2015年09月01日

自分より相手が苦しんでいた不思議 (追い詰められている人が多いから危険な時代)


自分より相手が苦しんでいた不思議

(追い詰められている人が多いから危険な時代)

人間の経験することはみんな不思議である。事実は小説より奇なりというのは本当である個々人で経験したことを語るとそんなことあるのと思うけど事実なのである。
自分の経験したことを書いてきたけどこんなことあるのというのがこの七年間に起きたことだった。
津波とか原発事故とかが起きたこともそうである。この世にこんなことがあるのという驚きだった。これだけもうなんといっていいかわからない出来事だった。

この七年間は家族の認知症に苦しんだ、これもこんな病気があるのという摩訶不思議な経験でありそれを書いてきた。病気というのもまた不思議なのである。
病気の種類もまた多いのである。だから理解できない病気がいくらでもある。
病気も自分の身にふりかからないとなかなかわからないのである。

ふりかえると自分が苦しいことを訴えた相手が自分より苦しい立場にあった。
自分が訴えたときわからなかった。一人は別に親しいのではないが近くで癌であっというまに死んでしまった。
もう一人は時々あっていた人で自分が病気のことを言ったが何の関心もなかった。
もちろん仕事で頼んでいるのだから客にいちいち病気のことまで関心をもつことはない
でもその人も自分より死にいたる病気に今になるとなっていた驚きである。
やはり死ぬ病気となると自分より最悪の状態になっていったのである。
その時はまだそうした最悪の状態になっていないときであった。
そのあとすぐに最悪の状態になり一人死んだのである。

ともかく自分が介護になり病気になったとき接した人はまず金でもぎりぎりにおいつめられていたのである。
一人は事業に失敗して借金で首が回らなくなっていた。
そんな人が人を助けることなどできない、自分の病気のことなどどうでもいい、まず金をとることだとなっていたのである。
だから自分の病気に対して同情を示すことができなかった。
これもふりかえると恐ろしいことである。
お前が死んだら金が入るとまでなっていたのである。
それだてけ追い詰められていた。
もちろんもう一人もそうである。だから金をくれと来て家捜して丁度病気だったので大金を失った。これも近くにそういう人がいることが信じられなかった。
みんな自分が介護だと病気だとか苦しんでいても自分が接した相手も追い詰められていたのである。そういう人はもう人を助ける余裕などないのである。
むしろ死んだら金になるとか金のことしか眼中になかった。

最近接した人もまた金に追われている人だった。その人はずっと貧乏だった。
ただ自分は病気も回復したので余裕あるから助けている。
自分が病気のときだったらとてもそうした余裕はないのである。
人間は自分が苦しかったら相手のことすら考える余裕がない
相手を思うということはそれなりかなりエネルギーが必要だからである。
思うということは何か行動しなくてもそれ自体がエネルギーとして相手に働く
でも人間は思うというときそんなに大勢の人を思うことはできない
その数は極めて限られているのである。
相手が知らないでもその人を思いば何か良くても悪くても作用する
悪い面に悪い思いでも作用する

だからなんかある人が誰か殺したいという思いは強烈だから全く関係ない人がその思いを受けて殺人にいたるとか言う哲学者もいた。
それは何かそうした思いに影響しやすい弱い人がなりやすいというのもそうかもしれないだから人間が思うということは何でもないようで怖い面があるのだ。
人間の想念というのはだから宗教では一番大事なものとしていたのである。
悪い思いがあれば悪いことが必ず起こるということである。
悪い思いを抱くだけでそういう悪い行為に結びついていくからである。
人間はどうしても思うことを軽く考えるからである。

ともかく今の時代は世相はまず金に追われているぎりぎりの人が多いということである。老人でもそうであり老後難民というのもそうである。
新幹線で老人が焼身自殺したのもそうである。
ぎりぎりに金で追い詰められているからそうした事件を起こす
人間はもう善も悪もない、追い詰められれば今日食べるものがなければ相手を殺してまで今日食べるための金を得るために殺すこともありうる
だからそういう追い詰められた人間と出会うことは恐ろしいことになる
ただ相手のことはそういうふうに追い詰められているということが理解できないのである自分か金にも病気にも困らないとしたら相手がそんなに苦しんでいることがわからないのである。
事業に失敗していたのもわからないし、その人がそんなに金に困っていることもわからない、それは病気でも同じだったのである。
ただ自分の状態をみればひどいなと普通だったらわかるが相手は全くそういうことを思う余裕がない人たちだったのである。

それにしても癌がふえているのだろうか?
癌で早死にする人がふえているのだろうか?
50代でも60代でもなんらかの持病をもつようになる人が多い
また生活習慣病としてその世代に症状として現れる
酒を飲みすぎているような人は肝臓などが疲れいたんでくる
自分の病気は本当は軽いものだったのけど実際は身体障害者のようになっていたから苦しかったのである。
人間も残酷であり相手が弱くなると喜ぶ人が結構いるのである。
自分が弱くなったとき露骨にそういうことが現れたから人間の非情を知った。
それより自分の接した人たちもぎりぎりに追い詰められていたのである。

まず今の世相はこういう人たちが多いとしたら怖いと思う
もう気を許してつきあうこともできない、それは田舎でもそうである。
やはり金、金、金の世界になっていることは同じである。
みんな金のために余裕がないのである。
この辺も原発の補償金でもめて市民自体が分断されていることを書いてきた。
人間は今金によって心も分断されているのだ。
こういう社会はなんらか大きな破綻がくるのかもしれない
社会自体が資本主義自体が限界に来ていて大きな破綻が来て変革の時代に入る
そういう末世として現象が現れているのかもしてれないのだ

今回の津波や原発事故もそうした社会の末世状態に入り起きたことなのかもしれない
内外的にも国難が起きてくるのが末世である。
そして今回の津波や原発事故のように文明の崩壊現象のようなことが起きてくる
自分は今は余裕ができているから相手を思うことができる
ともかく今は何かみんな余裕がない時代である。それが犯罪に結びついてくるし
格差社会は治安も悪くなるから怖い時代になっているのである。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

-   マザー・テレサ




 
タグ:危険な時代
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欧米型の食生活のために胃ガンが増えた? (病気も生活習慣病)


欧米型の食生活のために胃ガンが増えた?


 
病気も生活習慣病

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近くで癌になった人が二人いた。一人は同級であり一人はまだ50代だろう。
癌が増えているのは統計的にも確かである。
特に日本人で増えている、それが恐怖になっている
人間は病気になればその病気で死ぬ
病気にならなければ人間は老衰のようになって死んでゆく
百歳生きている母は病気になっていない
だから長生きしている、死ぬとしても老衰でありまたは何から体が衰弱して細菌にやられて死ぬとかなる
病気というのはまた老衰とかとは違う、明らかにその病気の故に死ぬ
だから病気にならなければそのまま長生きする
百歳になるまえに死んだりするのは病気が原因なのである。

そしてその病気の原因が何なのかということである。
つまり病気には必ず原因があり結果がある
どうしてそんな病気になるのか?
癌となると解明されていないからいろいろ言う
ただこれも生活習慣病が関係している
日頃の食生活とか日頃どういう生活をしていたかが関係していることは間違いない
酒をそれなりに毎日飲んでいたらやはり肝臓がやがて痛んでくる
それは機械でも長年使っていると痛んでくるのと同じなのである。
だからどうしても50とか60以降は病気が出やすいのである。
60代になると何らか持病をもたない人はいないのである。

生活習慣病というとき癌が増えたのは特に男性の場合は胃ガンとか前立腺ガンが増えたのは欧米型の生活になったことが関係している。
肉食であり日本人本来の魚と野菜とか昆布とか海苔とか風土にあった食生活から離れてしまった。
なぜ日本人がコーヒを飲むようになったかというと欧米型の食生活は食後にコーヒーが飲みたくなるようにできているということを科学的に説明しているサイトがあった。
コーヒーは胃にいいものではなかった。刺激性が強いので胃に悪いのである。
胃液の分泌もさせるので胃酸過多になりやすい、どうも自分が春から遺産過多になったり胃にコーヒーが悪く作用していることが気になるようになった。
それでコーヒーはなるべく飲まないようにすることにした
男女とも胃ガンが増えていることはコーヒーも関係しているように思う

