2015年08月15日

復興の実り (故郷の実りとは何なのか?)



復興の実り


(故郷の実りとは何なのか?)


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朝ひびく厨に我や蝉の声

南北に沸き上がるかな夏の雲

夏菊や一雨ふりて水写る

復興や朝日のさして実りかな

復興や墓地の回りに実りかな

復興や故郷の実りうれしかな

山鳩の番いの飛ぶや実りかな

朝畑に一仕事かな菊の花

根を下ろカボチャの花に菊の花

菊の花雨ぬれしっとり湿る土


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津波の来た所は田んぼになっていない、ただ試験的に一部今年は稲か実っている
田んぼがあり稲が実るということは当たり前のことだった。
それがなくなってこの辺が草原化したことが本当に不思議だった
だからそのことを報告してきた。


墓地の回りも実りがありまだ草原もある。まだ田んぼが全部は復興していない
でもそれなりにかなりふえた、五分の一は復興したというからそうなのだろう。
この実りがあるというとき故郷を感じる、故郷に実りがあってはじめて故郷なのである。故郷とは何かなど考えもしなかったろう。田んぼがなくなることもイメージすらできなかった。
だからこの辺はいろいろ考えさせられる場所になりそれを書いてきた。
今は米など余っているとかいろいろいわれてきた。
でも本当の故郷とは故郷に実りがあってその実りで養われてこそ故郷である。
今は米だって外国から入ってくるから地元にこだわる必要がない
何かグローバル経済だから米なんかどこからでも入ってくるから金さえ出せばどこのうまい米でも食べられるからいいというふうになっている


そのことが何かもう当たり前であっても人間の生活として理にもあわない変なものではなかったか?
地元に実りがなかったらよその米を食べるばかりだったら故郷意識もなくなる
故郷に住んでいる意味すらなくなるという感じになる
それは農業している人だけの意識であり今は違うというのもわかる
でもそもそもそういう感覚になってしまったことが原発事故をまねいた原因にもなっているとも書いた。
故郷の実りはここだけではない、他でもないがしろにされてきた。
そして原発でも何でも建ててもっと金を得て贅沢をしたいとなっていた。


だから無理して借金して立派な家を建て今度は原発が建てられると金になると言う人も小高にいた。でもそれも中止になった。
農民は農民でもう農業など手間がかかり苦労ばかりでやっていられない、跡継ぎもいないとか嘆くばかりだったのである。
それはここだけでの問題ではない、日本でも世界でも農業はおとしめられていたのである
米は安い金にならないということでしたくないという声ばかりだった。
今度は放射能汚染の風評被害で米は売れない、だからやめたという人もいる
でも本来の人間の生活はまず地元でとれたものを食料にするのが基本だろう。
地元に米かとれなかったらまさに実りを感じないのである。
だから4年ぶりとかにその実りの米を食べたとき農民はどういう感覚になるのだろうか?
米をとれてありがたい、この米は売れなくても自分たちで食べてその実りに感謝するとかなるかもしれない。それとも売れないのでがっかりしたとなるのか?


ともかくグローバル経済とか広域社会はすべて否定できないものだし必要なものである。でも何かそれが人間の正当な生活の道をふみはずしている。
それがすべてでないにしろ原発事故をもたらした原因になっていた。
自ら作る農民であれ農業しなくてもそこに住む人であれまずその土地の実りに感謝することがない、ただ金があれば何でも買えるからまず金だとなっていた
もう頭に誰でも金しかない、そしてこいつは金もっている金を盗ればいいとかまでなり
相手が困ろうが苦しくても病気でももう関係ない、相手はまさに金にしか見えなくなっているのである。
そういうことにここだけではないなぜなってしまっているのか?
そういうことが原発事故でも問われたのである。


そうはいっても現実社会は東京で一千万以上住んでも都会に住む人も農業とは直接関係していない社会である。
だから田舎に住んでいる人が何を感じているかもわからない
金さえ出せば食料は手に入る、外国からも入ってくると考える
でも何かが津波のような大災害が起こり本当に国内からももちろん外国からも食料が入らなくなったらどうなるのか?
そういうことが今回のように起こりえるのである。
その時現代の文明の矛盾がこの辺のように肌身で感じるようになるのである。

いづれにしろ故郷の実りは放射能汚染でも老人は食べるべきである。
故郷の実りを食べてこそ故郷なのである。
田舎だって他から食料が入らなくなることがある、だから本当は地元のもので最低限はまかなうということが備えになるのである。
ともかくこの辺はまず田んぼなくなのなどイメージもできなかった。
それでいろいろ考えさせられる場所になったのである。


 

2015年08月18日

虫の音に関する日本人の感覚 (万葉集時代には音(ね)の表現はなかった)


虫の音に関する日本人の感覚


(万葉集時代には音(ね)の表現はなかった)



虫の音や夜更けて聞き一人かな
虫の音や百歳の余命夜のふけぬ
虫の音や貧しき人の声を聞け
外よりそ働く人や虫の声



庭草に 村雨降りて 
こほろぎの 鳴く声聞けば 秋づきにけり

草深み こほろぎさはに 鳴くやどの 
萩見に君は いつか来まさむ

コヱに、A人工物音、B自然物音は70例中1例だけです。
あとはC虫音、D鳥声、E獣声、F人声です。
あえてボクは虫の声を虫音と表現しましたが、
万葉集では「虫の声」と認識していたのです。

虫が羽を擦り合わせて立てる「音」は
万葉集では「オト」とは
訓まれていなかったことは確かです。
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11771530896.html

万葉集の時代は音(おと)、声(こえ)で表現していて音(ね)と表現しているものがない
これも一つの万葉集の発見になるから興味深い
鳥や獣がなくのも人間の声も声でありそれらを区別していない
蝉の声とか虫の声というのは日本ではなじみがある。外国では蝉とか虫の音に関心がなく雑音にしか聞こえないという。
万葉集時代にすでに日本人は虫の鳴く声を雑音ではない、人間の声と同じように人間的なものに感じていたのである。
音(ね)となったのはあとからである。音(音と)と名と鐘の音(ね)などとなる。

ただ虫の声と虫の音は何か感覚的に相当違う、
声となると複数的に多く鳴いているというのも感じる。だから民の声を聞けと言えば大勢を意味しているしそれは英語のVOICEと通じている
まず英語では虫の音であり声とは表現しない、声となると人間的になるからである。
つまり日本人は虫の声でも鳥でも獣でも鳴くとき人間のように感じていたのである。
そもそも日本の風土は国は狭いのだから繊細な感覚が養われるのに適していた。
中国とかアメリカとか広いから虫の声などに耳を傾けるような感覚にはならない。
声というとき複数的であり音(ね)となると一匹の音(ね)という感覚になる。
今回の自分の俳句は夜更けに聞いたから音(ね)の感覚なのである。
この感覚はただ万葉集時代にはなかったのである。

虫の声であれ音(ね)であれこうした小さなものに注意したのは日本人的感覚である。
日本人は相当に微妙な自然の音に注意していた。その音にはいろいろあった。
芭蕉が音の詩人だというときもそうである。蕪村は視覚の詩人であり画家であったから当然だとなる。画家的な感覚は共通したものがある。
でも虫の音に注目した日本人的感覚は他にないだろう。それでもなぜそれだけ音に敏感だったのに日本では音楽が発達しなかったのである。それも謎であるが日本に音楽がないというわけでもなっかた。雅楽などがありやはり音楽はあり音の世界があった。
芭蕉の

寂けさや岩にしみいる蝉の声

この声は多くの蝉の声である。音(ね)ではない、こういう俳句ができたことはやはり日本的感覚なのである。つまり音の世界にも深いものがあるからこそ音楽が発達した。
だから芭蕉の世界は死ぬまで音にこだわっていて音が人間の命だったのである。

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

いづれにしろ虫の音(ね)というときイメージするのは小さいものの声である。何か権力者とか金持ちとか強い者の声ではない、小さきものへの声に耳を傾けるとなる。
人間も命も虫であり虫の声でありやがてその鳴く声が絶える時死ぬのである。
そういう微けくあわれなものが虫の声に音(ね)として例えられのである。
あわれという感覚もそうである。それは強いものではなく弱い小さいものとなる人間であれ何でもあわれとなる。絶対的な強者などいないからあわれとなる。
聖書の「貧しきものは幸いなり」というときもそうである。
貧しきものとは物質的に貧しいというのではなく心が謙虚な人は幸いであると言っていたただ同時に物質的に貧しいということもイメージしている。

現代人はこういう感覚が豊かになったときなくなった。庶民ですら食べている者か昔の王侯なみということがあるからだ。
それでも今でもこの辺では安い住宅に住んでいる人は昔の長屋に住んでいる感覚になる。でも田舎でもみんな一軒屋に住んでいる。
奇妙なのは仮設住宅が長屋ににている、てもそこに住んでいる人が貧しいかというとそうではない、補償金をもらって豊かなのであり仮設は一時的な仮の生活だから長屋暮らしとは根本的に違うのである。
現代では清貧とか何か貧しいという感覚は共有されていない江戸時代は貧しいということはありふれたことである、戦前でも戦後十年でもそうである。
日本は高度成長時代になったとき急速に変貌してしまったのである。
貧しさのなかで清く生きるとか貧しくても心豊かに生きるとか江戸時代の人々はいい顔して幸福そうだったということなどイメージできなくなったのである。
都会ではもう騒音化した世界であり虫の声とかもかきけされている。
田舎だとまだ虫の声や蝉の声や音の世界に聞き入ることができる

