2015年10月01日

盛岡は芸術都市(秋日盛岡-詩と絵)


盛岡は芸術都市(秋日盛岡-詩と絵)

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秋日盛岡

盛岡の街をそぞろ歩みぬ
煉瓦作りの堅固な銀行に
上の橋擬宝珠の古りあわれ
秋の日にさして渡る橋
袂に野菊の塊り咲きぬ
長々と柳は垂れてそよゆる
昔の商家の白壁に移る日影
城跡に残る石垣の精緻に組まれ
老松もあれや忠臣もあれ
中津川に沿いそぞろ歩めば
さらさらと清らかな瀬音
コスモスの花々もここに映え
岸辺の石に老木に秋の日はさしぬ
かたや北上川の流れ滔々と
岸の狭しと流れはやしも
岩手山の輪郭際立ち迫り聳ゆも
一貫として揺るがざる厳しい姿
静かなる秋の日にここを歩まむ
歌心詩心のここに湧きなむ
煉瓦作りの銀行によりて
秋の薔薇の三色咲きて心にしみぬ
盛岡の街の通りを歩むもよしも
喫茶店によりてもの思ふもよしも
みちのくの都市盛岡は今も
古風とハイカラの交じる都市かな

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東北は都市は少ないし都市的な魅力に欠けている。都市でいいのは西である。歴史もあり自然もある。
東北で文化都市と言えるのは盛岡と弘前だけのように思える。
仙台は何かもう一つ文化都市としては大きいのだけど欠けている
商業都市で学都というのにはふさわしい。
なぜ盛岡が芸術都市で文化都市なのかというと賢治と啄木という詩人が生まれたことなのである。
なぜあのような詩人が生まれたということが東北になると不思議である。
何か東北的なものがあっても都会的なのである。

それは盛岡という都市がその時近くにあったからである。
花巻とか渋民とかは東北の貧しい村落である。
そうしたらあんな都会的なものは生まれないのである。
要するに文化というのは都会だけからは生まれない、また田舎だけから生まれないのである。
東京があんな巨大都市でも文化は生まれない、田舎がないからである。
田舎とは自然のことであり都会は文化でもある。田舎が基なのだが都会的なものも文化なのである。
田舎的なものと都会的なものが融合するとき文化が生まれる
田舎だけでも文化は生まれないのである。

盛岡は川が二つ街中を流れているし何か都会でも田舎的な所がある。
北上川と中津川がなんともいいのである。
その川べりを散歩すると気持いいのである。
それは仙台の広瀬川とは違う気持ちよさがある。
そして岩手山が映えるのであの山によって身がひきしまるのである。
それから城跡もあるし城下町なのもいい
まず文化都市となると城下町でないと歴史がないのでなれない
青森市は城下町ではない、弘前は古風の城があり城下町だから文化都市になる

常に自分が相馬について書いているが日立木から松並木を通り相馬の城跡に行く浜街道の道は何度行ってもあきないのである。
やはり歴史の道だからそうなっている。
歴史にはそうした何か人をひきつけるものが必ずある。
仙台にも歴史があるのだけどそれが何か感じない、青葉城があるのだが感じない
仙台は大きくなりすぎたとこともある。
今回の詩は前に俳句とか短歌にしたものからまた回想して作った。
自分の場合は俳句とか短歌から詩にしている
それは晩秋だったがこれは初秋であり秋の日である。
まず盛岡というときあの煉瓦作りの銀行が印象に残る
建築の影響が大きいなとつくづく思う。
ヨーロッパの魅力は建築にある。それもローマ時代からあり古いのである。
ただその魅力もそれに接する度合いが多ければいいが外国旅行は何か余裕がないので良く見れなかった。そこが一番の問題だった
盛岡は近いから何度も行っているから思い出すのである。

東北はやはり何度も行けるというのがいい
それでも会津は福島県内だが今になる遠いなとつくづく思った。
もう介護で行けなくなってから十年は行っていないのである。
会津は福島県でも別世界だとなる
この詩を作ったときとにかくまず煉瓦作りの銀行だった
あれは貫祿があるというか質実な感じがする
建築が精神に影響するということがある。もちろん岩手山なども心に影響する。
一方でも建築も心に影響する、だからヨーロッパでは精神形成が建築になっている
それが今は高層ビルでもビジネスだけであり何か精神に影響するものがない
ただ高いなというだけである。高いと大きいだけで心に影響することはない
だからこれだけの建築物にあふれていても何か精神に影響するものがない
ホテルでも一流ホテルになると確かに大理石などを使うと何か心に影響する
一流ホテルには泊まったことがないのでその辺はわからない


前に書いたり絵にしたりしたものをまた作り直すといいものができる
自分の書いたものは相当な量である。
ただ絵のようなもの、抽象画はまた変えやすいのである。
完成したものとしての芸術ではない、常に変化してやまない芸術だった
まあ、芸術の秋であり盛岡はそれにふさわしいとなる



 上の橋は南部藩主利直公が盛岡城を築くと同時に中津川に架けた橋。欄干を飾る青銅製の擬宝珠のうち、慶長14年(1609)の銘が刻まれているものが8個、慶長16年(1611)の銘が刻まれているものが10個ある。これほど多数残っているのは大変珍しく

 慶長16年は慶長津波の起きた時である。この時からあるとしたらずいぶん古い
 それだけここが歴史ある場所だった
 墓などは残っているが公共物で慶長時代となると東北ではかなり古い
 それも橋にあったというときそれは公共のものだから城とは違うからである。
 京都辺りでは珍しくないが東北ではこれだけ古いものはまれなのである。


タグ:盛岡の詩

2015年10月02日

シリアの争いの構図 (ロシアと結び平和だったシリアを壊した欧米ー素朴な人たちだったシリアのなぞ)


シリアの争いの構図

(ロシアと結び平和だったシリアを壊した欧米ー素朴な人たちだったシリアのなぞ)


シリアの複雑さはロシアの指導で社会主義政権の時がかえって平和だった。
だからシリアの人は素朴でいいとシリアを旅行した人が何度も言っていたのは社会主義政権がすべて悪いとはならない、それなりにその制度で治まっていれば平和があった

ではなぜシリアが混乱して内戦になったのか?
それはアメリカが強引に大量破壊兵器で難癖つけてイラクを攻撃したことである。
そのあとにイラクが混乱してイスラム国が生まれた。
そのイスラム国がなんなのだろうとなる
イスラム国がアメリカに支援されているということをネットで解説している
イスラム国を空爆したのではないか?
武器まで支援しているという、それはなぜなのか?
シリアのアサド政権がロシアと組んでいることに対してアメリカは不満である
イスラム国がアサド政権も攻撃している。
となるとイスラム国はアメリカにとってもいいとなる
何かこの辺の構図が本当に複雑である。

この図はわかりやすい
http://i.imgur.com/myw4o7j.jpg

イスラム国を支援しているのはイスラエルだともいう、確かにイスラエルをイスラム国は攻撃しないのも不思議である。
イスラエルとシリアはもともと対立していた。イランとも対立していた。
ロシアとイランとが共同してイスラム国をたたくとなるとイスラエルに危険が及ぶ
アメリカこうなるとこの辺で勢力をもてない危機になる
イスラム国が必ずしもアメリカにとって悪く働いているとならないか支援しているのか?
基本的にはアメリカとロシアの大国の対立の中でシリアが犠牲になった
その根がアメリカのイラク戦争でありそれが中東の平和をかえって乱してしまったのである。
この時ヨーロッパも日本もイラク戦争に同調して戦った、日本は金しか出さないと批判された。
イラク戦争とはアメリカが正しいとはならないアメリカに非があった。でもアメリカのことはあまり批判されない

イラクもシリアも主権国家だったけど壊された。それは結局大国の横暴の結果でありシリアは犠牲になった。
ロシアもそうではないかというときロシアも常に漁夫の利を得るあくどい国として批判される
でもなんかネットでは最近は共産主義国家の方が理屈が通っているとか言われる
ロシアがアサド政権を支持して社会主義国として平和があったのになぜこんな悲惨なことになったのかということをみればわかる
要するにシリアはロシアの支配下にあっても社会主義国で平和に生活していたのである。その平和を壊したのは誰なのか?その裏には大国の駆け引きと横暴がある

アメリカという国は軍需産業国家であり戦争がないと武器が売れないので定期的に戦争をしかける。
だからアメリカは常に戦争をする国だと言われる。
そういうアメリカに日本が集団的自衛権で追従していいのか?
そうなるとアメリカとともに世界戦争にまきこまれる
でも中国が台頭してそのはざまで日本は選択を強いられる、ただアメリカ追従で戦争に参加させられることに危険を感じる
アメリカが世界を混乱させて戦争に導いたということがある
アメリカと一緒に行動することは日本もその責任の一端を負うことになる
確かにアメリカ側からすれば一方的に日本を助ける安保条約は利益がない
アメリカを助けない日本は何なのだという不満が露骨に出てきている
アメリカ側からすれば日本と組んでも利益がないとみられる
共同で敵と戦う国ではないとなる。

