2015年09月14日

南相馬市では一番損した鹿島区 (福祉まで差別されていた)


南相馬市では一番損した鹿島区

(福祉まで差別されていた)

介護保険のこと聞いたら年で1万8000円とかであり安いなと思った。
実際はその3倍とられるのが普通であった。
震災の特別処置で約三分の一となっていた。
ところが原町区は免除だったのである。
こんなところまでずっと差別されていたのである。
それは震災以後も医療とか福祉分野でも南相馬市内で差別されていた。

介護保険でも原町区は免除

鹿島区は2分の1

補償金も原町区は鹿島の3倍

何か納得いかなかったのは福祉とか医療では差別するべきではなかった。
なぜなら合併しても前の小高、原町、鹿島とかえって分断されてしまったのである。
つまり南相馬市になった意義がなくなった。
ただ国で30キロげ区切ったから他でもそうした問題は起きている。
30キロ圏内は手厚い補償があったが他はないのである。
だから別に鹿島だけではない30キロからはずれた地域は何にももらっていないのである。相馬市なども線量が高いけど何にももらっていない、だから避難した人たちに不満が大きいのである。
南相馬市の問題はなぜ同じ南相馬市なのに鹿島だけが損させるのかとういう問題であり他と違っている。一応補償金もらっているからいいじゃないかとなるがやはりなぜ同じ南相馬市なのに差別されるのかとなる。
だから今の市長は何もしないと不満になる。

ただそもそも合併と言っても原町の人口は多いのだから選挙になれば原町中心になり原町に重点を置かざるを得ない、でから今の市長は原町区と小高区の票を獲得すれば当選するとなり鹿島区はどうでもいいとなったと言われる。
民主主義はつくづくともかく数で決まるから数が多い所に重点をおかざるえないのである
別に自分は原町とか小高の人に恨みがあるわけでもないし、それぞれの個々の人をとればいい人も悪い人もいるのは同じである。
小高の大工さんには庭も作ってもらったし小高の個々人に恨みがないし悪い人とは思わない。
ただこの問題そういう個々人のことではなく政治の問題として南相馬市が分断されたことが問題なのである。
心も分断されたから小高の人と鹿島の人はつきあわないとかなるのはまずいのである。
そういうことはこれからも尾をひいて問題になり復興の障害になってゆく

30キロ圏内とか避難者はあまりにも優遇されたのである。医療は無料、介護は優先、補償金は多額......その他様々な特典があり優遇されすぎたのである。
南相馬市は同じ南相馬市民でも鹿島区は30キロからはずれたということでその差が大きいのである。
それで30キロで分けられた地域では泣いて東電に女性が訴えていたこともわかる。
それは他でもあったしそれより福島市とか二本松市とか郡山市とかいわき市も被害があったが何にももらっていない、そして避難民がぞくぞく来て家を建てる、贅沢して遊んでいるとなり反発されたのである。
だから福島県内でも補償金でもめて分断されたのである。

福島県内だとむずかしいが南相馬市だったら何か市の方で対策することができた
それをしないことは南相馬市は一体感がなく心まで分断されたとなる
自分は別に金銭的に困らないからいいけど他の人は鹿島区でも相当に不満がある。
こういう差別は敏感にならざるをえない、そうなると南相馬市は心でも分断されてしまった。
それが市政でも何かいろいろとこれから障害がででくることは確かである。
そして国でも補償に関して配慮がなかった。
避難区域では様々な手厚い補償があっても30キロからはずれるとなくなる。
全くないという状態になった。
そして避難民が帰らないというとき帰ると補償金がもらえないとか働くとか休業手当かもらえないとか様々な補償が受けられない
そんなことがかえって働かない帰らないとなってしまったのである。

ともかく働かないニートなんかは喜んでいる、働かなくても一人十万はもらえるからこれはいいこのままずっともらえるといいなとなってしまった。
老人だったらこのま生活保護のように保証金て暮らせるといいなとなってしまった。
だから復興とかなんとかそれは何なのだろうとなる
復興するといってもそこに住んでいた人が第一に考えることである
その人たちはただ補償金もらって暮らせればいい、故郷がどうのこうのとかはいい
そうなったら復興などありえないのではないか?
それを応援するにもそこに住む人がそんな態度なら応援してもしょうがないのである。
ただ南相馬市は小高が入っているからどうのこうのと南相馬市民は言うことになる。

いづれにしろこのことは鹿島の市議会議員も何の働きかけもしていない、何の役にもたっていない、補償金問題は今回の原発事故の現実的には最大の問題だったのである。
タグ:原発補償金
posted by 老鶯 at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年09月15日

鬼怒川の堤防決壊の原因 (原発事故ともにて失敗の法則もあるのか?)


鬼怒川の堤防決壊の原因


(原発事故ともにて失敗の法則もあるのか?)


原突事故がどうして起きたのかその原因を追及してきたけどそこには何か同じ法則のようなものがあった。
成功の法則があれば失敗の法則があるのだろうかとなる
鬼怒川は一級河川であり国土省の管理するものだった。
その管理を怠ったから国土省の責任が問われている。
その前に民主党もソーラーバネルを推進したから今になるとそれも原因とされる
いづれにしろ堤防も完全なものではない、おそらくスーパー堤防にしても完全ではない
どこで自然災害が起きるかわからないしどこに弱点があるかわからない
堤防自体が自然なものではない、自然に逆らうものだったということも不思議である。
なぜならナイル川であれ川というのは洪水があるのが自然なのである。
その洪水によって栄養のある泥が流れて小麦がとれエジプト文明が栄えた。
つまり洪水は自然作用でありそれがすべて悪いものではないのである。
だから堤防自体が自然に逆らうものであり決壊もするとなる
それで一部増水したときは水の逃す池を作るのは自然に逆らわない方法である。

今回の鬼怒川の決壊でも最初は私有地であり法律的には問題ないとかなるし私有地だからどうにもならないという議論がある。
これも明治以降私有地化された結果、公共の概念がなくなった。
入会権として村の所有地だったのが広島の土砂災害 でも私有地化されて細分化されて公共事業がしにくくなっていた。
そういうことも災害に結びついていた。めして原発事故の補償では家の前の海が私有の海だとして要求していたのである。
原発でも最初はその私有地を買い上げることからはじまる。それでその土地をもっている人が反対するばそこには建てられないという権利がある。
でも東電や国となると対抗できないのである。
たいだいは私有地があれば公共事業はしにくい、今回は私有地になっていて堤防の決壊につながった。

国家の役割が何なのか?国土省があるときそれは安全を守ることにあった。
それは原発でもそうだった。まず安全を守ることが第一として国の役目であり保安院を置いたが何の役目も果さなかった。
むしろ東電と国は一体となり「安全神話」を作っていた。
何か安全というとき企業でもそこに金を使うともうからないからしたくないのである。
だからこそ安全面は国でしなければならない、国で安全を管理することが役目となる。
今回のソーラーバネルが自然堤防を削ったとかが問題になったのは業者ではもうけだけを考えるからそういうことにもなりかねない。
国土省でも危険だと地元の人が陳情しても無視していた。
削った跡に土嚢を積んでいたということは危険の認識はあったということである。
ここでも私企業と国の関係に問題があった。
この私企業は規模が小さいけどそれでもこういう問題を起こしたのである。
東電は国並みの私企業だから違っていた。それは国をも支配できる力をもっていたのである。私企業は安全面が必ずおそろかになるのである。

