2015年10月08日

常磐線でイワキへ磐越道で郡山市へ (旅ではやはり地名が記憶に残る)


常磐線でイワキへ磐越道で郡山市へ


(旅ではやはり地名が記憶に残る)

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津波に残った久の浜の神社

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久の浜駅

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阿武隈山地

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しばしよるイワキの通り秋柳

秋の日や長橋すぎぬイワキかな

秋の日や逢隈橋を渡るかな

郡山へ逢隈橋や芒かな

水郡線ここに別れて芒かな


竜田駅金木犀の匂いしも鉄路閉ざして五年はすぎぬ

久ノ浜駅に浜菊咲きし見ゆ津波の後にあわれなるかな

津波にも残る社は奇しきかな久ノ浜去る秋の旅人

四倉にセメント工場ありにしと語りてあわれ秋の風吹く

阿武隈の山々深く家ともし秋の雲の影朝に落としぬ

阿武隈合戸トンネルぬけいでて山々深く秋の雲かな

阿武隈の流れゆるか秋の日や岸に実りや郡山に入る


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久ノ浜の駅には浜菊が咲いていたから海の駅らしい、ここは海が見える線であり海に最も近い場所だった。
それにしても久ノ浜に残った稲荷神社は良く残ったと思う。
烏崎村でも八竜神社は残ったがそれは後ろの山の高い所にありその社は津波がすれすれにきて残った。あれももう少し津波が高かったら残らなかった。
あれも不思議だけどこの久ノ浜の社は人家なみに低いし海の堤防のすぐそばだったからこれで良く残ったと思う、回りには一軒の家もなくなっていたからである。
この社は今回の津波で最も不思議なものかもしれない。
波立薬師も残っていたというのも不思議である。
久ノ浜は原発から三〇キロ地点でありここは津波の被害が大きかった。家が密集していたからである。
四倉では駅の前に錆びて朽ち果てたセメント工場の残骸があった。
土地の人が教えてくれた。あれは相当に大きな工場だったのだろう。



イワキでは通り秋柳が見えてバスは長橋町という所をすぎたのを地名で覚えた。
イワキについて電車に乗ろうとしたら磐越東線は何時間もあとでありバスで磐越道にのり郡山市に向かった。一時間半である。
イワキから郡山の磐越東線は結構時間がかかる、それよりもう一日5、6便くらいしか出ていない、これでは乗り継ぎができないからこうい線はのりにくくなった。
よほど鉄道マニアで暇でないと乗れない、今は暇がないから乗れない
何かすでに一〇年は長い旅をしていない、この線に乗ったのも今になるとずいぶんまえになったと思う。だからこの線のことは思い出せなくなった。
やはり思い出せなければ何か書くこともできなくなる。


磐越道は途中合戸トンネルに入る、その名が目についた記憶に残る,こうした地名が意外と記憶に残る、途中の小野とか三春は見ることもできなかった。
郡山に入ると逢隈橋に出た。阿武隈はもともと逢隈だったのである。それは亘理に逢隈駅があることでもわかる。逢隈は福島市にもあり他にもある。
郡山から水郡線が出ていて棚倉町にゆく、棚倉には城がある。
この水郡線も一回だけ乗ったけどかなりの距離がある。その駅の名前も忘れた。
ここを別れて水郡戦線路が見えた、そして遠い旅の日を思い出していた。
すでに十年以上もいや二十年なのかこれだけ歳月が過ぎると何かなつかしいとなる。
だいたい自分は日本の線路はほとんど乗った、乗っていないのは関西の私鉄くらいであるただ最近は新幹線が走るが新幹線には前から乗らないでゆっくり旅していた。
今になると暇がないから新幹線が便利である。


今回も何か地名の旅だった。地名は記憶に残る、特に電車の旅では駅名が記憶に残る。
バスでも早いから地名だけが何か心に記憶される、だから旅には地名が心に記憶され
地名が歌枕の役目を現代でも果たしているのである。
そうでいなとただ通りすぎるだけの旅になってしまうからである。
高速道路もやはり旅であり電車とはまた違った風景になる。
高速道路も今は縦横に走っているから旅するのには便利だけどあまり心に残らないということは言える。










 

タグ:阿武隈

2015年10月09日

秋に訪ねる白河の小峰城 (秋雲棚引く小峰城ー詩)


秋に訪ねる白河の小峰城

(秋雲棚引く小峰城ー詩)

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みちのくを旅する女や秋薊

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石垣工事の石が今も置いてある




みちのくに駅の名一つ秋の雲
秋の雲棚引きあわれ小峰城
日のさして蜻蛉群れ飛ぶ小峰城
秋の日に乙女桜をたずねけり
白河に二つの城跡秋の風
小峰城石垣古りて秋薊
みちのくを旅する女や秋薊
白河に那須連峰見ゆ秋日没る

みちのくの城をたずぬと大阪の女(ヒト)と出会い別る秋かな
白河に会津町あり秋の日やここより結ぶ秋の街道
阿武隈川岸に芒や小峰城那須連峰を天守に望む
白河に攻防激し残る跡秋風吹きてみちのくに入る

白河に城の二つやその一つ埋もれ忘れらる秋風の吹く

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秋雲棚引き小峰城

古来より陸奥国の入り口
白河の小峰城の三層の櫓かな
秋雲棚引き翳りけるかも
映える天守に蜻蛉群れ飛び
石垣に薊のなおも残れり
大阪の旅人もたずねて
阿武隈川に芒なびき
かなた那須の連山を見ゆ

城内に乙女桜とあわれ
我は秋にしたずねけるかな
その石垣の反りの厳しく
堅固に組まれて構えたり
ここにかつて会津の門あり
会津町ありて歴史を残す

蒲生氏郷の一時ありて
会津に通ず白河街道
家並の古く道細し
我は勢至峠を越えて
猪苗代湖の波音ひびき
境の松の枝垂れる道をすぎ
福良に着きて一夜泊まりぬ

旅人の御堂に休むもあれ
石碑は古りて並びありぬ
会津へとつづく白河街道
その山間に芒なびきて
はや日も暮れむと急ぐかな
ここよりなおも会津は遠しも
今は忘れられる裏の道となり
かすかに虫の道の辺に鳴く

白河に二つの城あり
本家分家と争い衰退す
これも人の世の常なり
分家の小峰城は今に残りぬ
常陸、那須と通ぜし所
秋風ここに吹き歴史を語る
戊辰戦争にも陸奥の要の城
ここに集結して攻防激し
東北列藩のまとまらじかも
戦いの後や両軍の戦死者のともに
墓の向かいあいて残りけるかな

この時遊女一人戦いに巻き込まれ
会津の兵に裏切りものと殺される
何も罪なき一庶民も巻き込む
ここに恨みを残して時は過ぐ
古来より白河は陸奥の入り口
秋雲棚引き小峰城暮る


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白河と会津は白河街道を通じて結ばれていた。蒲生氏郷のときにはじまり会津領になっていた。その前は栃木とか宇都宮とか常陸と関係していたきも地理的に理解できる。
福島県の白河はその境目にあるからだ。
白河から那須連峰が見えたし会津の舘岩からも見える。
白河に二つの城があった。一つは分家した城でありそれが小峰城である。
もう一つは白川城である。もともと白河ではなく白川だった。
本家は分家と争いその後は衰退したという。
こういうことは常にある。だからめずらしいことではない。
それが歴史の跡として二つの城跡があることが明確なものとして残っているからわかりやすい。
家が二つに分かれるというとき別に普通の家でもそういうことはどこでもある。
家は何かまとまるのはめずらしく二つに分かれやすいものだとなる。

