2015年10月18日

雇用者の責任と雇用される者の責任 (民主主義では雇用するものもされるものも対等を求める)



雇用者の責任と雇用される者の責任


 
(民主主義では雇用するものもされるものも対等を求める)



雇用主(使用者,会社)も,従業員の業務中の行為による損害について賠償責任を負います。これを『使用者責任』といいます。
契約はいつまでか(労働契約の期間に関すること)
辞めるときのきまり(退職に関すること(解雇の事由を含む)

※労働契約を締結するときに、期間を定める場合と、期間を定めない場合があります。一般的に、正社員は長期雇用を前提として特に期間を定めず、アルバイトやパートタイマーなど短時間労働者は期間の定めがあることが多いです。

労働契約に期間の定めがある場合は、労働者は、やむをえない事由がない限り、一方的に辞職する(労働契約を解約する)ことはできないのが原則です(

僕が「基本的には人を雇うべきではない」と思う一番の理由は、人を雇うということには、大きな責任が伴うと考えているからだ。社員を雇えば、毎月給料を払わなければならない。会社の業績なんてお構いなしに、契約した分のお金は払う責任がある

僕は、どうしても人が必要な時には「従業員」ではなく「共同経営者」を見つけるべきだと思っている。
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/01/26/214422

言い換えれば、派遣労働者というのは、必要がなければ後腐れなく切れる企業にとって都合のいい人材という前提で作られた身分ということです。
http://winfriede.com/post-2346/

しかし、働く人が少ない中小企業では、社員一人一人の顔が直接見えます。
いくら会社の業績が落ち込んできたとしても、「明日からクビだ」なんてことは言えません。
当然、雇う側にも責任があります。
社員とその家族の面倒を見るという責任です。

どんな理由であろうと辞めると言っている人間を引き止めても仕方ないですし、
それが体調不良となればなおのこと止めることはできません。
http://lucas-sedori.com/?p=827



自分など社会とかかわらないから社会のことはわからなかった。学者のように本を読んだりして勉強していた。
でも現実社会になると具体的なこととして理論ではなく何でも重い責任が課せられているがわかった。
それは人を一人簡単に手伝いさんとして雇ったことからはじまったのである。
それは自分が雇ったのではない、家の人が雇ったのだがそのことからいろいろな社会や人間の問題を考えるようになった。
自分が人一人雇って大金を失ったのは誰の責任か?
雇ったお前の責任だ、お前が悪いんだ
結果的にこうなったのが現実なのである。もう金は取り戻せないし何もできない

だから人を雇う時はその履歴とか保証人とか厳しい
簡単に雇えないのである。まず手伝いさんでも簡単には雇えない
家の中に入るのだから家の中のことがわかるのだがら簡単に雇えない
つまり何かあっても雇った方の責任にされるのだ。
そして民主主義のことを書いてきたが民主主義とは選挙権があるというだけではない
社会そのもの民主主義なのである。
それはだから雇用とかの面でもそうなっている
雇う人と雇われる人がいるがそれは対等を計る制度なのである。
雇う方でも責任があるから雇う方でもいろいろ手を打つ、厳しくせざるをえないのであるなぜならその責任はとらされるのは雇い主だからである。

大金を失ったのは雇った方が悪いとなるからである。

犯罪でもそうである。
犯罪にあった方が悪いのだ、油断したから悪いのだ
そんな危険な奴を簡単に雇った方が悪いのだ

お前がレイプされたのはそんなに派手にしているからだ
お前が犯罪を誘発したのでありお前が悪いのだ

お前がタンス預金して盗まれたのはお前が悪いのだ
誰も同情しないよ
警察でも証拠がなければとりあわない
お前がすべて悪い、馬鹿だということ

 
民主主義社会では常にこうなっているのである
一見雇い主の方が有利になっているようでなっていない
だから人を雇うなというとき共同経営者になることだというとそうである
それは共同の責任であり雇うと雇われのとは違うからである。
つまり雇う者と雇われる者は対等になるのが共同責任だからである。
だからお手伝いさんを雇うにも共同経営となるか家族のようにしないと成り立たないとなる

正社員と派遣とかに分かれたのは雇う方が責任をとりたくないことなのだ
正社員ならいろいろ保証するが派遣だったらいつでも首が切れるということで雇う方にすれば便利なのである。
でも雇われる方にすると身分も安定しないし将来の設計もできない
すると公務員とかはまず一端入ったら身分保証が一生される
簡単には首にできない、病気だろうが何だろうが能力は実際なかったにしろ
一端入ったら身分が一生保証されるのである。
その違いはあまりにも大きいとなる
公務員は身分だというとき侍と同じだとなる
会社だとやはり会社自体がつぶれることがあるからそうはならない
公務員はこの辺のように町や村がなくならない限り身分は保証される
食いぱっぐれないのである。