そもそも日本は本当に災害の国だったことをまた認識された。
実際自分の家も二回も近くの川が氾濫して床上浸水になっている。特に自分の家が一番町で低い場所にあり被害が大きかった。
二回目は今回と同じように土手を削って道を作ったという農家の人が批判された。
そこから決壊したからである。これも今回の鬼怒川の決壊とにている
それでその農家の人はさんざん批判されていた。
確かにそれが原因だったとすると人災だったとなる。
ただ果たしてそれが原因なのかどうかは良くわからない。
その後は堤防は強化されて水害はなくなったのである。
つまりそうした災害の原因はどこかで同じようにあるということになる
今回の自然堤防を削ったのが原因かどうかははっきりしないがこれは大規模な水害となり人まで死んでいるから国土省まげ関係するようになったのである。
本当は日本では自然災害は不可避であり防ぐことができないものなのかもしれない
だから津波では海岸に津波の来るような場所に住んだやつが悪いとか
今回もあんな危険な場所に住んだ人が悪いとまで言われるようになったのである。
あそこはもともと沼地であり土地が低い場所だった。
それが宅地開発して家が増えたからである。
自然条件を考えないで住宅地にしたから悪いとなる。地震の液状化でも言われた。
地盤が悪い所に建てたやつが悪いとなってしまう。

要するに日本では地震や水害でも津波でも災害をまねがれない国なのである
そういう国になぜ原発のような危険なものを作るのか、それはどんな安全策を講じても事故は起きる、予測つかないからである。
だから津波の来るような海岸線には住まない方がいいとか水害の起こるような所には住むなとなる。
でも日本は狭い国だから危険な場所でも住まざるを得ないから必ず犠牲者が出ているのである。
ともかくソーラーバネルは自分の場合は最初は景観を破壊するので嫌だった。
実際に森を切って設置しているし台風などがきたら危険なものとなる
いかにも原発よりいいと民主党が宣伝したことも裏目になった。
そのソーラーバネルには税金が使われているからそれはエコではないというのもわかる。そしてこれも利権化して危険な面あったが無視されたのである。
結局エネルギーを何に頼るかとなると石油とか今は石炭が見直されている。
いづれにしろ必要悪でも今はそれしかないとなる。
ソーラーバネルなどはエコだといっても電気事業としては成り立たないとなり電力会社では迷惑だともされるからである。

国土省の責任が今回問われるとなるとか言われる。その国土省の大臣が公明党である。
つまりその堤防を削った近くの人が危険だと訴えたの国土省では無視したからである。
だから民主党だけに責任があるともならない、政治となると必ず責任が問われる
それは国土省の官僚の責任も大きいがその当時の大臣も責任が問われる
そうなると公明党の責任とか創価の責任まで問われる。
政治の責任と宗教の責任が違っていても何か政治と一体化すると政治の責任が宗教の責任になり宗教の責任が政治の責任にされる。政教分離しないとそうなりやすいのである。
殺人罪にすらなりえるからそういう立場になると責任がそれだけ重くなる。
でも日本では今回も誰も責任を問わないとなる。
文字通り水に流せとなる、そういう言葉が生まれたのもともかく災害が水の災害が常にあったのである。
八竜神社というのが実に多いがこれは水にまつわるものでありそれだけ日本では水の災害が多かったのである。
反面水が豊なのも日本である。津波もあるが海の恵みもある。
その国の風土にはプラスになるものとマイナスになるものがあるがそれは表裏一体なのである。

 
タグ:国土省
posted by 老鶯 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

老後は年金が15万くらいもらえないと老後難民になる (介護は金の計算になる)



老後は年金が15万くらいもらえないと老後難民になる

(介護は金の計算になる)


新幹線で自殺した人は年金18万もらえると思っていたのにもらえなかったのか理由だった18万といえば高いと思うがそこで4万以上家賃にとられるのが大きい
地方では持ち家であり18万あれば十分である。
老後のことなんか若いときから考えることないとか思っていた。
若いときは若いときで精一杯だから老後のことなど考える余裕がないのが普通である。
だから普通は考えないしそれでいいと思う

でも老後が長くなると何が大事になるか?年金なのである。
例えは百歳も生きるとなると年金をもらえない親を世話するのは経済的にゆきづまる
国民年金の8万くらいではやっていけない、8万でも実際は助かる
自分の母は年金が月に2,3万とかである。それは積み立ててなくても支給された時代である。長生きのご褒美として国でくれた年金だったのである。
だが今になって親を世話していみると介護は金の計算だなとつくづく思った。
施設に入れるにも地方だって最低15万とかかかる時代である。
すると年金は15万くらいもらえないとまず施設に入ることもできない
貯金より年金をみるからである。

そして地方では年金が15万とかもらっている人は恵まれた人でありあとは公務員くらいとなる
他は国民年金になってしまう。それではとてもたりないのである。
それで老後難民が6百万人になるというのは年金で暮らしていける人が少ないからである
そして年金から介護保険とかひかれるし物価にスライドしてあげないし、かえって減らされているから15万もらっても実質はさらに低くなっているのである。
ショートスティでも一日5000円くらいかかるとなると金の計算をしてしまう。
施設にあずけても一カ月で5000円で15万とかなる、それは特養でそうであり民間は地方でももっと高くなる。
そして地方ではまだ施設が不足しているしこの辺では余計にそうである。
ただ最近近くにできた老人ホームは募集しても人が集まらないという。
それはなぜなのか?良く内情がわからないがおそらく15万とかの金を払える人が少ないからではないか?
地方ではそんなに年金をもらっている人は少ないからである。

一日5000円でもそれに介護保険からでるから一日3万くらいになっているかもしれない、つまり実質の金はそれだけかかるとなる介護も金の計算にな簡単にサービスを受けていいのかとなる
もし一日とまるのに介護保険から金がでて何倍にもなるらその金をもらって自宅で手伝いさんみたいな人を雇った方が効率的だとなるし老後難民になっている人もそういう仕事をすればいいとも思う。
介護は実際は誰でもできるものであり看護師の仕事ととは違うからである。
だから何か老人を子供のようにあやしている、そのあやしている若い人もなにか知的に遅れている感じもする
老人介護はそもそも女性に向いていて男性には普通は向いていない。
家事とかの延長に介護もあるからである。

ともかく金の計算するというとき命も金なのかもしれないとみる。
つまり一日命を伸ばすためにいくらと計算してしまう。意外とその額が大きいからである国とか介護保険からも金がでているからその金は一日5000円でも何倍にもなっている
だから年金でも若者が納めないとと成り立たないとなりこれだけ老人が増えれば若者に負担がのしかかるのである。
それで若者が老人に金かけるなというのもわかる。
老人で国がつぶれるというのも冗談でもないのである。それほど介護とか医療には金がかかるのである。

今の自分の状態だと自分は国民年金がもらえるけどもらっていない、とするともし施設に母を入れると15万かかり自分の生活にも15万とかかかる
一月30万もかかるのは大きいのである。これでは破綻してしまうだろう。
ところが母がもし15万の年金をもらっていればこういうことはなかったのである。
姉は公務員で16万もらっていたから施設に入れても負担にならなかったことでもわかる
金の負担がないということが意外と助かるし介護は金のかかるものだということに気づいた。
在宅だと手間はかかるが金はそれほどかからない、一カ月15万などかからない、4,5万かもしれない。
まだ手がかからない状態だったらそうである。介護度がすすむと在宅は金もかかるし厳しくなる。
何か老後というとき一日生き延びるとかえっていくらと金で計算されやすいのである。
若い人はには貧乏でも一日いくらだとか計算しないだろう。
まず介護状態にならないし病気にもなりにくいからそこに金を使わないからである。
介護は誰かかめんどうみてショートスティでも施設でも結構金がかかるからである。
だからこそ一日生き延びるといくらかかるとか計算されやすいのである。
それが何か無駄な金にも手間に思いてしまうのである。