要するに別にアメリカは正しい国ではない、正しい戦争をする訳でもない、かえって世界を混乱させてもともと平和だった国をシリアのように悲惨な状態にした
それはヨーロッパもそうであり中東はそうしてヨーロッパによってもアメリカによっても混乱させられてきたのである。
シリアの歴史は古く聖書にも記されている、そこはフェニキア人の港があったから相当に古い要衝の場所だった
ロシアの軍港もあるからロシアは手放したくない、それでシリアを守るためにイスラム国と戦うことを決意した。それは反アサド派とも戦うということにもなる
そもそもイスラム国はなにものなのかというときそこには大国がかかわりイスラム国だけで自立して戦っているわけではない
武器や資金も外国から援助されているとするとそれは何なのだろうとなる

シリアはアメリカ、ヨーロッパ、ロシア、イランとか三つ巴四つ巴の場となって混乱している。
シリアがまさに世界の国がかかわり縮図となり世界大戦の様相を帯びてくる。
世界の紛争はそうした一地域から拡大して世界大戦になる。
日本もまた集団的自衛権で否応なくまきこまれてゆくのである。
では日本が世界と切り離して鎖国のように平和が保たれるのかとなると今はありえない
ともかくシリアがロシアであれ社会主義国のままであったとき平和だったのである
その時だからシリアには素朴な人たちが多かったということを納得する

ともかくヨーロッパであれ中東であれそこは聖書の時代から戦乱がつづいている。
結局日本のように海という自然の防壁がないところでは陸続きなのだから常に異民族が侵入して混乱して戦争にもなる
大量の移民も戦争のきっかけになる。それは一種の戦争状態になったいる
難民というとき出エジプトも民族大移動だったのである。
世界になると民族が移動して絶滅したりすることがあった。
大陸では激しい民族間の争いがあった、日本では島国でそうした歴史がなかったから平和だったのである。モンゴルも海に守られて日本を侵略できなかったからだ。
難民をとめるには軍隊が出動して殺すことまでしなけれはならなくなる
それは陸続きだから大陸ではそうなりやすいのである。
国境でもとめようがないことを見ればわかる、ゲルマン民族の移動とかそういうことはあったからそれは世界動乱にもなってしまう。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、第三次世界大戦となる危機にもなるから恐怖なのである。

シリアで今本当に起きていること。在日シリア大使が真相を暴露してくれた。政府は悪くない!?
http://www.dogamakiura.net/2608526412354861/136

シリアで何が起きている?

「シリアにロスチャイルド中央銀行がない。シリアにIMFに借金がない。シリアに遺伝子組み換え農業がない。シリアはシオニズムに反対している」などの話は興味深い。 
 
http://isehyakusy.exblog.jp/21687139

シリアのこの話はシリアは欧米の影響を受けない国だった証明である。
良くネットではロスチャイルドが影の世界の支配者だとか言う、反グローバリズムの国だったとすると何か世界でもそのことを知らない、
銀行はなぜ重要かというと銀行を通じて貨幣を通じて国でも人を支配できるからである。
もし銀行を通じて支配されないとすると金に支配されないから素朴な人たちだったのかとなる
シリアの人たちが素朴で良かったというときまだ資本主義とか欧米の文化に染まらない国だった
それは明治維新の前の日本の江戸時代ともににていたのかもしれない
明治維新後に日本は欧米化して全く人間まで変わってしまったからである。
中東が遅れた国だというときかえって素朴さが残っているとういことでシリアは素朴な人たちで好感がもたれたということが納得がいく
欧米側からの報道だけではシリアはわからない、シリアはそれなりに独自な国作りを目指していたのである。
ただシリアというと社会主義国で閉鎖されていたから外部に情報が出てこなかったのである。
自分はシリアは素朴な人達で好感をもったということをシリアを直接旅行した人に聞いたのでそれがなぜなのか?そして今なぜなんなふうに悲惨な状態になったのかと思った

インターネットにはマスメデアとかとは違う情報がでているが調べるのがめんどうなのである。
インターネットの弱点は貴重な情報があってもなかなか見つからないと調べられないことにある。
テレビだったらリモコンのボタン一つおすだけであり一方的に見ているだけだから楽なのである。その楽なことが洗脳されるだけだとなる
それでもインターネットの情報を利用するのは暇がないとできない理解するのもむずかしい。
だから人間は楽な方に流れる、洗脳されるのである。
百回嘘を言えば真実になるとか、ハイルヒットラーとか簡単なことが大衆を洗脳するにはいいのである。
題目を唱えれば解決するとかカルト宗教団体でもむずかしいことを言っていたら人は集まらないのである。
大衆を支配するのは「サーカスとパン」だというのも変わっていないのである。

 
タグ:シリアの謎
posted by 天華 at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年10月03日

電車より見る春の城(俳句連作十句)


電車より見る春の城(俳句連作十句)

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花盛り天守へ登る福山城
春草や車窓より見ゆ姫路城
春なれど半月あわれ洲本城
船絶えじ春の夕陽や明石城
花散るや夕陽に映えて大阪城
夕暮れや枝垂桜の吉田城
川と海通じて春の吉田城
誰がたずぬ花ちる後や馬陵城
春の山四方に望み三春城
天守へと花咲く道を二本松城
車窓より春の夕日や白河城
残る雪車窓に見えて上山城
花の色幾日深む弘前城

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福山城は駅からすぐおりて城を見れる、駅が城のようになっているからめずらしい
一番印象に残ったのは姫路城である。
それは春の日であり車窓から遠くに見えた、ただ都会化しているからあまり大きくは見えないが確かに見えたのである。そこで心が弾んだ

洲本城は淡路島であり何かおもちゃのように小さい城のうように見えた。
ただ渚があり松があって波が静かで東北の荒い波とは違っているから落ち着く
その時出ていた月は半月であった。
ここにも城の物語がある。その物語を理解するのはなかなかむずかしい
ここは都会ではないから回りの景色がいい

明石城は瀬戸内海が見えて淡路島が見えて見晴らしがいい、船が絶えず往き来している
そこに春の夕日がさして沈んでゆく、
大坂城も春の夕日が燃えつつ沈んでゆくとき花が散ってゆく光景は忘れがたい
吉田城というのは豊橋だけどここは夕方訪れた、枝垂桜が印象に残った。
実際はここは東海道の繁華な街である。橋は浮世絵で有名である。
豊橋とは橋が有名なために名付けられたのか?
吉田城まで市電で行った、そのことは前に俳句でも書いた
吉田城で知らなかったのは海が意外と近く川が通じている、川をを防壁として作られた城だった。
青葉城も広瀬川を防壁として作られた戦国の城である。
相馬の城(馬陵城)も宇多川を防壁として城を守るためにもともとは城のすぐそばまで川があった。
戦国時代は川は敵から守るために川を利用して作られた。
ただ馬陵城は伊達から守るとしたら反対側になる、そのために堀を作った。

東北で車窓から見えるのは山形の上山城である。小さな城だけど見える、これも前に書いた
白河城も車窓から見える、あとは東北で車窓から見える城はない
西には城が多いが東北には少ない
日本の城は何か一般的に小さい、ビルと比べればわかる、なぜあんなに小さいのか?。
本当にあそこで生活していたのかとなる
でも当時はビルもないのだから一番目立った建物だったのである。
だから遠くから城は見えた、関所など越えて国が変われば城が一番目立つものだった
城は街の中心とてしあった。
ともかく城があるところに日本では歴史を感じる場所である。

電車から見るとどうしても走っているから記憶するのがむずかしい
要するにもっとゆっくりだったら記憶されやすいのである。
早ければ記憶しにくいのである。
現代はすべてが早いから印象に残るのが少なくなくなる
ただ通りすぎて記憶に残らないのである。
旅は今になと記憶に残ることが大事だった
第一記憶に残らなかったらこうして俳句にもできない
何かしらわずかでも記憶に残っているとそこから回想して俳句でも作れる

旅は簡単にできると思っていたが今は全くできない
何か今は日本でもホテルが不足しているとか旅しにくい時代になった
外人が多すぎるのも何か落ち着かないだろう
だから恵まれた時代を過ごしたとなる
ともかく何度でもやはり思い出して過去をふりかえることが意外と大事である。
テレビでも一回では記憶に残らない、二回三回と見ていると記憶に残る
映画でもそうだし本でもそうなのである。
俳句は短いから連作でないと何か芸術になりにくい
奥の細道は一句一句ではなく連作として鑑賞するものでありそうでないと俳句はなかなか一つの芸術となりにくいのである


タグ:春の城

2015年10月04日

空家問題とにている原発避難区域 (限界集落問題ともにている)


空家問題とにている原発避難区域


(限界集落問題ともにている)


