2015年10月01日

盛岡は芸術都市(秋日盛岡-詩と絵)


盛岡は芸術都市(秋日盛岡-詩と絵)

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秋日盛岡

盛岡の街をそぞろ歩みぬ
煉瓦作りの堅固な銀行に
上の橋擬宝珠の古りあわれ
秋の日にさして渡る橋
袂に野菊の塊り咲きぬ
長々と柳は垂れてそよゆる
昔の商家の白壁に移る日影
城跡に残る石垣の精緻に組まれ
老松もあれや忠臣もあれ
中津川に沿いそぞろ歩めば
さらさらと清らかな瀬音
コスモスの花々もここに映え
岸辺の石に老木に秋の日はさしぬ
かたや北上川の流れ滔々と
岸の狭しと流れはやしも
岩手山の輪郭際立ち迫り聳ゆも
一貫として揺るがざる厳しい姿
静かなる秋の日にここを歩まむ
歌心詩心のここに湧きなむ
煉瓦作りの銀行によりて
秋の薔薇の三色咲きて心にしみぬ
盛岡の街の通りを歩むもよしも
喫茶店によりてもの思ふもよしも
みちのくの都市盛岡は今も
古風とハイカラの交じる都市かな

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東北は都市は少ないし都市的な魅力に欠けている。都市でいいのは西である。歴史もあり自然もある。
東北で文化都市と言えるのは盛岡と弘前だけのように思える。
仙台は何かもう一つ文化都市としては大きいのだけど欠けている
商業都市で学都というのにはふさわしい。
なぜ盛岡が芸術都市で文化都市なのかというと賢治と啄木という詩人が生まれたことなのである。
なぜあのような詩人が生まれたということが東北になると不思議である。
何か東北的なものがあっても都会的なのである。

それは盛岡という都市がその時近くにあったからである。
花巻とか渋民とかは東北の貧しい村落である。
そうしたらあんな都会的なものは生まれないのである。
要するに文化というのは都会だけからは生まれない、また田舎だけから生まれないのである。
東京があんな巨大都市でも文化は生まれない、田舎がないからである。
田舎とは自然のことであり都会は文化でもある。田舎が基なのだが都会的なものも文化なのである。
田舎的なものと都会的なものが融合するとき文化が生まれる
田舎だけでも文化は生まれないのである。

盛岡は川が二つ街中を流れているし何か都会でも田舎的な所がある。
北上川と中津川がなんともいいのである。
その川べりを散歩すると気持いいのである。
それは仙台の広瀬川とは違う気持ちよさがある。
そして岩手山が映えるのであの山によって身がひきしまるのである。
それから城跡もあるし城下町なのもいい
まず文化都市となると城下町でないと歴史がないのでなれない
青森市は城下町ではない、弘前は古風の城があり城下町だから文化都市になる

常に自分が相馬について書いているが日立木から松並木を通り相馬の城跡に行く浜街道の道は何度行ってもあきないのである。
やはり歴史の道だからそうなっている。
歴史にはそうした何か人をひきつけるものが必ずある。
仙台にも歴史があるのだけどそれが何か感じない、青葉城があるのだが感じない
仙台は大きくなりすぎたとこともある。
今回の詩は前に俳句とか短歌にしたものからまた回想して作った。
自分の場合は俳句とか短歌から詩にしている
それは晩秋だったがこれは初秋であり秋の日である。
まず盛岡というときあの煉瓦作りの銀行が印象に残る
建築の影響が大きいなとつくづく思う。
ヨーロッパの魅力は建築にある。それもローマ時代からあり古いのである。
ただその魅力もそれに接する度合いが多ければいいが外国旅行は何か余裕がないので良く見れなかった。そこが一番の問題だった
盛岡は近いから何度も行っているから思い出すのである。

東北はやはり何度も行けるというのがいい
それでも会津は福島県内だが今になる遠いなとつくづく思った。
もう介護で行けなくなってから十年は行っていないのである。
会津は福島県でも別世界だとなる
この詩を作ったときとにかくまず煉瓦作りの銀行だった
あれは貫祿があるというか質実な感じがする
建築が精神に影響するということがある。もちろん岩手山なども心に影響する。
一方でも建築も心に影響する、だからヨーロッパでは精神形成が建築になっている
それが今は高層ビルでもビジネスだけであり何か精神に影響するものがない
ただ高いなというだけである。高いと大きいだけで心に影響することはない
だからこれだけの建築物にあふれていても何か精神に影響するものがない
ホテルでも一流ホテルになると確かに大理石などを使うと何か心に影響する
一流ホテルには泊まったことがないのでその辺はわからない


前に書いたり絵にしたりしたものをまた作り直すといいものができる
自分の書いたものは相当な量である。
ただ絵のようなもの、抽象画はまた変えやすいのである。
完成したものとしての芸術ではない、常に変化してやまない芸術だった
まあ、芸術の秋であり盛岡はそれにふさわしいとなる



 上の橋は南部藩主利直公が盛岡城を築くと同時に中津川に架けた橋。欄干を飾る青銅製の擬宝珠のうち、慶長14年(1609)の銘が刻まれているものが8個、慶長16年(1611)の銘が刻まれているものが10個ある。これほど多数残っているのは大変珍しく

 慶長16年は慶長津波の起きた時である。この時からあるとしたらずいぶん古い
 それだけここが歴史ある場所だった
 墓などは残っているが公共物で慶長時代となると東北ではかなり古い
 それも橋にあったというときそれは公共のものだから城とは違うからである。
 京都辺りでは珍しくないが東北ではこれだけ古いものはまれなのである。


タグ:盛岡の詩

2015年10月02日

シリアの争いの構図 (ロシアと結び平和だったシリアを壊した欧米ー素朴な人たちだったシリアのなぞ)


シリアの争いの構図

(ロシアと結び平和だったシリアを壊した欧米ー素朴な人たちだったシリアのなぞ)


シリアの複雑さはロシアの指導で社会主義政権の時がかえって平和だった。
だからシリアの人は素朴でいいとシリアを旅行した人が何度も言っていたのは社会主義政権がすべて悪いとはならない、それなりにその制度で治まっていれば平和があった

ではなぜシリアが混乱して内戦になったのか?
それはアメリカが強引に大量破壊兵器で難癖つけてイラクを攻撃したことである。
そのあとにイラクが混乱してイスラム国が生まれた。
そのイスラム国がなんなのだろうとなる
イスラム国がアメリカに支援されているということをネットで解説している
イスラム国を空爆したのではないか?
武器まで支援しているという、それはなぜなのか?
シリアのアサド政権がロシアと組んでいることに対してアメリカは不満である
イスラム国がアサド政権も攻撃している。
となるとイスラム国はアメリカにとってもいいとなる
何かこの辺の構図が本当に複雑である。

この図はわかりやすい
http://i.imgur.com/myw4o7j.jpg

イスラム国を支援しているのはイスラエルだともいう、確かにイスラエルをイスラム国は攻撃しないのも不思議である。
イスラエルとシリアはもともと対立していた。イランとも対立していた。
ロシアとイランとが共同してイスラム国をたたくとなるとイスラエルに危険が及ぶ
アメリカこうなるとこの辺で勢力をもてない危機になる
イスラム国が必ずしもアメリカにとって悪く働いているとならないか支援しているのか?
基本的にはアメリカとロシアの大国の対立の中でシリアが犠牲になった
その根がアメリカのイラク戦争でありそれが中東の平和をかえって乱してしまったのである。
この時ヨーロッパも日本もイラク戦争に同調して戦った、日本は金しか出さないと批判された。
イラク戦争とはアメリカが正しいとはならないアメリカに非があった。でもアメリカのことはあまり批判されない

イラクもシリアも主権国家だったけど壊された。それは結局大国の横暴の結果でありシリアは犠牲になった。
ロシアもそうではないかというときロシアも常に漁夫の利を得るあくどい国として批判される
でもなんかネットでは最近は共産主義国家の方が理屈が通っているとか言われる
ロシアがアサド政権を支持して社会主義国として平和があったのになぜこんな悲惨なことになったのかということをみればわかる
要するにシリアはロシアの支配下にあっても社会主義国で平和に生活していたのである。その平和を壊したのは誰なのか?その裏には大国の駆け引きと横暴がある

アメリカという国は軍需産業国家であり戦争がないと武器が売れないので定期的に戦争をしかける。
だからアメリカは常に戦争をする国だと言われる。
そういうアメリカに日本が集団的自衛権で追従していいのか?
そうなるとアメリカとともに世界戦争にまきこまれる
でも中国が台頭してそのはざまで日本は選択を強いられる、ただアメリカ追従で戦争に参加させられることに危険を感じる
アメリカが世界を混乱させて戦争に導いたということがある
アメリカと一緒に行動することは日本もその責任の一端を負うことになる
確かにアメリカ側からすれば一方的に日本を助ける安保条約は利益がない
アメリカを助けない日本は何なのだという不満が露骨に出てきている
アメリカ側からすれば日本と組んでも利益がないとみられる
共同で敵と戦う国ではないとなる。

要するに別にアメリカは正しい国ではない、正しい戦争をする訳でもない、かえって世界を混乱させてもともと平和だった国をシリアのように悲惨な状態にした
それはヨーロッパもそうであり中東はそうしてヨーロッパによってもアメリカによっても混乱させられてきたのである。
シリアの歴史は古く聖書にも記されている、そこはフェニキア人の港があったから相当に古い要衝の場所だった
ロシアの軍港もあるからロシアは手放したくない、それでシリアを守るためにイスラム国と戦うことを決意した。それは反アサド派とも戦うということにもなる
そもそもイスラム国はなにものなのかというときそこには大国がかかわりイスラム国だけで自立して戦っているわけではない
武器や資金も外国から援助されているとするとそれは何なのだろうとなる

シリアはアメリカ、ヨーロッパ、ロシア、イランとか三つ巴四つ巴の場となって混乱している。
シリアがまさに世界の国がかかわり縮図となり世界大戦の様相を帯びてくる。
世界の紛争はそうした一地域から拡大して世界大戦になる。
日本もまた集団的自衛権で否応なくまきこまれてゆくのである。
では日本が世界と切り離して鎖国のように平和が保たれるのかとなると今はありえない
ともかくシリアがロシアであれ社会主義国のままであったとき平和だったのである
その時だからシリアには素朴な人たちが多かったということを納得する

ともかくヨーロッパであれ中東であれそこは聖書の時代から戦乱がつづいている。
結局日本のように海という自然の防壁がないところでは陸続きなのだから常に異民族が侵入して混乱して戦争にもなる
大量の移民も戦争のきっかけになる。それは一種の戦争状態になったいる
難民というとき出エジプトも民族大移動だったのである。
世界になると民族が移動して絶滅したりすることがあった。
大陸では激しい民族間の争いがあった、日本では島国でそうした歴史がなかったから平和だったのである。モンゴルも海に守られて日本を侵略できなかったからだ。
難民をとめるには軍隊が出動して殺すことまでしなけれはならなくなる
それは陸続きだから大陸ではそうなりやすいのである。
国境でもとめようがないことを見ればわかる、ゲルマン民族の移動とかそういうことはあったからそれは世界動乱にもなってしまう。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、第三次世界大戦となる危機にもなるから恐怖なのである。

シリアで今本当に起きていること。在日シリア大使が真相を暴露してくれた。政府は悪くない!?
http://www.dogamakiura.net/2608526412354861/136

シリアで何が起きている?

「シリアにロスチャイルド中央銀行がない。シリアにIMFに借金がない。シリアに遺伝子組み換え農業がない。シリアはシオニズムに反対している」などの話は興味深い。 
 
http://isehyakusy.exblog.jp/21687139

シリアのこの話はシリアは欧米の影響を受けない国だった証明である。
良くネットではロスチャイルドが影の世界の支配者だとか言う、反グローバリズムの国だったとすると何か世界でもそのことを知らない、
銀行はなぜ重要かというと銀行を通じて貨幣を通じて国でも人を支配できるからである。
もし銀行を通じて支配されないとすると金に支配されないから素朴な人たちだったのかとなる
シリアの人たちが素朴で良かったというときまだ資本主義とか欧米の文化に染まらない国だった
それは明治維新の前の日本の江戸時代ともににていたのかもしれない
明治維新後に日本は欧米化して全く人間まで変わってしまったからである。
中東が遅れた国だというときかえって素朴さが残っているとういことでシリアは素朴な人たちで好感がもたれたということが納得がいく
欧米側からの報道だけではシリアはわからない、シリアはそれなりに独自な国作りを目指していたのである。
ただシリアというと社会主義国で閉鎖されていたから外部に情報が出てこなかったのである。
自分はシリアは素朴な人達で好感をもったということをシリアを直接旅行した人に聞いたのでそれがなぜなのか?そして今なぜなんなふうに悲惨な状態になったのかと思った

インターネットにはマスメデアとかとは違う情報がでているが調べるのがめんどうなのである。
インターネットの弱点は貴重な情報があってもなかなか見つからないと調べられないことにある。
テレビだったらリモコンのボタン一つおすだけであり一方的に見ているだけだから楽なのである。その楽なことが洗脳されるだけだとなる
それでもインターネットの情報を利用するのは暇がないとできない理解するのもむずかしい。
だから人間は楽な方に流れる、洗脳されるのである。
百回嘘を言えば真実になるとか、ハイルヒットラーとか簡単なことが大衆を洗脳するにはいいのである。
題目を唱えれば解決するとかカルト宗教団体でもむずかしいことを言っていたら人は集まらないのである。
大衆を支配するのは「サーカスとパン」だというのも変わっていないのである。

 
タグ:シリアの謎
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2015年10月03日

電車より見る春の城(俳句連作十句)


電車より見る春の城(俳句連作十句)

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花盛り天守へ登る福山城
春草や車窓より見ゆ姫路城
春なれど半月あわれ洲本城
船絶えじ春の夕陽や明石城
花散るや夕陽に映えて大阪城
夕暮れや枝垂桜の吉田城
川と海通じて春の吉田城
誰がたずぬ花ちる後や馬陵城
春の山四方に望み三春城
天守へと花咲く道を二本松城
車窓より春の夕日や白河城
残る雪車窓に見えて上山城
花の色幾日深む弘前城

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福山城は駅からすぐおりて城を見れる、駅が城のようになっているからめずらしい
一番印象に残ったのは姫路城である。
それは春の日であり車窓から遠くに見えた、ただ都会化しているからあまり大きくは見えないが確かに見えたのである。そこで心が弾んだ

洲本城は淡路島であり何かおもちゃのように小さい城のうように見えた。
ただ渚があり松があって波が静かで東北の荒い波とは違っているから落ち着く
その時出ていた月は半月であった。
ここにも城の物語がある。その物語を理解するのはなかなかむずかしい
ここは都会ではないから回りの景色がいい

明石城は瀬戸内海が見えて淡路島が見えて見晴らしがいい、船が絶えず往き来している
そこに春の夕日がさして沈んでゆく、
大坂城も春の夕日が燃えつつ沈んでゆくとき花が散ってゆく光景は忘れがたい
吉田城というのは豊橋だけどここは夕方訪れた、枝垂桜が印象に残った。
実際はここは東海道の繁華な街である。橋は浮世絵で有名である。
豊橋とは橋が有名なために名付けられたのか?
吉田城まで市電で行った、そのことは前に俳句でも書いた
吉田城で知らなかったのは海が意外と近く川が通じている、川をを防壁として作られた城だった。
青葉城も広瀬川を防壁として作られた戦国の城である。
相馬の城(馬陵城)も宇多川を防壁として城を守るためにもともとは城のすぐそばまで川があった。
戦国時代は川は敵から守るために川を利用して作られた。
ただ馬陵城は伊達から守るとしたら反対側になる、そのために堀を作った。

東北で車窓から見えるのは山形の上山城である。小さな城だけど見える、これも前に書いた
白河城も車窓から見える、あとは東北で車窓から見える城はない
西には城が多いが東北には少ない
日本の城は何か一般的に小さい、ビルと比べればわかる、なぜあんなに小さいのか?。
本当にあそこで生活していたのかとなる
でも当時はビルもないのだから一番目立った建物だったのである。
だから遠くから城は見えた、関所など越えて国が変われば城が一番目立つものだった
城は街の中心とてしあった。
ともかく城があるところに日本では歴史を感じる場所である。

