗教だと過激化すれはなる。それが神を知るための一番の戦いになる。それが集団化するとイスラム国のようになる
でもそのことは今も継続されている。個々人でも宗教は偶像崇拝を否定しないとわからないからだ。
人間は必ず偶像崇拝に陥るからである。
ただイスラム国の問題は経済問題、政治問題、宗教問題などからんで起きているから単純に宗教だけのも問題ではないのである。



posted by 老鶯 at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

晩菊(墓地のある路地裏の道)



晩菊(墓地のある路地裏の道)

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この駅舎とそっくりなのである




枯菊や二両の電車に駅舎かな

晩菊や路地裏通り墓の前

晩菊や古き碑残る街の中

晩菊や雨ぬれあわれ路地の裏

五本松一本枯れるや冬に入る

残菊や街道に残る五本松


ひらひらと木の葉の散るや六号線車は見ずに過ぎ去りにけり

残菊の咲くを見ゆるも六号線車は見ずに過ぎ去りにけり

墓の前木の葉散りにし今日もまたこの道通りなお母生きぬ


枯菊に駅舎がにわっている。駅はさびれている。だから枯菊がにあうともなる
今は二両の電車であり途切れてしまっているから余計にそうなる
枯菊がにあうということはまさに老人が多いということである。
でもそれは何か落ち着いて老人も風景になるのが田舎だとなる
東京辺りの駅とはあまりにも違いすぎるが落ち着いているとなる
やはり老人になると東京のような所に住みたくない
大都会は老人にはあっていない、もちろんそこに住んでいる人はまた違う
便利なものがあることは確かである。
どっちかというと欲望でぎらきらした若者とか中年があっている
自分は何か若いときあんなところにいても違和感を感じなかっんたからである。
今やもう十年以上東京には行っていないから遠いと思った。

毎日同じ道を通っている、路地裏の道でありそこには自分の家の墓がある
その路地裏に菊が咲いている、晩菊である。
鹿島でも街中が意外と古い歴史があった。それは街中に住んでいた同級生の家が南北朝時代からの由来をもつ古い家柄だった。
それはあと書くにしてもここ十年はほとんど狭い範囲で生活していた。
相馬市の日立木の道の駅まで行くがそこから市内は遠いから最近また行っていない
五本松の一本枯れていたことにきづいた
あれも枯れてしまうだろう、松は枯れやすいのである。

木の葉が六号線にはらはらと散る、それを自転車だと見ているが車だと走りすぎるだけなのである。
残菊も道の脇に咲いていても車だと見えないのである。車はそうして何か人間的感覚から離れるのである。車にのっていると季節感も感じないということかあるだろう
ただ車をもっている人ともっていない人との差が大きい
自分には車をもっていないからそれがわからないのである。

いづれにしろ自分の母親は病院で点滴して生き延びているけど生きたくないと言っていた百歳まで生きたから生きたくない、点滴はいらないと言っていた。
ということはまだ意識がありわかっているから生きているということになる
自分の母親はなにかやせていて何もできない人だと思っていたけど百歳まで意識がまだはっきりしてわかっていることに驚く
認知症になって何もわからなくなる人もいるからだ。
姉は最後だけ正気にもどってそのまま無意識になり一カ月後に死んだ
病気になって死んだのである。病気にならないとなかなか死なないのである。
でもそんなふうにして生きているのも嫌だから死にたいとなる
今はなかなか死ねないというのも困る ただ自分は相当に楽になる
家にいればなんかいるだけで疲れるのである。






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