2015年08月04日

インターネットはindividualなメデア (成熟には時間がかかるが真の民主主義の発展になる?)


インターネットはindividualなメデア


(成熟には時間がかかるが真の民主主義の発展になる?)


インターネットメデアはまだ成熟していない、それはあまりにもマスメデアと違っているためである。だから成熟するためには相当な時間がかかる。
おそらく民主主義の発展にとってインターネットのメデアは発展させる
マスメデアは一方的洗脳メデアでありテレビ局の意向によって操作されるメデアである。テレビに出させて自由に発言させてくれといってもできない
本来メデアとは媒介するものの意味だからその媒介するものが力をもってはならないものである。
だからそもそもインターネットはレンタルサーバーなどやプログにしてもその発言するものにノータッチなのも関わらないのも不思議なのである。
そういうことを今まで人間は経験したことがないからである。
何か発言するにしても一個人が自由には発言はできない、それは本だってそうである。
本の出版はハードルが相当に高い、ただ今や本自体は簡単に作れる。
ただ流通することがむずかしい、それは組織とか団体に所属していないとなかなかできない
一見テレビなどでも自由に個人が発言しているようでもたいがいは後ろに組織が団体があり発言している。そういう後ろ楯をもたないものは発言できない
マスメデアはそうした組織や団体の圧力がありるから真実は報道できない
インターネットだと発言することがあまりにも容易なのである。
手間はかかるが費用は全くかからない、でもマスメデアのように百万人とかに見られることはない、ということはマスメデアというのは放送で権力をもったということがわかる
それだけの人が見ていることはなんであれ影響が大きいということである。


それはテレビが一方的洗脳メデアなのと違っているから 今までのメデアと違うのであるテレビに出て意見を言える人は極限られている、それはあくまでもメデアでテレビ局で選びテレビ局の主張にそったものとして人選しているのである。
だから過激なことや大きな組織を批判できないようになっている
そしてインターネットの面白い点はその個人がどういう人でその人自身の意見を言っていることである。
特にプログ時代になるとその傾向が強くなったのである。
テレビ局でクローズアップするのではなく個人が意見を言うからそのその個人の背景などをみる。
テレビだったらその背景にはテレビ局しかないのである。
それでもインターネットで目立つことは相当な努力が必要だしむずかしい
重要なことを書いても目立たないし広まらないということがある
インターネットというメデアはまだ成熟していない
成熟すれば真の民主主義の発展につながるメデアである。
要するにテレビとか新聞とかマスメデアとインターネットのメデアの差が大きすぎる
つまり個人ではパーソナルメデアとマス(大衆)メデアでは差がありすぎるのである。
欧米では英語ではその考え方の基本に良く


individual

【形容詞】
1(φ比較)[限定][しばしば each ?] 個々の, 個別的な;単一[単独]の;個物[個体]の(⇔ general);(模様などの)それぞれ異なった;別々の(【略】 indiv., individ.).
2(φ比較)[通例限定] 個人の, 個人的な;1人用[だけ]の.
3[通例限定]〈好みなどが〉独特の, 特有の, 個性的な.
4(φ比較)〔心理〕個人の[に属する].
5(φ比較)〔哲学・論理〕個体の.
6((廃))分離できない, 不可分の.
【名詞】
1(集団・社会に対する)個人;(独立した)個体;構成員;〔生物〕個体;〔哲学・論理〕個体(particular)《他の事物とは比較できない唯一性をもつもの》.
2変った人[動物];((英略式))[形容詞を伴って] …の人《◆もったいぶった古くさい表現》.


Such matters can be best judged by the subjective view of the individual, namely sense of taste.

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ABCDEFとあるとき、BCDEFは他のものにもあるとしたらそれを分けて取り去って固有なものとしてのAが残る、それがindividualなもの分かれことができないものとなる
人間の文章でも作品でも他と同じものがある
これはただまねたものではないか?そのまねたものを取り去ってその人の固有なものは何かとなる。
それは科学的な発明でも言えるだろう。同じような研究成果があるからだ
その固有のものを発見すれば価値がある
どこがその人の固有なものなのか見分けるのかむずかしいのである。



このindividualとうい言葉は日本語にはない、その概念もないからだ。
インターネットはきわめてindividualなものである。
人間がindividualな存在とすることが極めて欧米的な概念であり在り方なのである。

日本では集団主義であり個人のアイでィンティティというのは希薄である。
だから日本とアメリカの働き方とか雇用の仕方が違ってる。
日本だとどこの会社に属しているとかが重要なステータスになる。
でも欧米では「あなたのプロフェショナルはなんですか」となる
その専門の職業のことであり何の会社に属しているかではないのである。
それはそもそも日本が村に所属していることがアイディンティティであったことも歴史的にあったからである。
思うに分かたるざるもの、分けることができないものという概念が理解できない
原子というのも分けることができないものとしてとらえられた。それ以上分けられない固有のものとして理解された。


日本でも分けるは分かるというのがあり我は割れるであり共通したものがあるが分けられないものとしてindividualがあるという概念はない
分けるとういう作業は日常的に行われていた。いろいろなものを分けて管理することは日常生活で常にしていることである。
ただ遊牧民だと分けるというとき羊とか動物を飼うとなると羊でも一頭一頭違っているしそこで個々の特徴を見つけて分ける作業をする
動物は猫でもそうだがみんな顔でも違っていることに気づく、それでその名前をつける
性格も違っているから人間とにているのだ。
飯館村の人が20頭もの牛に名前をつけていたのである。
避難先でその名前をまだ言って覚えていたのは驚きである。それは羊でも数が多くてそういうことがある。
農業だとそうした動物を見分けるということはあまりないだろう。
そういう文化の相違からそういう概念が発達した。


インターネットのメデアはindividualなメデアである。個々人を明確にするメデアであ
マスメデアには個々人はないその局や新聞社とかの意向が優先される、それはその背後の組織とか団体の意向を優先させることになる。
だからそこには独自なものがないとさえいえる。組織や集団を代表した発言しかないように思う。
インターネットのメデアは個々人を明確にする、だから何か個性的でないとかえってインターネットのメデアには向かない、他の人と同じことを言っているなとなると注目されない、独自の個性を出さないとインターネットでは通用しないともなる
ただそういう独自のものを出しているのはまだまだ非常に少ない
それでも何かこの人はこんなことを考えているのかとその人の独自な見解に注目するのである。


ともかく人間個々人は育った家族も違うし土地も違うし性格も違うからみんな違ったものなのである。その多様性があるからこそ文化が生まれる
日本ではindividualなものを育むのはむずかしい風土であり歴史だった。
だからインターネットメデアは何かめんどうでありとっつきにくいともなる。
でも通信としてのハードは整備されてきたからあとはそのハードの上に個々人がindividualなものを発信することになる。
individualなものを育む環境は整えられたとなる
ハードが整えられてもソフトととして文化として発達するには時間がかかる。
でも一人の学者が常時、音声で発言しているのも不思議である。
そうなると大学という場にいなくても家にいてその講義を聞くこともできる
インターネットがあれば広範囲な勉強も可能なのかとなる
発信することはあまりに簡単だからそうなったのである。

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