もともと平家とか源氏とか二つに分かれたけど元をたどれば人間は一つなのである。
要するに人間の家は安住の場ではない、分裂する場である。
なぜこれほど離婚が多いのかというのもそうである。
男女でも一つになることはむずかしく分離してゆく
天皇が二つになり分かれた南北朝の争いもそうである。
その影響は全国に及んでいてこの白河でもその歴史を残している。
国単位でも二つの勢力に分断される、東西の争い、関が原の戦いもそうだった。
何か自分の家もそうだったからこの二つに分かれた本家分家の歴史が身近なものに感じられる。
人間の宿命として家は大きくなればまた分家してそれが争いの元になる。

大阪の六〇代の女性が歴史に詳しく城めぐりしていた。歴女というのが話題になったが若い人ではなく六〇代くらいになるとかえって歴女としてふさわしい。
城内に薊が咲いていてそれを指さした。蜻蛉(あきつ)も群れて飛んでいた。
最近赤とんぼをあまりみないがここでは多くはないが群飛んでいたのでなつかしかった。ここでは半円に積む石垣が全部崩れた。それを直すのに七〇〇〇個の石を組み直したというから大変な作業を強いられた。
この半円の石垣は現代風に作り直したのかと思った。
それほど他には見ない石垣だからである。
もしそうしたら歴史は失われる、もともと半円状の石垣だったことがめずらしいのである
人柱伝説があるのもこれだけの石垣を作ったということで信憑性がある。
ただこれはどこにでもある伝説だから事実かどうかはわからない。
城の普請は一大事業であり常に城が普請されるときは江戸城でも全国の藩で刈りだされたその労役や費用が負担させられていた。
城を造ることはその地を支配することである。

人は石垣、人は城というけどこの逆も言える゛石垣があって城があり城があって城下町ができて人が活きる
最近コンクリートより人とという民主党の政策が鬼怒川の堤防決壊で見直された。
コンクリートつまり土木事業を無視して国土は成り立たない、特に日本は災害が多いからそう言われた。
この関係は家が第一なのかそれともそこに住む人が大事なのかという問題にもなる。
原発避難区域では人が住まなくなった、人が住まない家とか故郷はなになのかとなった。
人は石垣、人は城というのもまた真である。
まず人が住まない家は死んでゆくし故郷でもそうである。
支える人がいなくなればどうにもならない、先に人があって人の心と意志があって建物もある。
建物があって人があるとはならないが歴史の跡はまた建物が城でも残ることによって人の心を意志を伝えるということはある。
家でもやはりそこにはその家を作った人の意志とその家で暮らした家族の思い出がつまっている。
それは単なる箱ではない、人間の心がそこに宿っているとなる。

白河街道というときこの道は昔を偲ぶにはいいし風景がいい、勢至峠を越えてゆくと猪苗代湖が見える。福良はなにかひなびた湖畔の町である。
この道はさびれているが歴史を感じる道である。この道は深く会津と歴史的に結びついていたのである。
たいがい交通の便がいい、鉄道が通っている方をゆくがこの白河街道が歴史の道なのである。
歴史を知るにはやはりこうした歴史の道を実際に通らないとわからない。
今は車で簡単に行けるのだがそのあまりにも簡単な結果、昔が偲べないのである。
白河から会津まで実際はどのくらいかかったのか途中泊まったのかとかその距離感覚がわからない
自分は自転車で一夜福良の蔵の宿に泊まったのである。
それが何か思い出となっている。福良は前は茅葺きの家が通りにあったが今はなくなった十年とか二十年とかたつと変わる、昔のものはどんどん失われる
そして新幹線の時代になっていた。東北新幹線はすでに古いけど自分はわざわざゆんくりとした旅をするために乗らなかったのである。
でも今は暇がないから新幹線が便利だなと思った。
白河まで日帰りで行けたからである。白河から仙台まで一時間ほどであり早いなつくづく思う。
それから仙台から亘理まで鉄道で行き今度は相馬駅から電車に乗り換え帰ってきた。
電車とバスと新幹線を乗り換えて日帰りの旅だった。
その日帰りでも結構旅をして観光できたとなる。





タグ:白河小峰城

2015年10月10日

秋の白河の南湖を訪ねる(俳句と短歌)

秋の白河の南湖を訪ねる(俳句と短歌)


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松古りて野菊に虫の音南湖暮る
秋の山名君ありて南湖かな
雁数羽音なく水脈ひく南湖かな
中島に寄りて集いぬ雁の群れ
夕暮れや南湖に聞きぬ虫の声

湖岸の松の太しも古りにける秋の日さして南湖暮れにき
秋の日や南湖の岸に松古りて我もめぐりて夕ぐるるかも
秋の日の湖面に反射し暮れゆきぬ南湖の岸の松によるかな
名君の作りし湖の松古りて今は実り季(とき)にありしも



南湖の名は李白の詩句「南湖秋水夜無煙」からとも、白河小峰城の南に位置していたことから名付けられたともいわれている。現在の南湖公園のあたりは元々大沼と呼ばれた湿地帯で、松平家が藩主になるまえの本多家のころから多目的に利用するための湖沼を施工してはいた。
福島県白河市に、白河藩主であった松平定信が1801年に造営した日本最古の庭園といわれる「南湖公園(なんここうえん)」があります。白河の小峰城の南に造られたことと李白の漢詩から「南湖」と名付けられた湖を中心とした「南湖公園」。松平定信の「士民共楽」(武士も民衆も身分の隔てなく共に楽しむ)の精神が伝わる湖畔では、4月中旬には800本の桜並木や樹齢200年のシダレザクラが楽しめますよ。

この南湖は昔は厚く全部凍って子供の頃スケートとしていたという、今は全部凍ることはないという。このことは二人の人から聞いた。
つまり白河でも寒く南湖でもそれほど凍っていた、今はやはりあたたかくなった。
特に最近は温暖化していることは確かである。今日も朝から暑い、今頃こんなに暑いのかと思うからだ。

松平定信が名君と言われるのは天明の飢饉のとき死者を出さなかったからだという。
馬とか白河だるまとか何か他の産業を育成した。天明の飢饉は全国的なものであり
相馬藩では三分の一の人口が減った。なぜここではその被害がなかったのか?
それは名君があってそうなったのか?それだけでは天明の飢饉の被害はまねがれないだろう。
その辺の詳しいことはわかないが「士民共楽」という思想で治めた。
その象徴が土民も楽しむ日本最古の南湖となる。だからこの南湖は単なる自然の湖ではない、ただここはもともと湿地帯だったから湖にするのは容易だった。

岸の松はいい松であり桜も見物だという、那須連山が見えるのも白河らしい。
松というとき津波では松川浦の松も南相馬市の右田の松原も失われた。
だからなかなか松というのものが見れなくなったのが残念である。
確かにここの松は太いし古いしいい松である。
「士民共楽」というとき松と野菊と虫の声がふさわしいとなる。
ここが単なる自然の湖ではないからまた違ったもの歴史的なものとして自然を見る


田沼派への権力集中を面白くないと考えたからか、
意知が旗本・佐野政言に江戸城内で刺されて死亡、
また浅間山噴火から天明の大飢饉、
そして、田沼を最も頼りにしていた家治が亡くなると失脚、
蟄居のうえ、彼が城主の遠州相良城は打ち壊しとなります。
家斉が十一代将軍に就任。
田沼意次に代わって実権を握ったのが、
老中首座となる松平定信でした。

