2015年10月14日

コスモスと秋薔薇


コスモスと秋薔薇

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故郷に柿なり親し女(ヒト)一人
朝日さし駅に四五輪秋薔薇
朝日さし40の女(ヒト)や秋薔薇
秋の川鴎に鵜に雁や何語る
コスモスや田舎の道に鳩のいる
秋の空鴎鴎飛びくる街の中

美しく蝶の出会いて別るかな日に日に風の寒くなりゆく

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今は写真の魅力が大きい、田舎でも写真を趣味にしていると退屈しないかもしれない
田舎は四季があるからあきないものがある。
写真をとると自然の新たな発見がある。
見えないものが見える、光がさしているとかこういう一瞬のシャッターチャンスをとらえる。
今は俳句だけだと訴えないだろう
写真をみればまさに写生俳句に自ずからなっている

それから抽象画的なものもパソコンでできるからデジタルカメラとパソコンは切り離せないのである。
二人の女性がいる、一人は六〇代であり一人は四〇代である。
それぞれが違った個性になる。
別にその人が仕事でくるだけでちょっと話すだけである。
でも四〇代でも秋薔薇がにあっているかもしれない
秋薔薇というと何か六〇代の老人にふさわしい感じがする
でも四〇代も成熟しているからふさわしいとなる
はっきりいってまず六〇代になると三〇代でもあわない、なんとか四〇代はあわせられるかもしれない
それはただちょっと話すだけの関係である。

 
川に鴎と鵜と雁がいる、何を語るのかともなる秋である。川には芒がなびいている。
鴎は今日は街の中を飛んでいた。
海が近いから一羽くらい飛んでくる。これが気持いいのである。
鴎が飛んでくることは海が近いのである。
亘理駅にも飛んだのを見た。
あそこも意外と海が近かったし浜吉田駅まで津波が来たことには驚いた。
浜とつくから海が近かったのである。
津波では海を意識させられたのである。常磐線は相馬から岩沼でも海が近かったのである
コスモスと鳩はにあっている。鳩が道に一羽いる、それはなんでもないが平和な光景である。鳩には本当に何か優しさをあたたかさを感じる
つまり動物でも花でも自然は何一つ偽りなくそのままを現しているのである。

何か今年は今日も暑い感じになる、朝晩は寒くても何か暑く感じる
だから秋が深まってゆくという感じがしない
温暖化で季節感が狂ってきたとなる
ともかく写真をとることは自然を深く見ることになった。
だから一眼レフのカメラは必要である。
これも実際は七万くらいで買うことができた
望遠レンズは使っていない
写真はやはり一瞬が勝負になることがある。だかちその点今度かったソニーのα6000はいいカメラである。


 
タグ:コスモス

2015年10月15日

15年くらいの前の自転車が放置されていたので警察から引き取らされた (所有することは何でも責任も課せられている)


15年くらいの前の自転車が放置されていたので

警察から引き取らされた

(所有することは何でも責任も課せられている)


全面的支配性

所有権は物の使用・収益・処分という全面的支配を内容とするという性質


この自転車は15年前とかでありなぜ隣の市にあったのかもわからない
もう使わないし忘れたものだった。だから捨ててくれと言ったら登録されているから捨てられないという
今度はひきとったら捨てるのもめんどうになる。

なぜこんなふうになったのだろう。それは盗まれたものなのかそれもわからない。
問題は防犯登録されていて警察の記録に残っていたから所有しているものとして責任をとらされたのだ。
そんなものいらないもう15年前のものだからいらないと言っても登録されているということでどうにもならない
登録抹消の手続きをしてなければ時効もない、その登録抹消もまためんどうなのである。車の場合は登録解除することは必ず必要である。自転車の場合はめんどうなことをしたくない

でも15年過ぎてもその所有者が特定されて記録に乗っているから責任をとらされる
つまり所有するということはその所有するものに対して責任をとらされるということである。
犬の場合も飼い主に登録の義務があるから責任をとらされる
これも結構めんどうだから犬を飼うことは責任が課せられる
猫にはそうした義務も登録もないから気楽であるから捨てられる猫も多い
ある一面こうして公的な場所に警察でも登録される記録される怖さである。
それで公式に責任が課せられることになるからだ。

 
そして犯罪でも登記簿でもなんでも記録されることはこうしてあとで責任が課せられる
記録はここで重要な証拠となるから責任から逃れられなくなるから怖いのである。
歴史でも記録かないともう百年もたったら事実がなになのかさえわからない
坂本竜馬が問題になるのは正式な記録がほとんどないから評価できないとなっている
過去でも記録がなければ探りようがないのである。

人間は所有するということは得に思える、自分の自由にできると思える、でも所有することは責任が課せられている
土地でも家でも所有することは相当な責任になる。
だから空家というのは放置されていていいのかと疑問になり法律が変わりいつまでも放置される空家は高い税金が課せられるし撤去も強制される
土地でも家でも所有することには責任が課せられているのだ
壊すにも相当な金がかかるから壊せないということもある。
それは自分の場合、放置された15年前もの自転車をひきとらせられたのと同じである。

誰も使わない空家はすでに危険でもあり本当はその人が所有している権利もなくなっているのかもしれない、でも登録されているから権利がありまた責任がある。
つまり権利があるところにはまた責任も生じているのである。
民主主義は権利だけを主張することと思っているが必ず権利には責任が生じている
それは自転車の所有一つでもそうなっていたのである。
「これを買って自分のものだからどうすると勝手だ」とはならない
家の場合は本当に古くなると修繕するのに相当に金がかかる、もう一端直し始めたから新しく買った方がいいくらいであり金がかかるからもう自分はしたくない
原発避難区域では家を壊しているのが多いのは放置すると家がいたむからそうなる
もう壊した方がいいとなる。
人間はまず何でも所有するにしても責任が生じる
この山を無料であげますよともらっても山を管理してくださいとなると金がかかるし手間もかかる、だから簡単に何でも無料でももらってもいいとはならない
「これは自分のものだからどうしようと勝手だ」とはならないのである。
空家でも回りのものに迷惑になるからそうなる

土地だって何も使わないで荒地にしておくと問題が起きるだろう。
そこにはネズミが増えたりゴミ捨て場にされたり何か問題が起きる
そもそも空家でも土地でも有効利用しないものは所有権失っている
ただ土地をもっているだけの人は所有する権利がないとなる
でも土地は今回の原発事故津波でこの辺の土地は三倍くらいに高騰したかもしれない。
土地はだから金より価値がでることがあるから手放さないのである。
70坪で700百万円と書いてあり高いなと思っていたがそこは町で一番いい土地なので
今になるとその土地は新しい建物が次々に建てられたから土地の値段は三倍にもなったろう。
大東建託のアパートが10棟も建ったからである。そういう大会社もかかわるからさらに土地の値段が上がったのである。

でも何も利用されないものには本質的には価値がない。あらゆるものは使用されて価値がでてくる。
例えば日常的に使う食器でもそれが高価なものでも飾ってあるだけでは価値がでない
使われて価値がでてくる。高価な芸術品的なものでもそうである。
茶道の茶碗でも並べて鑑賞しているだけなら価値がない
それは使ってみて使われて価値がででくる、でもいくら金があっても人間は今や特に老人になると物を買っても道具を買っても使えないという問題が起きる
いろいろ使いこなすことがめんどうになるのである。
となると老人は金をもっていても無駄だと言われるのもわかる
宝のもちくされ,金をもたせても有効に使えないとなる

フラワーアレンジメントするにしても花を買うのだがではこれを有効利用するとなるとそれなりのセンスとかまた暇も必要なのである。
何か忙しいとこういう趣味的なことに時間がさけなくなった
つまりここ十年は家事と介護で花すらゆっくり見ていられなかったのである。
何かするにはただ鑑賞するのにも金だけではたりない、時間が必要である。
その時間が限られているからできないとなる。
自分の場合はあと十年生きれば作品を完成できるがもし5年くらいになると中途で終わる
それは結局家事とか介護で時間がとられたことでもそうなった。

ともかくこの世の中は法律でも何でも具体的に解決をせまられるとき勉強することになるそれは科学でさえそうだった。放射線など関心もなかった。でも原発事故で知ることを強いられた。
学生時代なぜ勉強しないのか?それは現実の深刻な問題として自覚できない、ただ受験勉強とか単位をとるとかであり社会と関係ないからである。
でも社会に出れば必ず深刻な問題を解決するために学問も必要になってくる。
その時学問も生きたものとなるのである。
自分はもともと理屈好きだから学問に向いていたのかもしれない
ただ自ら勉強したいということがなかった
おそらく自ら課題をもち探求することが若いときからあれば良かったとなる
まず人間は社会は一つのことを探求するにも様々な知識が経験が必要になってくるからである。
だから老人はなにかしらともかく失敗しても経験しているから若い人は聞いていた方がいいとなる
失敗した人生でも若い人にはこうして失敗したのかと参考になるからである。

タグ:自転車登録
posted by 老鶯 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

「金の切れ目が縁の切れ目」「ただより高いものはない」「地獄の沙汰も金しだい」 (金でのことでも意志疎通できないから問題起きる)


「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰も金しだい」「ただより高いものはない」


(金でのことでも意志疎通できないから問題起きる)


今日もまた駆けずり回って疲れた。手押し車を一つ自転車に積んでリサイクルセンターまで行き投げた。リサイクルセンターは近いからできた。
自転車も他も一緒に処理しようとしたがそうなると車を頼まねばならない
タクシーに聞いたらなんかめんどうなことを言って頼めなかった。
知っている人がいるから頼めばいいのだが結局かえって礼しなければならないから高くつく、自分に対しては高く要求する
それから便利屋というのにも頼むことはできる、それも値段の問題になる。
つまり金の問題なのである。別にここで金にこだわったわけではない
何か自分でやれることはしてみたいと思った。
何でも金かけていることは良くないと思ったからだ。

実際車を頼まれた方も車は維持費がかかるものだから無料では誰もやってくれない
やってくれるとなると余程親しいか余裕のある人だろう。
車のない人は買い物などを頼むとき親しい人に2000円とか3000円で頼むようにしている人がいる。
これも車を維持するのは金がかかるからそうなる
それをどうこういうことはできない、
要するに車をもつことは金のかかることなのである。
だから車のない人はそれなりの負担しなければならないのは当然なのである。
何をあなたはいちいちそんなこと理屈を言っているのだとなる