この人は一日生き延びる価値があるのか?何か認知症になり何もわからなくなっているのではないか?
こういう老人は果たして生きる価値があるのか?そのため一日いくらと金がかかるからそう問われる。
ただ生き延びる価値があるのかないのかという判断は誰もできない、それは最高にむずかしいし神のみがてきるとまでなるだろう。
だからこそそんなこと誰もしないのである。そもそもできないのである。
自分の姉はひどい認知症になったけどこの認知症の謎はどこまで正気で正気でないのかわからないのである。
正気にもどったりまたわけわからなくなったりとまだら状態になる。
でも姉は確かに死ぬ一カ月前に正気に一瞬もどってそれかは意識不明になり一カ月後に死んだのである。
だから認知症でもその人は何もわからなくなったから生きる価値がないとも判断できないのである。

今日厚寿苑で聞いたら自分の子供の名前を覚えていたし孫の名前も覚えていたし曾孫のことも覚えていた、それも忘れていたと思っていたのである。
二年とあわないと忘れてしまうからである。
そしてしきりにこの施設にいるといくらかかると金のことを気にしていた。
約5000円かかるというと金がかかるからいられねえなと言っていた。
つまり金のことを理解していたとなる
だから人にもよるが認知症になっても百歳になっても何かわかっていることがある。

ただ社会的こうした老人ばかりに金をそそぎこむことが何か価値を生み出しているのかとはなる。もちろん人間の価値など多様であり計ることなどできない
でも例えばショートスティであれ施設であれそこにあずけて金を使うより自分の場合、花を買ってアラワーアレンジメントするのが価値あるとか、老人の代わりに孫であれ奨学金のように金を使った方がいいのではないかとも思う。
ここでも老人に金をかけすぎるからそうなるのだ。
ショートスティが一日5000円でも実質は何倍も金がででいる。
そんなに金を払っていいのかとなる、それより国の将来をになう子供に若者にその他に金を使った方が国でも有益ではないかとなる
つまり老人問題は金が深くかかわっている。金がかからなければそれぞれの家で安上がりにできれば国でも負担がへるし若者の負担もへる
施設でも田舎では今は老人施設が一番立派なのである。
金をかからないようにするために国では在宅をすすめたのだが今は大家族ではないから
今度は人手が家にないとなりできない
でももし立派な施設など建てないで介護士とかも雇わないで在宅にするなら介護する人に10万とか与えた方が国の負担は格段にへるだろう。
隣近所とか暇な老人でも介護度3くらいまでならできるからである。

いづれにしろ介護でも国の負担を少なくすればこんなに若者とかから老人は早く死ねとか言われない、金のかからない介護を目指すべきなのかもしれない。
あまりにも施設でも立派だし介護士だとかも雇うとか何か介護は病気とも別なものだから金がかけすぎているのである。
介護士の給料をあげなければそもそもいい人材はえられないというが介護は本当は別に隣近所の暇な老人とかでもやればできないことはない
そんなに負担にもならないことはありうる
何かそういう方向にもっていかざるをえない、それで在宅介護という方向は間違っていないのだろうがそれをするためには地域包括センターがあるように隣近所とか助け合いのが必要になる。
そういう社会でなくなったときそれがむずかしいから困るのである。
やはり助けてもらうにも老後難民の人たちがブラックバイトとかしないと生活できないとかあり介護する人に10万支給するというふうになればその老後難民化した人たちに仕事を与えれることができるかもしれない
ただこれも一つの提案にすぎないし何かとうまくいかない机上の空論だともなってしまうでもなんらか対策しないと本当に老後難民だ医療や介護の負担で国がつぶれるとまでなるのが冗談でないのである。


 
タグ:介護

2015年09月16日

秋薔薇(移る季節)



秋薔薇(移る季節)

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介護する母にまつわる秋の蠅

一輪の秋の薔薇咲く我が庭に朝の静けく石に映えにき
しんみりと一輪静か秋の薔薇我が庭に咲き季は移りぬ
白々と秋の薔薇咲き空家かな我が見るのみに散りにけるかな
ノウゼンの夏の名残になお咲きぬ朝顔も咲き季(とき)は移りぬ
女郎蜘蛛巣を払いしも巣をつくる生きるためなる業なるかも



庭に一輪薔薇が咲いた、秋になって咲いた。
もう夏は終わり秋だろう、でも夏の名残がありノウゼンはまだ咲いている
他人の庭だがそのとたあわせがいかにも今らしい
秋の蠅が寝ている母にまとわりつく、一週間も施設でショートスティして腰をいためた。ボータブルトイレに立てないでいけないとか難儀した。
その補助もしないとなるとまた大変だと思った。
施設ではトイレの補助をしているからだ。
正直いつまで介護はつづくのだろうと嫌になる。
たいがい介護した人は長いので嫌になるのだ。
それでもうしたくないとたいがい言っている
自分もこれだけしたのだからやりたくない、介護にかかわりたくないとなってしまう。


人間は何か秋の蠅でも嫌なものから逃れられないようにできている
たいがい何か子供でも親でも負担を課せられている
障害者の子供をもち一生苦労する人もいる
今どきは何か子供で苦労している人も多い
ニートとかが増えているしそういうのも重荷になる。
もちろん子供に恵まれた人もいる。
でも子供で苦労する人が多いなというのも昨今である。
ともかく人間は何かしら負担を強いられる、そして自分もやがて年取ったり病気になると負担になる。
自分もこんなに親で苦しむとは思わなかった。
それだけ自分は特別良くされたからしかたないとは思う
一人はひどい認知症で死んだ
一人は延々と介護がつづく
介護はつくづく長いなと思う

女郎蜘蛛が蜘蛛の巣をはらってもはらっても作る、これも業(カルマ)だと思った。
巣を張らなければ餌をとらなければ生きていけないのだからそうなる。
これは殺さない限り家の回りに巣を張りつづけるのである。
蜘蛛が嫌だといっても蜘蛛にすれば巣を張り餌をとらねば生きていけないからそうしている。
人間でも世の中でもそういうことはある。
本当にこの世はカルマがきれない、延々と生きるものにカルマは消えないのである。
だからカルマを断てという仏教の教えもわかる。
それはこの世が終わるまで延々とつづくのである。
秋の蠅でもまとわりつく、何か嫌なものに死ぬまでまとわりつかれる
それは死ぬまで人間はそうした嫌なものから逃れられない
それはどうにもならないことなのである。

近くの空家は10年くらい人が住んでいない、なぜ住まないのか?これもなぞでありあの家のことは聞かない
近くでも知らないのである。そこに一輪白い薔薇が咲いて散る
見ているのは自分だけだというのも不思議になる。
その空家は別に荒れていない、時々人が来ているからだろう。
でもどうしてこんなに長く空家にしているのかわからない
税金の関係とか事情があるとしてもわからない
何か近くでもわからないことが多いのである。


介護は親子でもむずかしい (介護は虐待になるのもむずかしすぎるから)


介護は親子でもむずかしい


(介護は虐待になるのもむずかしすぎるから)


介護というのは何か高齢化社会で新しい問題として問われるようになった。介護は別に前々からあったが介護が一つの仕事となったり介護士という職業を生まれたのも実際は新しいのである。介護士は高齢化社会で生まれた新しい仕事なのである。
仕事は必ず時代によって新しい仕事が生まれる。
看護師とか介護士は違っている。看護師は注射とか点滴とか何か技術的にめんどうなものがあるから介護士より資格的にも上だし社会に認められた仕事で月給も高い。
介護士は底辺の仕事であり安いからいい人材が集まらない
そもそも介護士という職業自体新しいからである。看護師はすでに古い歴史をもっているかが介護士はそうではない、ただこの二つの職業は共通した面はある。
なぜ近くに新しくできた老人ホームが募集しても人が来ないのか?

