2015年09月13日

原発避難民とシリア避難民 (原発避難民は小高でも帰り再建すべきだろう)



 原発避難民とシリア避難民
 
 (原発避難民は小高でも帰り再建すべきだろう)

 
 なんかこの辺の高校生がアフガニスタンの避難民に同調して訪れたとかのニュースがあった。
 確かに同じ避難民ではあるがまるで違っている
 シリア難民を見ればわかる、もう国が崩壊している、そうした戦争している中で取り残された人たちが700百万人とかがISに脅されながら暮らしているというのも悲劇である。
あれをみていたら何か生きた心地もしないだろう。
ISは狼でそこにいる住人は羊になる。

イスラエルにいたときシリアに行ったという人がいてシリアはいい、素朴でいいと盛んに言っていた。シリアは独裁政権でも庶民には素朴な人たちが多いということだったのか?
江戸時代のようなところがあったのかもしれない
だからなぜあのようになったのか悲劇だとなる
ただあのような状態になったら安全にまず暮らせないから国を捨ててでてゆくほうがいいとなる
それで資金とか英語の教育を受けた人たちが外国に難民として出てきた。
英語ができる人がヨーロッパでも中東でも知識人には多い。
ギリシャでもそうだった、英語できると外国に出て働けるとなる
英語は国際人になるには不可欠だとなるのも確かである。

この辺と確かににているのは小高でも浪江でも飯館でもその他避難区域になった所はもう住めないとか他に家を建てたり故郷を捨てている人が多い
特に若い人は多いというとき何かシリアの避難民とにている
取り残されているのは老人とか障害者とか子供とか弱者だという。
この辺でも事情は違うが老人が残され若い人は故郷を捨てて住まない
それにしてもシリアくらべればこの辺はいくら放射能が怖いとしても
あまりにも差がありすぎる
シリア難民から見たら何なのと思うだろう。
避難民は多額の補償金をもらい遊び暮らしている
シリア難民は命懸けで脱出して残った人はどん底の暮らしをしているからだ

原発避難民は原発貴族だとか言われる
すでにインフラも水道でも電気でも何でも使えるのだから帰って再建できると
シリア難民からみたら思うだろう。
なにか避難民という名があってもシリア難民とかとはあまりにも違いすぎる
たから比べれば贅沢きわまりない避難民だとなる
そんなものに同情できるかともなり避難民と地元の人はつきあわない
なにも同情するものがないとみるからである。
原発避難民にいろいろ言い分があってもそうみてしまう
「お前らぐだぐだ言っていないて自分たちの故郷を町を再建しろ」となる

一方で今回のシリア難民で考えたことは国がなくなることの恐ろしさである。
国が崩壊することの恐ろしさである。
イラクとかシリアはイラク戦争以来無政府状態に陥っていたのである。
そこにISが勢力を伸ばした。それはヤクザの一団のような盗賊の一団のようなものだったかもしれない、そこには暴力しかないからだ
だから国が崩壊すればあのようになるという見本だった。
もう家族も守ることができない、国を脱出するしか生きる方法がなくなる
国など当たり前にあると思っているが国がなくなるということもある
故郷が当たり前にあると思っていたのがなくなったのと同じである。
国が崩壊すれば家族も守れないし街もなにかも失ってしまう
無政府状態になり盗賊が跋扈してやりたい放題になる
だからそうした無政府状態より独裁政権でも良かったと今ではなる
イラクの独裁政権の方が良かったとなる
あの辺はそういう独裁でしか治めようがない国だったのである。
民主化するような国ではない、民主化するにはそれなりに国になっていないとできなかったのである。

いづれにしろなんか日本も動乱の時代である。だからシリア難民と比べるのだがあまりにも違っている。
避難民が威張っていて避難者を受け入れた方が小さくなっている。
それは在日と同じだとか言う人もいる。やがて避難民を受け入れた国は母屋を化して庇とられとかなると言われる
避難民は図々しい、それは何か原発避難民にも言われている。
なんだあいつら俺たちより何でも優遇されて金があり新しい家を建てているとか批判される
こんなことはシリア難民などにはまだありえないことである。
食うや食わずで避難してきた人たちだからである。
今日食べるものが与えられればいいというだけである。
ただトイツに避難するのはそこは豊かな国だからである。

