2015年08月01日

抽象画(古い街ーold towns)


抽象画(古い街ーold towns)

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これは題は夏草だった



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これは城の写真を変化させた



前に抽象画などにしたものをまたフォトショプで変化させた。
フォトショプは自分に向いて抽象画作るのにいいソフトである。
絵を描けないものにとっては変化するパターンが豊富なのがいいのである。

ともかく抽象画は他人の抽象画が変化させて新しくできるし、写真からもできる。
自分の前に作ったものもさらに変化させて別なものになる
となると抽象画の数は自作ですら無限となることに気づいた。

暇なときに抽象画作りをしている。
ただ結構手間なのとソフトを使いこなすことなれることがめんどうである。
ある手順で抽象画できることが多いが新しいものになるとむずかしくなる
抽象画は過去の抽象画が活きてくる
それは常に変化させることができるからである。
そして抽象画一つのテーマでまとまったものとして見ると見応えがある
だから新作をアップするとき一つのテーマで3つ4つとかアップするのである。
それらは連作として一つのものとして鑑賞するのである。
それは俳句短歌でもしていた、これも短いから10区10首として一連のものを
一つのものとして鑑賞するのである。
すると短いものでも読みごたえがあるとなる
タグ:古い街

草原と田圃と畑の不思議なの風景 (原発事故後の夏の風景)


草原と田圃と畑の不思議なの風景

(原発事故後の夏の風景)

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小島田の六号線ーここまで津波が来ていた

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20羽ほと夜明けに並ぶ夏燕
かなたにそ奇峰現る炎暑かな
六号線しきり車屋や蝉の声
森の道木陰の長く合歓の花
黒揚羽影長き道飛び去りぬ
群れとびぬ夏野の広くカワラヒワ
涼しきや草原に柵馬を飼ふ
鳥一羽草原に涼し夕べかな
ラベンダー月影に匂ふ田舎かな
満月や月見草咲き草深し


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今日も暑かった、部屋には熱がこもっていられなかった。クーラーがないとここでもこの暑さではいられない、プログを出すにしても頭がぼーとしてできなくなる
それでやっぱり田舎だと都会とは違う。涼しさがある

まずこの辺は津波から原発事故以後こんなに風景が変わることは想像もできないことだった。
最初は全部草原化したが4年すぎて田んぼと畑と草原の風景である。
こういう風景も不思議である。
草原というのもこれもなかなか体験できない風景である。
まず日本では草原はすぐに木が生えてくるから森になるのである。
だから草原というのは実際は人工的風景だったのである。
でも鎌倉時代辺りからどこにも広大な牧があり馬が飼われていた
この辺では野馬追いのために馬が飼っている家がある
外が草原だから馬と草原はあう、馬はモンゴルとか草原地帯にふさわしいのである。

なぜなら草原だったらどこまでも疾走できるからである。
だからその馬は始皇帝時代に中国では西域の草原地帯の遊牧民から入ってきた。
兵馬俑はの騎馬軍団が有名だけど野馬追いもまた相馬氏が騎馬軍団を引き連れて
力をももち支配したのである。
草原だと鳥なんかも気持ちよく飛ぶしまた雲雀は草原にあっていたのである。
田んぼにはあっていないものだったのである。

田舎だとまだ涼を求めれば近くに森があったりして自然で涼をとれる
川子の森の道は純自然ではない、埋め立てたてたところが半分あるからだ
でも木を植えて隠しているのである。それでも森になっている
都会では森とかないし草原などもない、だから家が密集して余計に暑苦しくなるのであるだから都会がいいという人の気持がわからない、ただ人間関係では都会がいい、
田舎はあまりにも姑息であり人間関係で苦しめられるのである。

この辺でも33度となると炎暑である。でもまだ自転車で外に出かけられるのは涼しい場所が家を出れば開けているからである。
自分は一日三回は外を自転車で走っている、家に一日はいられないのである。
この七年間は介護でしばられて遠くには行けないけど自然は回りにある
夜も自転車で暑いから走っていた。
今月の月はブルームーンとか月に二回満月になった
満月が月見草を照らしていたのもにあっている。
今はデジタルカメラが散歩ですら携帯する必要がある。
どこにシャッターチャンスがあるかわからないからだ
特に鳥を動くものをとらえることはむずかしい
草原に一羽は近くにとまっていたがあいにくカメラをもっていなかったのが失敗だった
鳥はなかなかあとはとれないから困るのである。
シャッターチャンスを逃すとあとはとれないことがある

デジタルカメラはとにかく役にたつ、自分は旅したけどデジタルカメラをまだ活かせない時代だったから損だったとなる
最近は日本でも外国人が大勢入ってきてホテルすらとまれないとなった
こうなると西の方は旅行しにくくなった、こうして混んでいる所には行きたくなくなる
京都でも修学旅行とかでうるさいものがあったが今や外国人で騒音も激しくなったから
何か西の方は特に有名な場所は京都とかはゆっくり行けない場所になった
自分の場合はたいがい旅したから良かったとなる。



 
タグ:草原

2015年08月02日

大地震の前に異常な暑さがあった 3・11の東北地震でもその前の年の夏が異常に暑かった



大地震の前に異常な暑さがあった

3・11の東北地震でもその前の年の夏が異常に暑かった


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木のあるところは御刀神社でありその脇の家は残った

あとの三軒くらいの家は津波で流されて今はない



2012年の夏

この時は右田の松原の方面から山の方をみると夏の雲が大きくわきあがっていた

それが今までみたことがないように夏の雲がいろいろな形に変化していたのである。

その変化がダイナミックであり異常な暑さだった

その次の年に津波がきて右田の松原は消失した

あの時はなにか異様なもの異常なものを感じていた

今だからではなくそのときこの暑さはなんだろ、こんなことを経験していないし

あんなに夏の雲が大きく出て変化していることに驚いた

地震雲とも違うがやはり雲であれ気候も地震と影響していいる説もある

今思うにあの暑さが異常のはじまりだった

そして自分もその後も病気になり突然入院したりと 激動だったのである。


「そういえばなぁ、大震災が起きる前の年の夏ってメチャクチャ暑いときやねん。今年の東北の地震だって、去年の夏はメチャクチャ暑かったやろ?前の阪神大震災の時だって一緒やねん。あの前の年の夏かてメチャクチャ暑かったんやわ。」
 そういえば、そうですねぇ。確かにここ二十年くらいの記憶を辿ってみてもメチャクチャ暑かった年の翌年にしか大きな地震は発生していません
夏が暑ければ当然地面もものすごく熱せられるわけですからいろんな部分が膨張するでしょうね。それも例年よりも多く膨張するわけです。それが地下のプレートの状態にも何らかの影響を与えてしまい、夏膨張して位置がずれたプレートが冬になって収縮する際に大きな歪みをもたらすんじゃないかと思ったわけです。


実際、関東大震災前には観測史上最高の41度を記録し、昨夏は異常な猛暑が続き、東北での大地震、と異常な暑さと地震は関係あるようです。
関東大震災の起きた1923年の夏、日本列島は記録的な猛暑だった。
8月6日に徳島県鳴門市で42・5度が観測されたという参考記録≠ェ残っている



関東大震災の前も暑くなっていたし神戸地震が起きる前も暑かった
自分も2010年の夏の暑さは異常だったと思っていた。
なぜならそれまでそんな暑さを経験していないからである。
31度とか32度くらいであった、その時は35度くらいになっていた
35度というのは日本でもまれでありこんなに何年もつづいて起きることはなかった
だからそのことがずっと気になっていた
それでインターネットで調べていたら同じことを考える人が必ずいるものだと思った。
自分がそう思ってもなかなか全国の人がどう思うかは知り得ようがないが
インターネットだとそうした同じことを考える人がいるというのを見いだすことがあるのでやっぱりそういう人もいたかと安心するのである。
つまり自分だけがそう思っていることが意外とみんな同じことを思っていたのだなと安心する
科学的に暑いということは地球にどう影響するのかわからない、海水にもどう影響するのかもわからない、特に自分は科学に弱いから余計わからない
これだけ暑いと例えば東北地方の寒いところでも海水温度は上昇する、それが海底の地盤にも影響するということもある
海底までそんな暑さが及ぶのかとなるとこれもわからないことは確かである。
陸だったら関東大震災であれ神戸であれありうる
海となると深いからどうなのかともなる