●我のみや 夜船は漕ぐと
 思へれば 沖辺の方に 楫の音すなり

大伴家持の歌とされるS4460を『新潮集成本』より写します。

●堀江より 水脈さかのぼる 楫の音の
 間なくぞ奈良は 恋しかりける
 
 
 舵の音に注目しているのもそうである。奈良に堀江があり舟が通っていたというのも奈良らしい。梶の音が聞こえてそこに生活があったのである。
江戸時代でも江戸には水路があり舟が通っていたからそういう音に注目することはあったろう。
それは沈黙の世界であり夜の闇が深いから音に敏感になるのである。
現代は音にあふれた結果かえって虫の音とか自然や生活の音に鈍感になった。
それときりもなとさず人間同士でも人間の声は無視されているのである。
車とか機械とか騒音化された世界でありかそかな人間の声は無視される、政治でもそうであり人間同士でも相手を思うこともない非情な世界になっているのだ。
おにぎりが食いたいとか言って死んだ人があるように貧しい人が見えない世界であり貧しいということはあってはならない隠されることである時代でもある。
貧しい時代は貧しさ共有していたからかえって連帯感があったというのも不思議である。





2015年08月19日

原発事故で荒廃した地域と同じことが江戸時代に起きていた (内村鑑三ー代表的日本人ー二宮尊徳の教えと一致)


原発事故で荒廃した地域と同じことが江戸時代に起きていた

(内村鑑三ー代表的日本人ー二宮尊徳の教えと一致)



(すなわち)かつて耕作された土地が放棄されることほど、我々を落胆させるものはないのである。
 もし原始林のたくましい成長力がなければ、放棄された耕地が荒れ果てていくのを防ぐことはお先真っ暗な絶望となるであろう。
と言うのも誰も踏み込んだことのない土地の開墾を進んでやろうとする者が十人いたとして、見捨てられた土地の復興に身を奉げようとする者はただの一人もいないからである。

十九世紀の初め、日本農業は非常に嘆かわしい状態にあった。
 二百年もの長い間続いた平和は、あらゆる階級の人々の間に贅沢と浪費とをもたらした。
 多くの地方でその土地からの収入が三分の二に落ち込んでしまった。
 アザミや茨がかつて生産力のあった田畑に入り込んで来た。そして耕作のためにわずかに残った土地は、その田畑に課せられたすべての税金を賄わなければならなかったのである。

 村また村は徹底的に荒れ廃れてしまった。
 正直に働くことはいよいよ重荷になり、人々は不正直な生き方をするようになった。
 すなわち、彼らはこれまではやさしい大地から気前のいい贈り物を見つけようとして来たのに、それをやめてしまった。そして互いにいかさまをしたり、騙し合うことによって、その哀れな生活を支えるのに必要なわずかなものを得ようと探し求めたのである。
 彼らの禍の原因のすべては、道徳的なものであった。そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである。

 しかし今では荒れ果てた「自然」が彼らの田畑に侵入し、<狸と狐とはその棲み処を人々と共にする>までになって、人口は以前の三分の一を数えるに過ぎず、貧困に陥った農民から取り立てることができるのは高々二千俵にすぎなかった。

 そして貧困と共に道徳的退廃が進んだ。かつて繁栄した村々は今では博打たちの巣窟となった。

「金銭を与えるとか、あるいは税金を免除するとかは、彼らの困窮を助ける方法ではない。
 実際のところ、彼らの救済の秘訣のひとつはまったく金銭的な援助を取りやめることにある。
 そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。



 
相馬藩では二宮尊徳ほど語られている人はいない、二宮尊徳自身は心地きて指導していないが弟子がおもむき教えを受けて相馬藩で飢饉のあととか荒廃した土地を建て直した。
二宮尊徳は天明の生まれだった。その時全国で最も悲惨な飢饉の時代だったのである。
だから土地がいたるところたで荒廃していたのである。
それが不思議なことに原発事故周辺が荒廃したととにていたのである。
ただ二宮尊徳の時代は農業一辺倒の時代であり今とは事情が違っている。
農業でしか生活できないし農業が生活のすべてであった時代だからである。
だからその時代のように農業一辺倒の回復はないのである。
それでも歴史とはつくづくくりかえすものだと思った。
津波だってこの辺でも400年前に700人が溺死したという記録がありそれが繰り返されたのである。
今あることは昔もあったということがくりかえされているのが人間の歴史であり事情は変わってもやはり同じことがカルマのように繰り返されているのである。

かつて耕作された土地が放棄されることほど、我々を落胆させるものはないのである。
誰も踏み込んだことのない土地の開墾を進んでやろうとする者が十人いたとして、見捨てられた土地の復興に身を奉げようとする者はただの一人もいないからである。

この辺の状況をあくことなくプログで報告してきた。またどうしたら復興できるきかとか探求して書いてきた。それがもう復興できないという絶望的になるのはまさにこの時の荒廃とにていたのである。
なぜ過酷な災害にあっても十津川部落では一致団結して北海道に移住できたのかというのもこれと同じ状況だった。
新天地で生きるという強い共同の意志がありそれが成されたのである。
他にも明治維新で職を失った武士階級が北海道に移住して成功したのはそのためだった。

十九世紀の初め、日本農業は非常に嘆かわしい状態にあった。
二百年もの長い間続いた平和は、あらゆる階級の人々の間に贅沢と浪費とをもたらした

戦後の高度成長時代はあらゆる階級の人々に贅沢と浪費をもたらした。
これはまさに同じ状態だったのである。どれだけ人々が贅沢と浪費をしてきたか?
それはここの人を例えたが日本人の八人に一人は借金してまで贅沢していたのである。
ある人は事業に失敗していたが自分は成功しているんだと装っていた。
そしてそのために自分は恐ろしい苦しみを受けたのである。
その人にはもはやモラルとか誠実さの一片もない、ただ金をむしりとる強盗のような心の状態になっていた。そんな人が病気の時にきたから最悪だったのである。
それは一つの例であり今やその人に限らずそんな人ばかりである。
モラルなど何もない、金さえあれば金さえとればいいんだとしかなくなったのである。
浜通りでは金使いが荒いとか言われるようになったのは原発で金が入ってきていたこともあったのだろう。
漁師でも補償金が多額であり原発御殿が建っていたというがそこはまさに何もなくなったあまりにも悲惨な絶句する状態になってしまったのである。

村また村は徹底的に荒れ廃れてしまった。
 正直に働くことはいよいよ重荷になり、人々は不正直な生き方をするようになった。
 すなわち、彼らはこれまではやさしい大地から気前のいい贈り物を見つけようとして来たのに、それをやめてしまった。そして互いにいかさまをしたり、騙し合うことによって、その哀れな生活を支えるのに必要なわずかなものを得ようと探し求めたのである。
 彼らの禍の原因のすべては、道徳的なものであった。そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである


これもまたこの辺の状況とにている。というより日本全国の状況でもある。
そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである
これは津波もそうだし原発事故もそうなのである。自分は何度もモラル的な荒廃がこういう状態をもたらしたと何度も書いてきた。二宮尊徳の時代もそうだったのである。

<狸と狐とはその棲み処を人々と共にする>

これも全くその通りになってしまったのである。
だからなぜこんな悲惨な状態になったのだろうか?
そのことが誰も解せないことであったがやはりモラル的荒廃が自然の荒廃にもつながっていた。

そして貧困と共に道徳的退廃が進んだ。かつて繁栄した村々は今では博打ちたちの巣窟となった。
「金銭を与えるとか、あるいは税金を免除するとかは、彼らの困窮を助ける方法ではない

なぜこの辺では補償金で身も心も分断されてしまったのか?
互いにいがみあうだけであり協力などしないし実際に復興の仕事をしているのは外部から来た人たちなのである。
地元の人はパチンコとかギャンブルに興じているだけだとなる。飯館村さえ素朴な村だと思っていたがギャンブラーになったというのもそのためである。
避難区域になると荒廃が激しいから余計に復興の気力もなくなったのである。
博打ち、パチンコ通いになったのである。
こういうときニートととか遊び人にとっては補償金がもらえるから原発事故を喜んでいたのである。それも頽廃である。真面目な人もそれらの人と同類となったのである。
つまり新天地を目指して新しく土地を開墾して切り開き新しい生活を始めるというのとは違う。そこには希望があるがこういうふうに荒廃すると人々の心もうして新しい土地に移り開墾しようとかする気持になれないのである。
そして何より前々よりすでに農業は金にならないと実質見捨てていた人たちが多かった。金にならないから跡継ぎがいないとか誰も農業に精を出す心が喪失していたのである。
それが津波と原発事故で一挙に最悪の現実になったのである。
結局補償金をもらってかえって頽廃した。老人も多いこともあるがもう補償金で暮らしたいいう気持しかなくなった。
それだからこそ補償金の不公平さでどこも分断されたのである。
そもそも土地がつながっているのにわずかの放射線量の差で差別すること区別することも政府や東電の策略でありのせられたのである。
 
 
おそらく復興には二宮尊徳のような人とか思想とかで指導されることが必要である。
ただそれは今の時代はまた違っているからむずかしくなる。
つまり農業だけではない社会になっていたしかえって農業を捨てて工業化した地域になれということもあるからだ。
だから農業だけから志向してもどうにもならないのである。現実は農業は重視されないのである。それは事故前そうだったのであり余計に事故後にもそうなったのである。
そうした農業の軽視自体が今日の荒廃をすでにもたらしていたともなる。
原発事故の前からそういう状況があったが事故後に最悪の結果となったということである
これからどうすれば復興するのかとなると二宮尊徳の勤勉の思想とかは今は通用しないだろう。日本全国でもうすでにそうなっているからここだけの問題ではない