原発避難民は何か恵まれすぎている。何が避難民なのか?小高などは放射線量が低いのだから帰って十分に生活できるし再建もできる
なんでしないのか?なんで故郷を捨てたのか?
戦場と化して破壊された街とも違う、十分に家は残り暮らせるのである。
多少の不足あっても暮らせる、シリア難民と比べるのが間違っているというのもわかる
でも何か同じ避難民でもあまりにも違いすぎるのである。
人間はやはり甘やかせそれに甘んじる、補償金もらえばそれで暮らそうとなる
お前がそんなこと言えるのかといえばそれも言える
でもなんか同じ避難民でもこれは何なのだろうとなるしみんなもそうみているのである。



 
posted by 老鶯 at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

文明は何でも何らか自然破壊で自然に復讐される (ソーラーパネルもそうだった)


文明は何でも何らか自然破壊で自然に復讐される

(ソーラーパネルもそうだった)

 

文明とは自然破壊が必ずあり自然破壊がない文明となると縄文文明くらいだった。
弥生文明ー稲作文明も自然破壊だった。その前の焼き畑農業も肥料にするために森を焼いたのだから自然破壊である。
稲作文明は自然と調和した文明のように見えた。それですら自然破壊だったことが津波で判明した。
松原というのは自然林ではない、人工林である。ちょうど杉林が自然林でないのと同じである。
自然林とはいろいろ樹が交わった混生林である。松とか杉とか一つの種類だけになるのは人工林である。東南アジアでもゴムの樹だけになると人工林でありそれは外国の企業でそうしたのである。
稲作だけの米だけを作るとなるとそれも自然破壊になっていた。
東北で米を作ったのは江戸に米を商品として売るためだったのである。
だから東北で飢饉が起きたときは米ばかりに頼ったためだという。
いろいろいな作物を作っていれば米が不作でも例外に強い作物も作っていればそうはならなかった。
そもそも自然は混生林であり様々な種類のものが混生して生きているのが自然なのである何か動物の一種類でも増えると自然のバランスが崩れるのと同じである。

だから文明そのものが自然を破壊するように宿命ずけられている。
レバノン杉がもう絶滅すほど切られたのは船の材料に使われたからである。
これも文明のために消尽された。他にも森がヨーロッパで消滅したのは文明化が原因している。
稲作文明も自然破壊だというとき海側の湿地帯を開拓した結果、そこに松原を防潮林としたのだが今回の津波でその防潮林の松原がなぎたおされて消失した。
つまり文明は必ず自然を破壊したら自然に復讐される
まさか松原がそういうものとはいつもそこにいて思わなかった。
もし自然林の混生林だったら津波の被害はかなりおさえられた。
なぜなら松は根が強く張らないので津波に弱かったのである。
他の樹はあれば混生林だと津波の力を弱めたとかいことがありえた。
それは稲作だけを広げることが自然破壊であり人間にも影響した。
一つの作物を商品化してしまうことは不自然なのことなのである。
いすいろて種がありいろいろなものを食べていた方が人間にとっても自然である。
そうしていれば飢饉でも米が不作でも他のものを食べて生き延びるととういこともあった縄文文明は自然と調和した文明であり大災害からまねがれたことはありうる
でも縄文文明だと人口は増えない、増やせないのである。
稲作文明になり飛躍的に人口が増えたのである。

今回の鬼怒川の氾濫でもソーラーパネルを設置するために堤防を削ったとか、民主党のレンホウ議員が仕分けだとして公共事業を削ったためだとか批判されている。
ソーラーパネルは別に自然と調和したものでもない、山の森とか削って作っているから
大雨になったら土砂崩れとかなって危険なのである。
ソーラーパネルは景観の破壊でもあり自然と調和したものではない
これも民主党が推進たから今になると批判されている
もちろん鬼怒川の堤防決壊はソーラーバネルを設置するために堤防をけずったためであるがそこの住人が訴えていたのに国土省は無視した。
自民党の責任も大きいし今の公明党の大臣も責任があるとなってしまった。
だから国土省は訴えられるとまでなった。