ただ科学的なことで証明できないので何かあの暑さは異常であり不気味でもあった
その時、夏の雲が異様なほど沸き上がっていろいろな雲の形を作っていた
あんなにまた夏の雲が形を作った時はなかった
今年は暑いけど夏の雲は今はあまりここでは沸いていないのも不思議である。
その暑いとき自分が急に腎不全になり入院した。
一カ月秋になって入院したのである。
その前からも認知症の介護があり自分の家はばらばらになり混乱していた。
そして家の中には耳も聞こえない94歳くらいの母がいるだけだった。
そして自分は病院に入り連絡もとれず大被害になった
それから半年の家に来た人を呪いつづけたのである。
そしたらその次の春に3・11に大地震と津波に襲われたのである。
だから自分の呪い、恨みの念が作用して津波が来たのかとさえ思った。
ともかくそういう激動が自分の一身上にずっとつづいていたのである。

なぜあんな津波が襲ったのか、それが科学的な説明を受けてもまたわからないからいろいろと憶測する、もちろんそれも憶測にすぎないにしろ異常に暑いということもなんか関係している
ともかくこの7年間は一身上のことで家族のことで非情な目にあってきたのである。
今の社会は自分が非情にされたということだけではない、人間は非情になっている
金だけを追い求めていて格差社会となり弱肉強食の非情な社会になっている
何かそうして人間社会も乱れると自然も乱れるとうことも因果関係があるともみる
こんな悲惨な津波のような被害は人知を越えたものだからである。

ノワの洪水は神の怒りから起きたように神も人間社会があまりにも乱れ非情化しているのをみれば人間そのものを滅ぼそうとさえする
非情になるというとき自分に非情になった人は金で困っていて新幹線で自殺してとばっちりで死んだ女性とにている
もう金に追い詰められていれば相手のことなど考える余裕もないのである。
借金している人はもう犯罪予備軍であり本当に怖いと思った
こいつが死ねば金が入ると病気で苦しんでいる時責められたのである。
相手が病気のことなど眼中になくなる、むしろ保険金殺人のようにもなる
この際、こいつは弱っているから一層死んだ方がいいとかなるし実際そのように自分に迫ってきたから怖い、ただ相手は自分を助けたと思っているから自分の状態がどういうことかもわからない
ただ金に追われている、金しか頭になかったのである。

結局この世は不可解なことが今でも科学がこれだけ発達してもあるからいろいろ憶測するのである。
地震がいつ起こるかは予測できないからいろいろ勝手に憶測するとなる
ただ歴史をふりかえると人間社会が乱れるとき大地震とか津波とか大災害が来ているかもしれない、貞観津波は蝦夷支配のための日本が戦乱の時代だった。
慶長津波も戦国時代に起きた、明治以降は関東大震災とか世界的戦争の時代であり日本も多大の犠牲があった。
そして戦後は神戸地震であり東北の震災であり津波だった。
その間にも江戸時代でも元禄津波とかきている。
でも貞観津波とか慶長津波とかこれだけの規模の津波は来ていないだろう。
これだけの津波は自然災害は400年とか500年くいの間隔でしか起きないのである。
その時は世も乱れていたのである。
つまり世の中の変わり目に大きな自然災害が起きやすいのである。

インターネットの便利なのは関連づけることが得意である。キーワードで調べるから当然そうなるのである。
地震と暑さとか調べたらなるほど他の人も同じことを思っていたのだとなる
他にも関連づけで全国の人が一つのテーマで考えているのかわかる。
ただその作業はめんどうだから暇がないとできない、インターネットでは自分で調べて分析して考察することが必要である。
インターネットでは共通な類似なものを探す反面その人のindividualなものをみるのである。個々人をとりあげればその育った背景とか地域とか家系でもそうでありみんな違うものをもっている。その相違があるからこそ多様性が文化が生まれる



隙間も無いほどアスファルトにしないで土も残して緑化部分も作ったらいいのに
街路樹増やすとかして涼しい日陰も欲しいわ
子供の頃は夏の午後は夕立があって
虹が出ていい感じだったけど最近全然雷も夕立にもないな

熱中症防ぐには
暑くなる前から運動して
汗をかいておくってことだよ
それをしないから突然の変化に
体温調整できなくなってダウンする

2階が絶望的に亜熱帯
階段の真ん中辺りが赤道になってる
10年前はこんなこと無かったのに



これも暑いということで検索したら自分と同じ経験をしている思っている人がいる。
農道までアスファルトにする必要があったのか、何か便利さを追求して自然を破壊しすぎたように思う。
小川がなくなって人口の堀にほとんどなったときもそこに自然が消失した。
そこには何か涼しさを感じないのである。
田舎ですら便利さを追求して自然が喪失すると暑さが苛烈になり耐えられないとなる
人間が暑さであれ寒さに対して耐性がなくなったことは確かなのである。
クーラーは冷房病になるというのもそうである。し膨大な熱を放つから余計に都会では暑くなるのである。

ただこの暑さは一体何なのか?これもまた地球温暖化とは関係ないという科学者もいるし不明である。
一万年とかの人間の歴史をふりかえれば確実に気候変動が地球規模で変化して人類の大量移動があったり文明を変えたりと影響があった。
マヤ文明とかある文明が滅びたり衰退したのは大きな気候変動があったからだいう説もある。
恐竜が滅びたのも地球的気候変動の結果という説もでている。
この暑さがこんなにもう十年とかつづけば社会自体が変わってしまう。
北海道が35度にもなるということがあったのか?何か日本自体が熱帯化している。
その気候の大変動の時期に今回の東北の大地震と津波があったというのも関連づけて考えるのも自然だとなる
タグ:異常気象
posted by 天華 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

2015年08月03日

abstract(cool) (フォトショプのパターンは無限である)




abstract(cool)

(フォトショプのパターンは無限である)




暑中お見舞い申し上げます


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two suns

フォトショプにパターンという変化がある
これだといくらでも変化させるからパターンは無限になる
そしてパターン化したものには著作権違反にならない
その元の画をイメージするものすらなくなるからだ
いづれにしろ抽象画は無限の変化であり尽きることがないとなる
これも遺伝子の操作とかにもにているかもしれない

紋様の芸術はすでに日本では古くから発達していた
だからなじみがあるといえばあるのかもしれない
パソコンはパターン化するのが得意なのである。
でも鑑賞するとき何かその絵からイメージするといい
今は暑いから涼しさのイメージとする
それだけではないしこの紋様は京都をイメージするともなる
タグ:涼しさ

創価学会が安保法案に反対!デモで公明党決別宣言!自公連立を解消か?米国のカルト指定と板挟み



創価学会が安保法案に反対!デモで公明党決別宣言!

自公連立を解消か?米国のカルト指定と板挟み

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against fascism

これもブラックユーモアだな、なんか年配の人が多いみたい



創価で学生時代活動していたから内部を熟知している。創価が宗教団体だとすると信教の自由は認められているからそんなに批判されないかもしれない、法律的に違法だとも言えないかもしれない、創価は公明党と一体なのである。分離できない一体化したものであるだから創価の活動は公明党の活動とも一致している。
そもそも創価の活動とは選挙活動が主であり創価の会員とすることは一票を獲得すると同じである。
だから日々の活動は選挙活動と一致する。
そして政党であれば別に政権をとること権力を掌握するとかを目的にしても民主主義社会では許されるのである。
池田大作会長が選挙の時は拠点の支部に号令をかける。選挙が信仰であり一票とることは信仰の戦いなのである。だから拠点に集まり選挙に勝つことを会員は祈る