ただどうしたら安くするかということを考えるとどうなるかということである。
親しい人に頼むと普通の倍以上とかとられる
自分はずっと金のことでいろいろ体験してきた。
今までは金のことも世間のこととも何もしていない
全部家の人がやってくれてきたからである。
金は実際は食費は三食付きであり本代とか旅行代とかその他にほとんど使っていないし
金持ちの息子とは違っていた。
ただ時間だけがふんだんに与えられていたのである。
だから自分が金持ちの気分はないし金はいつも不足していたのである。

そして自分は本当に世間知らずだった。世間知らずの方が良かったという面があった
これほど人間が醜いのか、これほど金しかない人になってしまったのかということを痛切に感じた。それだけ金に窮している人が今は多いということである。
ただ別にそういう人と直接交わらなければわからないのである。
最初に来た親戚の人は「おばちゃんは金あるんだから金にめんどうみてもらへ」と言って寝ていた母をどなりつけてきれた。
その人だけは金があまるくらいあり不思議に何か遺産が入る人だったのである。
金がなくてこう言ったのではない、病人とか介護にかかわりたくないから言った
別にその人とは付き合いがほとんどないのだからその人はかかわらなくてもなにかすることもないのである。
だから別に何も言わず来なくなればいいだけである。
でも今考えるとつくづく「金でめんどうみてもらへ」というのが現代だと思った。
金で何でも解決しろというのが現代の社会なのである。
介護でもそうだしもう何でもそうなのである。
この辺で原発避難者が仮設に住んでいるが補償金問題でもめていることを何度も書いた
これも結局どうなるのか「お前ら避難者は金を多くもらったの
だから「金でめんどうみてもらへ」と極端になればそうなる
「俺たちはもらっても少なかった」だから協力はしないとなる

金は人間を協力させるものとして働かない、離反させるものとなる。
そして金が万能でもない、でも万能化しているのである。
それで浪江の工場経営者が前の仲間に仕事を回してくれと頼んだらあなたは高額な補償金もらっているのだから仕事がなくてもいいだろうと言って断れたという。
これもちらっと本音をテレビでもらしたのである。
実際工場とかの経営者や牧場の経営者が大熊辺りで5億円もらったというのは本当だろう
その額が大きくなるのである。
そうなるとお前らは補償金でもう一生暮らせるんだから仕事などしなくていいだろうとなる
これも金をめぐる人間の問題であり今の社会の問題だった。

次は自分の家に「金をくれ」と入ってきた人である。それは冗談だと思っていたのであるそううい大胆な人だったからそう言って気にしなかった。
ざっくばらんな人だと思っていた。
実際この通りの人だった。自分が突然病気になったとき本当に家捜しされて大金を失ったその通りに実行したという驚きである。
そんな人いるのかという驚きである。
でもその人は金に窮していたのである。それほど金に窮していたのである。
金に余裕ある人は家の手伝いなどしない、たいがい問題ある人である。
だから金にまつわることで必ずというほど問題が起きやすいのである。
現代は金に困っている人が本当に多くなったのだろう。
下流老人とかフリーターとかシングルマザーとか日本人は貧乏になったのである。
格差社会のこともいろいろ言われる
金に余裕ある人は少ないのである。
もう切羽詰まっている人が多いのである。

もう一人の親戚はこの人は一級の資格をもっていたから金に余裕ある頭のいい人だと思い込んでいた。
この人は一番金に困っていた。もう金がなくて窮迫していた。
それが最初はわからなかった。家族の人もその時はわからなかったのだ。
多額の借金をして自分は事業の成功者だと装っていた、嘘ついていたのである。
この人はまずなんというかすべてのことについて金を要求してきた。
頭の中が金しかないのである。それだけもう金に追い詰められていたのである。
事業しているから一千万の機械を買ってくれとか最初言っていた、自分には成功した人だから何のことがわからなかった。
その事業のことも良くわからなかったのである。
ただいつも成功している金はいくらでも入ってくるようなことを言っていた。
別に深くつきあったわけではない、死んだ身内が深くつきあっただけである。
自分はほとんど何も関与していないのである。

その人は何するにも頭には金しかない、入院して手術をするとき保証人になるから
書類に書いてくれと言ったらなにかそれを非常に恩きせまがしくしていた。
その人はまず最初から何かしてもらいたいなら金を出してからにしてくれということを暗黙に要請していたのである。
一つの商売として自分に要求してきたのである。
自分が病気だということを何の考慮もしなかった
おそらく自分が弱い立場にあり苦しい立場になっているからかえって弱者になったから
要求しやすいわけである。
その人が若いときいい人だと仕事仲間が言っていたがそれは30年前とかのことである。
だから人間は変わるものである。同窓会でもみんな全く人間が変わってしまったというのが普通らしい、自分は一度も出ていない
その人は若いときはそうではなかった、事業に失敗してモラルも何も喪失していたのである。
頭の中が金しかなくなってしまった。
自分が頼んだことはたいしたことではない、でも手術の保証人というが大手術でもないし何の保証も要求されない、金には困っていないからである。それで負担をかけることなどなかったのである。
ただそういうことで自分に金を要求してきたのである。
なんか逆に今になると借金の連帯保証人にでも自分になってくれという感覚になった。
その人は切羽つまっていた。

結局みんな金で切羽詰まっていたのである。
もう今金が入らなければ強盗にでもなる他ないというほどまで極端化すれば切羽詰まっていた。
現実借金の形にブラックな所で働かざるを得ないのもそのためだった。
借金している人は本当に怖い、全くモラルがなくなり常に犯罪の動機になっている
借金自体がもうすでに犯罪者となることに限りなくなっている
だから借金のために犯罪になることがいかに多いか納得する
そんな人が病気のとききたのだから最悪だったのである。
自分にとってこれほど恐ろしいことはなかった。
相手はなんにも感じていない、自分の借金のことしか頭にない
借金している人はみんなそうである。

その人はもともと商売には向いていなかったのだろう。理系で技術のことだけしていれば会社に勤めていれば借金などしなくてすんだ
商売というときただそんなふうに病気の人に対してまで商売して金を要求することではないだろう。
損して得をしろとか相手のことを思って商売するということもあるだろう。
そういうことが全くない人であった。
まず自分が10をとる、そうしたら3か4をやる、絶対に10をまず与えて損なことをはじめからしないのである。「損して得をしろ」とは絶対にならない
そういうことを病人にしたのはかえって要求しやすいからそうなった。
商売相手としてはのみやすから要求してきたのである。
相手のことを全く考えないし考える余裕もなかったのである
そういう人が商売に成功するだろうか?
まず東北人は商売には向いていない、職人に向いているのは本当である。
自分も家で小商いしていても経験しているが全く向いていない、自分は何もしていない
商売に向いているのは関西の人である。
あんなに韓国まで行って買い物してねぎることができる
交渉がうまいのである。自分はかえってそれをまねして失敗した
中国人も商売上手である。それは近江商人とかの場所だっからDNAでそうもなっていた
東北人は農民であり商人のDNAに遺伝子にない、ただ伊達政宗は例外だったのである。

いづれにしろ現代は自分だけではない、金にはじまり金に終わっている社会である。
この辺で補償金でもめて分断されたのもそうである。
あらゆることが金にまつわるものとして問題が生じているのだ。
金がいいとか悪いとかではない、金がとにかく社会を人間を動かす社会である。
そんなこと昔もそうではなかったかといえば確かにそういうことはあった。

「金の切れ目が縁の切れ目」「ただより高いものはない」「地獄の沙汰も金しだい」

この諺を身をもって経験したからである。

現実にすべてこうして金にかかわって縁は切れたからである。
金しか要求しないものは金しかつながりがないものは縁は切れる
金でめんどうみてもらへ」と切れた人もそうである。
金でしかつながりがないからそうなる。
これは極端にしても極端なことにつくづく人間の真実がある。
本音が現れたところに人間の真実がある。
その本音の部分がマスコミできれいごとで隠されて言わないのである。

だから「心に青雲」とかネットで本音を語りやすいからわかりやすいとなる
難民をかわいそうだからと受け入れると国までのっとられるから受け入れるなというとき非情にも見えるが難民も必死であり相手のことをなど考慮する余裕がないからである。
どんどん要求だけしてくるしその責任を受け入れる側が負えるのかあとでまたそのことで国内でもめることになる
それはもう意思疎通できていない暴力的侵入である。
平和の時の移民は意志疎通して双方納得の上に移民を一応受け入れている
シリア難民はもうそんな意思疎通も何もない、相手は生きるか死ぬかの瀬戸際になると受け入れ側のことなど考えられないのである。
でも受け入れる方でも何か必ず慈善でもかわいそうだ思っても難民を受け入れる側でも責任が課せられるからそうなる。
捨てられた猫をかわいそうだとエサをやることでもそうである。
そうなると必ず野良猫が増えて回りに迷惑になるとかなりエサやりを禁止した市もあったそれも難民ともにているのである。
かわいそうならお前がめんどうみろとかなる。そうなると責任が課せられるから嫌だとなる
ともかく金にまつわる諺がこれほど身にしみたことはない
それは今も昔も同じ問題としてあったからそうなる
そうなると人間の世の中が今が特別そうではなく金というものはそういうものだとなる
ただ自分が世間というものがどういうものか社会とかかわらないからわからなかったのである。
そしてむしろ社会とかかわらなければこうした醜い人間のことを知らないから人間はみんないい人だと思ってしまっていたのである。
子供は人間の醜い面を知らない、知ることができないから幸せだった。
自分はカルト教団で学生のときかかわって以来ほとんど社会とかかわらない隠者だったからそうなった。
そこで反発したのがなぜそれほどまでに権力を宗教なのに追及するのかということ出てあった。それはまた金を追及していることでもあったのだ。

世間でもまれた人はこんなことは人間の醜い面は嫌というほど現実社会で経験している。なぜならビジネスではまさに常に金のやりとりだから金にまつわり人間の醜い面を嫌というほど経験しているからそうなる
「金とは何か」と考えるときこういう現実から金のことを考えねばならないのである。
金の最大の問題は金のために心まで売り渡す悪魔に売り渡していることなのだ。
それは政党でも組織でも団体でも会社でも東電でもそうだった
マスコミもそうであり金によってモラルを喪失してしまう。
弁護士でも認知症の後見人になった人がキャバクラで遊ぶために金を使ったとか
まさに具体的にこの事件などはわかりやすい
他ではなかなかこうしたことは隠されているからわからないのである。
金がなくてもいいとか金が悪いとかではない、金によって人間の心があやつられることなのである。
ではそうさせられないためにはどうするかということを考えねばならない
金が必要でも金に支配され心まで売り渡すようにならないためにはどうするかとなる
このことが現実社会では至難だから常に事件でも起きてくるのである。
まず欲をある程度はおさえないと金に心まで支配される
そのある程度は問題だけどやはり欲をおさえないと心も支配される
別に事業に失敗しても成功を装い借金する必要はない、でも見栄とか世間体とかいろいろあってそうなりモラルが喪失してゆく、それが一番怖いのだけどそういうものより金の魅力が大きいからみんな悪魔に金を通して心を売り渡しているのである。

