2015年09月01日

なぜ原発避難区域が復興がむずかしいのか? (贅沢になり限界集落のうよな所に住みたくない)


なぜ原発避難区域が復興がむずかしいのか?


(贅沢になり限界集落のうよな所に住みたくない)


原発事故で避難区域になった所がなぜ帰還して住む人が一割にもみたないのか?
それはもう一万の人口で千人帰っても若い人が帰らないとなるとやがては消滅してゆく
限界集落になってしまう。そういう場所に帰る気になれない
復興というときなぜ戦後に戦争が終わり焼け野原から何もないところから日本が立ち直れたのか?
そこには何もない、食料すらない、何もないところから立ち直れたのか?
それは奇跡だったとか言われる、その原因はかえって何もないから立ち直れたともなる
何もないということは一から始めることになる、何もないところに一から作り始める
そればかえって始めるのはいいのである。
つまり何もなくてもいい、その日食べて雨をしのぐバラックの家でもいいとなる。
実際その時は電気は裸電球一つであり水道もない、なにもない時代であり江戸時代から継続した自給自足だったのである。燃料は炭だった。
そういうなにもないということは贅沢をもともとしていないから苦痛にならない
苦しくてももともと何もないのだから不満も言わないのである。

今回なぜ復興できないかというといろいろとありすぎて豊かになった状態だったからこそその豊かな便利さがなくなったから帰りたくないとなった。
それは放射能汚染だけではないだろう。
一旦街がそういうふうに便利なものがなくなったら便利に豊に生活していたものは耐えられなくなる
一旦贅沢を覚えたものは貧しい生活にもどれないし金持ちから貧乏人になることの方が辛いのである。
例えばうまいものを食べていたものはそれが食べられなくなったときなにか窮乏感を余計に感じるのである。
もともと貧しくうまいものも食べていなければそうはならないのである。
広い家に住んでいたものは普通は狭い仮設のような所に住むのは苦痛になる
もともと借家住まいの人はそんなに苦痛を感じないのである。
もともとそういう生活だったからである。

十津川村とか土砂災害で村ごと北海道に移住できたのはもともとみんな農民であり貧しい、北海道でも貧しい生活から始まったのだけどもともと貧しい生活だったのだからさほど苦痛にならないとういことがあった。
贅沢な今のような暮らしからもし荒野のような所に移住して開墾するとなるとその苦痛は百倍にもなるしもうあきらめてやる気がなくなる
贅沢を覚えたものは苦しいことはしたくないのである。
だから戦争中日本兵は粗食に耐えてよく戦ったとうか評価する人がいる。
でもそもそも貧しいから粗食だったのだから耐えられたともなる
今の贅沢に育った人がとても戦場での窮乏には耐えられないから戦争などできると思えないのである。

つまりあまりにも便利な豊かな生活から貧しい生活になることの方がどれだけ辛いことになるか、それが避難区域には帰らないという理由だと思う。
一見田舎町で何もないようでも今は違っている。
小高病院でも配管を直すだけで7億円もかかる、インフラにどれだけかかっているかこれをみてもわかる。
限界集落はインフラを調えるのに街の中心部より180倍もかかるという、それだけ今は昔とは違っている
昔は何にもかからない、自給自足だからである。
そういう場所では復興するのもかえって容易だとなる
もともと何もないのだから自給自足なのだからインフラを調えるために金などかからない病院でももともとないのだから用意する必要もないのである。

だから結局そんな限界集落のようになったところに住みたくない、他の便利な場所で再出発した方がいいと若い人もなったのである。
限界集落にはインフラを調えるのに180倍も中心部よりかかる
別に昔のように自給自足の生活だったらコストはゼロだし税金もかからない
そしたら都会の人が税金が無駄だとか言われないのである。
一時三陸とかでもジジババしか住んでないところに復興のために金をかけるのは無駄だと官僚が言って顰蹙をかった、それもやはりインフラを調えるだけで今は膨大な金がかかるからそれも一理あった。
だから何か住民をもどすことが無理になっている
帰っても限界集落になり老人だけになりいづれは消滅してしまうとなる