電車から見るとどうしても走っているから記憶するのがむずかしい
要するにもっとゆっくりだったら記憶されやすいのである。
早ければ記憶しにくいのである。
現代はすべてが早いから印象に残るのが少なくなくなる
ただ通りすぎて記憶に残らないのである。
旅は今になと記憶に残ることが大事だった
第一記憶に残らなかったらこうして俳句にもできない
何かしらわずかでも記憶に残っているとそこから回想して俳句でも作れる

旅は簡単にできると思っていたが今は全くできない
何か今は日本でもホテルが不足しているとか旅しにくい時代になった
外人が多すぎるのも何か落ち着かないだろう
だから恵まれた時代を過ごしたとなる
ともかく何度でもやはり思い出して過去をふりかえることが意外と大事である。
テレビでも一回では記憶に残らない、二回三回と見ていると記憶に残る
映画でもそうだし本でもそうなのである。
俳句は短いから連作でないと何か芸術になりにくい
奥の細道は一句一句ではなく連作として鑑賞するものでありそうでないと俳句はなかなか一つの芸術となりにくいのである


タグ:春の城

2015年10月04日

空家問題とにている原発避難区域 (限界集落問題ともにている)


空家問題とにている原発避難区域


(限界集落問題ともにている)


空家が今日本全国で800万軒とかある。この数も凄い、自分の回りでも三軒くらい空家が街中にある。その空家は別に借りる人がいないから空家ではない
この辺は避難区域でないし外からの避難者で増えているから借りたい人はいくらでもいるのである。
ではなぜ空家のままなのか?最近空家になった家もある。原発事故があってから空家になったのもある。
もう10年以上とか空家になっいてる家も不思議である。
どういう事情なのかわからない、別に家自体は荒廃していない、時折来て掃除はしているみたいだ。
この辺の空家は避難区域の空家とは違う、ネズミに食いあらされるとかはない。
空家にしておくのは何か事情がありそうしている。
でも空家には今度は税金が課されるようになった。
空家のままにしておくと金がかかるから早く手放したいとなるしその利用をどうするか問題になっている。
空家でも壊すとなると金がかかるし簡単には壊せない
飯館村では千軒の家を壊したというから驚きである。
この辺では原発事故で最初家を壊すときその費用が出たから壊す家もあった。
原発事故避難区域ではいろいろと補償金がでるから飯館村に新しく家を建てた人もいる。でも息子や娘が帰ってこないと嘆いていたしこの新築の家もそうしたら無駄になるとか言っていた

原発避難区域は空家でもない、でも空家化している。もう五年もすぎたからこれからどうなるのかとなる。
飯館村で千軒も壊したということは新しく家を建てる人もいるがもう建てない人も出てくるだろ。
いつれにしろ五年もすぎたら帰ると帰らないとか悩んでいる時期ではなく、帰る人は帰る、帰らない人は帰らないだろう
いつまでもどっちつかずでははいられないだろう。
それは空家問題ともにている、土地と空家があれば権利があると思っていることなのだ。でも何かそこに人が住まない限り権利も喪失してゆくのではないか?
例えば地主が権利を失ったのは土地だけをもっていてもその土地に労働している人が価値あるという考え方になったからである。
また家を借りる人の権利が強くなったのも利用している人の方が価値があるという考え方である。
これは確かに言えるのである。空家が十年以上あるということそれに何の価値があるのかとなる、その所有者が財産として保持するのはいいが保持するにも今度は税金がかかる。だからなんのために空家にしておくというのがわからない
いつか帰るから売らないで空家にしておくというのもある。
それもまた何か原発避難区域の状態とにている
避難区域ではいつか帰るということはある、でもいつまでも帰るとか帰らないとか5年も過ぎて悩んでいる状態ではないだろう。
そんなことしていたらいつまでも宙ぶらりんになる
そんなにいつまでも補償金だって払えないのである。その不満が国民から大きくなる。
たから五年もすぎたら決断せざるをえなくなる。

その空家問題が避難区域の問題とにているのである。
ある人はもう帰らないから家はリホームしないというのは老人であり先が短いのに家を直したらまた金がかかるから直さないのである。
家を直している人は住む人である。浪江でも屋根の瓦を直しているいる人がいた。
浪江でも住む人がいるんだと思った。そこは街から近い場所にあった。
しかし圧倒的には空家であり地震で壊れたような所も直していない
自分にしても家が40年以上過ぎていたんでいるけど直すと金がかかるから直したくない
家を直すと金がかかりすぎるしあと住む人もいないとなると直して無駄だと思ってしまうのである。
空家問題にしろ限界集落問題にしろ何か原発避難区域ではそうしたことが極端なものとして現実化したのである。
限界集落では老人しかいなくなりもう村を維持できなくなり廃村化してゆく
そういう村が全国的に増大してくる

この辺は別に限界集落ではなかったがそれが原発事故で極端化して現実化したのである。
空家であっても所有者がいてその権利は保持している。
原発避難区域でも土地と家があるとその補償金は大きい、それが普通の空家とは違う。
だから避難しても土地と家の補償金が払われるから今では東電や国に対して補償金を要求するものとして町民や村民があるともなる
放射性物質の廃棄物の処理場として土地を貸せばそこから収入が入ってくるから他の土地に移り家を建ててもそれで暮らしていけるともなる
要するにもうそこに住まないとなると補償金であれなんらかの収入になればいいとなる
でももし住むとなれば放射性物質の処理場が近くにあるから嫌だとなり反対もする
現実は双葉辺りでは帰りたいという人はその処理場で土地を売る売らないでもめている。要するに空家でもただ空家として放置している人とまた本当に住むために空家にしているのとは相当に違っている
そこに住む人には権利が生まれが住まない人が権利を主張しえるのかということもある。だから別にもう住まないけど放射性物質の処理場として土地を貸して金が入ればいいという人と帰って住むという人ではもう対立するようになる
帰って住むという人は放射性物質の処理場があるのには反対するけど帰らない人は反対しないからである。

所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する(239条1)

これも利用するものの方が価値あるという考え方である。
所有者のないままに放置されたものは価値がない、利用する人のものになってしまう。
その方が社会にとってはいいからである。

地域内においては高齢化などにより管理労力が不足し、自己所有の土地資源の管理でさえ難しくなりつつある。
このように管理が行えない土地資源が増加することで、犯罪の増加や鳥獣被害
の発生といった周辺地域への影響だけでなく、土砂災害の危険性が増大するなど
下流域など広域的な影響も発生する。そのため、遊休土地資源の利活用を推進し、
適正な管理を実施しなければならない。

今回調査した 5 地域において、農地の多くが田となっており、その耕作者は 65
歳以上の高齢者が多い上、後継者について「いない」もしくは「決めていない」
人が多く、5〜10 年先の農地維持が懸念される。
http://www.mlit.go.jp/common/000054543.pdf

鳥取とか島根県では30パーセントくらいが不在地主とかになり土地も森林も利用されていない、するとそこは荒廃してゆき、そこだけの荒廃にとどまらず土砂災害とか何か近隣にも影響してくる
例えは飯館村の土地が売られているというときそこが何になるのか
前は産業廃棄物処理場となることで問題になった。
南相馬市の桜井市長は大甕の産業廃棄物の処理場問題で運動して市長になったことでもわかる。
今は放射性物質の廃棄物の問題が主なテーマとなっているのもにているのである。
飯館村でもそうして土地が売られるときそこが放射性物質の処理場になりやすいのであるその放射性物質は何らか雨がふったりすると土にしみこんで川を通じて流れてくる
その下流域である南相馬市とも関係しているのである。

そもそも土地というのが誰のものなのか?明治以降に私有権が与えられて土地が無数に細分化されて所有されるようになった。
だからその私有権を主張されると公共的な利益を追及できなくなったのである。
広島の土砂災害の地域も無数に山が分割されて私有されるようになっていた。
江戸時代は入会権で山は私有されていない、村のものであり共有されていたのである。
土地というのは実際は大地はつながっていて私有することに向いていない
田畑でも大地がつながっているのだからその土地を所有していても勝手にしにくいのである。だから農民には土地はみんなで管理して利用するという共同の心が生まれる
今でも連帯意識は農村であるのは土地が一区画として住宅地のように管理できないからである。
水だってそれは共有するものとして田ごとに流れてゆくからである。

だからこの辺で飯館村が南相馬市と合併するというとき反対したが飯館村は南相馬市と地域的に山で離れているようでも水が流れてくるから今になると地理的一体感がないとか思っていたがあった。
もともと相馬藩だというときそれは地理的な一体感として飯館村が山中郷としてあった。政治的に線引きされるものがもあるが相馬藩の場合、飯館村は地理的一体のものとしてあった。
今回の放射性物質の処理場問題でも地理的に一体だから飯館村の土地が勝手に自分のものだから売ってもいいのかとなったのである。
それは原発を建てる時でもそうだった。ある区画が所有しているから東電に売るのは勝手だとなったら回りが迷惑になる。
そして漁業権でもそれも海は漁師のものだとばかり言えなかったのである。
なぜなら原発事故では広範囲に被害があったからだ。
だからそもそも自然とは誰のものなのかとなるのだ。
自分の住んでいる前が海でありその家の延長の海が自分のものだと主張する権利があるというのも極端である。
そんな権利があるものかともなるが私有権が拡大して強化されてそうなってしまった。
私的所有権が明治以降拡大強化されてきたとき公共的なもの土地はそうであるがみんなで所有している感覚がなくなった。
だから一区画を私有していれば自分のものだとなりどうしようが勝手だとなる。
それが様々なも問題を引き起こしていることも確かなのである。



タグ:空家
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2015年10月05日

新たな文明が模索される時代 (ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)


新たな文明が模索される時代


(ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)

 




こいつがごますりだと言えるものがあるか?
一人がごますたならみんなそうだ
運命の段階はすべて、その下の段階によって
ごますられるのだ
学のある頭は金のある阿呆にペコペコする
すべてゆがんでいる
この呪われた世界にまっすぐなものはなに一つない
あるとすれば単刀直入の悪だけだ
これだけの金があれば黒を白に、醜を美に、邪を正に、卑賤を高貴に
老いを若きに、臆病に勇気に変えることもできよう
(アテネのタイモンーシェークスピア)


ドラマとかの弁護士像が綺麗過ぎるんだよな
実際の弁護士は殆ど法律ヤクザでしかないのにね

一昔前は、医療ミスとか言ってマスコミとか弁護士とかにも攻撃されたけど、
 医療ミスの場合はあくまでもミスであってわざと患者を殺そうとする医者
はいないだろう。でも弁護士の場合は故意の犯罪行為だ。
 職業上の倫理感では、弁護士の方が悪質だろ。
外科医もサイコパスが多い職業
メディア関係もサイコパスが多い職業

いるんだよこれが
医療ミス隠蔽のために殺す医者とか、気に入らない患者を殺そうとする医者が
多摩永山の医者が医療トラブルになってた俺の親父を殺そうとしてたらしく、部屋から医者か出た後に看護婦が飛び込んできたと思ったら、慌てて点滴止めて「殺されるかる逃げなさい」って
 そのまま点滴されてら医療ミスって形で死んでたとさ

せめて弁護士とか医者とか司法書士にかかわらない様な人生を送りたい

弁護士なんて半分は詐欺師かそれに近い存在。
ハシシタがいい例

弁護士なら横領着服しないって思い込みすぎだな
 チェック機能が働かなきゃどこにでも犯罪者がいる

 弁護士は前科者に優しい職業だから仕方ないだろ
元殺人犯とか元ヤクザとか普通にいる業界だぞ

日本の司法は中世未満
★★★法的問題の正解は「素朴な反論・再反論」の中にしか存在しない★★★

1)アメリカ・ドイツのように(特に国・大企業相手の)民事裁判にこそ国民参加制度を導入。
 2)アメリカ・ドイツのように「屁理屈パズルに過ぎない司法試験(←実務的資質と無関係)」
を欧米並みに無価値化する。
 3)アメリカ・ドイツのように裁判官の人事を民主化する(人事への国民の直接参加)

日本の司法は国や大企業の出先機関に過ぎないから、正義の通用する場でない。
 (日本のように、裁判官人事に国民が全く関与できない国はそうなって当然。)
 日本では最高裁事務総局(司法官僚)が影で裁判官人事を掌握し、
 権力者に都合良く司法がコントロールされている。
 日本人が多く誤解しているが、法的問題を正しく考える際に法知識は一切不要。
 

 
 なぜ人間はすべてがブラックになるのか?弁護士など正義を一番重んじる職業と思えるが現実は利権とかかわるから何かそこでブラックなのものになる。
遺産相続とかでもそこで大きな金とかかわるからそこで仲介するにしても何かブラックになる。悪く言えば弁護士も示談屋のようなものでそこで分け前を得るとかとなる職業である。
だからその職業自体がそうさせるともなる。
つまり弁護士はこつこつ働いて金をためるのとは違う、利権にかかわり一攫千金を得る職業だともなる、そこに何かモラルを頽廃させるものがある。
認知症とかの老人の後見人になった弁護士がその遺産を自分のものにして風俗で遊んでいたというのもそうである。
確かに月に二万くらいもらっていては少なすぎるというのはある。
だから馬鹿らしいとなる。そしてそうした利権にかかわるものは誘惑が多い
庶民だとなかなかそうした大きな利権にかかわることができない
それは大きな利権にかかわるものは誘惑が大きいからそこでその誘惑に負けてブラック化する

そもそもなぜこの世がすべてブラック化するのか?
宗教などというと一番正義とか愛を重んじるものだがカルト宗教団体になるとこの正反対である。
結局人間の欲望の方がまさるから厳しい宗教のモラルなど実践できない、だから露骨にかえってこの世の欲望を実現することになる
ただその宗教と正反対になっているからカルト宗教団体は一番ブラックなのである。
もちろんカルトとなるとまさにカルトであり誤謬の結果としてそうなっているからいい人が多いとか言われる
そこにはどろどろとした人間の欲望がありそのためにブラック化する
共産主義でも結局はなぜあんな悲惨な状態になったのか、それもこの世に理想社会を実現するということがかえってあれだけの犠牲を強いた。
皮肉なことは中国でも極一部の幹部が巨万の富を貯える結果となった。
つまりそうしたイデオロギーの理想の実現も人間の欲望には勝てないから一部の幹部は権力を我が物にするとその欲望を実現しよとするだけであった。

そういうこととを確かに「心の青雲」では指摘しているから同調する、左翼が信じられないというときそういうことが歴史的に証明されているからである。
司法でも権力側につくから原発でも最初から裁判ではとりあげないし今でも東電の幹部は罰せられることがないのである。
つまり司法でも官僚であり検察でも警察でも権力側につくように組織的に機構的になっていてそこで得をする仕組みが作られているのである。
公務員もそうであり自分の家でも公務員の家族がいたから得していたのである。
公務員は何か得する仕組みがあるからそうなる。
だから公務員もブラックだとなる、ただこの世でブラックでないものがあるのかとなる

医者でも看護師でもブラック化する、医者が無駄な薬を患者に投与するのはわかっていても金のためであり看護師でも天使となるのものが悪魔となる。
医者が何百人殺したとか看護師でも何百人殺したという事件があった。
そういう大きな犯罪ができるのも病院であり病院は怖いと思った。
そこで患者は弱者になり抵抗できないから怖いのである。
つまり抵抗できないことをいいことに権力をふるえる場所だから恐怖になる。
そういうブラックなことをネットでは絶えず言われている。
人間は権力をもつとモラルが麻痺してくる。
それは普通の人でも大きな金が入ると金銭感覚が麻痺する
何か自分が偉くなったような気分になり浪費してしまう。
現代はなにかにを言っても金がものいう時代だからである。
だから資本主義は金によってグローバルに支配する機構だとなる