意志疎通できない社会のことを書いたけど金でもそうである。
「金をくれ」とか家に入ってきていうことをそのまま実行する
そこに意志疎通がない、ともかく金が欲しいから金をよこせ、よこさなければ奪うまでだとなる
ところが

「私はこういう事情で金が必要なんです、、、、金を貸してください」
「そうですが、あなたの事情はわかりました、嘘ではないようです、考えてみましょう」

とかなる
金を貸さない方がいいというがやはり一応聞いてみるし離してみる、そこで互いの意志疎通があり了解して金を貸すなりなんなり対処する
それが一方的に金を出せばいいんだとあとは関係ないとなるとき強盗のようになってしまう。
意志疎通がないとき必ず人間は問題が起きる
金の問題でも双方で何かしら意志疎通が必要なのである。
江戸時代あたりになると狭い範囲で親密に暮らしていると日頃から意志疎通ができていたただその狭い範囲内、村の内とかであり村から離れると意志疎通ができないから隣村から来た麦つきの若者が大蛇だったとかなる
江戸時代には見知らぬ他者と交わらないことが多いが外部に村の外になると意志疎通ができないことが問題だったけど狭い範囲で暮らしていたから問題が起きにくかった。
今は膨大な見知らぬ他者は接する時代である。
だからあらゆるところで意志疎通ができないのである。
ニュースでもマスコミから流される情報はほんの一部だけどそこが拡大化されて報道される、そこに必ず誤解が生まれる、そういうことは現代で日常的に起きているのだ。
金が暴力的に働くのは意志疎通の問題がある。
金さえもらえばいい、金を出せ、理由はない、金を出さないなら殺すとなるとき強盗になり意志疎通が全くない状態でそうなる
だからテレビから流される情報は一方的であり誤解が非常に多いのである。
金は何かというとき互いに意志疎通させるものその媒介をするものとしてもある
一つのメデアでもある。それがかえって意志疎通をはばむものとなっている
「お前はなぜそんなに金をもっているんだ、俺は全くないんだ、働いても働いても金がたまらないんだ」
「自分はその金で贅沢などしていない、この金は親が苦労して自分に残したものだ
自分は親を介護したし今も介護している、そのためにも金を使っているし学問のためにも金を使っている、別に贅沢しているわけではない、、、、」
「そんなことしるかよ、俺に金がなくお前に金があること自体が不公平なんだよ」
「そうはいってもあなたにも何か金にならない、貧乏な原因があるんじゃないかな」

なんかこんなことでも金について話し合えば意志疎通ができてくる
それが全くないとき強盗になり殺人になるのである。
問答無用となるのではない民主主義とは互いの意思疎通のことである。それが基本にある。
いろいろ不満があってもともかく相手と話して相手を理解して意思疎通する
そこにはどんなことしても公平はないし不満が残るし犠牲もでる
でも暴力になるよりは殺し合いになるよりはいいという制度なのである。


タグ:金の諺

2015年10月16日

TPPは食料に関しては危険 (人間の体も風土によって作られてきた)


TPPは食料に関しては危険


(人間の体も風土によって作られてきた)


コロサイ人への手紙 1章17節
彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。

現代の生物学を駆使しても、大腸菌1匹すら人工的に作る事は不可能なので、当分の間は無理でしょう。
現代の人間の技術では生きた細胞一つ作り出すことが出来ないんですか。また一つ新たな事実を知ることが出来ました。そう考えると人間とは案外たいしたことないんですね。
 このお話を読むと、現代を生きる人間にこそ謙虚な心というものが必要なんだなと感じます。この謙虚な心を忘れずにこれからの人生を生きていこうと思います。
 
 パプア・ニューギニア人は、
ほとんどイモと野草だけの食事で、
この筋骨たくましい肉体をしている。


 パプア・ニューギニア人の腸内細菌を調べてみた結果は、日本人とはかなり違った様子をしているとのことです。
 彼らの腸内細菌の種類とそのバランスは、人間よりはウシに近いというのです。教授は、その腸内細菌が、彼らの体内にタンパク質をつくり出していると見ています。

 人間が草食だった時代
 http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/059ningen.htm
 

そもそも野菜なんて国によって品種が違うだろうに。
日本は日本人に合うように品種改良を続けて、今の野菜がある。
もしも外国のと違くなければ改良を続けてきた意味ないだろ。
日本の農業をバカにしちゃいかんよ。



 
農業している人と接すればわかるけどまずわずかの面積でも手間はかかる金もかかる
種から苗から肥料代が馬鹿にできない、絶えず草取りしなければならない、ともかく趣味程度でもその労力が並大抵ではない、その女性はもともと農家出身で農業が好きなのである。
その小さな畑のことばかり頭にあり気を使っている、体も使っている。
ただそれで金をとれるかとなると金はかえってかかるし収穫も極わずかであり人にやるほどのものはない、だからネギを一回もらっただけで何ももらっていない
ただそれだけやるので苦労なのである。

農業は割にあわないということが嫌というほど言い続けられていた。
農家を継ぐ子供は親に農業はやるなと殴られたというのはまさにそれだけ農業で生計をたてるのが今では負担になっていたからである。
だからその人は原発とか全国の建築現場で働いてきたのである。
北海道の美瑛でも農家のライダーハウスにとまったが延々と農業はしたくない金にならない、中国人の方がいいと聞かされた。それを聞いて聞かされる方も嫌になった。
そういうことは果物でも何でもそうらしい、農業で生計をたてることはそれだけ負担なのである。

でも農業はその土地土地から離れられない性質のものである。一地域でも肥えた土地なのか地味の悪い土地なのかある。
その土地から離れられないものだから他の産業とは違う。例えば車を作るのだったら土地とか気候に左右されない、どこでも部品は作れるのである。
海外でもいいしどこでもいいのである。農業は土と不可分に結びついている。
そして土地とか気候とかがみんな違っているから風土の影響が大きい
技術でも日本では山が多いからトンネルの技術が発達したというのはやはり技術も風土の影響を受ける。風車は風の多い砂漠のような中東から生まれたというのもわかる。
技術すらそうならましてや食料となるものはもう風土かう生まれ育てられるものである。面白いのは魚の種類が日本は本当に多い、この魚はなんなのだろうとスーバーに行けば知らない魚を売っている、するとその魚の種類に応じた料理法が生まれる
魚を通して多様な食文化を育んできたのが日本でありそれは縄文時代からつづいていたとなる
日本は馬、牛、羊はいなかった。日本は魚の文化の国だったのである。

人間の不思議はその風土によって人間の体もつくられてゆく、だから肉食の欧米人は肉を消化する酵素が出る、肉を消化しやすいように長年の観衆で体がつくられてきたのである一方日本人は腸が欧米人より長いのは牛と同じく穀物を消化するのに適するようにそうなった。
パプア・ニューギニア人の腸内細菌を調べてみた結果は、日本人とはかなり違った様子をしているとのことです。
彼らの腸内細菌の種類とそのバランスは、人間よりはウシに近いというのです。教授は、その腸内細菌が、彼らの体内にタンパク質をつくり出していると見ています。
これも同じである。ニューギニア人は牛と同じように草食でもタンパク質を作りだしている。人間は生まれつきのものではなくその風土に適応して作られてゆく
それを無視した生活をすれば長生きもしないし病気も多くなる。
最近胃ガン大腸ガンとか前立腺ガンが増えたのは欧米食になったからである。
それは縄文人いらの食生活に適していないからそうなる

確かにイギリス人の食糧は牛肉である
と認めなければなるまい
イギリス人は戦争愛していると
それはあらゆる享楽と同じ
彼らの大好きな気晴らしなのだ
クレタ島の人々もそうだった
牛肉と闘争、この二つとも
イギリス人から学んだのだ

バイロン(ドン、ジュアン)

欧米文化は明治維新後に日本の風土にマッチした食文化でも破壊したのである。
欧米は好戦的な人たちでありそれも日本人に伝播されて日本は太平洋戦争に突入した。
悪い風習がとりいれられてそうなったのである。

食料を考えるとこれも不思議である。人間はこれだけ科学が発達しても命は作れないのである。命を作り得たのは神だけである。命を与えたのは神だけである。
命は神しかつくりえないのである。人間をどんなことしても作れない,ロボットは一つの機械にすぎない、人間にはなりえない、つまり人間は命を作れないのである。
品種改良でもバラならバラを基にしてものであり何か全く新しい品種を作ることはできない、ただ一つ品種からバラならバラから多様なものは作れるがそれはあくまでもバラの範囲に収まる、つまり新しい品種は種は人間には作れない、細菌のよう下等なものでも作れないのである。
ただイメージとしては作れても現実には作れないのである。
だから農業に関して風土に根ざして生まれるものだから外国産ばかり食べていたらやはり日本人は変調をきたす。

そして食料となるものはその風土と密接に結びついてできている。
だから外国産の食料は日本人に適さないことがある。それは全部ではないにしろ適さないものが多いことは確かである。
植物でも樹でもアメリカに移民した日本人が証明している。
その土地と風土に密接に結びついてできるからそうなる。
ただ外来種でもねづいたのも多い、元はといえば外来種のものも多い、でも同じ野菜でもそれは日本化した味になっているともいう。
同じカボチャでも日本のカボチャと外国のカボチャは違うというのもやはり風土の影響なのである。人間はあらゆる分野で風土の影響をまねがれないのである。
だから食料に関してはTPPは賛成できないし何かまずいことが起きてくるから不安があるからそうなる。それは工業製品とは違っているからである。
ガンが増えた病気の不安もあるからだ。
薬でもその人の体質にあった漢方薬がそれなりに効き目があったりするように体質は風土なのである。風土から離れて日本も国もありえないのである。



 
タグ:TPP
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2015年10月17日

常磐線の思い出短歌30首 (津波原発事故からふりかえる)


常磐線の思い出短歌30首


(津波原発事故からふりかえる)


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逢隈駅乗り降り多し蝉の声

AUKUMA station
the new one
many passengers
voices of cicadas

新しき駅にしあれや逢隈(あふくま)駅乗り降り多し蝉の音ひびけり
交換に逢隈駅にとまるかな蝉鳴く声のここにひびけり
亘理駅鴎の一羽飛びゆきぬ秋の野広がりしばしとまりぬ
浜吉田海の近きと知らざりき津波の後に電車通りぬ
山下駅勤めの人や菖蒲咲き仙台までを乗り合わすかな
坂本駅一人おりにき冬の夜やともしびあわれ我は見てをり
新地駅夜の静かに着き月光りホームにおりて虫の音を聞く

