2015年09月27日

十五夜(今年もさらに平和を感じた)


十五夜(今年もさらに平和を感じた)

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この道を今日も来たりぬ秋薊
この里に根付くや薄秋薊
萩しだれ小蝶隠れて日のさしぬ
数十輪ここに集めて野菊咲く
十五夜やなお健やかに我が生きむ
十五夜や争いやめてなごみあれ
一五夜の光清めむ町一つ
十五夜の我が家を照らし平和なれ
百歳を生きて一五夜団子食う
一五夜や今日は休まむ日曜日
十五夜や今年も復興願うかな

今日は十五夜で円い月がでていた。何か自分の家も震災でも津波でも四年半過ぎてそれなりに平和を感じた、ただ仮設はまだあるし平常には戻っていない
まずこれほどの異常なことが起これば一身上でも平穏を心から願うようになる
この辺はともかく自然災害はまた何十年と来ないだろう。
そして忘れたころにまた災難がやってくる
津波は四百年過ぎて来たからだ。

何か人間界でもある時どうにもならなくなり膿や毒を出して生まれ変わることが要求される時がある。
それが易姓革命である。天変地異が起きて世が変わる。
ともかく平和な家庭ではないにしろそれなり30年間は平和つづきとにかく自分は楽だったのである。
三食は出されていたし自分のすることはしたいことをするだけだった。
今になるとこれは本当に恵まれていたなとつくづく思う。
そういうことは奇跡的であったかもしれない
意外とこうした平和は長くつづかないことを知ったからである。
介護とかすでに10年近く追われる生活だった、今でもそうである。
家事を一人ですることが大変なのてある。

だから本当に近辺しか出歩かない、毎日買い物でありこれも毎日一仕事である。
何か食べ物や飲み物を出すのも手間なのである。
レストランであれ食堂であれ運ぶことも手間だとつくづく思った。つまりこれも食堂でも何でも運んでみれば手間なことを知るのである。
何かサービスを受けることは手間が必ずかかっているが自分でしてみないからわからないのである

今年の十五夜は去年よりさらに平和を感じる
去年も感じたが今年の十五夜はまた違っている、年々違って一五夜はがありこの辺はやがて復興してゆくことを願う
ただ四年半過ぎてもなにかまだまだだなと思う
それだけ被害が大きかったためである。もうどうにもならないほどの大被害だった
だからこれが元にもどるとしたら一〇年とかでやっと一区切りだなとかなってしまう。
それだけの時間もかかる
あと二年で常磐線が仙台とつながったときが一つの大きな復興になる

自分は今や定着文明を生きている。なぜなら近辺しか出歩かないからである。
今年も二回しか仙台に行っていない、ただ津軽に一回花見には行っている
ほとんど同じ道を往き来しているだけである。
それはすでに一〇年近くつづいているのである。
それでも何か新しく見いだすものがあるのも不思議である。
今度のα6000という一眼レフはいいカメラである。
こういうカメラをもつと写真をとりに行きたくなる
このカメラのいいのは液晶画面だけではない、直接目でみる窓があり光に反射しないからねらった写真がとれる
写真でとると何か違ったふうに見えるから不思議である。
野菊の花はこんなふうに見えなかった。
このカメラはいいカメラだからいろいろまだとってみたい、夜景はうまくとれなかった
夜景はむずかしい、でも写真の魅力は大きいということをこのカメラでまた感じた




タグ:十五夜

原発避難区域の復興が小高でもむずかしい訳 (小高病院の配管修理の七億円は小高の人が出せば復興になる)


原発避難区域の復興が小高でもむずかしい訳

(小高病院の配管修理の七億円は小高の人が出せば復興になる)


小高でも原町に家を建てた、鹿島に早くから家を建てた人もいた、結構原町とかに家を建てている。
息子は名取に家を建てて高速で原町の会社に通っているとかなにか外に出る人が多い感じがする
小高に帰りたいという人は老人だけど原町に家を建てれば老人もそこに住むようになる
なぜそういうことができたかというと補償金が多額だったからである。
金があるからこの際もう小高をあきらめて原町でも鹿島でも相馬市でも外に家を建てた方がいいとなった。
つまり前も書いたけど補償金が必ずしもみんないい方向に向かわなかった。
かえって金が補償金が復興のためには良く働かなかった。
金が小高とか他でも復興するより復興しないものとして働いたのである。