田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき


松平定信の経済政策は緊縮財政であり倹約に走りすぎ失敗したとある。
評価としては白河では良かったが中央の政治ではそうでもなかった。
天明の飢饉のときに幕府の政治を動かした、天明の飢饉の時代の人だった

(心あてに見し夕顔の花散りて尋ねぞわぶるたそがれの宿)から、たそがれの少将とも呼ばれた。

これも繊細な歌だけど政治家がこんな繊細な歌を作ったのかとかたそがれの少将という名はなぜついたのか?
それは中央の政治ではうまくいかず白河の藩主になって名君になった。
たそがれというのは中央の政治から引いたことも関係しているのか?
心をあてにした夕顔が散っていてその居所もわからなくなったということか、思いをよせる女性のことか?
おそらくこれは老境の短歌だろう。
老人になるとかつて思った人もすでになくなりわからなくなったりすることが多いからだ
ともかく中央の政治を引退して白河では名君になっていたのである。



 
タグ:白河南湖

白河の秋の翠楽苑

白河の秋の翠楽苑

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この石の脇に竜胆が咲いていた

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赤とんぼがとまっているのが見える


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秋の翠楽苑

秋水石にひびきて流れ
借景成す松山の緑濃く
広き池に写す深緑の影
二段の滝に四阿屋あり
茶亭の小径の石により
竜胆の咲きて径は分る
蜻蛉一匹静かにとまり
清流絶えず池を満たし
その水の濁らず保ちぬ
秋の午後の日のさして
一服の茶をたまわりぬ
床の間に清楚白菊一輪
水は石に絶えずひびき
松の翠の苑に鎮座する
石と石に日さし暮れぬ

(秋日さしここに静まる松と石)

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抽象化した翠楽苑のロゴマーク




南湖にあった翠楽苑は良く作られている。

「やっとなじんできたんですよ」
「作られていから何年ですか」
「二十年です」

「何か新しいものと思いました、やはりこれだけの庭を造るのには時間がかかりますね」
自然のものは松でも石でもやはり根付くには時間がかかる。
二十年でも真新しい感じである。京都の庭は古いからやはり違っている。
庭というのはなかなか近くで何度も行かないと鑑賞できない
だから京都に行っても庭のことは良くわからないのである。
まず京都自体を知ることはかなりむずかしい、歴史があっても鑑賞することがむずかしいのである。

だから庭は近くにあって四季おりおりに楽しむのがいい、そういう庭は仙台にもないし東北には意外とない、それだけ庭を造るのは苦労なのである。
ここの庭は場所が良かった。借景としてすでに松山がありそこから川のように水が流れるようにした。それが自然の川のように見えるのである。
ここは春は桜で夏は木陰が多いから涼しい感じになり秋は紅葉と楽しめる
花も咲いていて石により竜胆がそちこち咲いていた。

自然を人工化したものだが日本の庭はなるべく自然のままに作る、流れが縦横にあり石橋があり四阿屋があり滝もあり気持がいい、「秋水庵」というのもあり今の季節にぴったりだった。
秋水が石にひびき流れていて気持が良かった。
翠楽苑とは松の翠(みどり)を楽しむ苑のことだった。
確かに松が多く翠が多いのである。

自分でもやりたいのには庭作りだった。これはしかし相当に金がかかるし大財閥でないとできない、この翠楽苑で感じたことはものたりなかったことは大きな石がない、石がそちこちあっても大きな石がない、これだけの庭だったら大きな石があってもいいと思った。そしたら庭に重みをもつ、大きい石といっても隣の家でも大きな石があるし旅館に庭でもあったり結構ある。
ということは別に大きな石は贅沢ではない、立石というかそそりたつ石もない、点々と石はあっても何かポイントになる石がない、それがものたりない感じになった。
ただこの庭もそれなりの庭のイメージがあって設計されて作られた
だから庭にはどんな小さな庭でも個性があるのが不思議なのである。

近くに広い庭をもっている家がある。その庭には何にもない、更地にしている、前は畑にしたりしていたが今は更地であり何にもない、小石だけでもしけばいいと思うがそういう趣味もない、だからいくら土地をもっていても家をもっていても活かされないことがこの世には多いのである
そういうことができる、したい人は土地がない、金がないとかでできないのである。
津波の跡でも更地になったからそこを公園にして大きな庭でも作れば復興にもなる
ただこれもなかなか堤防工事とか先にあるからむずかしいとなる
ともかくあそこの庭にはまた行ってみたい、紅葉になるのは早い、一〇月末にはなっている、一部は写真に写っていたように紅葉になっているからだ。
新幹線だと仙台から白河まで一時間であるが仙台までゆくのに二時間かかるからそこが遠く感じる、それからバスは電車より疲れるのが嫌なのである。

福島県の観光というとやはり白河の小峰城とか二本松城とか会津の城がメインになる。
浜通りには城がないから歴史の観光としては魅力がかける、福島県では観光というと会津であり中通りが中心になる。
小峰城ができたのも十年くらいでありあれは小さいけど効果あったなと思う。
前は何もないとき訪ねたことがっあった。その時のことは印象に残っていない、だから城もやはり石垣だけではものたりないとなる。
ただ会津の城には魅力を感じない、何か平城で新しく博物館のように感じるのだ。
もし戊辰戦争の銃弾の跡とか残っていたら歴史を生々しく感じる。
新しくなると博物館なのかと思う、ただ会津でも七層の黒川城があったら見物だった。
その城は壮観であり会津九〇万石の時代もあったのだから見物だった。
その黒川城が地震で崩れて今の五層の城になったのである。

タグ:翠楽苑

白河の翠楽苑を抽象画にする (日本の庭も抽象画?)


白河の翠楽苑を抽象画にする

(日本の庭も抽象画?)

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翠楽苑

ヨーロッパの庭だと庭園になり幾何学的であり抽象画的である。では日本の庭となると幾何学的とはならないがやはり抽象的なものになっている。
それが自然そのものではなく人工的に作るからそうなる。
自然のままを取り入れても人工的要素があるからそうなる。

京都の庭は竜安寺の庭でもなにを現しているかわからない、それは抽象化しているからである。海を現しているとしてもそれはあくまでイメージであり他のイメージにもなるから抽象画は固定して見られないと同じである。
庭は自然を抽象化した要素がある。

白河の南湖にある翠楽苑は翠(みどり)を楽しむとある、確かに松の翠が多いからそう名付けられた。
これもやはり人工的に作られたものだから何か自然とにていても違う。
それは一幅の絵に治まるように作られた。
自然になるともっと荒々しいものになるがここは穏やかであり荒れることがない
それは南湖でも同じである。

この翠楽苑を抽象化した、翠(みどり)と水がテーマだから適当にアレンジした結果こんなものができた。
翠であり水でありそれを抽象化したらこんなふうだろうとなる。
これも意図的ではない、偶然の結果だった。
ただ翠(みどり)を反映したものができたらとソフトで操作している内に偶然にできたのである。
つまり翠楽苑という人工的庭は抽象化されやすい要素をもっていたのである。
それは自然そのものではない、自然をまねてとりいれて人工化したものだから抽象画的だとなる
抽象画は具象画と違いいくらでも変化が楽しめる、自然も無限の変化のように抽象画も無限の変化なのである。それがパソコンのソフトで可能になったのである。

 
タグ:庭の抽象画

2015年10月11日

一人一人をみれない施設での介護 (なぜ介護士などが低くみられるのかー仕事の意味が見いだせない)