資本家が株主だけがもうけていくら働いても働く人に金が入ってこないという資本主義の矛盾もあるし機械化とかで人間はなるべく働かないようにするのが現代の文明なのである一般的に働くことに生きがいを見いだせない時代である。
大都会だったち摩天楼のようなものが人間を蟻のうように見下ろしていて何のために働いているかもわからない、ただ金を得ればいいというだけになっている。
全体を見渡して働いている人などいないのである。
つまりこの辺で起きたことは別にここだけの問題ではなく日本の問題であり世界の問題としてある。その矛盾がこの辺に集中的に現れたのである。
だからフクシマの復興なくして日本の復興もないとかというのもそうである。
そして資本主義とかの文明そのものの問題をこの辺は事実として問うているのである。
机上の空論ではない、現実問題として解決を求められているのがこの辺なのである。
だから津波の被害地域でも復興できないとか言われるのはそれだけ深刻だからそうなっいる
それほど復興はむずかしいということであり農業一辺倒の二宮尊徳の時代ならまず農業を復興することだと肌で知っていたからわかりやすいがこれほどの文明化した状態ではさらに困難になったのである。

彼らの救済の秘訣のひとつはまったく金銭的な援助を取りやめることにある。
そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。

この辺の救済とか復興は過度な補償金が支給されたことにもあった。それでかえって心は分断されたし心が一つになれないからすでに避難区域でも帰還することができない、
帰るのは老人だけだとなり小高病院が修理するのに7億円かかるというのも驚きである。
つまり現代の便利な文明は一端破壊されるとそれだけの費用とか労力がかかってしまうのである。
その七億円はどこからでるのか?出せないから修理できないしベッドもないというから復興もむずかしくなる。
その金を補償金から小高の人が出せばいいともなるがそれはしない、自分たちの腹を痛めることはしないのが普通である。それは自分にもあてはまる。
ただこういう緊急の際が自分のことばかり自分の家のことばかり考えるともう復興はできず家族も散り散りになったように街は捨てられるようになってしまう。
ともかくつくづく歴史は繰り返すというのが今回の教訓だった。それは個々人でもカルマがそうであり同じようなことがまた起きて人間は苦しむのである。


十津川村の教訓ー移住する意志と覚悟と決意があった

(原発事故周辺は補償金だけをもらうことしかないので復興はできない)
タグ:二宮尊徳
posted by 天華 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年08月20日

グローバル企業は地球をも破壊する (生産共同体ー文化共同体の考察)


グローバル企業は地球をも破壊する


(生産共同体ー文化共同体の考察)


人間は群れることから村になったとかいう。人間は何らかの共同体に所属して人間だというのもわかる。
人間はもともと生産も消費も一体の存在として生きてきた。
何かを生産することで共同体になることはわかりやすい、江戸時代の村とかさらに縄文時代の村までさかのぼれば生産共同体である。
みんなで狩りをする魚をとる米を作るなど生産共同体である。消費するというときそれも生産の一過程である。
森の木材でも消費するというときそれは生産につながる。消費という言葉には浪費という言葉から来ているのだろう。
江戸時代のような小規模の自給自足経済では浪費するようなことはできない
資源が限られているのだから浪費などできない、だから人間の糞尿だろうが紙切れ一枚でも無駄にすることはできない社会である。何でも有効利用する社会である。
つた物は現代の物あまりの時代と違って大量生産ではないから一つ一つの物は手作りであり貴重なのである。だから現代のようになんでも消費するという観念はなかった。
だから村でも何でも生産共同体でありその中でしか生きられない社会である。

現代でもやはり生産共同体が社会を形成する、会社ではなにかしら必ず生産することによってそれを売って消費してもらって成り立っているのである。
ただ工業化社会になると生産するものは電化製品でも車であれ様々な無数の物が生産されているがそれは会社で分業化して生産されて消費される、使用されている。
一方で村とか自給自足の経済では自然の循環の中で生産されて消費され使用されて成り立っている
米を作るということは山から絶えず水を供給されて実りがもたらされる。
山は水の貯水の役割を果たしていて雨がふらないときでも山からは水が流れている
そういう干ばつのような時を経験しているが山には水が絶えず流れていたのである。
それで山が神となり春には平地に下りてくるというときそうした自然循環の中にあっての生産共同体だからこそ生まれた信仰である。
つまり昔の生産共同体は自然と切り離せない自然循環の中にあった共同体である。
だから祭りごとも一致している。祭りが政り(まつり)事になるのも当然だった。
天皇がその政(まつり)ごとにたずさわる神官のような役目を果たしていたのもわかる。
大嘗祭が豊作を天に祈る司祭だったというのもわかる。

一方で現代の会社はこうした自然循環の生産共同体とは遊離したものとしてある。
第一電化製品でも車作るのでも他の様々なものを作るのに自然と関係していない
自然を考慮することもない生産共同体である。
東電のような電力会社も原発とかなると自然循環の共同体とは何にも関係ない会社であるだから農業とか漁業とか林業とかとも関係しない
でも電気そのものは第一次産業でも使うから関係しないということはない
なぜならダムのよう水力発電だと自然と関係している。
石炭でも石油でも実際は自然にあった自然エネルギーだから自然と関係している。
核となると今までのエネルギーとはまるで違ったものであり自然とは関わりないのである自然エネルギーだと科学に弱くても石炭であれ石油であれ燃やしてエネルギーになるのだからわかりやすいのである。
原発になるとそういうふうに今までの観念では理解できないものである。

ともかくこれまでの共同体は自然循環の中にあり自然を自ずと意識化される社会である。そもそもだから社に介するがのが社会でありそれが会社になったことでもわかる。
その会社が今やグローバル化して大企業化してその大会社が国を越えて世界で生産活動して消費させているのが現代である。
だからアメリカでもアメリカという国を支配しているのはロスチャイルドだとかロッフェラーだとか常に言われる。ロスチャイルドが原発にかかわりその利権を獲得していたとかいわれる。
それは東電でもあれだけの三兆円の資産があるとか国並の力をもっていたのである。
その東電に政治家でも官僚でも検察でも天下り先としてあり雇われていたともなる。
政治家より国より大企業の方が力があれ国は政治家は大企業の下僕であったという構図が原発事故で見えてきたのである。

その会社は一地域とか国とか世界でも制約されずに活動できる。
大企業にとっては国というのがあると自由に活動できないから障害になる。
貨幣でも国ごとにあると経済活動が停滞するから一つになった方がいいのである。
それでユーローが生まれたしドルが実質的に世界貨幣となっている
そうなるとアメリカがアメリカの大企業が世界を支配しているともなる
その規模は日本の昔の村と比べたらあまりにも規模が大きすぎるから理解不能になってしまう。
だから大企業は地球の自然でも破壊する力をもつようになる。
後進国の森林資源でも破壊してとりつくしたり有用な樹を植えて混生林の自然林を破壊してしまう巨大な力をもつことになる。
こうした大会社は自然に制約されて生きてきた小規模な生産共同体とはあまりにも巨大なマンモス的なものでありそれは地球の自然まで破壊する力をもったのである。
そもそも人類史でこうした地球の自然を破壊するような巨大会社は存在しえなかった。
自然の制約を越えられないしその中で生きていた共同体である。

国とはなにかとなるとそれは小規模な村がもともと国(くに)であり区切るとかあるからクニは小規模なものから発している。小国(おぐに)というのは全国にありそこは一つの自給自足の国だったのである。その規模とはかけはなれたものが大会社なのである。
そして国というときそこには何かしら文化がある。祭りがあり政(まつりごと)がありそれは自然と密接に結びついてあった。大企業とかはただ一つの物をテレビならテレビとか車なら車とかを生産する共同体でありそこには自然とかかわる祭りは生まれない
つまりそこには文化がないのである。
生産共同体があるとしたら文化共同体がある。文化というのもcultureがcultivate(耕す)から来ているように生産共同体がなくして文化もありえないのである。
文化というときその土地土地に根ざす生産共同体をベースにしているから多様になる。

一方でテレビや車だけを生産するのは単一生産であり多様化しない
自然とも関わらないので会社には文化が生まれないし育たないのである。
だから会社というのは世界的に文化を破壊するのである。
言葉にしてもそれは国々の文化であり文化共同体の基礎として共有される。
でも言葉が違うとグローバル経済にとっては不都合になる。一つの言葉の方が大企業にとっては商売しやすいし英語が世界語になった方が便利になるのだ。
そうなると言語としての文化は文化共同体は破壊されるのである。
グローバル企業が地域の文化を破壊するのはアメリカが世界の文化を破壊しやすいのはアメリカはグローバル企業が支配しているからだとなる。
今は例えればイオンがあるとするとイオンという大会社の一員として働くのでありその地域地域で働くとはならない、商店街はその地域のものだけどイオンとなると大会社であり地域のものとは違う。だからイオンという会社が優先化するから撤退したら何も残らなかったとか問題が起きる。地域だとここが商売にならないからと撤退できないからである。でも今やみんな地域の一員とかの感覚ももてない、現実には会社の一員でありまた国の一員と戦後のような強い国意識ももてないなのである。
だからいくら愛国心をあおっても何か国としてのアイデンティティが失われているのである。
とにかくグローバル化すると地域の食文化も破壊される、みんな一様化され安い、ただスシとかが世界で共通語になることもあるがスシとかは日本の暑い湿気の多い所にあった食である。暑いと刺身とか生のものかうまいからである。日本の湿気とか暑さから文化が生まれていたのである。酢の物もそうでありさっぱりしているからである。
日本の暑さは乾燥地帯の暑さと違っているからである。