介護業界に新規参入したばかりで実績のない事業者は信用がなくケアマネージャーとしても選定しづらい。
そのため利用者がなかなか増えないということです。とくに都市部では競合する事業者が多く、競争が激しい。ケアマネージャーのところには「ウチを使ってください」と営業マンが日参する状況だそうです
http://president.jp/articles/-/14419?page=3

こういう理由もあったのか?つまり建物は建てた、ではそこで働く人が問題になる。
そこで簡単に人材は集まらないしその人材によって評価を得るのにはまた時間がかかるから人材はまた即席にはできない、それで新しくできた施設には集まらないのだろうか?
もう一つは田舎では15万とか年金をもらっている人が少ないこともある。
まず確かに新しくできたところは評価を得ることはなかなかむずかしい
建物が立派でもそこでケアする人材は簡単にえられないのである。
結局誰でもいいとなれば虐待するような人が入ってくる。
つまり介護という仕事は機械化できないし極めてヒューマンな仕事なのである。
そして親子でも介護がむずかしいというのは親子でも千差万別であり親子の事情は外からみてわかりにくい、だから親の介護をしたくないという人も増えている
子供は介護してくれないあてにならないという人が多いのである。
そこに親子の事情があり親を介護したくないというときそれはこれまでの親子関係が原因しているのである。

自分の場合はあまりにも複雑な家庭であり特別は自分は良くしてもらったので姉のときも今は母の時も介護している。
でも今日は嫌だった、一週間、ショートスティしたら腰をぶつけたのである。
そして立てなくなった。ホータブルトイレにも行けなくなった。
百歳にもなったら慣れた家とか部屋を移ることは危険である。
もともと自分の母親は人の言われたことは無理しても従う性格でありそれで無理するのである。
このトイレに自分で行けないということが大問題だった。
なぜならオムツにしろというとき嫌がった、オムツにすることはがっくりと人間の生活の質を落とす、それを自分も経験したから思い出してわかった。
何かオムツにすることは人間の尊厳をくじくものなのである。
それも経験しないとわからない、自分はそれでずいぶん苦労してきたけど忘れていたのである。

ベッドの高さを調節したりしてなんとかまた一人で立ってポータブルトイレに行ったみたいだけどこれで今日は自分も疲れた。
トイレに行けないとか介助するとなる夜もあるから介護する人が疲れるし仕事もできなくなる。
前は認知症だったから苦しかった。でも姉の場合は二年半で死んで今になると早かったなとなる。
9月21日が命日であり6年も過ぎてしまった。その間にいろいろなことがあり何かゆっくりふりかえることもできなかった。
介護はそれだけ気を使う仕事なのである。
ともかく介護は介護される人と介護する人に何かしら動機がないと簡単には普通はできないだろう。
親不孝だったという人がその償いに介護しているとかの動機があったりすると認知症の介護でもなんとかようとする。
自分も何か贖罪の気持があり介護しているのである。
普通は施設でもそんな動機をもちえないから虐待も起きてくるのである。
いくら金もらっているからといっても介護は人間と人間が密接にふれあうから問題が起きる。

いづれにしろ介護は長いし介護をしていた人がたいがい介護にはかかわりたくないということでもわかるようにそれだけ身内でも負担が大きすぎるのである。
かといって介護する動機をもてるかとなると普通はもてない
人間はつくづく何でも動機が大事である。
人間の関係が今は露骨になると金しかない、こいつから金をとればいいとしかなくなっている。
そういう動機しかない時代なのだから介護でも何でこのジジババを介護するのだ、金をもらえばいい盗んでもいいとかなる。
自分の経験でも何かみんな金に追われていて余裕がある人がいなかった。
借金に追われぎりぎりの生活に追われもうなんとか金を奪う他ないような状態に追い込まれていた。
それで自分がその金をとる対象にされたから怖かった。
だから老人を相手にした介護でもそうした問題が露骨に起きやすいのである。
だから金持ちでも施設では優遇されとは限らない
つまり建物が立派でも相手も人間だからである。介護士でも貧乏だったら何でこのジジババはこんなに金をもっているのだとかなり奪ってもいいとかなりやすいのである。
もちろん親切するときも動機が金だけになると相手はいくら金をもっていても弱者なのだからいじめられることだってありうるのである。
なぜなら金持ちの親はたいがい子供が施設にあずけるからである。

介護はだからハードの建物をいくら立派にしてもいい介護は受けられない、ソフトの面が人材がいいかどうかで決まる、しかし介護ではその人材はえがたい、それは親子でも介護がむずかしいことでもわかる。
どうしても介護する動機が大事になりその動機がもちにくいからである。
自分の場合は介護したくなくても悪いことしたなという贖罪の気持がありいやいやながらやっている。
これもどこまでつづくかわからない、手がかかりすぎる施設にあづけたいとなる
施設にあづけると年金もないからこれもまた苦しい、どっちにしろ介護はやっかいな問題でありそれが家族だけではない国の財政まで影響して福祉のサービスが限界にきている。すでに家族の問題だけではない、社会的問題であるから税金のことか言われる
税金から払われるからである。消費税にしても福祉に使われるしそれは国民全員のかかわる問題になっているのである。
もし介護でも費用をへらすことができれば国民全員も助かることになる
だからもし隣近所とか老人同士が助け合うとかなれば国の費用も減らすことができる
何でも国に頼るとか税金でやるとなると莫大な金がかかり国民の負担がさらに重くなるのである。
ただそんな大局的に考える人はいない、そういう立場になると人間は誰も関心をもたないのである。

 
タグ:介護虐待

2015年09月17日

拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期 (日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)


拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期

(日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)

 
文明の見方はいろいろあるし文明そのものが何か定義はない。
古代文明はエジプト文明でもそうだしマヤやインカの文明でもそうだが内部志向型文明と定義づけられるかもしれない。
内部志向型というとき交通が発達しないから一地域で一つの世界を作る文明である。
外部志向型文明は拡張型文明であり一つの世界が広域に形成する
それはローマとか中華文明でも古代の文明でも起きた。日本は中華文明の縁辺に生まれた文明という見方もあるのもそのためである。
時代的にも中世とかなるとヨーロッパでも城が多いから日本の封建制時代と同じであり内部志向型文明になる。
外に拡張しない文明であり閉鎖的な文明となる。
だから中世と日本の江戸時代はにているのである。

例えば江戸時代は鎖国であり拡張文明ではない、外国との交流をたち日本独自の社会を形成した一つの内部志向型の文明だった。
江戸時代をどう定義するかいろいろあってもやはり一つの内部志向型文明を成熟した社会を形成したと評価できる。
内部志向型文明はその地域で国で自給自足して世界観を作り上げる。
日本は稲作文明の継続として江戸時代があり一つの世界観を形成した。
山に神がすみ春には里におりてくるというとき田植えの時に神が山がおりてくるというのは日本的な稲作文明の世界観であり信仰にもなった。
山には先祖が死者が眠るという山の信仰があったのはそのためである。
それは稲作文明から生まれた一つの信仰であり世界観である。
葉山(羽、端、.....)信仰がそうである。羽山は端山は低山地域にありそこはちょうど田に水を供給する山の高さなのである。高い山の信仰ではないのである。
それは日本の自然と調和した自然観であり世界観であった。
ただ明治維新は様々にとりあげられるが日本の文化の基ともなった江戸時代はまだ歴史的に文明的に鎖国というマイナスの評価になっている