まず題目をあげてそれぞれがフレンド票をとりにゆく、一票を獲得することが信心でありしきりに言うのは福運をつけることだとかなる。
すべてがご利益に結びつけるのが創価である。
だから幹部の会合では創価の活動の目的は権力奪取だと公然と言っている。
それに反対するものなどいない、幹部もそれを望んでいるからである。
一時は武力闘争も辞さないとまでなっていたが平和革命で選挙で政権をとることに変えた
オウムの危険なのには驚いたがあれもカルトが極端になるとそうなる。
つまりオウム王国を目指して選挙に幹部が出たからである。
カルト宗教の特徴は政治と一体化してこの世の権力を得て社会を支配することが目的である。
創価では底辺層が多かったがその人たちも大臣になれるとか社長になるとか金持ちになれるからとか言って底辺層の人たちを動かす、世俗より世俗化している
だからこそあれだけの数になったのである。
むずかしいことを説いていたら集まらないのである。
大衆を洗脳するのには簡単なのがいいし単純なことでいい、それがドイツのナチスで起きたことは共通している、ハイルヒットラーでありハイル池田になる。

そもそも前にも書いたけどカルトの会長は大きな劣等感をもっている。
池田大作も金貸しが出発点でありそれで嫌な思いをしたというときなんとか今度は宗教で成り上がろうとした。
その証拠に世界の大学から金で学位とか勲章を買っているのもそうである。
あくことなく自分を権力で金で世界の大学から学位を買っているのである。
それは結局なぜなのか?そこには劣等感がありそれがぬぐいきれないから権力でもって自分がいかに世界で認められているかと会員に誇示する。
オウムの麻原も盲人だったとか相当な劣等感をもっていてそれが宗教と結びついてゆがんだものとなり恐るべき害悪をもたらした。

なぜ人間はゆがんでしまうのかというとき劣等感がそうさせるということは背景にある。劣等感というのは誰でももっている、天皇すらもっている。人間の能力は極限られたものであり知識の世界でも極限られた世界のことしかわからない。
膨大な知らないことが多すぎから人間個人では無力感におちいるのである。
医者も今は一番尊敬されるている。でもやはり劣等感をもっている。
つまり医者がなんでも知っているとか病気を直せるとかないからである。
医者であれなんであれ万能でないから無力感をもつのである。
劣等感に悩まされない人間がいるのかとなる
体力がない人ら体力ある人がうらやましいとか頭がいい人がみればうらやましいとか
文系だと理系の人がうらやましいとかなぜむずかしい科学がわかるのだとか常になる。

自分もまず劣等生であり体力もないし様々なことで劣っているから劣等感をもっていた。多少能力が文学的にあったとしても俳句とか短歌でも30すぎても言葉を並べていただけなのである。
ただ人間の能力はあまりにも多様なのである。
その能力が発見されていないというのも人間なのである。
たまたま自分には時間が与えられたから能力を開発できたというだけである。
まず結婚して子供をもち会社つとめていたら芸術的能力を開発できるだろうか?
つくつぐ一つの楽器すら習得するのに相当な時間がそれだけでかかってしまうのである。今やその時間が全くなくなったことでもわかる。
だから一万時間一つのことに楽器でも費やすことが天才になる条件だというのもわかる。時間は無限でないし実際は極限られた時間しか個々人に与えられていないからである。

底辺層になるとそうした才能を開花させるとかはほとんど関係ない、日々生活することに事欠くことでありそれが満たされればいいとなる。
現代の生活に見合った生活できればいいということであり才能の開発とかは関係ない
この辺でも馬券売り場で掃除の仕事を与えたからいいとかそういうレベルなのである。
高等なこととは関係ない、そういうレベルの求めることに応じるとなると宗教だけではだめである。
具体的なご利益が必要になるのである。それが公明党であれ共産党であれかなえてやれば一票になる。
仏教の悟りとか教えとかは何の関係もない、要するにご利益と福運を得るとかになると
それを実現させるのは内面的なものではない、求めているのはこの世の権力であり地位である
なぜこんなふうにして底辺で生活せねばならぬのかということが一番の不満になっているそれを政治運動して具体的に社会的にご利益が得する立場になるためにはどうするのか?
それが選挙で勝って実際に大臣になるとかしたら実現するのである。
その他でも社長になるとか権力奪取したら中国のように幹部になり濡れてで粟の賄賂が入り巨万の富を築けるとなる。

一方でオウムの場合は理系の知識人とか医者とかも入っていたから創価とは違い庶民的ではなかった。創価では庶民的なところがありあんな恐るべきカルトにはならなかった。
底辺層は科学者でも学者でもない、要するに馬券売り場の掃除でもそこに仕事があり生活できればいいというレベルなのである。
オウムの場合は理系の知識人が学生が入り庶民的でないからかえってあんな事件を起こした。
創価の大半庶民的だからかえってそんな損することはしない
そういう点ではかえって社会常識をもっている団体だとなる
なぜなら損することはしない、ご利益と結びつけば日々の生活のたしになればいいという毎日の生活の糧に役たてばいいというだけである。
だからなんで人を殺すのとかそれは庶民的常識をもっているからそんなことはしない
何の得があるのかということが常に第一だからである。

ともかく池田大作の「人間革命」を教典のようにしているがこれも本当に池田大作が書いたのかどうかわからないという、ゴーストライターが書いたともいわれる
ただなんか武器商人を批判していた、それが戦争を作り出しているとか言っていた
何か一応外面的には平和を言うのである。
武器商人を批判すればアメリカが武器を売るために戦争しているとなりアメリカ批判になる。
そうするとアメリカにカルト指定されるという恐怖におびえることになる。
現実に集団的自衛権はアメリカと軍事的に一体化することだから創価は反対してもアメリカに脅されている
アメリカでは宗教が政治活動を法律的に禁じているからである。
また創価は中国よりであり中国と親交を保ってきた。その意図は中国に信者をふやしたいとかと言われた。世界広宣流布とかのために中国に進出するためだとも言われた。
政治が関係してくれば今度はアメリカから責められることになる
つくづく日本はアメリカに政治でも経済でも左右される
アメリカが風邪をひけば日本も風邪をひくとなる、それは世界的にアメリカのドルが世界の金なのだからそうなるのである。

いつづれにしろ創価は分裂して解体してゆく運命にある。池田大作が生きているのか死んでいるのかわからないけどすでに幽霊であり幽霊に頼っているいるようではもう終わりである。
選挙でも衰退しているし会員も高齢化して前のような勢いがない。
創価は数で驚異であるが実際活動しているのは数十万単位である。
宗教が恐るべき害悪になるのはやはり俗化してゆがめられるからである。
宗教が最も世俗的な政治と結びつけば最悪になる。
選挙でも敵対する立候補者に罰があたるとか宗教的なもので運動すれば異常になる
実際は拠点に集まり題目を唱えて選挙活動している、選挙活動が一番の信心の活動なのが創価なのである。
だから公明党に創価の会員が反対したということはありえないことである。
選挙で勝つことはこれまでも宗教的な最大のイベントであり戦いである。
選挙に勝つことが仏法の最大の勝利として鼓舞してきたのである。
公明党と創価は一体であり創価が公明党議員を批判したり反対したりすることはありえないことなのだ。
そのことは信心がないとなり宗教的に罰せられることにもなる
そもそも選挙が最大の目的として信心として活動していることがこうした矛盾を生んできたのである。


ともかくこの世はあらゆるものがブラックなのである。自分が批判しても最近なぜ自分がアメリカの株のようなものでもうけているのかというのも矛盾である。
資本主義を批判しても現実は自分もブラックだということに気づいたのである。
それは日本だけではない、例えばかつてのソビエト連邦でも共産党のブレジネフとかが幹部が神のように祭り上げられていたことである。
それは中国の毛沢東とかでもそうである。それも一種の偶像崇拝という面があった。
カルトも麻原でも池田大作でも偶像化されるのである。
キリスト教でも「悲しむものは幸いである」というとき上にたつものが巨万の金持ちが
奴隷のようにこきつかいその人たちが悲しんでいるとき、悲しむものは幸いであると説いていたらこれほどのブラックユーモア、偽りはない、でもそういうことがこの世では普通にある。
現実に黒人を奴隷としてアメリカにつれてきたのはキリスト教徒であったというのも事実である。
だから宗教というのを嫌悪する人が多いのもわかる。
宗教も結局この世の欲のために利用されてきたからそうなったのである。
宗教が悪いわけではない、欲深い人間が悪いのでありキリストが仏陀が悪いわけではないマルクスの理論だってそうである。公平な世界を目指すものがありこの社会の矛盾を解決しようとした理論だけど欲深い人間は結局自分の都合のいいように利用して上に立ち中国のように暴利をむさぼるだけだってとなる。

 
タグ:創価
posted by 天華 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年08月04日

インターネットはindividualなメデア (成熟には時間がかかるが真の民主主義の発展になる?)