現代は会社社会であり文化が破壊されやすいのである。その文化が破壊されることが深刻なことを理解されていない、文化はまだ技術によっても破壊されやすい
文化はもともと自然循環の中で生きてきた長い伝統から生まれた、それぞれの国の成り立ちは必ず文化がありその文化も大規模な機械化とかグローバル企業化によって破壊される万葉集などは日本の生産共同体から成り立った文化共同体の産物である。
会社社会はそうした文化は生まない、だから自然を容易に破壊する、森でもそこは木材という自然としてしかみない、米を作る生産共同体だったら山は水を貯える神聖なものだとかなるがそういうことは無視される
大企業や巨大な機械化によって森が根こぞき破壊され森と一体化した人間の共同体も破壊されるのである。
だから今回の原発事故も大企業による破壊だったのである。
第一次産業が致命的な打撃を受けたのはそもそも会社は昔の村のような自然と一体化して生きるものではない、自然循環に生きるものではない
現代文明はこの巨大会社化したときその弊害も大きく地球の自然を破壊するまでなったのである。

 
posted by 天華 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

金だけでは解決しない原発の避難区域の復興のむずかしさ (小高病院を修理するのに7億円かかる)


金だけでは解決しない原発の避難区域の復興のむずかしさ


(小高病院を修理するのに7億円かかる)


テレビで放送していたけど小高病院の配管などを直すのに7億円かかるという、そんなにかかるのかという驚きがある。
やはり病院というインフラはそれだけ今では金のかかるものなのである。
ベッドは用意できないとか医者が言っていた。
でも救急医療みたいなものをしていた様子が見えた。
それでも病院にベッドがないとしたら病院として機能しないだろう。
今は病院が市町村の要となっていることが震災以後明らかになった。
病院が機能しないとき、その街には誰も住みたくないとなる
特に高齢化では病院が医者とか看護師がいないと生命の危険に常にさらされるからであるところが実際帰るのは老人が圧倒的に多く若い人は帰らないのである。
飯館村でも三所帯の住宅を新たに建てて孫と一緒に住みたいという人がいた。
でも子供たちが帰ることは未定だしその建物自体無駄になるかもしれない
小高の人で名取に子供が家を建て親の部屋まで作ってくれたという
その子供は原町の会社に常磐高速道路で通っているのである。
こういうふうに家族がばらばらになっているのがこの辺では多いのである。
飯館村でも帰る人はわずかであるからこれから復興することは容易ではない
そこで農業することが一番むずかしいからである。

小高の問題は複雑である。南相馬市が補償金で分断されていがみあうようになったというときそうである。
そのことは浪江とか避難区域で起きている、会社を経営する人が仕事をくれと仲間だった人に頼んだら補償金をもらっているから仕事は必要ないだろうと言われてがっかりしたという、それは会社とか経営していると億の金は避難区域などではもらうだろう。
牧場を経営していた大熊の人は5億円もらったとか噂になった。
それくらいの補償金もらったら人間はどうなるのか?
もう働く気もしなくなるだろう。あとはその金で楽に贅沢に暮らせばいいとなる。
だから復興するには金を与えることではないということを内村鑑三が二宮尊徳の例で言っていたけど本当にそうなっている。
多額の補償金を与えたことによって復興がかえってできなくなったという皮肉である。
その補償金によって南相馬市は分断されたのである。
特に鹿島区の人は補償金が少なくかったから小高の人に反発するようになった
実際補償金で威張っているというのもおかしなことなのである。
そして毎日パチンコ通いだとか批判されるようになった。

その補償金は復興させるものとして実際は働かない、かえって故郷に帰るより一億円もらえるなら他で暮らした方がいい、便利な街で暮らした方がいいとなってしまった。
そして若い人たちは帰ってこないのである。
多額の補償金がいいようでもかえってそこに住む人を分断して家族もばらばらにしたということがあったのである。
補償金が必要でも何か別な金の使い方も考える必要があった。
だから今回の病院を修理するのに7億円かかるとしたらそういう所に補償金などをまたは東電でも援助するとか市政でも考えねばならなかった。
もう南相馬市の人心がばらばらになることも深刻である。
小高の人は小高でやれとか鹿島の人はなる。金もらっているのだからその金でやれ、病院もお前たちの金でやれ、南相馬市の財政からは出すことは許さないとかなる

現実に一時鹿島区の人に補償金がおりないということが最初言われた。
その時臨時に市長が鹿島区に仮払いとして一所帯百万支給したとき市の財政から金を出すなと原町区の人が強硬にインターネットで発言する人がいたのである。
つまり南相馬市に小高が入るのだから今度はそういうことを強硬に言うようになる。
小高の人は金をもらっているのだから自分たちの金で病院を直せとか言われる
自分の所にきた遠い親戚だからしかたないにしても「おばちゃんは金あるんだから金でめんどうみてもらえ」と血相変えて勝ち誇ったように去って行って縁が切れたのともにている。
「金でめんどうみてもらへ」ということがまさに金の社会だからそうなる。
でも金が万能ではなくそれが人間を分断してまたかえって復興を困難にしている原因にもなっていたのである。

金があってもそれですべて解決することにならない、その金をどう有効に使うかが意外とむずかしいのである。
金は魔物だというとき本当にそのことを身をもって経験した。
自分が病気のときも金を要求され借金している人から恐喝されたから怖い
その人は頭の中が借金のことしかないからへたすると殺人までにもなりかねない
借金に追われると人間はそこまで追い詰められるのはテレビの推理ドラマで常に放送されている。火事場泥棒にも会い実際にもう一人のこれも遠い親戚から裁判にかけると脅迫されたのである。これだけ今は金、金、金・・・・の社会になっている。
ではその金が万能かというとそうはなっていない
この辺では金がマイナスに働きかえって復興できなくさせている
でもなにやかにや言っても金がある方が勝ちだということで金は手放せないし金さえもっていればなんとかなるという考えになる
でもこの辺で復興というとき一家族が復興することではない
全体の町が復興することでありそうしなければ一家族も住めないのである。
そのことが良く自覚されていないのである。
同じ町の人と一緒に住みたいとか言うが浪江でも浪江町を他に作ると軋轢が生じる。
かえって少人数で全国にばらばらになると軋轢もないのである。
だから何か広域社会になるとそういうふうに分散しやすい社会だったともなる。

それから補償金もらったからそれで生活すればいいというが病院も修理できない、ベットもないというとき老人だけが帰ってどうなるのか?
金があってもサービスする人が働く人がいないならどうなるのか?
つまり十津川村のように村人の心が一つになるようなことが必要なのである。
それができないから復興はできないとなる
確かに老人は帰りたいとかあるしその気持がわかる
飯館村の人がうまいことを言っていた。
マラソンをしてタスキをわたすことが自分の仕事だ。農家の人でありマラソンというとき長距離か農業でありその土地を次の世代に渡すことが仕事だと言っていた。
ところが村であれ村自体が消滅するときそれが不可能になっているのだ。
一家族でもそう思っても村自体が消滅すれば復興がてきないのである。
そういうことは今まで経験していないことだから避難者が良く理解できていないのである町時代がなくなるなど故郷がなくなるなどということを経験していないから何かどういう状態にあるのか避難している人たちも明確に自覚できないのだろう。
一家族が復興しようとしても村や町が全体が復興しなければ住めないのてある

だから小高の人は補償金もらっているのだから病院を自分たちの金で集めて修理して住もうとなれば心が一つになるということもあるだろう。
でも実際はそういうことがむずかしいのである、確かに自分の家族のことは考えるがでは自分たちが住む町全体のことを考えて行動することがむずかしいのである。
それは金によってそれぞれが分断されたということもある
現実に最初から小高を見捨てて他に家を建てた人もかなりいるからである。
そういうふうに町全体を復興しようとするために心が一つになれないのである。
そして南相馬市でも復興を援助することが小高と鹿島で補償金で反目し合うとかありできなくなった。
「金もらっているんだからお前らはお前らの金でやれ」となってしまった。
金が人間の心もばらばらにしてしまっているのだ。
金が全部悪いというのではなくその使いようが悪いのである。
金というのはいくらあってもうまく働くとは限らないのである。

市政にしてもそういうことを考えてやれば政策を考えればいいのだができなかった。
市長に手腕がないとかいろいろ言われたが市長だけではどうにもならないことだろう。
小高は確かに金はもっていても南相馬市にとって負担になる
でも南相馬市の市民だから別に考えることはできない、それもジレンマになる。
何か金もっている人はいる、高額な年金をもらっている人もいる、補償金で潤っている人もいる、それでいいのかというとそうなっていない
働く若い人がいない、医療でも看護師がいない、介護でも働く介護士がいない、他にも人手不足でやっていけないとかなっている。
それはここだけではない、日本全体の問題だけどここではそれが極端なものとして先取りして現実化ししているのである。
いづれにしろ復興というときここだけではない津波の被害地域でも様々な問題があり
困難を極めているし以前として先が見えないのである。

 
posted by 天華 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年08月21日

丝绸之路の詩(シルクロード) (地球を詩う時代)