それから肉食が増えたことも関係している
なぜなら日本人は肉食に向いていない、欧米人は肉を食うと消化する酵素がでる
日本人は出ないのだから肉食には向いていない
穀物を消化するために腸が長くなったことでもわかる
つまり日本人は日本の風土にあったように遺伝子でも作られてきたのである。
それは縄文時代からはじまっていた。日本人は肉食はあまりしていないのである。
明治以降は牛でも豚でも肉を食べすぎることも関係している
それからコーヒーも欧米型の食生活で飲むようになったが胃に悪いものだったと思う。
前立腺癌はもともと欧米に多かったからこれも肉食と関係していたのである。
肺ガンについては良くわからないがやはりこれも何らか欧米型の食生活とか何か原因がある。

明らかなのは胃ガンは欧米型の食生活の習慣から増えたことは当たっているだろう。
そして最近の食生活はあらゆるところで化学薬品とか調味料とか純粋に自然のものを食べるということができない、なにかしら化学薬品が入っている
コンビニの食品などはみんなそうである。薬品なしではありえなくなっている。
そういうものも影響して胃ガンが増えたのかもしれない
人間の食はやはり体に一番影響しやすいだろう。
食べるものが体を作るからである。日本は外国のものであれあらゆるものを食べすぎると思う。それらがみんないいようには作用しないのである。
食生活も文化であり文化は風土から作られるからグローバル化は文化を破壊するからそこに一番大きな問題がある。
もちろん外国のものがすべて悪いとはならない、いいものを取捨選択すればいいのであり日本人はそうしてきたのである。
ところが明治以降はあらゆるものを日本人は取捨選択しないで取り入れたのである。
だから人間の生活の基幹を成す食生活まで破壊されたのである。
それが胃ガンなどが増えた原因になっていることは有力である。

もう一つは人間を体質からみてその体質にあった生活をするということも健康のためには大事である。
人間には実の体質と虚の体質があり実の体質は体力があり疲れずに人を引っ張ってゆく人である。現代ではそういう人が先頭に立って引っ張っている
一方で虚の人は疲れやすく現代の生活についていけないというのも自分は虚の体質だからわかる。激しい運動したりすると疲れて何日か動けなくなる
何するにしても疲れるから休むことが多いのである。だから自分にとって学校とか会社とか団体生活は苦手である。体力的に合わせることができないのである。
つまり虚の体質の人は常に休息が必要なのである。
この見方はやは東洋的医学の見方でありこれもやはり否定してしまった
欧米流の医学一辺倒になったことも問題が生まれているのである。

いづれにしろ50代であれ60代であれここからは健康が第一であり勝負でもある。
ここで健康でなくなる、病気になったら金があってもどうにもならない
金もあった方がいいが病気になればとてもあらゆることが乗り切れない
そして破綻してしまう悲劇になる
だから生活習慣病だというときそれは若いときからも気をつけねばならない
若いときのツケは必ず支払わされる、それは健康でもそうだが精神的にもそうなのである自堕落なの生活をしていたら必ず心も体も歪んだろう。
とても人生の実りはそこにはない、それも恐怖なのである。
最後にとにかくその人の積み重ねたものがあらゆる面に結果となって出てくるのである
別に刑罰を逃れても内面的な罪は消えることがないのである。
だからなんらかで青春時代は若気の到りとか必ず過ちがあるがそれがそのままで終わらない消えないから怖いのである。

確かにイギリス人の食糧は牛肉である
と認めなければなるまい
イギリス人は戦争愛していると
それはあらゆる享楽と同じ
彼らの大好きな気晴らしなのだ
クレタ島の人々もそうだった
牛肉と闘争、この二つとも
イギリス人から学んだのだ

バイロン(ドン、ジュアン)

欧米からもたらされたものはみんないいものではない、最近スペインで牛を街に放す祭りで12人死んだとかそうした風習はまねるべきではない、欧米型のものが何でもいいものではなく取捨選択が必要だったのである。


牛肉はそんなに食べる必要があるのか?
http://musubu2.sblo.jp/article/47047234.html

 
タグ:胃ガン
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なぜ原発避難区域が復興がむずかしいのか? (贅沢になり限界集落のうよな所に住みたくない)


なぜ原発避難区域が復興がむずかしいのか?


(贅沢になり限界集落のうよな所に住みたくない)


原発事故で避難区域になった所がなぜ帰還して住む人が一割にもみたないのか?
それはもう一万の人口で千人帰っても若い人が帰らないとなるとやがては消滅してゆく
限界集落になってしまう。そういう場所に帰る気になれない
復興というときなぜ戦後に戦争が終わり焼け野原から何もないところから日本が立ち直れたのか?
そこには何もない、食料すらない、何もないところから立ち直れたのか?
それは奇跡だったとか言われる、その原因はかえって何もないから立ち直れたともなる
何もないということは一から始めることになる、何もないところに一から作り始める
そればかえって始めるのはいいのである。
つまり何もなくてもいい、その日食べて雨をしのぐバラックの家でもいいとなる。
実際その時は電気は裸電球一つであり水道もない、なにもない時代であり江戸時代から継続した自給自足だったのである。燃料は炭だった。
そういうなにもないということは贅沢をもともとしていないから苦痛にならない
苦しくてももともと何もないのだから不満も言わないのである。

今回なぜ復興できないかというといろいろとありすぎて豊かになった状態だったからこそその豊かな便利さがなくなったから帰りたくないとなった。
それは放射能汚染だけではないだろう。
一旦街がそういうふうに便利なものがなくなったら便利に豊に生活していたものは耐えられなくなる
一旦贅沢を覚えたものは貧しい生活にもどれないし金持ちから貧乏人になることの方が辛いのである。
例えばうまいものを食べていたものはそれが食べられなくなったときなにか窮乏感を余計に感じるのである。
もともと貧しくうまいものも食べていなければそうはならないのである。
広い家に住んでいたものは普通は狭い仮設のような所に住むのは苦痛になる
もともと借家住まいの人はそんなに苦痛を感じないのである。
もともとそういう生活だったからである。

十津川村とか土砂災害で村ごと北海道に移住できたのはもともとみんな農民であり貧しい、北海道でも貧しい生活から始まったのだけどもともと貧しい生活だったのだからさほど苦痛にならないとういことがあった。
贅沢な今のような暮らしからもし荒野のような所に移住して開墾するとなるとその苦痛は百倍にもなるしもうあきらめてやる気がなくなる
贅沢を覚えたものは苦しいことはしたくないのである。
だから戦争中日本兵は粗食に耐えてよく戦ったとうか評価する人がいる。
でもそもそも貧しいから粗食だったのだから耐えられたともなる
今の贅沢に育った人がとても戦場での窮乏には耐えられないから戦争などできると思えないのである。

つまりあまりにも便利な豊かな生活から貧しい生活になることの方がどれだけ辛いことになるか、それが避難区域には帰らないという理由だと思う。
一見田舎町で何もないようでも今は違っている。
小高病院でも配管を直すだけで7億円もかかる、インフラにどれだけかかっているかこれをみてもわかる。
限界集落はインフラを調えるのに街の中心部より180倍もかかるという、それだけ今は昔とは違っている
昔は何にもかからない、自給自足だからである。
そういう場所では復興するのもかえって容易だとなる
もともと何もないのだから自給自足なのだからインフラを調えるために金などかからない病院でももともとないのだから用意する必要もないのである。