インターネットはindividualなメデア


(成熟には時間がかかるが真の民主主義の発展になる?)


インターネットメデアはまだ成熟していない、それはあまりにもマスメデアと違っているためである。だから成熟するためには相当な時間がかかる。
おそらく民主主義の発展にとってインターネットのメデアは発展させる
マスメデアは一方的洗脳メデアでありテレビ局の意向によって操作されるメデアである。テレビに出させて自由に発言させてくれといってもできない
本来メデアとは媒介するものの意味だからその媒介するものが力をもってはならないものである。
だからそもそもインターネットはレンタルサーバーなどやプログにしてもその発言するものにノータッチなのも関わらないのも不思議なのである。
そういうことを今まで人間は経験したことがないからである。
何か発言するにしても一個人が自由には発言はできない、それは本だってそうである。
本の出版はハードルが相当に高い、ただ今や本自体は簡単に作れる。
ただ流通することがむずかしい、それは組織とか団体に所属していないとなかなかできない
一見テレビなどでも自由に個人が発言しているようでもたいがいは後ろに組織が団体があり発言している。そういう後ろ楯をもたないものは発言できない
マスメデアはそうした組織や団体の圧力がありるから真実は報道できない
インターネットだと発言することがあまりにも容易なのである。
手間はかかるが費用は全くかからない、でもマスメデアのように百万人とかに見られることはない、ということはマスメデアというのは放送で権力をもったということがわかる
それだけの人が見ていることはなんであれ影響が大きいということである。


それはテレビが一方的洗脳メデアなのと違っているから 今までのメデアと違うのであるテレビに出て意見を言える人は極限られている、それはあくまでもメデアでテレビ局で選びテレビ局の主張にそったものとして人選しているのである。
だから過激なことや大きな組織を批判できないようになっている
そしてインターネットの面白い点はその個人がどういう人でその人自身の意見を言っていることである。
特にプログ時代になるとその傾向が強くなったのである。
テレビ局でクローズアップするのではなく個人が意見を言うからそのその個人の背景などをみる。
テレビだったらその背景にはテレビ局しかないのである。
それでもインターネットで目立つことは相当な努力が必要だしむずかしい
重要なことを書いても目立たないし広まらないということがある
インターネットというメデアはまだ成熟していない
成熟すれば真の民主主義の発展につながるメデアである。
要するにテレビとか新聞とかマスメデアとインターネットのメデアの差が大きすぎる
つまり個人ではパーソナルメデアとマス(大衆)メデアでは差がありすぎるのである。
欧米では英語ではその考え方の基本に良く


individual

【形容詞】
1(φ比較)[限定][しばしば each ?] 個々の, 個別的な;単一[単独]の;個物[個体]の(⇔ general);(模様などの)それぞれ異なった;別々の(【略】 indiv., individ.).
2(φ比較)[通例限定] 個人の, 個人的な;1人用[だけ]の.
3[通例限定]〈好みなどが〉独特の, 特有の, 個性的な.
4(φ比較)〔心理〕個人の[に属する].
5(φ比較)〔哲学・論理〕個体の.
6((廃))分離できない, 不可分の.
【名詞】
1(集団・社会に対する)個人;(独立した)個体;構成員;〔生物〕個体;〔哲学・論理〕個体(particular)《他の事物とは比較できない唯一性をもつもの》.
2変った人[動物];((英略式))[形容詞を伴って] …の人《◆もったいぶった古くさい表現》.


Such matters can be best judged by the subjective view of the individual, namely sense of taste.

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ABCDEFとあるとき、BCDEFは他のものにもあるとしたらそれを分けて取り去って固有なものとしてのAが残る、それがindividualなもの分かれことができないものとなる
人間の文章でも作品でも他と同じものがある
これはただまねたものではないか?そのまねたものを取り去ってその人の固有なものは何かとなる。
それは科学的な発明でも言えるだろう。同じような研究成果があるからだ
その固有のものを発見すれば価値がある
どこがその人の固有なものなのか見分けるのかむずかしいのである。



このindividualとうい言葉は日本語にはない、その概念もないからだ。
インターネットはきわめてindividualなものである。
人間がindividualな存在とすることが極めて欧米的な概念であり在り方なのである。

日本では集団主義であり個人のアイでィンティティというのは希薄である。
だから日本とアメリカの働き方とか雇用の仕方が違ってる。
日本だとどこの会社に属しているとかが重要なステータスになる。
でも欧米では「あなたのプロフェショナルはなんですか」となる
その専門の職業のことであり何の会社に属しているかではないのである。
それはそもそも日本が村に所属していることがアイディンティティであったことも歴史的にあったからである。
思うに分かたるざるもの、分けることができないものという概念が理解できない
原子というのも分けることができないものとしてとらえられた。それ以上分けられない固有のものとして理解された。


日本でも分けるは分かるというのがあり我は割れるであり共通したものがあるが分けられないものとしてindividualがあるという概念はない
分けるとういう作業は日常的に行われていた。いろいろなものを分けて管理することは日常生活で常にしていることである。
ただ遊牧民だと分けるというとき羊とか動物を飼うとなると羊でも一頭一頭違っているしそこで個々の特徴を見つけて分ける作業をする
動物は猫でもそうだがみんな顔でも違っていることに気づく、それでその名前をつける
性格も違っているから人間とにているのだ。
飯館村の人が20頭もの牛に名前をつけていたのである。
避難先でその名前をまだ言って覚えていたのは驚きである。それは羊でも数が多くてそういうことがある。
農業だとそうした動物を見分けるということはあまりないだろう。
そういう文化の相違からそういう概念が発達した。


インターネットのメデアはindividualなメデアである。個々人を明確にするメデアであ
マスメデアには個々人はないその局や新聞社とかの意向が優先される、それはその背後の組織とか団体の意向を優先させることになる。
だからそこには独自なものがないとさえいえる。組織や集団を代表した発言しかないように思う。
インターネットのメデアは個々人を明確にする、だから何か個性的でないとかえってインターネットのメデアには向かない、他の人と同じことを言っているなとなると注目されない、独自の個性を出さないとインターネットでは通用しないともなる
ただそういう独自のものを出しているのはまだまだ非常に少ない
それでも何かこの人はこんなことを考えているのかとその人の独自な見解に注目するのである。


ともかく人間個々人は育った家族も違うし土地も違うし性格も違うからみんな違ったものなのである。その多様性があるからこそ文化が生まれる
日本ではindividualなものを育むのはむずかしい風土であり歴史だった。
だからインターネットメデアは何かめんどうでありとっつきにくいともなる。
でも通信としてのハードは整備されてきたからあとはそのハードの上に個々人がindividualなものを発信することになる。
individualなものを育む環境は整えられたとなる
ハードが整えられてもソフトととして文化として発達するには時間がかかる。
でも一人の学者が常時、音声で発言しているのも不思議である。
そうなると大学という場にいなくても家にいてその講義を聞くこともできる
インターネットがあれば広範囲な勉強も可能なのかとなる
発信することはあまりに簡単だからそうなったのである。

タグ:メデア論

2015年08月05日

戦後経済十年の不思議 (自給自足で外から入る物がまれな時代)



戦後経済十年の不思議

(自給自足で外から入る物がまれな時代)


戦後十年くらいの経済はふりかえると不思議である。小学生時代まで経験したことは今と比べるあまりにも違っていた。
ただ子供のとき経験したことと大人になって経験することは違っている。
子供のときは貧しくてもそんなに貧しさとか感じないということもある。
その頃確かに貧しかったのだが貧乏でいやだなとかみんな感じなかったろう
みんな同じような暮らしをしていたからだ
ただ違っていたのはかえって農家の方が豊かだったのである。
食料が自給自足のような時代は自家生産している所が豊かになる
農家ではまず鶏を飼っていたから卵が食べていたし鶏の肉も家で殺して食べていたのである。納豆までも自家生産だったしなんでも自給自足が基本だったのである。