駒ヶ峰はやすぎにけり相馬と伊達の境の駅かな
相馬駅松一本立ち駅前の通り城跡へゆく秋の夕暮
日立木駅鉄路に咲きぬハマヒルガオ海に近きを磯部は消えぬ
日立木駅一人おりにき誰なれや刈田広がり電車すぎさる
鹿島駅幾人のるや秋の薔薇四五輪咲きて今日も暮れにき
駅前の自転車屋古りあわれかな病と聞くや秋となりしも
原町の駅に大輪のひまわりの咲きて行き交う電車見ゆかな
原町にスーパーヒタチのとまるまま五年も過ぎむ秋のくれかな
磐城太田神社の古く相馬藩歴史を語る秋となるかも
磐城太田次は原町ようやくに帰る故郷に電車ひびきぬ
小高駅ここまで津波来たりしと人住まぬ街電車通ぜじ
桃内の駅の淋しもつぎ浪江なにかあれかし冬田広がる

川二つよぎるや浪江の駅すぎて請戸の港思ふ秋かな
夜ノ森の駅につつじの映えにつつ電車すぎさる今は通らじ
双葉駅昔は長塚我が父と姉との思い出ここにあるかな
我が姉の死して悲しも語りたる双葉のことを思いだすかな
竜田駅金木犀の匂いけり線路閉ざすもまた通じなむ
木戸川をすぎて秋なれや木戸駅すぎて広野につきぬ
末次の駅におりたち畑に人菖蒲の咲きて墓地の暮れゆく
大野駅広野駅冬の野の広がり駅の名心に残りぬ
久ノ浜駅に浜菊咲きし見ゆ津波の後にあわれなるかな
四倉の駅の秋なれ廃墟ありセメント工場跡と電車すぎゆく
草野駅まもなくいわき秋の日のさして稲穂も刈られる季(とき)かな
平駅おりたち線路仙台へ伸びしも遠き春の夕暮
いわき駅東京へゆくカラフルな電車並びて春の日に来る
勿来より春にたどりぬ泉駅昔の路線夕焼け美し

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1898年(明治31年)8月23日 - 日本鉄道磐城線の長塚駅(ながつかえき)として開業。
1901年(明治34年) - 土浦線・水戸線友部駅 - 水戸駅間・磐城線を統合し海岸線と改
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により常磐線の所属となる。
1959年(昭和34年)10月1日 - 双葉駅に改称となる。

双葉駅が浪江が標葉郷であり楢葉があり双葉となった。標葉は浪江は相馬藩に入り野馬追いにもでている。双葉はもともと長塚駅だった。だから双葉というとその駅名が新しいと感じるが昭和34年に改称したとなる実際は古い
相馬駅も中村駅でありこれは中村というとき

1897年(明治30年)11月10日 - 日本鉄道の中村駅(なかむらえき)として開業。
1961年(昭和36年)3月20日 - 相馬駅に改称。

相馬駅に改称されたのは昭和36年であった。でもなにか中村というのが子供の頃から親しんでいたのでこれもそれなりに古くなったと思う。
人間は地名でも駅名でもなじむに時間が必要だった。
地名はまず百年くらい継続しないとなじまない、地名は百年は短い、それだけ地名というのはなじむのに時間が必要なのである。
だから駅名でも相馬でも双葉でも最近のことのように思えるのである。
合併して市町村の名前が変わってもそれがなじむには相当な時間が必要になる。
双葉は元の長塚は自分の父親と姉の思い出の地だった。父が丁稚奉公した酒屋があったからである。それは富沢酒店の隣だったのである。それは戦前につぶれなくなった。
でもその話を聞いていたからなつかしいとなる
何か銀行があって遊んでいたとか銀行自体がその時めずらしいものだったのである。
それも遠い日の話になってしまった。
人間は最後は思い出だけになってしまう。それが常磐線は何度も乗っているから駅名とか思い出すのだがその思い出すことは正確ではない、例えば駅でも大野駅とあるがその順序がわからなくなったりする、ただ駅名は何度も乗っているから覚えている。
他の線は駅名を覚えているのも少ない、だから何か思い出す作業というのが不思議なのである。
ともかく双葉駅辺りが相馬藩と磐城藩の境目である。
古代では磐城国だったから磐城太田という駅が原町の隣にあるし磐城とつく地名が今でも多い、それは白河も磐城と接していたから同じだった。

常磐線で今回津波で意識されたのは海が近いということだった。
浜吉田とかがなぜ浜になっているのかわからなかった。浜など全く見えないし遠いと思っていたのである。そしたらあの駅前まで津波が来ていたことには驚いた。
新地駅は一番海に近いことは知っていた。海が見える駅だった
山下駅でもあとは海が見えないのである。
だから浜吉田まで昔は海だったということを意識させられたのである。
それは亘理駅でもそうである。あそこに鴎が飛んでくるのを見た
鴎が飛んでくるということは海を意識するし海が近かったのである。
岩沼でも海は近かった。それは多賀城とか宮城の海岸線でもそうだった。
建物がたて込んだりビルが建ったり松原でも海が見えなくなっていた。
だから海が遠いと思っていたのが津波で海が近いと意識させられたのである。
小高駅までも津波がきたから小高は海が近かったことを意識させられた。
そして小高の城があるところまでかなり海が迫っていたのである。
中世には小高は規模の大きい湊でありすると小高城に近く湊だったとなる

常磐線は今のいわき駅は平駅だった。平駅というのがなじみがある。平機関区があり原町機関区がある。それは東京への物流の二大基点であった。
戦後十年か二十年か木材とか石とか運ばれた。平は常磐炭鉱があり石炭を運んだ。
日本の鉄道は北海道でもそうだが旅客を運ぶより物を運ぶものであり特に石炭を運ぶものとしてはじまった。小樽などもそうである。北海道には炭鉱が多かったからである。
とにかく自分は電車の旅行の時間が長い、自転車旅行はそれほどしていない、電車で一番旅しているから鉄道に興味をもったのである。
北海道には十回くらい行っているから一番親しい場所である。
電車の旅も人家が多い工業地帯など走ると印象に残らない
だから西は混んでいるから何か印象に残りにくい、ただ印象に残るというとき記憶されるというときやはり一度くらい行っては記憶しにくいのである。
英語の単語でもそうだが何度もその言葉を使っているうちに読んでいる内に記憶に定着するのとにている。

人間にとって意外と盲点なのは記憶することが大事だということである。
人間は人生でもその人が記憶したことか人生になりやすい
だから認知症になると昔の記憶は残っているのでそのことを何度も嫌になるほど話すのである。
それで戦争のことを千回も聞かされたので嫌になったがそれが人生だったからそうなったのである。
そして記憶というのは漠然としたものより地名とか駅名から記憶がよみがえってくる。
だから電車の旅は駅名が歌枕のような役割を果たしていたのである。
ただ正直遠くは必ずあいまいになり定かでなくなる
車窓からの景色でもあいまいになる、でも常磐線のようにいわきから岩沼までは人家が少ない、野原が多いからそういう場所だと記憶に残る。
その間に無人駅もかなり多い、日立木駅など人一人くらしかおりないことが普通にあるのだ。
そういうときその一人がおりたということを見ていて記憶するのである。
もう何十人もおりたりすると記憶しにくいのである。

いづれにしろ新地駅はなくなった。あそこでは相馬駅につくまえ交換列車を待つので6分くらいとまっていた。それは夜だった。月が海から出て光り虫がないていた。
そういうことが今や津波で流されて経験できないということも不思議だとなる
新しい常磐線は二年後に開通するがそれはまた全く違ったものになる
別な場所になるから今とはまるで違ったものとなる
それは仙石線でも新しくなりそうなった。遠名駅は高台に移り景色が悪い所になった。
常磐線ではそれぼとの変化はなしいにしてももう前の駅とは違うものとなる
だからもう経験できないとなると記憶されたものが貴重だとなってしまう。
新地駅などは特にそうである。

それにしても自分はいつでも電車にのっている気分になる、旅している気分になる。
それが人生だったともなる。そんなことが人生だったのかとなるが現代では結構普通の人でも作家でなくてもそうなる人がいるだろう。
働かない人が普通に若い人でも多いからである。
するどこんなふうにして過ごした人も多くなる
ただ団塊の世代は企業戦士だから働いていた人が多かったから自分のような人はまれである。ニートなとはあの当時は極まれなアウトサイダーである。
今はどこにでも働かないニートが日常的にいる、これも時代である。
今になると自由に旅できたことが不思議である。ここ十年介護などで全く旅できなくなったことでその自由に旅できたことが不思議に思え恵まれていたなとつくづく思う。
自由に旅することなど自分にとって当たり前だったのである。
特別なことではない、当たり前のことであった。でも勤め人だったらできないのだから自由に旅できることはよほど恵まれていたとなる。

印象に残る駅はある、逢隈駅は新しいがあの駅は丁度交換の電車を待つ、するとそこで蝉の声がひびく、山間にっているしトンネルをぬけると阿武隈川に出る、蔵王も見えるから一つの地理的境目になる。
阿武隈川は逢隈からでている,他にも郡山にも逢隈橋があったからだ。
常磐線でこれだけ駅からイメージできたのはそれだけ回数をのっているからである。
それは自分の死んだ家族との思い出も重なる
駅は鉄道が盛んな時はこれ以上に生活に密着してて思い出の場所になっていた。
何か人間が記憶するというとき思い出すというとき漠然として何もない、野原だけとかなるとそこに地名が一つあることでその地名からイメージする
だから旅で記憶されるのが駅名だったのである。

常磐線は昔の平から仙台までは記憶に残っているがその南となると何か福島県でいなように感じる、ただ勿来から泉駅まで春に自転車で行ったがあそこは勿来から鉄道が通っていて物資を運んでいた。その蒸気機関車の写真もネットにでていた。
そんな時代があったのかと鉄道が盛んなときは戦後十年以上でもつづいていたのである。つくづく津波があり原発事故がありそのことで何か大きくこの辺は変化しすぎた
その変化に五年すぎようとしてもとまどっているのである。
それだけの大きな被害だった。常磐線も双葉とか大熊とかの線がいつ開通するかわからない、仙台までは二年後だからそれまでは生きていて乗れるだろう
電車の旅はつくづく自分の人生だったとなとまで思う
ただ思い出すとなるとなかなかできない、駅でも前後が逆になったりはっきりしなくなるのだ。
ただ常磐線は生活路線でもあったから記憶されていたのである。