丝绸之路の詩

(地球を詩う時代)

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丝绸之路の詩(1)

大都長安の城壁の大門
丝绸之路へ通じ出立す
離別の情、遥か平沙万里の道
長城は沙場に尽きし残滓
風沙に一村埋もれ消失
西域の城誰か守らむ
誰か天幕に祈りを捧げ
日月星辰に導かれて
駱駝に馬に乗り羊を追ふ
隊商に兵の力尽きて
砂塵に埋もれ白骨の無情
宝物も沙に埋もて久しく虚し
地の日は短く天の日は長しも
少女のミイラと眠る楼蘭
湖も沙に埋もれて消えぬ
時に浮かぶオワシスの夢
百花香り木の実の美味にして
木陰に休らふパラダイス
遥か帝都を辞して幾歳や
西域を守りて胡人と交わり
日を重ねて情の深まる



丝绸之路の詩(2)

朝目覚む酒泉 百羽の燕
鐘鼓楼 東西南北に通ず
氷河白雪祁連山脈冷涼たり
征人通過す西域の道
中華広大にして茫漠
万里長城の端の砂漠に埋没
その外郭につづく陸土
人跡絶えて平沙に唸る風
草原を疾走する騎馬民族
英傑は生まれ遠望す
遠大なる地球の歴程
大望はここに生じる
彼方欧州に達して
帝都羅馬にも知らる
小なる日本大陸を知らず
大海を知らず大河を知らず
狭隘なる地に呻吟して
雄想は生まれず朽ちぬ
大陸の草原の風、大洋の風
今詩人は地球を詩う
その旅程は尽きざるかな



「東迎華嶽」(東に華嶽を迎え)、「西達伊吾」(西は伊吾に達し)、「南望祁連」(南は祁連を望み)、「北通砂漠」(北は砂漠に通ず

酒泉はそういう交通の要所だった。
中国は三回くらい旅した。50才ではじめて海外旅行した自分にとってあんな自由な旅ができたのは今になると不思議である。
様々な失敗であり過酷な旅でもあった。それもなんとかやれた。
今どき50才で海外旅行してない人はいない、今は貧乏人でもできる
10年前以上になると円高であり一ドル70円とかのときもあった。
その時海外旅行熱が日本にあり貧乏旅行が流行になり若者は海外の安宿で沈没とかいって一年とか過ごしているのがトレンドだった。
それも円高で物価が十分の一とかだからできたのである。
円安になると海外旅行は高くつくから今は中国すらなかなかできないだろう。

中国は漢字で共通しているから親しみ安いし歴史と文化でも日本と通じる
でも中国を理解するとなるとまた別である。
日本人が大陸を外国を旅して理解できないのはその広大さなのである。
何か空まで広く感じる、日本は山国であり空が何か狭い感じになる。
だから大陸の感覚が実感としてわかりにくいのである。
大河も砂漠も日本にはない、その広大な長大さが実感できない
あれだけ広大になるとちまちましたものがなく大きな人間でも思想でも生まれる
中国から英雄が出るというのはその壮大な国土の故である。
日本は島国でありスケールが何でも小さくなるしその小ささが文化になっている
漢詩は一応誰でも読んでいるから文化的になじみがある
世界史を理解するときいろいろなアプローチがあるが詩から理解するというのも外国の文化を理解する手段になる。
ただ詩とか芸術でも不可分にその風土と結びついて生まれる
それで漢詩を知りたかったら中国本土を旅する必要がある。
実地にその地を踏むと実感できる

今は日本でも外国でも実地に踏んだ地を回想して詩にしている
想像の世界ではなく実地にその地を踏んだということが世界を知るには不可欠なである。ただ中国でもアメリカでもロシアでもその広さを一回くらいの旅行では知り得ようがない日本とのスケールがあまりにも違いすぎるのである。
現代とはすでに庶民でも普通に海外旅行しているから地球を詩うグローバルなものと自ずとなる。
まだそういうグローバルな詩はまだ生まれていないのかもしれない
日本もすでに外国との交流をする時間をかなりもった。
それが蓄積されると世界的な詩を作る人もでてくるだろう。
それにはやはりまた時間がかかる、時間によって熟成されないと文化は生まれないのである。
現代は何でもグローバル化する時代である。地球自体はどこにでも行けるから狭くなっている。実際は歩いてとか馬でとか駱駝で行ったりしないとその広大さは日本すらわからないのである。

広いといえば相馬藩内でも徒歩で自転車で回れば結構広いのである。
まず日本のように狭い国でも変化に富んでいる国はないから旅してあきない国である。
ただ広いというだけだとあきてしまうのである。
いづれにしろ現代は地球を詩う、地球を描くとか何でもグローバルになる
シルトンクロードでも歩けば馬で駱駝で行けばその広大さ唖然としてしまうだろう。
中国では火車、汽車の中で泊まる人が多いし長くなるから車中で生活できるようになっている。三日とか乗る人も多いからである。
10年前以上になると一般の人がのる列車には外国人は乗れない
殺人的混みようであり車掌が客を笞で打っていたというから中国は何でも過酷である。
流民と化した出稼ぎ労働者が大挙して民族移動のようになっていた時代だったからであるそれせ今になると新幹線も走っているのだから中国も十年以上でかなり変わってしまったのである。

地球を詩うというとき今は地球規模で何でも見なければならない時代である。
地球には実際は国境はないのである。こういうふうに自由に往き来できる時代だからこそそうなった。
歴史でも地球史となり壮大な自然から人間の歴史を再考察する時代である。
ただまだそのスケールにあわせるほど日本人は熟成していない
それでもその交流の範囲は広いのである。
この辺ではあまり外国となると交わりがないが関西辺りだと神戸の人で中国語を自由に話すとかアルジェリアに石油関係で仕事していたとかグローバルに仕事をする人がいた。
田舎ではそういう外国と仕事するとは少ない、でも島商会は中古の車をロシアに売っているからグローバルな会社なのである。
何かしら外国と通じ合うのが現代であり田舎でもそうである。

地球を詩うとなるとその詩う人も地球大になることが望まれる
それだけの体力もまた知識も要求される、それだけ空間せかいか広がると人間は長生きしないととても世界を理解できない
50才からやっと海外旅行して60才から世界をみるとか今は長生きしなければ世界を知ることができない
空間が地球規模に広がった時、時間もまた比例して長くないと空間も理解できないのである。
日本の長所と弱点がある。弱点は広さの認識をもてないことである。
日本が外交がへただと言う時、世界規模の認識がもてないためである。

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

石川啄木『一握の砂』

東海とは韓国から見れば日本海は東海なのである。小島とは北海道か日本のことである。啄木は日本という小さな島国の悲しさを歌ったとなる。
日本は島国という制約で大きくなれない悲劇がある。
日本が太平洋戦争で負けたのも大陸のように大きくなれないということにあった。
日本は海に囲まれていても海洋民族とも違う、イギリスは七つの海を制覇した海洋国になった。日本は海に囲まれていてもそれが外国に通じる海ではなかったのである。
ともかく人間の一生は短い、自分の場合、旅していたらいつのまにか人生も終わりに近づいていたのである。
今はその旅を回想する、回想して詩を書いているのである。
旅でもその時、旅している時はなかなか理解できないで書けないがあとからその場を理解して書けるということがあった。
ただ実地にその場を踏まないかぎり詩でも書けないと思う
この詩は訓讀漢詩風にもなっていない、漢詩の詩語で表現しているのが少ないからである日本的な詩だけどやはり中国は日本と通しるものがあるから漢詩があるから文化的に共通性を見いだすのである。
旅というとき何か遊びではないかということが外から見られる、旅することは実際は相当な労働なのである。もちろん外国の宿にたむろして遊んでいる人もいる。

旅することはその回りの景色と同化することである。だから旅で恋愛だと女性に気をとられると気が散るので旅の自然であれ歴史を知るのに邪魔になる
団体旅行でも社交の旅になり回りの自然に注意を払うことができない、また旅というとき当人旅人ならなければならない、現代の観光旅行は旅人ではない
だから今では旅人になることはほとんど不可能になっているのである。
自分は一人で自然と歴史でも見ることに注意していたから思い出してなんかと詩にできるただ忘れるのも多い、忘れない旅をするにはどうするかというのも旅の課題なのである。旅は本当に旅なら行にもなる、観光旅行ではなく保養でもなく行だとなる
自転車などになると体力がない自分にはきつかった。でも達成感があった。
中国も10年前だときつかった。ただなぜ危険な目にあわなかったのか?
それは自分は汚い中国人と同じ格好していたしほとんど中国人に見られていたからだと思う、金持ちの旅人にはとても見られなかったことがかえって安全だったのである。



2015年08月22日

特攻隊の死(詩) (70年過ぎて歴史となり評価されるー明治維新との相違)



特攻隊の死(詩)


(70年過ぎて歴史となり評価されるー明治維新との相違)