「シリアにロスチャイルド中央銀行がない。シリアにIMFに借金がない

それでシリアの謎はそのアメリカ中心のグーバルな資本主義の機構に組み入れられないから不満であり民主化を欧米がしかけてロシアと結ぶアサド政権を倒そうとした。
世界機構としての銀行をもっていないということが不思議なのである。
銀行もまたブラックなのである。そもそも銀行の成り立ちとか紙幣の成り立ちが人をだますような搾取するようなものとして作られた。
つまり銀行は紙幣をいくらでも作れるということなのだ。なぜなら国でもそうだが紙幣は紙にすぎないからコストがかからないのである。いくらでも刷ることができるからでてある。
その紙にそもそも価値があるわけではないのだ。
価値があるのは別なのものである。それは重に土地とか物産とか技術とかいろいろあり紙自体には価値がないのである。
だから銀行を通じて紙幣をいくらでもすり貸してその土地とか物産とか技術とか現実に価値あるものを取り上げるのが銀行だとか言われる
銀行も消費者金融に金を貸し付けてもうけていたのである。
シリアではそうして銀行を通じて金を通じて支配できないからアメリカなどが不満であり民主化をよそおいアサド政権を倒そうとした。
なぜならシリアでは実際にたずねた日本人が人間が素朴でいいと何度も言っていたからである。
江戸時代のようにな状態にあったのか、その国はそれで平和だったのである。

そういう資本主義の価値観ではない価値観でいきる国でも社会でもそれは独裁だからと幸不幸は計れないからである。
戦後日本の失敗はアメリカの価値観に支配されてしまったことである。
アメリカがいい面があっても悪い面がありその悪い面も日本を汚染したのである。
民主主義にしてもそうである。ただ自由に自分の利己的権利追及するだけになった。
何か社会から共同性が喪失した。それは明治維新からはじまっていたのである。
私有権が認められこれがかえって共同性を喪失させるものになった。
土地というのものは大地はつながっていて分離できない、だから大地は結合しているから私有権を認めると共同性が喪失する
そもそも国でも国境で線引きできない、陸地でも空でも海でも実際に区切ることはできない、地球はすべて結合してできているからである。
だからあれだけ大きい中国でも国を否定する思想が生まれたのはそのためである。

グローバル資本主義というのがすでに限界にきていて世界的にも問題を起こす。
シリアの問題がそれと関係ないようでも関係していた。
欧米が善でもないしイスラム国がすべて悪でもないしロシアが悪でもない、何が善なのか悪なのかもわからなくなっているのだ。
それが今のシリア難民などの混沌を生み出している。
民主主義がすべての国にとっていいものでもない、欧米的なものがすべていいわけではない、その国々でつちかった価値観がありそれを否定することはできない
それを無理やり欧米では押し通すから混乱が起きて世界的な問題となる
その最大の動因が利権にかかわってそうなる。欧米の利権がありロシアの利権がありが他国に介入して混乱させて内部分裂して終始がつかなくなっている。

グローバル資本主義は欧米の価値観は見直す時期にきている。
それはキリスト教だからとかは関係ないのである。
キリスト教でも別に日本的なものとして受け入れればまた違った価値観の社会となる
仏教でもインドの仏教と中国の仏教と韓国の仏教と日本の仏教は違ったものとして受け入れたのである。
それはその仏像とか建築とかに現れている。中国の仏像と韓国の仏像と日本の仏像は違うのである。その国によって受け入れ方が違ったからそうなった。
だからキリスト教が諸悪の根源だとなるのは一方的見方なのである。
本当は日本は新しい文明を創造する使命を明治維新からになっていた。
東洋と西洋の架け橋的存在でありそれを内村鑑三などは主張していた。
西洋と東洋の融合した文明を作るのが日本の使命だというのは明治時代だったら江戸時代の国風文化が色濃く残る時代だから意識されたのである。
それが富国強兵とかの方向にかたよりすぎたのである。
そして敗戦になりアメリカの価値観を一方的におしつけられ消化できないままに今日のモラルの荒廃になった。

日本は日本的な新しい文明をルネサンスを起こすということを目指さねばならない
何か文明というと大きなもので関係ないように見えるがそれは地方でもありうる
一つの世界観とか価値観を作り上げることなのである。
それは自然と密接に結びついて成るからかえって東京のような大都会には起こらない
自分は石とか樹とか山とかとアイディンティティ化して一つの世界観価値観を作ることに個人的に芸術などで創作してきたのである。それは富国強兵の権力的支配の世界とは違うものである。
いづれにしろグローバル資本主義であり様々な組織機構であれ新たに刷新する時代が戦後70年で生じた、そういうときに天変地異が起こり易姓革命が起きるのである。


 
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新たな文明が模索される時代 (ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)


新たな文明が模索される時代

(ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)



こいつがごますりだと言えるものがあるか?
一人がごますたならみんなそうだ
運命の段階はすべて、その下の段階によって
ごますられるのだ
学のある頭は金のある阿呆にペコペコする
すべてゆがんでいる
この呪われた世界にまっすぐなものはなに一つない
あるとすれば単刀直入の悪だけだ
これだけの金があれば黒を白に、醜を美に、邪を正に、卑賤を高貴に
老いを若きに、臆病に勇気に変えることもできよう
(アテネのタイモンーシェークスピア)


ドラマとかの弁護士像が綺麗過ぎるんだよな
実際の弁護士は殆ど法律ヤクザでしかないのにね

一昔前は、医療ミスとか言ってマスコミとか弁護士とかにも攻撃されたけど、
医療ミスの場合はあくまでもミスであってわざと患者を殺そうとする医者
はいないだろう。でも弁護士の場合は故意の犯罪行為だ。
職業上の倫理感では、弁護士の方が悪質だろ。
外科医もサイコパスが多い職業
メディア関係もサイコパスが多い職業

いるんだよこれが
医療ミス隠蔽のために殺す医者とか、気に入らない患者を殺そうとする医者が
多摩永山の医者が医療トラブルになってた俺の親父を殺そうとしてたらしく、部屋から医者か出た後に看護婦が飛び込んできたと思ったら、慌てて点滴止めて「殺されるかる逃げなさい」って
そのまま点滴されてら医療ミスって形で死んでたとさ

せめて弁護士とか医者とか司法書士にかかわらない様な人生を送りたい

弁護士なんて半分は詐欺師かそれに近い存在。
ハシシタがいい例

弁護士なら横領着服しないって思い込みすぎだな
チェック機能が働かなきゃどこにでも犯罪者がいる

弁護士は前科者に優しい職業だから仕方ないだろ
元殺人犯とか元ヤクザとか普通にいる業界だぞ

日本の司法は中世未満
★★★法的問題の正解は「素朴な反論・再反論」の中にしか存在しない★★★

1)アメリカ・ドイツのように(特に国・大企業相手の)民事裁判にこそ国民参加制度を導入。
2)アメリカ・ドイツのように「屁理屈パズルに過ぎない司法試験(←実務的資質と無関係)」
を欧米並みに無価値化する。
3)アメリカ・ドイツのように裁判官の人事を民主化する(人事への国民の直接参加)

日本の司法は国や大企業の出先機関に過ぎないから、正義の通用する場でない。
(日本のように、裁判官人事に国民が全く関与できない国はそうなって当然。)
日本では最高裁事務総局(司法官僚)が影で裁判官人事を掌握し、
権力者に都合良く司法がコントロールされている。
日本人が多く誤解しているが、法的問題を正しく考える際に法知識は一切不要。



なぜ人間はすべてがブラックになるのか?弁護士など正義を一番重んじる職業と思えるが現実は利権とかかわるから何かそこでブラックなのものになる。
遺産相続とかでもそこで大きな金とかかわるからそこで仲介するにしても何かブラックになる。悪く言えば弁護士も示談屋のようなものでそこで分け前を得るとかとなる職業である。
だからその職業自体がそうさせるともなる。
つまり弁護士はこつこつ働いて金をためるのとは違う、利権にかかわり一攫千金を得る職業だともなる、そこに何かモラルを頽廃させるものがある。
認知症とかの老人の後見人になった弁護士がその遺産を自分のものにして風俗で遊んでいたというのもそうである。
確かに月に二万くらいもらっていては少なすぎるというのはある。
だから馬鹿らしいとなる。そしてそうした利権にかかわるものは誘惑が多い
庶民だとなかなかそうした大きな利権にかかわることができない
それは大きな利権にかかわるものは誘惑が大きいからそこでその誘惑に負けてブラック化する

そもそもなぜこの世がすべてブラック化するのか?
宗教などというと一番正義とか愛を重んじるものだがカルト宗教団体になるとこの正反対である。
結局人間の欲望の方がまさるから厳しい宗教のモラルなど実践できない、だから露骨にかえってこの世の欲望を実現することになる
ただその宗教と正反対になっているからカルト宗教団体は一番ブラックなのである。
もちろんカルトとなるとまさにカルトであり誤謬の結果としてそうなっているからいい人が多いとか言われる
そこにはどろどろとした人間の欲望がありそのためにブラック化する
共産主義でも結局はなぜあんな悲惨な状態になったのか、それもこの世に理想社会を実現するということがかえってあれだけの犠牲を強いた。
皮肉なことは中国でも極一部の幹部が巨万の富を貯える結果となった。
つまりそうしたイデオロギーの理想の実現も人間の欲望には勝てないから一部の幹部は権力を我が物にするとその欲望を実現しよとするだけであった。

そういうこととを確かに「心の青雲」では指摘しているから同調する、左翼が信じられないというときそういうことが歴史的に証明されているからである。
司法でも権力側につくから原発でも最初から裁判ではとりあげないし今でも東電の幹部は罰せられることがないのである。
つまり司法でも官僚であり検察でも警察でも権力側につくように組織的に機構的になっていてそこで得をする仕組みが作られているのである。
公務員もそうであり自分の家でも公務員の家族がいたから得していたのである。
公務員は何か得する仕組みがあるからそうなる。
だから公務員もブラックだとなる、ただこの世でブラックでないものがあるのかとなる

医者でも看護師でもブラック化する、医者が無駄な薬を患者に投与するのはわかっていても金のためであり看護師でも天使となるのものが悪魔となる。
医者が何百人殺したとか看護師でも何百人殺したという事件があった。
そういう大きな犯罪ができるのも病院であり病院は怖いと思った。
そこで患者は弱者になり抵抗できないから怖いのである。
つまり抵抗できないことをいいことに権力をふるえる場所だから恐怖になる。
そういうブラックなことをネットでは絶えず言われている。
人間は権力をもつとモラルが麻痺してくる。
それは普通の人でも大きな金が入ると金銭感覚が麻痺する
何か自分が偉くなったような気分になり浪費してしまう。
現代はなにかにを言っても金がものいう時代だからである。
だから資本主義は金によってグローバルに支配する機構だとなる

「シリアにロスチャイルド中央銀行がない。シリアにIMFに借金がない

それでシリアの謎はそのアメリカ中心のグーバルな資本主義の機構に組み入れられないから不満であり民主化を欧米がしかけてロシアと結ぶアサド政権を倒そうとした。
世界機構としての銀行をもっていないということが不思議なのである。
銀行もまたブラックなのである。そもそも銀行の成り立ちとか紙幣の成り立ちが人をだますような搾取するようなものとして作られた。
つまり銀行は紙幣をいくらでも作れるということなのだ。なぜなら国でもそうだが紙幣は紙にすぎないからコストがかからないのである。いくらでも刷ることができるからでてある。
その紙にそもそも価値があるわけではないのだ。
価値があるのは別なのものである。それは重に土地とか物産とか技術とかいろいろあり紙自体には価値がないのである。
だから銀行を通じて紙幣をいくらでもすり貸してその土地とか物産とか技術とか現実に価値あるものを取り上げるのが銀行だとか言われる
銀行も消費者金融に金を貸し付けてもうけていたのである。
シリアではそうして銀行を通じて金を通じて支配できないからアメリカなどが不満であり民主化をよそおいアサド政権を倒そうとした。
なぜならシリアでは実際にたずねた日本人が人間が素朴でいいと何度も言っていたからである。
江戸時代のようにな状態にあったのか、その国はそれで平和だったのである。

そういう資本主義の価値観ではない価値観でいきる国でも社会でもそれは独裁だからと幸不幸は計れないからである。
戦後日本の失敗はアメリカの価値観に支配されてしまったことである。
アメリカがいい面があっても悪い面がありその悪い面も日本を汚染したのである。
民主主義にしてもそうである。ただ自由に自分の利己的権利追及するだけになった。
何か社会から共同性が喪失した。それは明治維新からはじまっていたのである。
私有権が認められこれがかえって共同性を喪失させるものになった。
土地というのものは大地はつながっていて分離できない、だから大地は結合しているから私有権を認めると共同性が喪失する
そもそも国でも国境で線引きできない、陸地でも空でも海でも実際に区切ることはできない、地球はすべて結合してできているからである。
だからあれだけ大きい中国でも国を否定する思想が生まれたのはそのためである。

グローバル資本主義というのがすでに限界にきていて世界的にも問題を起こす。
シリアの問題がそれと関係ないようでも関係していた。
欧米が善でもないしイスラム国がすべて悪でもないしロシアが悪でもない、何が善なのか悪なのかもわからなくなっているのだ。
それが今のシリア難民などの混沌を生み出している。
民主主義がすべての国にとっていいものでもない、欧米的なものがすべていいわけではない、その国々でつちかった価値観がありそれを否定することはできない
それを無理やり欧米では押し通すから混乱が起きて世界的な問題となる
その最大の動因が利権にかかわってそうなる。欧米の利権がありロシアの利権がありが他国に介入して混乱させて内部分裂して終始がつかなくなっている。

グローバル資本主義は欧米の価値観は見直す時期にきている。
それはキリスト教だからとかは関係ないのである。
キリスト教でも別に日本的なものとして受け入れればまた違った価値観の社会となる
仏教でもインドの仏教と中国の仏教と韓国の仏教と日本の仏教は違ったものとして受け入れたのである。
それはその仏像とか建築とかに現れている。中国の仏像と韓国の仏像と日本の仏像は違うのである。その国によって受け入れ方が違ったからそうなった。
だからキリスト教が諸悪の根源だとなるのは一方的見方なのである。
本当は日本は新しい文明を創造する使命を明治維新からになっていた。
東洋と西洋の架け橋的存在でありそれを内村鑑三などは主張していた。
西洋と東洋の融合した文明を作るのが日本の使命だというのは明治時代だったら江戸時代の国風文化が色濃く残る時代だから意識されたのである。
それが富国強兵とかの方向にかたよりすぎたのである。
そして敗戦になりアメリカの価値観を一方的におしつけられ消化できないままに今日のモラルの荒廃になった。

日本は日本的な新しい文明をルネサンスを起こすということを目指さねばならない
何か文明というと大きなもので関係ないように見えるがそれは地方でもありうる
一つの世界観とか価値観を作り上げることなのである。
それは自然と密接に結びついて成るからかえって東京のような大都会には起こらない
自分は石とか樹とか山とかとアイディンティティ化して一つの世界観価値観を作ることに個人的に芸術などで創作してきたのである。それは富国強兵の権力的支配の世界とは違うものである。
いづれにしろグローバル資本主義であり様々な組織機構であれ新たに刷新する時代が戦後70年で生じた、そういうときに天変地異が起こり易姓革命が起きるのである。


posted by 老鶯 at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

新築の家の秋の薔薇 (やはり人間は家に住み庭があると落ち着く)



新築の家の秋の薔薇


(やはり人間は家に住み庭があると落ち着く)

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しとやかに秋の蝶舞い去りにけり


新築の家に落ち着く秋の薔薇二輪静か午後の日のさしぬ


この道を今日も行くかな鶏頭に夕日のさしぬ十数本見ゆ



この辺で増えたの新築の家である。大東建託のアパートが十棟以上建った、これも多いなと思う、新築の家にしてもこれも何百軒建ったのかわからない
この家も最近建ってやっと庭も作ったのである。
そこに秋の薔薇が咲き午後の日がさして落ち着いた感じになった。
ここは一倍いい場所であり日当たりもいいし見晴らしもいいのである。
自分の家ではこんなふうに日はささない、何か路地の奥のようになっているから暗い感じになるのだ。
家はやはり立地がいいところを選べべきだとなるがそれもみんながかなうわけではない
あそこの土地は三倍くらいに高くなったかもしさないからだ。
でもなんか家が建って人が住んで庭も整備されて落ち着いたなとつくづく見た。
この辺は地震津波原発事故以来常に落ち着かない状態がつづいているし今もそうである。仮設はまだ変わらずにあるしプレハブの宿泊所はさらに増えている。
何かこうしたものは仮りのものであり落ち着かないのである。


