2015年10月30日

磐城(いわき)の豊間の人は津波でタンス預金を流された (車に自転車をのせてきた人とあう)


磐城(いわき)の豊間の人は津波でタンス預金を流された

(車に自転車をのせてきた人とあう)


原町のレストランの前で自転車を組み立てている人がいた
それをみていたら簡単だった、簡単に組み立てられるようになっている
その人は車にその自転車をのせて組み立てて走る
これも便利だなと思った。景色のいいところを選んで走れるからである。

「この自転車はどこのですか」
「イタリア製ですよ、イタリア製はいいんですか」
「自転車はヨーロッパが発祥だからいいんです」
「そうですか、日本でもシマノは部品として使っていますね
これにもシマノとありますね」
「ヨーロッパもいいですが今はアメリカもいいですよ、ジャイアントとか」
「その名前はよくききます」
「このペダルの部品をとりかえたけど一万したましたよ」
「そんなにしたんですか、この自転車はいくらしました」
「三〇万です」
「まあ、そのくらいはするでしょう、重さはどれくらいですか」
「七キロです」
「ええ、軽いな」
「フレームはカーボンですよ」

こんな会話をしたあと磐城の津波の被害の話になった。

「豊間では被害が大きかった」
「豊間は知っています、そこを自転車で通ったけど前が道路で海でした、あそこなら被害が大きかったでしょう」
「あそこは街から離れているから銀行がないんですよ、あの辺の人たちはそれでタンス預金していたんですよ、それで津波を来たとき、七百万円ばかり持ち出したのですが途中であわてて落として流されたそうです」
「七百万は大きい金ですね、タンス預金は実際は何かと危険なんですよ、自分もそれで失敗して大金を失ったからです」

今回の津波ではタンス預金とかしていした人はみんな流された、でも銀行に預金した人はあとから通帳がなくてももらえたのである。
タンス預金は実際は相当に危険なのである。盗まれても証拠がないので警察に訴えてもとりあってもらかない、警察は重大事件でも証拠がないとりあげない、はっきりした証拠がないと裁判では必ず負けるからである。
だから証拠さえなければ罰せられないとなってしまうのが民主主義の社会である。
だから罰せられない犯罪者の数は膨大にいる、証拠がない限り罰することができないからである。殺人犯でも何でもそうである。
それだかけ民主主義社会では犯罪を犯しても容易に捕まえられなくなる
犯罪者の方が得するような仕組みなのである。犯罪にあって泣き寝入りしている人は無数にいる、でもどうにもならずあきらめる他ないのである。
ただそういう人はやはりカルマをもち何らか警察ではなくても罪を背負うことになる

今回の津波でも原発事故でも様々なことが起きた。それはみんなとても語り尽くせないものである。この話も一つの話にすぎない、富岡町長の五億円の金庫が流されたというのもそうである。このタンス預金の話でもそうだがそういうことはかなりあった。
通帳でもハンコでも流されても銀行に預金していればこういうことはなかった。
自分の一身上もここ十年は介護と自分の病気でつぎつぎに災難が起きたのである。
ただ直接人から聞くとその話もリアルに感じるのである。


ともかくその人は六五才以上であり自分とたいして年が変わらなかった。
車で自転車をのせていい景色の所を走るのはいいなと思った。
その人は毎日一時間半くらい自転車にのっているという。そのくらいなら疲れないだろう何か自分は距離が長くなるからあと疲れるようになった。特に筋肉が痛くなるのである。でも自転車は70でもそれを越えても楽しめる、車と併用すればもっと楽しめる
でもそういう器用なことをできる人とできない人がいる。
車も運転してバイクものりとか外国旅行も自在にするとか外国で仕事までしている器用な人に外国の旅で出会った。
そういう器用な遊び上手な人が団塊の世代などには多い、あの人もそういう感じだった。自分はまず不器用であり雑であり車の運転は向かない、必ず事故になるから原付バイクでも乗らない、何か器用さに欠けるからいろいろうまくやれないのである。
俳句短歌はできるにしろ他のことはうとくなるのである。
人間なんでも得意な人はいない、何かできれば何かできなくなるのが人間なのである。
車とは現代では何かと便利なものだから車がないとかなり損することは確かである。



タグ:タンス預金
posted by 老鶯 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

「心の青雲」の著者が求めるものは何なのか (鞍馬山に上り義経と一体化する)


「心の青雲」の著者が求めるものは何なのか

(鞍馬山に上り義経と一体化する)

山道も険しいが、山そのものが上から下を見ると絶壁といった感じで、道はつづら折りになっている。鞍馬山は岩盤で固く、杉の木が地下深くに根をはれないので、ぼこぼこと地上に根が出てくねっている。ために歩きにくいことおびただしい。


