2015年09月16日

介護は親子でもむずかしい (介護は虐待になるのもむずかしすぎるから)


介護は親子でもむずかしい


(介護は虐待になるのもむずかしすぎるから)


介護というのは何か高齢化社会で新しい問題として問われるようになった。介護は別に前々からあったが介護が一つの仕事となったり介護士という職業を生まれたのも実際は新しいのである。介護士は高齢化社会で生まれた新しい仕事なのである。
仕事は必ず時代によって新しい仕事が生まれる。
看護師とか介護士は違っている。看護師は注射とか点滴とか何か技術的にめんどうなものがあるから介護士より資格的にも上だし社会に認められた仕事で月給も高い。
介護士は底辺の仕事であり安いからいい人材が集まらない
そもそも介護士という職業自体新しいからである。看護師はすでに古い歴史をもっているかが介護士はそうではない、ただこの二つの職業は共通した面はある。
なぜ近くに新しくできた老人ホームが募集しても人が来ないのか?

介護業界に新規参入したばかりで実績のない事業者は信用がなくケアマネージャーとしても選定しづらい。
そのため利用者がなかなか増えないということです。とくに都市部では競合する事業者が多く、競争が激しい。ケアマネージャーのところには「ウチを使ってください」と営業マンが日参する状況だそうです
http://president.jp/articles/-/14419?page=3

こういう理由もあったのか?つまり建物は建てた、ではそこで働く人が問題になる。
そこで簡単に人材は集まらないしその人材によって評価を得るのにはまた時間がかかるから人材はまた即席にはできない、それで新しくできた施設には集まらないのだろうか?
もう一つは田舎では15万とか年金をもらっている人が少ないこともある。
まず確かに新しくできたところは評価を得ることはなかなかむずかしい
建物が立派でもそこでケアする人材は簡単にえられないのである。
結局誰でもいいとなれば虐待するような人が入ってくる。
つまり介護という仕事は機械化できないし極めてヒューマンな仕事なのである。
そして親子でも介護がむずかしいというのは親子でも千差万別であり親子の事情は外からみてわかりにくい、だから親の介護をしたくないという人も増えている
子供は介護してくれないあてにならないという人が多いのである。
そこに親子の事情があり親を介護したくないというときそれはこれまでの親子関係が原因しているのである。

自分の場合はあまりにも複雑な家庭であり特別は自分は良くしてもらったので姉のときも今は母の時も介護している。
でも今日は嫌だった、一週間、ショートスティしたら腰をぶつけたのである。
そして立てなくなった。ホータブルトイレにも行けなくなった。
百歳にもなったら慣れた家とか部屋を移ることは危険である。
もともと自分の母親は人の言われたことは無理しても従う性格でありそれで無理するのである。
このトイレに自分で行けないということが大問題だった。
なぜならオムツにしろというとき嫌がった、オムツにすることはがっくりと人間の生活の質を落とす、それを自分も経験したから思い出してわかった。
何かオムツにすることは人間の尊厳をくじくものなのである。
それも経験しないとわからない、自分はそれでずいぶん苦労してきたけど忘れていたのである。

ベッドの高さを調節したりしてなんとかまた一人で立ってポータブルトイレに行ったみたいだけどこれで今日は自分も疲れた。
トイレに行けないとか介助するとなる夜もあるから介護する人が疲れるし仕事もできなくなる。
前は認知症だったから苦しかった。でも姉の場合は二年半で死んで今になると早かったなとなる。
9月21日が命日であり6年も過ぎてしまった。その間にいろいろなことがあり何かゆっくりふりかえることもできなかった。
介護はそれだけ気を使う仕事なのである。
ともかく介護は介護される人と介護する人に何かしら動機がないと簡単には普通はできないだろう。
親不孝だったという人がその償いに介護しているとかの動機があったりすると認知症の介護でもなんとかようとする。
自分も何か贖罪の気持があり介護しているのである。
普通は施設でもそんな動機をもちえないから虐待も起きてくるのである。
いくら金もらっているからといっても介護は人間と人間が密接にふれあうから問題が起きる。

いづれにしろ介護は長いし介護をしていた人がたいがい介護にはかかわりたくないということでもわかるようにそれだけ身内でも負担が大きすぎるのである。
かといって介護する動機をもてるかとなると普通はもてない
人間はつくづく何でも動機が大事である。
人間の関係が今は露骨になると金しかない、こいつから金をとればいいとしかなくなっている。
そういう動機しかない時代なのだから介護でも何でこのジジババを介護するのだ、金をもらえばいい盗んでもいいとかなる。
自分の経験でも何かみんな金に追われていて余裕がある人がいなかった。
借金に追われぎりぎりの生活に追われもうなんとか金を奪う他ないような状態に追い込まれていた。
それで自分がその金をとる対象にされたから怖かった。
だから老人を相手にした介護でもそうした問題が露骨に起きやすいのである。
だから金持ちでも施設では優遇されとは限らない
つまり建物が立派でも相手も人間だからである。介護士でも貧乏だったら何でこのジジババはこんなに金をもっているのだとかなり奪ってもいいとかなりやすいのである。
もちろん親切するときも動機が金だけになると相手はいくら金をもっていても弱者なのだからいじめられることだってありうるのである。
なぜなら金持ちの親はたいがい子供が施設にあずけるからである。