空家が今日本全国で800万軒とかある。この数も凄い、自分の回りでも三軒くらい空家が街中にある。その空家は別に借りる人がいないから空家ではない
この辺は避難区域でないし外からの避難者で増えているから借りたい人はいくらでもいるのである。
ではなぜ空家のままなのか?最近空家になった家もある。原発事故があってから空家になったのもある。
もう10年以上とか空家になっいてる家も不思議である。
どういう事情なのかわからない、別に家自体は荒廃していない、時折来て掃除はしているみたいだ。
この辺の空家は避難区域の空家とは違う、ネズミに食いあらされるとかはない。
空家にしておくのは何か事情がありそうしている。
でも空家には今度は税金が課されるようになった。
空家のままにしておくと金がかかるから早く手放したいとなるしその利用をどうするか問題になっている。
空家でも壊すとなると金がかかるし簡単には壊せない
飯館村では千軒の家を壊したというから驚きである。
この辺では原発事故で最初家を壊すときその費用が出たから壊す家もあった。
原発事故避難区域ではいろいろと補償金がでるから飯館村に新しく家を建てた人もいる。でも息子や娘が帰ってこないと嘆いていたしこの新築の家もそうしたら無駄になるとか言っていた

原発避難区域は空家でもない、でも空家化している。もう五年もすぎたからこれからどうなるのかとなる。
飯館村で千軒も壊したということは新しく家を建てる人もいるがもう建てない人も出てくるだろ。
いつれにしろ五年もすぎたら帰ると帰らないとか悩んでいる時期ではなく、帰る人は帰る、帰らない人は帰らないだろう
いつまでもどっちつかずでははいられないだろう。
それは空家問題ともにている、土地と空家があれば権利があると思っていることなのだ。でも何かそこに人が住まない限り権利も喪失してゆくのではないか?
例えば地主が権利を失ったのは土地だけをもっていてもその土地に労働している人が価値あるという考え方になったからである。
また家を借りる人の権利が強くなったのも利用している人の方が価値があるという考え方である。
これは確かに言えるのである。空家が十年以上あるということそれに何の価値があるのかとなる、その所有者が財産として保持するのはいいが保持するにも今度は税金がかかる。だからなんのために空家にしておくというのがわからない
いつか帰るから売らないで空家にしておくというのもある。
それもまた何か原発避難区域の状態とにている
避難区域ではいつか帰るということはある、でもいつまでも帰るとか帰らないとか5年も過ぎて悩んでいる状態ではないだろう。
そんなことしていたらいつまでも宙ぶらりんになる
そんなにいつまでも補償金だって払えないのである。その不満が国民から大きくなる。
たから五年もすぎたら決断せざるをえなくなる。

その空家問題が避難区域の問題とにているのである。
ある人はもう帰らないから家はリホームしないというのは老人であり先が短いのに家を直したらまた金がかかるから直さないのである。
家を直している人は住む人である。浪江でも屋根の瓦を直しているいる人がいた。
浪江でも住む人がいるんだと思った。そこは街から近い場所にあった。
しかし圧倒的には空家であり地震で壊れたような所も直していない
自分にしても家が40年以上過ぎていたんでいるけど直すと金がかかるから直したくない
家を直すと金がかかりすぎるしあと住む人もいないとなると直して無駄だと思ってしまうのである。
空家問題にしろ限界集落問題にしろ何か原発避難区域ではそうしたことが極端なものとして現実化したのである。
限界集落では老人しかいなくなりもう村を維持できなくなり廃村化してゆく
そういう村が全国的に増大してくる

この辺は別に限界集落ではなかったがそれが原発事故で極端化して現実化したのである。
空家であっても所有者がいてその権利は保持している。
原発避難区域でも土地と家があるとその補償金は大きい、それが普通の空家とは違う。
だから避難しても土地と家の補償金が払われるから今では東電や国に対して補償金を要求するものとして町民や村民があるともなる
放射性物質の廃棄物の処理場として土地を貸せばそこから収入が入ってくるから他の土地に移り家を建ててもそれで暮らしていけるともなる
要するにもうそこに住まないとなると補償金であれなんらかの収入になればいいとなる
でももし住むとなれば放射性物質の処理場が近くにあるから嫌だとなり反対もする
現実は双葉辺りでは帰りたいという人はその処理場で土地を売る売らないでもめている。要するに空家でもただ空家として放置している人とまた本当に住むために空家にしているのとは相当に違っている
そこに住む人には権利が生まれが住まない人が権利を主張しえるのかということもある。だから別にもう住まないけど放射性物質の処理場として土地を貸して金が入ればいいという人と帰って住むという人ではもう対立するようになる
帰って住むという人は放射性物質の処理場があるのには反対するけど帰らない人は反対しないからである。

所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する(239条1)

これも利用するものの方が価値あるという考え方である。
所有者のないままに放置されたものは価値がない、利用する人のものになってしまう。
その方が社会にとってはいいからである。

地域内においては高齢化などにより管理労力が不足し、自己所有の土地資源の管理でさえ難しくなりつつある。
このように管理が行えない土地資源が増加することで、犯罪の増加や鳥獣被害
の発生といった周辺地域への影響だけでなく、土砂災害の危険性が増大するなど
下流域など広域的な影響も発生する。そのため、遊休土地資源の利活用を推進し、
適正な管理を実施しなければならない。

今回調査した 5 地域において、農地の多くが田となっており、その耕作者は 65
歳以上の高齢者が多い上、後継者について「いない」もしくは「決めていない」
人が多く、5〜10 年先の農地維持が懸念される。
http://www.mlit.go.jp/common/000054543.pdf

鳥取とか島根県では30パーセントくらいが不在地主とかになり土地も森林も利用されていない、するとそこは荒廃してゆき、そこだけの荒廃にとどまらず土砂災害とか何か近隣にも影響してくる
例えは飯館村の土地が売られているというときそこが何になるのか
前は産業廃棄物処理場となることで問題になった。
南相馬市の桜井市長は大甕の産業廃棄物の処理場問題で運動して市長になったことでもわかる。
今は放射性物質の廃棄物の問題が主なテーマとなっているのもにているのである。
飯館村でもそうして土地が売られるときそこが放射性物質の処理場になりやすいのであるその放射性物質は何らか雨がふったりすると土にしみこんで川を通じて流れてくる
その下流域である南相馬市とも関係しているのである。

そもそも土地というのが誰のものなのか?明治以降に私有権が与えられて土地が無数に細分化されて所有されるようになった。
だからその私有権を主張されると公共的な利益を追及できなくなったのである。
広島の土砂災害の地域も無数に山が分割されて私有されるようになっていた。
江戸時代は入会権で山は私有されていない、村のものであり共有されていたのである。
土地というのは実際は大地はつながっていて私有することに向いていない
田畑でも大地がつながっているのだからその土地を所有していても勝手にしにくいのである。だから農民には土地はみんなで管理して利用するという共同の心が生まれる
今でも連帯意識は農村であるのは土地が一区画として住宅地のように管理できないからである。
水だってそれは共有するものとして田ごとに流れてゆくからである。

だからこの辺で飯館村が南相馬市と合併するというとき反対したが飯館村は南相馬市と地域的に山で離れているようでも水が流れてくるから今になると地理的一体感がないとか思っていたがあった。
もともと相馬藩だというときそれは地理的な一体感として飯館村が山中郷としてあった。政治的に線引きされるものがもあるが相馬藩の場合、飯館村は地理的一体のものとしてあった。
今回の放射性物質の処理場問題でも地理的に一体だから飯館村の土地が勝手に自分のものだから売ってもいいのかとなったのである。
それは原発を建てる時でもそうだった。ある区画が所有しているから東電に売るのは勝手だとなったら回りが迷惑になる。
そして漁業権でもそれも海は漁師のものだとばかり言えなかったのである。
なぜなら原発事故では広範囲に被害があったからだ。
だからそもそも自然とは誰のものなのかとなるのだ。
自分の住んでいる前が海でありその家の延長の海が自分のものだと主張する権利があるというのも極端である。
そんな権利があるものかともなるが私有権が拡大して強化されてそうなってしまった。
私的所有権が明治以降拡大強化されてきたとき公共的なもの土地はそうであるがみんなで所有している感覚がなくなった。
だから一区画を私有していれば自分のものだとなりどうしようが勝手だとなる。
それが様々なも問題を引き起こしていることも確かなのである。



タグ:空家
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2015年10月05日

新たな文明が模索される時代 (ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)


新たな文明が模索される時代


(ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)

 




こいつがごますりだと言えるものがあるか?
一人がごますたならみんなそうだ
運命の段階はすべて、その下の段階によって
ごますられるのだ
学のある頭は金のある阿呆にペコペコする
すべてゆがんでいる
この呪われた世界にまっすぐなものはなに一つない
あるとすれば単刀直入の悪だけだ
これだけの金があれば黒を白に、醜を美に、邪を正に、卑賤を高貴に
老いを若きに、臆病に勇気に変えることもできよう
(アテネのタイモンーシェークスピア)