1907年(明治40年)12月1日 - 小名浜馬車軌道(馬車鉄道・後の小名浜臨港鉄道→福島臨海鉄道)が駅前に乗り入れ。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により常磐線の所属となる。
1941年(昭和16年)6月 - 小名浜臨港鉄道線が経路変更。同時に当駅に乗り入れ。
沿線の工場や小名浜港への貨物輸送主体の鉄道で、当時は栄町〜江名間の江名鉄道もありました。貨物列車にはもっぱら国鉄から譲受した蒸気機関車が使われておりました。
http://6.fan-site.net/~haasan55/OnahamaRinko.htm8(映像あり)


これはホームページで書いていた。常磐線俳句十句もまた連作になる
前に書いたものもまた書き加えられて延々と創作は連続してゆく
そういうことがネットではしやすいのである。
同じことでも多少色を変えると別なものになる、すると読む方でもその人が何を強調しているから記憶に残りやすいとはなる
一冊の本は完成したものだがプロクとかは特に完成しないで延々とつづくのである。
そしてそこで前に書いたものもまた新たにされる、更新されてよみがえるのである。
それが本とネットの違いである。


ともかく双葉駅はいつ開通するかわからない、昔は長塚駅であり自分の父と姉との思い出の地だった。父は酒屋に丁稚奉公していたのである。姉もそこに行っていたのだ。
そういうことでも常磐線は旅するだけの路線ではない他の人でもそうである。
母は原町の原町紡績(原紡)に十年糸取りして働いていたがその原紡に鉄道の引き込み線が門から通じていたことは驚いた。
この引き込み線は今でも岩沼の製紙工場にある、鉄道で物資や製品を運んでいたからそうなる
またどこの駅にも引き込み線があり貨物車が荷物を運んでいた、それで駅前に自転車屋があるのは鉄道で運ばれるからそこで下ろすのに立地がいいからそうなった。
おそらく病気になった駅前の自転車屋はそういう古い自転車屋なのだろう
駅前が栄えた、相馬市の駅前通りは鉄道とは関係していない、もともと城下町でありそのまま変えなかった、原町は駅前通りとなり陸前浜街道の通りはすたれて駅前通りが繁盛した。
今はシャッター通りになっているのも淋しいとなり時代の変化が常にある。



2015年10月18日

雇用者の責任と雇用される者の責任 (民主主義では雇用するものもされるものも対等を求める)



雇用者の責任と雇用される者の責任


 
(民主主義では雇用するものもされるものも対等を求める)



雇用主(使用者,会社)も,従業員の業務中の行為による損害について賠償責任を負います。これを『使用者責任』といいます。
契約はいつまでか(労働契約の期間に関すること)
辞めるときのきまり(退職に関すること(解雇の事由を含む)

※労働契約を締結するときに、期間を定める場合と、期間を定めない場合があります。一般的に、正社員は長期雇用を前提として特に期間を定めず、アルバイトやパートタイマーなど短時間労働者は期間の定めがあることが多いです。

労働契約に期間の定めがある場合は、労働者は、やむをえない事由がない限り、一方的に辞職する(労働契約を解約する)ことはできないのが原則です(

僕が「基本的には人を雇うべきではない」と思う一番の理由は、人を雇うということには、大きな責任が伴うと考えているからだ。社員を雇えば、毎月給料を払わなければならない。会社の業績なんてお構いなしに、契約した分のお金は払う責任がある

僕は、どうしても人が必要な時には「従業員」ではなく「共同経営者」を見つけるべきだと思っている。
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/01/26/214422

言い換えれば、派遣労働者というのは、必要がなければ後腐れなく切れる企業にとって都合のいい人材という前提で作られた身分ということです。
http://winfriede.com/post-2346/

しかし、働く人が少ない中小企業では、社員一人一人の顔が直接見えます。
いくら会社の業績が落ち込んできたとしても、「明日からクビだ」なんてことは言えません。
当然、雇う側にも責任があります。
社員とその家族の面倒を見るという責任です。

どんな理由であろうと辞めると言っている人間を引き止めても仕方ないですし、
それが体調不良となればなおのこと止めることはできません。
http://lucas-sedori.com/?p=827



自分など社会とかかわらないから社会のことはわからなかった。学者のように本を読んだりして勉強していた。
でも現実社会になると具体的なこととして理論ではなく何でも重い責任が課せられているがわかった。
それは人を一人簡単に手伝いさんとして雇ったことからはじまったのである。
それは自分が雇ったのではない、家の人が雇ったのだがそのことからいろいろな社会や人間の問題を考えるようになった。
自分が人一人雇って大金を失ったのは誰の責任か?
雇ったお前の責任だ、お前が悪いんだ
結果的にこうなったのが現実なのである。もう金は取り戻せないし何もできない

だから人を雇う時はその履歴とか保証人とか厳しい
簡単に雇えないのである。まず手伝いさんでも簡単には雇えない
家の中に入るのだから家の中のことがわかるのだがら簡単に雇えない
つまり何かあっても雇った方の責任にされるのだ。
そして民主主義のことを書いてきたが民主主義とは選挙権があるというだけではない
社会そのもの民主主義なのである。
それはだから雇用とかの面でもそうなっている
雇う人と雇われる人がいるがそれは対等を計る制度なのである。
雇う方でも責任があるから雇う方でもいろいろ手を打つ、厳しくせざるをえないのであるなぜならその責任はとらされるのは雇い主だからである。

大金を失ったのは雇った方が悪いとなるからである。

犯罪でもそうである。
犯罪にあった方が悪いのだ、油断したから悪いのだ
そんな危険な奴を簡単に雇った方が悪いのだ

お前がレイプされたのはそんなに派手にしているからだ
お前が犯罪を誘発したのでありお前が悪いのだ

お前がタンス預金して盗まれたのはお前が悪いのだ
誰も同情しないよ
警察でも証拠がなければとりあわない
お前がすべて悪い、馬鹿だということ

 
民主主義社会では常にこうなっているのである
一見雇い主の方が有利になっているようでなっていない
だから人を雇うなというとき共同経営者になることだというとそうである
それは共同の責任であり雇うと雇われのとは違うからである。
つまり雇う者と雇われる者は対等になるのが共同責任だからである。
だからお手伝いさんを雇うにも共同経営となるか家族のようにしないと成り立たないとなる

正社員と派遣とかに分かれたのは雇う方が責任をとりたくないことなのだ
正社員ならいろいろ保証するが派遣だったらいつでも首が切れるということで雇う方にすれば便利なのである。
でも雇われる方にすると身分も安定しないし将来の設計もできない
すると公務員とかはまず一端入ったら身分保証が一生される
簡単には首にできない、病気だろうが何だろうが能力は実際なかったにしろ
一端入ったら身分が一生保証されるのである。
その違いはあまりにも大きいとなる
公務員は身分だというとき侍と同じだとなる
会社だとやはり会社自体がつぶれることがあるからそうはならない
公務員はこの辺のように町や村がなくならない限り身分は保証される
食いぱっぐれないのである。

民主主義は要するに何でも対等をめざしている、一見そうでないように見えてもそうである。
雇い主と雇われるものもそうだし政治家でもあくまでも選ぶのが選挙民なのだから対等である。
そして結果としては選んだ政治家が悪いとしたら

選んだお前たち選挙民が悪いんだよ

となる、それは犯罪にあったら犯罪にあう方が悪いんだとなるのと同じなのである。
マスコミに対して批判が多いのは

なぜマスコミだけが大々的に報道する権利があるんだ
民主主義は平等ご、誰でも報道する権利はある
知る権利がはある

とかなり新聞とかテレビの批判になりインターネットが生まれたのは当然なのである。
報道はテレビ局でも六局とかに独占されていたからである。
何も知らされないなら民主主義も成り立たないからインターネットは民主主義を促進されるツールになる。

民主主義の功罪は極端化するとみん対等だし責任を問われることを極度に恐れることになる
医者と患者は対等でないようでも対等を求める、だから医療ミスにあうとことを医者は極端に恐れると医者になりたくないとなる、そういう問題が実際に起きた。
先生と生徒でもそういうことは起きる、絶えず責任が問われるから戦々恐々としていなければならない社会である。
子供に声かけても何かあったら責任が問われると必ず何があってもお前が悪いんだとされる社会である。
そうなると雇う方でも徹底的に疑い信用しないという窮屈な社会になるし実際そうなっている 互いに人間が信用できない社会なのである。

それまた当然だともなる。つまり雇う方でも雇われる方でも対等を求めれば責任が問われる、雇う方にだけ責任があるのではなく雇われる方にも責任がある。
雇う方も雇われる方もだから共同経営者になるのが理想だしそういう会社もあった。
まさに民主主義社会ではそうした対等な関係をどこでも求めているのである。
つまり民主主義社会では一票が平等である。それは平等の権利を与えられていることなのだ。生活保護者でも一票は同じなのである。
とういうことは対等だということは対等の責任もあるということになる
首相でも大臣でも何でも対等であり首相にだけ責任があるのではない
その首相を選んだのは一票を入れた者にもあるとなる

でもそういうことを自覚している人は少ない、国を担うのでも会社を担うのでも何でも実際はみんな対等だとなるとき対等の責任を課せられているとなる
だからある人が金を多くもっていたりするとそのことも対等ではないとなる
あまりに対等を求めると平等を求めるとそれがかえって平等でなくなる
たいして働きもしなくても同じ賃金をよこせ、能力もなくても対等を要求する
才能でも努力でも何でも無視してすべては同じであるべきだとなりそういう要求もまた理不尽になるのである。

とにかく会社であれ何であれ例えばどこの市町村に属していてもその市町村の一員としての責任が問われる、だから原発事故では原発を誘致して金もらっていた町の人が悪いんだとされた。つまり民主主義とはこうして常に一人一人が責任が問われることなのだ
上の人が決める権力をもっていたなら下の人は従うだけだから責任はない
それは江戸時代なら侍がすべての責任があり切腹するほかないとなる
今はどこでも一人一人の責任が問われる
そうなるとき会社でも共同責任者であるとしたらその会社自体のことを総合的に考えざるをえなくなる
その会社は何をしようとしているのか、社会に対してどういう存在になっているのか?
何かそれは利益だけではない、そうした社会に対しての総合的な視点が必要になる
俺は別に時給いくらもらっていればいいだけだよとはならないのである。
でも時給もらっている人はそれだけのものとしてみられることは確かである。

大きくなれば会社だけではない、市町村員としての自覚とか国民としての自覚も要求される
それは上からの強制ではなく一人一人がそうした自覚や責任が課せられているのが民主主義だとなる
今人手不足で会社が困っているというときやはりただその場その場で会社にとって都合のいい雇い方をしていたからだと言うのもわかる
でも一方で雇われる方でもそうして何でも対等になると責任が大きくなるのだ。
派遣などはそうした責任がないから気楽だとか言われる
そういう人は責任がないのだからまた時給であり安いとなることに甘んじなければならないともなる
要するに民主主義とはともかく対等を求める社会だがそれと同時に責任も課せられている社会のである。



posted by 老鶯 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2015年10月19日

明治維新に国民国家となった経緯 (国民国家から世界市民へ向かうのが人類の進歩?)