だから結局そんな限界集落のようになったところに住みたくない、他の便利な場所で再出発した方がいいと若い人もなったのである。
限界集落にはインフラを調えるのに180倍も中心部よりかかる
別に昔のように自給自足の生活だったらコストはゼロだし税金もかからない
そしたら都会の人が税金が無駄だとか言われないのである。
一時三陸とかでもジジババしか住んでないところに復興のために金をかけるのは無駄だと官僚が言って顰蹙をかった、それもやはりインフラを調えるだけで今は膨大な金がかかるからそれも一理あった。
だから何か住民をもどすことが無理になっている
帰っても限界集落になり老人だけになりいづれは消滅してしまうとなる

結局皮肉なのはあまりにも便利で豊かな贅沢を覚えた生活のために不便な所には帰りたくないとなってしまったのである。
現代文明の便利な豊かな生活がかえって村を消滅させたというバラドックス(逆説)があった。
本当に村や町を維持したいと思ったらそうした便利なもの豊かなもの贅沢なもの原発のような金になるものに頼るべきではないとも原発事故から考えられるのである。
かといっても一旦贅沢覚えたらもうその贅沢をやめることができないのが人間である。
ただそういうふうに便利なもの豊かなものに頼る生活が意外と脆弱なものをもっていた。一旦こんなふうになるともう再建できなくなったからである。
自給自足のような貧しい生活だったからかえって再建しやすかったのである。


タグ:限界集落
posted by 老鶯 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年09月02日

株でも投資信託でも投資すると世界経済に興味をもつ (今回の中国が原因の株価の下落で思う)


株でも投資信託でも投資すると世界経済に興味をもつ

 
(今回の中国が原因の株価の下落で思う)


外国に投資した、これまでは日本だけだった。分配金が月にいくらかと入るので得だと思った、しかしこれも今回の世界的株価の下落でその元金が一割とかひかれた
すると配当金でもらっていても損だとなる。それは週刊誌に配当金が結果的に損になるとか書いてあったそうなのかとも思う。
そしてカナダの国債を買ったが国債と株価は逆の動きをすると言われていたがそうではなかった。同じように一割くらいひかれたのである。
だから安全資産ではない、でもそれはなぜなのかとなると投資をすすめた人もわからないのである。
そもそも株とか世界経済のことを専門家すらわからないというとき素人ではさらにわからない。だから専門家にまかせるのだが別に専門家も責任はとらないのである。
誰が責任をとらさられるのか、結局これも金を出した人はリスクをとるだけである。
証券会社も銀行でもリスクはとらない、一時投資信託で損した人が郵便局の人に抗議したが投資信託はリスクがあることを承知でするものでありすすめた人がたリスクとることはないのである。
結局すすめた人であれ会社であれ責任はとらない、とらされるのは金をだした投資者なのである。

こういうことは今の社会に常にある。そもそも世界経済などわかりようがないからだ。
学者でも専門家でもわからない、それは今の医療でも言える
ガンになったら手術すた方がいいと医者にすすめられて失敗した人もいる。
これも怖いのは責任は医者はとらない、患者がとるほかない、医療関係では医者でも病院は医療ミスを問われないような体制にしている。
医療ミスが膨大な数が責任が問われない、またいちいち問われていたら医者をしていられないということもあるのだろう。
ではガンになったらどしてどう対処していいか素人の人はわからなくなる
まずいろいろなことが言う人がいて情報社会でまどわされるのである。
それでインターネットで検索してかえって情報の迷路に陥り変な民間療法にたよって失敗した人もいる
自分の病気のときもたいしたことがないと思い放置して医者に行かなかったので手遅れになり死ぬこともあった。
自分の病気はわかりやすいものでありすぐに明確な判定ができる病気だったのである。
いろいろ一身上で追われていたので医者に行かずに致命傷になるところだった。
それと素人判断していたことが良くなかったのである。
だから別に医者を全く信用しないとかは良くない、ガンでも医者の判断を聞くべきであるただその医者の判断が万能にはならない、ガンの場合はわからないことが多いからである抗ガン剤の使用は副作用が強いから問題とは誰でも指摘しているからわかりやすい
そういう情報を吟味して結局これも自己責任で判断するほかないとなる
その責任は医者もとらないからである。ガンそのものがわからないからである。

株にしてもこれもまた専門家でもわからないが自己責任であり責任をとらされる
これだけ複雑な社会でいろいろなことがわからないにしろ自己責任社会になる
誰も専門家でも責任はとらないのである。
原発などでもそうである。専門家集団が危険はないというときそれを住民は信じて今回のように故郷に住めなくなった。住民は放射能のことなど知らないと言っても責任はとらされるのである。
だからいろいろなことを知らないということだけですまされない社会でもある。
でも人間の知でも情報でも極めて限られている、経験することも一個人の経験はあまりにも限られているから神の如くならなければあらゆることを知ることなどできないのである近くでも農業をしたことがない人は農業のことは詳しく知ることはできない
漁業にたずさわる人でもそうであり様々な仕事があっても近くでそういう人がいてもわからないのである。
だからもともと昔から職業が違うと異質な世界の人となり神秘化されたこともわかる。
昔は江戸時代でも直接交流が少ないからそうなる。
この辺で隣の村から来た麦付きを手伝いに来た若者は蛇だったとかいう伝説かあるのもそのためである。
隣の村すら人があまり交流しないからそうなる、だから飯館村の佐須村と大倉村は民情が一致しないから明治になって合併できなかったとかある。
それぞれが交流しなくても生活できる、自給自足が基の生活だからそうなった。

今は世界的にグローバルに交流世界になるから世界のことを理解しないと株のこともわからない。
カナダはどういう国なのだとなるとまたわかりにくい、カナダはG7に入っていたのとか石油が世界で三番目にとれていたのか日本とカナダの貿易額はどのくらないなのか、円とカナダドルの関係はどうなっているのかとかが知りたくなる
それは直接国債を買えば知らずにはいられなくなるからだ。だから何らか少額でも投資することはその国でも世界でも関心をもつことなるということがわかった。
それは具体的にひびいてくるからである。
グローバル化すると世界の経済のことでも国際関係でも常に注視していなければならなくなる。
カナダでも石油資源は豊だが中国のように経済成長がとまると需要がなくなり石油の値段も下がるから資源国にとっても打撃でありそれが国債の下落になったのかもしれないとかなる

そして中国に言われることは中国の経済の成長は安い労働力にありブランドを作るイノベーションがないから停滞したとが言われる。
つまり資本主義の発展にはもともと航海して新大陸を発見したり外国からの富をもたらすことによる資本主義があった。船の株主になりもうけたということである。
それもリスクがあるものだが船が沈没すれば投資した金は全く帰って来ないとういことがあった。だから今の株ともにている。
資本はまたそうしうて何かもうけがあるところに金が流れ投資されてその見返りが株のもうけとなって返ってくる、そういうことが資本主義になくなったので限界説が出てくる。もうもうけをだすものが世界でなくなったということが言われる
だから世界的にもう株は上がらないし長期に停滞して資本主義自体が衰退してゆく
もしく世界恐慌とかなり破綻するのではないかと言われる

それは地球の環境とも関係している。これ以上資本主義経済が世界を支配してしまうと環境破壊がますますすすむ、世界経済が停滞した方が環境破壊にブレーキがかかる。
電気がたりないとなれば原発がもっと必要だとなり今回のような事故になり自然環境が破壊され住めなくなる、住めなくなるということは最悪である。
それより自然環境を破壊しないで住みつつづける方がいいとなる。
つまりもう地球は経済成長する余裕がない、これ以上経済成長すれば環境が破壊され人すら住めなくなる、中国でも成長をかきりなくつづけようとしたら13億人もいるのだから
環境が破壊され住めなくなる、そういう歯止めがなくなったらどうなるのか?
その時地球自体に今回のような津波のような大災害が起きてくることも考えられる
自然から人類に対して環境破壊に対して抑制する働きがでてくる
それは人類の人口を減らすことにもなる。人類はこれ以上もう自然破壊したり経済発展を望めば大災害が起きたりする、原発事故もこれも人類に対する警告だったのである。
だからこれからは株で稼ぐとかそういう割りのいいことは望めないかもしれない
そうなると余った金をどうするのかということになる。
何か考えを変えなければならなくなる。