ドラマとかの弁護士像が綺麗過ぎるんだよな
実際の弁護士は殆ど法律ヤクザでしかないのにね

一昔前は、医療ミスとか言ってマスコミとか弁護士とかにも攻撃されたけど、
 医療ミスの場合はあくまでもミスであってわざと患者を殺そうとする医者
はいないだろう。でも弁護士の場合は故意の犯罪行為だ。
 職業上の倫理感では、弁護士の方が悪質だろ。
外科医もサイコパスが多い職業
メディア関係もサイコパスが多い職業

いるんだよこれが
医療ミス隠蔽のために殺す医者とか、気に入らない患者を殺そうとする医者が
多摩永山の医者が医療トラブルになってた俺の親父を殺そうとしてたらしく、部屋から医者か出た後に看護婦が飛び込んできたと思ったら、慌てて点滴止めて「殺されるかる逃げなさい」って
 そのまま点滴されてら医療ミスって形で死んでたとさ

せめて弁護士とか医者とか司法書士にかかわらない様な人生を送りたい

弁護士なんて半分は詐欺師かそれに近い存在。
ハシシタがいい例

弁護士なら横領着服しないって思い込みすぎだな
 チェック機能が働かなきゃどこにでも犯罪者がいる

 弁護士は前科者に優しい職業だから仕方ないだろ
元殺人犯とか元ヤクザとか普通にいる業界だぞ

日本の司法は中世未満
★★★法的問題の正解は「素朴な反論・再反論」の中にしか存在しない★★★

1)アメリカ・ドイツのように(特に国・大企業相手の)民事裁判にこそ国民参加制度を導入。
 2)アメリカ・ドイツのように「屁理屈パズルに過ぎない司法試験(←実務的資質と無関係)」
を欧米並みに無価値化する。
 3)アメリカ・ドイツのように裁判官の人事を民主化する(人事への国民の直接参加)

日本の司法は国や大企業の出先機関に過ぎないから、正義の通用する場でない。
 (日本のように、裁判官人事に国民が全く関与できない国はそうなって当然。)
 日本では最高裁事務総局(司法官僚)が影で裁判官人事を掌握し、
 権力者に都合良く司法がコントロールされている。
 日本人が多く誤解しているが、法的問題を正しく考える際に法知識は一切不要。
 

 
 なぜ人間はすべてがブラックになるのか?弁護士など正義を一番重んじる職業と思えるが現実は利権とかかわるから何かそこでブラックなのものになる。
遺産相続とかでもそこで大きな金とかかわるからそこで仲介するにしても何かブラックになる。悪く言えば弁護士も示談屋のようなものでそこで分け前を得るとかとなる職業である。
だからその職業自体がそうさせるともなる。
つまり弁護士はこつこつ働いて金をためるのとは違う、利権にかかわり一攫千金を得る職業だともなる、そこに何かモラルを頽廃させるものがある。
認知症とかの老人の後見人になった弁護士がその遺産を自分のものにして風俗で遊んでいたというのもそうである。
確かに月に二万くらいもらっていては少なすぎるというのはある。
だから馬鹿らしいとなる。そしてそうした利権にかかわるものは誘惑が多い
庶民だとなかなかそうした大きな利権にかかわることができない
それは大きな利権にかかわるものは誘惑が大きいからそこでその誘惑に負けてブラック化する

そもそもなぜこの世がすべてブラック化するのか?
宗教などというと一番正義とか愛を重んじるものだがカルト宗教団体になるとこの正反対である。
結局人間の欲望の方がまさるから厳しい宗教のモラルなど実践できない、だから露骨にかえってこの世の欲望を実現することになる
ただその宗教と正反対になっているからカルト宗教団体は一番ブラックなのである。
もちろんカルトとなるとまさにカルトであり誤謬の結果としてそうなっているからいい人が多いとか言われる
そこにはどろどろとした人間の欲望がありそのためにブラック化する
共産主義でも結局はなぜあんな悲惨な状態になったのか、それもこの世に理想社会を実現するということがかえってあれだけの犠牲を強いた。
皮肉なことは中国でも極一部の幹部が巨万の富を貯える結果となった。
つまりそうしたイデオロギーの理想の実現も人間の欲望には勝てないから一部の幹部は権力を我が物にするとその欲望を実現しよとするだけであった。

そういうこととを確かに「心の青雲」では指摘しているから同調する、左翼が信じられないというときそういうことが歴史的に証明されているからである。
司法でも権力側につくから原発でも最初から裁判ではとりあげないし今でも東電の幹部は罰せられることがないのである。
つまり司法でも官僚であり検察でも警察でも権力側につくように組織的に機構的になっていてそこで得をする仕組みが作られているのである。
公務員もそうであり自分の家でも公務員の家族がいたから得していたのである。
公務員は何か得する仕組みがあるからそうなる。
だから公務員もブラックだとなる、ただこの世でブラックでないものがあるのかとなる

医者でも看護師でもブラック化する、医者が無駄な薬を患者に投与するのはわかっていても金のためであり看護師でも天使となるのものが悪魔となる。
医者が何百人殺したとか看護師でも何百人殺したという事件があった。
そういう大きな犯罪ができるのも病院であり病院は怖いと思った。
そこで患者は弱者になり抵抗できないから怖いのである。
つまり抵抗できないことをいいことに権力をふるえる場所だから恐怖になる。
そういうブラックなことをネットでは絶えず言われている。
人間は権力をもつとモラルが麻痺してくる。
それは普通の人でも大きな金が入ると金銭感覚が麻痺する
何か自分が偉くなったような気分になり浪費してしまう。
現代はなにかにを言っても金がものいう時代だからである。
だから資本主義は金によってグローバルに支配する機構だとなる

「シリアにロスチャイルド中央銀行がない。シリアにIMFに借金がない

それでシリアの謎はそのアメリカ中心のグーバルな資本主義の機構に組み入れられないから不満であり民主化を欧米がしかけてロシアと結ぶアサド政権を倒そうとした。
世界機構としての銀行をもっていないということが不思議なのである。
銀行もまたブラックなのである。そもそも銀行の成り立ちとか紙幣の成り立ちが人をだますような搾取するようなものとして作られた。
つまり銀行は紙幣をいくらでも作れるということなのだ。なぜなら国でもそうだが紙幣は紙にすぎないからコストがかからないのである。いくらでも刷ることができるからでてある。
その紙にそもそも価値があるわけではないのだ。
価値があるのは別なのものである。それは重に土地とか物産とか技術とかいろいろあり紙自体には価値がないのである。
だから銀行を通じて紙幣をいくらでもすり貸してその土地とか物産とか技術とか現実に価値あるものを取り上げるのが銀行だとか言われる
銀行も消費者金融に金を貸し付けてもうけていたのである。
シリアではそうして銀行を通じて金を通じて支配できないからアメリカなどが不満であり民主化をよそおいアサド政権を倒そうとした。
なぜならシリアでは実際にたずねた日本人が人間が素朴でいいと何度も言っていたからである。
江戸時代のようにな状態にあったのか、その国はそれで平和だったのである。

そういう資本主義の価値観ではない価値観でいきる国でも社会でもそれは独裁だからと幸不幸は計れないからである。
戦後日本の失敗はアメリカの価値観に支配されてしまったことである。
アメリカがいい面があっても悪い面がありその悪い面も日本を汚染したのである。
民主主義にしてもそうである。ただ自由に自分の利己的権利追及するだけになった。
何か社会から共同性が喪失した。それは明治維新からはじまっていたのである。
私有権が認められこれがかえって共同性を喪失させるものになった。
土地というのものは大地はつながっていて分離できない、だから大地は結合しているから私有権を認めると共同性が喪失する
そもそも国でも国境で線引きできない、陸地でも空でも海でも実際に区切ることはできない、地球はすべて結合してできているからである。
だからあれだけ大きい中国でも国を否定する思想が生まれたのはそのためである。

グローバル資本主義というのがすでに限界にきていて世界的にも問題を起こす。
シリアの問題がそれと関係ないようでも関係していた。
欧米が善でもないしイスラム国がすべて悪でもないしロシアが悪でもない、何が善なのか悪なのかもわからなくなっているのだ。
それが今のシリア難民などの混沌を生み出している。
民主主義がすべての国にとっていいものでもない、欧米的なものがすべていいわけではない、その国々でつちかった価値観がありそれを否定することはできない
それを無理やり欧米では押し通すから混乱が起きて世界的な問題となる
その最大の動因が利権にかかわってそうなる。欧米の利権がありロシアの利権がありが他国に介入して混乱させて内部分裂して終始がつかなくなっている。