こういう自給自足生活は江戸時代から戦前と戦後十年くらいはつづいたのである。
燃料は炭であったから山の方では炭焼きをしていて街に供給していた。
水道はなく裏の小川で洗濯していたし料理は竈でもあった
トイレは離れにありその糞尿は近くの農家の人が肥料としてとりにきていた。
それは百万都市だった江戸でも同じだったのである。
便をふくのは新聞紙だった、新聞は何かいろいろ紙として役にたった
今のように石油から紙とかいろいろなものを作れていないから紙も貴重だったのである。勉強でも鉛筆は相当な貴重品だった、それは戦前の話になるがもう手でつかむことができないほど小さくなっても使っていたのである。
物というのはあらゆるものが貴重だったのである。


自分の家では最初駄菓子屋のような子供相手の店をしていた。
新聞紙は母が毎日袋を作っていた。お菓子でもなんでもばら売りだったからである。
酒でも一合とかを買いに行かされていた。
何か買うとうしたら隣近所にある店を使っていた。
魚屋があり豆腐屋があり酒屋があり駄菓子屋があり呉服屋があるかである。
そして確かに鉄道が通っていて外から物が運ばれてきていた。
それは実際は鉄道で多くのものが運ばれていたのかどうかわからない
駅前が栄えたのは鉄道があったからということは確かである。
それで駅前旅館とか駅前に自転車屋があるのは自転車が鉄道で運ばれてきていたからである。
それから引き込み線がありそこで荷物を運んでいた、縄屋とかあるのは縄が梱包するのに必要だったからである。

ただその時の経済は外部から入ってくるのは少ない、例えばバナナは戦後十年くらいまで普通に食べいない、バナナの叩き売りとあるのはアキイチとか祭りとか特別の日に売っていたからである。
自分の家では父が病気になったとき仙台からバナナを買ってきたのである。
この辺ではバナナは常時売っていなかったし高価なものだったのである。
まず外国から入るものは都会では一部あったにしろ輸入してまで食料が入る時代ではなかった。
記憶としてはミカンは食べていた、ミカンは東北ではとれないから鉄道で運ばれてきた
なぜならその時トラック輸送などはあまりしていない、鉄道が遠距離輸送をになっていた

戦後十年くらいは物がないから物があれば売れたという時代だった
でも野菜とか米とか食料は国内というより地元のしか食べていないだろう。
自分の家で店をしていたとき、姉は力があり自転車で野菜を近くに買いに行っていた。
自分は子供のとき自転車で農家に卵を買いに行っていた。
当時の店は何でも地元で生産されるものでまかなっていた。
自転車というときそれは一生使うものでありいつも磨いていたのである。
姉は保健婦であり自転車で一軒一軒回っていたのである。
こういう自給自足の経済というのが理解できなくなっている
例えばさらに鉄道が通らない、山間部でこの辺だと葛尾村(かつろう)とか飯館村などがあるがそこではどんな暮らしをしていたのだろうとなる
まさに江戸時代からの継続で自給自足になる

家事にしてもその頃電気製品は一切ない、家には裸電球一つがどこの家でも同じだった。自分の家はトタン屋根でいつも雨漏りがしていた。洗面器を並べて雨漏りの水をためていた。その時道は舗装されていない、土ぼこりのたつ道だった
ただわからないのは野馬追いのときその土の道は車が来たのを数えていた
そのとき車は確かにあった、それはバスが中心だったかもしれない
自家用車をもっている人はその時まだほとんどいないだろう。
でもそんなに車が来ていたというのも不思議である。
バスと鉄道が交通手段だった時代である。
リヤカーは物を運んでいた、それで農家の人が梨を積んで相馬市まで売りに行ったというのを聞いた。原町や中村(相馬市)くらいは物の売り買いはあった。
明治時代には天秤棒で川俣まで鹿島の人が鰻を川俣に売りに行ったという話を聞いて信じられなかった。天秤棒で歩いてそんな遠くまで行けるのかと思った。

それは江戸時代とまるっきり同じだったのである。
でもその範囲を越えると物の売買はむずかしくなる
今になるとそういう自給自足の暮らしが理解しにくくなった
人間はもともとそういう自給自足の暮らしが江戸時代から戦前戦後十年くらいまでつづいていたということが今になると不思議なものになる
今や大工すら地元で家を建てるというのではなく建て売り住宅で大東建託とかが
この辺では津波原発事故で十棟くらい建っているのに驚く
それはみんな会社の人がきて組み立てているだけである。
自給自足というときもともとは地元の資源を活かして地元の人が働いていたのである。


現代は国内だけではない、グローバル経済だから外国から当たり前のように食料でも入ってくる。でもそんなに外国から食料まで入ってくることに違和感を覚えることがある
もし何か天候異変とか戦争とかがあり食料が外国から入らなくなったらどうなるのか?
そういう不安がある。東京ではもう食料は国内産でなくてもいい安いのが外国からいつでも入る、日本の農業が金がかかりすぎる、都会の人間が税金をとられすぎるとかなる。
自給自足の経済だったら外から入らなくてもなんとかやっていけるという安心がある。
これだけグローバル化する経済は誰も理解できない
カナダの国債がいいから買ったがカナダは石油資源があるから格付けで世界で一番いいとか言われるとそうなのかとなる。そうしたら日本の国債を買う人は少なくなる
これもどうなっているんだろうとなる。金はグローバルに流通している。
だから金持ちは外国に投資して危険回避するためにあずけている
こういうグローバル経済広域化経済が社会を根本的に変えてしまったのである。


なぜこの辺で原発事故で人が住めなくなった地域で避難した地域が沖縄から北海道までになったのか?
普通ならイワキとか相馬市とか南相馬市とか新地くらいまでならわかる。
こんなに全国にちらばったのはなぜなのか?
その市町村で受け入れるということもあるが何らか親戚関係を頼って避難したということもあるだろう。
今の婚姻は遠くになるのが当たり前であるからだ。
そしてあらゆるものが家を建てるにしても大東けんたくとか建て売りであり外部から来ている
だから自給自足とはあまりにも違っている社会なのである。
それがどういうふうに影響するかというと前にも書いたが金さえあればその住んでいる場所にこだわらない、金さえあればどこに住んでもいいとなる


川内村とかでは不便な場所だから補償金もらって郡山市にすんだら帰りたくないとなったのもわかる。
こういうふうに何か自給自足経済ではない、金があれば九州産の食べ物であれ外国の食べ物であれ買って暮らせばいいとなれば地元のものにこだわる必要がない社会である。
そうなると一億円もらった他で暮らせばいいなってしまい避難者は帰らないとなり
町や村が簡単に解体してしまうということがあったように思う。
また自給自足の経済でこんな事故が起きたらそれこそ水も土も木まで汚染されたのだから壊滅した。
不思議なのは別に飲み水は金で外部から買って使っているし放射能に汚染されないものを外部から金で買えばいいとなる。
ただ補償金はいつまでももらえるものではないからそれが打ち切られたら金が入らないし自家生産できなければお手上げになってしまう。


ともかく今を知るには今だけでは今がわからないのである。
そこに昔を過去を歴史をふりかえり今が何なのかを知るのである。
例えばなぜ結婚しない人たちが増えたのか?特に男性に増えたのか?
それはフリーターとか派遣とか若者に経済力がないからだとかいろいろ言われる
それも理由だが今は一人暮らしでも結婚していないくても家事が楽なことも原因かもしれない
自給自足の経済になると家事は大きな仕事になる
洗濯でも手で洗っていたし食事の用意だけで大変な手間がかかることになる
それを男が一人でやるということはかなりの労働になってしまう


だから戦前では中産階級ですら二人の女中を雇っていた。
家事をするたげでそれだけの手間がかかったからそうなった。
今は機械化しているし外食も便利だし金はかかっても手間はかからないのである。
このことは一人くらしでも楽であり結婚しなくてもやっていけるとか思うようになる
自分も七年間家事をしてきたけど今母を施設に三日ほどあづけたら楽である。
自分一人のことだけなら本当に楽である。
まず朝はパンだから手間がかからない、昼間だってちょっと外食すればいいとかなり
夜は多少料理をしても他は楽である。
だから今や結婚して外で働く主婦が多いが主婦の専業の方がいいというのもわかる
つまり昔のように手で洗濯したり何でも人間の力でしている時代とは違う
みんな機械でやると主婦は楽である。