でも現代の文明はこうした拡張型文明から内部志向型の文明に移行する時代にきている。拡張文明というとき西欧文明の大航海時代からはじまって現在のグローバル資本主義経済を形成した。それは地球が一つの世界を形成した。だから世界が一つの価値観をもった時代だとなる。
資本主義が絶えず資本を世界に投入して経済の発展を計る、そもそも資本主義が起きたのは大航海時代に船で貿易するために投資がはじまった。
船が沈めば株主は大損するが船が安全に帰ってくれば大儲けになるのである。
それが船の株主であり資本主義がそこから発展したことでもわかる。
ヨーロッパとか中東とかでは船を作るために大量の木材を必要として森が破壊されたというときレバノン杉の森が消失したというときそれだけすでに船を利用した貿易が地中海で行われていたのである。
文明はそうした船をつくるために食い尽くされたというときいかにそれは拡張型文明が早い時期から発展していた。

その拡張型文明は西洋だけではない、世界の資源を求めて進出した結果としてアジアの森が今度は破壊されたことは同じである。
内部志向型文明は江戸時代の葉山信仰、稲作文明のようにあまり自然破壊は起こらないのである。
それでも海の方へ田を干拓したとき湿地帯を埋め立てたから自然破壊だった。
松原は自然と調和したのもだと思っていたが自然破壊したものであった。
なぜなら津波で根こそぎ松原が破壊されたことでそのことがわかった。
松原だけとか杉林とかは人工林であり自然林ではなかったのである。
稲作文明は内部志向型文明でもその稲作の範囲を海の方面の湿地帯に拡大したとき自然破壊になっていたのである。

現代のグーバリズムの拡張型の文明は限界にきている。もう拡張する発展するフロンティアが消失している。だからいくら資本を投入しようにもその場がなくなっている。
だから世界経済が発展するということはなく世界経済自体が停滞して後退してゆく
それは中国経済でも限界が生まれたことが象徴している
新興国の発展にもブレーキがかかる、資本主義はグーーバリズムはそうした限界にきているのだ。
だから世界的に株価は低迷して成長する国も分野ももうなくなる
それは日本だけではない世界的に起きている現象である。
例えば日本でアベノミックスで資金をいくら投入しても経済発展が望めない、回復しない、一見株が上がり成長しているように見えてもそれは見せかけであり日本はこれ以上経済成長するのは限界なのである。
それは中国でも起きてきたし世界自体が経済成長することができない限界にきている。
これ以上グローバリズムの経済を押し進めればむしろ地球の自然環境は破壊されるから
それは自然の理が働いてブレーキがかかったともとれる。

現代の資本主義拡張型文明は会社文明であり多国籍文明であり今までの文明とは違う、そこには文化がないのである。ただ経済の原理があるのである。
文明には必ず文化があり世界観がある。グローバリズム経済には資本主義には文化が生まれない、会社は多国籍会社はその土地に根ざすものではないから文化を生まないのであるつまり文化はcultivate(耕す)場がなければ生まれないのである。
だからシュペングラーが警告したのはまさに土地に根ざした田舎が失われ都市文明化して文化が消失して世界が数で計られる無機的なものとなる。
毎日世界が株を標準として常に数で計っていることでもわかる。
その株価も実質の経済を繁栄したのもでもない、架空の数字の世界だとも言われる。
致命的なことは文化がグローバリズム経済から生まれないことなのである。
そこに精神の不毛があり文化の不毛があり精神の貧困がある。

だから今見直されるべきは日本では江戸時代であり国風文化なのである。
それは日本だけではない、かえってグローバリズムの世界、一様化した世界には興味がもてない、会社文明、多国籍会社文明は精神的に軽薄であり文化がない。
それはただ外部志向があるのみであり内部志向がないからである。
内部志向というとき縄文時代の土器の装飾とかマヤの土器でも装飾が豊かなことが共通している。
内部志向型文明は一見それはグローバルでとないと批判されるが濃密な自然との交流があり芸術性豊かな装飾性が豊かな文明だったのである。
だからこうしたエジプト文明でもまたマヤ文明でもそこに一つの自然と調和した世界観宇宙観がありそれは一つの詩的空間にもなっているのである。
つまりそもそもグローバル資本主義経済には詩はない、経済の話だけである。
それから科学が技術が現代を形成するものでありそこに文化はないのである。
もちろん科学でも技術でも文明を作るものであり文化を形成する
だから科学技術文明はエジプト文明でもマヤ文明でもあった。
石を緻密に正確に刻み寸部も隙なく石の神殿を造ったことではにていたのである。

外部拡張型文明というとき第二次世界大戦とかもそうした時代に起きたしそれは大航海時代からヨーロッパの拡張としてアメリカの発見がありそれが現代の世界を作ったきたことでもわかる。
その時日本も世界史的に拡張型文明となり太平洋戦争を起こしたのである。
その後の70年も経済のグローバル化にのって日本も発展した。
しかし世界はもうそうしたグローバル資本主義の拡張も限界にきている。
中国が台頭して戦争にになるとか日本が集団的自衛権で戦争に突入するとかもないだろう世界的に小競り合いがあっても世界第二次大戦のようなものは起こらないだろうという見方もある。
つまり世界はそうした拡張型文明から内部志向型文明に移行するのである。
それぞれが国風文化に内部志向型文明にもどってゆく,回帰する時代になる。
それはとりもなおさず新しい文化が華開くルネサンス時代の到来なのである。

自分はもともと相馬藩内でそうした地域文化を土地に根ざしたものを追及してきたのである。
そうした小さな地域でも世界でも一つの世界観をもてる。
いやその世界観の方が自然の理にあっている。だからマヤ文明ひかれようになったきはそのためである。
そこには矛盾はあっても一つの森に埋もれた自然と調和した文明があったのである。
そういう一地域で世界観を深化させて構築していったのである。
何か不明なのものが多いが一つの石のブロックが一年とかとなり時間を積み重ねていった文明の構築物なのである。
それは内部志向型の内密な装飾性豊かな人間的な文明だったともなる
いづれにしろ古代文明にしろこれから再評価されてゆくし新たな意味がもたらされてゆくことは確かである。
それは現代のグローバル社会との対比で再評価されてゆくのである。


タグ:古代文明論

2015年09月18日

みちのくの文化圏の探求 (まず地理的でも政治的でも境界を知ること)


みちのくの文化圏の探求


(まず地理的でも政治的でも境界を知ること)


江戸時代(1603年〜1867年)には津軽地方は弘前藩、 南部地方は南部領八戸藩として別々の統治の下に置かれました
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/tugarunanbu1.html

地理的境界として奥羽山脈があった。それは新幹線で新青森から奥羽山脈をぬけて浪岡に出た時わかった。
方言から地域を区別するのは昔からあった。人間の地域性はまず地理で地形で区切られて方言で区切られてそれたら政治で区切られる、青森でも弘前藩と南部藩と対立して影響していた。関所があるとそこで二つの地域に分けられて違った文化をもつようになった。

伊達藩は今の宮城県であり新地は伊達藩でありその新地出身の人がだっちゃという方言を使っていた。ただこの女性は名取にも住んでいたから仙台弁になった。
新地はまぎらわしい地域だった。明治以降は相馬郡になったが江戸時代は伊達藩だったのである。
明治以降の廃藩置県は地形とか考慮しなかった。江戸時代は地形が地理が一つの国として封建制の中で確立していた。ただ伊達藩となると広いからそれは政治的支配であり地理を越えたものとして成立した。