グローバル資本主義は欧米の価値観は見直す時期にきている。
それはキリスト教だからとかは関係ないのである。
キリスト教でも別に日本的なものとして受け入れればまた違った価値観の社会となる
仏教でもインドの仏教と中国の仏教と韓国の仏教と日本の仏教は違ったものとして受け入れたのである。
それはその仏像とか建築とかに現れている。中国の仏像と韓国の仏像と日本の仏像は違うのである。その国によって受け入れ方が違ったからそうなった。
だからキリスト教が諸悪の根源だとなるのは一方的見方なのである。
本当は日本は新しい文明を創造する使命を明治維新からになっていた。
東洋と西洋の架け橋的存在でありそれを内村鑑三などは主張していた。
西洋と東洋の融合した文明を作るのが日本の使命だというのは明治時代だったら江戸時代の国風文化が色濃く残る時代だから意識されたのである。
それが富国強兵とかの方向にかたよりすぎたのである。
そして敗戦になりアメリカの価値観を一方的におしつけられ消化できないままに今日のモラルの荒廃になった。

日本は日本的な新しい文明をルネサンスを起こすということを目指さねばならない
何か文明というと大きなもので関係ないように見えるがそれは地方でもありうる
一つの世界観とか価値観を作り上げることなのである。
それは自然と密接に結びついて成るからかえって東京のような大都会には起こらない
自分は石とか樹とか山とかとアイディンティティ化して一つの世界観価値観を作ることに個人的に芸術などで創作してきたのである。それは富国強兵の権力的支配の世界とは違うものである。
いづれにしろグローバル資本主義であり様々な組織機構であれ新たに刷新する時代が戦後70年で生じた、そういうときに天変地異が起こり易姓革命が起きるのである。


 
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新たな文明が模索される時代 (ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)


新たな文明が模索される時代

(ブラックなものがなぜ世の中を支配するのか)



こいつがごますりだと言えるものがあるか?
一人がごますたならみんなそうだ
運命の段階はすべて、その下の段階によって
ごますられるのだ
学のある頭は金のある阿呆にペコペコする
すべてゆがんでいる
この呪われた世界にまっすぐなものはなに一つない
あるとすれば単刀直入の悪だけだ
これだけの金があれば黒を白に、醜を美に、邪を正に、卑賤を高貴に
老いを若きに、臆病に勇気に変えることもできよう
(アテネのタイモンーシェークスピア)


ドラマとかの弁護士像が綺麗過ぎるんだよな
実際の弁護士は殆ど法律ヤクザでしかないのにね

一昔前は、医療ミスとか言ってマスコミとか弁護士とかにも攻撃されたけど、
医療ミスの場合はあくまでもミスであってわざと患者を殺そうとする医者
はいないだろう。でも弁護士の場合は故意の犯罪行為だ。
職業上の倫理感では、弁護士の方が悪質だろ。
外科医もサイコパスが多い職業
メディア関係もサイコパスが多い職業

いるんだよこれが
医療ミス隠蔽のために殺す医者とか、気に入らない患者を殺そうとする医者が
多摩永山の医者が医療トラブルになってた俺の親父を殺そうとしてたらしく、部屋から医者か出た後に看護婦が飛び込んできたと思ったら、慌てて点滴止めて「殺されるかる逃げなさい」って
そのまま点滴されてら医療ミスって形で死んでたとさ

せめて弁護士とか医者とか司法書士にかかわらない様な人生を送りたい

弁護士なんて半分は詐欺師かそれに近い存在。
ハシシタがいい例

弁護士なら横領着服しないって思い込みすぎだな
チェック機能が働かなきゃどこにでも犯罪者がいる

弁護士は前科者に優しい職業だから仕方ないだろ
元殺人犯とか元ヤクザとか普通にいる業界だぞ

日本の司法は中世未満
★★★法的問題の正解は「素朴な反論・再反論」の中にしか存在しない★★★

1)アメリカ・ドイツのように(特に国・大企業相手の)民事裁判にこそ国民参加制度を導入。
2)アメリカ・ドイツのように「屁理屈パズルに過ぎない司法試験(←実務的資質と無関係)」
を欧米並みに無価値化する。
3)アメリカ・ドイツのように裁判官の人事を民主化する(人事への国民の直接参加)

日本の司法は国や大企業の出先機関に過ぎないから、正義の通用する場でない。
(日本のように、裁判官人事に国民が全く関与できない国はそうなって当然。)
日本では最高裁事務総局(司法官僚)が影で裁判官人事を掌握し、
権力者に都合良く司法がコントロールされている。
日本人が多く誤解しているが、法的問題を正しく考える際に法知識は一切不要。



なぜ人間はすべてがブラックになるのか?弁護士など正義を一番重んじる職業と思えるが現実は利権とかかわるから何かそこでブラックなのものになる。
遺産相続とかでもそこで大きな金とかかわるからそこで仲介するにしても何かブラックになる。悪く言えば弁護士も示談屋のようなものでそこで分け前を得るとかとなる職業である。
だからその職業自体がそうさせるともなる。
つまり弁護士はこつこつ働いて金をためるのとは違う、利権にかかわり一攫千金を得る職業だともなる、そこに何かモラルを頽廃させるものがある。
認知症とかの老人の後見人になった弁護士がその遺産を自分のものにして風俗で遊んでいたというのもそうである。
確かに月に二万くらいもらっていては少なすぎるというのはある。
だから馬鹿らしいとなる。そしてそうした利権にかかわるものは誘惑が多い
庶民だとなかなかそうした大きな利権にかかわることができない
それは大きな利権にかかわるものは誘惑が大きいからそこでその誘惑に負けてブラック化する

そもそもなぜこの世がすべてブラック化するのか?
宗教などというと一番正義とか愛を重んじるものだがカルト宗教団体になるとこの正反対である。
結局人間の欲望の方がまさるから厳しい宗教のモラルなど実践できない、だから露骨にかえってこの世の欲望を実現することになる
ただその宗教と正反対になっているからカルト宗教団体は一番ブラックなのである。
もちろんカルトとなるとまさにカルトであり誤謬の結果としてそうなっているからいい人が多いとか言われる
そこにはどろどろとした人間の欲望がありそのためにブラック化する
共産主義でも結局はなぜあんな悲惨な状態になったのか、それもこの世に理想社会を実現するということがかえってあれだけの犠牲を強いた。
皮肉なことは中国でも極一部の幹部が巨万の富を貯える結果となった。
つまりそうしたイデオロギーの理想の実現も人間の欲望には勝てないから一部の幹部は権力を我が物にするとその欲望を実現しよとするだけであった。

そういうこととを確かに「心の青雲」では指摘しているから同調する、左翼が信じられないというときそういうことが歴史的に証明されているからである。
司法でも権力側につくから原発でも最初から裁判ではとりあげないし今でも東電の幹部は罰せられることがないのである。
つまり司法でも官僚であり検察でも警察でも権力側につくように組織的に機構的になっていてそこで得をする仕組みが作られているのである。
公務員もそうであり自分の家でも公務員の家族がいたから得していたのである。
公務員は何か得する仕組みがあるからそうなる。
だから公務員もブラックだとなる、ただこの世でブラックでないものがあるのかとなる

医者でも看護師でもブラック化する、医者が無駄な薬を患者に投与するのはわかっていても金のためであり看護師でも天使となるのものが悪魔となる。
医者が何百人殺したとか看護師でも何百人殺したという事件があった。
そういう大きな犯罪ができるのも病院であり病院は怖いと思った。
そこで患者は弱者になり抵抗できないから怖いのである。
つまり抵抗できないことをいいことに権力をふるえる場所だから恐怖になる。
そういうブラックなことをネットでは絶えず言われている。
人間は権力をもつとモラルが麻痺してくる。
それは普通の人でも大きな金が入ると金銭感覚が麻痺する
何か自分が偉くなったような気分になり浪費してしまう。
現代はなにかにを言っても金がものいう時代だからである。
だから資本主義は金によってグローバルに支配する機構だとなる

「シリアにロスチャイルド中央銀行がない。シリアにIMFに借金がない

それでシリアの謎はそのアメリカ中心のグーバルな資本主義の機構に組み入れられないから不満であり民主化を欧米がしかけてロシアと結ぶアサド政権を倒そうとした。
世界機構としての銀行をもっていないということが不思議なのである。
銀行もまたブラックなのである。そもそも銀行の成り立ちとか紙幣の成り立ちが人をだますような搾取するようなものとして作られた。
つまり銀行は紙幣をいくらでも作れるということなのだ。なぜなら国でもそうだが紙幣は紙にすぎないからコストがかからないのである。いくらでも刷ることができるからでてある。
その紙にそもそも価値があるわけではないのだ。
価値があるのは別なのものである。それは重に土地とか物産とか技術とかいろいろあり紙自体には価値がないのである。
だから銀行を通じて紙幣をいくらでもすり貸してその土地とか物産とか技術とか現実に価値あるものを取り上げるのが銀行だとか言われる
銀行も消費者金融に金を貸し付けてもうけていたのである。
シリアではそうして銀行を通じて金を通じて支配できないからアメリカなどが不満であり民主化をよそおいアサド政権を倒そうとした。
なぜならシリアでは実際にたずねた日本人が人間が素朴でいいと何度も言っていたからである。
江戸時代のようにな状態にあったのか、その国はそれで平和だったのである。