鞍馬山上りて思ふ義経のその心かな秋のふけゆく

義経の心を求め鞍馬山険しさ足に痛みて知りぬ


彼は何を求めているのか?アレキサンダーであり義経でありジンギスハーンであり戦争で勝った英雄である。
何か今はそういう戦争自体を否定している、戦争は悪いものだということが戦後の憲法までになった。だからこんなに戦争を肯定して英雄を求めているのに違和感を感じるだろうあなたは人を殺して英雄になりたいのかとなる
こういうことを堂々と書けるのもネットならではだろう。
戦争を経験した人は戦争を賛美していない、戦争だけはするなと言っているのである。
だからあんなに戦争を肯定して美化していることに誰でも抵抗を感じるのである。
まず現代の戦争だったらとても英雄化できない、機械の戦争になっているからである。
この次の戦争は明らかにロボット同士の戦争になる。そこにもはや人間はいないのであるでも実際はそのロボットという機械に殺される人が膨大になる。
現実にアメリカはすでにロボットで人を多数爆撃して殺しているのである。
それは鉄腕アトムのような架空のことではなく現実となっている。


ただアレキサンダーとか義経とかなるとまた別である。そもそも義経の伝説はなぜこれほどいたるところにあるのだろうかとなる。
それほど義経は日本全国に知られて伝説に残された、北海道までありそこから逃れて大陸にわたりジンギスハーンになったというのも伝説が残っているからそう見る人もでてくる心に青雲の著者は実地に義経という人物に迫りその人物と一体化しようとしているのである。その手法が単に小説を書くのとは違っている。
武道をしてきた体験からも語っている、だから一面迫真力がある
つまり義経を英雄視するのではなく自分自身もその英雄の跡をたどり英雄となろうとしいる、それが何か司馬遼太郎などと違っている。
司馬遼太郎は小説家であり歴史家でもない、物書きであり実践者ではない
心の青雲の著者は武道の実践家だということが違っている


だから鞍馬山を登るにしても義経に自分自身がなっているのである。
ある人物を語る時何かその人物になりきり語る
第一光厳天皇のことを知っている人すらまれだろう。そんな天皇をのことをなぜほめているのか?
その天皇が過ちを認めた、でも昭和天皇は戦争の過ちを認めないで責任もとらなかったと延々と批判している。
天皇自体が反省するとなるとし過ち認めることは異例のことだろう、ましてや戦争中現人神になっていた人が謝るとなるとそれはありえないことであった。
私は神ではない、人間だと言ったことに三島由紀夫は認めずに自死したのである。
結局情けないものを感じたのだろう。神からただの人間になったことが許せなかったのである。そのギャップも大きすぎたのである。
巨人が突然小人になる、巨獣が突然に踏みつぶされるような蛙のようになってしまう。
それはまるで魔法をかけられたようになる。そういうことは人間には常にある。
自分の家族でも認知症になった結果優秀な人が馬鹿になったということは信じられないことだった。

志高くもありて果てにけれ正しく清く秋の星光る

人間の最後はその志の高みに上ってゆき遂には死んでゆくことは確かである。
人間は死んでただの躯とか骨とか灰になるのではない、明らかに星になるのである。
彼はそれを義経とか英雄に求めている、自分は自然を求めてその志を一体化する。
その相違があってもやはり同じ志向があるので共感する
それは宗教とはまた違って共感するのである。


いつれにしろ歴史を知ろうとするときまずはその地理を知ることが基本にある。地理を知らないと何もしることができない、だから磐城の豊間で津波の被害のことを聞いたがあそこを自転車て通ったことがあるからすぐに話を合わせることができた。
何か淋しい場所であり海に接しているから被害も大きかったろうなと思った。
あそこに銀行がないからタンス預金していたということはやはり街から離れた淋し場所だったのである。
鞍馬山には上ったことがないけど何かイメージはできる。ただそれほどに深い険しい山の中だったということはそこに行かないと実感できないのである。
この実感することはやはりその地を踏まない限りわからないし歴史もまたわからないのである。
詩はまずイメージするにしてもそこに一度行っている人と行かない人の差は大きい
イメージするにもやはり一度そこに行くのと行かないのでは差が大きいのである。
京都もいろいろあり広いからかえっていろいろなものがありすぎてわからなかった。
でも義経の跡をたどるということで焦点をしぼれば何か得るものがあることは確かである大原に一回行ったがあそこも一度行ってみればそこで暮らした感じがイメージできるのである。

タグ:義経

2015年10月31日

京都も方角がわかりにくかった、鞍馬山は暗部山 (京都は滋賀県とも地理が一体である)