介護はだからハードの建物をいくら立派にしてもいい介護は受けられない、ソフトの面が人材がいいかどうかで決まる、しかし介護ではその人材はえがたい、それは親子でも介護がむずかしいことでもわかる。
どうしても介護する動機が大事になりその動機がもちにくいからである。
自分の場合は介護したくなくても悪いことしたなという贖罪の気持がありいやいやながらやっている。
これもどこまでつづくかわからない、手がかかりすぎる施設にあづけたいとなる
施設にあづけると年金もないからこれもまた苦しい、どっちにしろ介護はやっかいな問題でありそれが家族だけではない国の財政まで影響して福祉のサービスが限界にきている。すでに家族の問題だけではない、社会的問題であるから税金のことか言われる
税金から払われるからである。消費税にしても福祉に使われるしそれは国民全員のかかわる問題になっているのである。
もし介護でも費用をへらすことができれば国民全員も助かることになる
だからもし隣近所とか老人同士が助け合うとかなれば国の費用も減らすことができる
何でも国に頼るとか税金でやるとなると莫大な金がかかり国民の負担がさらに重くなるのである。
ただそんな大局的に考える人はいない、そういう立場になると人間は誰も関心をもたないのである。

 
タグ:介護虐待

秋薔薇(移る季節)



秋薔薇(移る季節)

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介護する母にまつわる秋の蠅

一輪の秋の薔薇咲く我が庭に朝の静けく石に映えにき
しんみりと一輪静か秋の薔薇我が庭に咲き季は移りぬ
白々と秋の薔薇咲き空家かな我が見るのみに散りにけるかな
ノウゼンの夏の名残になお咲きぬ朝顔も咲き季(とき)は移りぬ
女郎蜘蛛巣を払いしも巣をつくる生きるためなる業なるかも



庭に一輪薔薇が咲いた、秋になって咲いた。
もう夏は終わり秋だろう、でも夏の名残がありノウゼンはまだ咲いている
他人の庭だがそのとたあわせがいかにも今らしい
秋の蠅が寝ている母にまとわりつく、一週間も施設でショートスティして腰をいためた。ボータブルトイレに立てないでいけないとか難儀した。
その補助もしないとなるとまた大変だと思った。
施設ではトイレの補助をしているからだ。
正直いつまで介護はつづくのだろうと嫌になる。
たいがい介護した人は長いので嫌になるのだ。
それでもうしたくないとたいがい言っている
自分もこれだけしたのだからやりたくない、介護にかかわりたくないとなってしまう。


人間は何か秋の蠅でも嫌なものから逃れられないようにできている
たいがい何か子供でも親でも負担を課せられている
障害者の子供をもち一生苦労する人もいる
今どきは何か子供で苦労している人も多い
ニートとかが増えているしそういうのも重荷になる。
もちろん子供に恵まれた人もいる。
でも子供で苦労する人が多いなというのも昨今である。
ともかく人間は何かしら負担を強いられる、そして自分もやがて年取ったり病気になると負担になる。
自分もこんなに親で苦しむとは思わなかった。
それだけ自分は特別良くされたからしかたないとは思う
一人はひどい認知症で死んだ
一人は延々と介護がつづく
介護はつくづく長いなと思う

女郎蜘蛛が蜘蛛の巣をはらってもはらっても作る、これも業(カルマ)だと思った。
巣を張らなければ餌をとらなければ生きていけないのだからそうなる。
これは殺さない限り家の回りに巣を張りつづけるのである。
蜘蛛が嫌だといっても蜘蛛にすれば巣を張り餌をとらねば生きていけないからそうしている。
人間でも世の中でもそういうことはある。
本当にこの世はカルマがきれない、延々と生きるものにカルマは消えないのである。
だからカルマを断てという仏教の教えもわかる。
それはこの世が終わるまで延々とつづくのである。
秋の蠅でもまとわりつく、何か嫌なものに死ぬまでまとわりつかれる
それは死ぬまで人間はそうした嫌なものから逃れられない
それはどうにもならないことなのである。

近くの空家は10年くらい人が住んでいない、なぜ住まないのか?これもなぞでありあの家のことは聞かない
近くでも知らないのである。そこに一輪白い薔薇が咲いて散る
見ているのは自分だけだというのも不思議になる。
その空家は別に荒れていない、時々人が来ているからだろう。
でもどうしてこんなに長く空家にしているのかわからない
税金の関係とか事情があるとしてもわからない
何か近くでもわからないことが多いのである。