そういう資本主義の価値観ではない価値観でいきる国でも社会でもそれは独裁だからと幸不幸は計れないからである。
戦後日本の失敗はアメリカの価値観に支配されてしまったことである。
アメリカがいい面があっても悪い面がありその悪い面も日本を汚染したのである。
民主主義にしてもそうである。ただ自由に自分の利己的権利追及するだけになった。
何か社会から共同性が喪失した。それは明治維新からはじまっていたのである。
私有権が認められこれがかえって共同性を喪失させるものになった。
土地というのものは大地はつながっていて分離できない、だから大地は結合しているから私有権を認めると共同性が喪失する
そもそも国でも国境で線引きできない、陸地でも空でも海でも実際に区切ることはできない、地球はすべて結合してできているからである。
だからあれだけ大きい中国でも国を否定する思想が生まれたのはそのためである。

グローバル資本主義というのがすでに限界にきていて世界的にも問題を起こす。
シリアの問題がそれと関係ないようでも関係していた。
欧米が善でもないしイスラム国がすべて悪でもないしロシアが悪でもない、何が善なのか悪なのかもわからなくなっているのだ。
それが今のシリア難民などの混沌を生み出している。
民主主義がすべての国にとっていいものでもない、欧米的なものがすべていいわけではない、その国々でつちかった価値観がありそれを否定することはできない
それを無理やり欧米では押し通すから混乱が起きて世界的な問題となる
その最大の動因が利権にかかわってそうなる。欧米の利権がありロシアの利権がありが他国に介入して混乱させて内部分裂して終始がつかなくなっている。

グローバル資本主義は欧米の価値観は見直す時期にきている。
それはキリスト教だからとかは関係ないのである。
キリスト教でも別に日本的なものとして受け入れればまた違った価値観の社会となる
仏教でもインドの仏教と中国の仏教と韓国の仏教と日本の仏教は違ったものとして受け入れたのである。
それはその仏像とか建築とかに現れている。中国の仏像と韓国の仏像と日本の仏像は違うのである。その国によって受け入れ方が違ったからそうなった。
だからキリスト教が諸悪の根源だとなるのは一方的見方なのである。
本当は日本は新しい文明を創造する使命を明治維新からになっていた。
東洋と西洋の架け橋的存在でありそれを内村鑑三などは主張していた。
西洋と東洋の融合した文明を作るのが日本の使命だというのは明治時代だったら江戸時代の国風文化が色濃く残る時代だから意識されたのである。
それが富国強兵とかの方向にかたよりすぎたのである。
そして敗戦になりアメリカの価値観を一方的におしつけられ消化できないままに今日のモラルの荒廃になった。

日本は日本的な新しい文明をルネサンスを起こすということを目指さねばならない
何か文明というと大きなもので関係ないように見えるがそれは地方でもありうる
一つの世界観とか価値観を作り上げることなのである。
それは自然と密接に結びついて成るからかえって東京のような大都会には起こらない
自分は石とか樹とか山とかとアイディンティティ化して一つの世界観価値観を作ることに個人的に芸術などで創作してきたのである。それは富国強兵の権力的支配の世界とは違うものである。
いづれにしろグローバル資本主義であり様々な組織機構であれ新たに刷新する時代が戦後70年で生じた、そういうときに天変地異が起こり易姓革命が起きるのである。


posted by 天華 at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

新築の家の秋の薔薇 (やはり人間は家に住み庭があると落ち着く)



新築の家の秋の薔薇


(やはり人間は家に住み庭があると落ち着く)

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しとやかに秋の蝶舞い去りにけり


新築の家に落ち着く秋の薔薇二輪静か午後の日のさしぬ


この道を今日も行くかな鶏頭に夕日のさしぬ十数本見ゆ



この辺で増えたの新築の家である。大東建託のアパートが十棟以上建った、これも多いなと思う、新築の家にしてもこれも何百軒建ったのかわからない
この家も最近建ってやっと庭も作ったのである。
そこに秋の薔薇が咲き午後の日がさして落ち着いた感じになった。
ここは一倍いい場所であり日当たりもいいし見晴らしもいいのである。
自分の家ではこんなふうに日はささない、何か路地の奥のようになっているから暗い感じになるのだ。
家はやはり立地がいいところを選べべきだとなるがそれもみんながかなうわけではない
あそこの土地は三倍くらいに高くなったかもしさないからだ。
でもなんか家が建って人が住んで庭も整備されて落ち着いたなとつくづく見た。
この辺は地震津波原発事故以来常に落ち着かない状態がつづいているし今もそうである。仮設はまだ変わらずにあるしプレハブの宿泊所はさらに増えている。
何かこうしたものは仮りのものであり落ち着かないのである。


自分の一身上でも今日は落ち着かずかけずり回った。
母が腰をぶってからポータブルトイレにゆくのがやっとになった。
厚寿苑でそのぶった原因がわかった。
一週間いるうちにポータブルトイレにつまづいたらしい
というのは夜間は人手不足でポータブルトイレをベッドの脇に設置していなかったのである。
それでトイレに行きたいと夜に行ったら騒いでいたのである。
トイレに頻繁に行くようになったから困った。便秘なので灌腸をしたり点滴もした


ともかく介護施設も人手不足でありそれで一人一人に手が回らない
そのことが腰をぶった原因になっていたのである。
すでに自分は姉と母の介護で十年にもなるから長いなとつくづく思った。
その介護であれ地震津波であれ原発事故であれ自分の病気であれこの十年近くは生活が追われつづけたのである。
だから落ち着かない状態というのは震災前からでありその後もさらに落ち着かない状態になっていた。

やはり人間は一軒の家に住むと何か落ち着いたなと感じる。
仮設とかプレハブとかには落ち着いた人間の生活は感じられない
やはり一軒の家に住み庭があり花が咲いているというときつくづく落ち着いた生活になったなと感じる。
庭も何か落ち着きを与えるものだった。日本では塀で囲まないから花など外から見れる所はいい、都会では塀で囲んでいるから何かものものしいとなり嫌だともなる


ともかく朝晩は寒くなり秋らしくなってゆく、それで明日は常磐高速道路で原町から大野までバスになり行ってみよう
ここは双葉などが通るから一度通ってみたいからだ
ただ日帰りになるだろう。そんなに回れない、なんか母のことが気になる
こういうことも何か落ち着きをなくしているのである。


タグ:秋の薔薇

2015年10月07日

ゴーストタウン化していた原発避難区域 (小高,浪江、双葉、富岡、楢葉)


ゴーストタウン化していた原発避難区域


 
(小高,浪江、双葉、富岡、楢葉)

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放射線量は双葉で急に7にあがったのは驚き

すぐに2に下がった、一様に放射線量はならない

大熊も7だから高い

富岡には2から1とばらついている

楢葉もそうである。

竜田辺りになると0,2くらいで原町と同じ

20キロ圏内である

竜田辺りは楢葉であり20キロ圏外となり30キロ圏外はイワキになく

20キロ-30キロは原町になるがこの辺は補償金はどうなっているのか?

この辺は人家は少ないからそれなりに払われているのか

人家が多いと払いきれなくなる

原町はだから相当な額になった

30キロ圏内で原町は補償金が多かったのである。


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竜田駅前の壊される家


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金木犀が匂っている、こここで線路は閉ざされる


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ここでおりる人数は多い

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水戸への八両の電車



小高から浪江まではバスで放射線量を計って0.2とは低い、双葉に入ると7に上がったことに驚く、でもまた下がって2とかになっていた。双葉でも一地域が高くなっている
大熊でも7、8近くあったからさすがに高い、富岡でも1から2とあり高い
今は⒈でも2でも高いとされる、だから7とかでるととても住めないとなる

竜田駅では0.2とか低くなり小高と同じであり20キロ圏内である。ここは楢葉ではあり距離的に小高の20キロ圏内と同じである。
楢葉では帰るとか町長がテレビに出ているから楢葉はみんな帰る支度をしているのかと思った。
でも竜田駅前で二軒家がリホームしている修理しているのかと思ったらあれは壊すために足場を組んでいたのである。
老婆が一人私はここに住んでいたんですよと言って説明してくれた。
そこは更地になっていたからこの女性の家も壊して更地にした。
駅前でもそうだから楢葉の人は小高と同じく帰るのは老人だけだと言っていたから事情は同じである。