一人一人を見れない施設での介護


(なぜ介護士などが低くみられるのかー仕事の意味が見いだせない)


母が腰をぶつけて急激に弱った。それは施設では一人一人を見れないからである。
まず弱った母を食堂で四〇分も座らせていたのが辛かった。
今はほとんど寝ているし起きていると辛くなっているからである。
でもそういう一人一人の状態を良く見れないのが施設である。
そして二度と行きたくないと言ったのは風呂に二度も入れられてひどかったという。
三日のショートスティの間に二回は必要なかった。
体を拭くだけでいいんだ、自分の母親は体を拭くだけで風呂には入らなかったと言っていた。というのは自分の母の母は祖母は脳出血で倒れて五〇代くらいで介護になった。
それは大正時代であり今のような介護はない、風呂のサービスもない、オムツもないから藁で便をとっていたとか言っていた。それを見ていてそう言ったのである。

そして施設の人が言うには夜は人手がたりない、昼間はいるけど夜は少ないから手がまわらないとポータブルトイレをベッドの脇に置くのができていなかった。
それで母はとまどって離れた所のポータブルトイレに行くの苦労したのである。
そういうことで腰をぶったのかもしれない、施設にしてみれば人手がたりないのだから一人一人を丁寧にみていられないのである。
人手不足というと大工でも工事関係でもどこでも人手不足で家を建てるのにも何でもこの辺では待っていなければならないとかこの辺では特にそうなっている。
これは全国的に人手不足はあらゆる所で深刻なのである。
建築関係とかでは人が集まらなくて会社がつぶれたとかもある。
今の日本は人手不足で国自体が危機にさらされているともなる

介護士という仕事が何かほとんどは食事の世話とかトイレの世話とか何か機械的に仕事している、風呂に入れれるにも人が多いのだから機械的に芋を洗うようにしているのだろう相手を人間とみているかどうかもわからない、忙しいからいちいち一人一人をみていられない、身体的にもそうだしそれより心になるともう関係ないだろう
このジジババがなんのだ、自分にとってなんなのだ、ただ食事の世話から下の世話をするだけの人となってしまう。
だから介護では何かその仕事に意味を見いだせることはまれになるだろう。
「なぜこのジジ、ババを世話しなければならないのか」というとき金をもらうからしかたがないとなるだけで意味が見いだせない、人間は何でも金だけですべて解決できない
人間は何でも意味を求めているのである。人間は哲学的存在なのである。
あらゆることに哲学が不可欠なのである。
「人間は考える葦」だというときそうである。宇宙であれ地球であれ人間にとって意味を価値を与えられのである。もし人間にとって意味と価値が与えられなければ宇宙も地球もただの物体になってしまうだろう。
宇宙の果てのどこか知らない星には意味も価値もないのである。

家族で介護するときは父であれ母であれその人ととなりを知っているから違っている
自分の介護した姉でも母でもそういう点で違っていた。
母は子供の頃、不幸だった。継母に育てられて不幸だった。
継母に弁当を子供の頃作ってもらったのだが残したら「俺の作ったものを食えねえのか」と投げられたというからひどい、その継母は異常に気が強い女性だったのである。
その女性は最後は施設で盲目となり「悪かったな」と母に言って死んだ。
そういうことを聞いて知っているのと知らないでは接し方も違ってくるが施設ではそういうことを知らないでただ身体だけの世話をしている
その女性がどういう一生を送ったかはわからないのである。

介護は体を直すということはもうできない,ただ死んでゆくのを見守る看取るという仕事である。身体も苦しくなるから楽にするということはあるが老人の介護はその人の一生を看取るということがある。
そこに介護の意味があるとすると若い人にはてかなかむずかしいともなる。
ある程度の人生経験がないとそういうことにはたちいれないだろう
それよりその人のことをまず家族のようにしりえないこたとなのである。
だからただ死んでゆく、用のない人間をみているだけで意味のない生きがいのない仕事だとなってしまう。
そして社会的にもその地位も医者や看護師のようには見られない、一段と低いものとして社会的にも認められていない、そして給料も安いから誰もしたくないとなる

自分も老人だから自分は老人の話を聞くのか好きである。それが郷土史とも関係していたその人の一生は郷土と深く関係している場合が多いからだ。
自分は八〇代の人とからいろいろ話を聞いてそれをプログに書いてきたりした。
ただ人によっていろいろであり話が面白い人とそうでない人がいる。
やはり面白い人はいろいろな経験した人になる
ただ人の経験したことはみんな違っているからそれぞれに興味がある。
これは認知症の人でも変わりがない、昔のことは覚えていて何百回も語りつづけるからである。
姉は従軍看護婦でありそのことを死ぬまで語りつづけていた。
それを千回も聞いたので嫌になってしまったのである。
でも人生で一番印象に残ったことが戦争のことだったからそうなったのである。
介護と郷土史とか関係ないというが郷土史というのはトータルな学問なのである。
郷土全体が対象だから介護とも関係してくる、原発とも関係していた。
津波のことなどその土地の歴史が関係していたのである。

ともかく介護という分野は新しい仕事でありその意味とか社会的に評価がされない
もちろん介護自体が税金の無駄使いだということもある。
そんなものに金を使うのはもう無駄でありその余裕が国にはないというのも言える
例えば一割負担でも五倍とかが国で支払うから施設とかを利用するとその額が大きいものとなるから問題なのである。
でも在宅でもその負担は結局大きくなる。金銭的にもそうであり介護は長くなるからそうなる。
そして家族も核家族しているから一人がみるのが多く負担になる
それで公共的な援助になると金がかかりすぎて若い人の負担にもなる
だから金銭的に介護は無駄となり批判される

それは確かに言える、老人ばかり増えて介護する数が膨大なにるともう税金を使えなくなる、国が破綻しかねない状態になっている
在宅介護にシフトしてもこれもまた負担が大きいから退職して介護に専念すると社会の損失になる。
そういう問題はあるにしろ何か介護自体にもなんにも意味がないということではない
つまり介護士という仕事の意味が問われているということもある。
それはそもそもこれまで介護があったとしてもこれだけ社会的に介護する人数が増えたり医療の発達で寿命が伸びたりしてこういう問題が起きてきたのである。
いつれにしろ何か身体だけの介護をしていたら介護の仕事に意味は見いだせない,ただ便の処理だとか老人自体が汚いものとしか写らないだろう。
でもその人生をみて介護すれば何か意味を見いだす、でもそれは若い人にはむずかしいし向いていないとなる。
だからそうした心を見るのはかえって六〇代くらいの人が向いているとはなる。

テレビで死んだとき介護士と家族が一緒に風呂に入り死者を清めることをしたというのもやはり介護というのが家族とのかかわりが不可欠なためだろう。
介護は本当は家でするものだとすると女性の場合は嫁というように女と家は一体のものになっているからである。男性は社会的役割の方が大事だが女性は家で生きることが多かったからである。
家で生きることに意味があるのが女性だったからである。
----刀自という墓があるけどそれは家事をとりしきった女性のことである。
家と不可分に一体化していたから死んでもそうなったのである。
だから家で死にたいとなるのはわかるが負担が大きすぎる。
ともかく人間というのは何であれ意味を求める哲学的存在なのである。
意味がないことにいくら金をもらっても耐えられないのはそのためである。

神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

介護とかにはそういうことを感じる仕事だということである。家族すらそう感じることもあるから他人だったら余計にそうなるのである。そこに介護の問題もあった

 
タグ:介護

abstract(express ways)ー高速道路


abstract(express ways)

