2015年09月04日

エンブレム問題も原発事故の原因と共通していた (権力が結託しあい公正さを欠く、民主的でなかった)


 
エンブレム問題も原発事故の原因と共通していた

 
(権力が結託しあい公正さを欠く、民主的でなかった)


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エンブレム問題も何かいろいろ言われるが原発事故とか韓国のフェリーの沈没事故とかとも原因が共通していた。
しきりにネットで佐野氏とかの回りには利権構造ができあがっていた。審査にしてもそうした利権にかかわるものが審査していたしその利権の構造に組織に入らないものはそもそも参加もできなかったのである。
そういヴ利権にかかわる人たちが審査するのだからすでに佐野氏がそういう利権の構造の中でコネとかでのしあがった人だという。
つまりもともとデザインの才能などないのだが高級官僚の兄とか有力者が親族にいて能力に関係なくのし上がったという。
芸術の世界ではそういうことはあってはならない、でもこのロゴとかデザインはまた芸術なのかというとわからない、明らかに創造性がそれなりに要求されるが本物の絵画のような創造性とも違う。
何かデザイン事務所とか集団でも取り組んでいるから個人が絵を描くのとも違っている。このロゴとかデザインの需要は無数の商品とか会社とか何かそういうロゴが無数に必要になっているから需要があり商売になっていた。
紙袋の模様などもそうでありいろいろな所に需要があった。だからデザイン会社が結構あるのだろう。また美術でも絵だけ描いて商売になる人は少ないだろう
でもデザインは様々な所で需要があるから商売になる
だからあれだけの収入があったのかと知らない人は驚くのである。

そしてこのエンブレム問題がこれだけ大騒ぎになったのはオリンピンクもまた利権化していた。その出資する金も大企業がかかわり莫大なものとなっていた。
だからあのようなエンブレムでもあれだけの金がかかるようになっていた。
そんな大金が動いたということが問題を大きくしたのである。
普通の人はデザインがそんなに金になることを知らないのである。
ネットで民主的でない、公正でないということが盛んに指摘されそれが影響して変えられたというのもネットは便所の落書きだとか言われたが社会的力をもったことを示したのも今回の事件だった
マスコミではここまで指摘できないしむしろ隠す方に回っていた。
佐野氏の擁護に回っていた、そういう発言をしたコメテーターも批判されていた。
つまりマスコミも必ずそうした利権構造の中に組み入れられているからそうなるのであるところが2ちゃんねるとかネットはそうした利権構造に組み入れられていないから指摘できたのである。それが拡散したのも今はインターネットをしている人が多くなったことも影響している。

原発事故でも利権構造のなかで事故が起きたと指摘してきた。
官僚の天下り先として東電は一番厚遇していた。そこには検察や警察関係も天下りしていた。政治家でも権力構造として結託していて「安全神話」を作り上げていたのである。
中国でマスコミ関係者を接待していたとき、原発事故が起きたというのも象徴的である。つまりこうして権力が結託するときそこに隠蔽もされる。
第一マスコミが看視する役目を果たしていない、金がマスコミに宣伝費の名目で流れていたからである。
こういうことから何か事故が起きてきたり不正が起きる
それは韓国のフェリー事故でもそうだった。そこにはカルト教団もかかわっていた。
カルト教団も権力構造の中に組み入れられている。創価などでも巨大な権力機構でありそれらが他の権力機構と結びつけば強力なものとなり誰も逆らえなくなる

民主主義のことが盛んに言われる、では民主主義が何かというと良くわからないのである今回のエンブレム問題もネットで公正に選ばれていない、選ぶ人が利権にかかわる人でエンブレム自体の価値などどうでも良かったとか言っている。
そのことが民主的ではないと批判された。民主的ではないとはまさにそうした利権構造の中でその価値とは関係なく権力構造の中で決められてしまうことである。
みんなの納得いくものでなくても権力構造の中で決めたことに反発したのである。
これまではそういう場がないので権力構造の中で決められても批判はできなかったのである。
だからインターネットは民主主義を促進するというツールになってきている。
マスコミもまたそういう権力構造の中に組み入れられているからである。
民主主義はもともと三権分立とかいかに権力を暴走させないとか権力を看視するものとして生まれた。
いくら民主主義といってもこれまでは発言する場もなかったから権力構造の中で決められていたのである。

原発事故でも官僚からは政治家からマスコミから一体化して権力として「安全神話」を作り上げた。それに抵抗することはもはやできない、何か内部で危険なことがあっても隠蔽できるのである。それを地元の人であれ外部の人が立ち入れなくなっていた。
そういう中で事故が起きたのである。津波だけではない、そういう権力構造があり事故につながった。
そして韓国のフェリー事故でもそういう権力構造ができあがるともう外部のものは何にも言えなくなるのである。
そして事故が起きるがそのとき手遅れになっているのだ。
今夏のエンブレム問題でもそうした権力構造の中で起きて取り返しのつかないことになってしまった。
そこには民主的でないというとき民主的な方法がとられていないのである。
だから民主的とは何かというとそうした権力構造の中で決められるのではなくまさに民衆が力をもつことが民主的だったということがこの問題で明らかにされたのである。まさに今回は民が主となった民主主義だとなる
宗教でもそれが団体化して巨大化するとき政治的には民主的でなくなる。
だから民主主義には政教分離が必要だと自分は書いてきた。
民主主義とはそうした権力構造を作らずに民主的に公正に物事を決めることだった。
だからエンブレム問題もある権力構造の中で決められたから民主的でない、公正でないとなったのである。
タグ:民主主義
posted by 老鶯 at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

東京オリンピックのエンブレム問題 (抽象画をソフトで変化させるのともにている)


東京オリンピックのエンブレム問題


(抽象画をソフトで変化させるのともにている)