特攻隊の死


未来ある若き命を
強いられて御国のために
父母のためにと献げられぬ
何故と思う間もなく
御国の危機に献げられぬ
あたら若き命を
戦果ともならずに
特攻隊は敵艦めがけて
一心に砕け散るかも
その責は誰にありしや
その若き兵を誰か責めらる
ただ御国の危機に捧げれぬ
飛び立ちて突撃する心よ
神風特攻隊は武運はかなく消ゆ
ああ 時代の重みよ
戦いは敗れ同胞は異国の土に
はや70年の歳月は過ぎむ
やがてその日も忘れられむ
御国の魂と靖国に祀られるも
その命は報われざるかな
何故に若き命を
今は飽食にして国を思う若者なし
ただ享楽を求めて惰弱となりぬ
今非戦を語るは楽なり
しかしその時代の重みよ
三百万の命の代価は何や
未来ある若き命の代価は
その報いもなしや悲し
国難の明治は語られしも
太平洋戦争の死は無にされむ
何故の同胞の死なるや
今なお知らず70年は過ぎぬ
旭日に富士嶺高く日本の誠の心
平和と繁栄の日の70年
その果実は今美味とならむ
しかしまた危機の時代は来れり
国難はまたカルマと襲いかかる
未曾有の災害、経済の難、外敵の難
日本人の心は乱れ相争う
ここに故郷は消失して原野となり
あたかも戦後の焼け野原なり
国難の時勇み立つもののあれ
日蓮の激しく叱咤する声のあれ
そは衆の声にあらず一人立つ声なり
予言者の声にて衆の声にあらじ
衆より激しく責められしものの声なり
ああ 70年の歳月は過ぎぬれ
一時代はまた過ぎて次なる時代
日本の誠の栄はこれよりなりや
その前にまた国難の時は来れり
日本人よ心して立ち向かうべしかな



70年過ぎたときこれは大きな時代の区切りとなる。明治維新から70年で太平洋戦争でありそれから70年がまた過ぎたのである。
70年後とに大きな変化がくるというのは本当だった
津波原発事故とまさに自分の住んでいる場所がこんな大変化をする場となるとは思わなかった。
故郷を消失するなどこの辺が一番の変化に見舞われたのである。
これは一地域の難ではなく国難なのである。日本全体に及ぶし世界にも及ぶ
原発の災難はここだけのものではない世界的なものだからである。
危機は国内だけではない国外からも起きてくる。
個人的にも悪いことは必ず重なるのである。良いことも重なるのである。

戦争で一番印象的になったのは神風特攻隊である。
それぞれが神風特攻隊に一員としてイメージしてその突撃に向かう姿を思い浮かべたらどうなるか?
それは空恐ろしいものではないか?20くらいで死んでゆくものの気持がわかるだろうか?
誰もその特攻隊を責められない、それを強いた上の人は大人は責められる
特攻隊で死んだ若者は責めることはできない、ただ国の犠牲になったとのである。
非戦を言うのを今になれば簡単であり楽である。
その非戦も命をかけてやるとなるとまた別である。
人間は何でも命を書けてやるとなると真剣にならざるをえないのである
ただ命をかけたとしても的を得ないと無駄だとなるのも確かである。
無闇に行動しても戦果も成果もないのである。

いづれにしろあれだけの戦争になるともう歴史としてあり歴史の評価になる
だからその評価には時間がかかるのである。
明治維新との相違は明治維新にはいろいろな人物が現れて語られることが多いのである。その評価はまちまちでもそれだけ人物が出て語られることが多いということは意味あるものだとされる。
そこで様々な人間的葛藤があり人間の物語となっている
太平洋戦争でもそういうことがあったのだが余り個々人について語られないし英雄も実際は生まれていない、ただまだ太平洋戦争の真実は解明されていない
明治維新はいろいろ人物が生まれ人間の物語となっている
太平洋戦争は300百万人死んでも何かそうした人間の物語か欠けているのである。
だから詩になりにくいしもちろん叙事詩的なものであったが詩にならないのである
ただ300百万人が死んだという数だけが巨大なものとして印象づけられているのである。
近代の戦争は国民戦争であり世界的にそうだったのであり数の戦争だったからだともなる


特攻隊にしてもその葛藤はあまりにも若いから父母への恩とか未練になっている
明治維新は若者でも20代でも父母というより国を憂いて行動していた。
明治維新も若い人が活躍したのだが太平洋戦争は若い人は大量に死んでもそれが明治維新とは違っている。
上から強いられた死であり犠牲の死である。
司馬遼太郎が明治維新をあれだけ魅力あるものとしたのはそこに人間の物語があったからである。その見方も偏っていてもそこに人間的なものを感じたから小説にもなった。
太平洋戦争ではそうした人間の物語に欠けているのである。
ただ無惨な大量の死があるだけと見てしまうのである。
それでも特攻隊の死は太平洋戦争を象徴したものとして今でも訴えることには変わりない最後の戦争の華だといえば華だが未来ある若者の無情な死だった。
いづれにしろ太平洋戦争も歴史化するとき簡単には評価したり語られないものである。
明治維新とは違い何か人間臭いものがないことが物語になりにくいし意味をもたせられないのである。


歴史となるとやはり評価するには時間がかかる。要するに何か芸術とかも理解するにもまた自分でも創作しているが時間がかかるものである。
ルネサンスとかはやはり生まれるにはそれなりの時間の蓄積が必要である。
ルネサンスはイスラムの歴史とかヨーロッパの歴史の集積があって生まれのである。
歴史の集積がないところにルネサンスは生まれようがない
ローマの歴史とか中世の歴史の集積があって生まれたのである。
日本にもその歴史がありその集積があり歴史が作られる
日本の70年の平和と繁栄の蓄積はこれから華開く、それは自分でもそうだった。
何か詩でも書けなかった、でもやはり人間一個人でも蓄積したものが華開くの時間がかかる
旅にしてもまず旅することでありそれは行動なのてある。そのあとに内省して芸術として創作するのである。
戦争というのも自分が参加しないにしろその壮大なの歴史が内省されるのに時間がかかるのである。
だから太平洋戦争でも70年過ぎていろいろ評価するようになるがそれは以前として一つの答えなどないのである。
明治維新との相違は欧米であれイギリスであれ常にそういう海外の勢力に地抗しつつ日本の独立の道を切り開いたのである。


太平洋戦争では日本自体が大敗してうちのめされ独自の独立の道はなくアメリカの隷従があるのみだった。そこが日本人の魂まで喪失した。
明治維新はまだそうした隷従はなく日本人の魂は残っていたのである。
それは大和魂というものでもなく武士の魂かもしれない、何か日本独自の魂が残っていて改革されたから違っていた。
戦後はそうした日本人の魂が失われてしまった。ギブミーチョコレートしか物質欲しかなくなっていたのである。
ただそれでも平和と繁栄の70年は無益ではない、そこに蓄積されたものが華開くのが70年後だったともなる
もっとスケールを大きくすればあと百年とか二百年で日本の時代、ルネサンスが来るというのもそうかもしれない、日本はまだ本当の栄、華が開いていないとなる
つまりこの明治維新からの蓄積は技術と物質とかが優先された。
それが戦後も高度成長時代とつづいてきたのである。それも一段落したとき文化の華がルネサンスが起きるのである。
だからこれからは内面的なもの文化的なもので日本は日本の歴史の蓄積で華開く時代だともなる。
ただ経済的衰退とか内外が混乱時代となるとブレーキがかかってくる。
それも乗り越えたとき日本の黄金時代がやってくるとなる

あたらの意味はあったらなである。まさにあったらなという思いがにじみでる言葉だったのである。
いづれにしろ人間にはいろいろな葛藤がつきものなのである。
その葛藤さえ許されなかった時間がなかったのである。
時間があったらな・・・ともなるのである。
それは今だってそうである、人生をふりかえるとき時間があったらなと体力があったらなとか老いるとそういうことばかり考えるのである。
老人になればそれが普通だけど20代ではそういう時間も余裕もないのである。


 
タグ:特攻隊
posted by 天華 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2015年08月23日

livedoorに試しに新しいプログを作る


livedoorに試しに新しいプログを作る

写真も加工して映える

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写真が加工することで映える、芸術は生のままの自然というのではない
何か加工することとかその人の個性を反映させて芸術化している
それが一つの技術である。artとは技術である。
だから写真そのままでは映えないが加工すると見栄えが良くなる
これはその一つの例である 


livedoorに新しいプログを試しに作る

livedoorは住所も登録しないで作れた、試しに作ったが簡単だ
特に複数の映像がアップしやすいし操作しやすい

さくらのプログは映像をアップするのもめんどうである。
多くの写真を出すのには向いていない
写真の整理に便利なので作ってみた

ただプログというのも何なのか?
勝手に主催する側で消されとかの報告がある
全部自由ではない、もちろん悪質な何かがあった
その理由も伝えられなかったという

でも言論の自由が補償されないと全部消されるとなると恐怖である
自分のプログは膨大なものだから消されると再現できない
一応記録はとってあるから消えるというわけではない
でも一回さくらのプログで故障して消えた
でも回復したので助かった

パソコンの恐怖は一瞬にして記録が消えることである。
ウィルスでも一瞬にして消えた
でもプログでも会社側から通告もなく消されのが怖い
たださくらのプログは保守管理がしっかりしているというので安心した

インターネットは便利なのだけど怖い面がある
今はどうしてもプログ中心になる
時間の余裕がなく自分のプログでもホームページでも整理するのが大変な手間になる
余裕がなくてコメントにも答えられない
ただ忙しくてもプログは暇みてできた

インターネットはまた簡単にパクられる、これも相当な問題であるが調べようがない
だからよくオリンピックのロゴが調べられたと思う
世界になるともうわからなくなるからだ
インターネットは一手でも時間的に手間になるし時間がとられる
写真とか他でも整理のために試しにlivedoorで簡単にプログ作れたのではじめた
ただlivedoorが自分のプログにかかわるのは嫌である

