2015年08月10日

東京オリンピックのエンブレム問題 (野馬追いの旗ともにている)



東京オリンピックのエンブレム問題

(野馬追いの旗ともにている)

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人間は一つの社会を形成して集団で暮らすようになるとその集団を象徴するものが生まれる。それは人間が群れをなして集まり暮らしたときから始まっていた。
トーテムがそれである。狼とか熊とかを部族の神として象徴として祀り一族の団結を計る今回のエンブレム問題の深層もそこにあった。

紋章とか旗印とかができるのもそうである。
ヨーロッパと日本では封建制があり城が非常に多い、するとそうした地域地域の独自性が生まれは紋章とか旗印でも多様になるのが共通している。

野馬追いの旗は複雑であり簡単に分類できない

●血統的な一族意識
●地域性的な一族意識
●役割としての旗印
●単純に他者と区別するもの

これだげではない他にいろいろあるが地元の人でも説明できないほど複雑である。
すでに旗印を受け継いだ家ですらなぜその旗印なのかわからないのである。
旗は戦場で他者と区別するものとしてあった。それは敵だけではなく味方でも区別していたのである。

オリンピックのエンブレムそうである。血統という民族的象徴として日本国がありまた東京をシンボル化したものとして作られた。
そしてオリンピックを象徴するものが必要だった。そういうものをとても小さなエンブレムにもりこむことはむずかしい。
複雑になるとかえって訴えるものがないことがありあのような単純なものになった。
シンプルなものがかえって訴えることがあるからだ
それがあまりに単純なのでパクリだとされた。それと酷似したものが外国にあった。
それはだから真似たもの盗用したから著作権違反として訴えられた。
何か何十億もの金がそれにつぎこまれたとかなったこともある。
金が関係しないならあれでこんな問題にはならなかったろう。

これも一つの抽象画である。自分も抽象画をずいぶん出してきた。
抽象画は果たして創作物なのかという疑問がありながら面白いから出してきた。
それはパソコンが生まれたパソコンのソフトから生まれものである。
それと電気の光であり色だから今までのように絵の具で描いているのとは全く違うのである。絵の具では出せない色を出している。
チューブ入りの絵の具の発明は絵画を変えた



チューブ入りの絵の具の発明とは、意味合いが違います。

簡単に絵が描けるようになったことで、本来描かなかった人たちも描くようになり、作品に対する考え方も安易になりました。

手描きの絵はオリジナルの一枚絵ですが、デジタルはオリジナルの原画というものは存在しないというところが最大の相違点ではないでしょうか


なんていうか「デザインとは無から有を作り出すことじゃなくて 
既にあるデザインを分解して再構成することだ!」みたいなこと 
本気で思ってそう。


まさに自分がしていることがこれだった。あるところを切り取って新しく自分のイメージに構成したりまたソフトで変化させるだけである。
これは絵が全く描けない自分でもできたことに驚き面白いからしている。
こういうことはデジタル写真でも生まれた。これまでの写真はプロでないとうまくとれない。それがデジタル化した結果誰でも写真の世界に入れるようになったのである。
6万のカメラでも今や一万円のカメラでもでも画素数があがりきれいにとれるのである。
いいカメラだと光の具合が良くでているから感動した。


今回の東京オリンピックのエンブレム問題も何かこうした技術の変化と関係していた。
これはコピーにすぎないじゃないかというときそもそもパソコンやインターネットはコピーペーストの世界なのである。
文章すら絶えずコピーしてペーストして書くようになった。
だから文章でもコピーされて盗作されて文章の一部が切り取られて再構成されている。
ただそれは良くわからないのがインターネットの世界である。
それが世界的に広がっているから世界的にコピーされて著作権違反がかなりあるだろう。外国になると盗用してもわかりずらくなるからだ。
だから明らかに自分の作品も盗用されているというより自分も盗用しているのかとなる。ただそれが金にはならないしどれだけの創造性があるかわからないから問題にならないのである。


でも今回はこんなもので何十億の金になるのかということで問題になったのである。
これよりもっといいものを作れる人はいるだろう。
ただなかなか芸術となると理解しにくいのである。
どこに独創性があり価値があるかを見極めるのがむずかしい
それは芸術のあらゆる分野でそうである、俳句でも全く同じものがあったりしても不思議ではないのである。それは短いからそうなる。
そして類似俳句とか類想俳句とかがある世界なのである。
芸術は他人の作品にヒントを得るということが必ずある世界である。
それはあらゆるものが他からのヒントを得てしている、技術の世界でも何でも文明自体がそうである。
だから模倣するなとかは言えない、模倣も想像に通じてゆくからである
このエンブレムが本当に想像性があったのかないのかそれが問題になる。
でも模倣していても創造性があるのはある。その辺の見極めがむずかしい
ただこれは模倣性が強く創造性がないことは誰が見ても明かなので批判されているのである。

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このなかにオリンピックのエンブレムとにたものがある
野馬追いの旗には単純なものも多いからである。



野馬追い関係


抽象画の部

タグ:エンブレム
posted by 老鶯 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

抽象画(人間は色に反応する)



抽象画(人間は色に反応する)

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外光


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パソコンの抽象画で感じたことはまずは色である。
絵画というと構成とかあるが建築的なものもあるが基本的には色である。
印象画が色を究めたことが最大の発見だった。
色にはもともと神秘的なものがあった
人間の五感というとき一番色に感じることは確かである。
あとは匂いとか音とか肌触りとかいろいろある。
日々感じるのは人間は色なのである。

だから人間は例えは色のない世界は地獄のようになのるではないか?
冥王星とかはまるで色がない、暗黒の惑星である。
光と色は一体だったのである。
この世に色がなかったら黒と灰色とかてかなかったら闇の世界であり地獄である。
そういう世界に人間は耐えられない
でも動物は匂いは感じても色をどこまで感じているのか?
蝶は色に反応していることは確かである。
でもどれだけ色に反応するか疑問である


つまり人間だけが豊かな色に反応するのである。
様々な色が人間の脳に反応する
人間の心が色によっていかに影響されるか
赤い色とか青い色とかによって心の状態を示されるのもそのためである。
仏教で色心不二というとき色と心は一体だからである。
その時の心の状態が色によってイメージ化される
日本語でも赤き心とかあり色がその心を示しているからそうなる
ただ赤でも青でも実際はまたそこから百通りくらいの赤があり青があるから
色の世界は無限である。
特にパソコンの電気の色は今までにない色なのである。
つまりパソコンの色は新しく生まれた色なのである。


パソコンだとインターネットに出たものだとそれが簡単に変化させられる
それがまた今までとは違う、常に変化するのがパソコンの抽象画の特徴である。
普通有名な絵なら変わらないことに価値がある。
抽象画が変わることによってまた新たな価値が見方がでてくる
この絵もまた変化させたものなのである。
ただ元の絵がわからなくなったとき著作違反ともならないのである。

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