考えを変えるというとき価値観を変えることに通じる
資本主義で無限発展の価値観ではなく何か別な価値観である。
原発事故で避難区域になったところが若い人が帰らないというとき老人とかの価値観を共有できなくなったこともある。
老人はそこに長年暮らしてきたのだから愛着がある。
しかし若い人はそういうことがあまりない、世代間の価値観の共有がなくなったこともコミニュティが崩壊してゆく原因だった。
江戸時代なら代々親の職業を継いでいたのだから世代間で価値観が共有されてきたのである。
今では世代間での価値観も共有されていない、だからなにか避難区域がコミニュティまで家族でもばらばらになったのはもともとそういう状態だったのに事故で拍車がかかったということもある。
市町村でも何か価値観を共有して成り立っているわけではなかったからである。
だからこうなると今までの価値観ではなく共有する価値観に一つに生きるということを志向すれば再建できるということもある。
ただそうなると不便を強いられたり今までの豊かな生活も維持できないから価値観を共有することは簡単にはいかないのである。

ともかく
 
資本主義は投資してみないとわからない
貯金してもわからない
投資が資本主義だから

資本主義は投資することによって動いている
金の流れが世界的になっていることが資本主義である
つまり常に投資先を求めて動いている
だから投資者にならないと資本主義はわからない
また株主にならないとわからないとなる
タグ:株の下落
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2015年09月03日

南相馬市鹿島八沢浦のひまわりの道の写真 (新しいカメラできれいにとれた)


南相馬市鹿島八沢浦のひまわりの道の写真

 
(新しいカメラできれいにとれた)

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ひまわりに揚羽の舞いし真昼かな
ひまわりに嬉々と揚羽の舞いやまじ
柚木なれ社の一つ秋の蝉

草原に風のそよぎてひまわりの咲きつづく道走り行くかな


ソニーのデジタルカメラが良かったので一眼レフのカメラを買った。
アルファ6000である。
それで昨日ひさしぶりに晴れたので八沢浦に行ったらひまわりの道になっていた。
やはり一眼レフになるときれいにとれる
このカメラは動いているものをとるのにいい、シャッタースピードが早い
瞬時にとれるから動きがあるものには強い
それでひまわりに飛んでいた揚羽の写真がきれいにとれていた。

前のカメラも画質は良かったが動きには弱いカメラだった
このカメラは八万だけど高いとは言えないだろう
このカメラの最大の弱点はバッテリーがすぐきれる
もう三つくらいバッテリーをもっていかないときれてしまう。
これは旅行などでは大きな問題になる
量をとるからバッテリーがきれると困るからである。
そして充電にも三時間もかかるとなると余計に問題になる。

現代はまず日々の記録が写真にもなっているから写真なしではありえない
俳句や短歌でもそうである。むしろ写真の方が注目されるだろう。
まず目で見た感じと写真で見たのとは違っているし
見えないものが写真だと見える
こんなのが写っていたのかという写真で確かめられる
ここでも蝶が飛んでいるのは肉眼では良くわからないのである。
それを連続してとったものを見るとわかるのである。

八沢浦は葦原になってしまった。もうあそこは米も作れないだろう。
何に利用するかとなるとあそこは低い土地だから利用しにくい
ただ草原になってしまったということで気持いいといえばそうなる
これもまたそこに住む人にとっておしかりを受けることになる
ひまわりは何か田んぼとかより草原に映える
雲雀ももともと草原にあうものだったことが草原化してわかった。
ひまわりは大陸が原産だからそうなる

草原というとモンゴルとかであり北海道とかになる
そういう自然がここに一部生じたということも驚きだった
屋形から北屋形とか北海老とかの道は木陰が多く気持のいい道である。
夏は涼しさを感じる道である。
そこから柚木(ゆぬき)に行ったがあそこには文久の墓があった。
柚木は相馬市に入っている。
そこから相馬市の道の駅までは散歩コースになる
相馬市までなると自転車では遠くなる。



 
タグ:ひまわり

2015年09月04日

東京オリンピックのエンブレム問題 (抽象画をソフトで変化させるのともにている)


東京オリンピックのエンブレム問題


(抽象画をソフトで変化させるのともにている)


今回のエンブレム騒動はなぜ起きたのか、その背景も現代を象徴していたのかもしれないロゴとかデザインとかは昔からあった人類共通のものだった。
今回しきりにコンセプトとデザインの関係を指摘する人もでてきた。
コンセプトとは何かを象徴するものとしての概念である。
それはトーテムだったら抽象化されていないから犬とか鷲とかのトーテムでその部族を現すからわかりやすい、それは一つコミニュティをまとめるものとしてあった。
それはまた部族が分かれてその部族を識別するものとしてあった。
ただそれは何かそうなるべきものがあって犬とか鷲が選ばれた。
日本ではそれが紋と旗印になった。紋も何か謂われがありコンセプトがあり作られている水戸黄門の葵の紋は有名だけとその紋を通じてあれだけの力を発揮するということもあった。
紋というのはそれだけ端的に象徴するものとしてわかりやすいからそうなった
またその紋のバックには権力がありだからこそ力を発揮できた。
天皇の菊の紋もそうであり明治維新の時の錦の御旗もそうである。
ナチスの鉤十字の旗も何か悪魔的なものとしてあった。
要するにこうした象徴的なものは人間に言葉より影響力があるからそうなる

前にも書いたけど野馬追いの旗印が3000もあるというのはなぜなのかとなる
コンセプトとにているのが役割旗である。
一の旗でありこれは行列を行ったり来たりしているからわかりやすい
伝令の旗でありお使い番の旗である。
この役割とコンセプトは多少にているのである。
他にも野馬追いの旗には幾何学的な抽象画的な模様が多い
それは他と区別するものとして多様化したのである。

今回のエンブレム問題は背景も複雑だった。特権階級化して利権化した組織がありそれで佐野氏が選ばれた。
何か昔そうだったが職業が違うとわかりにくくなる。素人にはデザイン事務所があってそれで小さな会社のようになって仕事になっていて収入になるということが理解しにくい。これもやはりいろいろなものの商品の会社でも宣伝としてロゴやデザインが利用されることが多くなったからだろう。
でも紙パックなどの模様とかあんまり注意している人はいないだろう。
だからデザインにそんなに価値があるのかそれだけ仕事になるものだったのかとなる。
ただそういう需要が増えたからロゴとかデザインの仕事が現代では増えた。
ただこれが芸術的価値になると絵画とかと比べたら低いとみてしまうだろう。
抽象画が自分もパソコンのソフトで作ったからこれは素人でもできるものになったと思った。でも芸術性が高いとは自分でもとても思えないのである。

結局インターネットが普及してその結果として著作権の問題も素人でも考えざるを得なくなった。自分もインターネットにあるのをソフトで変化させて出してきた。
だから自分でもヤバイなと思うことがあるが原画とはまるで違ったものになっているから見分けがつかないと思って出してきた。
佐野氏のは原画とはっきりコピーしたとわかったから問題視されたのである。
だから何か創作なのか抽象画になるとむずかしい、つまり抽象画とかロゴでもコンセプトというけど人によって見え方が違ってくるからである。
今回のエンブレムも明らかに抽象画でありコンセプトと言っても決められない
黒い一本の線は何なのか?東京の頭文字のTだと言えばそうなるが一本の柱のようにも見れるし赤いのは太陽だということはわかりやすい、それは日本を象徴している
これが芸術性の高い作品なのか、コンセプトにかなうものなのかというと判断さまざまになる。
こんなの誰でも作れる小学生でも作れるというのも確かである。
抽象画自体自分も相当作ったが自分自身が芸術なのかどうか疑問に思うからそうなる。