ただ小高は原町に近いから多少有利であり地の利がある。
浪江とか双葉とか富岡でもイワキには遠い、だからもともと不便な地帯だった。
双葉でヒにゅう科などないから南相馬市立病院に来ていた。
浪江の人も車で通っていた。30分片道かかると言っていた。
そして双葉の人が南相馬市立病院に付き添った妻がバスで避難する所をテレビで見た
もともと原発事故が起きた所は不便な地帯だったのである。

今回六号線を竜田まで通って感じたことは避難区域がゴーストタウン化していたことである。
確かに家があっても人は住んでいない、人の気配がない、あるのは除染作業員がいるだけである。
家には人は住んでいないのである。あとは草茫々になっている。
この光景は映画のようだと前も見ていたがそれが現実なのである。
ゴーストタウン地帯になってしまった。
だからこの光景を見たとき帰るのをあきらめたというとき5年も過ぎようとしているとき何かもうあきらめさせる光景なのである。
それはいろいろいっても現実がそうさせるのである。そういう現実になってしまった。

そして未来はまさにまた原子力は未来であると双葉町がであったように原発事故後も復興というとき原発に頼っているのである。
廃炉作業とか放射能研究所とか処理場とか原発関係の仕事で復興させようとしている矛盾がある。
田畑はもうあきらめる、そうした原発関係の仕事で復古させる他ないという矛盾である。それは漁業関係者でもそうなのである。
津波で壊滅的被害を受けたが原発補償金で津波で喪失した船も買って港は復興している。津波の前も後も漁業関係者は原発に補償されているからあれだけの津波の被害から立ち直っているという矛盾がある
それだけこの辺では原発が大きな力をもっていた。それが事故後でもそうなのである。
この辺は原発なしで経済が成り立たなくなっていたのである。
田畑があってもそれはもともととても今の生活を満たすものとはならない
その田畑が原野となったのを見たとき、田畑の存在感が前から喪失していて原発頼りの経済となっていたことを実感する
だから復興というとき原発がらみの復興であり原発から逃れられないのである。
他に何か方法もないのである。

確かに楢葉まで20キロ圏内であり小高までもそうである。でも原町になると20キロを越えているし鹿島になると30キロを越えている。
距離からすると鹿島は補償区域に入らないということは確かである。
ただ双葉、大熊、富岡、楢葉とかは人口が少ない、浪江は二万で一番多かった。
南相馬市だと7万人いたから多い、5万は原町だった。20キロ圏外でも補償金はかなりもらっていた。
イワキは30キロ圏外であり何ももらっていないのである。
ただイワキの方が風向きの関係で放射線量が低かったこともある。

いづれにしろ楢葉町の竜田駅前で二軒の家が壊されているし飯館村でも千軒の家が援助されて壊されている。そうした壊した後に新しい家が建つのか?
そこは更地になり誰も住まないのでないか?老人だけが住み若い人は帰ってこないからそうしたら後があいのだから原野化してゆく
人と家の関係を考えると不思議なのだけど家は人があって活きてくる。
家だけがあって人が住んでいなければ家も死ぬ、故郷でも人が住まないとしたらそこはゴーストタウン化してゆく
そして一人の老婆が昔をなつかしんでまさに幽霊のようにたずねて帰ってゆく
だからまるで映画のようだというときそれが現実なのである。
こういう状態を見たとき帰る気がなくなたというのがわかる
何か帰る気力も復興する気力を喪失してしまう光景なのである。

ただ老人でも帰り家に住んでいれば猫と一緒にでも犬でも一緒に住んでいれば生きているうちは家でも故郷でも多少は活きた状態になるがやがて老人は死ぬしさびれて原野に戻ってしまう。
それは限界集落とにているのである。
幽霊のように人がゴーストタウンにたずねてきて幽霊が彷徨う村になってしまうのであるもう5年もすぎると余計にそうなってしまったのである。

我が家に待つ人なしも我が帰り家にし住めば家は活きるも

自分の家に帰っても待つ人がいなくても自分一人でも住めば家は活きる、誰も住まなくなれば家も死んでゆくのである。
だから人の住まない家とか人の住まない故郷とか町と村は何なのかとなるときそこはゴーストタウンであり幽霊が住む町や村になってしまうのである。
それが架空の映画だったらいいがここは現実なのである。


鉄路も草に埋もれ常磐線は途切れる
竜田駅に金木犀の匂い放つも
鉄路は閉ざされて通ぜじ
ただ草茫々として秋風の吹く


posted by 天華 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市の議員が30キロ圏外では補償金はもらっていないは嘘か? (久之浜は30キロの境目であり百万もらっていたとなると:::::)


南相馬市の議員が30キロ圏外では補償金はもらっていないは嘘か?


(久之浜は30キロの境目であり百万もらっていたとなると:::::)

131102_0500001[1].jpg

ここでは安易に脱原発なんて言えない」という。
なぜなら原発で生計を立てている人もいるからだ。
しかもいわき市の中でも久之浜地区だけは、
原発に近いということで、
1世帯あたり100万円前後の原発の賠償金がもらえているという
http://kasakoblog.exblog.jp/16324132/

久之浜は双葉郡ではない、久之浜は原発から30キロ地点である。
それは南相馬市の鹿島区と同じ位置でありやはり補償金百万くらいもらったという。
ということは南相馬市の議員が言っていた鹿島区は30キロ圏内外だから
補償金は出ないけど特別に南相馬市の役人がちけ中央の官庁に勤めていて予算を出してくれたのですと聞いたがこれも本当だったのだろうか?
なぜならこれは情報としては正確ではないが百万円を久之浜でもらったとかなれば
それは鹿島区と同じである。鹿島区も30キロ圏内の境界線にあるからだ。
何が本当なのかいろいろ情報あってもわからなくなる
議員が言うとうなると信憑性が出てくる。
でもネットだと信憑性が低い、噂話とかなる場合がある。
裏をとれないということがある。
でもこの噂とか裏話とかも意外と隠された真実がひそんでいる。
つまり情報は権力によって操作されるからである。
そうした原発の「安全神話」は権力によって作られたのである。
そもそも神話となると権力などで作れない、神話は別に権力が作ったものではない、
事実がありそれが基で神話になった。
安全神話は権力によって故意に作られたのである。

いづれにしろ議員が言ったことは南相馬市鹿島区の不満をやわらげるために言ったともとれる。鹿島区の不満が大きいからである。
20キロから30キロ圏内の原町区が鹿島区の3倍も補償金をもらうということが納得がいかないのである。
原町区と鹿島区の被害の差はほとんどない、住民も半分は避難したし放射線量もさほど変わらないのである。
久之浜は双葉郡内に入っていないというのは不利でもやはり百万は支給されたとなれば30キロ圏外でももらっていたとなる。
鹿島区は南相馬市内だから補償金がもっと支払われ当然だともなる
だから何か鹿島区は補償金はもらえない地域だけと特別支払われるようにしたのですよという議員が言うのはこの話を聞けば納得いかないものとなった。
ただこの真偽については確かめることはできない

30キロ圏外のイワキはもらっていないからこれまた相当な不満だろう。
原発は補償金を考えるなら事故があったら莫大な金になる。
すると人家が少ない所に建てれば補償金が少なくてすむ
もし大都会か近くにあったらもう補償すらできなくなる。
東京に原発が建って事故になったら補償などできない
国自体がつぶれてしまうからである。
結局いろんな情報が錯綜しているのが震災以後のこの辺である。
そもそも放射能の影響自体がとても専門家でもわからないのだから素人には皆目わからない、どう対処していいかもわからない、だから憶測が飛び交うのである。
科学者自体も正確な情報を出していないし見解がまちまちなのだから余計にそうなる

白河に行ったらここも原発事故の影響があったことに驚く、除染もして終わったという。こんなところまで除染していたのかと驚く、風の関係で郡山も白河も汚染されたのである郡山でも福島市でも除染するとなると確かに一兆円がかかることが具体的にイメージできる。それほど広範囲な被害が原発事故ではあった。
地震の被害も白河にはあり土砂崩れで10何人か死んでいることに驚いた。
小峰城の石垣も総崩れになったところがあった。
本当にこの震災は被害が広範囲だということを実感した。
津波の被害でもその範囲は広いことに驚く、岩手県から茨城県まであり放射の被害の範囲も栃木県でもあり広範囲なのである。

津波原発事故から五年過ぎても復興は以前として遠い道のりである。原発避難区域は復興は絶望的でもある。
そして追い打ちをかけたのがTPPが合意されて農家が大きな打撃を受ける
その前から農家も跡継ぎがないとか農業をやる人がいなくなっていた。
何でも農家の人が7町の田んぼもっていたが親から農業をやるなと息子だった人は親にたたかれたというから驚く、それほど農業をやることは絶望的だったのである。
農業といっても兼業農家が多く土地だけをもっているだけの人も多い
そういう人は駆逐されるようになるかもしれない。
減反政策も補助金も打ち切られるから厳しい選択が迫られる
この辺が事故後も原発に頼っていいるように農業はその前から見捨てられていたのであるそれが現実化したと原発頼りなことがこの辺の経済では鮮明化した
久之浜でも原発で働いていた人が多く影響が大きかったとか川内村でも三分の一が原発で働いていたのである。
どうして川内村が成り立っているのだろとう思ったときこういうことがあったのである。飯館村は遠いから原発とはあまり関係していなかったから災難だったとなる
久之浜はやはり原発から30キロ圏でも近いとなる。