自分の一身上でも今日は落ち着かずかけずり回った。
母が腰をぶってからポータブルトイレにゆくのがやっとになった。
厚寿苑でそのぶった原因がわかった。
一週間いるうちにポータブルトイレにつまづいたらしい
というのは夜間は人手不足でポータブルトイレをベッドの脇に設置していなかったのである。
それでトイレに行きたいと夜に行ったら騒いでいたのである。
トイレに頻繁に行くようになったから困った。便秘なので灌腸をしたり点滴もした


ともかく介護施設も人手不足でありそれで一人一人に手が回らない
そのことが腰をぶった原因になっていたのである。
すでに自分は姉と母の介護で十年にもなるから長いなとつくづく思った。
その介護であれ地震津波であれ原発事故であれ自分の病気であれこの十年近くは生活が追われつづけたのである。
だから落ち着かない状態というのは震災前からでありその後もさらに落ち着かない状態になっていた。

やはり人間は一軒の家に住むと何か落ち着いたなと感じる。
仮設とかプレハブとかには落ち着いた人間の生活は感じられない
やはり一軒の家に住み庭があり花が咲いているというときつくづく落ち着いた生活になったなと感じる。
庭も何か落ち着きを与えるものだった。日本では塀で囲まないから花など外から見れる所はいい、都会では塀で囲んでいるから何かものものしいとなり嫌だともなる


ともかく朝晩は寒くなり秋らしくなってゆく、それで明日は常磐高速道路で原町から大野までバスになり行ってみよう
ここは双葉などが通るから一度通ってみたいからだ
ただ日帰りになるだろう。そんなに回れない、なんか母のことが気になる
こういうことも何か落ち着きをなくしているのである。


タグ:秋の薔薇

2015年10月07日

ゴーストタウン化していた原発避難区域 (小高,浪江、双葉、富岡、楢葉)


ゴーストタウン化していた原発避難区域


 
(小高,浪江、双葉、富岡、楢葉)

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放射線量は双葉で急に7にあがったのは驚き

すぐに2に下がった、一様に放射線量はならない

大熊も7だから高い

富岡には2から1とばらついている

楢葉もそうである。

竜田辺りになると0,2くらいで原町と同じ

20キロ圏内である

竜田辺りは楢葉であり20キロ圏外となり30キロ圏外はイワキになく

20キロ-30キロは原町になるがこの辺は補償金はどうなっているのか?

この辺は人家は少ないからそれなりに払われているのか

人家が多いと払いきれなくなる

原町はだから相当な額になった

30キロ圏内で原町は補償金が多かったのである。


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竜田駅前の壊される家


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金木犀が匂っている、こここで線路は閉ざされる


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ここでおりる人数は多い

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水戸への八両の電車



小高から浪江まではバスで放射線量を計って0.2とは低い、双葉に入ると7に上がったことに驚く、でもまた下がって2とかになっていた。双葉でも一地域が高くなっている
大熊でも7、8近くあったからさすがに高い、富岡でも1から2とあり高い
今は⒈でも2でも高いとされる、だから7とかでるととても住めないとなる

竜田駅では0.2とか低くなり小高と同じであり20キロ圏内である。ここは楢葉ではあり距離的に小高の20キロ圏内と同じである。
楢葉では帰るとか町長がテレビに出ているから楢葉はみんな帰る支度をしているのかと思った。
でも竜田駅前で二軒家がリホームしている修理しているのかと思ったらあれは壊すために足場を組んでいたのである。
老婆が一人私はここに住んでいたんですよと言って説明してくれた。
そこは更地になっていたからこの女性の家も壊して更地にした。
駅前でもそうだから楢葉の人は小高と同じく帰るのは老人だけだと言っていたから事情は同じである。

ただ小高は原町に近いから多少有利であり地の利がある。
浪江とか双葉とか富岡でもイワキには遠い、だからもともと不便な地帯だった。
双葉でヒにゅう科などないから南相馬市立病院に来ていた。
浪江の人も車で通っていた。30分片道かかると言っていた。
そして双葉の人が南相馬市立病院に付き添った妻がバスで避難する所をテレビで見た
もともと原発事故が起きた所は不便な地帯だったのである。

今回六号線を竜田まで通って感じたことは避難区域がゴーストタウン化していたことである。
確かに家があっても人は住んでいない、人の気配がない、あるのは除染作業員がいるだけである。
家には人は住んでいないのである。あとは草茫々になっている。
この光景は映画のようだと前も見ていたがそれが現実なのである。
ゴーストタウン地帯になってしまった。
だからこの光景を見たとき帰るのをあきらめたというとき5年も過ぎようとしているとき何かもうあきらめさせる光景なのである。
それはいろいろいっても現実がそうさせるのである。そういう現実になってしまった。

そして未来はまさにまた原子力は未来であると双葉町がであったように原発事故後も復興というとき原発に頼っているのである。
廃炉作業とか放射能研究所とか処理場とか原発関係の仕事で復興させようとしている矛盾がある。
田畑はもうあきらめる、そうした原発関係の仕事で復古させる他ないという矛盾である。それは漁業関係者でもそうなのである。
津波で壊滅的被害を受けたが原発補償金で津波で喪失した船も買って港は復興している。津波の前も後も漁業関係者は原発に補償されているからあれだけの津波の被害から立ち直っているという矛盾がある
それだけこの辺では原発が大きな力をもっていた。それが事故後でもそうなのである。
この辺は原発なしで経済が成り立たなくなっていたのである。
田畑があってもそれはもともととても今の生活を満たすものとはならない
その田畑が原野となったのを見たとき、田畑の存在感が前から喪失していて原発頼りの経済となっていたことを実感する
だから復興というとき原発がらみの復興であり原発から逃れられないのである。
他に何か方法もないのである。

確かに楢葉まで20キロ圏内であり小高までもそうである。でも原町になると20キロを越えているし鹿島になると30キロを越えている。
距離からすると鹿島は補償区域に入らないということは確かである。
ただ双葉、大熊、富岡、楢葉とかは人口が少ない、浪江は二万で一番多かった。
南相馬市だと7万人いたから多い、5万は原町だった。20キロ圏外でも補償金はかなりもらっていた。
イワキは30キロ圏外であり何ももらっていないのである。
ただイワキの方が風向きの関係で放射線量が低かったこともある。

いづれにしろ楢葉町の竜田駅前で二軒の家が壊されているし飯館村でも千軒の家が援助されて壊されている。そうした壊した後に新しい家が建つのか?
そこは更地になり誰も住まないのでないか?老人だけが住み若い人は帰ってこないからそうしたら後があいのだから原野化してゆく
人と家の関係を考えると不思議なのだけど家は人があって活きてくる。
家だけがあって人が住んでいなければ家も死ぬ、故郷でも人が住まないとしたらそこはゴーストタウン化してゆく
そして一人の老婆が昔をなつかしんでまさに幽霊のようにたずねて帰ってゆく
だからまるで映画のようだというときそれが現実なのである。
こういう状態を見たとき帰る気がなくなたというのがわかる
何か帰る気力も復興する気力を喪失してしまう光景なのである。

ただ老人でも帰り家に住んでいれば猫と一緒にでも犬でも一緒に住んでいれば生きているうちは家でも故郷でも多少は活きた状態になるがやがて老人は死ぬしさびれて原野に戻ってしまう。
それは限界集落とにているのである。
幽霊のように人がゴーストタウンにたずねてきて幽霊が彷徨う村になってしまうのであるもう5年もすぎると余計にそうなってしまったのである。

我が家に待つ人なしも我が帰り家にし住めば家は活きるも

自分の家に帰っても待つ人がいなくても自分一人でも住めば家は活きる、誰も住まなくなれば家も死んでゆくのである。
だから人の住まない家とか人の住まない故郷とか町と村は何なのかとなるときそこはゴーストタウンであり幽霊が住む町や村になってしまうのである。
それが架空の映画だったらいいがここは現実なのである。


鉄路も草に埋もれ常磐線は途切れる
竜田駅に金木犀の匂い放つも
鉄路は閉ざされて通ぜじ
ただ草茫々として秋風の吹く


posted by 老鶯 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市の議員が30キロ圏外では補償金はもらっていないは嘘か? (久之浜は30キロの境目であり百万もらっていたとなると:::::)


南相馬市の議員が30キロ圏外では補償金はもらっていないは嘘か?


(久之浜は30キロの境目であり百万もらっていたとなると:::::)

131102_0500001[1].jpg

ここでは安易に脱原発なんて言えない」という。
なぜなら原発で生計を立てている人もいるからだ。
しかもいわき市の中でも久之浜地区だけは、
原発に近いということで、
1世帯あたり100万円前後の原発の賠償金がもらえているという
http://kasakoblog.exblog.jp/16324132/

久之浜は双葉郡ではない、久之浜は原発から30キロ地点である。
それは南相馬市の鹿島区と同じ位置でありやはり補償金百万くらいもらったという。
ということは南相馬市の議員が言っていた鹿島区は30キロ圏内外だから
補償金は出ないけど特別に南相馬市の役人がちけ中央の官庁に勤めていて予算を出してくれたのですと聞いたがこれも本当だったのだろうか?
なぜならこれは情報としては正確ではないが百万円を久之浜でもらったとかなれば
それは鹿島区と同じである。鹿島区も30キロ圏内の境界線にあるからだ。
何が本当なのかいろいろ情報あってもわからなくなる
議員が言うとうなると信憑性が出てくる。
でもネットだと信憑性が低い、噂話とかなる場合がある。
裏をとれないということがある。
でもこの噂とか裏話とかも意外と隠された真実がひそんでいる。
つまり情報は権力によって操作されるからである。
そうした原発の「安全神話」は権力によって作られたのである。
そもそも神話となると権力などで作れない、神話は別に権力が作ったものではない、
事実がありそれが基で神話になった。
安全神話は権力によって故意に作られたのである。

いづれにしろ議員が言ったことは南相馬市鹿島区の不満をやわらげるために言ったともとれる。鹿島区の不満が大きいからである。
20キロから30キロ圏内の原町区が鹿島区の3倍も補償金をもらうということが納得がいかないのである。
原町区と鹿島区の被害の差はほとんどない、住民も半分は避難したし放射線量もさほど変わらないのである。
久之浜は双葉郡内に入っていないというのは不利でもやはり百万は支給されたとなれば30キロ圏外でももらっていたとなる。
鹿島区は南相馬市内だから補償金がもっと支払われ当然だともなる
だから何か鹿島区は補償金はもらえない地域だけと特別支払われるようにしたのですよという議員が言うのはこの話を聞けば納得いかないものとなった。
ただこの真偽については確かめることはできない

30キロ圏外のイワキはもらっていないからこれまた相当な不満だろう。
原発は補償金を考えるなら事故があったら莫大な金になる。
すると人家が少ない所に建てれば補償金が少なくてすむ
もし大都会か近くにあったらもう補償すらできなくなる。
東京に原発が建って事故になったら補償などできない
国自体がつぶれてしまうからである。
結局いろんな情報が錯綜しているのが震災以後のこの辺である。
そもそも放射能の影響自体がとても専門家でもわからないのだから素人には皆目わからない、どう対処していいかもわからない、だから憶測が飛び交うのである。
科学者自体も正確な情報を出していないし見解がまちまちなのだから余計にそうなる

白河に行ったらここも原発事故の影響があったことに驚く、除染もして終わったという。こんなところまで除染していたのかと驚く、風の関係で郡山も白河も汚染されたのである郡山でも福島市でも除染するとなると確かに一兆円がかかることが具体的にイメージできる。それほど広範囲な被害が原発事故ではあった。
地震の被害も白河にはあり土砂崩れで10何人か死んでいることに驚いた。
小峰城の石垣も総崩れになったところがあった。
本当にこの震災は被害が広範囲だということを実感した。
津波の被害でもその範囲は広いことに驚く、岩手県から茨城県まであり放射の被害の範囲も栃木県でもあり広範囲なのである。

津波原発事故から五年過ぎても復興は以前として遠い道のりである。原発避難区域は復興は絶望的でもある。
そして追い打ちをかけたのがTPPが合意されて農家が大きな打撃を受ける
その前から農家も跡継ぎがないとか農業をやる人がいなくなっていた。
何でも農家の人が7町の田んぼもっていたが親から農業をやるなと息子だった人は親にたたかれたというから驚く、それほど農業をやることは絶望的だったのである。
農業といっても兼業農家が多く土地だけをもっているだけの人も多い
そういう人は駆逐されるようになるかもしれない。
減反政策も補助金も打ち切られるから厳しい選択が迫られる
この辺が事故後も原発に頼っていいるように農業はその前から見捨てられていたのであるそれが現実化したと原発頼りなことがこの辺の経済では鮮明化した
久之浜でも原発で働いていた人が多く影響が大きかったとか川内村でも三分の一が原発で働いていたのである。
どうして川内村が成り立っているのだろとう思ったときこういうことがあったのである。飯館村は遠いから原発とはあまり関係していなかったから災難だったとなる
久之浜はやはり原発から30キロ圏でも近いとなる。

 (市会議員から聞いた、鹿島は30キロ圏外で補償金もらないがもらえるようにした)
http://musubu2.sblo.jp/article/164585383.html
タグ:久の浜
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2015年10月08日

みちのくの要所ー白河の歴史の要約


みちのくの要所ー白河の歴史の要約

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白河の関が機能していた古代には白河郡の政庁である白河郡衙は現在の白河市中心部より9キロほど
東方の西白河郡泉崎村関和久(せきわく)に置かれており、現在の白河市街地域が発展するのは鎌倉時代以降、結城氏が支配するようになってからのことである。

白河藩が設立されたのは徳川秀忠の時代、1627年のことで、石高は十万石、初代藩主は隣の棚倉藩から移封となった丹羽重家だが、まもなく重家は幕府から小峰城の大規模な改修と町割り整備を命じられる。これは幕藩体制の確立にあたり、白河藩を奥州の外様大名に対する戦略拠点とするのが目的だったと思
われる。
この城郭の改修事業は1629年から4年がかりで完成。現在のJR白河駅の南側まで含む約60万uの大規模な城郭が完成した。
ところで、その丹羽重家自身も外様大名であるうえ、関ヶ原では西軍とみなされて一度は領地を没収され、後に許されて棚倉五万石を与えられた経緯を持っている。そのような経歴の重家が、奥州の要衝である
白河藩主に抜擢されるのは不思議な気もするが、それは丹羽氏が築城技術に長けていたからだと云われている。もともと丹羽家は織田信長の家老挌の重臣で、重家の父長秀は安土城築城の普請を担当して力量を発揮し、家臣の中にも優秀な土木・建築技術を持つ者が多かったことを買われたようだ。
小峰城築城の大事業を果たした丹羽氏は次の光重の代にまたもや二本松へ移封となり、親子二代の間に棚倉・白河・二本松と三度もの築城を行わなくてはならなかったが、その労苦が報われたのか、その後は国替えもなく、幕末まで二本松を領している。


●白川城と小峰城で本家と分家で跡目相続で争い

文治5年(1189)源頼朝の奥州征伐に参加し,功名をたてた結城朝光は、その恩賞として白河庄の地頭職(じとうしき)を与えられた。その後、朝光の孫の祐広(すけひろ)が正応2年(1289)頃、下総結城より移住して、この白川城を本拠としたと伝えられている
一四世紀の南北朝騒乱の時、四代目の宗広が奥州南朝軍の総大将となった。
一五世紀になると八代目直朝、九代目の政朝が一つの絶頂期を作った。
例えば政朝は文明三年(1471)に相馬高胤と一揆契約を結び「なにごとも助け合う」と同盟した。岩城氏とも兄弟の契約を交わした。
栃木の宇都宮氏とも保護する条約を交わし会津芦名氏からは自分の後妻を迎えて婚姻関係を作った。

