2015年10月19日

明治維新に国民国家となった経緯 (国民国家から世界市民へ向かうのが人類の進歩?)



明治維新に国民国家となった経緯

(国民国家から世界市民へ向かうのが人類の進歩)

●西南戦争で国民軍が勝って日本国民になった

民主主義国家とは何かなのか明確に意識されていないのである。
民主主義国家とは主権が国民一人一人にある国家である。つまり国民の一人一人が国家に対して責任をもつのが民主主義国家なのである。
国民の一人一人が平等の権利をもたせる、票でもみんな一票であり同じ権利なのである。生活保護だかろうがよぼよぼの老人だろうがそうである。
国民国家というときそれが日本に生まれたのは明治維新の時なのである。
西南戦争で武士と戦い国民軍が勝ったことにより国民の意識が生じたのである。
だからその時戦った一平民の国民がどんな感覚になったのかということである。
「俺たちは侍と戦って勝った、もう侍に従う必要ない、俺たち国民一人一人が国をになうのだ」
その時意識変革があった。その意識変革はに民主主義に通じていた。
リンカーン大統領が、「人民の、人民による人民のための政治」としたことが民主主義の発祥である。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
(日本国憲法)

民主主義国家とは明治維新後でも明確に意識されないしなっていない、なぜなら天皇の臣民となっていたからである。それは国民の国家とは違う、天皇の国家となってしまうからである。そのことから太平洋戦争は天皇の臣民としての神国としての戦いであり多大な犠牲が国民に強いられた。
国民国家としての戦争ではない、天皇の臣民としての戦争となる
国民というとき国民一人一人のために戦うのであり天皇のために戦うのとは違うからだ。ではこの国民主権となり国民国家となったとき責任は国民一人一人に課せられる、国家をになうのは国民一人一人である。

江戸時代までの日本に存在したのは愛国はなく忠君という倫理だけでした。
自分が仕えている大名に忠誠心をもつというものです
商家にもそれはありました
愛国をなじませるために忠君愛国にした
(明治という国家ー司馬遼太郎)

江戸時代から明治維新で激変したのはそうした封建時代に培われたものの大変革だった
日本人にあったのは藩民でもない、会津ではあれだけの戦いがあり犠牲があっても会津藩に属する農民は無関心だったのである。
だから

■明治元年(一八六八)九月二十二日、若松城は一ヶ月の籠城戦の末、遂に開城と
なった。
■会津の落城からまだ十日とたたない十月三日から、会津全域にわたって数万にの
ぼる農民の激しい一揆騒動が起きた。「ヤーヤー」と叫んで打ちこわしを行った世
直し一揆は、封建制度を厳しく批判して、新政府に対しその改革の実行を迫るもの
であった。

これは明治維新の時の庶民がかえって城が破壊されるとか城の侍が激しく戦い死ぬとかに同情していない、むしろ歓迎していたとなる。
常に会津の戦争が悲壮感をもってみられるが庶民にとっては無関心だったのである。
それはヨーロッパだと城壁に囲まれて市民が一体であり市民とんう感覚が育てられた。
それは外敵と共同して戦うということから市民(citizen)が生まれた、外国にゆくと
どこの市民なのかと問われる、citizenship(公民権)というのはそこから生まれている共同体意識なのである。
civilizationもこのcitizenから生まれた概念である。
要するに市民というとき外敵から共同して守ることであり強固な連帯意識がある。
でも日本の封建時代にはそうした強固な共同体はない、侍は侍であり農民は農民であり職人は職人である。それらが一つの共同意識をもっていない。
だから会津ではあれほどの戦いがあってもそこの住民はかえって歓迎していたとなる
つまり農民は侍に米を納税するだけのものであり会津藩を共同して守るという意識がなかったのである。