でもなんでも自由に出すことができるということは危険でもある
何らかの制限が必要になる
でも一方的に通告もなしでプログ自体消されるということは怖い
自分はプログとかでしか表現できない
一方的に通告もなしで消す権限がプログにあるということはどういうことなのか?
そうなると言論の自由とかもないだろう。
もちろん制限は必要にしても何か批判したら圧力がかかったら消されるとなると
おちおち書いていらないともなる
何かそうしたものにルールがないのも困る

レンタルサーバーでもプロバイダーでも個人に対してどれだけの権限があるのか?
そういうことが明確にされていないのである。
事件になるとプロバイダーがら発言者が特定できる
livedoor では住所とか個人情報を書かなくてもプログが作れた
でもそうなると事件のような場合、その人を特定できるのかとなる
ただプログの発言でもチェックしているみたいだ
また著作権でも保証できるのかとなるとそれもない
何か勝手に利用されてしまうとういこともある
そういうことがいろいろとあいまいなのである。

ただ安全のためにプログは会社が違うところに消えたりするから二つとか作っていないとまずいともなる
インターネットの言論はまだ確立していない
でもこれは明らかに民主主義の発展にはつながる
自分の場合、インターネットでしか表現できないからである。
簡単に一般の人も表現はできない
マスコミ主導から脱するためにはインターネットは不可欠なのである。


タグ:livedoor

青森へ新幹線で行った不思議(詩) (津軽鉄道の終点、中里駅の旅情)



青森へ新幹線で行った不思議(詩)


(津軽鉄道の終点、中里駅の旅情)

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新幹線ではじめて新青森についた
途中二戸とか八戸と三戸とか五戸
その辺境の地名のみが心に残る
そこははじめて下りた駅
そこから普通車に乗り換えて
山間をぬって弘前に行く
今年の5月は暑いが雪が残っていた
その山間をぬけると開けた地が浪岡
弘前の五層の城は古武士のような風格
北の果てなる地に古の威厳を保つ
いくつかの古風な門をくぐりぬける
桜は今一斉に咲き誇る
優美な岩木山はその城より望み映える
弘前は喫茶店の街だという
ここではじめてコーヒが薬として飲まれた
その謂われもまた歴史を語る
弘前から津軽鉄道に乗る
高い煉瓦作りの塀を巡らした斜陽館
それはまるで城であった
地主として富を独占した
いつ小作に襲われるかもしれないと
高い塀を巡らした
そこに冬は津軽平野の西風が吹きつけた
終点の中里駅におりると
一軒のタクシーが待っていた
その運転手が一三湖に案内した
その道すがら地吹雪をふせぐ柵を説明した
ここの地吹雪はすさまじい
ここはその地吹雪を経験しないと
ここで暮らすものの厳しさを実感できない
一三湖はにごり波立ち西風が吹きつける
春なれどなお西風が吹きつける
一三湖は思い出した
砂に埋もれて栄し港は消えたと
運転手は津波で港は消失したと
それが生々しく思えたのは
今回の津波でいくつもの私の故郷の村が消えた
そのことを語ったのもまた時の巡り
十三湖の砂に埋もれた宋の銭
ここに船は巡り栄えたのは幻や
今はただ荒寥と西風が濁る湖にふきつける
私の住む所は太平洋からは春になれば
東風(こち)が吹くと言った
ここは春になっても西風が吹きつける
一十三湊は私の心に残る
そしてなぜか中里駅のそのタクシー運転手
その人が心に残る
その息子は仙台にいるというのもわかる
そこに働く場もないのだろう
青森県は常にそういう場だった
不思議なのは新幹線で二時間もかからず
青森についてしまったことだ
それほど近いのかという驚きである
最果ての地にそれほど近いのか?
すると中里駅でも近いとなる
新幹線は何か距離を短縮する不思議をもたらした
遠くが近くなり青森の津軽平野の最果ての地につく
だから中里駅も隣のようにさえ思えた
私は旅をしているうちに人生の終点を感じた
そこが旅の終わりのようにさえ感じた
人間は何をしても終わりが来る
人生は短く旅も尽きる日が来る
みちのくの最果ての地で終わりくるというのも
それも旅をしてきた私にふさわしい
その人がその場所が印象に残る
今なお忘れられた知られざる村がある
黒石市から雪に埋もれた小国
バスでトンネルをくぐると小国があった
あそこもまた奥深い場所である
あそこにも村があり人が住んでいる
冬はしんしんと雪に埋もれて青森は遠い
しかし新幹線でまた近いという不思議
旅も終わり人生も終わる
中里駅の一台のタクシー運転手
なかなかここまでは訪ねて来ないんですよ
新幹線でよる人増えたんじゃないですか
そうでもないです
終点はどこでも印象に残る

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新幹線で新青森から弘前市から津軽平野の津軽鉄道に乗ったのは不思議だった。
その不思議さは二時間ほどで新青森につき弘前とか中里となると辺境の辺境、最果ての地であった。みちのくでもそこは最果ての地である。
だから遠いと思っていたが新幹線で近いなとつくづく感じてしまった。
実際は自分は一カ月くらいふらり旅にでて帰らなかった。
今や二三日旅するのに難儀なのである。だから介護や自分の病気やらで七年間旅していない、旅ができないということが信じられないことだった。
それも近くですら出かけられないというのもショックだった
今回青森に行けたのは新幹線があったからである。でなければ日にちがかかるからできない、新幹線が時間と距離う縮小したから青森まで行けたのである。
青森は何か最果ての地で印象に残る地だった
それも自分の人生の旅の終わりにふさわしい場所に思えた。

津軽鉄道の終点の中里駅は何かこれも不思議だった。
一台のタクシーが待っていた、そのタクシー運転手も印象に残った。
あそこに一台のタクシーがあったことが印象に残った。
自分はこれまでタクシーをほとんど利用していない
高いから利用していない、でもあそこにタクシーを乗ったのは利用価値があった
タクシーで土地の人と交わるということにも価値があった
普通なかなか土地の人とは交わりにくい、タクシーは一応商売だから案内もしたりする
それは全部でないにしろ何か印象的だった
タクシーは外部から人の窓口になっていたのである。
青森の黒石もその名から黒をイメージするのも不思議である。もの寂びた街をイメージするが本当にそういう街だった。こみせ通りとか雁木の通りがあったりするからだ。
そこからバスにのって温川(ぬるかわ)温泉に行ったことがある。
その途中にトンネルをくぐると小国という村があった。
小国というのは日本のいたるところにある。まさに遠く離れた辺鄙な所で自給自足して暮らしていた所で小国となった。これも極めて日本的な地名なのである。
津軽鉄道はまた旅情があった、これは次ぎに書いてみよう。

ただ津軽鉄道でも斜陽館のあるところまつでは行くが終点の中里駅まで行く人は少ないみたいだ
でも中里駅からタクシーで十三湖に行くと津軽平野の荒寥とした景色が身にしみるのである。
だからあそこのタクシー運転手は何か津軽の旅には欠かせないものだと思った。
車の旅だというこういうことがないが電車の旅ではやはり旅情がある。
自分は最初の二〇年間は電車の旅であり次ぎに四〇才過ぎて自転車の旅であり50になったら海外旅行だった、そうしているうち人生の終わりに近づいたのである。
人間はなにをするにしろいづれは終わる
そして必ず過去をふりかえるのだ
旅というの蓄積である。旅でも忘れやすいから記憶として蓄積しないと忘れる
もう思い出せない所がかなりあるだろう。
だから思い出せる旅を心に残る旅をいかにするかが旅の秘訣にもなる
たいがい思い出せなくなるのはその五感に感じたものを記憶に残さないためである。
旅でであった女性がいたとしてその人に気をとられていると自然に対する印象は消えて
その女性の印象だけがのこり妄想にとらわれて記憶が消失するのである。
人間のエネルギーは女性に費やされるのが多すぎる、そこで貴重な時間が奪われていたのである。
それだけではない、人間というのはいろいろなものに雑なものに時間を奪われすぎているのである。
自然に集中できない、様々な雑なものが雑音が入り自然を記憶に残せないのである。

寂けさや岩にしみいる蝉の声 芭蕉

これは雑音ではない、一心に蝉の声に耳を傾ける静寂が沈黙が江戸時代にあったから残った句である。
その時観光客もまれだろうし車の騒音もないからこそこの句ができたのである。
今だとそうした句を作ることはむずかしいのである。
とにかく旅というのは一回限りのこともある
その場にはもう一回しかいることがない、海外だとそうなりやすかった
人間は旅でも一期一会になるがそれより自然との出会いも一期一会なのである。
自分は人間の出会いより自然との出会いに重点を置いた。
人との出会いとなると今はその場かぎりで合う浅薄なものになっているからだ
だから旅では人と出会ってもそこに時間がとられると自然と一体となる時間が奪われるのである。

結局人間は才能ではない、五感というのもこのように絶えず磨いていかなとその機能も低下してゆくのである。それは何でもそうである。
人間は常に何かを蓄積しているのである。自分が蓄積したのは旅だった
その旅も何か人間の欲望を刺激するようなものだとそっちのことばかり記憶に残り肝心のものが何も記憶に残っていないということがある。
だから青春の奔放な欲望を解放したような生活はあとで怖いことになる。
心に美しいものが残っていないという恐怖である。
欲望の残滓だけしかないという人も結構いるのである。
それを自分でも青春の時も考えられないのである。
青春時代の汚点が老年になりかえって鮮やかによみがえり苦しめることになる。
そして青春は過ぎるのが早いのである。
心の中に珠玉のように美しいものを残すような時間をもたねばならない
それがのちのちの宝となるからだ。金だけか宝ではない、老人になると記憶が宝となっているのだ。
そしてもういくら金を積んでもその記憶を作れないしその時間をとりもどせないのであるこれは本当に厳粛なことである。

時間などいくらでもある、暇で暇でしょうがない、暇をつぶすのが一苦労だ
自分もそう思っていたのである。暇をもてあましていたのである。
それが暇はない、絶えず家事であれ介護であれ追われる生活なのである。
ああ、暇だなと思っているとその暇も消失している。
50で海外旅行しなかったらもう海外旅行に行けなかった、そうしたら今どき外国に行かないなど笑い物になっていたのである。
実際に自分の識見は海外旅行しなかったときはそうだった。
だから人間というのは経験すべきことは経験しておくべきである。
山登りも今は体力がなくなり時間がないからできない
でも何度も登っている山があるからそこから思い出して山の詩を書いている
これも実際に山を登らない限り詩も書けないのである。
山は登ってみて実感するものがあるからだ

次回津軽鉄道の旅に御期待!