民主主義は要するに何でも対等をめざしている、一見そうでないように見えてもそうである。
雇い主と雇われるものもそうだし政治家でもあくまでも選ぶのが選挙民なのだから対等である。
そして結果としては選んだ政治家が悪いとしたら

選んだお前たち選挙民が悪いんだよ

となる、それは犯罪にあったら犯罪にあう方が悪いんだとなるのと同じなのである。
マスコミに対して批判が多いのは

なぜマスコミだけが大々的に報道する権利があるんだ
民主主義は平等ご、誰でも報道する権利はある
知る権利がはある

とかなり新聞とかテレビの批判になりインターネットが生まれたのは当然なのである。
報道はテレビ局でも六局とかに独占されていたからである。
何も知らされないなら民主主義も成り立たないからインターネットは民主主義を促進されるツールになる。

民主主義の功罪は極端化するとみん対等だし責任を問われることを極度に恐れることになる
医者と患者は対等でないようでも対等を求める、だから医療ミスにあうとことを医者は極端に恐れると医者になりたくないとなる、そういう問題が実際に起きた。
先生と生徒でもそういうことは起きる、絶えず責任が問われるから戦々恐々としていなければならない社会である。
子供に声かけても何かあったら責任が問われると必ず何があってもお前が悪いんだとされる社会である。
そうなると雇う方でも徹底的に疑い信用しないという窮屈な社会になるし実際そうなっている 互いに人間が信用できない社会なのである。

それまた当然だともなる。つまり雇う方でも雇われる方でも対等を求めれば責任が問われる、雇う方にだけ責任があるのではなく雇われる方にも責任がある。
雇う方も雇われる方もだから共同経営者になるのが理想だしそういう会社もあった。
まさに民主主義社会ではそうした対等な関係をどこでも求めているのである。
つまり民主主義社会では一票が平等である。それは平等の権利を与えられていることなのだ。生活保護者でも一票は同じなのである。
とういうことは対等だということは対等の責任もあるということになる
首相でも大臣でも何でも対等であり首相にだけ責任があるのではない
その首相を選んだのは一票を入れた者にもあるとなる

でもそういうことを自覚している人は少ない、国を担うのでも会社を担うのでも何でも実際はみんな対等だとなるとき対等の責任を課せられているとなる
だからある人が金を多くもっていたりするとそのことも対等ではないとなる
あまりに対等を求めると平等を求めるとそれがかえって平等でなくなる
たいして働きもしなくても同じ賃金をよこせ、能力もなくても対等を要求する
才能でも努力でも何でも無視してすべては同じであるべきだとなりそういう要求もまた理不尽になるのである。

とにかく会社であれ何であれ例えばどこの市町村に属していてもその市町村の一員としての責任が問われる、だから原発事故では原発を誘致して金もらっていた町の人が悪いんだとされた。つまり民主主義とはこうして常に一人一人が責任が問われることなのだ
上の人が決める権力をもっていたなら下の人は従うだけだから責任はない
それは江戸時代なら侍がすべての責任があり切腹するほかないとなる
今はどこでも一人一人の責任が問われる
そうなるとき会社でも共同責任者であるとしたらその会社自体のことを総合的に考えざるをえなくなる
その会社は何をしようとしているのか、社会に対してどういう存在になっているのか?
何かそれは利益だけではない、そうした社会に対しての総合的な視点が必要になる
俺は別に時給いくらもらっていればいいだけだよとはならないのである。
でも時給もらっている人はそれだけのものとしてみられることは確かである。

大きくなれば会社だけではない、市町村員としての自覚とか国民としての自覚も要求される
それは上からの強制ではなく一人一人がそうした自覚や責任が課せられているのが民主主義だとなる
今人手不足で会社が困っているというときやはりただその場その場で会社にとって都合のいい雇い方をしていたからだと言うのもわかる
でも一方で雇われる方でもそうして何でも対等になると責任が大きくなるのだ。
派遣などはそうした責任がないから気楽だとか言われる
そういう人は責任がないのだからまた時給であり安いとなることに甘んじなければならないともなる
要するに民主主義とはともかく対等を求める社会だがそれと同時に責任も課せられている社会のである。



posted by 老鶯 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題