2015年10月31日

京都も方角がわかりにくかった、鞍馬山は暗部山 (京都は滋賀県とも地理が一体である)


京都も方角がわかりにくかった、鞍馬山は暗部山

(京都は滋賀県とも地理が一体である)



秋の夜の月の光しあかければくらぶの山も越えぬべらなり(在原元方) 
(訳:秋の夜に出る月の光が明るいようなので、闇深い鞍馬の山も越えていけそうだが・・・)

梅の花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞ有りける(紀貫之) 
(訳:梅の花の匂う春には、さすがに鞍馬の山の闇を越える時も白く見えていることだ)
わが来つる方もしられずくらぶ山木々の木の葉の散るとまがふに(古今295)


鞍馬山昼なお暗し樹々の根のむきだしにしてさえぐ道かな(自作)




「春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山際、少し明かりて…」というのは東山を描いた文章だとされています」

枕草子のこの文は東山を見て書いた。京都の地理はわかりにくい、どこに行っても地理はわかりにくい、まず方角がわからなくなる、盆地になると意外な所が太陽が上ったり沈んだりする。それが旅の醍醐味でもある。
歴史を知るには地理を知らなければならないとは何度も書いた
でもこの地理が一番わかりにくいのである。京都は複雑でありわかりにくい。
自分は滋賀県には何回も行った。琵琶湖があるから行った。
湖西線というのがありそこが西となっている。確かに西に陽が沈む場所だったしではそこが西なら東は関が原の方向になり東(あづま)の方向になり西と東を分ける場所である。
地理を知るときは一部分からはわかりにくいのである。広範囲にその一帯を知らないと地理はわからない、今はどうしても電車とかで一部分を切りとるように見るからわかりにくくなる。

ここでも東山とは京都から見れば東になるが山科とか琵琶湖方面から見れば西山になってしまうのである。西と東では感じがかなり違っている。
春はあけぼののように明るい感じになるのだ。ただこれは盆地に住んでいる人の感覚である。海側に住んでいる人は太陽はいつも海から上る、だから山から上る陽というのは感覚的にわかりにくい、大阪に日下(くさか)という古代からの場所があるときそこは陽の沈む場所だった。大阪になぜ海に面して陽が沈むのかも感覚的に違和感があった。


地図を見たら鞍馬山とか東山とかは近江に接している山だった。すると近江を知らないとまた京都は地理的にわかりにくいのである。近江と京都は一体としてあるし他でもそうである。大地はつながっているから地理をわかるには全体を見ないとわからないのである。福島県と宮城県とかで区切るのもそうである。
特に廃藩置県は歴史がないし地理的にもいいかげんに無理して作ったから一体感が普通はない、ただ滋賀県というのは琵琶湖を中心にして山が囲んでいるからわかりやすい。
滋賀県は風光明媚であるが京都は都市としては規模が大きすぎてわかりにくかった。

湖西線秋の陽没るやさざなみの琵琶湖の岸や波のひびけり

湖西線というのは西といいうことでそういう感じになる。西というとやはりその方角なり風情になる。

鞍馬山は近江側の山と連なっている。近くに比叡山があり意外と大原も近かった。
方角的には湖西線が名前とともに印象に残っている。
まず京都市内に来たら方角がわからなくなる。
京都というとき大坂まで大都会になっているけど近江は琵琶湖があり田畑もあり田舎びているのがいいのである。それは京都から近くてもそうなっている。
でも大阪方面になると大都会になり家が神戸までも密集しているら嫌なのである。


いづれにしろ鞍馬山はくらぶ(暗部)山であり昼なお暗い山なのだろう。京都の面白さは都会だけではない、街から離れるとこうした昼なお暗い山がありそこが修行の場になっていた。まさに魔界の場にふさわしいとなる
暗いというときそもそも電気の光でこうこうと夜まで明るくなっている世界と昔だったらそれも江戸時代でも京都でもどこでも暗いのである。そこでまた過去を錯覚するのであるインターネットの鞍馬山の写真では本当にむきだしの根が張っている、その樹も古いからそうなる。


梅の花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞ有りける(紀貫之) 

梅の花で白く目立ったというのはやはり当時の感覚だった。そこはあまりにも暗い場所だ一段と映えたのである。
いづれにしろ昔の山であり道であれ街中でもどこでも暗いのである。
そういう暗い所に住んでいて鞍馬山が暗部(くらぶ)というのは余程暗い山だったのである

わが来つる方もしられずくらぶ山木々の木の葉の散るとまがふに(古今295)

木の葉が散り道もわからないようになってしまう。まず平安時代という時代で京都は一段と暗いし今の感覚とはまるで違う。暗黒の魔界に感じたのがイメージできる。

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