廃藩置県になってからは地理的に県を理解することはむずかしくなった。だから前に県からイメージすることができないと書いた。
つまり青森だったら弘前藩と南部藩は地理的に政治的にも別だったのである。
福島県でも広いから一つの地理から理解できない、会津地域はもともと万葉集の残っているように一つの別個の国だったのである。
「会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね」
ここで嶺となっていることがまさにその国が会津嶺でありその嶺は複数の嶺なのである。一つの嶺ではないのである。
岩手山だったち岩木山でも鳥海山でも一つの嶺としてあるが会津は多数の嶺のことなのである。
福島県の福島の由来を探求している人がいるがこれせ複雑であり何かわからなくなる。
大阪とかにその由来を求めているが何かしっくりしない。
なぜ福島県なのかその由来がわからないのである。
福島県というのは名前は何か歴史的でも地理的でもない、ただ二本松県とか会津県とすると統合した名前にはふさわしくないから福島県としたのかとなる


まず世界を理解するのは地理からはじまる。岩手県でも区界(くざかい)という高地があるそこで岩手県は二つに分かれている。そこには春になっても雪が残り冬だと厚い雪に埋もれるのである。
そして今回の津波の被害を受けた地域は太平洋海岸線として一体であった。
海岸線とか大河の流域とかが一つの共同の地域を形成することは交通からありうる。
ヨーロッパでは川が縦横に流れ運河ともなり交通がありハイザ同盟とか一つの都市のネットワークを作った。
日本は大河がないから海岸線のネットワークを作った。
都からは鉄の材料が浪江の請戸港に運ばれて葛尾村で製鉄されて葛尾大臣が栄えた。
宮古と相馬はかえって海の道で結ばれていたのである。
地理を知るときはやはり区界(くざかい)でもそうだが地理的でも政治的境界でも知ることが第一になる。
福島県ではハマ、ナカ、アイヅとあるとハマと浜通りとか中通りは阿武隈山地で区切られているから地理的に隔絶してるのである。
ただ今回の放射能汚染では風で中通りの福島市とか郡山市まで放射性物質が運ばれたので皮肉だが地理的一体だったと感じたのである。
風はどうしても峠でも山でも越えてゆくからそうなったのである。

福島県はまず会津は地理的にも別個の世界である。2000メートル級の山がひしめいているからそこが全く違った山国の世界なのである。
そして阿賀野川を通じて新潟方面と交流があり浜通りからすると遠いのである。
だから福島県と言ってもそこを一つの国としてイメージするものがててこないのである。
文化はやはり一つの地理的なミクロコスモスの世界観が形成された場所から生まれる。
だから会津には会津の文化があり福島県の文化ではない。
そこには歴史の厚みがあり風土に形成された歴史と文化が蓄積されている。
会津も広いし奥深い世界だから地理的にも究めることはむずかしい。
福島県を知るだけで相当旅行しないとわからないだろう。
東北でもそうだがここも地理的歴史的一体感がどこまであるのかわかりにくい。
要するに東北でも広いからそうなる。
ただ常陸が関東圏であり白河関からはみちのくになったのは地理的にも政治的にもそうなった。

文化の形成はやはり地理がらはじまる。それは相馬藩という狭い地域でもそうでありそのミクロの世界でも一つの世界観をもつことにより文化がcultivate(耕して)されて形成される。耕すというとき土を耕すというだけではないすでに土を耕し実りを得ること自体が文化なのである。
地方創生というとき文化の再生こそが地方創生である。経済的なものだけではない、政治経済のように人工的なものではなくその土地土地から形成されるのが文化なのである。
現代はグローバル資本主義から国単位でも県単位でもさらに江戸時代の藩単位になり文化の再生の時代になる。
文化の個性はその土地なくしてはありえないからである。だから東京に政治経済はあるのだけど文化がないのである。
奈良や京都には大阪でも文化があったが東京にはないのである。
文化が興隆しない限り栄えたとはならない、たいがい政治都市でも鎌倉でも平泉でもやはり文化が興隆したことで歴史をみるからである。

東北文化圏とかその中でも会津文化圏とか相馬文化圏とか青森でも弘前文化圏とか岩手でも地域的に分かれた文化圏かある。それは全国的でもそうである。
この文化圏の再構築することによって日本の文化も多彩なものとなる。
日本は国土は狭いのだが地勢が複雑であり変化に富んでいる。南国から北国からある。
だから一つの世界観を形成しやすいとなり日本文明が形成されたのである。
全国的だと琵琶湖を中心とした近江文化圏とか瀬戸内海文化圏とかはわかりやすい。
地理がわかりやすいところが旅してもわかりやすい。
琵琶湖があり瀬戸内海がありそこからイメージできるからである。
ただ岡山県だとか広島県だとか県単位になるとイメージすることができないのである。

 
タグ:みちのく

みちのくの文化圏の探求 (まず地理的でも政治的でも境界を知ること)


みちのくの文化圏の探求

(まず地理的でも政治的でも境界を知ること)


江戸時代(1603年〜1867年)には津軽地方は弘前藩、 南部地方は南部領八戸藩として別々の統治の下に置かれました
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/tugarunanbu1.html

地理的境界として奥羽山脈があった。それは新幹線で新青森から奥羽山脈をぬけて浪岡に出た時わかった。
方言から地域を区別するのは昔からあった。人間の地域性はまず地理で地形で区切られて方言で区切られてそれたら政治で区切られる、青森でも弘前藩と南部藩と対立して影響していた。関所があるとそこで二つの地域に分けられて違った文化をもつようになった。

伊達藩は今の宮城県であり新地は伊達藩でありその新地出身の人がだっちゃという方言を使っていた。ただこの女性は名取にも住んでいたから仙台弁になった。
新地はまぎらわしい地域だった。明治以降は相馬郡になったが江戸時代は伊達藩だったのである。
明治以降の廃藩置県は地形とか考慮しなかった。江戸時代は地形が地理が一つの国として封建制の中で確立していた。ただ伊達藩となると広いからそれは政治的支配であり地理を越えたものとして成立した。

廃藩置県になってからは地理的に県を理解することはむずかしくなった。だから前に県からイメージすることができないと書いた。
つまり青森だったら弘前藩と南部藩は地理的に政治的にも別だったのである。
福島県でも広いから一つの地理から理解できない、会津地域はもともと万葉集の残っているように一つの別個の国だったのである。
「会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね」
ここで嶺となっていることがまさにその国が会津嶺でありその嶺は複数の嶺なのである。一つの嶺ではないのである。
岩手山だったち岩木山でも鳥海山でも一つの嶺としてあるが会津は多数の嶺のことなのである。
福島県の福島の由来を探求している人がいるがこれせ複雑であり何かわからなくなる。
大阪とかにその由来を求めているが何かしっくりしない。
なぜ福島県なのかその由来がわからないのである。
福島県というのは名前は何か歴史的でも地理的でもない、ただ二本松県とか会津県とすると統合した名前にはふさわしくないから福島県としたのかとなる