いづれにしろ最近はインターネットが相当に普及している。それでネットを通じて類似のデザインを探されたことが致命傷になったのである。
インターネットは意外とわからないようでその足跡が残されていたり類似なものを見つけることができるシステムになっている。
外国までそれが探すようにできたというのも驚きである。
なにしろ数が膨大だから類似のものを探すことは容易ではないと思っていたからである。
ともかく抽象画と今回の問題は関係していた。抽象画は誰かの抽象画を変化させやすいのである。自分がそれをしてきたからわかる。
佐野氏はそれをあまりにも露骨にやりすぎたのである。
それははっきりと素人にもバレルものだったのである。

それとたいして芸術性もないものなのにその金額があまりにも大きいから問題になった
そんな金をつぎ込んで税金の無駄だとなった。そんなにそもそもデザインとかロゴが金になるものなのかという驚きである。
そもそも芸術は昔から金にならない、作家でも教科書のようなものを書くと金になるが小説そものもは金になちないとかと同じである。
絵画は金にならないがかえってロゴとかデザインとか芸術性が低いものが金になる
それは商品の宣伝とか会社の宣伝とかに使われるからそうなる
現実にそうしたデザインとかロゴが芸術品として後世に残ることはあまりないだろう。
抽象画もやはり芸術としては第二第三芸術となってしまうからだ。

今回のエンブレム問題はインターネット問題などとかかわって現代的複雑な問題だった。結局オリンピンクとか世界的なイベントには莫大な金が使われたことで問題になった。
そんなことしなかったら佐野氏をこんなに攻撃しないだろうしまずコピーしていたこと自体わからなかったろう。
自分もコピーして変えているが指摘されたこともないしまた自分のものがコピーされてもわからないのである。
別に金にもならないし目立たないからそうなっている。
普通はあまりロゴとかデザインを紙パックなどでも良く見ている人はまれなのである。
でもデザインなどがあれだけの収入になっていたことも驚きだったのである。
つまり売れない画家より事務所までかまえてやっているのだから金になる仕事だったということである。そこにまた著作権の問題が発生する根があった。
俺のデザインをぱくって金もうけているとなるからである。


タグ:エンブレム
posted by 老鶯 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

エンブレム問題も原発事故の原因と共通していた (権力が結託しあい公正さを欠く、民主的でなかった)


 
エンブレム問題も原発事故の原因と共通していた

 
(権力が結託しあい公正さを欠く、民主的でなかった)


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エンブレム問題も何かいろいろ言われるが原発事故とか韓国のフェリーの沈没事故とかとも原因が共通していた。
しきりにネットで佐野氏とかの回りには利権構造ができあがっていた。審査にしてもそうした利権にかかわるものが審査していたしその利権の構造に組織に入らないものはそもそも参加もできなかったのである。
そういヴ利権にかかわる人たちが審査するのだからすでに佐野氏がそういう利権の構造の中でコネとかでのしあがった人だという。
つまりもともとデザインの才能などないのだが高級官僚の兄とか有力者が親族にいて能力に関係なくのし上がったという。
芸術の世界ではそういうことはあってはならない、でもこのロゴとかデザインはまた芸術なのかというとわからない、明らかに創造性がそれなりに要求されるが本物の絵画のような創造性とも違う。
何かデザイン事務所とか集団でも取り組んでいるから個人が絵を描くのとも違っている。このロゴとかデザインの需要は無数の商品とか会社とか何かそういうロゴが無数に必要になっているから需要があり商売になっていた。
紙袋の模様などもそうでありいろいろな所に需要があった。だからデザイン会社が結構あるのだろう。また美術でも絵だけ描いて商売になる人は少ないだろう
でもデザインは様々な所で需要があるから商売になる
だからあれだけの収入があったのかと知らない人は驚くのである。

そしてこのエンブレム問題がこれだけ大騒ぎになったのはオリンピンクもまた利権化していた。その出資する金も大企業がかかわり莫大なものとなっていた。
だからあのようなエンブレムでもあれだけの金がかかるようになっていた。
そんな大金が動いたということが問題を大きくしたのである。
普通の人はデザインがそんなに金になることを知らないのである。
ネットで民主的でない、公正でないということが盛んに指摘されそれが影響して変えられたというのもネットは便所の落書きだとか言われたが社会的力をもったことを示したのも今回の事件だった
マスコミではここまで指摘できないしむしろ隠す方に回っていた。
佐野氏の擁護に回っていた、そういう発言をしたコメテーターも批判されていた。
つまりマスコミも必ずそうした利権構造の中に組み入れられているからそうなるのであるところが2ちゃんねるとかネットはそうした利権構造に組み入れられていないから指摘できたのである。それが拡散したのも今はインターネットをしている人が多くなったことも影響している。

原発事故でも利権構造のなかで事故が起きたと指摘してきた。
官僚の天下り先として東電は一番厚遇していた。そこには検察や警察関係も天下りしていた。政治家でも権力構造として結託していて「安全神話」を作り上げていたのである。
中国でマスコミ関係者を接待していたとき、原発事故が起きたというのも象徴的である。つまりこうして権力が結託するときそこに隠蔽もされる。
第一マスコミが看視する役目を果たしていない、金がマスコミに宣伝費の名目で流れていたからである。
こういうことから何か事故が起きてきたり不正が起きる
それは韓国のフェリー事故でもそうだった。そこにはカルト教団もかかわっていた。
カルト教団も権力構造の中に組み入れられている。創価などでも巨大な権力機構でありそれらが他の権力機構と結びつけば強力なものとなり誰も逆らえなくなる

民主主義のことが盛んに言われる、では民主主義が何かというと良くわからないのである今回のエンブレム問題もネットで公正に選ばれていない、選ぶ人が利権にかかわる人でエンブレム自体の価値などどうでも良かったとか言っている。
そのことが民主的ではないと批判された。民主的ではないとはまさにそうした利権構造の中でその価値とは関係なく権力構造の中で決められてしまうことである。
みんなの納得いくものでなくても権力構造の中で決めたことに反発したのである。
これまではそういう場がないので権力構造の中で決められても批判はできなかったのである。
だからインターネットは民主主義を促進するというツールになってきている。
マスコミもまたそういう権力構造の中に組み入れられているからである。
民主主義はもともと三権分立とかいかに権力を暴走させないとか権力を看視するものとして生まれた。
いくら民主主義といってもこれまでは発言する場もなかったから権力構造の中で決められていたのである。

原発事故でも官僚からは政治家からマスコミから一体化して権力として「安全神話」を作り上げた。それに抵抗することはもはやできない、何か内部で危険なことがあっても隠蔽できるのである。それを地元の人であれ外部の人が立ち入れなくなっていた。
そういう中で事故が起きたのである。津波だけではない、そういう権力構造があり事故につながった。
そして韓国のフェリー事故でもそういう権力構造ができあがるともう外部のものは何にも言えなくなるのである。
そして事故が起きるがそのとき手遅れになっているのだ。
今夏のエンブレム問題でもそうした権力構造の中で起きて取り返しのつかないことになってしまった。
そこには民主的でないというとき民主的な方法がとられていないのである。
だから民主的とは何かというとそうした権力構造の中で決められるのではなくまさに民衆が力をもつことが民主的だったということがこの問題で明らかにされたのである。まさに今回は民が主となった民主主義だとなる
宗教でもそれが団体化して巨大化するとき政治的には民主的でなくなる。
だから民主主義には政教分離が必要だと自分は書いてきた。
民主主義とはそうした権力構造を作らずに民主的に公正に物事を決めることだった。
だからエンブレム問題もある権力構造の中で決められたから民主的でない、公正でないとなったのである。
タグ:民主主義
posted by 老鶯 at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年09月05日

100年後の誰かへ〜浪江町赤宇木村の記憶〜(NHK)を見て (これから全国で廃村化してゆく象徴なのか?)

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100年後の誰かへ〜浪江町赤宇木村の記憶〜(NHK)を見て


(これから全国で廃村化してゆく象徴なのか?)