もし補償金がそんなにもらわなかったらもう避難区域でも小高でも不便でも何でもそこに住まわざるをえなくなったろう。いくら放射能汚染で住めないといってもどこにも住むところもない、金もないとなれば住まざるをえなくなる
そうすればなんとかそこで復興させようとなったかもしれない
現実に金がなければまず外で家建てるとか住むことも簡単にできないからである。

その一番いい例が小高病院の配管を直すのに7億円かかる。
ではその金を誰が出すのかというとそれが大きな課題になる。
東電が出してくれるとか県で出してくれるとか市でもなんとかしてくれるとか
小高の人たちはそういう考えしかないのである。
多額な補償金もらっているのだからみんなで金を出して病院の配管を直そうという意志がないのである。
他人まかせなのである。それは今回の原発事故ではみんなそうである。
津波の災害の復興で一番働いたのは自衛隊であり地元では何にもしていない
あとは外から来たゼネコンとかであり地元の人は金があるからパチンコだ競輪だとギャンブルになった。
鹿島に競輪の券の売り場があるからそうにも通っているらしい、それもすぐ近くだからである。
他はやることがないと困っているのが現状である、老人が多いから働くこともできない
だからあと5年補償金もらえればなと老人は思っている
というのはあと五年で相当な貯えができるからそうなる
すでに一千万ためたとか金のない人にとってはかえって良かったとなる

ともかく小高の問題で小高病院が復興できない、配管に7億円かかるというときこれは津波の被害ではない、地震の被害でそうなった。
放射能被害とも違うから東電では金を出せないだろう。
何か津波でも地震でも放射能被害と一緒になったのがこの辺である
津波とか地震とかの被害は放射能とか関係ないから補償金はでないのである。

小高の人たちの問題は小高病院に象徴されているように小高を復興しようとする意志がある人が少ないのである。
むしろ補償金もらったからこの際外に出て家を建てた方がいいとなっている
もし本当に復興する意志があるなら補償金もらっているのだから金を出し合って復興しようとするだろう。
その金は相当に価値ある金となるだろう。
みんな心意気がその金に託されているからまた違った金となる
そういうところから復興がはじまるはずである。
ところがそういう意志がないから誰かが金を出してくれるだろう、外の人がやってくれるだろうとなっている
それは避難区域とか津波の被害地でもそういうことがあるだろう。
それだけ被害が大きいということもあってあきらめる人も出るのがわかる

そもそも補償金もらってギャンブルで遊んでいるということがおかしい
その金をなぜ小高病院の配管を直すために出し合わないのか?
それを今度市の財政でなんとかしてくれとなると原町でも鹿島でも自分達が補償金もらっているのだから出し合って復興しろとなる
合併していないならそのことをあまり強くは言えない
でも合併して南相馬市になったけど補償金の不公平さで分断されているのが現状である。だから仮払金の百億円を鹿島区に市の財政から払うというとき反対した人が原町にいたのである。
仮払金とは東電が賠償金をはらうまで市で立て替えるもので実際はあとから東電から支払われたのだから市としては何の損にもなっていなかった。
その辺のことが混乱してわからなくなっていた。
結局南相馬市で一番損したのは鹿島区だったのである。
原町区は鹿島の三倍は補償金もらっているのだ。

こういうことがあったらようにもし市で小高病院の配管修理の七億円を出すことはやはり市全体では問題になる。特に鹿島区の人は不満になるかもしれない
なぜならどうして七億円を小高のためにだけ払うのかとなるからである。
そういうことを小高の人たちはほとんど考えていないのである。
補償金はもらうだけもらえればいい、文句はあってももらうのはもらった方がいい
あとあと小高に帰っても何でもあれ必要になるからだ
それはこんな状態にされたのだから当然だとなっている