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これは何か現代的抽象的らしい、パソコンからできる抽象画である。
高速道路というのがぴったりである。
高速道路から見える景色も違っていた。これは早すぎるから旅になりくいが乗り物もメデアなのである。
人間はメデアによって道具によってつくづく影響されて新たな創造が生まれる
パソンコとかインターネットがそうである。

これは今までのメデアとはかなり違っている
パソコンやインターネットで表現するのと文章でも本とか紙に書いて表現するのとは違うプログだと毎日書いている、でも同じことを書いていても何か抽象画のように変化している
それはその人なりの思想をもっていてそうなる。
そういう人はまれでありインターネットではなかなか見つからない

だから毎日読むプログが自分では三つくらいしかない、「心に青雲」とdarkness dua とか武田邦彦氏のプログが毎日発信されているから読んでいる
その他は毎日読むとなるとそれだけのものを書くのが容易ではない
だから毎日読むプログはこれだけインターネットに出ていてもないのである。

ともかく抽象画は無限の変化であり変化しない抽象画は死んでいるともなる
次々に変化するときパソコンの抽象画が活きているとなる
ここにだしたのもまた変化しつづけるのである。
それはパソコンのソフトの操作でそうなるからである。
タグ:高速道路

2015年10月12日

現代の課題は先人の残したものを継承すること (原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


現代の課題は先人の残したものを継承すること


(原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


「先代が作ったこの道を守ることが我々の使命」というありきたりの言葉でありますが、私は決して好きではありません。なぜなら先代が作ったものを守るだけなら番頭にやらせればよく、「自分は先代を抜く」という創業ファミリー間のライバル心が生まれないからであります。二代目、三代目がやらなくてはいけないのは先代ができなかったことを見つけ、発掘し、成長させることであります。
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52393272.html

日本は明治維新が創業者の時代であった。ほとんどの大学が明治に作られた、その創始者は明治時代の人である。
明治に日本の骨格は作られてその延長として大正と昭和があった。
吉田松陰の思想にはすでにアジア侵略の思想があった、それが現実化したのが太平洋戦争である。
歴史は継続だとするとき断絶したものではなく突然に太平洋戦争が起きたわけではない、歴史の継続があり太平洋戦争になった。

日本は今や二代目三代目の継承者の時代であり明治のように創始者の時代ではない、太平洋戦争以後でも高度成長がありすでに二代目三代目の時代に入った。
今まであるものを継承して発展させる時代であり新しいものを作る時代ではない
新しく作るのも大変だが継承することもまたそれなりに能力を必要とする。
それで二代目三代目が失敗するというのはそれだけ受け継ぐこと自体がむずかしいからである。
いかに先代の残したものを受け継ぎ発展させるかがむずかしいのである。
武田信玄でもその子供は継承することに失敗したし織田信長でも秀吉でもその子供には継承されず滅んだ、それだけ継承することもむずかしいからである。

もう現代は新しく何かを作る時代ではない、特にハードの面ではそうである。高度成長時代なら線路を作る道路を作る、箱ものを作る、ビルを建てる、ダムを作るとかインフラ整備に費やされた。日本改造と田中首相が推進した時代である。
そういう時代は終わった、もう過剰になりインフラ事業は無駄だとなった。
農道まで舗装したり無駄な道を作りすぎた、北海道では熊が通るだけだと揶揄されたのもそのためである。
家にしても高度成長時代にみんな家を建ててて空家が全国で800万軒とかいう恐るべき時代になった。
家が空家となり継承されないのである。家というものだけではない実は家とともにあった家族の物的なものと精神的なものも継承されないのである。

この辺では原発事故で村や町自体が人が住まなくなり継承されないのが問題になった。
限界集落でも継承者がいなくなり消滅してゆく危機になっている
今まであった遺産が継承されず消失してゆくという問題になった
原発避難区域ではそうして帰るのは老人だけだとなるときこれも家でも村でも町でも継承されないということが危機なのである。
つまり老人だけが帰っても継承するものがいなくなれば村も町も消滅するのである。
そうすると公務員すら失業するという危機になっている
会社が倒産してゆくと同じなのである。会社が倒産すれば社長は社長でくなる
住民がいなくなれば村も町も公務員も失業してしまう
そして継承されないことは老人だけが帰っても残したものを継承できないことは老人の意味もなくなる。
老人の意味は何かしら家でも精神的なものでも後のものに残すものがあったことで意味と価値が与えられているからである。

それは別に金持ちの家でなくても普通の家でもそういうことが普通にある。
親は苦労して家を建てたとか苦労して何々したとか常に言うからである。
ただ今は別に避難区域だけではない、親の残したものが継承されないことが多い
子供も親から分離して別に家をもち暮らすようになったからである。
そして農業だったら代々土地を受け継ぐものだったがこれも農業では生活できないと跡を継がなくなったから継承ということが行われない
そのために老人の価値とか意味がなくなったのである。
まず避難区域ではもう親であれ先祖の残したものが継承されない、町でも村でも消失しゆく、それは何を意味しているのか?
自分はこうしてここで生きてきたとかもう子供に語れないし語る人もいなくなる

いくら金をもっていても何か財産ではない、その町に村に生きた意味とか価値は失われる原発事故がなければ原発で働いてこの家を建てたということは自慢になっていた。
それももうなくなった。
ある人は若いときから家を建てた、それも相当に苦労して働いて金を残して建てたということを自慢していた。その庭には大きな石で組まれていて見物である。そのことが自慢なのだが子供はそこに住んでいないし妻が死んでその家に一人取り残されて大きな家に住んでいて淋しいというのもわかる
毎日仏壇で妻に手を合わせている、これも継承するものがいないから淋しいとなる
やがては空家となるのか、売られるのか、子供は他に住んでいるからそうなるだろう。
その人が苦労して残して家のことは箱ものとしてあっても苦労したという話は継承されないのである。これはその人だけの問題ではない、自分でもそうであり
空家が全国で800万軒あるということは別に原発の避難区域だけではない問題なのである家族も基本的な一つの歴史だというときそれも継承されないのである。

自分も60代になって親の財産を継承した、これも遅かったが今では長生きだから財産は死んでからしか受け継げないからそういう人も増えている。
そして自分も病気になり悪戦苦闘して家を守らねばならない立場になった。
介護もしなければならない、家事全般をになうことになり大変なことになったのである。そのために財産を奪われことにもなった。
病気になり弱体化したときそれを良いことに攻めてきたのである。
相手も借金とかで追い込まれていたり金がないから攻めてきたのである。
自分に起きたことはまさに六〇代で遅かったが継承することであった。
親の残したものを継承することがそして発展させることが自分の仕事になったのである。これは一身上のことだがこういう継承問題は会社であれ家族であれどこでも起きる問題である。
そして継承するものが能力がないとかふさわしくないとなると親の残したものは無益化するのである。
原発事故がなければその子供もいい暮らしができたのだから親に対して感謝していた。
それが今は反転してマイナスにしか働かないのである。

現代の問題はこの継承するということである。少子高齢化問題も子供に次の世代に継承されないことが問題なのである。
継承して発展させることが課題なのである。先人の残したものが活かされないということが問題なのである。それは国とか会社とか市町村とか大きな範囲でもそうだが個々の家の単位でもそうなのである。
何か先人の残したものを継承してゆくというのが課題なのである。
戦争でもやはりそれを否定だけする面もあるが肯定的にみるとき先人の苦労も報われるということにもなる。
あの戦争はただ無益だったとか否定的な面としてとらえるのが多い、でもまた肯定的にとらえられる面もあった。それも歴史の継承の問題なのである。
だから何を受け継ぎ守り発展するかが問題になっている

[嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない。それにより、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖伝来の嗣業の土地を相続することができる。]というものでした。(民数記)

ここでは土地を受け継ぐことの方が大事なものとされている。土地に従属するものとして人間がいるから娘も土地を受け継ぐが一族の男と結婚が強いられるとなる
嗣業の土地を大事にしていた。故郷とは嗣業(しぎょう)の土地なのである。
その嗣業(しぎょう)の土地を失うことは何を意味しているのか?
流浪の民となってしまうのだろうか?ただ別に他に土地を買って家を建てた人も多いから原発避難者はそれとも違っているだろう。
ただここで言いたいことは嗣業(しぎょう)を大事にするとういことである。
それを軽んじることは先祖や親でも軽んじることになる

農家では常に言う、先祖から受け継いできた土地だから手放したくないというのは同じ心情なのである。
これは農民的な心情であり今は古いとなるがやはり嗣業(しぎょう)というのもが大事にしていたのは変わらない心情があったのである。
この辺では仕事もなくなりパチンコで毎日遊んでいるというとき漁業とか農業とか林業とかも嗣業(しぎょう)だったのである。
それは神から与えられた仕事だった。その仕事も奪われてギャンブラーになったというのもそのためである。
原発事故で奪われたものはあまりにも大かったのである。
だからといってそれで補償金をもらって遊んで暮らしていればいいとはならない
全然もさえない人がまた多いからである。白河まで除染していたから本当に広範囲な被害だった、その人たちは何ももらっていないからである。

嗣業(しぎょう)
神から受け継いだ賜物、具体的には土地、富など相続財産、占有物を意味しているものと思われます。

あなたは一日無益に過ごしてはならない
今日一日に成すべきことがあり見るべきことがある
それは個々人によって違う
その土地土地によって違う
ただ日々にそこに成すべきことがあり見るべきことがある
その集積が実りとなる、物的にも精神的にも
そして土地土地の文化が形成される
その文化を継承することも嗣業なのである。

現代は常に新しいことを求めて嗣業(しぎょう)が継承されない軽んじられるてきた。
嗣業(しぎょう)というとき文化でもそうである。文化の意味する範囲は広い、食文化もありそれも日本の基本を形成しているが洋食になりそれもないがしろにされたことがある。食文化でもまた継承が問題になるのである。

結局ここすでに十年間が自分は家との格闘だった。未だに家は整理できていない、いかに残されたもの、家でも活用するかである。それが一人なので大変なのである。
つまり自分に与えられた嗣業(しぎょう)がここにあった。
それは他でも必ず受け継ぐ嗣業(しぎょう)がある。それはみんな違っているのである。
それは家だけではない、土地でもそうだし伝統技術とかもそうであり技術の継承も
大きな問題なのである。そういうことが成されないと国でも家でも衰退してゆくのである。あるものを活かすこと先人の残したものを活かすことが嗣業(しぎょう)なのである


タグ:二代目
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2015年10月13日

社会全般に意志疎通ができなくなった時代 (トータルに考えられない社会ー郷土史はトータルな学問である)


社会全般に意志疎通ができなくなった時代


(トータルに考えられない社会ー郷土史はトータルな学問である)


意思疎通というとき互いに何事かの共通認識である。それができなくなったのは明治維新後である。西欧化した結果として江戸時代からつづいた共通認識は失われた。
だから明治維新の混乱は今でもつづいている。
民主主義という言葉一つとってもそれを理解することが非常にむずかしい、西欧文明が入ってきたとき日本人は漢字でそれを訳した。
それは新しく造語した努力がある。権利とはRIGHTだけど英語だったら正義ということになる。権利は何かしら正義があって権利が要求できる。
それで権利は権理だったのである。この方が役として良かった。権利となると利の方に重点が置かれらである。
ともかく西欧文明の概念自体を日本語で訳すことは至難であった。
今でも本当はその概念を理解していない、それは仏教でも中国の文化でも取り入れたときその概念を理解することはむずかしかった
日本語には仏教用語もあり中国文化の漢字によって多彩なものになった。
それにまた英語が加わって言語が重層的になったということはそれだけ日本語は世界の文明文化を取り入れた言葉なのである。
それは大和言葉だけでは取り入れることができず漢字で取り入れたのである。
意思疎通するというときまさに言語の面でもそうだった。外国人と意思疎通するというときも言語が中心となっていたからである。
他国の文化を理解するときどうしても言語がわからないと根本的に理解できないからである。
意思疎通というときそれは明治維新から近代化したときあらゆる面で起きてきたのである江戸時代は日本人が日本的環境と生活の中で意思疎通できていた時代である。

なぜなら基本的にはその土地土地で狭い範囲で生活していたから共通認識ができやすい社会だったのである。
そして時間軸で考えると江戸時代は親の仕事を受け継ぐことが多いから世代間の分離もない社会である。
つまり侍は侍になり農民は農民になり職人ば職人になると親の仕事を受け継ぐから世代間の分離がない、職人でも十代以上もつづくとかそれだけ変わらない社会が基盤としてあった。それが可能なのは社会が江戸時代はあまり変化しないことだったのである。
現代ではもう二代でも仕事は継続されない、めまぐるしく変わってゆくからである。
すると当然世代間の分離が起きてくる。親の仕事を受け継がないのだから親との分離が精神的にも物質的にも起きてくる。
また大家族だったのは農業でもそもそも大家族でしていたからである。
すると家族が会社になっているようなものである。家内工業でもある。
それが土地と結びついているから土地と一体化して分離しないのである。
現代の特徴は何か、それはあらゆることで分離されてしまうことなのである。
家族でも大家族から核家族へ、世代間でも親は親、子は子となり所帯も分離してゆく
仕事もみんな別々であり分離してゆく、そして単身所帯が膨大に増えてゆく
次の世代に継承されないということが書いたがそれは社会の構造が変わりすぎたからである。それは江戸時代と比べると明確になるのである。

意思疎通ができないというときそれは家族内だけではない、家族の世代間でもそうであり故郷という場を共有するものでも意思疎通できにくいのである。
なぜ原発事故で故郷も失い、家族でも簡単に分離したのか?それを探求してきたがそれが原発事故だけに由来するのではない、そもそも家族も故郷も土に根ざした農民社会ではない、みんな会社員である、そしたらその土地に執着する生き方とは違ったものとなる
人間はふでに故郷という土地から分離していたのである。
だから原発事故が契機となっただけでその前からそういう状態にあったから家族も解体して故郷も喪失して分離したとなる。
別に金がもらえるからどこに住んでもいいという状態になっていたのである。
その土地にこだわっているのは農民くらいだとなっていたのである。
それで親が農業の跡など継ぐなとその子供を殴ったというから驚く、それだけ農業は現代では割に合わないものとなっていた。
その人は原発でも働き全国の工事現場で働いた人だった。そして七町あった田んぼはもうないという。