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かなごいし

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 再び114号に戻って西へ。ここは、大字赤宇木(あこうぎ)字塩浸(しおびて)。難読の地名で知られる。
 写真上の石井商店のところを右折して山に入れば、手七郎(てしちろう、てっちろう)を経て飯舘村長泥(ながどろ)に下る。また、そのまま富岡街道を進めば津島の町を経て、川俣町、福島市に至る。
浪江の塩浸は塩の道だったことに由来しているという。かつて浪江の浜では製塩が行われ、その塩がこの街道を通って中通り方面に運ばれていた。そして、この塩浸で、塩と食料品の交換が行われていたという。 ここが浜通りと中通りをつなぐ交通・交易の要衝だったことが窺える。
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-95.html

塩浸(しおびで)の由来としてはあそこに小さな川が流れていて浪江から馬で俵で塩を運んできた時、その川に落として水に浸ったためにその名がついたとどこかに書いてあった。あそこに小さな店があり疲れて休む場所だった。
あそこからは津島が近いが一方の道は手七朗へとつづいている。
NHKの放送で赤宇木には80軒あったという、あまり家が見えなかったけど道からはずれた所の奥にあったのだろう。
塩の道は普通にあるがあそこで興味深かったのはかなごいしを探していてそれが見つかったことである。
カナゴイシとは製鉄で残された金糞でありノロとも言われた。だから金糞山とのろ山とかあるし金糞とついた地名がある。製鉄に関する地名は無数にある。
河童は山とかで製鉄にたずさわる人が伝説化したのだという。金糞を川で探していたからだという、他の説明では水酸化鉄が葦につき非常に大きくなったものを金糞と呼ぶとあるあそこで興味深かったのは盛岡の宮古から運ばれた鉄の記録が残っていたことである。
するとあそこで鉄を加工したのか、鍬とか鎌を作ったいたというが鍛冶屋の記録がないとするとどうなのか?
宮古から鉄が請戸に運ばれたことは岩本氏の研究で知られている
でも赤宇木の塩浸に運ばれたということはなぜなのかとなる。
葛尾村の葛尾大臣は製鉄事業で財を成したことは知られている。
でも塩浸にその宮古からの鉄を運んでいたというのはなぜだろうとなる。
その鉄を加工したという鍛冶屋などの地名も記録もないとしたらわからない。
ともかく製鉄に関することは全国に残っているからめずらしくはないのである。

鉄滓は「金糞」と呼ばれて近くに廃棄されていたので、鉄滓の出る所の近くには何らかの製鉄遺跡があったと考えられます
https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020609.htm

南向き斜面に製鉄炉2基、木炭窯2基、廃滓場(はいさいば)2基が確認され製鉄に必要な施設が揃っている。
製鉄炉から流れ出た鉄滓(てつさい 製鉄の過程ででる不純物 金クソ)を谷川に流し落とした模様。
http://lib.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/kashiwazaki/photo/2005/20050828/seitetuiseki.html


赤宇木では日露戦争で栗を陸軍に売って栗がなくなって困ったという話が残っていた。
あの辺はあれだけ山深いから栗がとれた。椚平(くぬぎ)という地名もクヌギはとんぐりである。栃の実もたべられていた、栃餅が有名である。山には何かしら糧になるものがあった。だからこそ人が縄文時代から住んでいたとなる。あの辺でも飢饉があり天明時代の碑じゃないかと山の中に埋もれていた。
ただ天明という時代が刻まれていないのが見えないから不明である。
南無阿弥陀仏の供養塔などがあったから飢饉と関係しているかもしれない
ただ飢饉というとき伊達藩でも東北でも米の不作で飢饉になったのである。
米は商品として江戸に送られていた。米をその時商品作物として作っていて不作になったとき他の食物を得ることができなくなった。稗とか他のものを作っていれば飢えをしのげた。だから山の方が何かそうした米だけに頼らないとすると飢饉からまねがれたとも言われる。
飯館村でも飢饉があったというとき米がとれないからそうなった。
縄文時代は飢饉というものがなかったかもしれない、多様な食料に頼っていたからである飢饉というとき米がとれないということで致命的になったのである。


あそこを通った時常に下冷田という地名が心に残った。

「冷田」とは、文字通り暖まらない田のようです。原因として、日照が悪ければ日影という地名か使われますので、これは違うようてす。では、水が冷えるのでしょうか。水温が低ければ、稲の成育に大きを障害となることは想像に難くありません
前の様な条件下で稲を育てるには、水温の管理、米自体の品種改良など苦労が多かったと想像されます。 品種に関連しますが、ヒエダは「稗田」とも呼ばれます。稗は、米に比べれば雑穀とされますが、環境条件の悪い場所でも収穫できます
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/dokusyo/timei/hieda.htm

まさにあそこはこういう条件の悪い場所だったのである。飯館村だと広い平野があるがここも高原であり冷田となる自然条件にあった。それで飢饉があった。
自分の曾祖父は津島から葛尾村に出てそこに柏原というところがある。津島から意外と近いから赤宇木というのも何かその辺とも関係していた。
赤宇木の悲劇はあそこから原発の煙突が見えていた。そして風にのって放射性物質が雨と雪がふりもろに被爆してしまった不運があった。
とにかく10とか20マイクロシーベルトとかなると高い、もう百年は住めないと言っていたそれで記録を残すために80軒住んでいた人たちを訪ね歩いて記録している。
その一人に101才の女性がいた。その人が田植え歌を歌ったのには驚いた。
自分の母も百歳だが過去のことをあんな歌を歌うことはできない,認知症であり過去のことも思い出せなくなっている。
ただ顔をみるとあんなふうに皺くちゃにはなっていない、それにしても百歳の人はどこにでも今はいる
ある人は東京の高層ビルに住んでいた。いつも高いビルの窓から大都会の東京を見ているこれもあまりにも環境が違うから精神的にもその衝撃が大きいだろう。
特に老人になってからはとても都会に溶け込めないからである。

こうして廃村になるのは原発事故が起きた所だけではない、限界集落が各地にありそこもこうして廃村になり廃墟の村と化してゆく、そういう場所が廃墟趣味の人によって写真にインターネットでいくらでもある。
何かそこには捨てられた墓とか碑とかがあり幽鬼が彷徨っているような異様な雰囲気になる。
赤宇木村の歴史も古く位牌でも江戸時代のものがあった。それだげ代々受け継がれて来たのである。その歴史が途絶えるときそこは幽鬼が彷徨うものとなる。
なぜなら時々村の人が帰ってそうした古い碑とか墓に花をささげたりしているがそれがなくなるとそこには死んだ人が幽鬼となって彷徨うような異様なものとなってしまう。
一旦人が住んだ場所は人が住まない自然とは違う,何か死んだ人の霊魂が彷徨っているような状態になるのであり気持悪いものとなってしまう。
津島もまた放射線量が高かった。あそこでは戦後開拓に入った一団があった。
それで結束が強いという、飯館村でも戦後開拓に入った人がいた。鹿島の小池でも引揚者が開拓に入った人を知っている、小池といえば街から近いのである。
そういう場所まで働く場所も求めて開拓に入ったのである。
だから赤宇木村でも開拓に入った人がいたのかと思うがその辺はわからない
ただ一軒一軒が赤宇木村の歴史だというときそういう小さい村は一軒のもっている意味が大きくなるのである。10万とかの都会になればそうはならない、もう特別な家でないかぎり無視されてしまうだろう。

赤宇木村が山中と江戸時代の鉄が運ばれた記録に記されていることは相馬藩の山中郷内だったのか、しそこは浪江の標葉郷である。津島が山中郷だからあそこも山中郷内に入っていた。
津島では中国人の妻が夫を鉈でおそったということがあった。それは中国人の妻が都会に住みたいということでそうなった。あんな山奥だとは思っていなかったからだ。
それも不思議なことに今はどうなっているのか?
避難して都会に出たかもしれない、そしたら願いがかなったことになるのも不思議だとなる。
それから戦争で死んだ村人のことも語られた。それは日露戦争からはじまり太平洋戦争ではかなりの数が戦死して語られていた。あのような村でも死んだ人の数が村にしては多いのである。それだけあの戦争では大量に日本人が死んだのである。
その人たちの霊も村がなくなると祀る人もなくなり帰る場所もなくなってしまうとういこともある。
ともかく一つの村の歴史が途絶えそこが廃村になることが何を意味しているのか?
それはここだけではない、全国に限界集落があり老人だけの村があり消滅してゆく
それは市町村までも将来消滅してゆくという人がいる。
そういうことがこの辺では先取りして現実化しているのである。