まず世界を理解するのは地理からはじまる。岩手県でも区界(くざかい)という高地があるそこで岩手県は二つに分かれている。そこには春になっても雪が残り冬だと厚い雪に埋もれるのである。
そして今回の津波の被害を受けた地域は太平洋海岸線として一体であった。
海岸線とか大河の流域とかが一つの共同の地域を形成することは交通からありうる。
ヨーロッパでは川が縦横に流れ運河ともなり交通がありハイザ同盟とか一つの都市のネットワークを作った。
日本は大河がないから海岸線のネットワークを作った。
都からは鉄の材料が浪江の請戸港に運ばれて葛尾村で製鉄されて葛尾大臣が栄えた。
宮古と相馬はかえって海の道で結ばれていたのである。
地理を知るときはやはり区界(くざかい)でもそうだが地理的でも政治的境界でも知ることが第一になる。
福島県ではハマ、ナカ、アイヅとあるとハマと浜通りとか中通りは阿武隈山地で区切られているから地理的に隔絶してるのである。
ただ今回の放射能汚染では風で中通りの福島市とか郡山市まで放射性物質が運ばれたので皮肉だが地理的一体だったと感じたのである。
風はどうしても峠でも山でも越えてゆくからそうなったのである。

福島県はまず会津は地理的にも別個の世界である。2000メートル級の山がひしめいているからそこが全く違った山国の世界なのである。
そして阿賀野川を通じて新潟方面と交流があり浜通りからすると遠いのである。
だから福島県と言ってもそこを一つの国としてイメージするものがててこないのである。
文化はやはり一つの地理的なミクロコスモスの世界観が形成された場所から生まれる。
だから会津には会津の文化があり福島県の文化ではない。
そこには歴史の厚みがあり風土に形成された歴史と文化が蓄積されている。
会津も広いし奥深い世界だから地理的にも究めることはむずかしい。
福島県を知るだけで相当旅行しないとわからないだろう。
東北でもそうだがここも地理的歴史的一体感がどこまであるのかわかりにくい。
要するに東北でも広いからそうなる。
ただ常陸が関東圏であり白河関からはみちのくになったのは地理的にも政治的にもそうなった。

文化の形成はやはり地理がらはじまる。それは相馬藩という狭い地域でもそうでありそのミクロの世界でも一つの世界観をもつことにより文化がcultivate(耕して)されて形成される。耕すというとき土を耕すというだけではないすでに土を耕し実りを得ること自体が文化なのである。
地方創生というとき文化の再生こそが地方創生である。経済的なものだけではない、政治経済のように人工的なものではなくその土地土地から形成されるのが文化なのである。
現代はグローバル資本主義から国単位でも県単位でもさらに江戸時代の藩単位になり文化の再生の時代になる。
文化の個性はその土地なくしてはありえないからである。だから東京に政治経済はあるのだけど文化がないのである。
奈良や京都には大阪でも文化があったが東京にはないのである。
文化が興隆しない限り栄えたとはならない、たいがい政治都市でも鎌倉でも平泉でもやはり文化が興隆したことで歴史をみるからである。

東北文化圏とかその中でも会津文化圏とか相馬文化圏とか青森でも弘前文化圏とか岩手でも地域的に分かれた文化圏かある。それは全国的でもそうである。
この文化圏の再構築することによって日本の文化も多彩なものとなる。
日本は国土は狭いのだが地勢が複雑であり変化に富んでいる。南国から北国からある。
だから一つの世界観を形成しやすいとなり日本文明が形成されたのである。
全国的だと琵琶湖を中心とした近江文化圏とか瀬戸内海文化圏とかはわかりやすい。
地理がわかりやすいところが旅してもわかりやすい。
琵琶湖があり瀬戸内海がありそこからイメージできるからである。
ただ岡山県だとか広島県だとか県単位になるとイメージすることができないのである。

東北などの雪の俳句

kkkkkkkkza111.jpg

区界に雪の溶けずに厚しかな

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2015年09月19日

平和の時代は終わり危険な時代へ (集団的自衛権の攻防は日本の動乱の時代のはじまり)


平和の時代は終わり危険な時代へ

(集団的自衛権の攻防は日本の動乱の時代のはじまり)


幸運は長くつづかない
平和も長くつづかない
日本の平和の日は終わり
日本を守るために
血の犠牲が払わされる
70年前の戦争で
死んだ無数の戦死者
国家はまたその血の犠牲を求む


国家とは何か、国家とは血の犠牲を求めている。何かまた戦争の時代に入ってきたのか?
集団的自衛権とはその先触れなのか?
日本は戦後は焼け野原になったけどその後は朝鮮戦争の特需があり高度成長になった。
戦後50年とかは幸運だったのである。
自分の人生も平和であり幸運だったとつくづくふりかえる。それは普通の家族ではないにしろ何か平和であった。そして何より自分は楽だった
会社にも勤めないから自由に旅もできたしそういうことが許されていた。
三食も用意されていたし楽であり何か暇を感じていた。
それが親が病気になり一人は死んでもう一人は介護になった。
自分自身も病気になった。その時病気で弱者になったとき責められた。
一人もいたわる人はいなかった。それも長い平和と幸運の代償だったのかもしれない

つまり日本の幸運と平和は本当は日本自身で成されたものではない
日本が日本を守っていたのではない、アメリカに守られていたとかなる。
冷戦構造の時はそうだった。そして今は冷戦も終わり世界構造が変わってしまった。
日本は日本を守るために血の犠牲が求められているのである。
アメリカとともに戦争するというより日本を守るために日本人自身が血の犠牲を国家から強いられる。
だから再び戦争の準備をしなければならなくなる。
何かアメリカとかも守ってくれない、だから自力で日本を守れとなる。
そういう時代の変革期に来ているのだけどあまりにも長く平和がつづいたので危機が自覚できない

平和とか幸運は個人的にも団体でも国家にしてもつづかない
自分の平和と幸運はたちまち苦難に代わり悪戦苦闘の日々になった。
もちろん津波とが原発事故でもそうである。
何か平和と幸運の日は終わり再び歴史的にも日本は苦難の時代に突入して行くのか?
そういう不安がある。ただすでに平和を豊かさを満喫した世代でありもう人生も終わろうとしているからこの国家的苦難は若い世代にのしかかる
これからの若い世代はもう戦争で無数に死んだ人たちのように楽ではない人生になるのか?
人間はどうであれ時代時代を生きる宿命を逃れることができない
明治からこれまでふりかえれば日露戦争があり太平洋戦争があった。
戦争を二回経験している。戦後70年はそうした戦争もなく平和と繁栄の時代だったのである。

団塊の世代は恵まれたと今の若い人が言う時それもそうだった。
高度成長時代であり日本の繁栄の時代を生きたからである。
いくら集団的自衛権に反対してももうそれだけでは国は守れない
非戦を唱えても9条が平和を守ってくれるわけではない
常にそうした反対する団体は中国とか韓国の工作員が煽動しているとか言われる
では中国が日本を守ってくれるのかとなるとならない
中国に日本に恨みをもつから復讐する、日本は中国の今度は属国化される
だから左翼が集団的自衛権に反対しても国民は前の安保闘争のように盛り上がらないのである。
アメリカは日本を守ってくれない、アメリカは日本に血の犠牲を強いる
日本はもうアメリカの傘の下で安全を計れないのである。

9条も守ってくれない、血の犠牲が強いられて日本が守れるのである。
集団的自衛権とか徴兵制とかはこれから強制される。
そうしないと国が守れないからである。
冷戦はもうとっくに終わり世界の構造は変わってしまった。
つまり9条を唱えていれば国が守れる平和と幸運の時代は終わったのである。
もうまず自衛隊に血の犠牲が求められている。
自衛隊は死んでこそ国のために死ぬことで価値があるとか言われているからだ。
税金はそのために払っているとか言われている、だから自衛隊がまず日本国のために血の犠牲が強いられる
外国で死ぬことが要請されている。
その時自民党でも安倍首相でも公明党でも創価でも良くやったとほめられる。
指導者は国家のために犠牲を払う若い血の生贄を求めているのである。
まず創価は戦闘的集団であり平和を望んでいない、あくなく権力を追及する団体だから世界に対してもそうなる。日蓮は戦闘的なのである。
だから太平洋戦争でも日蓮主義で指導した人がいた。右翼と一体化しやすいのである。
また時の権力に反抗することはない。