 (市会議員から聞いた、鹿島は30キロ圏外で補償金もらないがもらえるようにした)
http://musubu2.sblo.jp/article/164585383.html
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posted by 天華 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年10月08日

みちのくの要所ー白河の歴史の要約


みちのくの要所ー白河の歴史の要約

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白河の関が機能していた古代には白河郡の政庁である白河郡衙は現在の白河市中心部より9キロほど
東方の西白河郡泉崎村関和久(せきわく)に置かれており、現在の白河市街地域が発展するのは鎌倉時代以降、結城氏が支配するようになってからのことである。

白河藩が設立されたのは徳川秀忠の時代、1627年のことで、石高は十万石、初代藩主は隣の棚倉藩から移封となった丹羽重家だが、まもなく重家は幕府から小峰城の大規模な改修と町割り整備を命じられる。これは幕藩体制の確立にあたり、白河藩を奥州の外様大名に対する戦略拠点とするのが目的だったと思
われる。
この城郭の改修事業は1629年から4年がかりで完成。現在のJR白河駅の南側まで含む約60万uの大規模な城郭が完成した。
ところで、その丹羽重家自身も外様大名であるうえ、関ヶ原では西軍とみなされて一度は領地を没収され、後に許されて棚倉五万石を与えられた経緯を持っている。そのような経歴の重家が、奥州の要衝である
白河藩主に抜擢されるのは不思議な気もするが、それは丹羽氏が築城技術に長けていたからだと云われている。もともと丹羽家は織田信長の家老挌の重臣で、重家の父長秀は安土城築城の普請を担当して力量を発揮し、家臣の中にも優秀な土木・建築技術を持つ者が多かったことを買われたようだ。
小峰城築城の大事業を果たした丹羽氏は次の光重の代にまたもや二本松へ移封となり、親子二代の間に棚倉・白河・二本松と三度もの築城を行わなくてはならなかったが、その労苦が報われたのか、その後は国替えもなく、幕末まで二本松を領している。


●白川城と小峰城で本家と分家で跡目相続で争い

文治5年(1189)源頼朝の奥州征伐に参加し,功名をたてた結城朝光は、その恩賞として白河庄の地頭職(じとうしき)を与えられた。その後、朝光の孫の祐広(すけひろ)が正応2年(1289)頃、下総結城より移住して、この白川城を本拠としたと伝えられている
一四世紀の南北朝騒乱の時、四代目の宗広が奥州南朝軍の総大将となった。
一五世紀になると八代目直朝、九代目の政朝が一つの絶頂期を作った。
例えば政朝は文明三年(1471)に相馬高胤と一揆契約を結び「なにごとも助け合う」と同盟した。岩城氏とも兄弟の契約を交わした。
栃木の宇都宮氏とも保護する条約を交わし会津芦名氏からは自分の後妻を迎えて婚姻関係を作った。

後妻の子をかわいがりすぎて跡継ぎ問題が起きて本家と分家の争いが起きた。
それで政朝は小峰城の分家に滅ぼされてその後は衰退した。
これは良くある話である。ここで相馬藩も関係していた。白河ははり要所であり様々な勢力がここに集結したからである。

●石垣からみた小峰城の歴史

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白河は相馬からになるとなかなか行きにくい場所で行っていなかった。
小峰城には天守がない城がないとき行ったことがあった。
あそこの石垣が見物である。
地震で半円状の石垣は総崩れになった。白河でも十人以上が山崩れで死んだというのも意外だった。地震の被害はここにもありまた白河でも除染していた。
白河も風の関係で放射線に汚染されていたのである。
白河となる郡山からまた遠いから意外だった。郡山でも放射線量が高いとニュースでは騒いだ。地震から五年で石垣はようやく再建されたのである。
この石垣で興味深いのは

丹羽家は織田信長の家老挌の重臣で、重家の父長秀は安土城築城の普請を担当して力量を発揮し、家臣の中にも優秀な土木・建築技術を持つ者が多かったことを買われたようだ。
丹羽氏は二本松城を築いた、築城にかかわる家臣をかかえていた。丹羽氏は棚倉藩の城代ともなり白河城の城主とも一時なっていた。
丹羽氏と織田家は関係が深くそれは安土城とのかかわりがあった。
やはり城というのは石垣を組むこと城を造る事は一大事業だからそうなった。
「半円」は新しく現代風に作ったものだと思っていた。何か現代的だからである。
あれを復元するのは容易ではなかった。7000千個もの石を組み直したというからその苦労は大変なものだった。

穴太衆積み」と呼ばれる技術は個々の石それぞれが振動を吸収して揺れを抑え、地震や風雪に強いのが特徴。信長が延暦寺焼き打ちの後、残った石垣の堅固さに感心し、安土城の石垣を任せたとされる。その後、各地の築城に関わり、技術は豊臣秀吉が築いた大坂城(現・大阪城)や名古屋城などで用いられた。

石垣を作る技術集団がいて力をもった。ヨーロッパでも聖堂を建てた石工の集団が組織化され代々技術を伝えてフリーメーソンとして現代でも影の支配者だとか言われるのもそのためである。
二本松では茶をだした女性が「丹羽様」とか言っていたから住民には親しいものとして残っている。丹羽氏は小田家と関係が深い、次ぎに蒲生氏郷が会津の領主となり白河を支配した。
だから会津門があり会津町があった。会津町というとき会津の人が集団的に住んだから地名化した。
そこで興味深いのは蒲生氏郷はキリシタンであり白河城の石垣に十字が彫られているという、地元の女性が歴女というか大阪の女性であり説明してくれた。
その60代くらいの女性は城めぐりしていたのである。歴史に詳しい女性だった。
歴女というとき若い女性と思ったが今では60代くらいの女性でも言える。
城めぐりの旅をしていたのである。
この話は知らない人が多いだろう。何でも城に向かって祈っていたのはその十字架が彫られていた石垣に向かって祈っていたのだという。
会津の蒲生氏郷が支配していたからここにもキリシタンがいたのである。
会津にはキリシタンの墓がある。迫害もあった。
白河には会津町があり城には会津門がある。これで思い出したのがドイツの
秀吉の時代になると石田三成が相馬藩をたずねている。それは自分のすぐ近くにある田中城をたずねていたのである。
それで相馬藩に三成の旗印が野馬追いに出ていたし相馬の殿様は三成の一字をもらって名前としている。
秀吉は白河街道を通って会津に来ている。

●明治維新の激戦地だった白河

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白河から会津は勢至堂を通り会津にゆく白河街道である。この道が旧街道である。



白河口の攻防戦は、会津藩、仙台藩の両藩を主力とした奥羽列藩同盟軍と薩摩藩、長州藩を主力とした新政府軍との間で、およそ100日間にも渡って繰り広げられ、両軍合わせて800名を超える戦死者が出た、東北の戊辰戦争の中でも最大の激戦であった。

白河はみちのくの入り口であり要所だったから様々な勢力がしのぎを削る場所になった。茨城県とも境を接していて那須連峰も見えた。
こうした境が歴史が知るにはいい場所である。
郡山も万葉集の歌が残っているのだから古いし今では会津にも通じる鉄道が通るから郡山が交通の要所となっているが白河がもともと交通の要所でありここからみちのくの領域に入る場所で重要だったのである。
それで戊辰戦争では熾烈な争いの場所となり千人死んだとかなり白河の遊女の悲話が語られている。

棚倉でも戦いがありそれでは相馬藩士も死んでいる。棚倉藩は東白川郡になり今の白河は西白川郡である。
西白川郡には郡役所が置かれた。それが南湖公園に移築されていので知った。
福島県は明治維新に二本松県となり磐城県となった。白河県とならなかったのはやはり勢力的に二本松や磐城からすると小さいからそうなった。
古代では白河軍団がありこれも大きい勢力であり多賀城に木簡が残されている。
古代から要所の地であり福島県の玄関であり福島県を知るには白河から知るべきだとなるただ現代ではどうしても郡山から入る、そして白河が新幹線では新白河になっているのもややこしい、それで南湖から新白河駅へタクシーで行って仙台に行き日帰りで帰ってきたのである。
なぜ新白河駅を作ったのか?そこには一つの街になりホテルがいくつか建っている。
でも観光するには不便である。
ともかく新幹線だとかなり遠くても日帰りで行けることがわかった。
十年くらい旅していないから何か距離感だとかがわからなくなっていた。
十年もすれば時代は変わってゆく,特に新幹線で変わっていたことを実感したのである。

 
 

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