今野さんという人が村の記録を集めていたが前に赤生木からメールが来た人かもしれないやはり今野さんという姓だったからだ
小高の鳩原村の出身の人も知っているがあそこも街からはずれているからあそこに住んでいた女性は鹿島区の仮設に住んでいて帰らないというから廃村になるかもしれない
あそこには小学校もあった。ということはあそこで学んだとなる。
小高に関しては放射線量がこの辺と変わらず低いのである。
赤生木とかとても住めない放射線量である。だからなぜ帰らないのだろうとなる。
それは帰ると住んでしまうと補償金がもらえなくなるからである。
あと一年伸びたから帰らない、その間帰らないで補償金もらっていた方がいいとなる。
それで地元の人には批判される。小高は十分に帰って暮らせるのだけど補償金もらうために帰らないのである。
補償金がかえって人々を分断して復興させなくなくしてまったという皮肉があったのである。

塩浸に我は休みぬ
請戸より遠き道のり
運ばるる塩と鉄
その跡たずねてあわれ
山中深く残る碑も
人住まず忘れられむや
かすかに虫の鳴く


posted by 老鶯 at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2015年09月06日

一年ぶりに飯館村に行き思ったこと (初秋飯館村の短歌に写真など)


一年ぶりに飯館村に行き思ったこと


(初秋飯館村の短歌に写真など)



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じさばらの滝
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滑の流れ

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じさばら渓谷の山紫陽花

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飯館の原野化した原にミソハギが咲く

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ここに化と見えるから江戸時代ものか?

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飯館に芙蓉に木槿農家かな
飯館や十輪ほどの秋薊
あいの沢初秋の石や蛙鳴く
何語る社一つや秋の蝉


橲原の道をたどれば黒揚羽一羽飛びつつ消えにけるかな
橲原に山紫陽花や雨ぬれしあと日のさして苔水々し
八木沢の峠越えゆく蝉の声ひびきて今日は曇りけるかな
飯館の道の辺あわれ芒に野菊ワレモモコウかな
飯館に空家一つや郵便箱木槿の咲いて人すまじかも
夏草に埋もれてあわれ道の辺に馬頭観世音飯館の道
作見の井戸見ることもなく五年すぎ村人何を思う秋かな
蝉の声ひびくもあわれ飯館に生きて死なむと思いしものを
葉山への社の道や夏草に埋もれて誰かお参りに来なむ
石一つ除染のあとに現れぬ平たい石や何と名づけむ
蛙石臥牛石久々に来てそを見れば何か心の落ち着きにけり
飯館ははや一本の樹を見ればほのかに赤く色づきにけり
飯館の広くもあれや知らぬ道萩の花咲き月見草咲く
飯館の奥の深きや森深く家一軒や桔梗の咲きぬ
滑にそい流れとどろき早しかな我が自転車に下りくるかな

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空き家に郵便箱に木槿

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この石は除染のあとに現れた



あいのさわ

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この丸い石は顔に見える

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牛の背のような大きな石

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早くも色づいた樹


除染の風景
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パノラマ写真

前田辺り

クリックして拡大するときれいに見えます


芙蓉の咲く村

ゆったりと芙蓉の花が映える
木槿も咲いて農家のありぬ
家は家は森に隠されて
花のみがその色も濃く映えている
その広い空間が癒しになる
素朴なるものがそこに映える
芙蓉の花はあどけなく一日
煩わされることなくゆったりと咲く
赤と白と花は調和して咲いている
花のみがそこには淀みなく映えている
その空間は広々として牛がもうと鳴き
花のみがゆったりと己が色を出して咲いている

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飯館村に八木沢峠を越えて一年半とかぶりに行った。コンビニができたというので行った自転車は暑さに弱い、今年も暑くて行けなかった。
そして雨がつづいて行けなかった。でもかなり走ったけど涼しいから疲れなかった。
自転車はやはり夏は向いていない、体力が消耗する。
秋になると涼しいからかえって気持がいい。
橲原渓谷を通って八木沢峠を上った。橲原渓谷の道は荒れてしまった。車が震災以来通行止めだから通っていないからだ。
今度のカメラは流れや動きあるものをとるのに優れている。だから滝とか流をとった。
カメラは今は何するにも欠かせないのだ。
まずカメラで記録してふりかえり俳句とか短歌にしているからだ。

飯館の不思議はいつも何か雰囲気が違っている。街といってもスーバーが一軒とかパチンコ屋も歯医者も何もないのである。
ただ飯館は本当に広いなとつくづく何回も行っているのに思った。
今回はあいの沢から前田とかに出た、そこも広い山間だった。
そこにも家が何軒かあった、ただ今は除染の工事だけである。
それにしても今は飯館村は除染の土をつめた袋がどこでも置かれている
そして道の脇は除染している。
それにしてもいたるところ除染しているから除染はとてつもない労力が必要だと思った
そもそも飯館村は森が七割であり広いからである。
だからあそこも飯館村の領域だったのかとはじめて知ったのである。
ただなぜか葦は茂ってないないで萱が芒が多くなっていた。
葦は除染のために切ったためかもしれない、八沢浦などはまた一面の葦原である。

除染はどれだけの効果があるのだろうか?
あれだけしているのだからそさなりに効果はあるのだろう
でも森からまた放射性物質が流れてくるからどうなのか?
あそこでまた米とか野菜を作れるのか?牛を飼うことはあきらめただろう。
すると他でも小高ですら放射線量が低いのに帰らないとなるなと
村民は帰るのだろうかとなる、工場があってそこだけは働く場としてある
ではその他の農業とか林業とかはどうなるのかとなる
そしてもともと飯館村には病院もないし不便な場所だったから帰らない人も増えてくる
だから一旦田んぼでも放置したらそれを復興するのはむずかしくなる
前々から金にならないとかばかりどこでも農業は言われて来たからである。
跡継ぎもいないとかなりこの際やめて補償金もらって他で暮らした方がいいと考える人もいるのもわかる

ただ飯館村とか村には村の良さがありそこで生きたものはまたそこで死にたいともなる。老人は帰りたいというときそれは一種の生物的本能でもある
飯館村に蝉が鳴いていた、するとそこで蝉がなくようにその地に死んでゆきたいともなるその心境は老人でないとわからない、つまり老人と若い人の差はそういう精神的な面でも大きな差がある。
別にどこでも死んでいいとかにはならない、都会とかで東京の高層ビルで死にたいとは思わないだろう。
つまり田舎と故郷で見逃されているのが死に場所としての自然がある故郷であり田舎なのである。このことはあまり注目されていないのである。
何か生活が不便だとか経済的側面だけが強調されて精神的な側面が注目されない
もちろん病院がなければ年寄りは病気になるから暮らせないというのも現実である。
実際にだから小高でも夫婦で妻の方が病気になり子供の所で暮らすようになったから帰らないとなる。飯館村でもそういうことが起きているだろう。
それでもどこで死にたいかとなるとた別問題になるだろう。
いづれにしろ老人の問題は死と切り離されずある、そこが意外と注目されないのである。それで原町の90何才かの人が他にもう移りたくないと墓に入りたいと自殺したのも冗談のようであるがやはり精神的なものが大きく影響していたのである。
他にも移りたくないと自殺した人もいたことでもわかる。
人間は故郷とか自然の中で家で死にたいというのが本能的なものとしてある。
それが人間も機械ではなく生物であるからそうした本能をもつのである。