とにかく戦後十年くらいの子供時代の経験は貴重だった
あういう生活があったということが今になるとあまりにも今と違いすぎる
その対比で現代が何なのかとか今回の原発事故を問いなおすことも必要である。
ただ自給自足生活というのが理解できなくなった。
戦後十年とかさらに二十年とか三十年とかなるともう全く経験していないのだから理解できなくなった。
そういう生活もあったということを知る必要がある
そして現代の生活を見直すと原発事故がなぜ起きてこんなふうに故郷にも住めなくなったのか、こんなに外部頼りの生活でいいのか?こんなに便利で金に頼る生活でいいのか?
何かそういうことを考えるには昔を知る必要がある





タグ:自給自足
posted by 天華 at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

南相馬市鹿島区の方を対象とした集団訴訟 (相馬地域は地理的に不利ー相馬市で裁判できない)



南相馬市鹿島区の方を対象とした集団訴訟


(相馬地域は地理的に不利ー相馬市で裁判できない)



相馬市とか南相馬市とか前の相馬郡は福島県でも地理的に不利な立場だった。
中通りは東北道や新幹線も通り仙台に直結して便利だった。
イワキも東京までの直通の通勤電車が常磐線からでているし複線化している。
郡山市も東京に近い,特に新幹線で近くなった。一時間半くらいで行けるとなると近い。今になると相馬藩だった地域はエアポケットのような場所になっている
空白部分のような地理的に不利なものとなっている


廃藩置県で福島県となったときも相馬藩が福島県になるという地理的には無理な面があった。
阿武隈高原にさえぎられて県庁となった福島市は相馬から遠いのである。
鉄道もないしバスもあっても便が少なく不便だし前は相馬市から福島市の便は廃止されたでも福島市に県庁があるとき福島医大で医療などでも行政でも関係することが多い。
それで相馬の病院でみてもらってもわからないむずかしい病気になった人が福島市の医大まで車で通っていた。それも近道がわかったとかで時間を短縮して通っていたという。
福島市は県の中心にあっても相馬地方は不便なのである。
今度確かに相馬市と福島市を結ぶ高速道路が工事中だから改善はされる
それでも地理的な不便さは残るだろうしこうした地理的なものは地形が変わらないのだからなかなか克服されない。
相馬地方には松川浦がありそこに港もあるからここを物流として福島県として発展させることもいいことである。
島商会では中古の車をロシアに松川浦の港から出しているのである。
飯館村の木材は石巻から出しているのも何なのか不便である。


そもそもこの地理的な条件というのは戦国時代であれ日本列島ができて以来地球自体が地理に制限されて発展してきたのである。
だから地理的条件から人間は逃れることはできない、相馬藩は歴史的には江戸時代から独立した藩である。伊達藩には組み入れられなかった。
でも廃藩置県でさらに地理的に隔離されたような地域になってしまった。
相馬藩が明治に磐城県になっていたことでもわかる。磐城太田という駅があることでも磐城の延長として古代はあったが廃藩置県でもそうなった。
そして新地は相馬郡になったが新地は伊達藩であった。
でもなぜか相馬郡に取り入れられて福島県になったのである。
そういうことが選挙区でも影響していた。
最初は浪江とか相馬郡とか原町市とか相馬市が衆議院とかの選挙区としてあった。
それが今度は小選挙区で福島市の方と合体した選挙区になってしまった。
相馬藩という地域はそれだけの人口もないし大きさがないからそうなった。


原発事故も双葉とか大熊とかはイワキと相馬地域の中間地点だったのである。
戦国時代は境界争いもあった。夜の森とは相馬藩主が余の森だといったからその地名になった。
その中間地点もエアポケットのような地域だった。
そこには大きな病院がないので自分が南相馬市立病院に入院したとき浪江の人が30分かけて介護しにきていた。往復一時間かかる。
他に双葉の人も入院した。その付き添いの妻がバスで埼玉に避難するのを見た。
そういう場所に原発が建てられたのである。
皮肉なのは原発事故になったとき浪江から飯館村から福島市まで放射性物質が流れて意外と中通りでも被害があった。南相馬市とか相馬市とか浜通りとかより放射線量は高かったのである。
地理的一体感がもてないと福島市は思っていたが原発事故では風は山を越えて吹いたから関係なかったのである。
それで東京はもちろん事故を恐れてフクシマに原発を作った。
福島市でも双葉とか大熊は遠いから事故のことなど考えなかったのである。
地理的には阿武隈高原にさえぎられていたから安全だと思っていたに違いない。
しかし放射性物質は地形の影響というより風で運ばれるのだから山にさえぎられても関係なかったのである。
それは行政でもかなりの誤算だった。科学者だったらわかっていたのかもしれないがそこまで見通せなかった。
原発事故ではやはり福島市も中通りも一体だったということに皮肉にもなったのである。


ともかく南相馬市は鹿島区の不満は30キロからはずれてしまったことである。
だからその30キロの境目の辺りの人が補償金がもらえないので困っていると泣いて訴えていた。子供も争っているとか言って訴えていた。
何か夫も遠くに勤めるので不便になったとか言っていた。
30キロで区切られたことが大きな影響になった。
補償金も原町区はなぜ一人十万で2年2カ月とかもらえるのだろうか?
これは全部そうなのかわからないが原町区は30キロ圏内ということで補償されたのである鹿島は一人十万で7カ月分であり自分は確かに二人分140万とかもらった。
でもこれは原町区に比べると少なすぎると思った。
その一番の原因が30キロで区切られたことなのである。
でも被害は確かに変わらない、半分は避難したのである。耕作できなくなったのも同じである。
原町区と鹿島区の被害はさほど変わらないのにこんなに差をつけたことが不満になる。
それで小高区は補償金がそれ以上に多いから鹿島区の人たちは避難している小高区の人に対して大きな不満になり分断されてしまったのである。
だから小高の人と鹿島の人とはつきあわない、同じ南相馬市として合併したのに補償金で分断されてましったである。
この責任は東電とか政府にもあるが南相馬市の行政市長にもあるとしきり言う人がいるし鹿島区の人たちもそう思っている。


いづれにしろ裁判所に訴えても最初は東京の裁判所に訴えたが東京では離れているとか実情を知ってもらうことがむずかしいとかで今度は福島市の裁判所に訴えた

原告らは、本件訴訟の提起にあたり、法律上、相馬支部ではなく、東京地方裁判所(以下「東京地裁」という。)を裁判管轄として選択することも可能であったが、あえて相馬支部を選択した。原告代理人の大半が東京の弁護士であり、交通費の負担などを考えれば、原告らにとって、東京地裁を選択した方が費用負担は少なく済んだはずである。それでも、原告らが相馬支部を選択したのは、@ADR申立の苦い経験から、被害地域から離れた東京の裁判所の判断に委ねるべきではなく、自分たちにとって身近な「地元の裁判所」の判断を求めるべきである、A被害の実態を正しく伝えるためには「自分たちの裁判」として積極的に審理に参加すべきであるが、「地元の裁判所」でなければそれはかなわない、と考えたからであった。


平成26年10月31日、相馬支部の裁判官より連絡があり、主たる理由として、相馬支部に裁判官が1人しかおらず、合議体(裁判官3人体制の審理方式)が構成できないという理由により、本件訴訟を福島地裁本庁に回付する方針であることが示された。これに対し、原告らは、平成26年11月7日付け上申書において、「地元の裁判所」による審理を嘆願し、事件を回付しないよう求めた

相馬支部では裁判する人員が配置されていない、それで福島市での裁判にするように命令された。
ところが福島市では交通が不便なのである。
ここはもともと仙台の方が常磐線があったときは便利だったのである。
今でも仙台に学生とか通っていたり仙台と関係が深いし地理的に便利だから仙台に行く、むずかしい病気の人は仙台の病院に通っている。
相馬地域は仙台市の方が福島市より交通ではつながり深く便利なのである。