今回のエンブレム騒動はなぜ起きたのか、その背景も現代を象徴していたのかもしれないロゴとかデザインとかは昔からあった人類共通のものだった。
今回しきりにコンセプトとデザインの関係を指摘する人もでてきた。
コンセプトとは何かを象徴するものとしての概念である。
それはトーテムだったら抽象化されていないから犬とか鷲とかのトーテムでその部族を現すからわかりやすい、それは一つコミニュティをまとめるものとしてあった。
それはまた部族が分かれてその部族を識別するものとしてあった。
ただそれは何かそうなるべきものがあって犬とか鷲が選ばれた。
日本ではそれが紋と旗印になった。紋も何か謂われがありコンセプトがあり作られている水戸黄門の葵の紋は有名だけとその紋を通じてあれだけの力を発揮するということもあった。
紋というのはそれだけ端的に象徴するものとしてわかりやすいからそうなった
またその紋のバックには権力がありだからこそ力を発揮できた。
天皇の菊の紋もそうであり明治維新の時の錦の御旗もそうである。
ナチスの鉤十字の旗も何か悪魔的なものとしてあった。
要するにこうした象徴的なものは人間に言葉より影響力があるからそうなる

前にも書いたけど野馬追いの旗印が3000もあるというのはなぜなのかとなる
コンセプトとにているのが役割旗である。
一の旗でありこれは行列を行ったり来たりしているからわかりやすい
伝令の旗でありお使い番の旗である。
この役割とコンセプトは多少にているのである。
他にも野馬追いの旗には幾何学的な抽象画的な模様が多い
それは他と区別するものとして多様化したのである。

今回のエンブレム問題は背景も複雑だった。特権階級化して利権化した組織がありそれで佐野氏が選ばれた。
何か昔そうだったが職業が違うとわかりにくくなる。素人にはデザイン事務所があってそれで小さな会社のようになって仕事になっていて収入になるということが理解しにくい。これもやはりいろいろなものの商品の会社でも宣伝としてロゴやデザインが利用されることが多くなったからだろう。
でも紙パックなどの模様とかあんまり注意している人はいないだろう。
だからデザインにそんなに価値があるのかそれだけ仕事になるものだったのかとなる。
ただそういう需要が増えたからロゴとかデザインの仕事が現代では増えた。
ただこれが芸術的価値になると絵画とかと比べたら低いとみてしまうだろう。
抽象画が自分もパソコンのソフトで作ったからこれは素人でもできるものになったと思った。でも芸術性が高いとは自分でもとても思えないのである。

結局インターネットが普及してその結果として著作権の問題も素人でも考えざるを得なくなった。自分もインターネットにあるのをソフトで変化させて出してきた。
だから自分でもヤバイなと思うことがあるが原画とはまるで違ったものになっているから見分けがつかないと思って出してきた。
佐野氏のは原画とはっきりコピーしたとわかったから問題視されたのである。
だから何か創作なのか抽象画になるとむずかしい、つまり抽象画とかロゴでもコンセプトというけど人によって見え方が違ってくるからである。
今回のエンブレムも明らかに抽象画でありコンセプトと言っても決められない
黒い一本の線は何なのか?東京の頭文字のTだと言えばそうなるが一本の柱のようにも見れるし赤いのは太陽だということはわかりやすい、それは日本を象徴している
これが芸術性の高い作品なのか、コンセプトにかなうものなのかというと判断さまざまになる。
こんなの誰でも作れる小学生でも作れるというのも確かである。
抽象画自体自分も相当作ったが自分自身が芸術なのかどうか疑問に思うからそうなる。

いづれにしろ最近はインターネットが相当に普及している。それでネットを通じて類似のデザインを探されたことが致命傷になったのである。
インターネットは意外とわからないようでその足跡が残されていたり類似なものを見つけることができるシステムになっている。
外国までそれが探すようにできたというのも驚きである。
なにしろ数が膨大だから類似のものを探すことは容易ではないと思っていたからである。
ともかく抽象画と今回の問題は関係していた。抽象画は誰かの抽象画を変化させやすいのである。自分がそれをしてきたからわかる。
佐野氏はそれをあまりにも露骨にやりすぎたのである。
それははっきりと素人にもバレルものだったのである。

それとたいして芸術性もないものなのにその金額があまりにも大きいから問題になった
そんな金をつぎ込んで税金の無駄だとなった。そんなにそもそもデザインとかロゴが金になるものなのかという驚きである。
そもそも芸術は昔から金にならない、作家でも教科書のようなものを書くと金になるが小説そものもは金になちないとかと同じである。
絵画は金にならないがかえってロゴとかデザインとか芸術性が低いものが金になる
それは商品の宣伝とか会社の宣伝とかに使われるからそうなる
現実にそうしたデザインとかロゴが芸術品として後世に残ることはあまりないだろう。
抽象画もやはり芸術としては第二第三芸術となってしまうからだ。

今回のエンブレム問題はインターネット問題などとかかわって現代的複雑な問題だった。結局オリンピンクとか世界的なイベントには莫大な金が使われたことで問題になった。
そんなことしなかったら佐野氏をこんなに攻撃しないだろうしまずコピーしていたこと自体わからなかったろう。
自分もコピーして変えているが指摘されたこともないしまた自分のものがコピーされてもわからないのである。
別に金にもならないし目立たないからそうなっている。
普通はあまりロゴとかデザインを紙パックなどでも良く見ている人はまれなのである。
でもデザインなどがあれだけの収入になっていたことも驚きだったのである。
つまり売れない画家より事務所までかまえてやっているのだから金になる仕事だったということである。そこにまた著作権の問題が発生する根があった。
俺のデザインをぱくって金もうけているとなるからである。


タグ:エンブレム
posted by 老鶯 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層