結局皮肉なのはあまりにも便利で豊かな贅沢を覚えた生活のために不便な所には帰りたくないとなってしまったのである。
現代文明の便利な豊かな生活がかえって村を消滅させたというバラドックス(逆説)があった。
本当に村や町を維持したいと思ったらそうした便利なもの豊かなもの贅沢なもの原発のような金になるものに頼るべきではないとも原発事故から考えられるのである。
かといっても一旦贅沢覚えたらもうその贅沢をやめることができないのが人間である。
ただそういうふうに便利なもの豊かなものに頼る生活が意外と脆弱なものをもっていた。一旦こんなふうになるともう再建できなくなったからである。
自給自足のような貧しい生活だったからかえって再建しやすかったのである。


タグ:限界集落
posted by 老鶯 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

欧米型の食生活のために胃ガンが増えた? (病気も生活習慣病)


欧米型の食生活のために胃ガンが増えた?


 
病気も生活習慣病

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近くで癌になった人が二人いた。一人は同級であり一人はまだ50代だろう。
癌が増えているのは統計的にも確かである。
特に日本人で増えている、それが恐怖になっている
人間は病気になればその病気で死ぬ
病気にならなければ人間は老衰のようになって死んでゆく
百歳生きている母は病気になっていない
だから長生きしている、死ぬとしても老衰でありまたは何から体が衰弱して細菌にやられて死ぬとかなる
病気というのはまた老衰とかとは違う、明らかにその病気の故に死ぬ
だから病気にならなければそのまま長生きする
百歳になるまえに死んだりするのは病気が原因なのである。

そしてその病気の原因が何なのかということである。
つまり病気には必ず原因があり結果がある
どうしてそんな病気になるのか?
癌となると解明されていないからいろいろ言う
ただこれも生活習慣病が関係している
日頃の食生活とか日頃どういう生活をしていたかが関係していることは間違いない
酒をそれなりに毎日飲んでいたらやはり肝臓がやがて痛んでくる
それは機械でも長年使っていると痛んでくるのと同じなのである。
だからどうしても50とか60以降は病気が出やすいのである。
60代になると何らか持病をもたない人はいないのである。

生活習慣病というとき癌が増えたのは特に男性の場合は胃ガンとか前立腺ガンが増えたのは欧米型の生活になったことが関係している。
肉食であり日本人本来の魚と野菜とか昆布とか海苔とか風土にあった食生活から離れてしまった。
なぜ日本人がコーヒを飲むようになったかというと欧米型の食生活は食後にコーヒーが飲みたくなるようにできているということを科学的に説明しているサイトがあった。
コーヒーは胃にいいものではなかった。刺激性が強いので胃に悪いのである。
胃液の分泌もさせるので胃酸過多になりやすい、どうも自分が春から遺産過多になったり胃にコーヒーが悪く作用していることが気になるようになった。
それでコーヒーはなるべく飲まないようにすることにした
男女とも胃ガンが増えていることはコーヒーも関係しているように思う

それから肉食が増えたことも関係している
なぜなら日本人は肉食に向いていない、欧米人は肉を食うと消化する酵素がでる
日本人は出ないのだから肉食には向いていない
穀物を消化するために腸が長くなったことでもわかる
つまり日本人は日本の風土にあったように遺伝子でも作られてきたのである。
それは縄文時代からはじまっていた。日本人は肉食はあまりしていないのである。
明治以降は牛でも豚でも肉を食べすぎることも関係している
それからコーヒーも欧米型の食生活で飲むようになったが胃に悪いものだったと思う。
前立腺癌はもともと欧米に多かったからこれも肉食と関係していたのである。
肺ガンについては良くわからないがやはりこれも何らか欧米型の食生活とか何か原因がある。

明らかなのは胃ガンは欧米型の食生活の習慣から増えたことは当たっているだろう。
そして最近の食生活はあらゆるところで化学薬品とか調味料とか純粋に自然のものを食べるということができない、なにかしら化学薬品が入っている
コンビニの食品などはみんなそうである。薬品なしではありえなくなっている。
そういうものも影響して胃ガンが増えたのかもしれない
人間の食はやはり体に一番影響しやすいだろう。
食べるものが体を作るからである。日本は外国のものであれあらゆるものを食べすぎると思う。それらがみんないいようには作用しないのである。
食生活も文化であり文化は風土から作られるからグローバル化は文化を破壊するからそこに一番大きな問題がある。
もちろん外国のものがすべて悪いとはならない、いいものを取捨選択すればいいのであり日本人はそうしてきたのである。
ところが明治以降はあらゆるものを日本人は取捨選択しないで取り入れたのである。
だから人間の生活の基幹を成す食生活まで破壊されたのである。
それが胃ガンなどが増えた原因になっていることは有力である。