別に人間は意思疎通できないということは常にあった。江戸時代でも職業が違うと神秘的なものになっていたのはそのためである。木地師とか産鉄族は神秘化されるのはその仕事が理解しにくかいらそうなる。
そして江戸時代で意志疎通がしにくいのは空間的なものである。隣の村同士すら空間的に離れていると意志疎通できなくなる、それで隣から麦つきに来た若者が大蛇だったとかなる。何かそうした天狗だとか河童だとか動物とかの妖怪伝説になるのはその人と意志疎通できないからそうなる。明治維新では外人が天狗になったり火山の爆発を起こしたとかまで押しつけられている。そういう異形のものとされるのは意志疎通ができないからであるそういう意志疎通できないことが社会全般に家族でも故郷でも起きているのが現代である原発事故でもそもそも東電の社員のことを原発を放射線のことを知ることなどあっても理解できない、そのことからすでに意志疎通できないものとなっていた。
現代ではそうして意志疎通できないことから様々な問題が起きてくる。
もし意志疎通できていたら原発事故も起こらないしそんな危険なものを土地の人が賛成しないのである。

現代はあらゆることで意志疎通できない社会である。職業も複雑であり無数にありどういう役割をしているのかどんなことをしているのかもわからない、それぞれの職業で意志疎通できない、江戸時代だから家内工業で何でもその土地に根付いてその延長に仕事があり意志疎通できた。今は職業が無数にあり高度に専門家してできない
例えば弁護士がいたとしても医者でも専門用語を使われるともう意志疎通できない、
もちろん放射線のことを言われたら何も意志疎通できない、お前ら素人は何もわからないから何も言うなで終わりなのである。
そうすると専門家の言うなりになり事故も今回のような原発事故も起きてくる。
そもそもそれは政治家でもマスコミでも原発のことなどわからないから金になるからいいというくらいの認識しかもてない、政治家とかマスコミは文系が多いということもある。放射線のことなどわからないのである。ここでも意志疎通ができない、理系と文系では意志疎通ができない、ノーベル賞でニュートリノが中性子がどうのうこうのと言っても理解できるのはまれだろう。科学者と素人は意志疎通できない
それは化学が錬金術からはじまったことでもわかる、何か怪しいことをしている、不気味だとされていたことでもわかる。
その時も一般の人と化学を科学を扱う人は意志疎通できないからそうなっていった。

グローバル社会になるとますます一見物が自由に入ってきて世界が理解できるように思えるけど実際は物が入っているだけであり世界のことを外国人を理解しているわけではない外国人と意志疎通できているかとなるとできない、そしてますます人間は互いに意志疎通できないものとなり他者との共通認識をもつことができなくなる
現実に身近なことでも例えば銀行とは何なのか理解できますか?
何かこの銀行を理解することは本当にむずかしい、銀行は何をしている所なのかわかりにくいのである。ましてや株でもあれ世界経済のことを理解できるのかとなるとできない
江戸時代だったら確かに理解できないもの意志疎通できないものがあったが今の時代とはレベルが違う、現代はますます他者と意志疎通できなくなる時代である。
未来もますます社会は分化してパーツ化して互いに意志疎通ができなくなる
ともかく社会をトータルに理解できないのが現代である。

郷土史は実際はトータルな学問だった。その範囲はあらゆるものに及んでいたのである。だからとても一人でできるものではなかった。地理学であり地質学も科学も関係していたしあらゆる学問が関係するトータルなものだった。
細分化した学問が郷土史ではない、それは自然と人間と全般にかかわるものだったのである。
だからそれを自分なりに追及してきた。郷土史とは人間復活再生の学問である。
なぜならそれは自然と土地とか社会と歴史とかトータルに探求するものだからである。
文化がculture(耕す)というときまさにそうだった。文化の再興は郷土史にあった。
郷土史は全般的なものだから芸術もその中に入る。
しかし今はなぜ文化がないかというと自然に根ざしたアイディンティティが欠落した社会だからである。
つまり詩語が喪失したというときそれを一番物語っていたのである。
経済用語、科学用語、法律用語、、、、しか言葉は使われない、詩語を使う人は異形のものとなりアウトサイダーとなってしまうのである。
自分も山とか石とか樹とか自分の住んでいる土地からも主に追及してきたがそれは理解されない、都会の人に石を理解することはむずかしい。
ただ材料としての石を理解することはできなるが文化としての石を理解することはむずかしい

そもそも田舎と都会人でも意志疎通はできなくなっているのだ。
ビルに囲まれて暮らしている人とはもはや自然のことはわからない、詩語はそこで死んでいてただ数字化した言葉を使っているだけなのである。
それはシュペングラーやニーチェや上野霄里氏などが指摘してきたことである。
アウトサイダー化してゆくのはもうそうした個人でしか一つのトータルな世界観を価値観をもちえない、作りえないからそうなったしまった。
マスコミは大衆の価値観でありそこから真実の価値観は作りえない、だからマスコミに紹介されたり有名なにる人は大衆的価値観の浅薄な人たちである。
新しい文化を創造することはマスコミではできない、大衆はもはや文化を創造できない
大衆と民衆は違う、民衆は文化を作っていたが大衆は作らないからである。
それで文化創造を目指すものはアウトサイダー化するのである。
そしてその人はまさに天狗とか河童とか山姥とか異様なものとされてこれまた大衆とは意志疎通できないものとなる。
まず言葉が通じない、詩語が理解できないからそうなる。
言葉が意志疎通の基礎にあるときその言葉時代が存在感を失っているのはその基盤となるコミニュティとか自然が失われているからである。
それで田舎人と都会人は意志疎通できない、では田舎人が意志疎通できているかとなるとできない、第一次産業に従事しているのは一割にもみたないからである。
その土地に根ざして生きているのではいなやはり会社員がほとんどだからである。
田舎でも隣は何をする人ぞとなってしまっているのである。


 

2015年10月14日

人間は意志疎通できないとどうなるか (暴力的解決になるー武力、金、技術(科学)は暴力となる)


人間は意志疎通できないとどうなるか


(暴力的解決になるー武力、金、技術(科学)は暴力となる)


猫とは言葉が通じない、だから猫をしつけることが嫌になる。排泄をどこでもするとかかってに台所のものを食べるとか嫌になるからはたいたりする
それは言葉が通じないからしつけできないから暴力でしつける
それは子供でも同じだろう、しつけようとしても言葉できなければ暴力的になる
人間が言葉をもったのは意志疎通するためである。でなければ行動で意志疎通させねばならなくなる。
意志疎通ができなくなるとき暴力的な解決になる。
それは個々人の間でも常に起きている、俺の言うことがわかんねえのか、と叩いたり度を越すと激しい暴力として爆発して殺人になっていることは毎日の報道できりがなく起こっている。
互いに意志疎通ができないとき暴力になり力の強いものが言うことを聞かせる服従させるとなる。
国と国の戦争でも互いに意志疎通ができない、だから暴力で解決することになり強い方が弱い方を服従させるとなる。
それでも強い方が正しいということはない、アメリカがすべて正しいとはなっていない
ただ強いから服従させることができたということになる。