日本はあまりにも平和であり繁栄の時代が長かった、だから以前として敵に攻められるとか感じない、つまり9条というのは中国からみたら都合のいいものであり中国の支配下に入れるために工作員が支援しているとなる
何らかでこれから日本はの平和ボケは厳しい現実にさらされ打ち砕かれる
津波のように恐るべきことが起こり打ち砕かれる
ミサイルが本当に北朝鮮から飛んでくるかもしれない、ただ以前として平和が幸運が長くつづいたからそうした危機感が喪失してしまっている。
集団的自衛権がどうのこうのというよりそういう恐るべき現実に日本はどう対処するのか日本の国家の危機になったら日本は嫌が応でも血の犠牲が求められる時代になる

左翼が9条を守れというときそれに乗じて中国が侵入して支配されることにもなる。
なぜなら常に在日とか中国の工作員が入り裏から日本を支配しようとしていると言われるからだ。つまり中国が巨大化したとき常に背後に中国がいるとういことを考えねばならぬ時代になったのである。その橋渡しとして在日がいるとなる。
すでに日本の中で中国派とアメリカ派とかが二分して争っている。
だから常に左翼は中国の手先であり日本を売り渡すものだと見られている。
単純な平和主義ではない、要するに中国とか関係しない平和主義ならいい。
でも実際は9条は中国に利用され中国にとって都合がいい、左翼はそして中国の手先となり中国が日本を侵略してその左翼を利用して日本を今度は支配するとなる。
右翼またアメリカの手先だというのもそうである。
どっちを選べとなると必要悪でアメリカがいいとなっている。

いづれにしろ日本の平和と繁栄の時代は終わり危険な時代になりつつある。
それが津波であれ天変地異であれ原発事故であれ時代が代わり目に起きてきたのである。ただ平和と繁栄の70年間は無駄ではなかった。そこで貯えられたものが華開くのもこれからである。
何か個人でも実際才能でも華開くには時間がかかる。団塊の世代は批判が多いがやはり平和と繁栄の時代に蓄積したものがありそれが華開く
とにかくシリア難民でもそうだけど何か世界が動乱の時代に突入する。
あれは難民というより命懸けの民族移動である。必死だからある意味で受け入れる方も怖い、拒否できない、そこでは人権主義でも限界がある。
数が多いからもう戦争のようになる、そうなるととめるには軍事力しかなくなる。
そこで戦争が起きてくる、相手はすでに相当数死んでいるし命懸けだからである。
グローバル資本主義はもう限界であり世界経済も停滞して大きな破綻に見舞われるかもしれない、もう維持できなくなり新たな世界の構築がはじまるかもしれない
そういう時代の大きな変革期がきている。
自分が苦しめられたのもまさにそういう時代に入り国家もそういう時代に試練の時代に入ってゆく。


posted by 老鶯 at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

秋の彼岸が姉の命日で7年すぎた (家と土地に記憶を残す死者)


秋の彼岸が姉の命日で7年すぎた

(家と土地に記憶を残す死者)


姉死してはや七年の過ぎにしや秋の彼岸が命日なるかも

日々通る我が家の墓花なしを見れば淋しも花さしにけり


昭和20年9月21日が姉の命日だった。数えてみればすでに今年は昭和27年だから7年もすぎたのである。
これも早いと思った。6年だと思ったが7年だった。プログをかきはじめたときちょうど認知症を発病した。それまでは良くわからなかったし穏やかだった。
認知症が発病したというのがわかったのはもともと気性が激しい人だから暴力になったからである。
認知症は人によって症状が違う、激情的な人は認知症になると暴れたりする介護する方の負担は大きくなり苦しくなる。
その認知症の介護のことで二年半とかプログにかきつづけた。
ただ二年半すぎたところで死んだので長くは介護しなかった。

その点は救われたのである。あれ以上長くなると自分も母もとも倒れなり家は維持できなくなっていた。
それからまた母の介護でありもうすでに10年にもなるのである。
その間に自分も病気になり犯罪にあいとか借金で攻められとかさんざんな目にあった。
なぜならその間に病院に一カ月入院して二週間は手術のために入院したからである。
これも苦しかった。一人で何でやらねばならなかった。
それまでは社会と没交渉であり隠者のような生活をしていたからである。
だからそういう暮らしができたのも不思議だとなる。
今だとニートとか珍しくないが団塊の世代では相当な変わり者である。

それにしても未だに自分は落ち着かない、母が腰をいためたとかいろいろ介護でめんどうになっているからである。
介護は長いからこれも負担なのである。姉が認知症になって以来毎日生活に追われてきた近くすらのんびりと行けなくなった。
夜の8時ころ帰った時、姉は帰ってこないと近所の人のところに行き騒いでいたのである
その近所の人はいい人だったので受け入れてくれたのである。
あとのひとは親しい人も近寄らなくなった。
自分にとって姉の認知症の介護は限界になっていた。鬱病にもなっていたからである。
その時脳梗塞で倒れて入院してその後半年くらいで死んだのである。

人間は死んでから七年くらいはまだ昨日のことのように思える。
死んでからまだ自分は気持の整理ができていない、というのはその後も今度は母の介護に追われてきたからである。
だからずっーと心の余裕がもてなかった。そしてその間に今度は津波や原発事故が起きたのである。
ともかく激動の十年だった、そしてまだそれは終わっていないのである。

姉についてはいろいろ思い出があるから一つの本にして残そうとしていたがなかなかその余裕がないのである。
七年くらいすぎても思い出はまだまだ生々しいということに気づいた。
人間は死んでもそのあとその人が記憶から簡単には消えないのである。
7年となると長いと思ったがそれは昨日のことのようにも思えたからである。
それだけ人間は例え死んでも影響があり何かしら残った人に記憶を残してゆく
つくづくだから限界集落でもそこに夫が死んで残された妻がその家を離れたくないとかその土地を離れたくないという気持がわかった。
それはまだ死んでも生々しくともに生きた人の記憶がその家や土地に残っているからである。
その土地とか家とか何かに記憶が刻印されている。

だから人間は死んでもそう簡単に記憶は消えないし忘れられということはない
むしろ生々しく蘇るということ残された人にその生前の姿が鮮やかに現れるということもある。
それは7年過ぎてからでもでありまだ時間がたってその人の姿が明確にありありと映し出されるということがある。
津波で死んだ人たちもまだまだ遠い人ではないのである。
10年すぎて一昔になるがそれでも死んだ人は簡単に記憶から消えることはない
だから原発避難者でも故郷とか家から離れられないという気持がわかる。
特に老人に多いのはその家に土地に記憶が刻まれているからである。
その家とか土地から離れたらそういう記憶も薄れて思い出せなくなるからだ。

自分の家の墓はすぐ近くであり毎日のように通っている。ちょうど用事あるとそこを通るからである。だから墓は身近である。
それで毎日見ているからさした花が枯れたとかとりかえて花をさしていないと何か淋しいなと花をさしている。
つまり墓も近くにあれば身近になり生活をともにすることになるのだ。
死者もまた身近にあるともなるが離れていると生きている人も死んでいる人も遠くなる。


タグ:秋の彼岸