明治維新に国民国家となった経緯

(国民国家から世界市民へ向かうのが人類の進歩)

●西南戦争で国民軍が勝って日本国民になった

民主主義国家とは何かなのか明確に意識されていないのである。
民主主義国家とは主権が国民一人一人にある国家である。つまり国民の一人一人が国家に対して責任をもつのが民主主義国家なのである。
国民の一人一人が平等の権利をもたせる、票でもみんな一票であり同じ権利なのである。生活保護だかろうがよぼよぼの老人だろうがそうである。
国民国家というときそれが日本に生まれたのは明治維新の時なのである。
西南戦争で武士と戦い国民軍が勝ったことにより国民の意識が生じたのである。
だからその時戦った一平民の国民がどんな感覚になったのかということである。
「俺たちは侍と戦って勝った、もう侍に従う必要ない、俺たち国民一人一人が国をになうのだ」
その時意識変革があった。その意識変革はに民主主義に通じていた。
リンカーン大統領が、「人民の、人民による人民のための政治」としたことが民主主義の発祥である。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
(日本国憲法)

民主主義国家とは明治維新後でも明確に意識されないしなっていない、なぜなら天皇の臣民となっていたからである。それは国民の国家とは違う、天皇の国家となってしまうからである。そのことから太平洋戦争は天皇の臣民としての神国としての戦いであり多大な犠牲が国民に強いられた。
国民国家としての戦争ではない、天皇の臣民としての戦争となる
国民というとき国民一人一人のために戦うのであり天皇のために戦うのとは違うからだ。ではこの国民主権となり国民国家となったとき責任は国民一人一人に課せられる、国家をになうのは国民一人一人である。

江戸時代までの日本に存在したのは愛国はなく忠君という倫理だけでした。
自分が仕えている大名に忠誠心をもつというものです
商家にもそれはありました
愛国をなじませるために忠君愛国にした
(明治という国家ー司馬遼太郎)

江戸時代から明治維新で激変したのはそうした封建時代に培われたものの大変革だった
日本人にあったのは藩民でもない、会津ではあれだけの戦いがあり犠牲があっても会津藩に属する農民は無関心だったのである。
だから

■明治元年(一八六八)九月二十二日、若松城は一ヶ月の籠城戦の末、遂に開城と
なった。
■会津の落城からまだ十日とたたない十月三日から、会津全域にわたって数万にの
ぼる農民の激しい一揆騒動が起きた。「ヤーヤー」と叫んで打ちこわしを行った世
直し一揆は、封建制度を厳しく批判して、新政府に対しその改革の実行を迫るもの
であった。

これは明治維新の時の庶民がかえって城が破壊されるとか城の侍が激しく戦い死ぬとかに同情していない、むしろ歓迎していたとなる。
常に会津の戦争が悲壮感をもってみられるが庶民にとっては無関心だったのである。
それはヨーロッパだと城壁に囲まれて市民が一体であり市民とんう感覚が育てられた。
それは外敵と共同して戦うということから市民(citizen)が生まれた、外国にゆくと
どこの市民なのかと問われる、citizenship(公民権)というのはそこから生まれている共同体意識なのである。
civilizationもこのcitizenから生まれた概念である。
要するに市民というとき外敵から共同して守ることであり強固な連帯意識がある。
でも日本の封建時代にはそうした強固な共同体はない、侍は侍であり農民は農民であり職人は職人である。それらが一つの共同意識をもっていない。
だから会津ではあれほどの戦いがあってもそこの住民はかえって歓迎していたとなる
つまり農民は侍に米を納税するだけのものであり会津藩を共同して守るという意識がなかったのである。

●江戸時代は庶民は藩意識もない、強制的に所属されていただけ

明治維新から日本で一番の変化はこの武士の階級がなくなった。城もなくなった。藩もなくなった。廃藩置県でなくなった。このことが一番の変革だったのである。
ただ藩単位で生活していた期間が長いのだからそこで醸成されたものは郷土愛である
郷土愛とは何かというときこの辺は原発事故で避難区域となり住めなくなった。
その時故郷とは何かということが常に問われたのである。
故郷とは何かというときそこは一代だげではない、何代にもわたって人が暮らした所でありそこへの愛着は親から祖父からさらに代々暮らした所への愛着でありそれが歴史となっている。
だから自分の父親が双葉の酒屋で丁稚奉公していたということを書いたがそこにもやはり自分は経験していなくても話を聞いているから愛着がでてくる
つまり人間の記憶というのは一代だけではない、親や祖父やその前の長い歴史があり愛着が作られてきたのである。
だから郷土愛というのは普通にもっているものであり地が血となるのもわかる。

でもcitizen(市民)とかは本当にわかりにくいのである。文明というときみんな科学技術のことを蒸気機関車が走ったことなど技術だと思っている。
ところが文明というのはcivilizationであり市民から発しているのである。
そのcivilizationから国民意識になった。そのことが日本ではむずかしいので天皇の臣民として理解させて国民意識を作っていったのである。
だから国民になることは明治維新の最大の改革だった。また法人となること会社の一員となることもまた改革だった。会社というのも明治になって生まれたからである。
具体的に国民を理解したのは西南戦争の時である。とても武士階級に国民軍が勝てると思っていなかったし西郷軍の武士階級もそう思っていた。
でも国民軍が勝ったことで武士階級はなくなった。その時会津藩士も国民軍に参加していたのである。その時薩摩に恨みをいだいてその恨みを晴らすということもあったかもしれないがもう藩はない、国民として戦ったのである。
何かその時国民軍として戦い参加した人たちは最初に国民を意識した。
侍が国をになうのではない、国をになうのは戦った国民軍の一人一人だということを意識した。それはやはり命をかけて戦ったのだから学問的に知識として理解するのとは違っていたのである。
そして日露戦争から太平洋戦争と国民軍は外国との戦いでさらに国民意識が強固にされたのである。

今になると国民など当たり前ではないかとなるが明治維新の時はそうではなかった。
日本国民として大きな範囲での意識が生まれたことはこそcivilizationだったのである。なぜなら侍が治めているときは政治でも何でも侍が決めてそれに従うだけであり庶民は政治に関与することができないからである。
そうすると藩があっても藩意識もないのだから責任感も生まれない
それで会津の侍があれだけの戦いと犠牲があったのに無関心だったことでもわかる。
でも今や国民となるとき外敵に向かい国民が責任をもって戦うという意識になった。
日本のどこかが外国に攻められて炎上しても高みの見物だとはならない
同じ日本国民として黙ってはいられないのである。
太平洋戦争ではこの国民意識は最高潮になり過度になり敗戦でまた変わってしまった。
日本は戦争を否定して国民意識も変わった、日本国民自体を遺棄して日本国民であることに誇りがもてない、否定的な感情をもつようになった。
特に左翼系では日本国民であること自体を拒否する。おそらく中国に属した方がいいとか一方で右翼系でもアメリカに従属して属国化したから本当の国民意識は失われた。
その時愛国心も失われたのである。
歴史というときやはりどういう経過でそうなったのかをふりかえることにある。
明治維新が今日の日本国の基になったのでありその時からの継続が日本であった。

●国民国家は否定され愛国心は日本では喪失して多国籍企業世界へ

日本がなぜ愛国心がなくなり日本人であること自体拒否するようにもなったのか
その原因は太平洋戦争でアメリカに敗れて属国化されたことにあった
敗戦以後は国民という意識が希薄化してみんな企業戦士となったことでもわかる
会社が企業が国民の代わりとなったのである。この傾向は多国籍企業がグローバルに支配するということでもあった。アメリカですら愛国心がどうなっているのか、いくら戦争に勝っても愛国心となるとやはり衰退しているだろう。
むしろ多国籍企業として国が企業化しているというのが現代である。
だからこれは日本だけではないグローバル化した世界では愛国心は薄れるのである。
そして国民意識から何に変わったかというとグローバルな経済人となったのが現代である中国でも愛国心を言うが共産党の幹部は巨額の金を貯えてアメリカでもカナダでもどこでも移住する準備をしているとか日本でも金を金持ちは他国に移すとかをしている
もし愛国心の時代だったらそんな国を裏切るようなことはありえないのである。
でも世界的経済人としてなら別に国より経済が大事だからそうなっても不自然ではないのである。
今は国と国が戦争するように見えても実際は石油の利権とか企業の利益のために戦争になる。それは今までもあったにしろ多国籍企業世界ではそれが露骨になる。
太平洋戦争のときはそこまで多国籍企業の力はなかったからである。

ともかく人類史で考えれば国民国家というのは大きな共同体となり一つの大きな進歩だった。次に国を越えて共同意識をもつグローバル経済になったけどこれも問題はいろいろある、企業は利益共同体でありそれ意外ないから国々の文化も破壊する。
江戸時代のときの藩はその土地に根ざして個性的でありその土地土地の文化を育んだ
そこには土地と一体化した共同性と文化がやはり育まれたのである。
だから廃藩置県になったとき県というのは今でも違和感がある。
県の範囲が広いので県からイメージできないのである。福島県だったら会津は会津であり福島県としてありえないのである。そもそも福島という名前すらどこから来たのかこれも福島県が一体になりえないことである。県という範囲がどこでも広すぎるのである。
城があったところからその土地のことはイメージしやすいのである。
多国籍企業となるとこうした土地土地の文化を破壊することが大きな問題である。