明治維新でも佐幕派が勤皇派が正しいのかなになのか混沌としてわからなくなった。
結局は最後は暴力で武力で解決したのである。それは毛沢東は革命は銃口から生まれというのもそうである。共産革命も暴力で成されたのである。
それが正しいとかではない、暴力で革命が正しいとされただけである。
だから中国でも権力を手中にしてからは腐敗したのである。
民主主義はそうした暴力で解決するのではなく平和的手段で解決するために投票という手段を採用した。た暴力は人が死ぬのだからそれよりはいいとなる。
民主主義は最善ではなく最悪をさけるために生まれた制度であるからこれも政治的なものとして不満が大きいのである。
でも暴力革命よりはいいから採用された。そうなると別にどんな団体でも選挙で力をもつことは権力を得ることは許される制度だとなる
共産党でも創価でも武力も辞さず権力を得る武闘派的団体だった。
でも民主主義になり平和革命と無血革命で権力を得ることを目指すようになったのである
ただ暴力というとき今でも武力は最後のやむをえぬものとして実行される。
しかし現代の暴力は武力だけではない、別なものに変わったのである。
暴力的なものとは数の暴力というとき民主主義は数さえ集めればそれが正義となり権力となる。
すると権力をとるために革命でも数を集めることだとなりカルト宗教団体ならともかく頭数を集めることか革命だとなる。宗教もその一つの手段となった。
数はもはや暴力である。どんなに正しいことを言っても一票の力しかもちえないから社会では相手にしない、ところがカルト宗教団体でも創価でもなんでも信者の数で社会に影響するから数が暴力的なものとして社会で働く、そしてこの暴力的な数によってマスコミも支配される、マスコミはテレビでも視聴率がないと広告費も入らないからいかに多くの人にみられるかが最大の問題になる。
だからそうした団体を批判したりはどこもしないのである。
民主主義は数で決まる。南相馬市でも三〇キロ圏外は補償金が少なかった。もらったのはもらったけど少なかった。もちろん全くもらえない方が多かったから不満が広い範囲になった。
南相馬市の場合は市長選挙でも小高区と原町区に補償金を多く与えれば票は原町区が五万とかの人口があったのだから原町に恩恵があればそれで市長は当選できたとなる。
だから合併して損したのは鹿島区だとなってしまった。
これも民主主義はともかく数で何でも決まるかである。
若者が不満でも老人票が多いから老人に有利な政策になり結果的に若者は老人のために苦労するだけだと不満が大きくなる。
民主主義は武力とかではない、数で決まるから数が暴力の代わりになるからである。
それで不満を言ってもそういう制度なのだからどうにもならない、他にいい制度があるのかというとなかなかないだろう。

ただ民主主義は選挙だけではない、報道の自由とか言論の自由とか方の法律によって決まるとかいろいろある。法律が大事なのはそれも意志疎通の問題なのである。
常に争いが起きたとき武力で解決していたら個々人でも暴力で解決していたら平和保てない、だから明治維新後は仇討ちは禁止された。
法律にのっとて平和的に成されるのであり暴力は禁止されたのである。
それでも不満だった武士は家族を無惨に殺された侍は暴力で復讐したということがあった法律だけでは納得できないことは今でもあり暴力で復讐する人はいる。
なぜなら法律は絶対に公平なものでもない、それも暴力をさけるために最悪にならないものとして民主主義の制度の中で作られたものである。
この世に最善となる社会などありえないからである。
法律も万能でもないし民主主義も万能でもありえない、ただ暴力、武力にならないための最悪をさけるものとしてあるだけである。
だから国同士では国際法などは通用しない、結局国同士になると暴力が戦争で優劣を決めるだけだとなる。どっちが正義ということはない、太平洋戦争でもアメリカが別に正義というわけではない、ただ強いものが弱いものを服従させたというだけなのである。
日本には日本の義があったともなる。
それは世界紛争とは今でもそういうものでありどっちにも義があり強い方にすべて義があるわけでもない、世界紛争になると法律は通用しないから未だに武力で解決しているのである。

暴力というとき何か武器とか武力をイメージするが現代では別なものに変わった。
武力は金に代わり技術力科学に代行される、技術でも今は巨大であり森林でもどこでも機械で破壊してしまう、機械が暴力的であり科学もそうである。科学技術力は自然と人間が意志疎通させることしない、何か自然のリズムのように徐々に変えるということもしない、急速に科学技術力げ自然を破壊して変えてしまうのも暴力的なのである。
原発でもそうである。それは恐るべき自然を破壊し汚染する暴力装置だったのである。
この技術力も制御することができない、すると自然は破壊され人も住めなくなった。
科学技術力が自然であれ社会であれ暴力的に働いたからである。
そして現代のグローバル社会で最も暴力的なものが金になっている。
グローバル資本主義では金が最も暴力的なものとして力をふるっている。
金によって世界は支配できる、その金を支配しているのが世界の金であるドルだとなりアメリカが世界の支配者となる。

金の力がグローバルに働くからそうなる,巨額の金が株式市場で動く,それで株で何百億をもうけたとかとなると金の暴力的なものとしてグローバルに働いている。
国でも個々人でも世界的にもはや金の支配から逃れることができない、だから不思議だったのはシリアにはロスチャイルド系の銀行がなくIMFがなかったということである。
それはアメリカに支配されないためにそうなっていたとなる
金でも百億円株でせうけて俺はもっているとなるとそれが暴利となり暴力的になる。
その金で何でも買えるとかなり金に魅せられたら悪魔的にもなるだろう。
新聞社でもテレビ局でも何でも金で買えるとなる。現実社会では金で買えないものはないとまでなっている。
民主主義でも票でも金で買えるともなる。そうなると金の力がすべてを決定するとまでなる。
金は武力とちがって武器でもないから外に現れにくい、でも武器を買うためには金が必要であり戦争には必ず金がかかわっている。それで金で戦争させるとなると金が実際は暴力になる。

東電が安全神話を作り得たのは金の力でもあった。国家並みの金をもっていたのである。
グローバル資本主義は暴力的なものとして機能する。それは金が世界を支配するからである。金にもの言わせる、金に従わせるとなる。金で心を買うということにもなる。
その力がグローバル社会になったとき資本主義になったとき有効になる。
だからグローバル経済というものが果たして人間にとっていいものかどうかは疑問になる金によってすべてが支配されるより金では支配されないということもまた人間社会には必要である。
金の力がグローバルに力をもつと人間的なものを逸脱してしまうのである。
それで人間の経済とかが志向されることにもなったのである。
それが金がすべての価値基準でない社会がかつてあったからである。
現代は確かに露骨な暴力は否定されるがそれに代わるものが暴力的に働いている
人間的経済のようにそこには互いに意志疎通させるものではない
ただ一方的に金の力で支配されてしまうのである。

民主主義とは根幹お思想はいろいろあるけどともかく武力に暴力ではなく話し合いで意志疎通して平和裡にもめごとを対立を解消しようとすることが根底にある。
だからここにも不満がある完全なものではない、でも暴力になったらあまりにもどこでも悲惨なのである。戦争でどれだけ死んだか?それは国同士の争いになると暴力しかないからである。国際法なども通用しないから力が強いものが決めるとなってしまうからであるともかくこの社会は絶対に公平にはなりえない、個々でもそうであり国と国でもそうである。
それは神しかできないことである。

主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。

あなたがた力ある者よ、まことにあなたがたは正しい事を語り、公平をもって人の子らをさばくのか。

アメリカが力あるものだけど公平をもってさばけるのかとなるとならない、日本の敗戦はアメリカの力によるものでありそれで
公平にさばかれたかとなるとならないのである

永遠の平和は神によらなければこない、その時は一端この世が滅びるときなのである。
民主主義とは何かというとき話し合いであり議論でもそうである。
武力ではなく暴力ではないことで意志疎通させて解決させようとする制度である。
そこには不満がある、仇討ちでも私的復讐を許したらそれはまた復讐された方が恨みつづけて怨念の連鎖をとめられないのである。それは子供にまた負担をかけることなのである国同士の戦争となると正義などどこの国にもない、それは今のシリアの混乱をみれば一体何で争っているのかもわからないのである。
それは太平洋戦争でも起きていたのである。中国の内乱がありロシアも加わり大国の思惑のなかでシリアが犠牲になり難民化したのである。