●江戸時代は庶民は藩意識もない、強制的に所属されていただけ

明治維新から日本で一番の変化はこの武士の階級がなくなった。城もなくなった。藩もなくなった。廃藩置県でなくなった。このことが一番の変革だったのである。
ただ藩単位で生活していた期間が長いのだからそこで醸成されたものは郷土愛である
郷土愛とは何かというときこの辺は原発事故で避難区域となり住めなくなった。
その時故郷とは何かということが常に問われたのである。
故郷とは何かというときそこは一代だげではない、何代にもわたって人が暮らした所でありそこへの愛着は親から祖父からさらに代々暮らした所への愛着でありそれが歴史となっている。
だから自分の父親が双葉の酒屋で丁稚奉公していたということを書いたがそこにもやはり自分は経験していなくても話を聞いているから愛着がでてくる
つまり人間の記憶というのは一代だけではない、親や祖父やその前の長い歴史があり愛着が作られてきたのである。
だから郷土愛というのは普通にもっているものであり地が血となるのもわかる。

でもcitizen(市民)とかは本当にわかりにくいのである。文明というときみんな科学技術のことを蒸気機関車が走ったことなど技術だと思っている。
ところが文明というのはcivilizationであり市民から発しているのである。
そのcivilizationから国民意識になった。そのことが日本ではむずかしいので天皇の臣民として理解させて国民意識を作っていったのである。
だから国民になることは明治維新の最大の改革だった。また法人となること会社の一員となることもまた改革だった。会社というのも明治になって生まれたからである。
具体的に国民を理解したのは西南戦争の時である。とても武士階級に国民軍が勝てると思っていなかったし西郷軍の武士階級もそう思っていた。
でも国民軍が勝ったことで武士階級はなくなった。その時会津藩士も国民軍に参加していたのである。その時薩摩に恨みをいだいてその恨みを晴らすということもあったかもしれないがもう藩はない、国民として戦ったのである。
何かその時国民軍として戦い参加した人たちは最初に国民を意識した。
侍が国をになうのではない、国をになうのは戦った国民軍の一人一人だということを意識した。それはやはり命をかけて戦ったのだから学問的に知識として理解するのとは違っていたのである。
そして日露戦争から太平洋戦争と国民軍は外国との戦いでさらに国民意識が強固にされたのである。

今になると国民など当たり前ではないかとなるが明治維新の時はそうではなかった。
日本国民として大きな範囲での意識が生まれたことはこそcivilizationだったのである。なぜなら侍が治めているときは政治でも何でも侍が決めてそれに従うだけであり庶民は政治に関与することができないからである。
そうすると藩があっても藩意識もないのだから責任感も生まれない
それで会津の侍があれだけの戦いと犠牲があったのに無関心だったことでもわかる。
でも今や国民となるとき外敵に向かい国民が責任をもって戦うという意識になった。
日本のどこかが外国に攻められて炎上しても高みの見物だとはならない
同じ日本国民として黙ってはいられないのである。
太平洋戦争ではこの国民意識は最高潮になり過度になり敗戦でまた変わってしまった。
日本は戦争を否定して国民意識も変わった、日本国民自体を遺棄して日本国民であることに誇りがもてない、否定的な感情をもつようになった。
特に左翼系では日本国民であること自体を拒否する。おそらく中国に属した方がいいとか一方で右翼系でもアメリカに従属して属国化したから本当の国民意識は失われた。
その時愛国心も失われたのである。
歴史というときやはりどういう経過でそうなったのかをふりかえることにある。
明治維新が今日の日本国の基になったのでありその時からの継続が日本であった。

●国民国家は否定され愛国心は日本では喪失して多国籍企業世界へ

日本がなぜ愛国心がなくなり日本人であること自体拒否するようにもなったのか
その原因は太平洋戦争でアメリカに敗れて属国化されたことにあった
敗戦以後は国民という意識が希薄化してみんな企業戦士となったことでもわかる
会社が企業が国民の代わりとなったのである。この傾向は多国籍企業がグローバルに支配するということでもあった。アメリカですら愛国心がどうなっているのか、いくら戦争に勝っても愛国心となるとやはり衰退しているだろう。
むしろ多国籍企業として国が企業化しているというのが現代である。
だからこれは日本だけではないグローバル化した世界では愛国心は薄れるのである。
そして国民意識から何に変わったかというとグローバルな経済人となったのが現代である中国でも愛国心を言うが共産党の幹部は巨額の金を貯えてアメリカでもカナダでもどこでも移住する準備をしているとか日本でも金を金持ちは他国に移すとかをしている
もし愛国心の時代だったらそんな国を裏切るようなことはありえないのである。
でも世界的経済人としてなら別に国より経済が大事だからそうなっても不自然ではないのである。
今は国と国が戦争するように見えても実際は石油の利権とか企業の利益のために戦争になる。それは今までもあったにしろ多国籍企業世界ではそれが露骨になる。
太平洋戦争のときはそこまで多国籍企業の力はなかったからである。