あいの沢では例の石を見たときほっとした。一つは何か円く顔に見えるしもう一つは牛が寝そべっているような大きな石である。何かあそこにきてほっとしたのである。
飯館村自体の自然がなくなったわけではない、だから自然環境保存村とかとして残す方法もある。
だからそこにはキコリの宿のような宿泊所が必ず必要なのである。コンビニができただけで行きやすいとなったからである。
それでもそこに村民が住んでいないなら成り立たないともなる
飯館村は赤宇木村とかと規模が違う、6000千人の村はそれなりに大きいのである。
赤宇木村とかはあそこの道を通っても村として意識できなかった
家が隠されて見えないこともあった。飯館村は面積が広いから大きな村なのである。
そしていいのは森に家が一軒一軒隠されていて家も人間も目立たないのである。

だから人間の生活を隠したということでヘシオドスの言う平和な村になっていた。
そういう場所では花とかが自然がかえって映えるのである。
それでいつも飯館村に来たときなにかここのアトモスフィア(雰囲気)とか空気まで違う感じになっていたのである。
前は大倉から来る道から七曲がりの道がありもう一つの新しい道路がなかった。
その時森におおわれて道があっても人が通らない昼も暗い道があった。
そこに清い流れがあり春になるとキクザキイチゲなどがひっそりと咲いていた
そしてそこには大きな石がありそれしか目立つものはなかったのである。
だから自分はあそこが道になったことは残念だった。
飯館にはそういう神秘的な人の手がつかない自然のままの所があった。
飯館はとにかく広いから隈なく行くことはできない
今回は前田の方とかに出たがそこは始めて行く場所だったことでもわかる

ともかち赤宇木村でも廃村になるというときその村の記録を残そうとして聞き歩いていることが放送された。
飯館村はどうなるののか?何か村に残された社とか碑とかが忘れられて本当に草に埋もれてしまうこともあるだろう。
信仰の問題は別としてそれは文化財なのである。そういうものも失われてとどうなるのか人が住まなくなるとそういうものを死んでしまうというより幽鬼のようにそこから彷徨うものがでてくるようになる
廃村になった廃墟の村ではそうなっているし前に大原の廃屋を紹介したけどそこも幽霊屋敷のようになり不気味なのである。
例えば大原に一本の老木がったけどそ大原も歴史が実際は古い
するとその老木に人間をみるのである。大原の人で病院で知り合った人がそうだった。
その人はそこで死ぬまで農業をしていたのである。
その人は数年前死んだ、老木は何かそうした人間をイメージして残っているのである。

津波で本当に不思議だったのは庭に残っている二本の樹があるとしたらそれがまるで夫婦のように離れがたくそこに立って残っていたことなのである。
その樹が人間に見えたのである。村でも一旦人間が長く住んだ場所は純な原生の自然とは違ったものになっている。人間化した自然なのである。
だから村の樹でもそれが人間化して見えるものがある
人間が住まなくなるとその樹も人間がいないので一段と取り残されたように淋しいものとなっているのである。
それで廃村とか廃墟になったところは幽鬼が死んだ人の霊魂が彷徨っているような異様なものとなっているのである。
自然に帰るとかはならない、そこにはやはり人間的なものが異様なものとなっても残っているのである。そこにも限界集落でも廃村化してゆくことの大きな問題がある。
別にそんなところ経済的に損になるだけだからなくしてもかまわないと都会の人が言うが経済的側面からしか人間を語るべきではない、人間は経済的なものだけでは計られないものがあるからだ。


タグ:飯館村

2015年09月08日

家があるから人がいると思った不思議 (故郷がなくなって故郷を意識するようになった)



家があるから人がいると思った不思議


(故郷がなくなって故郷を意識するようになった)


飯館村でもそうだけど錯覚していたのは家があるから人がいると思っていた。
田舎の農家は大きいし庭も広い、家が都会などより存在感がある。
だから一軒一軒の家が存在感があるのが都会と違っている。
そして家の不思議は家があって人間がある。
人間があって家があるのではないというのも不思議である。
家があってもそこに人は住んでいないのだけど家があるから人がいると錯覚していたのである。

つまり家という建物の存在感が田舎では大きいからそうなった。
そして物ーものーというとき

憑依(ひょうい)とは、霊などが乗り移ること[1][2]。憑(つ)くこと[3]。憑霊[4]、神降ろし・神懸り・神宿り・憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある[2]。

憑き物というとき物につくというとき物は物でも何か霊がついた物なのである。
ものというとき日本語では物心がつくとか物と心は一体化して表現していた。
最初の神道は物部(もののべ)氏がはじめたことでもわかる。
ものとは単なる物質ではない、物には霊魂が宿る物なのである。
西洋ではどちらかというと物はあくまでも物質であり心はないとみている。

物体〉 a thing; an object
〈物質〉 matter; (a) substance

ただmatterの語源はmotherだとすると物は母なるものだというとき単に物質という物でもないことはあった。
日本ではもののけ(物の怪)という表現があり物は単なるものではない
だから家というのは物であるが物ではない、人間の心が憑依したものだともなる。
家というのは田舎だと50年とかは普通であり百年とかもつづいている家がある。
そういう旧家には何か特別人間の心が物についている。

飯館村でもそうだが避難区域では家が残っている。その家は廃屋とも違う。
要するに一時的に人がいなくなったたけであり捨てられた家とも違うのである。
だから人がいない家でも人がいると自分は錯覚していたのである。
飯館村にも人が住んでいなくても住んでいると錯覚していた。
これも奇妙な感覚である。
とにかくこの辺は津波とかいろいろなことで不思議なことが多いのである。
津波の跡は家もなにもなくなったから返ってここに人が住んでいたとも感じられなくなった。
土台しか残っていないからここに村があったのかとなる。
つまり避難区域でも家が取り壊されたときそこに人の気配も何も感じなくなる
家があることでそこに人が住んでいなくても人が住んでいるように錯覚したが
家が取り壊されるとそれが感じられるなくなるのだ。
物というとき墓もものだけどそれは単なる石ではない、人間の心がとりついた物だから簡単に物として捨てるのに抵抗がある。
でも墓の跡継ぎになり元禄時代の墓までまとめて捨てられていた。
墓も何か物として処理できないのはそこに霊魂がとどまてっいると感じるかるである。
人間は死んでも何かに物にとりついているとなる。

この辺で起きたことは本当に不思議なことの連続だったのである。
2万の町から人がいなくなるとか6000人の村でもいなくなるとかそんなことがありうるのかということだった
だからこれは何なのだろうと今も理解できないことが多いのである。
もちろんそこに住んでいて避難している人もどうしたらいいのかとか戸惑う
やはり長年住んだ家とか土地から人は簡単に離れられない
そして故郷とは何なのだろうとかという今までは考えられないことを考えざるをえなくなったのである。
本当は故郷は何かなど誰も今まで考えていないのである。
故郷とは普通にあるからそれが何かなど考えないのである。
自分は故郷は死に場所であるというふうに考えたのも故郷の一つの見方である。
故郷は何かなどとは実際に誰も本当はわかっていなかったのである。

人間はそもそも故郷でも何でもあるときは意識しないのである。
故郷がなくなってはじめて故郷を意識したのである。
ある人でも家族でも死んだりするとその人をかえって意識するが生きているときはあまり意識しないのとにている。
ある物でもそこにあるときは意外と意識しない、それがなくなったとき意識するということが人間にはある。
だから故郷なくなって故郷を意識するようになった。
啄木は感受性の高い詩人だったから余計にあの若さで故郷から離れて異常に故郷を死の前に意識したのである。
普通の人でも今回はみんな故郷は何かと意識するようになったのである。
故郷はかけがいのないものとして意識したかもしれない
それはいくら補償金をもらっても代えられないものがあったとなる。
この辺で起きたことは本当にいろいろ考えさせられる場所になったのである。

山の村の幽霊屋敷(童話)
http://musubu2.sblo.jp/article/112510980.html

ここには確かに家が残っているから人が住んでいなくても人が住んでいる
幽霊となって住んでいる感覚になる不思議があった。


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posted by 老鶯 at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連