2015年10月12日

現代の課題は先人の残したものを継承すること (原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


現代の課題は先人の残したものを継承すること


(原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


「先代が作ったこの道を守ることが我々の使命」というありきたりの言葉でありますが、私は決して好きではありません。なぜなら先代が作ったものを守るだけなら番頭にやらせればよく、「自分は先代を抜く」という創業ファミリー間のライバル心が生まれないからであります。二代目、三代目がやらなくてはいけないのは先代ができなかったことを見つけ、発掘し、成長させることであります。
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52393272.html

日本は明治維新が創業者の時代であった。ほとんどの大学が明治に作られた、その創始者は明治時代の人である。
明治に日本の骨格は作られてその延長として大正と昭和があった。
吉田松陰の思想にはすでにアジア侵略の思想があった、それが現実化したのが太平洋戦争である。
歴史は継続だとするとき断絶したものではなく突然に太平洋戦争が起きたわけではない、歴史の継続があり太平洋戦争になった。

日本は今や二代目三代目の継承者の時代であり明治のように創始者の時代ではない、太平洋戦争以後でも高度成長がありすでに二代目三代目の時代に入った。
今まであるものを継承して発展させる時代であり新しいものを作る時代ではない
新しく作るのも大変だが継承することもまたそれなりに能力を必要とする。
それで二代目三代目が失敗するというのはそれだけ受け継ぐこと自体がむずかしいからである。
いかに先代の残したものを受け継ぎ発展させるかがむずかしいのである。
武田信玄でもその子供は継承することに失敗したし織田信長でも秀吉でもその子供には継承されず滅んだ、それだけ継承することもむずかしいからである。

もう現代は新しく何かを作る時代ではない、特にハードの面ではそうである。高度成長時代なら線路を作る道路を作る、箱ものを作る、ビルを建てる、ダムを作るとかインフラ整備に費やされた。日本改造と田中首相が推進した時代である。
そういう時代は終わった、もう過剰になりインフラ事業は無駄だとなった。
農道まで舗装したり無駄な道を作りすぎた、北海道では熊が通るだけだと揶揄されたのもそのためである。
家にしても高度成長時代にみんな家を建ててて空家が全国で800万軒とかいう恐るべき時代になった。
家が空家となり継承されないのである。家というものだけではない実は家とともにあった家族の物的なものと精神的なものも継承されないのである。

この辺では原発事故で村や町自体が人が住まなくなり継承されないのが問題になった。
限界集落でも継承者がいなくなり消滅してゆく危機になっている
今まであった遺産が継承されず消失してゆくという問題になった
原発避難区域ではそうして帰るのは老人だけだとなるときこれも家でも村でも町でも継承されないということが危機なのである。
つまり老人だけが帰っても継承するものがいなくなれば村も町も消滅するのである。
そうすると公務員すら失業するという危機になっている
会社が倒産してゆくと同じなのである。会社が倒産すれば社長は社長でくなる
住民がいなくなれば村も町も公務員も失業してしまう
そして継承されないことは老人だけが帰っても残したものを継承できないことは老人の意味もなくなる。
老人の意味は何かしら家でも精神的なものでも後のものに残すものがあったことで意味と価値が与えられているからである。

それは別に金持ちの家でなくても普通の家でもそういうことが普通にある。
親は苦労して家を建てたとか苦労して何々したとか常に言うからである。
ただ今は別に避難区域だけではない、親の残したものが継承されないことが多い
子供も親から分離して別に家をもち暮らすようになったからである。
そして農業だったら代々土地を受け継ぐものだったがこれも農業では生活できないと跡を継がなくなったから継承ということが行われない
そのために老人の価値とか意味がなくなったのである。
まず避難区域ではもう親であれ先祖の残したものが継承されない、町でも村でも消失しゆく、それは何を意味しているのか?
自分はこうしてここで生きてきたとかもう子供に語れないし語る人もいなくなる

いくら金をもっていても何か財産ではない、その町に村に生きた意味とか価値は失われる原発事故がなければ原発で働いてこの家を建てたということは自慢になっていた。
それももうなくなった。
ある人は若いときから家を建てた、それも相当に苦労して働いて金を残して建てたということを自慢していた。その庭には大きな石で組まれていて見物である。そのことが自慢なのだが子供はそこに住んでいないし妻が死んでその家に一人取り残されて大きな家に住んでいて淋しいというのもわかる
毎日仏壇で妻に手を合わせている、これも継承するものがいないから淋しいとなる
やがては空家となるのか、売られるのか、子供は他に住んでいるからそうなるだろう。
その人が苦労して残して家のことは箱ものとしてあっても苦労したという話は継承されないのである。これはその人だけの問題ではない、自分でもそうであり
空家が全国で800万軒あるということは別に原発の避難区域だけではない問題なのである家族も基本的な一つの歴史だというときそれも継承されないのである。