もう一つは人間を体質からみてその体質にあった生活をするということも健康のためには大事である。
人間には実の体質と虚の体質があり実の体質は体力があり疲れずに人を引っ張ってゆく人である。現代ではそういう人が先頭に立って引っ張っている
一方で虚の人は疲れやすく現代の生活についていけないというのも自分は虚の体質だからわかる。激しい運動したりすると疲れて何日か動けなくなる
何するにしても疲れるから休むことが多いのである。だから自分にとって学校とか会社とか団体生活は苦手である。体力的に合わせることができないのである。
つまり虚の体質の人は常に休息が必要なのである。
この見方はやは東洋的医学の見方でありこれもやはり否定してしまった
欧米流の医学一辺倒になったことも問題が生まれているのである。

いづれにしろ50代であれ60代であれここからは健康が第一であり勝負でもある。
ここで健康でなくなる、病気になったら金があってもどうにもならない
金もあった方がいいが病気になればとてもあらゆることが乗り切れない
そして破綻してしまう悲劇になる
だから生活習慣病だというときそれは若いときからも気をつけねばならない
若いときのツケは必ず支払わされる、それは健康でもそうだが精神的にもそうなのである自堕落なの生活をしていたら必ず心も体も歪んだろう。
とても人生の実りはそこにはない、それも恐怖なのである。
最後にとにかくその人の積み重ねたものがあらゆる面に結果となって出てくるのである
別に刑罰を逃れても内面的な罪は消えることがないのである。
だからなんらかで青春時代は若気の到りとか必ず過ちがあるがそれがそのままで終わらない消えないから怖いのである。

確かにイギリス人の食糧は牛肉である
と認めなければなるまい
イギリス人は戦争愛していると
それはあらゆる享楽と同じ
彼らの大好きな気晴らしなのだ
クレタ島の人々もそうだった
牛肉と闘争、この二つとも
イギリス人から学んだのだ

バイロン(ドン、ジュアン)

欧米からもたらされたものはみんないいものではない、最近スペインで牛を街に放す祭りで12人死んだとかそうした風習はまねるべきではない、欧米型のものが何でもいいものではなく取捨選択が必要だったのである。


牛肉はそんなに食べる必要があるのか?
http://musubu2.sblo.jp/article/47047234.html

 
タグ:胃ガン

自分より相手が苦しんでいた不思議 (追い詰められている人が多いから危険な時代)


自分より相手が苦しんでいた不思議

(追い詰められている人が多いから危険な時代)

人間の経験することはみんな不思議である。事実は小説より奇なりというのは本当である個々人で経験したことを語るとそんなことあるのと思うけど事実なのである。
自分の経験したことを書いてきたけどこんなことあるのというのがこの七年間に起きたことだった。
津波とか原発事故とかが起きたこともそうである。この世にこんなことがあるのという驚きだった。これだけもうなんといっていいかわからない出来事だった。

この七年間は家族の認知症に苦しんだ、これもこんな病気があるのという摩訶不思議な経験でありそれを書いてきた。病気というのもまた不思議なのである。
病気の種類もまた多いのである。だから理解できない病気がいくらでもある。
病気も自分の身にふりかからないとなかなかわからないのである。

ふりかえると自分が苦しいことを訴えた相手が自分より苦しい立場にあった。
自分が訴えたときわからなかった。一人は別に親しいのではないが近くで癌であっというまに死んでしまった。
もう一人は時々あっていた人で自分が病気のことを言ったが何の関心もなかった。
もちろん仕事で頼んでいるのだから客にいちいち病気のことまで関心をもつことはない
でもその人も自分より死にいたる病気に今になるとなっていた驚きである。
やはり死ぬ病気となると自分より最悪の状態になっていったのである。
その時はまだそうした最悪の状態になっていないときであった。
そのあとすぐに最悪の状態になり一人死んだのである。