後妻の子をかわいがりすぎて跡継ぎ問題が起きて本家と分家の争いが起きた。
それで政朝は小峰城の分家に滅ぼされてその後は衰退した。
これは良くある話である。ここで相馬藩も関係していた。白河ははり要所であり様々な勢力がここに集結したからである。

●石垣からみた小峰城の歴史

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白河は相馬からになるとなかなか行きにくい場所で行っていなかった。
小峰城には天守がない城がないとき行ったことがあった。
あそこの石垣が見物である。
地震で半円状の石垣は総崩れになった。白河でも十人以上が山崩れで死んだというのも意外だった。地震の被害はここにもありまた白河でも除染していた。
白河も風の関係で放射線に汚染されていたのである。
白河となる郡山からまた遠いから意外だった。郡山でも放射線量が高いとニュースでは騒いだ。地震から五年で石垣はようやく再建されたのである。
この石垣で興味深いのは

丹羽家は織田信長の家老挌の重臣で、重家の父長秀は安土城築城の普請を担当して力量を発揮し、家臣の中にも優秀な土木・建築技術を持つ者が多かったことを買われたようだ。
丹羽氏は二本松城を築いた、築城にかかわる家臣をかかえていた。丹羽氏は棚倉藩の城代ともなり白河城の城主とも一時なっていた。
丹羽氏と織田家は関係が深くそれは安土城とのかかわりがあった。
やはり城というのは石垣を組むこと城を造る事は一大事業だからそうなった。
「半円」は新しく現代風に作ったものだと思っていた。何か現代的だからである。
あれを復元するのは容易ではなかった。7000千個もの石を組み直したというからその苦労は大変なものだった。

穴太衆積み」と呼ばれる技術は個々の石それぞれが振動を吸収して揺れを抑え、地震や風雪に強いのが特徴。信長が延暦寺焼き打ちの後、残った石垣の堅固さに感心し、安土城の石垣を任せたとされる。その後、各地の築城に関わり、技術は豊臣秀吉が築いた大坂城(現・大阪城)や名古屋城などで用いられた。

石垣を作る技術集団がいて力をもった。ヨーロッパでも聖堂を建てた石工の集団が組織化され代々技術を伝えてフリーメーソンとして現代でも影の支配者だとか言われるのもそのためである。
二本松では茶をだした女性が「丹羽様」とか言っていたから住民には親しいものとして残っている。丹羽氏は小田家と関係が深い、次ぎに蒲生氏郷が会津の領主となり白河を支配した。
だから会津門があり会津町があった。会津町というとき会津の人が集団的に住んだから地名化した。
そこで興味深いのは蒲生氏郷はキリシタンであり白河城の石垣に十字が彫られているという、地元の女性が歴女というか大阪の女性であり説明してくれた。
その60代くらいの女性は城めぐりしていたのである。歴史に詳しい女性だった。
歴女というとき若い女性と思ったが今では60代くらいの女性でも言える。
城めぐりの旅をしていたのである。
この話は知らない人が多いだろう。何でも城に向かって祈っていたのはその十字架が彫られていた石垣に向かって祈っていたのだという。
会津の蒲生氏郷が支配していたからここにもキリシタンがいたのである。
会津にはキリシタンの墓がある。迫害もあった。
白河には会津町があり城には会津門がある。これで思い出したのがドイツの
秀吉の時代になると石田三成が相馬藩をたずねている。それは自分のすぐ近くにある田中城をたずねていたのである。
それで相馬藩に三成の旗印が野馬追いに出ていたし相馬の殿様は三成の一字をもらって名前としている。
秀吉は白河街道を通って会津に来ている。

●明治維新の激戦地だった白河

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白河から会津は勢至堂を通り会津にゆく白河街道である。この道が旧街道である。



白河口の攻防戦は、会津藩、仙台藩の両藩を主力とした奥羽列藩同盟軍と薩摩藩、長州藩を主力とした新政府軍との間で、およそ100日間にも渡って繰り広げられ、両軍合わせて800名を超える戦死者が出た、東北の戊辰戦争の中でも最大の激戦であった。

白河はみちのくの入り口であり要所だったから様々な勢力がしのぎを削る場所になった。茨城県とも境を接していて那須連峰も見えた。
こうした境が歴史が知るにはいい場所である。
郡山も万葉集の歌が残っているのだから古いし今では会津にも通じる鉄道が通るから郡山が交通の要所となっているが白河がもともと交通の要所でありここからみちのくの領域に入る場所で重要だったのである。
それで戊辰戦争では熾烈な争いの場所となり千人死んだとかなり白河の遊女の悲話が語られている。

棚倉でも戦いがありそれでは相馬藩士も死んでいる。棚倉藩は東白川郡になり今の白河は西白川郡である。
西白川郡には郡役所が置かれた。それが南湖公園に移築されていので知った。
福島県は明治維新に二本松県となり磐城県となった。白河県とならなかったのはやはり勢力的に二本松や磐城からすると小さいからそうなった。
古代では白河軍団がありこれも大きい勢力であり多賀城に木簡が残されている。
古代から要所の地であり福島県の玄関であり福島県を知るには白河から知るべきだとなるただ現代ではどうしても郡山から入る、そして白河が新幹線では新白河になっているのもややこしい、それで南湖から新白河駅へタクシーで行って仙台に行き日帰りで帰ってきたのである。
なぜ新白河駅を作ったのか?そこには一つの街になりホテルがいくつか建っている。
でも観光するには不便である。
ともかく新幹線だとかなり遠くても日帰りで行けることがわかった。
十年くらい旅していないから何か距離感だとかがわからなくなっていた。
十年もすれば時代は変わってゆく,特に新幹線で変わっていたことを実感したのである。

 
 

タグ:白河

常磐線でイワキへ磐越道で郡山市へ (旅ではやはり地名が記憶に残る)


常磐線でイワキへ磐越道で郡山市へ


(旅ではやはり地名が記憶に残る)

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津波に残った久の浜の神社

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久の浜駅

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阿武隈山地

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しばしよるイワキの通り秋柳

秋の日や長橋すぎぬイワキかな

秋の日や逢隈橋を渡るかな

郡山へ逢隈橋や芒かな

水郡線ここに別れて芒かな


竜田駅金木犀の匂いしも鉄路閉ざして五年はすぎぬ

久ノ浜駅に浜菊咲きし見ゆ津波の後にあわれなるかな

津波にも残る社は奇しきかな久ノ浜去る秋の旅人

四倉にセメント工場ありにしと語りてあわれ秋の風吹く

阿武隈の山々深く家ともし秋の雲の影朝に落としぬ

阿武隈合戸トンネルぬけいでて山々深く秋の雲かな

阿武隈の流れゆるか秋の日や岸に実りや郡山に入る


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久ノ浜の駅には浜菊が咲いていたから海の駅らしい、ここは海が見える線であり海に最も近い場所だった。
それにしても久ノ浜に残った稲荷神社は良く残ったと思う。
烏崎村でも八竜神社は残ったがそれは後ろの山の高い所にありその社は津波がすれすれにきて残った。あれももう少し津波が高かったら残らなかった。
あれも不思議だけどこの久ノ浜の社は人家なみに低いし海の堤防のすぐそばだったからこれで良く残ったと思う、回りには一軒の家もなくなっていたからである。
この社は今回の津波で最も不思議なものかもしれない。
波立薬師も残っていたというのも不思議である。
久ノ浜は原発から三〇キロ地点でありここは津波の被害が大きかった。家が密集していたからである。
四倉では駅の前に錆びて朽ち果てたセメント工場の残骸があった。
土地の人が教えてくれた。あれは相当に大きな工場だったのだろう。



イワキでは通り秋柳が見えてバスは長橋町という所をすぎたのを地名で覚えた。
イワキについて電車に乗ろうとしたら磐越東線は何時間もあとでありバスで磐越道にのり郡山市に向かった。一時間半である。
イワキから郡山の磐越東線は結構時間がかかる、それよりもう一日5、6便くらいしか出ていない、これでは乗り継ぎができないからこうい線はのりにくくなった。
よほど鉄道マニアで暇でないと乗れない、今は暇がないから乗れない
何かすでに一〇年は長い旅をしていない、この線に乗ったのも今になるとずいぶんまえになったと思う。だからこの線のことは思い出せなくなった。
やはり思い出せなければ何か書くこともできなくなる。


磐越道は途中合戸トンネルに入る、その名が目についた記憶に残る,こうした地名が意外と記憶に残る、途中の小野とか三春は見ることもできなかった。
郡山に入ると逢隈橋に出た。阿武隈はもともと逢隈だったのである。それは亘理に逢隈駅があることでもわかる。逢隈は福島市にもあり他にもある。
郡山から水郡線が出ていて棚倉町にゆく、棚倉には城がある。
この水郡線も一回だけ乗ったけどかなりの距離がある。その駅の名前も忘れた。
ここを別れて水郡戦線路が見えた、そして遠い旅の日を思い出していた。
すでに十年以上もいや二十年なのかこれだけ歳月が過ぎると何かなつかしいとなる。
だいたい自分は日本の線路はほとんど乗った、乗っていないのは関西の私鉄くらいであるただ最近は新幹線が走るが新幹線には前から乗らないでゆっくり旅していた。
今になると暇がないから新幹線が便利である。


今回も何か地名の旅だった。地名は記憶に残る、特に電車の旅では駅名が記憶に残る。
バスでも早いから地名だけが何か心に記憶される、だから旅には地名が心に記憶され
地名が歌枕の役目を現代でも果たしているのである。
そうでいなとただ通りすぎるだけの旅になってしまうからである。
高速道路もやはり旅であり電車とはまた違った風景になる。
高速道路も今は縦横に走っているから旅するのには便利だけどあまり心に残らないということは言える。










 

タグ:阿武隈

2015年10月09日

秋に訪ねる白河の小峰城 (秋雲棚引く小峰城ー詩)


秋に訪ねる白河の小峰城

(秋雲棚引く小峰城ー詩)

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みちのくを旅する女や秋薊

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石垣工事の石が今も置いてある




みちのくに駅の名一つ秋の雲
秋の雲棚引きあわれ小峰城
日のさして蜻蛉群れ飛ぶ小峰城
秋の日に乙女桜をたずねけり
白河に二つの城跡秋の風
小峰城石垣古りて秋薊
みちのくを旅する女や秋薊
白河に那須連峰見ゆ秋日没る

みちのくの城をたずぬと大阪の女(ヒト)と出会い別る秋かな
白河に会津町あり秋の日やここより結ぶ秋の街道
阿武隈川岸に芒や小峰城那須連峰を天守に望む
白河に攻防激し残る跡秋風吹きてみちのくに入る

白河に城の二つやその一つ埋もれ忘れらる秋風の吹く

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秋雲棚引き小峰城

古来より陸奥国の入り口
白河の小峰城の三層の櫓かな
秋雲棚引き翳りけるかも
映える天守に蜻蛉群れ飛び
石垣に薊のなおも残れり
大阪の旅人もたずねて
阿武隈川に芒なびき
かなた那須の連山を見ゆ

城内に乙女桜とあわれ
我は秋にしたずねけるかな
その石垣の反りの厳しく
堅固に組まれて構えたり
ここにかつて会津の門あり
会津町ありて歴史を残す

蒲生氏郷の一時ありて
会津に通ず白河街道
家並の古く道細し
我は勢至峠を越えて
猪苗代湖の波音ひびき
境の松の枝垂れる道をすぎ
福良に着きて一夜泊まりぬ

旅人の御堂に休むもあれ
石碑は古りて並びありぬ
会津へとつづく白河街道
その山間に芒なびきて
はや日も暮れむと急ぐかな
ここよりなおも会津は遠しも
今は忘れられる裏の道となり
かすかに虫の道の辺に鳴く

白河に二つの城あり
本家分家と争い衰退す
これも人の世の常なり
分家の小峰城は今に残りぬ
常陸、那須と通ぜし所
秋風ここに吹き歴史を語る
戊辰戦争にも陸奥の要の城
ここに集結して攻防激し
東北列藩のまとまらじかも
戦いの後や両軍の戦死者のともに
墓の向かいあいて残りけるかな

この時遊女一人戦いに巻き込まれ
会津の兵に裏切りものと殺される
何も罪なき一庶民も巻き込む
ここに恨みを残して時は過ぐ
古来より白河は陸奥の入り口
秋雲棚引き小峰城暮る


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白河と会津は白河街道を通じて結ばれていた。蒲生氏郷のときにはじまり会津領になっていた。その前は栃木とか宇都宮とか常陸と関係していたきも地理的に理解できる。
福島県の白河はその境目にあるからだ。
白河から那須連峰が見えたし会津の舘岩からも見える。
白河に二つの城があった。一つは分家した城でありそれが小峰城である。
もう一つは白川城である。もともと白河ではなく白川だった。
本家は分家と争いその後は衰退したという。
こういうことは常にある。だからめずらしいことではない。
それが歴史の跡として二つの城跡があることが明確なものとして残っているからわかりやすい。
家が二つに分かれるというとき別に普通の家でもそういうことはどこでもある。
家は何かまとまるのはめずらしく二つに分かれやすいものだとなる。

もともと平家とか源氏とか二つに分かれたけど元をたどれば人間は一つなのである。
要するに人間の家は安住の場ではない、分裂する場である。
なぜこれほど離婚が多いのかというのもそうである。
男女でも一つになることはむずかしく分離してゆく
天皇が二つになり分かれた南北朝の争いもそうである。
その影響は全国に及んでいてこの白河でもその歴史を残している。
国単位でも二つの勢力に分断される、東西の争い、関が原の戦いもそうだった。
何か自分の家もそうだったからこの二つに分かれた本家分家の歴史が身近なものに感じられる。
人間の宿命として家は大きくなればまた分家してそれが争いの元になる。

大阪の六〇代の女性が歴史に詳しく城めぐりしていた。歴女というのが話題になったが若い人ではなく六〇代くらいになるとかえって歴女としてふさわしい。
城内に薊が咲いていてそれを指さした。蜻蛉(あきつ)も群れて飛んでいた。
最近赤とんぼをあまりみないがここでは多くはないが群飛んでいたのでなつかしかった。ここでは半円に積む石垣が全部崩れた。それを直すのに七〇〇〇個の石を組み直したというから大変な作業を強いられた。
この半円の石垣は現代風に作り直したのかと思った。
それほど他には見ない石垣だからである。
もしそうしたら歴史は失われる、もともと半円状の石垣だったことがめずらしいのである
人柱伝説があるのもこれだけの石垣を作ったということで信憑性がある。
ただこれはどこにでもある伝説だから事実かどうかはわからない。
城の普請は一大事業であり常に城が普請されるときは江戸城でも全国の藩で刈りだされたその労役や費用が負担させられていた。
城を造ることはその地を支配することである。

人は石垣、人は城というけどこの逆も言える゛石垣があって城があり城があって城下町ができて人が活きる
最近コンクリートより人とという民主党の政策が鬼怒川の堤防決壊で見直された。
コンクリートつまり土木事業を無視して国土は成り立たない、特に日本は災害が多いからそう言われた。
この関係は家が第一なのかそれともそこに住む人が大事なのかという問題にもなる。
原発避難区域では人が住まなくなった、人が住まない家とか故郷はなになのかとなった。
人は石垣、人は城というのもまた真である。
まず人が住まない家は死んでゆくし故郷でもそうである。
支える人がいなくなればどうにもならない、先に人があって人の心と意志があって建物もある。
建物があって人があるとはならないが歴史の跡はまた建物が城でも残ることによって人の心を意志を伝えるということはある。
家でもやはりそこにはその家を作った人の意志とその家で暮らした家族の思い出がつまっている。
それは単なる箱ではない、人間の心がそこに宿っているとなる。

