2015年07月28日

異常な暑さはなぜ? (人間は自然に適合しないで暑さに苦しむようになった)


異常な暑さはなぜ?


(人間は自然に適合しないで暑さに苦しむようになった)


最近なぜ35度とかの暑さがつづくのだろうか?
地球的規模になるとそんなに暑くはなっていないという
では日本の暑さは何なのだろうとなる
地形的には内陸部,盆地は暑くなる
京都も暑いし福島市も盆地で暑い
もう一つは東京とか大都市近辺がクーラーの熱風などで暑くなる
それからアスファルトで暑くなる
それは自転車で感じる
車ではクーラーがあるから感じにくいのである。

暑いというとき海に面している地域は比較的暑くないだろう
海から涼しい風が吹いてくるからである。
福島県では福島市と会津は暑いし盛岡市でも35度になったのかとびっくりした
北海道でも海に面していない地域は暑くなっているのかもしれない
ただ西の方は全般的に暑くなっている
気候は福島県でも広いから地域差があり狭い地域でも天候には差がある
天候というのはだから広い範囲で見るから誤解しやい

大都会が暑くなっているのはヒ-トアイランドの影響が確かにある
あれだけビルや家が建てこんでいれば涼しい風も吹いてこないし
は水まいたくらいでは効果ない

涼風(すずかぜ)の曲がりくねつて来たりけり
一文が水も馬に呑せけり 一茶

というように、水に値がついているものは、一茶の住んでいた本所付近では、水を買って使っていたので、水が貴重品だったのだろう。
江戸だったらやはり都会だから何でも金になる。水も売られていたのである。
涼風がくるのも曲がりくねってくるというときそれだけ家がたて込んでいたからである。でも涼風は来ていたのである。
都会ではこれだけの温度になると熱風になってしまうだろ。
江戸時代にはアスファルトとかでていから土だから水をまけばそれなりに効果があった
ただその水も簡単には使えない、金もかかっていたから問題である。
土間が夏が涼しく冬はあたたかいというとき土がエアコンの役割を果たしていた
暑いというとき、寒いときでも人間は知恵を働かせて自然に適合していた
江戸時代になると今の大都会と同じような面が現れていた
でも一応涼しい風は吹いていたし今のようなエアコンの熱風とかにはならない

異常な暑さの原因は明らかに都会化とエアコンやアスファルトととか文明の発達が原因している
それが全部ではないにしろその要素を否定できない

家の作りやうは、夏をむねとすべし*。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し*。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる*、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし*。

 徒然草(上)
第55段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。(徒然草)


京都は盆地で暑いからこういうことになった。北海道なら冬をむねとすべしとなる。
日本では夏はもともと暑いものだったが31度とか32度くらいで耐えられる暑さだった。
これは自然現象というよりやはり大都会化したことが確実に影響している
この表現で面白いのは川のことで浅く流れているのが涼しい・・・というのである。
さらさらと流れている浅い川が瀬音のする川がいいというのは日本的である。
まず外国の大陸の川では運河のようであり日本のような川がないのである。
それでこの辺で新田川が意外と浅い川であり瀬音がするからかえって情緒があり夏なら涼しいとなる、深い川は何か淀んだような感じになるから夏にはいいとは思えない
真野川は長い川であり瀬音があまりしないのである。
京都辺りでも川があるが瀬音のする川である。盛岡の中津川もそうである。仙台の広瀬川も歌にもなったから有名である。
ただ仙台は都会化しすぎたからあそこにそれほど涼しさは感じないだろう。


天井の高きは、冬寒く、燈暗し・・・これも今とは違う、今は天井が高い方がいい、空間的にまさにspacious(贅沢)に感じる、狭苦しい所に日本人は住みすぎるので兎小屋と言われる。それが人間に余裕ないものをもたらしている。
狭いところに常時住んでいれば狭苦しい思考に自ずとなってしまうのである。
その当時は電気もない暗い時代だからそうなったのであり現代にはあてはまらない
大き家の屋根に猫いて夏の月(自作)
こんなふうに大きい家の方が猫まで余裕がでてくる
日本の文化は京都が中心だというとき京都の気候が影響している。
それが暑いことでありそれで涼を求める文化が生まれた。
料理でも暑さ向きのが日本の料理であり淡白なのもそうである。
暑いと何かこってりとした肉料理とか食欲がなく食べたくないのである。
それで寿司とか刺身などはすっきりしていいし酢のものが夏には向いているし
漬け物を梅干しでも食欲をそそるようにできていた。
懐石料理などもそれに通じている。
それから冷しソーメンとか夏の料理が結構多いのも日本である
それらはこってりとはしていない、さっぱりして淡白なのである。
日本人は分厚い豚肉と牛肉など食べなかったのである。

結局日本はその風土にあって日本らしくあるべきなのである。
夏は暑いにしても涼しいということを味わう楽しさがある
木陰も気持ちいいし夏に気持良くなるのがある。
夏は夏らしく夏を味わうのが自然なのである。
こんなに暑いとどうしてもクーラーを使う、今でも自分の部屋は暑いので29度とかなっている
でも扇風機だけでクーラーはとめた。なんとか過ごせるようだ
クーラーを使うことはエネルギーの効果的な利用方法ではない
エネルギーは貴重だということは原発事故でわかった。
蝋燭でもその溶けた蝋まで集める仕事があったりと江戸時代は何でも無駄にするものがない、エネルギーがそれだけ貴重だったからである。

ろうそくは、1か月もかけてじっくりと作られた貴重品で、現在ではほとんど省みられることもなくそのまま捨てられてしまうような溶け残りであっても、蝋涙(ろうるい)と呼ばれ、これを回収し、商う行商などがいたようです。


人間は文明化して自然に対してかえって無駄なエネルギーを浪費するようになった。
暑ければクーラーだとなりその消費量は膨大である。
それは大都会化とかアスファルトなどで暑さが文明によって作り出されたものである。
そのために無駄なエネルギーを消費して原発も石油も欠かせないとなりこの辺は取り返しつかないものになったのである。
もう35度になったら暑さを楽しむことはできない、熱中症となり病気になり死ぬこともある。
それも自然に逆らった生活の結果だということは言えるのである。
ただそれでもクーラーのあるとないでは今では寿命にも命にもかかわるだろう。
クーラーの効果はあまりにと大きいのである。
クーラーがあるからこそ今や文明人はこの極暑で生き延びているとさえいえる

でもついには石油が入らないとか電気がもう供給できないとかなるかもしれない
その時原発も再稼働しろとなり今回のようなとりかえしのつかない事故になり
住めなくなりマヤ文明のように神殿も放置されて人がいなくなるということにもなる
とにかくクーラーの風は効果があっても自然の風ではないのである。
人工の風でありそれが熱風ともなり暑さを増したりしているから問題なのである。
土間が涼しいというときまさに土は自然であり冷房とか暖房の自然の装置だったとなる。
この辺は31度とか32度であり海風も吹くしなんとか暑さでも涼しさがあり楽しめる場所である。
それでこの気候だけは浜通りではいい、老人には向いているともなる。
35度になったらもう夏は楽しめない、生命の危険状態になるからである。




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