ともかく自分が介護になり病気になったとき接した人はまず金でもぎりぎりにおいつめられていたのである。
一人は事業に失敗して借金で首が回らなくなっていた。
そんな人が人を助けることなどできない、自分の病気のことなどどうでもいい、まず金をとることだとなっていたのである。
だから自分の病気に対して同情を示すことができなかった。
これもふりかえると恐ろしいことである。
お前が死んだら金が入るとまでなっていたのである。
それだてけ追い詰められていた。
もちろんもう一人もそうである。だから金をくれと来て家捜して丁度病気だったので大金を失った。これも近くにそういう人がいることが信じられなかった。
みんな自分が介護だと病気だとか苦しんでいても自分が接した相手も追い詰められていたのである。そういう人はもう人を助ける余裕などないのである。
むしろ死んだら金になるとか金のことしか眼中になかった。

最近接した人もまた金に追われている人だった。その人はずっと貧乏だった。
ただ自分は病気も回復したので余裕あるから助けている。
自分が病気のときだったらとてもそうした余裕はないのである。
人間は自分が苦しかったら相手のことすら考える余裕がない
相手を思うということはそれなりかなりエネルギーが必要だからである。
思うということは何か行動しなくてもそれ自体がエネルギーとして相手に働く
でも人間は思うというときそんなに大勢の人を思うことはできない
その数は極めて限られているのである。
相手が知らないでもその人を思いば何か良くても悪くても作用する
悪い面に悪い思いでも作用する

だからなんかある人が誰か殺したいという思いは強烈だから全く関係ない人がその思いを受けて殺人にいたるとか言う哲学者もいた。
それは何かそうした思いに影響しやすい弱い人がなりやすいというのもそうかもしれないだから人間が思うということは何でもないようで怖い面があるのだ。
人間の想念というのはだから宗教では一番大事なものとしていたのである。
悪い思いがあれば悪いことが必ず起こるということである。
悪い思いを抱くだけでそういう悪い行為に結びついていくからである。
人間はどうしても思うことを軽く考えるからである。

ともかく今の時代は世相はまず金に追われているぎりぎりの人が多いということである。老人でもそうであり老後難民というのもそうである。
新幹線で老人が焼身自殺したのもそうである。
ぎりぎりに金で追い詰められているからそうした事件を起こす
人間はもう善も悪もない、追い詰められれば今日食べるものがなければ相手を殺してまで今日食べるための金を得るために殺すこともありうる
だからそういう追い詰められた人間と出会うことは恐ろしいことになる
ただ相手のことはそういうふうに追い詰められているということが理解できないのである自分か金にも病気にも困らないとしたら相手がそんなに苦しんでいることがわからないのである。
事業に失敗していたのもわからないし、その人がそんなに金に困っていることもわからない、それは病気でも同じだったのである。
ただ自分の状態をみればひどいなと普通だったらわかるが相手は全くそういうことを思う余裕がない人たちだったのである。

それにしても癌がふえているのだろうか?
癌で早死にする人がふえているのだろうか?
50代でも60代でもなんらかの持病をもつようになる人が多い
また生活習慣病としてその世代に症状として現れる
酒を飲みすぎているような人は肝臓などが疲れいたんでくる
自分の病気は本当は軽いものだったのけど実際は身体障害者のようになっていたから苦しかったのである。
人間も残酷であり相手が弱くなると喜ぶ人が結構いるのである。
自分が弱くなったとき露骨にそういうことが現れたから人間の非情を知った。
それより自分の接した人たちもぎりぎりに追い詰められていたのである。

まず今の世相はこういう人たちが多いとしたら怖いと思う
もう気を許してつきあうこともできない、それは田舎でもそうである。
やはり金、金、金の世界になっていることは同じである。
みんな金のために余裕がないのである。
この辺も原発の補償金でもめて市民自体が分断されていることを書いてきた。
人間は今金によって心も分断されているのだ。
こういう社会はなんらか大きな破綻がくるのかもしれない
社会自体が資本主義自体が限界に来ていて大きな破綻が来て変革の時代に入る
そういう末世として現象が現れているのかもしてれないのだ

今回の津波や原発事故もそうした社会の末世状態に入り起きたことなのかもしれない
内外的にも国難が起きてくるのが末世である。
そして今回の津波や原発事故のように文明の崩壊現象のようなことが起きてくる
自分は今は余裕ができているから相手を思うことができる
ともかく今は何かみんな余裕がない時代である。それが犯罪に結びついてくるし
格差社会は治安も悪くなるから怖い時代になっているのである。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

-   マザー・テレサ




 
タグ:危険な時代
posted by 老鶯 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記