白河街道というときこの道は昔を偲ぶにはいいし風景がいい、勢至峠を越えてゆくと猪苗代湖が見える。福良はなにかひなびた湖畔の町である。
この道はさびれているが歴史を感じる道である。この道は深く会津と歴史的に結びついていたのである。
たいがい交通の便がいい、鉄道が通っている方をゆくがこの白河街道が歴史の道なのである。
歴史を知るにはやはりこうした歴史の道を実際に通らないとわからない。
今は車で簡単に行けるのだがそのあまりにも簡単な結果、昔が偲べないのである。
白河から会津まで実際はどのくらいかかったのか途中泊まったのかとかその距離感覚がわからない
自分は自転車で一夜福良の蔵の宿に泊まったのである。
それが何か思い出となっている。福良は前は茅葺きの家が通りにあったが今はなくなった十年とか二十年とかたつと変わる、昔のものはどんどん失われる
そして新幹線の時代になっていた。東北新幹線はすでに古いけど自分はわざわざゆんくりとした旅をするために乗らなかったのである。
でも今は暇がないから新幹線が便利だなと思った。
白河まで日帰りで行けたからである。白河から仙台まで一時間ほどであり早いなつくづく思う。
それから仙台から亘理まで鉄道で行き今度は相馬駅から電車に乗り換え帰ってきた。
電車とバスと新幹線を乗り換えて日帰りの旅だった。
その日帰りでも結構旅をして観光できたとなる。





タグ:白河小峰城

2015年10月10日

秋の白河の南湖を訪ねる(俳句と短歌)

秋の白河の南湖を訪ねる(俳句と短歌)


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松古りて野菊に虫の音南湖暮る
秋の山名君ありて南湖かな
雁数羽音なく水脈ひく南湖かな
中島に寄りて集いぬ雁の群れ
夕暮れや南湖に聞きぬ虫の声

湖岸の松の太しも古りにける秋の日さして南湖暮れにき
秋の日や南湖の岸に松古りて我もめぐりて夕ぐるるかも
秋の日の湖面に反射し暮れゆきぬ南湖の岸の松によるかな
名君の作りし湖の松古りて今は実り季(とき)にありしも



南湖の名は李白の詩句「南湖秋水夜無煙」からとも、白河小峰城の南に位置していたことから名付けられたともいわれている。現在の南湖公園のあたりは元々大沼と呼ばれた湿地帯で、松平家が藩主になるまえの本多家のころから多目的に利用するための湖沼を施工してはいた。
福島県白河市に、白河藩主であった松平定信が1801年に造営した日本最古の庭園といわれる「南湖公園(なんここうえん)」があります。白河の小峰城の南に造られたことと李白の漢詩から「南湖」と名付けられた湖を中心とした「南湖公園」。松平定信の「士民共楽」(武士も民衆も身分の隔てなく共に楽しむ)の精神が伝わる湖畔では、4月中旬には800本の桜並木や樹齢200年のシダレザクラが楽しめますよ。

この南湖は昔は厚く全部凍って子供の頃スケートとしていたという、今は全部凍ることはないという。このことは二人の人から聞いた。
つまり白河でも寒く南湖でもそれほど凍っていた、今はやはりあたたかくなった。
特に最近は温暖化していることは確かである。今日も朝から暑い、今頃こんなに暑いのかと思うからだ。

松平定信が名君と言われるのは天明の飢饉のとき死者を出さなかったからだという。
馬とか白河だるまとか何か他の産業を育成した。天明の飢饉は全国的なものであり
相馬藩では三分の一の人口が減った。なぜここではその被害がなかったのか?
それは名君があってそうなったのか?それだけでは天明の飢饉の被害はまねがれないだろう。
その辺の詳しいことはわかないが「士民共楽」という思想で治めた。
その象徴が土民も楽しむ日本最古の南湖となる。だからこの南湖は単なる自然の湖ではない、ただここはもともと湿地帯だったから湖にするのは容易だった。

岸の松はいい松であり桜も見物だという、那須連山が見えるのも白河らしい。
松というとき津波では松川浦の松も南相馬市の右田の松原も失われた。
だからなかなか松というのものが見れなくなったのが残念である。
確かにここの松は太いし古いしいい松である。
「士民共楽」というとき松と野菊と虫の声がふさわしいとなる。
ここが単なる自然の湖ではないからまた違ったもの歴史的なものとして自然を見る


田沼派への権力集中を面白くないと考えたからか、
意知が旗本・佐野政言に江戸城内で刺されて死亡、
また浅間山噴火から天明の大飢饉、
そして、田沼を最も頼りにしていた家治が亡くなると失脚、
蟄居のうえ、彼が城主の遠州相良城は打ち壊しとなります。
家斉が十一代将軍に就任。
田沼意次に代わって実権を握ったのが、
老中首座となる松平定信でした。

田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき


松平定信の経済政策は緊縮財政であり倹約に走りすぎ失敗したとある。
評価としては白河では良かったが中央の政治ではそうでもなかった。
天明の飢饉のときに幕府の政治を動かした、天明の飢饉の時代の人だった

(心あてに見し夕顔の花散りて尋ねぞわぶるたそがれの宿)から、たそがれの少将とも呼ばれた。

これも繊細な歌だけど政治家がこんな繊細な歌を作ったのかとかたそがれの少将という名はなぜついたのか?
それは中央の政治ではうまくいかず白河の藩主になって名君になった。
たそがれというのは中央の政治から引いたことも関係しているのか?
心をあてにした夕顔が散っていてその居所もわからなくなったということか、思いをよせる女性のことか?
おそらくこれは老境の短歌だろう。
老人になるとかつて思った人もすでになくなりわからなくなったりすることが多いからだ
ともかく中央の政治を引退して白河では名君になっていたのである。



 
タグ:白河南湖

白河の秋の翠楽苑

白河の秋の翠楽苑

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この石の脇に竜胆が咲いていた

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赤とんぼがとまっているのが見える


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秋の翠楽苑

秋水石にひびきて流れ
借景成す松山の緑濃く
広き池に写す深緑の影
二段の滝に四阿屋あり
茶亭の小径の石により
竜胆の咲きて径は分る
蜻蛉一匹静かにとまり
清流絶えず池を満たし
その水の濁らず保ちぬ
秋の午後の日のさして
一服の茶をたまわりぬ
床の間に清楚白菊一輪
水は石に絶えずひびき
松の翠の苑に鎮座する
石と石に日さし暮れぬ

(秋日さしここに静まる松と石)

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抽象化した翠楽苑のロゴマーク




南湖にあった翠楽苑は良く作られている。

「やっとなじんできたんですよ」
「作られていから何年ですか」
「二十年です」

「何か新しいものと思いました、やはりこれだけの庭を造るのには時間がかかりますね」
自然のものは松でも石でもやはり根付くには時間がかかる。
二十年でも真新しい感じである。京都の庭は古いからやはり違っている。
庭というのはなかなか近くで何度も行かないと鑑賞できない
だから京都に行っても庭のことは良くわからないのである。
まず京都自体を知ることはかなりむずかしい、歴史があっても鑑賞することがむずかしいのである。

だから庭は近くにあって四季おりおりに楽しむのがいい、そういう庭は仙台にもないし東北には意外とない、それだけ庭を造るのは苦労なのである。
ここの庭は場所が良かった。借景としてすでに松山がありそこから川のように水が流れるようにした。それが自然の川のように見えるのである。
ここは春は桜で夏は木陰が多いから涼しい感じになり秋は紅葉と楽しめる
花も咲いていて石により竜胆がそちこち咲いていた。

自然を人工化したものだが日本の庭はなるべく自然のままに作る、流れが縦横にあり石橋があり四阿屋があり滝もあり気持がいい、「秋水庵」というのもあり今の季節にぴったりだった。
秋水が石にひびき流れていて気持が良かった。
翠楽苑とは松の翠(みどり)を楽しむ苑のことだった。
確かに松が多く翠が多いのである。

自分でもやりたいのには庭作りだった。これはしかし相当に金がかかるし大財閥でないとできない、この翠楽苑で感じたことはものたりなかったことは大きな石がない、石がそちこちあっても大きな石がない、これだけの庭だったら大きな石があってもいいと思った。そしたら庭に重みをもつ、大きい石といっても隣の家でも大きな石があるし旅館に庭でもあったり結構ある。
ということは別に大きな石は贅沢ではない、立石というかそそりたつ石もない、点々と石はあっても何かポイントになる石がない、それがものたりない感じになった。
ただこの庭もそれなりの庭のイメージがあって設計されて作られた
だから庭にはどんな小さな庭でも個性があるのが不思議なのである。

近くに広い庭をもっている家がある。その庭には何にもない、更地にしている、前は畑にしたりしていたが今は更地であり何にもない、小石だけでもしけばいいと思うがそういう趣味もない、だからいくら土地をもっていても家をもっていても活かされないことがこの世には多いのである
そういうことができる、したい人は土地がない、金がないとかでできないのである。
津波の跡でも更地になったからそこを公園にして大きな庭でも作れば復興にもなる
ただこれもなかなか堤防工事とか先にあるからむずかしいとなる
ともかくあそこの庭にはまた行ってみたい、紅葉になるのは早い、一〇月末にはなっている、一部は写真に写っていたように紅葉になっているからだ。
新幹線だと仙台から白河まで一時間であるが仙台までゆくのに二時間かかるからそこが遠く感じる、それからバスは電車より疲れるのが嫌なのである。

福島県の観光というとやはり白河の小峰城とか二本松城とか会津の城がメインになる。
浜通りには城がないから歴史の観光としては魅力がかける、福島県では観光というと会津であり中通りが中心になる。
小峰城ができたのも十年くらいでありあれは小さいけど効果あったなと思う。
前は何もないとき訪ねたことがっあった。その時のことは印象に残っていない、だから城もやはり石垣だけではものたりないとなる。
ただ会津の城には魅力を感じない、何か平城で新しく博物館のように感じるのだ。
もし戊辰戦争の銃弾の跡とか残っていたら歴史を生々しく感じる。
新しくなると博物館なのかと思う、ただ会津でも七層の黒川城があったら見物だった。
その城は壮観であり会津九〇万石の時代もあったのだから見物だった。
その黒川城が地震で崩れて今の五層の城になったのである。

タグ:翠楽苑

白河の翠楽苑を抽象画にする (日本の庭も抽象画?)


白河の翠楽苑を抽象画にする

(日本の庭も抽象画?)

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翠楽苑

ヨーロッパの庭だと庭園になり幾何学的であり抽象画的である。では日本の庭となると幾何学的とはならないがやはり抽象的なものになっている。
それが自然そのものではなく人工的に作るからそうなる。
自然のままを取り入れても人工的要素があるからそうなる。

京都の庭は竜安寺の庭でもなにを現しているかわからない、それは抽象化しているからである。海を現しているとしてもそれはあくまでイメージであり他のイメージにもなるから抽象画は固定して見られないと同じである。
庭は自然を抽象化した要素がある。

白河の南湖にある翠楽苑は翠(みどり)を楽しむとある、確かに松の翠が多いからそう名付けられた。
これもやはり人工的に作られたものだから何か自然とにていても違う。
それは一幅の絵に治まるように作られた。
自然になるともっと荒々しいものになるがここは穏やかであり荒れることがない
それは南湖でも同じである。

この翠楽苑を抽象化した、翠(みどり)と水がテーマだから適当にアレンジした結果こんなものができた。
翠であり水でありそれを抽象化したらこんなふうだろうとなる。
これも意図的ではない、偶然の結果だった。
ただ翠(みどり)を反映したものができたらとソフトで操作している内に偶然にできたのである。
つまり翠楽苑という人工的庭は抽象化されやすい要素をもっていたのである。
それは自然そのものではない、自然をまねてとりいれて人工化したものだから抽象画的だとなる
抽象画は具象画と違いいくらでも変化が楽しめる、自然も無限の変化のように抽象画も無限の変化なのである。それがパソコンのソフトで可能になったのである。

 
タグ:庭の抽象画

2015年10月11日

一人一人をみれない施設での介護 (なぜ介護士などが低くみられるのかー仕事の意味が見いだせない)


一人一人を見れない施設での介護


(なぜ介護士などが低くみられるのかー仕事の意味が見いだせない)


母が腰をぶつけて急激に弱った。それは施設では一人一人を見れないからである。
まず弱った母を食堂で四〇分も座らせていたのが辛かった。
今はほとんど寝ているし起きていると辛くなっているからである。
でもそういう一人一人の状態を良く見れないのが施設である。
そして二度と行きたくないと言ったのは風呂に二度も入れられてひどかったという。
三日のショートスティの間に二回は必要なかった。
体を拭くだけでいいんだ、自分の母親は体を拭くだけで風呂には入らなかったと言っていた。というのは自分の母の母は祖母は脳出血で倒れて五〇代くらいで介護になった。
それは大正時代であり今のような介護はない、風呂のサービスもない、オムツもないから藁で便をとっていたとか言っていた。それを見ていてそう言ったのである。

そして施設の人が言うには夜は人手がたりない、昼間はいるけど夜は少ないから手がまわらないとポータブルトイレをベッドの脇に置くのができていなかった。
それで母はとまどって離れた所のポータブルトイレに行くの苦労したのである。
そういうことで腰をぶったのかもしれない、施設にしてみれば人手がたりないのだから一人一人を丁寧にみていられないのである。
人手不足というと大工でも工事関係でもどこでも人手不足で家を建てるのにも何でもこの辺では待っていなければならないとかこの辺では特にそうなっている。
これは全国的に人手不足はあらゆる所で深刻なのである。
建築関係とかでは人が集まらなくて会社がつぶれたとかもある。
今の日本は人手不足で国自体が危機にさらされているともなる

介護士という仕事が何かほとんどは食事の世話とかトイレの世話とか何か機械的に仕事している、風呂に入れれるにも人が多いのだから機械的に芋を洗うようにしているのだろう相手を人間とみているかどうかもわからない、忙しいからいちいち一人一人をみていられない、身体的にもそうだしそれより心になるともう関係ないだろう
このジジババがなんのだ、自分にとってなんなのだ、ただ食事の世話から下の世話をするだけの人となってしまう。
だから介護では何かその仕事に意味を見いだせることはまれになるだろう。
「なぜこのジジ、ババを世話しなければならないのか」というとき金をもらうからしかたがないとなるだけで意味が見いだせない、人間は何でも金だけですべて解決できない
人間は何でも意味を求めているのである。人間は哲学的存在なのである。
あらゆることに哲学が不可欠なのである。
「人間は考える葦」だというときそうである。宇宙であれ地球であれ人間にとって意味を価値を与えられのである。もし人間にとって意味と価値が与えられなければ宇宙も地球もただの物体になってしまうだろう。
宇宙の果てのどこか知らない星には意味も価値もないのである。

家族で介護するときは父であれ母であれその人ととなりを知っているから違っている
自分の介護した姉でも母でもそういう点で違っていた。
母は子供の頃、不幸だった。継母に育てられて不幸だった。
継母に弁当を子供の頃作ってもらったのだが残したら「俺の作ったものを食えねえのか」と投げられたというからひどい、その継母は異常に気が強い女性だったのである。
その女性は最後は施設で盲目となり「悪かったな」と母に言って死んだ。
そういうことを聞いて知っているのと知らないでは接し方も違ってくるが施設ではそういうことを知らないでただ身体だけの世話をしている
その女性がどういう一生を送ったかはわからないのである。

介護は体を直すということはもうできない,ただ死んでゆくのを見守る看取るという仕事である。身体も苦しくなるから楽にするということはあるが老人の介護はその人の一生を看取るということがある。
そこに介護の意味があるとすると若い人にはてかなかむずかしいともなる。
ある程度の人生経験がないとそういうことにはたちいれないだろう
それよりその人のことをまず家族のようにしりえないこたとなのである。
だからただ死んでゆく、用のない人間をみているだけで意味のない生きがいのない仕事だとなってしまう。
そして社会的にもその地位も医者や看護師のようには見られない、一段と低いものとして社会的にも認められていない、そして給料も安いから誰もしたくないとなる

自分も老人だから自分は老人の話を聞くのか好きである。それが郷土史とも関係していたその人の一生は郷土と深く関係している場合が多いからだ。
自分は八〇代の人とからいろいろ話を聞いてそれをプログに書いてきたりした。
ただ人によっていろいろであり話が面白い人とそうでない人がいる。
やはり面白い人はいろいろな経験した人になる
ただ人の経験したことはみんな違っているからそれぞれに興味がある。
これは認知症の人でも変わりがない、昔のことは覚えていて何百回も語りつづけるからである。
姉は従軍看護婦でありそのことを死ぬまで語りつづけていた。
それを千回も聞いたので嫌になってしまったのである。
でも人生で一番印象に残ったことが戦争のことだったからそうなったのである。
介護と郷土史とか関係ないというが郷土史というのはトータルな学問なのである。
郷土全体が対象だから介護とも関係してくる、原発とも関係していた。
津波のことなどその土地の歴史が関係していたのである。

