2015年10月27日

秋の日(栃窪村俳句十句) (川や小川や街でも堀川で洗濯していた時代)


秋の日(栃窪村俳句十句)

(川や小川や街でも堀川で洗濯していた時代)


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延々と悪路を上り山あざみ

石に菊清流ひびき栃窪村

橙の晩菊にさす朝日かな

動かざる石により映ゆ菊二色

山よりの流れに洗い場秋の蝶

石二つここに動かず秋の暮

秋日さし石重々と無言かな

森深く散れる木の葉や人知らじ

薪積みて栃窪村や冬支度

みちのくの奥津城眠る後の月


小山田の方に出る森の道に迷った、あそこは前にも行ったことがあった。道がぼこぼこであり上るのに苦労した。電動自転車でもヤマハのマウンテンバイク用だから上れた。
ヤマハのは馬力があるから悪路でも上れる

栃窪村というと橲原村よりかなり広い、江戸時代にどれくらいの村の規模だったかは知っておく必要があるだろう。
村というのはなぜ日本では大事かというと村の規模で生活が営まれ村単位で相馬藩だったら藩で支配していたからである。米を納めるのもそうである。
村というのは行政単位でもあり生活の単位でもある。
だから日本では村が消失してゆくと歴史も失われる、日本は村があって国があったとなるからである。
そしてコンパクトシティでももし村がなくなったら何か日本は国としてつまらなくなるだろう。
どんな奥地でも山の中でも営みがあり村があることに日本の特徴があったからである。


ただはっきりいってこの辺は原発事故で田でも集約化がすすみ企業とかが入って大規模農業になるほかないのかもしれない、津波の跡とかは一部そうなっている
小さい田んぼがあちらこちらにあっだがそこは放棄されているからだ。
もう跡継ぎもないということで放棄される、だから小規模農業は成り立たなくなる。
そうなるとこの辺では村はどうなるのかということである。
この辺はまだ村でも限界集落というのとは違っている
街がありんなに離れていないから住居としては残るだろう。車があるから通いるからである。
ただ農業とかはもうやっていけないからどうなるのかわからない。
そういうふうになると何か村の景色とかもなくなり何か嫌である。


例えは栃窪村には山からの水が流れてその水で洗いものしていた家があった
ところがそこも堀にしたのでなくなっていた。
要するにまず自然の小川はなくなった、だから何かそうした自然と調和した生活が今になると牧歌的に見えるのである。
実際は貧しい生活でもなにか自然の中で生きた人間が牧歌的に見える
今になると信じられないけど街中でも川から水をひいて洗濯物まで洗っていた時代があったのである。
自分の家の裏がそうだったのである。それが今になるとここもそうだったと思い出したのである。
つまり山の中だけではない、街ですらそうだったのである。
水道がなければ洗濯物を洗うのは川でするほかなかったのである。
「かわらのおばさん」という黒い蜻蛉を言っていたのは洗濯しているおばさんがいたからだろう。川にいつも洗濯しているおばさんがいたのである。


冬場の洗濯

萩の洗い場

この写真がそうである。これは大きい川だが堀とか小川でもしていたのである。
それは萩などでも街中を流れる堀の水で洗いものしていた。
何か鯉が泳いでいるから新しく作られたように見えるのである。
自分の家では井戸がなく水を近くからもらっていたのである。
水道ができたのは戦後十何年かたってからだったのである。
もともと水道がない、江戸には水道橋があり水道があった。それだけ都会だったとなる

戦後十年の暮らしは江戸時代のつづきだった。燃料は炭だったからである。
だからこの時の経験は貴重だったとなる
人間は時代で錯覚するのは水道がない社会がもうイメージすらできなくなっていることである。
まず洗濯自体が一仕事でありその費やされた労力は世界中で同じである。
セーヌ川で大勢で洗濯している女性の絵があった。
セーヌ川というとロマンチックにイメージするが同じだったのである。

栃窪村は真野川の上流にありあのどっしりと隠れた石がいい
あれは底が平たいし大きいから安定感がある
あの石に気づいている人は少ないだろう
今日は秋晴れで気持が良かった、ともかくこの辺は除染のダンプなどひっきりなしに走っているし落ち着かないのである。
落ち着きを取り戻すには後三年なのか五年なのかわからない
それにしても長すぎるのである。そのうち死んでいる人もでてくる。
なにかわたわたしていて落ち着かずに死んでゆくのも嫌だとなる
とにかく見かけるのは老人が多いのである。





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