タグ:津軽鉄道

2015年08月24日

何か与えることがないものは生きていけない (貨幣とは何なのか?)

何か与えることがないものは生きていけない



(貨幣とは何なのか?)




あなたの一番有益なことをしなさい

金は与えます

金のために働く必要はありまん

あなたは何をしますか

あなたは何に一体時間を費やしたいんですか?

とにかくあなたが時間が費やしたものが人生です

漫画を一日読んでいたい、音楽を一日聞いていたい

そうしたいならそうして下さい

それがあなたの人生です

ところがです、漫画を一日読んでいたというが

それは誰かが創作して苦労して作ったものなんです

音楽を一日聞いていたいというけど

それも誰かが創作したものなんです

うまい料理を食べたい

うまい新鮮な野菜を食べたい

うまい肉を食べたい

うまい魚を食べたい

、、、、、、、、、

それも誰かが苦労して作ったものなんです

私は快適な家でのんびりしたい

それもその家も誰かが苦労して作ったものなんです

自由に旅行したい

それも乗り物でも食べることも泊まることもしなければならない

それも誰かが提供して旅ができているんです

本を読みたい

本ならインターネットでいくらでも買える時代

でも誰かが運びその本の内容も書くの苦労しているんです

そして車で苦労して運ばれてきているのです


人間が無料で提供されているのは空気くらいでしょう

今や水さえ水道管を通って人の力で供給されているんです

そのために払っているのが代価が金になっているんです

金など株とかで入ることあるんじゃないか

親の資産でのうのうと暮らしている人もいる

そんな人は何の苦労もしていないじゃないか

それそうですが、親の資産でも親が苦労して残しているんです

金は簡単に生まれないんです

株だったいつももうからない、必ず下がりますから

また金は万能ではない

物価が高くなり金は紙切れにもなる


この世の中、人は何かを人に供給する、与えないと生きていけないです

あなたは何を与えられるのかです

あなたが何もしなくてぼーっとしていたい

でもあなたは三食食べねばならないし住む家も必要でしょう

それも必ず誰かが苦労して提供したものなんです

問題はあなたは何を与えられるかなんです

何も与えることがない人は何も与えられません

世の中とはそういうものではないですか

働くのは金を得るためではありません

誰かに何かを与えるためなのです

肉体労働でもそうです

暑い盛りに外で働いている人はそうでしょう

頭を使って働いて与える人もいるでしょう


私はパチンコ屋で働いています

それも誰かに与えるためですか

娯楽として与えるためですか?

それはあなたが金を得るためだけです

そんなものが与えることになるでしょうか

その人は借金を返すためにパチンコ屋で働いている

誰かに与えるためとかはなく何のためもないのです

それこそ金をえるだけのものとなっている

普通の仕事はなにかしら自覚しなくても他人のためになっています

金のために人は働いているのではないのです

金は一つの働くということが代価となるものなんです

金はすべてではない、金はメデアであり仲介するものなのです


ではなぜ収入にこんなに差があるのですか

おそらく多く与える人は多く金を得るのが理想だけど

金はとうしても不公平が生じる

金というのは無数の職業があるとき

いちいちその価値を物で与えたりしためんどうだから貨幣を作ったんです

それは人間の知恵です

その金に支配されるということがあってはならないのです

人間と人間のやりとり金が介在しただけなんです

理想は多く与えるのもは多く受け取る

少ししか与えないものは多くは与えられないというのが理想なのです

人間は何が与えられるかが一番大事なんです


働くのは金のためではないんです

そこが社会を歪ませる大きな原因なのです

国と国の関係もそうです

何も与えない国は何も得られない

何もない砂漠でも石油が与えられるから豊かになる国がある

日本は技術力を与えて製品を加工して売って石油を買っている

何もない国は安い労働力を売る他ないのです

金だけがあればいいようにみんな思っているけど

金自体には何も価値がないのです


貨幣で何かを交換できる、買うことができるから価値があるのです

黄金の金は黄金自体に価値はあります

それとて何かと交換できるから価値があるんです

アフリカでは黄金と塩が等価だったというのもそうです

なぜなら塩の方が日常の生活では不可欠だからです

黄金をいくらためても食べることはできないからです

食べるものを買うことができるとき黄金に価値が生まれるのです

金自体は紙にすぎないのです

それが交換能力を失ったとき金の価値はなくなる

ただの紙になってしまうのです

円安になれば外国のものはますます高くなり

日本の円の価値はなくなるのです

交換能力がなくなるからです


金は媒介するものです、メデアです

情報でもメデアなのだからメデアをもったものが力をもってはならないのです

マスコミはメデアをもったから権力をもち大衆を操作するのです

貨幣でも媒介するものが力をもちすぎるのです

世界的に交換するものが増えると貨幣の力も強くなる

なぜなら交換したい、買いたいものがグローバルに広がるからです

欲望もグローバルに広がるのです

そして金が世界を支配してしまう

アメリカのドルが世界を支配してしまう

世界の機軸通貨がドルだということは世界を支配するのがアメリカになる

ドルをもっていけば世界中でアフリカの奥地でも通用するからです

ドルだったら世界のどこでも何かを買うことができるのです

それがアメリカが世界を支配する力を与えたのです

世界の人は国はアメリカにドルを通じてひれふすのです

金融でもって世界を支配するのです

しかしアメリカの背後に世界一の軍事力があり

ドルだけでは支配できません

ドルもまた紙でありドルを価値づけるものがないと価値はありません


実際に価値があるのは石油であり技術力であり軍事力です

貨幣はただ媒介するものであり貨幣自体には価値がありません

ローマの貨幣が価値があったのはローマ帝国があったからです

アメリカのドルが価値があったと同じです

ローマが価値があったのは軍事力であり貨幣ではないと同じです

何か資源でも技術力でも何でも与えるものがなければ価値がない

貨幣自体に価値があということはないのです

貨幣に価値あらしめているのが本当の価値です

だから江戸時代は貨幣より米高で給料が支払われていた

米が貨幣の代わりをしていたのです


サラリーとはローマの兵に支払われたけどそれは塩のことだったのです

塩が金の代わりに支払われていたのです

だから貨幣に紙幣に価値があるというのはそうあらしめているものがある時です

日本に技術力がなくなり与えるものがなくなれば円は暴落する

何も買うことができない紙切れになってしまうのです

そういう恐怖が昨今の経済の中で起きてきているのです

日本に膨大な借金があるというときそれは何なのでしょう

日本銀行が紙切れをの紙幣を作り市場に出しても景気が良くなりますか

黄金でもあればそれなりに景気が良くなるでしょう

ただ紙切れをいくら刷っても景気が良くなりますか

そんならこれほど楽なことはないでしょう

働くこともないです、紙切れをするだけですから




今の世の中絶えず金のことを考えないと生きていけない

金のことが頭から四六時中離れられない

世界が金のことで頭がいっぱいになっている

株や金融が世界をかけめくっている時代はなかった

でもよくよく考えてみると貨幣とは何かとなる

貨幣は単なる紙切れでしかないのである

そんなものに価値があるはずがない

これはみんなわかっている

世界の経済の動きは金融ではない

その背後にあり紙幣を価値づけているものである。

日本の円が価値がなくなのは国の価値が減退したからである。

それはいろいろある、だから日本銀行が紙幣をすっても景気は良くならない

紙切れをいくらすっても景気はよくならない

そんなことで景気が良くなるなら楽である

だから何かバブルになったりするのは資本主義社会の宿命なのである。

膨大な金あまりになり何かそれで買えるのかとなり

チューリップバブルが起きたように絵画バブルが起きたように

なんでもいい紙切れをもっているより現物に価値があるということなのである




俺はありあまる金を今もっている

でもここにはなにもない荒野なんだ

ここでは水一杯も飲めない

金をもっていても何の役にもたたないんだ

自動販売機もないしな

金がここでは捨てるだけだよ

何とも交換できない、買うこともできないから

そのとき一人の人が馬にのってきた

「助けてください 水一杯ください、金はこれだけあります」

「いいだろう、全部もらおう」

「ああ、やっと水をもらっんて助かった」

金も荒野や砂漠なら買うものがないから何の価値もないんだよ




タグ:金とは
posted by 天華 at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題