2015年09月29日

なぜ海岸に家が密集していて津波の被害にあったのか? (農地は日当たりが良い所を選び家は山陰の日影に建てる)


なぜ海岸に家が密集していて津波の被害にあったのか?


(農地は日当たりが良い所を選び家は山陰の日影に建てる)



無駄に広い宅地にするくらいなら、少しでも農地にする方が良い時代だったのです。
だから田舎では山裾の日当たりの良くないところに家を建て、日当たりの良い土地は農地になっています。
http://okayama-inaka.com/hudosan/27-totinotokusei.html

とくに田んぼは広範囲に水でつながっており、そこに生活排水が流れ込むと衛生上も好ましくありません。農地法で農地に家は建てられないことになっており、一部の農業施設を除いて建築は認められていないのです
http://www.ahahaohoho.com/tobira/tobira080317.htm

農地を選ぶ場合には、注意することが、いくつもあります。田畑は1枚1枚違う性質を持っているものであり、どれでもいいということでは、ありません。
日当たりはどうか、冬場の日当たりはどうか、水の便はいいか、田畑の中から水が湧き出していないか、強風が吹く土地ではないか、大雨が降ったら水が流れてこないか。
http://77ch.info/attention.html



人間は田舎に住んでいても田舎のことがわからない、自分などは農業したこともないのだから単に田畑が広がっている名としか見ていない、田舎でも今はみんな農業していないからである。
田舎の田園風景とかは原野でもないし森でもないし人間が代々労力をそそいで作られてきたものなのである。
農業を経験しないものは何かそれが自然にあるように見えてしまう。

だから松原さえ自然のままの風景とさえ見ていたのである。あれば人工林であり人間が作ったものであり自然林でないから津波には弱かった。
自然林は混生林であり松だけの森とか杉だけの森はないのである。
だからこそ津波で根こそぎ壊滅した。松は強く根を張らないのである。
それからなぜ津波が来るような危険な海岸地帯に人は密集して住んでいたのかとなることも批判された
それも農地のことを考えればわかる、農地は日当たりのいい場所を選ぶ
農家はたいがい山際の陰とかに多い、近くをみても広い田があっても家はその田の中にあるのはまれである。
それは田として利用することを優先していたからである。
都会だったら田畑のことは考えないから広い日当たりのいい平坦な地を宅地にする。
田舎ではまず田畑が優先されて家は山陰とかに多いのである。
それは八沢浦でも広い田の中には家がないことでもわかるし大内村でも山際に家が集まっている。
もちろん古くは湿地帯であり海だったところだから山際に家があるということもある。

そしてなぜ磯部村であれ海老村であれ烏崎村であれ海に接して家が密集して津波で壊滅したのかということである。
それは誤解しているのは漁業があり港を利用するから人が集まり家を建てたと見ているが農業もしていたのである。田畑も作っていたのである。
漁業している人たちが全部なのかというとそうではない
農民がそこには多かった。半農半漁ということもあったのが日本である。
磯部などはもともと砂州でありそんなところにあれだけの家が建っていた
それがなぜなのかというとき広範囲な土地は田んぼとして利用していた。
磯部村の後ろは広い田になっているからである。
漁業だけでは生活は成り立たない、食料として米を必要としていたから広い田んぼが必要でありかえって家は山陰の日影に建てられていた。

山の方でも広い平坦な日当たりのいい場所は田畑にしているのである。
日本では良く山崩れとか土砂災害とかあるけど山でも平坦な場所に家が建っていない
その日当たりのいい平な場所は田畑にしているからそうなる
日本では平な場所が貴重であり平(たいら)という地名も多い
平家というのはまさにその平(平)からきていたのである。

だからそもそも農村風景というのは長い年月をかけて人間の手を加えて作られてきたものなのである。
要するに自然そのものではない、何かその辺が実際に農業にたずさわらないものは錯覚するのである。
人間が長年手を加えて作り上げたのが農村でありもし今回のように放置されて原野化するとどうなるのか、それを回復させることがまた時間がかかるしむずかしくなる
一からやりなおしかねないのである。
田畑というのは毎年人間が手を加えることで保たれていたからである。
里山というのは自然そのものではない、人間の手が加えられたものである
前からも何度も書いてきたけど津波の跡に残った庭の樹が何か人間に見えた
老夫婦のようにそこに二本を離れがたくいつまでも立っている、今でも立っているのである。それは本当に不思議な光景だった。その樹は人間化した樹だったのである。
自然そのものの樹とは違っていたのである。
原発事故の避難区域となった所、飯館村なとでも道の辺に樹があるがあれも人間化した樹だった。
それで人がいなくなるとなんとも淋しく取り残された人間のように見えるのである。
日本は狭いから原生林があるような場所はまれであり人間化した自然になっている

八沢浦にある「前日向」とかいう地名も日向(ひなた)は田になっている。
日当たりのいい場所は田にしたからそうなったのか?
つまり日向(ひなた)は人間に住む場所としていいのではなく、田畑にするのにいい場所として前日向と名付けられたのかもしれない、人間の家が優先されるのではなく
田畑があってこそそこで生活できるからそう名付けられたともとれる。
津波では結果として田畑を優先した結果、海岸地帯の狭い場所に家が密集した、そこは田畑にはできない場所だった。それが悲劇の元になったというとき日本の国土の狭さがそうさせた悲劇だったともなる。




タグ:農地
posted by 老鶯 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係