ともかくこの裁判でも地理的なものが影響していたのである。
確かに相馬市に裁判所があってもそこでこれだけのむずかしい裁判ができないということである。
でも地元からすると地元で裁判したいということがわかる。
自分は相馬郷土史研究のプログから発信するというときメデアでも土着的ならねばならないと書いた
なぜ土着的でなければならないのか?
それは土着的なものとはその自然環境でもそうであり地理的なものでもそうでありあらゆるものが土着的なものとして人間はもともと存在していたからである。
土着的なものが失われると今回のような原発事故でも起きる
地震とか津波があるのが大きくみれば日本の地理であり風土である。
また浜通りは津波の危険があることは東電も分かっていて想定していたのである。
土着的なものというと今や関係ないようになったが宗教でも法律でもやはり関係していたのである。科学でも土着的なものから離れることはできないのである。
土着的とはトータルな総合的なものとして人間をみることだからである。


とにかくこの辺は様々な問題の場所であり、裁判など関係しなかったが全員が関係するものとなった。
だからこの辺は何か今までありえないこを実際の自分たちの問題として考えざるをえなくなったのである。

posted by 天華 at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年08月06日

土着的なものの喪失して故郷も喪失した (科学や工業が第一とする社会が原発事故をもたらした)



土着的なものが喪失して故郷も喪失した

(科学や工業が第一とする社会が原発事故をもたらした)

●人間のアイディンティティは自然にある


現代文明の特徴は何にアイディンティティをもつかとなると第一次産業が全体の経済の一割ほどに低下したとき土着性も失われたのである。
東京とかでは何にアイディンティティをもつのかとなる。像で思考しろと言ってもその像とは何なのかとなる。
高層ビルを見上げてそれにアイディンティティをもつのかとなる
アイディンティティとは自己同一性とかなるけど自然環境があって人間がある。
自然の恵みがあって人間があるということで自然との自己同一性化するのは自然である。田舎だと農業しなくても周りに田んぼがあり畑があり山があり川があり海がありと一応自然の中で生活しているから自然とのアイディンティティをもつ、
例えば自然とのアイディンティティをもつというとき人間の顔まで山岳民と海洋民とかでは違っていたかもしれない、多様な顔があるときそれは多様な場所で生活していたからでありそれでその場所特有の人種とか文化が生まれた。
人種というとき白人とか黒人とか黄色人種とか見ているけど実際はどういう自然環境で暮らしたかの方が影響が大きい。
遊牧民と農耕民は根本的に暮らし方が違っているからそれは人種より相違が大きいのである。
日本では山彦と海彦が先祖でありそれが神話となるのも自然環境から当然だった。


土着というときそれは故郷というときそれは自然とのアイディンティティを自ずともって生活しているということである。
日本人がなぜ山を神とするようになったのか、それは稲作と深く関係していた。
山から水か絶え間なく供給されて田んぼに水が流れて稲が実るからである。
山はまた貯水の役目があり雨がふらなくても水は山では流れているのである。
こんなに日照りがつづいているから山にも水が流れていないのかと思う
実際は自分が山深く入ってみれときれいな水が流れていて水は供給されている。
今はダムになっているが山自体が貯水の役割がある
葉山信仰というのは高い山ではない、小高い山である、阿武隈の山は低い、そういう山がはやま信仰の対象となっていたのもそれは里山であり人間の生活と田んぼなどで密接に結びついていたからである。
山に祈るということは水を絶やさず恵んで下さいとなる
そして山が先祖が眠るというときそれは一代だけのものではない代々つづくものとして山があり自然がある。
山からもたらされる水というエネルギーは尽きないのである。
大地からもたらされるエネルギーも栄養も尽きることがない
肥料をやるにしてもその基は大地の栄養に頼っている


エネルギーというと石炭であれ石油であれ尽きる、原子力がそれで発明されたがこれも危険なもので失敗した。でも田んぼなら米なら何千年と作られてきたのである。
それは大地のエネルギーとか太陽のエネルギーや水のエネルギーが尽きないからである。それはエジプト文明が三千年も長くつづいたのはそうした自然のエネルギーに頼っていたからである。ナイル川が洪水を定期的に洪水を起こし肥沃な泥を供給して麦などの栄養分となっていたのである。
現代の文明は膨大な消費をしている、それは自然環境に加重な負担を強いているのである石油が百年で枯渇するとかなるとその代わりのエネルギーが必要となる
そのエネルギーを文明に供給するのは石油では限界になり原発が必然的に生み出されたのである。


だから映画では原発を核を信仰していた。
それはこれまで稲作で水を供給する山を信仰していたのとにている。
原子力、核が神になってもおかしくないのである。
現実に今では科学の力が万能のように思われ信仰にすらなっている。
科学にわからないものはない、科学にできないものはない、科学は万能だという信仰にまでなっている。それで医者が神様のように一番尊敬されていることでもわかる。
山を信仰の対象にしたのと同じなのである。
生活に密着して人間は思考するからそうなる。
ただその核を信仰していた人は専門家であり科学者たちだった。その周りの人は関係ないここでも原発とそこに住んでいる人たちは別であり原発にかかわることはただそこで仕事していて金になっても実際は秘密であり知り得ようがないものだったのである。

●土着的思考を喪失したとき原発事故も起きた

土着的思考が失ったというときそもそも田舎でも失っていた。原発が現実に利益をもたらすというとき金になるというとき第一次産業はすでに一割にもみたない生産力しかない
農業や漁業では生活できない、跡継ぎもいないとか別に原発が作られる前からそうっないた。
だから双葉とか大熊とかあの辺は東京に出稼ぎに行っていたから地元で暮らしたいとなり原発を積極的に誘致したのである。大熊に負けずに双葉にも建てろとか競争していた。
つまり原発の周辺は原発に頼り生活するようになっていた。
原発なしでは生活も成り立たない状態になっていたのである。
そもそも原発は土着的なものと遊離したものであり地元の人ととかかわりない所で操作されていたし原子力を理解する人など地元ではいなかったろう。
石炭とか石油ならなんとなく理解できるけど原子力になるともう理解できない
その原発に従事する人たちも東電の社員でもその場所に住んでも農業でも漁業でも関係ないのである。土着するということはないのである。
そこに土着的なものはないというとき、その土地とか自然と遊離したものが原発だったのである。


現代の文明は自然と遊離することで発展した。社会がトヨタの車を生産する会社の部品工場のようになっているというときそうである。
車というものは土着的なものを全く考慮する必要ないのである。他にも電気製品とか工業製品は自然環境を考慮する必要はない。
故郷とか田舎は地方は土着的に生きているというとき周りの自然環境と調和して生きることが強いられていたからである。
鍛冶屋があるというときそれは農家に道具を供給していたのだから鍛冶屋は工業製品を作っていても深くその地域の農業と自然環境の中で活かされていたのである。
鍛冶屋と農民の結びつきは深いのである。
だから鍛冶屋でも何でも土着的に自ずからなっていたのである。その土地土地に融合する技術が工業であった。
今は工業が巨大化して工業の規格に合わせるのが人間であり土地でも田舎でそうなる。
それはもう全体のことを自然環境のことまで考慮する必要がないのである。
その時土着的総合的思考が人間から喪失するのである。
要するに人間が工業製品を作る部品のようになってしまうということである。
そういうことが総合的な土着的思考が欠如することが原発事故にもつながったのである。

●故郷とは代々受け継がれもの

そして故郷は何かというとき故郷とは代々受け継がれてきたものなのである。
それは山や樹や石のことを詩にしたがその自然も樹齢千年の樹とか千歳の石とか山でもそれは一時的なものではない、人間の一代だけにあるものではない、営々とあるものである故郷というときだから先祖と結びついて故郷がある。
それは例えば二代くらいでも親が故郷でどう生きてきたのかとか語られ受け継がれているのである。先祖が生きてまた代が受け継がれてゆくものとして故郷がある。
会社なら百年つづいてもなくなることがある。工業とか商業は永続しにくいからである。だから故郷から離れて避難しても別な土地で根付くことには相当な時間がかかる
故郷とは代々つづいたことに意味がある。祭りでもそうである。代々受け継がれているものとして意味がある。
そういうふうに土着的なものが喪失することが現代に様々な問題をもたらしているのである。