でもまた貿易とかを否定はできない、なぜならオランダが最初に国民意識をもったのは貿易が盛んだったからだという、商人の国になったときどうしも世界が広がるから国民意識ももつ、そしてオランダは国が狭いから国民意識をもちやすいこともあった。
商人は国境を越えて商売するから国の支配を受けると自由がなく税ばかりとられるから国を否定するというのは今の多国籍企業とにている。
ハンザ同盟などがそうである。そうした商人のネットワークが一つの国のようになる。
そうした矛盾はあるにしろ人類が目指すのは何なのか?
文明とはcivilizationであり市民からはじまり国民意識となりさらに世界市民としての自覚をもつ世界なのだろうか?
そこでは世界市民となると世界市民として方を遵守するとか人権を重んじるとか共通の価値観の形成が必要になる。
そこには宗教とか様々な相違があり困難を究める、しかし人類の進歩とは国民意識がそうだったように世界市民として拡大してゆく、物理的には空間はすでにどこでも行ける時代だからその障壁はとりはらわれたから問題は意識の問題なのである。
ただ世界市民といってもそうなる前に今でもそうなように混乱が起きてくる
シリアの難民問題でもそうでありそれはあくまでも理想であり人類はその前にハルマゲドンとなり国と国が最後の戦いをして滅びるということもある。
だから世界市民といっても架空のことであり国民意識は現実となった歴史感覚であるか
世界市民という意識をもつのは困難を究める。
マルクス主義の世界のプロレタリアートは団結せよというのはそれも一つの世界市民への国を越えた運動だった、それも挫折して凄惨な大量殺戮で終わったのである。
だからその前途は厳しいが国民国家になるということができたことはやはり人類の進歩として見直すことは必要である。

確かに藩にすら所属していない時代から日本国民になったということは飛躍的な進歩だった。それからアメリカに所属しているというのはアメリカが世界国家的だからそうなる
そして今世界ではどうしてもそうした広域で結びつく世界を目指すのは貿易などで強いられている。それでヨーロッパ共同体 (EU) が生まれたのはそのためである。
でもこうした広域な共同体になることは歴史的なものもあり非常にむずかしいのである。だから以前として軋轢があり問題が生まれる、日本が江戸時代から明治維新で国民国家になったのはやはりそれだけの歴史があり統一しやすかったとなる
他ではアジアでも国民国家になるのは遅れたことでもわかる。
そうした広域共同体がむずかしいのは言語であれ様々な文化の相違もありそれを何をもって統一するかとなるとむずかしい。ヨーロッパとか中東は宗教が大きな役割を果たしたが現代はむしろ宗教を否定してフランス革命で自由、博愛、平等が理念になった。
それは民主主義の理念たったのである。民主主義というのは理解しにくい、でもそれは何でも自由とかではない、一つの理念なのである。
アメリカはその理念を世界に普及させることを強いる、それに従わないと戦争で従わせるとなるが中東では受け入れられなかったのである。


 
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2015年10月20日

資本主義の終焉と歴史の危機ー水野和夫を読む (資本主義民主主義の理念の危機でもある)


資本主義の終焉と歴史の危機ー水野和夫を読む

(資本主義民主主義の理念の危機でもある)


それまで三世紀にわたって封建経済全体を前進させてきた原動力である農村の開拓が地理的にも社会構造上も客観的にみて天井に突きあたってしまった

ぺリーアンダーソン

これは日本とにている、日本も幕末辺りになると新田開発になる場所もなくなり人口が増えるのも停滞した、日本でも田を作るための開墾開拓の歴史は弥生時代から延々とつづいてきたからヨーロッパともにていた。
そして明治維新後も開墾開拓はつづいていたのである。
八沢浦は明治になり埋め立てられて田になった。小高の井戸川浦は大正時代に開拓されたのである。
戦後でも引揚者が各地に開墾に入ったのである。小池というと鹿島では街から近いのちそんなところまで開墾に入った。だからいたるところ戦後でも開墾に入ったのである。
つまり農業国の延長として戦後十年くらいはつづいていた。
そもそも満州に日本が進出したのは広大な土地で農業をしようとしていたのである。
日本は狭く農業が限界に達して開墾地を求めて満州に進出した。
それが契機となり中国と戦争となりアメリカとも戦争になった。
日本という一国でも成長しようとするとき外国へ進出してそれが戦争ともなる
成長が限界になるとそうなりすいのは歴史をみればわかる。

資本主義の限界とは資本の実物投資の利潤が低下して資本の拡大生産ができなくなってしまうことです

金があっても今やどこにその金を投資してもうけるかとなるとその国も会社もなかなか見つけられなくなる、世界の資本主義がもうそこで限界に達する
自分がカナダの国債を買ったけどそれが一割も引かれたのはショックだった。
カナダはよく分からなかったが石油がとれるからいいんだとすすめられた。
今は石油の時代だから石油がとれることは経済が強いのかと思った。
ところが最近石油の値段がかなり下がった。それは中国の影響などで需要が低下したからそうなったのかと思う。
石油がとれてもそれを使ってくれる世界経済が停滞すれば石油の値段も下がるのである。中国でも成長の限界がきたということでそうなった。
そこで金余りにもなりパブルになる、一度日本では異常に土地の値段があがったのはそのためである。金の投資する所がなくなりオランダではチューリップバブルになった。
絵画が異常に高い値段でバブルの時に買われたのもそのためである。
バブルと同時に長いデフレになっていったのももう物余り金余りになったからである。
今やどこの国に投資しようがもうけがない、利子が生まれないので資本主義は限界に達したとされる

「主権国家が消滅して世界政府ではなく中世の西洋のキリスト教世界に存在したような普遍的政治組織の近代的、世俗的な相当物がそれにで変わる」
キリスト教的価値観に支えられた中世の神聖ローマ帝国のようになる

新中世主義ーブル

これはグローバル資本主義の限界として言われるようになった。それは自分でも相馬郷土史研究として地域のアイディンティティを追及したのとにているしグローバル化した世界が逆にフィードバックして中世的な世界に帰るという現象である。
相馬郷土史というよりこれから相馬郷土学として発展させたいから名前も変える
つまり資本主義が限界に達すると世界政府とか世界市民というより中世的なブロック的な世界観にもどるということがあるのは日本でも共通している。
世界政府となると価値観がとても共有できないからである。
グローバリズムの負の部分は世界の個性的な歴史的発展した文化の破壊であり自然の破壊だったからである。
何か文化的な統合はグローバリズムから経済だけのものであり起きなかった。
ルネサンスは世界的な文化の統合の結果として起きた。
ギリシャからローマからイスラムからキリスト教文化が一体となって起きたのである。
そこにイスラムがその時先進的な役割を果たしていて数学とか科学で優れていたのである中東は後進国ではなかったのである。
イスラム国のような野蛮だけが目立つ世界は世界に何も貢献しないのである。
ただ武力だげだったら文明は作り得ないのである。

資本主義は最初はこれも理念だった。それはプロテスタンシズムとしてはじまった理念の実体化したものとしてはじまった。利子はキリスト教では禁止していたが利子を産むことを勤勉に働いて資本を蓄積することは神に奉仕することだとなった。
なぜならその蓄積した資本を富を有効に使えば神に奉仕することになる。
それは他者への奉仕としてはじまったのである。だから理念であった。
それは現代の資本主義とはただ利子を産みそれを利己的に使うのとは違っていたのであるそして民主主義も自由、平等、博愛という理念からはじまった。
でもそこに西欧の文化には文明には必ずキリスト教文明でありキリスト教なくしてありえない文明である。
資本主義もそうだし民主主義でもそうである。一見関係ないようでもその底流にキリスト教があってありえるものだった。
なぜなら

あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。

こういうことは今では普通にあるが今までは人民の命は国王のものだとかなっていたしこういうことを実践することは今でもむずかしい
中国などの王朝国家からしてもこんな思想は起こり得ないのである。
それはアメリカだと貴族もなく上も下もない平民的世界になったから民主主義が可能になった。
それでもアメリカでも金持ちと貧乏人の格差が極端だというときそうはなっていない
逆に一パーセントの金持ちが富の大半をもっているというとき異常な格差社会で人民は金持ちの奴隷化しているのが現状なのである。
格差社会になると中間層が消失してゆくと民主主義もなりたたないいうのは対等を求めるのが民主主義だからである。

わかりやすいのは大金持ちが貧乏人に仕えるのがキリスト教であり対等化するのが民主主義の理念だとしたら現代の資本主義は全く初期のプロテスタンシズムとも全く相反するものなのである。
大金持ちは仕える人を金で求めるが誰かに仕えることなどありえない
金があればもう毎日外食でもいい、豪華な外食を毎日できることは金があるからそのサービスを受けられるのである。
そして召使を雇うこともできる、召使は金持ちに仕えさせるのであり金持ちが仕えることなどありえないのである。
だからアメリカでは黒人を奴隷として働かせた、それをしたのはキリスト教国だったのである。
仕えるというときそれが具体的に如実に現れるのか家で働く家政婦とか手伝いさんとかである。
なぜここに露骨に現れるかというとまさに家政婦とかお手伝いさんはその家の人に仕える仕事を目に見えてしているからである。
そこでなぜこの人はこんなに金持ちで贅沢しているのだということがはっきりとわかる。その格差を肌でわかる。だから金持ちの芸能人がベビーシッターを雇ったが宝石類を盗まれたというのはそのためである。
自分もそういう経験しているからわかる。

今の自分の感覚はお手伝いさんと言っても皿洗うとかで十分くらいで仕事が終わる
そうすると何か自分がかえってそのお手伝いさんに仕えているような感覚になる
なぜならほとんどの家事でも介護でも自分がしているからである。
それが機械化しているとか買うことで可能になっていることもある。
その代わり昼間は外で食事して家事を極力省いているのである。
そうすれば時間が生まれプログに書くこと創作に専念できるからである。
それは社会にとって有効だともなる。ただ具体的に自分のプログは社会的に認可されているとはならない。
要するに今は家事をしなくても外食であれ何であれ機械でするとか外に頼むことでできるだから昔は中産階級でも女中を二人雇っていたとの時代とは違う。
それだけ家事は一大労働となっていたからである。

でもまた現代の労働は奴隷は派遣とか非正規労働者に安い時給とかでやらされているとかなりそれは女中とか家政婦とか手伝いさんは具体的にわかりやすいがそうした派遣とか非正規の安い労働者は現代の奴隷なのかもしれない
ただそれが女中とかお手伝いさんとか家政婦のように金持ちに仕えているということが具体的でないから意識されにくいのである。
別に誰かの金持ちの人に仕えているわけでもない、会社に使われているだけだとなるからである。
でもその時会社の幹部に仕えているのかもしれない、それは間接的だから意識されにくいのである。
別にレストランで食事をしてもサービスされる方も奉仕されているなど意識しないだろう現代の奴隷は意識されないし貧乏人もじかに接してみないと目に見えないのである。