自分も60代になって親の財産を継承した、これも遅かったが今では長生きだから財産は死んでからしか受け継げないからそういう人も増えている。
そして自分も病気になり悪戦苦闘して家を守らねばならない立場になった。
介護もしなければならない、家事全般をになうことになり大変なことになったのである。そのために財産を奪われことにもなった。
病気になり弱体化したときそれを良いことに攻めてきたのである。
相手も借金とかで追い込まれていたり金がないから攻めてきたのである。
自分に起きたことはまさに六〇代で遅かったが継承することであった。
親の残したものを継承することがそして発展させることが自分の仕事になったのである。これは一身上のことだがこういう継承問題は会社であれ家族であれどこでも起きる問題である。
そして継承するものが能力がないとかふさわしくないとなると親の残したものは無益化するのである。
原発事故がなければその子供もいい暮らしができたのだから親に対して感謝していた。
それが今は反転してマイナスにしか働かないのである。

現代の問題はこの継承するということである。少子高齢化問題も子供に次の世代に継承されないことが問題なのである。
継承して発展させることが課題なのである。先人の残したものが活かされないということが問題なのである。それは国とか会社とか市町村とか大きな範囲でもそうだが個々の家の単位でもそうなのである。
何か先人の残したものを継承してゆくというのが課題なのである。
戦争でもやはりそれを否定だけする面もあるが肯定的にみるとき先人の苦労も報われるということにもなる。
あの戦争はただ無益だったとか否定的な面としてとらえるのが多い、でもまた肯定的にとらえられる面もあった。それも歴史の継承の問題なのである。
だから何を受け継ぎ守り発展するかが問題になっている

[嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない。それにより、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖伝来の嗣業の土地を相続することができる。]というものでした。(民数記)

ここでは土地を受け継ぐことの方が大事なものとされている。土地に従属するものとして人間がいるから娘も土地を受け継ぐが一族の男と結婚が強いられるとなる
嗣業の土地を大事にしていた。故郷とは嗣業(しぎょう)の土地なのである。
その嗣業(しぎょう)の土地を失うことは何を意味しているのか?
流浪の民となってしまうのだろうか?ただ別に他に土地を買って家を建てた人も多いから原発避難者はそれとも違っているだろう。
ただここで言いたいことは嗣業(しぎょう)を大事にするとういことである。
それを軽んじることは先祖や親でも軽んじることになる

農家では常に言う、先祖から受け継いできた土地だから手放したくないというのは同じ心情なのである。
これは農民的な心情であり今は古いとなるがやはり嗣業(しぎょう)というのもが大事にしていたのは変わらない心情があったのである。
この辺では仕事もなくなりパチンコで毎日遊んでいるというとき漁業とか農業とか林業とかも嗣業(しぎょう)だったのである。
それは神から与えられた仕事だった。その仕事も奪われてギャンブラーになったというのもそのためである。
原発事故で奪われたものはあまりにも大かったのである。
だからといってそれで補償金をもらって遊んで暮らしていればいいとはならない
全然もさえない人がまた多いからである。白河まで除染していたから本当に広範囲な被害だった、その人たちは何ももらっていないからである。

嗣業(しぎょう)
神から受け継いだ賜物、具体的には土地、富など相続財産、占有物を意味しているものと思われます。

あなたは一日無益に過ごしてはならない
今日一日に成すべきことがあり見るべきことがある
それは個々人によって違う
その土地土地によって違う
ただ日々にそこに成すべきことがあり見るべきことがある
その集積が実りとなる、物的にも精神的にも
そして土地土地の文化が形成される
その文化を継承することも嗣業なのである。

現代は常に新しいことを求めて嗣業(しぎょう)が継承されない軽んじられるてきた。
嗣業(しぎょう)というとき文化でもそうである。文化の意味する範囲は広い、食文化もありそれも日本の基本を形成しているが洋食になりそれもないがしろにされたことがある。食文化でもまた継承が問題になるのである。

結局ここすでに十年間が自分は家との格闘だった。未だに家は整理できていない、いかに残されたもの、家でも活用するかである。それが一人なので大変なのである。
つまり自分に与えられた嗣業(しぎょう)がここにあった。
それは他でも必ず受け継ぐ嗣業(しぎょう)がある。それはみんな違っているのである。
それは家だけではない、土地でもそうだし伝統技術とかもそうであり技術の継承も
大きな問題なのである。そういうことが成されないと国でも家でも衰退してゆくのである。あるものを活かすこと先人の残したものを活かすことが嗣業(しぎょう)なのである


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posted by 老鶯 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連