故郷とは空間でもあるがまた代々長い時間で受け継がれたものである。その時間で受け継がれたものが意外と見逃れやすいし理解できない
だから旅行しても国内でも海外でも歴史的なものがなかなか理解しにくいのである。
そこで積み重ねられた時間の重みを知ることがむずかしいのである。
ただ今あるものにだけ目が奪われるからである。
故郷を失うというとその空間ではなく時間で積み重ねられたものも失うのである。
老人は故郷に帰りたいとういうとき老人はその故郷で長い時間を費やしたからそうなる。もはや費やした時間が人生だとなってしまうからである。
他の土地でまた時間を費やすということはもう時間がないのだからできなくなるからである。
そこに若い世代が帰らずに老人と分断されることになった原因がある。

ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな 啄木

これは農民がその土地に根付いていたものとは違う。故郷から啄木が離れたというとき
それは放浪であり啄木は農民でもないし生活者でもなかったのである。
ただそれは故郷を離れて東京に出て病気になり死ぬというとき痛切に故郷の風景が浮かんできたのである。
故郷の山はありがたきかなというとき農民的感覚ではない、山がない東京に住んでいて山があることは幸せなことだったとなる。それは生活とは結びついてはいないのである。
またそこに長く住むものの感覚でもないのである。

今テレビドラマを見ていたら面白かった。税務官の話だけど北海道を舞台にしている。
その土地が売られてソーラー発電になるというが実際は外国人に転売されて議員がもうけるという話である。
そこで売らないでくれと頼むとき税務官が畑の土を手ににぎってこの土を耕しこの土からこの野菜を作ってきたんでね、その土地が転売されて金が入れば確かに楽になるけど
こうして耕した土地を売ったらもう野菜は作れませんよとか言っていた。
そこで農業や酪農には跡継ぎがいないとかさんざんその苦労を言って売ったら楽になるとかになると争っていた。
まさにそれは北海道だけではない日本の農業全体の問題だったのである。
この辺では原発でもうけた方がいいとなっていたのである。
漁業は確実にそうなっていた。法外な補償金をもらっていたのである。
結果として漁業も農業も放射能汚染でだめにしてしまった。
北海道は旅していればいいけどそこで農業している人は過酷なのである。
それでライダーハウスで延々と農家の愚痴を聞いていて嫌になった。
その人はもう中国人の方が楽だとかまで言っていたのである。

●自然との新しい調和土着思考を模索する時代

土着というけどその土着が今は一番むずかしくなっているのである。
自分のように花だけを見ていればいいがでは実際にその土地で野菜であれ米であれ作るとなると全く違ったものになる。
現実に八畳二間くらいの広さなのか田一反の半分ないような土地で野菜を作っている人は実りは一くらいしかないのにその苦労は十倍をいつも訴えている
それは前にも書いたけどそれだけ農業は苦労あって実りが少ない仕事だとなる。
要するには現代では金になりにくいのである。
だから田舎ですら土着的思考はなくみんな会社員であり工場とかで働いている。
そういう状態だから原発を積極的に誘致されたのである。
その土にまさに土着であるが思い入れのある人は田舎でも少ないのである。
土着的というとき自分は全体を考慮することで土着的になれということを言った
その全体の思考も自然環境があり第一次産業があって工業があるとなる。
その他に医療とか介護も現代的問題としてある。


いづれにしろ土着的思考というと江戸時代なのかとか何か田舎ですらなくなっている
自分は山とか樹とか石を詩にしたりしてきたがそれはあくまで現実の生活としての土着ではない、実際はもう工業化とか現代的なものを田舎だって否定できない
第一車を田舎では一人一台もっている、一人で二台もっている人もいる。
運搬用に軽トラをもっている人はが田舎では多いからである。
ただ土着的なものから遊離してゆくと今回のような原発事故が起きたり土地が転売されて一時的に金が入っても農業は廃れてつづかず荒廃する。
つまり原発事故周辺のように人の住まない地域にすらなってしまうということである。
その危険性は原発だけではない、農業自体が衰退して捨てられてしまうということであるでは三野混沌のような人になれといったらあまりにも過酷であり山尾三省は豊かな現代でそういう生活をしたがそんなことをしようとする人はパンも食べられないとか生活する人は誰も受け入れられない、テレビでそうした貧乏を放送するがそれはあくまで放送用であり現実はできない、またそこまでする必要もないのである。
要するに工業だって否定できない、ただその中にどうしても土着的思考があるべきなのである。
それは新しい土着思考である。そういうものを模索してゆくということである。
芸術はこれも土着なくしてありえないのである。
宗教だってそうであり哲学だってそうである。なぜカルト宗教がこれほど増えるのかというとこれはあくまで文明の病理的現象であり宗教とは何の関係もないのである。
オウムがまさにそうだったし創価も都会の宗教なのである。
健全な宗教は自然と調和したものなのである。自然と調和したときそこに荘厳なものが生まれるのである。ルネサンスが生まれるのである。

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小高の鳩原村の懸(かけ)の森で見たゼンマイの写真を加工した
芸術も土着的なものから離れありえないのである。
鳩原村は山際であり放射線量が高いからもう人は住まないという人もいた
そうなると継続された歴史とかも失われる
それが大きな損失だということを今は気づかないのかもしれない
補償金をもらって暮らした方がいいというのはまさにもう原発事故が起きなくてもそういう状態にあったからだということにもなる






タグ:土着の思想
posted by 天華 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年08月07日

実りそめた稲と里の山と森(復興の田んぼ)



実りそめた稲と里の山と森


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老鶯に耳傾ける森の道

草原に雷雲わきて走るかな

白に赤芙蓉の映えて里の山

ゆったりと芙蓉のあまた暮れむとす

復興や実りそめにつ山仰ぐ

前畑に隣も夏菊映えにけり

夏菊のここに光を集めけり

いくつかの蝉交じり鳴く里の森


原町のイオンに行って買い物した。2000円で安いものを買ったから得だった。
鹿島のスーパーは一つしかなく高いし不便なのである。
今の時代は便利な所に住むとかえって物価でも安くなる矛盾がある
あまり不便な所に住むメリットがないのである
ただ自分にとっては自然がないところには住めない、山とか森でも近くにあり川が流れ海がある。そこには木陰があり涼しいのである。
今日は昨日よりは涼しかった。でも仙台で今日も35度とかあったというから驚きである。海に近いところはそんなに暑くならない、仙台は都会化して暑くなったのだろう。


復興というとき原町の田んぼの稲穂が実りそめていた。そして山を見たとき何とも言えないものを感じた。
田んぼと稲穂でも山と結びついている、山は単なる山ではない、前にも書いたけど水を供給する山で羽山、葉山信仰となった、山には先祖が住むというのはそれは稲作が始まってからの信仰なのである。
日本のその原風景は単なる風景ではない、日本人の心にもなってきた風景だった。
だから復興というとき田んぼがないと復興した気分になれない
その田んぼの米は本当は地元の人が食べるときその土地に愛着をもつのである。
故郷とか土地に愛着がうすれたのは食料でも外部から何でも入るからである。
金があれば買える、別に地元のものでなくてもいいとなる。
そして金さえあればどこでもいい便利な所に住むのがいいとなってしまった。
そして原発事故ではみんなばらばらになってしまうった。
全部原発事故のせいのようだがそういう状況が前からあったから原発事故を契機にして現実化したともなる


里の山というときもっと近いだろう。ちょっと遠い山にはなる。
でも葉山はそれほど遠くないしまた高い山ではないのである。
それは稲作と結びついて信仰になったのである。
奈良の三輪山なども高くない山である。とにかくこの辺の自然変化はまだつづいている。草原化したときクローバーの野原になった。
クローバーを馬肥(うまごやし)というのが実感としてわかった。
中国の汗血馬を養ったクローバーとかあり馬肥しというように栄養分が高かったのであるまず日本では草原というのはないしわからない、それがこの辺で草原化したので不思議だったのである。

タグ:実り