ともかく人類史で考えれば国民国家というのは大きな共同体となり一つの大きな進歩だった。次に国を越えて共同意識をもつグローバル経済になったけどこれも問題はいろいろある、企業は利益共同体でありそれ意外ないから国々の文化も破壊する。
江戸時代のときの藩はその土地に根ざして個性的でありその土地土地の文化を育んだ
そこには土地と一体化した共同性と文化がやはり育まれたのである。
だから廃藩置県になったとき県というのは今でも違和感がある。
県の範囲が広いので県からイメージできないのである。福島県だったら会津は会津であり福島県としてありえないのである。そもそも福島という名前すらどこから来たのかこれも福島県が一体になりえないことである。県という範囲がどこでも広すぎるのである。
城があったところからその土地のことはイメージしやすいのである。
多国籍企業となるとこうした土地土地の文化を破壊することが大きな問題である。

でもまた貿易とかを否定はできない、なぜならオランダが最初に国民意識をもったのは貿易が盛んだったからだという、商人の国になったときどうしも世界が広がるから国民意識ももつ、そしてオランダは国が狭いから国民意識をもちやすいこともあった。
商人は国境を越えて商売するから国の支配を受けると自由がなく税ばかりとられるから国を否定するというのは今の多国籍企業とにている。
ハンザ同盟などがそうである。そうした商人のネットワークが一つの国のようになる。
そうした矛盾はあるにしろ人類が目指すのは何なのか?
文明とはcivilizationであり市民からはじまり国民意識となりさらに世界市民としての自覚をもつ世界なのだろうか?
そこでは世界市民となると世界市民として方を遵守するとか人権を重んじるとか共通の価値観の形成が必要になる。
そこには宗教とか様々な相違があり困難を究める、しかし人類の進歩とは国民意識がそうだったように世界市民として拡大してゆく、物理的には空間はすでにどこでも行ける時代だからその障壁はとりはらわれたから問題は意識の問題なのである。
ただ世界市民といってもそうなる前に今でもそうなように混乱が起きてくる
シリアの難民問題でもそうでありそれはあくまでも理想であり人類はその前にハルマゲドンとなり国と国が最後の戦いをして滅びるということもある。
だから世界市民といっても架空のことであり国民意識は現実となった歴史感覚であるか
世界市民という意識をもつのは困難を究める。
マルクス主義の世界のプロレタリアートは団結せよというのはそれも一つの世界市民への国を越えた運動だった、それも挫折して凄惨な大量殺戮で終わったのである。
だからその前途は厳しいが国民国家になるということができたことはやはり人類の進歩として見直すことは必要である。

確かに藩にすら所属していない時代から日本国民になったということは飛躍的な進歩だった。それからアメリカに所属しているというのはアメリカが世界国家的だからそうなる
そして今世界ではどうしてもそうした広域で結びつく世界を目指すのは貿易などで強いられている。それでヨーロッパ共同体 (EU) が生まれたのはそのためである。
でもこうした広域な共同体になることは歴史的なものもあり非常にむずかしいのである。だから以前として軋轢があり問題が生まれる、日本が江戸時代から明治維新で国民国家になったのはやはりそれだけの歴史があり統一しやすかったとなる
他ではアジアでも国民国家になるのは遅れたことでもわかる。
そうした広域共同体がむずかしいのは言語であれ様々な文化の相違もありそれを何をもって統一するかとなるとむずかしい。ヨーロッパとか中東は宗教が大きな役割を果たしたが現代はむしろ宗教を否定してフランス革命で自由、博愛、平等が理念になった。
それは民主主義の理念たったのである。民主主義というのは理解しにくい、でもそれは何でも自由とかではない、一つの理念なのである。
アメリカはその理念を世界に普及させることを強いる、それに従わないと戦争で従わせるとなるが中東では受け入れられなかったのである。


 
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posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題