自分より相手が苦しんでいた不思議
(追い詰められている人が多いから危険な時代)
人間の経験することはみんな不思議である。事実は小説より奇なりというのは本当である個々人で経験したことを語るとそんなことあるのと思うけど事実なのである。
自分の経験したことを書いてきたけどこんなことあるのというのがこの七年間に起きたことだった。
津波とか原発事故とかが起きたこともそうである。この世にこんなことがあるのという驚きだった。これだけもうなんといっていいかわからない出来事だった。
この七年間は家族の認知症に苦しんだ、これもこんな病気があるのという摩訶不思議な経験でありそれを書いてきた。病気というのもまた不思議なのである。
病気の種類もまた多いのである。だから理解できない病気がいくらでもある。
病気も自分の身にふりかからないとなかなかわからないのである。
ふりかえると自分が苦しいことを訴えた相手が自分より苦しい立場にあった。
自分が訴えたときわからなかった。一人は別に親しいのではないが近くで癌であっというまに死んでしまった。
もう一人は時々あっていた人で自分が病気のことを言ったが何の関心もなかった。
もちろん仕事で頼んでいるのだから客にいちいち病気のことまで関心をもつことはない
でもその人も自分より死にいたる病気に今になるとなっていた驚きである。
やはり死ぬ病気となると自分より最悪の状態になっていったのである。
その時はまだそうした最悪の状態になっていないときであった。
そのあとすぐに最悪の状態になり一人死んだのである。
ともかく自分が介護になり病気になったとき接した人はまず金でもぎりぎりにおいつめられていたのである。
一人は事業に失敗して借金で首が回らなくなっていた。
そんな人が人を助けることなどできない、自分の病気のことなどどうでもいい、まず金をとることだとなっていたのである。
だから自分の病気に対して同情を示すことができなかった。
これもふりかえると恐ろしいことである。
お前が死んだら金が入るとまでなっていたのである。
それだてけ追い詰められていた。
もちろんもう一人もそうである。だから金をくれと来て家捜して丁度病気だったので大金を失った。これも近くにそういう人がいることが信じられなかった。
みんな自分が介護だと病気だとか苦しんでいても自分が接した相手も追い詰められていたのである。そういう人はもう人を助ける余裕などないのである。
むしろ死んだら金になるとか金のことしか眼中になかった。
みんな自分が介護だと病気だとか苦しんでいても自分が接した相手も追い詰められていたのである。そういう人はもう人を助ける余裕などないのである。
むしろ死んだら金になるとか金のことしか眼中になかった。
最近接した人もまた金に追われている人だった。その人はずっと貧乏だった。
ただ自分は病気も回復したので余裕あるから助けている。
自分が病気のときだったらとてもそうした余裕はないのである。
人間は自分が苦しかったら相手のことすら考える余裕がない
相手を思うということはそれなりかなりエネルギーが必要だからである。
思うということは何か行動しなくてもそれ自体がエネルギーとして相手に働く
でも人間は思うというときそんなに大勢の人を思うことはできない
その数は極めて限られているのである。
相手が知らないでもその人を思いば何か良くても悪くても作用する
悪い面に悪い思いでも作用する
ただ自分は病気も回復したので余裕あるから助けている。
自分が病気のときだったらとてもそうした余裕はないのである。
人間は自分が苦しかったら相手のことすら考える余裕がない
相手を思うということはそれなりかなりエネルギーが必要だからである。
思うということは何か行動しなくてもそれ自体がエネルギーとして相手に働く
でも人間は思うというときそんなに大勢の人を思うことはできない
その数は極めて限られているのである。
相手が知らないでもその人を思いば何か良くても悪くても作用する
悪い面に悪い思いでも作用する
だからなんかある人が誰か殺したいという思いは強烈だから全く関係ない人がその思いを受けて殺人にいたるとか言う哲学者もいた。
それは何かそうした思いに影響しやすい弱い人がなりやすいというのもそうかもしれないだから人間が思うということは何でもないようで怖い面があるのだ。
人間の想念というのはだから宗教では一番大事なものとしていたのである。
悪い思いがあれば悪いことが必ず起こるということである。
悪い思いを抱くだけでそういう悪い行為に結びついていくからである。
人間はどうしても思うことを軽く考えるからである。
ともかく今の時代は世相はまず金に追われているぎりぎりの人が多いということである。老人でもそうであり老後難民というのもそうである。
新幹線で老人が焼身自殺したのもそうである。
ぎりぎりに金で追い詰められているからそうした事件を起こす
人間はもう善も悪もない、追い詰められれば今日食べるものがなければ相手を殺してまで今日食べるための金を得るために殺すこともありうる
だからそういう追い詰められた人間と出会うことは恐ろしいことになる
ただ相手のことはそういうふうに追い詰められているということが理解できないのである自分か金にも病気にも困らないとしたら相手がそんなに苦しんでいることがわからないのである。
事業に失敗していたのもわからないし、その人がそんなに金に困っていることもわからない、それは病気でも同じだったのである。
ただ自分の状態をみればひどいなと普通だったらわかるが相手は全くそういうことを思う余裕がない人たちだったのである。
それにしても癌がふえているのだろうか?
癌で早死にする人がふえているのだろうか?
50代でも60代でもなんらかの持病をもつようになる人が多い
また生活習慣病としてその世代に症状として現れる
酒を飲みすぎているような人は肝臓などが疲れいたんでくる
自分の病気は本当は軽いものだったのけど実際は身体障害者のようになっていたから苦しかったのである。
人間も残酷であり相手が弱くなると喜ぶ人が結構いるのである。
自分が弱くなったとき露骨にそういうことが現れたから人間の非情を知った。
それより自分の接した人たちもぎりぎりに追い詰められていたのである。
まず今の世相はこういう人たちが多いとしたら怖いと思う
もう気を許してつきあうこともできない、それは田舎でもそうである。
やはり金、金、金の世界になっていることは同じである。
みんな金のために余裕がないのである。
この辺も原発の補償金でもめて市民自体が分断されていることを書いてきた。
人間は今金によって心も分断されているのだ。
こういう社会はなんらか大きな破綻がくるのかもしれない
社会自体が資本主義自体が限界に来ていて大きな破綻が来て変革の時代に入る
そういう末世として現象が現れているのかもしてれないのだ
今回の津波や原発事故もそうした社会の末世状態に入り起きたことなのかもしれない
内外的にも国難が起きてくるのが末世である。
そして今回の津波や原発事故のように文明の崩壊現象のようなことが起きてくる
自分は今は余裕ができているから相手を思うことができる
ともかく今は何かみんな余裕がない時代である。それが犯罪に結びついてくるし
格差社会は治安も悪くなるから怖い時代になっているのである。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
- マザー・テレサ
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