ともかく介護という分野は新しい仕事でありその意味とか社会的に評価がされない
もちろん介護自体が税金の無駄使いだということもある。
そんなものに金を使うのはもう無駄でありその余裕が国にはないというのも言える
例えば一割負担でも五倍とかが国で支払うから施設とかを利用するとその額が大きいものとなるから問題なのである。
でも在宅でもその負担は結局大きくなる。金銭的にもそうであり介護は長くなるからそうなる。
そして家族も核家族しているから一人がみるのが多く負担になる
それで公共的な援助になると金がかかりすぎて若い人の負担にもなる
だから金銭的に介護は無駄となり批判される

それは確かに言える、老人ばかり増えて介護する数が膨大なにるともう税金を使えなくなる、国が破綻しかねない状態になっている
在宅介護にシフトしてもこれもまた負担が大きいから退職して介護に専念すると社会の損失になる。
そういう問題はあるにしろ何か介護自体にもなんにも意味がないということではない
つまり介護士という仕事の意味が問われているということもある。
それはそもそもこれまで介護があったとしてもこれだけ社会的に介護する人数が増えたり医療の発達で寿命が伸びたりしてこういう問題が起きてきたのである。
いつれにしろ何か身体だけの介護をしていたら介護の仕事に意味は見いだせない,ただ便の処理だとか老人自体が汚いものとしか写らないだろう。
でもその人生をみて介護すれば何か意味を見いだす、でもそれは若い人にはむずかしいし向いていないとなる。
だからそうした心を見るのはかえって六〇代くらいの人が向いているとはなる。

テレビで死んだとき介護士と家族が一緒に風呂に入り死者を清めることをしたというのもやはり介護というのが家族とのかかわりが不可欠なためだろう。
介護は本当は家でするものだとすると女性の場合は嫁というように女と家は一体のものになっているからである。男性は社会的役割の方が大事だが女性は家で生きることが多かったからである。
家で生きることに意味があるのが女性だったからである。
----刀自という墓があるけどそれは家事をとりしきった女性のことである。
家と不可分に一体化していたから死んでもそうなったのである。
だから家で死にたいとなるのはわかるが負担が大きすぎる。
ともかく人間というのは何であれ意味を求める哲学的存在なのである。
意味がないことにいくら金をもらっても耐えられないのはそのためである。

神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

介護とかにはそういうことを感じる仕事だということである。家族すらそう感じることもあるから他人だったら余計にそうなるのである。そこに介護の問題もあった

 
タグ:介護

abstract(express ways)ー高速道路


abstract(express ways)

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これは何か現代的抽象的らしい、パソコンからできる抽象画である。
高速道路というのがぴったりである。
高速道路から見える景色も違っていた。これは早すぎるから旅になりくいが乗り物もメデアなのである。
人間はメデアによって道具によってつくづく影響されて新たな創造が生まれる
パソンコとかインターネットがそうである。

これは今までのメデアとはかなり違っている
パソコンやインターネットで表現するのと文章でも本とか紙に書いて表現するのとは違うプログだと毎日書いている、でも同じことを書いていても何か抽象画のように変化している
それはその人なりの思想をもっていてそうなる。
そういう人はまれでありインターネットではなかなか見つからない

だから毎日読むプログが自分では三つくらいしかない、「心に青雲」とdarkness dua とか武田邦彦氏のプログが毎日発信されているから読んでいる
その他は毎日読むとなるとそれだけのものを書くのが容易ではない
だから毎日読むプログはこれだけインターネットに出ていてもないのである。

ともかく抽象画は無限の変化であり変化しない抽象画は死んでいるともなる
次々に変化するときパソコンの抽象画が活きているとなる
ここにだしたのもまた変化しつづけるのである。
それはパソコンのソフトの操作でそうなるからである。
タグ:高速道路

2015年10月12日

現代の課題は先人の残したものを継承すること (原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


現代の課題は先人の残したものを継承すること


(原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


「先代が作ったこの道を守ることが我々の使命」というありきたりの言葉でありますが、私は決して好きではありません。なぜなら先代が作ったものを守るだけなら番頭にやらせればよく、「自分は先代を抜く」という創業ファミリー間のライバル心が生まれないからであります。二代目、三代目がやらなくてはいけないのは先代ができなかったことを見つけ、発掘し、成長させることであります。
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52393272.html

日本は明治維新が創業者の時代であった。ほとんどの大学が明治に作られた、その創始者は明治時代の人である。
明治に日本の骨格は作られてその延長として大正と昭和があった。
吉田松陰の思想にはすでにアジア侵略の思想があった、それが現実化したのが太平洋戦争である。
歴史は継続だとするとき断絶したものではなく突然に太平洋戦争が起きたわけではない、歴史の継続があり太平洋戦争になった。

日本は今や二代目三代目の継承者の時代であり明治のように創始者の時代ではない、太平洋戦争以後でも高度成長がありすでに二代目三代目の時代に入った。
今まであるものを継承して発展させる時代であり新しいものを作る時代ではない
新しく作るのも大変だが継承することもまたそれなりに能力を必要とする。
それで二代目三代目が失敗するというのはそれだけ受け継ぐこと自体がむずかしいからである。
いかに先代の残したものを受け継ぎ発展させるかがむずかしいのである。
武田信玄でもその子供は継承することに失敗したし織田信長でも秀吉でもその子供には継承されず滅んだ、それだけ継承することもむずかしいからである。

もう現代は新しく何かを作る時代ではない、特にハードの面ではそうである。高度成長時代なら線路を作る道路を作る、箱ものを作る、ビルを建てる、ダムを作るとかインフラ整備に費やされた。日本改造と田中首相が推進した時代である。
そういう時代は終わった、もう過剰になりインフラ事業は無駄だとなった。
農道まで舗装したり無駄な道を作りすぎた、北海道では熊が通るだけだと揶揄されたのもそのためである。
家にしても高度成長時代にみんな家を建ててて空家が全国で800万軒とかいう恐るべき時代になった。
家が空家となり継承されないのである。家というものだけではない実は家とともにあった家族の物的なものと精神的なものも継承されないのである。

この辺では原発事故で村や町自体が人が住まなくなり継承されないのが問題になった。
限界集落でも継承者がいなくなり消滅してゆく危機になっている
今まであった遺産が継承されず消失してゆくという問題になった
原発避難区域ではそうして帰るのは老人だけだとなるときこれも家でも村でも町でも継承されないということが危機なのである。
つまり老人だけが帰っても継承するものがいなくなれば村も町も消滅するのである。
そうすると公務員すら失業するという危機になっている
会社が倒産してゆくと同じなのである。会社が倒産すれば社長は社長でくなる
住民がいなくなれば村も町も公務員も失業してしまう
そして継承されないことは老人だけが帰っても残したものを継承できないことは老人の意味もなくなる。
老人の意味は何かしら家でも精神的なものでも後のものに残すものがあったことで意味と価値が与えられているからである。

それは別に金持ちの家でなくても普通の家でもそういうことが普通にある。
親は苦労して家を建てたとか苦労して何々したとか常に言うからである。
ただ今は別に避難区域だけではない、親の残したものが継承されないことが多い
子供も親から分離して別に家をもち暮らすようになったからである。
そして農業だったら代々土地を受け継ぐものだったがこれも農業では生活できないと跡を継がなくなったから継承ということが行われない
そのために老人の価値とか意味がなくなったのである。
まず避難区域ではもう親であれ先祖の残したものが継承されない、町でも村でも消失しゆく、それは何を意味しているのか?
自分はこうしてここで生きてきたとかもう子供に語れないし語る人もいなくなる

いくら金をもっていても何か財産ではない、その町に村に生きた意味とか価値は失われる原発事故がなければ原発で働いてこの家を建てたということは自慢になっていた。
それももうなくなった。
ある人は若いときから家を建てた、それも相当に苦労して働いて金を残して建てたということを自慢していた。その庭には大きな石で組まれていて見物である。そのことが自慢なのだが子供はそこに住んでいないし妻が死んでその家に一人取り残されて大きな家に住んでいて淋しいというのもわかる
毎日仏壇で妻に手を合わせている、これも継承するものがいないから淋しいとなる
やがては空家となるのか、売られるのか、子供は他に住んでいるからそうなるだろう。
その人が苦労して残して家のことは箱ものとしてあっても苦労したという話は継承されないのである。これはその人だけの問題ではない、自分でもそうであり
空家が全国で800万軒あるということは別に原発の避難区域だけではない問題なのである家族も基本的な一つの歴史だというときそれも継承されないのである。

自分も60代になって親の財産を継承した、これも遅かったが今では長生きだから財産は死んでからしか受け継げないからそういう人も増えている。
そして自分も病気になり悪戦苦闘して家を守らねばならない立場になった。
介護もしなければならない、家事全般をになうことになり大変なことになったのである。そのために財産を奪われことにもなった。
病気になり弱体化したときそれを良いことに攻めてきたのである。
相手も借金とかで追い込まれていたり金がないから攻めてきたのである。
自分に起きたことはまさに六〇代で遅かったが継承することであった。
親の残したものを継承することがそして発展させることが自分の仕事になったのである。これは一身上のことだがこういう継承問題は会社であれ家族であれどこでも起きる問題である。
そして継承するものが能力がないとかふさわしくないとなると親の残したものは無益化するのである。
原発事故がなければその子供もいい暮らしができたのだから親に対して感謝していた。
それが今は反転してマイナスにしか働かないのである。

現代の問題はこの継承するということである。少子高齢化問題も子供に次の世代に継承されないことが問題なのである。
継承して発展させることが課題なのである。先人の残したものが活かされないということが問題なのである。それは国とか会社とか市町村とか大きな範囲でもそうだが個々の家の単位でもそうなのである。
何か先人の残したものを継承してゆくというのが課題なのである。
戦争でもやはりそれを否定だけする面もあるが肯定的にみるとき先人の苦労も報われるということにもなる。
あの戦争はただ無益だったとか否定的な面としてとらえるのが多い、でもまた肯定的にとらえられる面もあった。それも歴史の継承の問題なのである。
だから何を受け継ぎ守り発展するかが問題になっている

[嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない。それにより、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖伝来の嗣業の土地を相続することができる。]というものでした。(民数記)

ここでは土地を受け継ぐことの方が大事なものとされている。土地に従属するものとして人間がいるから娘も土地を受け継ぐが一族の男と結婚が強いられるとなる
嗣業の土地を大事にしていた。故郷とは嗣業(しぎょう)の土地なのである。
その嗣業(しぎょう)の土地を失うことは何を意味しているのか?
流浪の民となってしまうのだろうか?ただ別に他に土地を買って家を建てた人も多いから原発避難者はそれとも違っているだろう。
ただここで言いたいことは嗣業(しぎょう)を大事にするとういことである。
それを軽んじることは先祖や親でも軽んじることになる

農家では常に言う、先祖から受け継いできた土地だから手放したくないというのは同じ心情なのである。
これは農民的な心情であり今は古いとなるがやはり嗣業(しぎょう)というのもが大事にしていたのは変わらない心情があったのである。
この辺では仕事もなくなりパチンコで毎日遊んでいるというとき漁業とか農業とか林業とかも嗣業(しぎょう)だったのである。
それは神から与えられた仕事だった。その仕事も奪われてギャンブラーになったというのもそのためである。
原発事故で奪われたものはあまりにも大かったのである。
だからといってそれで補償金をもらって遊んで暮らしていればいいとはならない
全然もさえない人がまた多いからである。白河まで除染していたから本当に広範囲な被害だった、その人たちは何ももらっていないからである。

嗣業(しぎょう)
神から受け継いだ賜物、具体的には土地、富など相続財産、占有物を意味しているものと思われます。

あなたは一日無益に過ごしてはならない
今日一日に成すべきことがあり見るべきことがある
それは個々人によって違う
その土地土地によって違う
ただ日々にそこに成すべきことがあり見るべきことがある
その集積が実りとなる、物的にも精神的にも
そして土地土地の文化が形成される
その文化を継承することも嗣業なのである。

現代は常に新しいことを求めて嗣業(しぎょう)が継承されない軽んじられるてきた。
嗣業(しぎょう)というとき文化でもそうである。文化の意味する範囲は広い、食文化もありそれも日本の基本を形成しているが洋食になりそれもないがしろにされたことがある。食文化でもまた継承が問題になるのである。

結局ここすでに十年間が自分は家との格闘だった。未だに家は整理できていない、いかに残されたもの、家でも活用するかである。それが一人なので大変なのである。
つまり自分に与えられた嗣業(しぎょう)がここにあった。
それは他でも必ず受け継ぐ嗣業(しぎょう)がある。それはみんな違っているのである。
それは家だけではない、土地でもそうだし伝統技術とかもそうであり技術の継承も
大きな問題なのである。そういうことが成されないと国でも家でも衰退してゆくのである。あるものを活かすこと先人の残したものを活かすことが嗣業(しぎょう)なのである


タグ:二代目
posted by 老鶯 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年10月13日

社会全般に意志疎通ができなくなった時代 (トータルに考えられない社会ー郷土史はトータルな学問である)


社会全般に意志疎通ができなくなった時代


(トータルに考えられない社会ー郷土史はトータルな学問である)


意思疎通というとき互いに何事かの共通認識である。それができなくなったのは明治維新後である。西欧化した結果として江戸時代からつづいた共通認識は失われた。
だから明治維新の混乱は今でもつづいている。
民主主義という言葉一つとってもそれを理解することが非常にむずかしい、西欧文明が入ってきたとき日本人は漢字でそれを訳した。
それは新しく造語した努力がある。権利とはRIGHTだけど英語だったら正義ということになる。権利は何かしら正義があって権利が要求できる。
それで権利は権理だったのである。この方が役として良かった。権利となると利の方に重点が置かれらである。
ともかく西欧文明の概念自体を日本語で訳すことは至難であった。
今でも本当はその概念を理解していない、それは仏教でも中国の文化でも取り入れたときその概念を理解することはむずかしかった
日本語には仏教用語もあり中国文化の漢字によって多彩なものになった。
それにまた英語が加わって言語が重層的になったということはそれだけ日本語は世界の文明文化を取り入れた言葉なのである。
それは大和言葉だけでは取り入れることができず漢字で取り入れたのである。
意思疎通するというときまさに言語の面でもそうだった。外国人と意思疎通するというときも言語が中心となっていたからである。
他国の文化を理解するときどうしても言語がわからないと根本的に理解できないからである。
意思疎通というときそれは明治維新から近代化したときあらゆる面で起きてきたのである江戸時代は日本人が日本的環境と生活の中で意思疎通できていた時代である。

なぜなら基本的にはその土地土地で狭い範囲で生活していたから共通認識ができやすい社会だったのである。
そして時間軸で考えると江戸時代は親の仕事を受け継ぐことが多いから世代間の分離もない社会である。
つまり侍は侍になり農民は農民になり職人ば職人になると親の仕事を受け継ぐから世代間の分離がない、職人でも十代以上もつづくとかそれだけ変わらない社会が基盤としてあった。それが可能なのは社会が江戸時代はあまり変化しないことだったのである。
現代ではもう二代でも仕事は継続されない、めまぐるしく変わってゆくからである。
すると当然世代間の分離が起きてくる。親の仕事を受け継がないのだから親との分離が精神的にも物質的にも起きてくる。
また大家族だったのは農業でもそもそも大家族でしていたからである。
すると家族が会社になっているようなものである。家内工業でもある。
それが土地と結びついているから土地と一体化して分離しないのである。
現代の特徴は何か、それはあらゆることで分離されてしまうことなのである。
家族でも大家族から核家族へ、世代間でも親は親、子は子となり所帯も分離してゆく
仕事もみんな別々であり分離してゆく、そして単身所帯が膨大に増えてゆく
次の世代に継承されないということが書いたがそれは社会の構造が変わりすぎたからである。それは江戸時代と比べると明確になるのである。