つくづく今になるニートが一番貴族である。
三食つきだし後は自由である。自分が60才までそうだった。
今も自分が召使であり奴隷になっていたのである。仕えるものはになっていたのである。
資本主義とか民主主義とは何なのかというときそれが理念でありその根底にキリスト教の精神がある。
どうして資本主義にあるのかというとはじまりが修道院にあった。そこでは神に奉仕するということで勤勉に働き資本蓄積して人の世に役に立つということであり修道士は贅沢などしていないのである。
今は逆でもそういう所が出発点としてあった理念だったのである。
民主主義もどこまでも対等を求めるというときそれはキリスト教の人に仕えなさということからはじまってる。それは人間の平等対等の理念である。
そして仏教でも女性は成仏できないと差別されていた。女人禁制の山が各地にあるのもそのためである。女性は不浄なものとされていた。
それでヒンズー教ではカースト制があり差別があり釈迦が生まれて仏教になり女性も成仏できるということで女性も信者になり普及したのである。

それも人間が対等を求めるからそうなる。そして逆にフェミニズムとなり今度は女性の適性を無視したもの女性の特権化が起きたり民主主義はあらゆる人が自由であ権利があり極端化して大衆の卑俗なものが力をもつようになったのとにている
要するに理念は理想である、でもその理想は時間がたつにつれて曲解されて俗化されて堕落して別なものになってゆく
資本主義と民主主義が理念だというとき中東のイスラム圏などと相いれないのは理念が対立しているからである。トルコは宗教でも妥協しているから違っている。
つまりすべて軍事力とか経済力の対決ではなく理念の対決で世界が調和しない、対立関係になるということがある。
誰も中国の共産党一党独裁は嫌だとなる、日本は中国よりはアメリカにも問題が多いが共産党一党独裁だけは嫌だとなり協力できないのである。
どうしても経済力があり軍事力があっても共通の価値観をもてないことが最大の問題なのである。
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2015年10月21日

自然とも人間同士も意志疎通できない (人間は核分裂して滅びる)


自然とも人間同士も意志疎通できない

(人間は核分裂して滅びる)



「ここへ畑起してもいいかあ。」
 「いいぞお。」森が一斉にこたえました。
  みんなは又叫びました。
 「ここに家建ててもいいかあ。」
 「ようし。」森は一ぺんにこたえました。
  みんなはまた声をそろえてたずねました。
 「ここで火たいてもいいかあ。」
 「いいぞお。」森は一ぺんにこたえました。
  みんなはまた叫びました。
 「すこし木貰ってもいいかあ。」
 「ようし。」森は一斉にこたえました。

 狼森と笊森、盗森-賢治
 http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/miyazawa22.html


 
自然に対してこんなふうに謙虚に問うことなど今は全くない、根こそぎ森を巨大なブルドザーかなにかで一挙に破壊してしまう、森とか自然に対する畏れもない
つまり自然との意志疎通がなくなった社会である。それは人間の傲慢故である。

「ここへ原発建てていいかあ」
「だめだ、そんなものはいらねえ 事故起こしたらどうするんだ」
海の神はそう言った人間は全く聞かなかった。
「科学者が安全と言ったのだから安全なんだよ、そんなことをいちいち問うこともないよ」
住民がそう言った
そして
「金やるからここに原発建ててもいいか」
住民が言った
「建ててもいいよ、金くれるんだったら」

そこで自然というものはない、海に対しても恐れはない
こんなことを問う人もいないだろう。
科学技術は今や万能の神と化したのである。
自然との意志疎通が原住民とかの文化にはあった。それが儀式とかなりアニミズム的なものともなるがそれが科学からみれば迷信とかなり否定してきたのが現代である。
でもそこには自然と何か意志疎通させるものがあった
それは自然に対しての畏れをもっていたからである。
それは海に対しても森に対しても山に対してももっていたから信仰にもなった。
自然は恐るべきものであり人間を越えるものであるからそういう自然への畏れが信仰となった。
今は食料でもどこからどのように育てられて入ってくるのかわからない、だから農家の人は農薬を大量に使う野菜などは食べないという。買って食べている限りそうした生き物に対する畏敬というか何か理屈では言い表せないものが消える
ただモノ化したものとして買うだけである。肉片と化したモノとして消費して消化する。それが鶏でも庭で飼っていたらその鶏を殺して食べるというときはその過程を見ているので違ってくる。
その過程が見えなくなったとき動物の命も単なるモノとなり商品化して値段だけが問題になるのである。その命自体がどういうものかわからなくなる。
単なる肉片を消費している感覚になっている
すると命を尊ぶという感覚もなくなる、鶏も単なるブロイラーになる

ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。なお心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する[1]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC

これも何か鶏の命を無視して人間のためにだけ効率的に命を利用することになる
卵でも大量生産するために効率的に工場のように鶏を飼う

鶏の自然な生態に著しく反した過剰な密飼い、太陽光にも風にも一生当たれぬ密閉された空間など、

そういう光景は逆に人間もそうさせられているのである。工場での大量生産のために流れ作業なども同じである。このように動物を命を扱うと人間もそうさせられるのである。
これも因果応報だとなる。21世紀が戦争で大量殺戮になったのもこうした動物でも何でも命の軽視があった。それは自然とのかかわり方も関係していたのである。
だから今は田舎で鶏を放し飼いして道を横切る光景を見たりすると平和だなとつくづく思う。それが自然な光景なのである。現代文明は自然との動物でもかかわりかたが暴力的なのである。人間と同じ命だという感覚がなくなっている、動物もモノ化しているし人間もモノ化されている。

仏教が草木も成仏するとか動物も人間と同じ命と見ていたのとはあまりにも違うのであるこれは宗教はもともと原始宗教でも自然のかかわり方が自然の畏敬があり生まれている。だからどの宗教も自然を畏敬している、それ。かなくなったのが現代文明なのである。
自然とか神に対する畏れがなくなったのである。
それが津波で思い知らされた。人間の想定外のことか起きたからである。
人間同士も意志疎通できない、自然との意志疎通もない、その時どうなるのか?
世界は核分裂状態にあるとか大都会は東京でももう核分裂の状態でありその状態が核を発明したのだという人もいる。
人間が核で破滅するというときまさにそういう宿命にあったともなる
人間はもう相互に意志疎通できない、自然ともできない
その時核爆発となり核分裂してこの世は滅ぶとなる
posted by 老鶯 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年10月22日

秋薔薇 草の花(写真を絵画風に)


秋薔薇 草の花(写真を絵画風に)


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この路地を曲がりて一輪秋薔薇
散り残る花びらあわれ秋薔薇
故郷に何を飾るや草の花
百歳の母なお生きる細し月

ながらくも空家に今日も白き薔薇散りて咲きしも秋となるかな
今日も咲く空家に白き秋の薔薇我が通りつつ我に向き咲く
道の辺の叢深く月見草田舎に静まり月の光りぬ

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秋薔薇というのは何かものさみしい、それが何か田舎にあっている。
そもそも花というのは田舎にあうものである。
都会には草の花などあわない、また見つからない、自分は東京で学生時代過ごしたけど自分にあわないことを知った
それ以来田舎の隠者になっていたのである。
でも田舎にも人間の醜さがあるしその醜さがまた露骨に現れやすい
自分はほとんど田舎でも人づきあいしなかった。
つまり隠者でいられたことが不思議だったとなる、それは特殊な家庭環境でそうなっていたのである。
ニートと言えばニートになるが高度成長時代は会社員になるのが普通であり誰でも就職できた時代である。正社員になれた時代である。
だからあの時代はまず会社員にならない人は社会からはずれた人だったのである。

そして今思うことはなぜあのときみんな企業戦士になったのかという疑問である。
もっとその時こそ社会に余裕があったのだからみんな会社員になる必要がなかったのである。
あの時代こそニートでもアウトサイダーでもなる人がもっといていい時代だった。
つまりみんな会社員になることは社会にとってもつまらないことである。
不思議に今になると隠者であってもその中でたくわえたものがあり今実っているといのうも不思議である。
人間はとにかく何もしなくてもつくづく何か蓄積している
その蓄積したものが必ず最後になり花開くのである。

そしてまた今思うことは今の時代はかえって経済が凋落してゆくときニートとか派遣が多いがそういう時代ではかえってそういう人たちは社会にとって奴隷化されていた
一見自由なようでもそんなにニートでも派遣でも多いということがアンバランスになっていたのである。
アウトサイダーはもともと社会ではまれな存在だから意義があった
それがこんなに増えること社会人として普通になることが異常になる
そしてこれからの社会はそうしたニートとか遊んでいる人は社会で許されなくなる
生活がみんな厳しいしそして少子高齢化でどこでも人手不足のときなぜ働かないのだというプレッシャーがどんどん強くなるからだ
もう働かないなら移民の方がいいとか外国人を大量に入れる
そうすると働かない人たちはさらに苦境にたたされる、日本から出て行けとかなりかねないなのである。
だから高度成長時代こそ社会からはずれる人間がもっといてよかったのである。
なぜならその時こそ社会に余裕があったし経済も上り調子だったからである。
その時は人手不足であっても団塊の世代のように若い人が多かったからちょうど時代にマッチして人材は供給されたのである。

ともかく月見草は本当に月見草であった。これは名前が良かった。月を見ている草であり花なのである。こういうのはやはり田舎に住んでいないと感覚的にわからない
自分は田舎の静けさとか人がこまない所がもともと安らぐ、性格的にそれが高じると異常になる。
田舎のシーンとした夜が安らぐ、都会にはそれがない、だから住みたくない
そもそも都会で自然への感性をみがくことはできない
俳句でも芭蕉のような俳句が作れないのはやはり江戸時代のような環境が喪失したためである。江戸時代の静寂とか闇は喪失した。そこで人間の感受性も喪失した。
だから月見草と名付けたのは田舎に住んでいた人が名付けたのだろう。
京都が発祥になるものが多いにしても京都もまだ江戸時代辺りは自然が豊である。
意外なのは大正時代は6000万の人口しかなかったのてある。
東京でも二百万くらいとかの人口しかなかったのである。
そういう世界は確かに貧乏でも今になると落ち着くなと思ってしまうのである。

それにしても空家に咲いている白い薔薇は不思議である。そこは十年以上は人は住んでいない、
でも時々人は来ている、しかし空家に咲いている花は誰も見ない
自分は毎日その前を通るのでその花は自分に向かって咲いては散っている
空家が膨大に増えてくる、空家は自分の家もそうだが古くなり修繕する所が多くなり古い作りだから住みにくいから住むのがむずかしいことがわかる。
いづれにしろ人が住まない庭に咲いて散っている花も不思議である。
やはり花も誰かか見ているとき活きているのである。
誰も住まなくなった家に咲いていても虚しいとなってしまうだろう。