ただそんなこと言っても誰も自腹をきって出す人はいないだろう
それは自分たちの出す金ではないと思っているからだ
東電であれ国であれ市ではないにしても出すべきで自分たちは出すべきではないと思っている
だから誰もそんなことを心配していない、
ただこういうことに何か今回の問題が象徴されていたのである。
要するに小高病院はこの一つの例であり何か復興できない象徴なのである。
これは一つの例であり他にもそうしことで復興することがあるだろう。
それが小高区の人たちにそういう意志がなくなっているからだともなる
ただでは南相馬市としてはどうするのかとなる
小高の問題は南相馬市の問題だからである。
もちろん南相馬市は県の問題であり国の問題ともなるのか現代である。
海への放射能汚染では世界の問題にもなったのである。

 
タグ:小高病院
posted by 老鶯 at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(窯元のデザインー窯変がパソコンでできる)



抽象画(窯元のデザインー窯変がパソコンでできる)

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窯変(ようへん)とは、陶芸作品を焼成するときに、
炎の性質や釉薬(ゆうやく)の含有物質などが原因で、
陶芸作品に予期しない色が発色すること。

これはずいぶん前にデザインしたものだけどパソコンは前に作ったものでも変化させるのが得意である。
特にペイントショップはいろいろに変化できる
ただこれを自由に使いこなすことが相当な訓練が必要である。
ソフトも自分なりに使えないとだめである。
窯変というときこれは火の加減とか偶然に生まれる
陶器は焼いてみないとわからない、何ができるかわからない
パソコンでもそうである。何ができるかわからない
いろいろ操作してみてこれいいじゃないかと選ぶ
つまり偶然の作用によることが多い
だから化学変化であり窯変とにているのである。

窯元というとき何か自分は旅していて回ったのが窯元だった
お土産となるとその土地の個性あるものとなると日本では陶器になるからだ。
窯元の種類は多いのである。
だから窯元によった思い出がある
窯元をたずねるのが旅の楽しみだということもある
自分はふりかえるとこんなことをしていたこと自体相当に暇だったのである。
今になるとつくづく恵まれた平和な時代だったと思う
こんなして旅ばかりできたということか今になると不思議である。
なぜなら今や近くすら自由に行けない
食事を用意しなければならないし介護だから離れられないのである。

こんなことになるとは予想もしなかった
どこにでも自由に行きいつ帰るのも自由だった
考えてみればこんなことできたこと自体相当に恵まれていた
結婚して勤め人になり子供を育てるとなるとまず自由が若いときから喪失する
勤め人は何日かしか休暇がとれない
自分は一カ月くらいふりと旅して帰ってこなかったのである。
ただ外国はそれほど旅したとは言えない
日本はほとんど隈なく旅している
ただ登山は体力がないのであまりしていないのが心残りだった
アルプスを上っていればよかったとつくづくふりかえる
登山もきついから若いときするものだったのである。

とにかく茶道があるように陶器は日本の文化である。
だから窯元を回ることは日本の旅になるのである。
何か自分にあっていたのは一日絵を描いているとか
一日轆轤を回して茶碗を作るとかに向いている
ビジネスとか商売とか勤め人とかに向いていない
自分は団体生活にも向いていない
だから学校は自分には向いていなかった。
結局その人の性格にあった生活ができれば幸せである
ただマイペースで何でも学問でも芸術でもやれば上達した
学校のようにおしつけられると嫌いになってしまうのである。

とにかく芸術とか学問とかなると平和でないとできない
今のようなこの辺の状態は異常である
そうなると何か芸術とかの創作には向かなくなる
回りが混乱していて生活が落ち着かないからである
そうなると優先的になるのは元の生活の回復になる
それが容易でないからこの辺は芸術などの創作には向かない場所になった
とはいえ、原発避難者が補償金で毎日ギャンブルだ、パチンコだと遊んでいるのも
異常なのである。
除染とかで働いているのは外から来た人たちなのである。



タグ:窯変