意思疎通ができないというときそれは家族内だけではない、家族の世代間でもそうであり故郷という場を共有するものでも意思疎通できにくいのである。
なぜ原発事故で故郷も失い、家族でも簡単に分離したのか?それを探求してきたがそれが原発事故だけに由来するのではない、そもそも家族も故郷も土に根ざした農民社会ではない、みんな会社員である、そしたらその土地に執着する生き方とは違ったものとなる
人間はふでに故郷という土地から分離していたのである。
だから原発事故が契機となっただけでその前からそういう状態にあったから家族も解体して故郷も喪失して分離したとなる。
別に金がもらえるからどこに住んでもいいという状態になっていたのである。
その土地にこだわっているのは農民くらいだとなっていたのである。
それで親が農業の跡など継ぐなとその子供を殴ったというから驚く、それだけ農業は現代では割に合わないものとなっていた。
その人は原発でも働き全国の工事現場で働いた人だった。そして七町あった田んぼはもうないという。

別に人間は意思疎通できないということは常にあった。江戸時代でも職業が違うと神秘的なものになっていたのはそのためである。木地師とか産鉄族は神秘化されるのはその仕事が理解しにくかいらそうなる。
そして江戸時代で意志疎通がしにくいのは空間的なものである。隣の村同士すら空間的に離れていると意志疎通できなくなる、それで隣から麦つきに来た若者が大蛇だったとかなる。何かそうした天狗だとか河童だとか動物とかの妖怪伝説になるのはその人と意志疎通できないからそうなる。明治維新では外人が天狗になったり火山の爆発を起こしたとかまで押しつけられている。そういう異形のものとされるのは意志疎通ができないからであるそういう意志疎通できないことが社会全般に家族でも故郷でも起きているのが現代である原発事故でもそもそも東電の社員のことを原発を放射線のことを知ることなどあっても理解できない、そのことからすでに意志疎通できないものとなっていた。
現代ではそうして意志疎通できないことから様々な問題が起きてくる。
もし意志疎通できていたら原発事故も起こらないしそんな危険なものを土地の人が賛成しないのである。

現代はあらゆることで意志疎通できない社会である。職業も複雑であり無数にありどういう役割をしているのかどんなことをしているのかもわからない、それぞれの職業で意志疎通できない、江戸時代だから家内工業で何でもその土地に根付いてその延長に仕事があり意志疎通できた。今は職業が無数にあり高度に専門家してできない
例えば弁護士がいたとしても医者でも専門用語を使われるともう意志疎通できない、
もちろん放射線のことを言われたら何も意志疎通できない、お前ら素人は何もわからないから何も言うなで終わりなのである。
そうすると専門家の言うなりになり事故も今回のような原発事故も起きてくる。
そもそもそれは政治家でもマスコミでも原発のことなどわからないから金になるからいいというくらいの認識しかもてない、政治家とかマスコミは文系が多いということもある。放射線のことなどわからないのである。ここでも意志疎通ができない、理系と文系では意志疎通ができない、ノーベル賞でニュートリノが中性子がどうのうこうのと言っても理解できるのはまれだろう。科学者と素人は意志疎通できない
それは化学が錬金術からはじまったことでもわかる、何か怪しいことをしている、不気味だとされていたことでもわかる。
その時も一般の人と化学を科学を扱う人は意志疎通できないからそうなっていった。

グローバル社会になるとますます一見物が自由に入ってきて世界が理解できるように思えるけど実際は物が入っているだけであり世界のことを外国人を理解しているわけではない外国人と意志疎通できているかとなるとできない、そしてますます人間は互いに意志疎通できないものとなり他者との共通認識をもつことができなくなる
現実に身近なことでも例えば銀行とは何なのか理解できますか?
何かこの銀行を理解することは本当にむずかしい、銀行は何をしている所なのかわかりにくいのである。ましてや株でもあれ世界経済のことを理解できるのかとなるとできない
江戸時代だったら確かに理解できないもの意志疎通できないものがあったが今の時代とはレベルが違う、現代はますます他者と意志疎通できなくなる時代である。
未来もますます社会は分化してパーツ化して互いに意志疎通ができなくなる
ともかく社会をトータルに理解できないのが現代である。

郷土史は実際はトータルな学問だった。その範囲はあらゆるものに及んでいたのである。だからとても一人でできるものではなかった。地理学であり地質学も科学も関係していたしあらゆる学問が関係するトータルなものだった。
細分化した学問が郷土史ではない、それは自然と人間と全般にかかわるものだったのである。
だからそれを自分なりに追及してきた。郷土史とは人間復活再生の学問である。
なぜならそれは自然と土地とか社会と歴史とかトータルに探求するものだからである。
文化がculture(耕す)というときまさにそうだった。文化の再興は郷土史にあった。
郷土史は全般的なものだから芸術もその中に入る。
しかし今はなぜ文化がないかというと自然に根ざしたアイディンティティが欠落した社会だからである。
つまり詩語が喪失したというときそれを一番物語っていたのである。
経済用語、科学用語、法律用語、、、、しか言葉は使われない、詩語を使う人は異形のものとなりアウトサイダーとなってしまうのである。
自分も山とか石とか樹とか自分の住んでいる土地からも主に追及してきたがそれは理解されない、都会の人に石を理解することはむずかしい。
ただ材料としての石を理解することはできなるが文化としての石を理解することはむずかしい

そもそも田舎と都会人でも意志疎通はできなくなっているのだ。
ビルに囲まれて暮らしている人とはもはや自然のことはわからない、詩語はそこで死んでいてただ数字化した言葉を使っているだけなのである。
それはシュペングラーやニーチェや上野霄里氏などが指摘してきたことである。
アウトサイダー化してゆくのはもうそうした個人でしか一つのトータルな世界観を価値観をもちえない、作りえないからそうなったしまった。
マスコミは大衆の価値観でありそこから真実の価値観は作りえない、だからマスコミに紹介されたり有名なにる人は大衆的価値観の浅薄な人たちである。
新しい文化を創造することはマスコミではできない、大衆はもはや文化を創造できない
大衆と民衆は違う、民衆は文化を作っていたが大衆は作らないからである。
それで文化創造を目指すものはアウトサイダー化するのである。
そしてその人はまさに天狗とか河童とか山姥とか異様なものとされてこれまた大衆とは意志疎通できないものとなる。
まず言葉が通じない、詩語が理解できないからそうなる。
言葉が意志疎通の基礎にあるときその言葉時代が存在感を失っているのはその基盤となるコミニュティとか自然が失われているからである。
それで田舎人と都会人は意志疎通できない、では田舎人が意志疎通できているかとなるとできない、第一次産業に従事しているのは一割にもみたないからである。
その土地に根ざして生きているのではいなやはり会社員がほとんどだからである。
田舎でも隣は何をする人ぞとなってしまっているのである。


 

2015年10月14日

人間は意志疎通できないとどうなるか (暴力的解決になるー武力、金、技術(科学)は暴力となる)


人間は意志疎通できないとどうなるか


(暴力的解決になるー武力、金、技術(科学)は暴力となる)


猫とは言葉が通じない、だから猫をしつけることが嫌になる。排泄をどこでもするとかかってに台所のものを食べるとか嫌になるからはたいたりする
それは言葉が通じないからしつけできないから暴力でしつける
それは子供でも同じだろう、しつけようとしても言葉できなければ暴力的になる
人間が言葉をもったのは意志疎通するためである。でなければ行動で意志疎通させねばならなくなる。
意志疎通ができなくなるとき暴力的な解決になる。
それは個々人の間でも常に起きている、俺の言うことがわかんねえのか、と叩いたり度を越すと激しい暴力として爆発して殺人になっていることは毎日の報道できりがなく起こっている。
互いに意志疎通ができないとき暴力になり力の強いものが言うことを聞かせる服従させるとなる。
国と国の戦争でも互いに意志疎通ができない、だから暴力で解決することになり強い方が弱い方を服従させるとなる。
それでも強い方が正しいということはない、アメリカがすべて正しいとはなっていない
ただ強いから服従させることができたということになる。

明治維新でも佐幕派が勤皇派が正しいのかなになのか混沌としてわからなくなった。
結局は最後は暴力で武力で解決したのである。それは毛沢東は革命は銃口から生まれというのもそうである。共産革命も暴力で成されたのである。
それが正しいとかではない、暴力で革命が正しいとされただけである。
だから中国でも権力を手中にしてからは腐敗したのである。
民主主義はそうした暴力で解決するのではなく平和的手段で解決するために投票という手段を採用した。た暴力は人が死ぬのだからそれよりはいいとなる。
民主主義は最善ではなく最悪をさけるために生まれた制度であるからこれも政治的なものとして不満が大きいのである。
でも暴力革命よりはいいから採用された。そうなると別にどんな団体でも選挙で力をもつことは権力を得ることは許される制度だとなる
共産党でも創価でも武力も辞さず権力を得る武闘派的団体だった。
でも民主主義になり平和革命と無血革命で権力を得ることを目指すようになったのである
ただ暴力というとき今でも武力は最後のやむをえぬものとして実行される。
しかし現代の暴力は武力だけではない、別なものに変わったのである。
暴力的なものとは数の暴力というとき民主主義は数さえ集めればそれが正義となり権力となる。
すると権力をとるために革命でも数を集めることだとなりカルト宗教団体ならともかく頭数を集めることか革命だとなる。宗教もその一つの手段となった。
数はもはや暴力である。どんなに正しいことを言っても一票の力しかもちえないから社会では相手にしない、ところがカルト宗教団体でも創価でもなんでも信者の数で社会に影響するから数が暴力的なものとして社会で働く、そしてこの暴力的な数によってマスコミも支配される、マスコミはテレビでも視聴率がないと広告費も入らないからいかに多くの人にみられるかが最大の問題になる。
だからそうした団体を批判したりはどこもしないのである。
民主主義は数で決まる。南相馬市でも三〇キロ圏外は補償金が少なかった。もらったのはもらったけど少なかった。もちろん全くもらえない方が多かったから不満が広い範囲になった。
南相馬市の場合は市長選挙でも小高区と原町区に補償金を多く与えれば票は原町区が五万とかの人口があったのだから原町に恩恵があればそれで市長は当選できたとなる。
だから合併して損したのは鹿島区だとなってしまった。
これも民主主義はともかく数で何でも決まるかである。
若者が不満でも老人票が多いから老人に有利な政策になり結果的に若者は老人のために苦労するだけだと不満が大きくなる。
民主主義は武力とかではない、数で決まるから数が暴力の代わりになるからである。
それで不満を言ってもそういう制度なのだからどうにもならない、他にいい制度があるのかというとなかなかないだろう。

ただ民主主義は選挙だけではない、報道の自由とか言論の自由とか方の法律によって決まるとかいろいろある。法律が大事なのはそれも意志疎通の問題なのである。
常に争いが起きたとき武力で解決していたら個々人でも暴力で解決していたら平和保てない、だから明治維新後は仇討ちは禁止された。
法律にのっとて平和的に成されるのであり暴力は禁止されたのである。
それでも不満だった武士は家族を無惨に殺された侍は暴力で復讐したということがあった法律だけでは納得できないことは今でもあり暴力で復讐する人はいる。
なぜなら法律は絶対に公平なものでもない、それも暴力をさけるために最悪にならないものとして民主主義の制度の中で作られたものである。
この世に最善となる社会などありえないからである。
法律も万能でもないし民主主義も万能でもありえない、ただ暴力、武力にならないための最悪をさけるものとしてあるだけである。
だから国同士では国際法などは通用しない、結局国同士になると暴力が戦争で優劣を決めるだけだとなる。どっちが正義ということはない、太平洋戦争でもアメリカが別に正義というわけではない、ただ強いものが弱いものを服従させたというだけなのである。
日本には日本の義があったともなる。
それは世界紛争とは今でもそういうものでありどっちにも義があり強い方にすべて義があるわけでもない、世界紛争になると法律は通用しないから未だに武力で解決しているのである。

暴力というとき何か武器とか武力をイメージするが現代では別なものに変わった。
武力は金に代わり技術力科学に代行される、技術でも今は巨大であり森林でもどこでも機械で破壊してしまう、機械が暴力的であり科学もそうである。科学技術力は自然と人間が意志疎通させることしない、何か自然のリズムのように徐々に変えるということもしない、急速に科学技術力げ自然を破壊して変えてしまうのも暴力的なのである。
原発でもそうである。それは恐るべき自然を破壊し汚染する暴力装置だったのである。
この技術力も制御することができない、すると自然は破壊され人も住めなくなった。
科学技術力が自然であれ社会であれ暴力的に働いたからである。
そして現代のグローバル社会で最も暴力的なものが金になっている。
グローバル資本主義では金が最も暴力的なものとして力をふるっている。
金によって世界は支配できる、その金を支配しているのが世界の金であるドルだとなりアメリカが世界の支配者となる。

金の力がグローバルに働くからそうなる,巨額の金が株式市場で動く,それで株で何百億をもうけたとかとなると金の暴力的なものとしてグローバルに働いている。
国でも個々人でも世界的にもはや金の支配から逃れることができない、だから不思議だったのはシリアにはロスチャイルド系の銀行がなくIMFがなかったということである。
それはアメリカに支配されないためにそうなっていたとなる
金でも百億円株でせうけて俺はもっているとなるとそれが暴利となり暴力的になる。
その金で何でも買えるとかなり金に魅せられたら悪魔的にもなるだろう。
新聞社でもテレビ局でも何でも金で買えるとなる。現実社会では金で買えないものはないとまでなっている。
民主主義でも票でも金で買えるともなる。そうなると金の力がすべてを決定するとまでなる。
金は武力とちがって武器でもないから外に現れにくい、でも武器を買うためには金が必要であり戦争には必ず金がかかわっている。それで金で戦争させるとなると金が実際は暴力になる。

東電が安全神話を作り得たのは金の力でもあった。国家並みの金をもっていたのである。
グローバル資本主義は暴力的なものとして機能する。それは金が世界を支配するからである。金にもの言わせる、金に従わせるとなる。金で心を買うということにもなる。
その力がグローバル社会になったとき資本主義になったとき有効になる。
だからグローバル経済というものが果たして人間にとっていいものかどうかは疑問になる金によってすべてが支配されるより金では支配されないということもまた人間社会には必要である。
金の力がグローバルに力をもつと人間的なものを逸脱してしまうのである。
それで人間の経済とかが志向されることにもなったのである。
それが金がすべての価値基準でない社会がかつてあったからである。
現代は確かに露骨な暴力は否定されるがそれに代わるものが暴力的に働いている
人間的経済のようにそこには互いに意志疎通させるものではない
ただ一方的に金の力で支配されてしまうのである。

民主主義とは根幹お思想はいろいろあるけどともかく武力に暴力ではなく話し合いで意志疎通して平和裡にもめごとを対立を解消しようとすることが根底にある。
だからここにも不満がある完全なものではない、でも暴力になったらあまりにもどこでも悲惨なのである。戦争でどれだけ死んだか?それは国同士の争いになると暴力しかないからである。国際法なども通用しないから力が強いものが決めるとなってしまうからであるともかくこの社会は絶対に公平にはなりえない、個々でもそうであり国と国でもそうである。
それは神しかできないことである。

主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。

あなたがた力ある者よ、まことにあなたがたは正しい事を語り、公平をもって人の子らをさばくのか。

アメリカが力あるものだけど公平をもってさばけるのかとなるとならない、日本の敗戦はアメリカの力によるものでありそれで
公平にさばかれたかとなるとならないのである

永遠の平和は神によらなければこない、その時は一端この世が滅びるときなのである。
民主主義とは何かというとき話し合いであり議論でもそうである。
武力ではなく暴力ではないことで意志疎通させて解決させようとする制度である。
そこには不満がある、仇討ちでも私的復讐を許したらそれはまた復讐された方が恨みつづけて怨念の連鎖をとめられないのである。それは子供にまた負担をかけることなのである国同士の戦争となると正義などどこの国にもない、それは今のシリアの混乱をみれば一体何で争っているのかもわからないのである。
それは太平洋戦争でも起きていたのである。中国の内乱がありロシアも加わり大国の思惑のなかでシリアが犠牲になり難民化したのである。