ともかくダムだって自然破壊であり文明化したものは何でもなんらかの自然破壊である。その自然破壊は必ず自然にまた復讐されるということである。
そもそも人間は自然に従うことによって生きるようにできている。
もし自然には逆らえない、いくら文明が発達しても自然には逆らえない
自然の力は津波でわかったようにとても人間の力では制御できないのである。
人間が生きるために自然の力に謙虚に従う他ないのである。
文明の力が増すと人間は奢る、自然を征服できるとか奢る
それが一挙に砕かれたのが今回の津波だったのである。

いづれにしろ人間はその国土の風土の制約を離れる他とはできない
その国土に風土にマッチした生きる他ないのである。
原発はそもそも地震とか津波がある日本には向いていなかったのである。
グランドキャニオンとかあるアメリカには向いていた
日本の国土は狭いし山が多いし津波もあるから向いていなかった。
そういう風土を自然条件を無視すると自然から大きな災いを受ける
自然に従うとなると津波の来るような所には住まない方がいいとなる
いくら防潮堤を作っても今回は防ぎようがなかったからだ。
そもそもがそういう危険な場所に住んだこと自体過ちだったとなる。

民主党はまた今批判されている
「コンクリートから人へ」というのも批判される
日本のような災害の多い国では国土を守ることが第一とされる
この言葉が今回の津波であれ震災であれ鬼怒川の氾濫であり再認識されたのである。
要するに日本の風土とか国土とか無視すると天罰が下る、これは仏罰ではない、
国土省はそういう重責をになっていたのである。
だから公明党の大臣まで批判の対象になってしまったのである。


 
posted by 老鶯 at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

初秋の街道をロードで相馬市まで(ソバナの花)


初秋の街道をロードで相馬市まで(ソバナの花)

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街道の実りや城へ6万石
街道の細道つづきソバナ咲く
街道の家並変わらず秋の蝉
街道や芒女郎花祠かな
中年の労務者あわれ秋薊
プレハブに労務者あわれ秋薊
故郷をロードに走る実りかな
初秋の風きり走るロードかな



街道というときこの辺では浜街道であり日立木から相馬市の道である。
あそこはいつ行っても情緒がある。
今はなかなか街道を知ることができない
なぜ情緒があるかというと道が細いから花も映えて人間的になる。
日立木の道は細いけどあそこが昔のままの道なのである。
あの家並も昔のままだから情緒がある。
浜街道でも昔のままに残っているのはまれだてわからなくなる

今はソバナの花が街道沿いに咲いている
この花が何かこの辺の街道にあっていた。
桔梗でもない素朴な花であり街道にふさわしい花である。
現代の旅はなにか情緒がない、旅にならない、六号線を突っ走っても旅にはならない
街道の細道、つまり「奥の細道」だったら旅になっていたのである。
まさに「奥の細道」であったからこそ芭蕉の句もできたのである。

この辺はまた工事であり騒々しい、以前として簡易宿泊所のプレハブが増えている。
それだけまだまだ労務者が入ってきている。
その数も多いから活気あるようにみえるのである。

自転車は今の時期は気持ちいい、昨日はロードで相馬市まで行ってきた。
これは最近乗っていなかった。
これは荷物には弱いが早く走るにはかえって電動自転車より軽いから風にのるように気持良く走れる、まず自転車が好きな人は値段の高いロードにのるだろう
つまりこれは走っていて気持いいからである。
スピードを出して走ること自体が気持いいからである。
自分の八万くらいであり軽いのだが安定性がないのが問題である。
これも忙しくて乗っていなかった。
何かいろいろなことができなくなった。
家事とか介護とかに追われてそうなった。

一週間ショートスティであずけたから楽であった。
でも意外と金はかかる一日5000円とかかかる
だから施設で一カ月15万とかなるのもわかる
物価高であり田舎でも最低で15万はかかる
でもそれだけを負担するとなると田舎では金をもっている人は少ない
自分も年金をもらっていないし母の年金はわずかだから
かえって在宅だと金はかからない
介護も金の問題がからんでくる
やはり年金が老後は大事になる。だから自分は年金は70才からもらうことにした。
そうするとなんとかなるがあと二年とかなるとそこの金の工面が苦しくなる
老後難民になるのもわかる
自分は親に恵まれていたから金銭的には苦しんでいない、その他のことで苦しんできたのである。