京都も方角がわかりにくかった、鞍馬山は暗部山

(京都は滋賀県とも地理が一体である)



秋の夜の月の光しあかければくらぶの山も越えぬべらなり(在原元方) 
(訳:秋の夜に出る月の光が明るいようなので、闇深い鞍馬の山も越えていけそうだが・・・)

梅の花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞ有りける(紀貫之) 
(訳:梅の花の匂う春には、さすがに鞍馬の山の闇を越える時も白く見えていることだ)
わが来つる方もしられずくらぶ山木々の木の葉の散るとまがふに(古今295)


鞍馬山昼なお暗し樹々の根のむきだしにしてさえぐ道かな(自作)




「春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山際、少し明かりて…」というのは東山を描いた文章だとされています」

枕草子のこの文は東山を見て書いた。京都の地理はわかりにくい、どこに行っても地理はわかりにくい、まず方角がわからなくなる、盆地になると意外な所が太陽が上ったり沈んだりする。それが旅の醍醐味でもある。
歴史を知るには地理を知らなければならないとは何度も書いた
でもこの地理が一番わかりにくいのである。京都は複雑でありわかりにくい。
自分は滋賀県には何回も行った。琵琶湖があるから行った。
湖西線というのがありそこが西となっている。確かに西に陽が沈む場所だったしではそこが西なら東は関が原の方向になり東(あづま)の方向になり西と東を分ける場所である。
地理を知るときは一部分からはわかりにくいのである。広範囲にその一帯を知らないと地理はわからない、今はどうしても電車とかで一部分を切りとるように見るからわかりにくくなる。

ここでも東山とは京都から見れば東になるが山科とか琵琶湖方面から見れば西山になってしまうのである。西と東では感じがかなり違っている。
春はあけぼののように明るい感じになるのだ。ただこれは盆地に住んでいる人の感覚である。海側に住んでいる人は太陽はいつも海から上る、だから山から上る陽というのは感覚的にわかりにくい、大阪に日下(くさか)という古代からの場所があるときそこは陽の沈む場所だった。大阪になぜ海に面して陽が沈むのかも感覚的に違和感があった。


地図を見たら鞍馬山とか東山とかは近江に接している山だった。すると近江を知らないとまた京都は地理的にわかりにくいのである。近江と京都は一体としてあるし他でもそうである。大地はつながっているから地理をわかるには全体を見ないとわからないのである。福島県と宮城県とかで区切るのもそうである。
特に廃藩置県は歴史がないし地理的にもいいかげんに無理して作ったから一体感が普通はない、ただ滋賀県というのは琵琶湖を中心にして山が囲んでいるからわかりやすい。
滋賀県は風光明媚であるが京都は都市としては規模が大きすぎてわかりにくかった。

湖西線秋の陽没るやさざなみの琵琶湖の岸や波のひびけり

湖西線というのは西といいうことでそういう感じになる。西というとやはりその方角なり風情になる。

鞍馬山は近江側の山と連なっている。近くに比叡山があり意外と大原も近かった。
方角的には湖西線が名前とともに印象に残っている。
まず京都市内に来たら方角がわからなくなる。
京都というとき大坂まで大都会になっているけど近江は琵琶湖があり田畑もあり田舎びているのがいいのである。それは京都から近くてもそうなっている。
でも大阪方面になると大都会になり家が神戸までも密集しているら嫌なのである。


いづれにしろ鞍馬山はくらぶ(暗部)山であり昼なお暗い山なのだろう。京都の面白さは都会だけではない、街から離れるとこうした昼なお暗い山がありそこが修行の場になっていた。まさに魔界の場にふさわしいとなる
暗いというときそもそも電気の光でこうこうと夜まで明るくなっている世界と昔だったらそれも江戸時代でも京都でもどこでも暗いのである。そこでまた過去を錯覚するのであるインターネットの鞍馬山の写真では本当にむきだしの根が張っている、その樹も古いからそうなる。


梅の花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞ有りける(紀貫之) 

梅の花で白く目立ったというのはやはり当時の感覚だった。そこはあまりにも暗い場所だ一段と映えたのである。
いづれにしろ昔の山であり道であれ街中でもどこでも暗いのである。
そういう暗い所に住んでいて鞍馬山が暗部(くらぶ)というのは余程暗い山だったのである

わが来つる方もしられずくらぶ山木々の木の葉の散るとまがふに(古今295)

木の葉が散り道もわからないようになってしまう。まず平安時代という時代で京都は一段と暗いし今の感覚とはまるで違う。暗黒の魔界に感じたのがイメージできる。

タグ:京都の方角