2015年07月26日

野馬追いー神旗争奪戦の雲雀が原へ(写真)


 
野馬追いー神旗争奪戦の雲雀が原へ(写真)


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北郷から雲雀が原へ鹿島の一石坂を上る

旗印同じや越える一石坂旗をとらむと雲雀が原へ
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小高郷の陣営が出番を待つ

黄色の畠は小高神社の旗

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これは江戸時代から伝わったものか古い感じ


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馬もばてたのか?鼻血を出して倒れる、あとで起き上がった

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葵の紋


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雲雀が原へ行列

 
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鉄砲隊

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かもめの旗が面白い


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総大将

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北郷ー副大将

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中村神社

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武田の紋

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雲雀が原で神旗争奪戦

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北郷から出た葵の紋に注目ー神旗をとる

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野馬追いの行列は順序まで決められている

名前と役柄を記されたものがあり出場した人の名前が全部出ていた。

旗にも役割があり伝統的に決められたものである。

今日は暑く雲雀が原には入場しないで他から写真をとった

写真はとる場所によって相当に影響する

遠くをとれるカメラだったので本陣山に旗をとって上る馬をとれた

菊の紋は北郷(鹿島区)の人でその人は鹿島から馬で来た

今はみんな車ののせてくる。

野馬追いもなんでも機械に頼ると昔が再現されないのである。

馬でもせめて原町とか鹿島とか小高くらいは馬で来たら

当時の状態をしのべる

ともかく500頭集まれば壮観なものになる

江戸時代はまさに戦闘訓練だからこんなものではない

雲雀が原の十倍の原で戦闘訓練をしていた

馬が500頭であれ千頭であれ集まると迫力あるなとなる

戦国絵巻を映画などで見るが何か狭い画面で見るから迫力が伝わらないのである。

もし一万とかの馬を見たら凄い迫力になる

そういう戦争となると今では想像できない

戦争は馬が主役でもあり馬がどれだけいるかが戦争で有利かが決まる

だから武田の騎馬軍団が力をもったのである。

その馬に頼らず信長が鉄砲で時代を変えたのである。

馬というのが競馬とかでしか見ないから馬がどういうものかわからなくなったのである。




posted by 老鶯 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

野馬追いの一考察ーなぜ赤い母衣の大将が目立つのか? (鉄砲を捨てた日本人から戦国時代ふりかえる)


野馬追いの一考察ーなぜ赤い母衣の大将が目立つのか?


(鉄砲を捨てた日本人から戦国時代ふりかえる)

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ノエル ペリンは、江戸時代の日本が鉄砲を放棄したことを、「世界史におそらく類例を見ない」と注目している。
「高い技術を持った文明国が、自発的に高度な武器を捨てて、古臭い武器に逆戻りする道を選んだ。
そして、その国日本は、この逆戻りの道を選びとって成功した。」
江戸時代の日本は、鉄砲を製造できる高い技術を持ちながら、あえて、鉄砲を捨てた。
製造できなかったのではなく、製造しなかったのである。
(鉄砲を捨てた日本人)


NHKで信長の長篠の戦いを実験して説明していた。
鉄砲が戦争を根本的に変えただけではなく、社会まで変えた
鉄砲は質より量であり一人一人が名のり争う古典的な戦ではない。
鉄砲だと誰が撃って殺したかわからないという
それは大将が名乗りでて一騎討ちとかの争いとも違う。
鉄砲とは現代にも通じる近代戦と同じだったのである。
鉄砲は足軽隊がになうものであり家柄とも関係ないものだった。
それまで一人の大将とか名だたる武将とかが戦国時代の主役だった
ところが鉄砲が作られたときそうした古典的な武士の世界は喪失した
それが現代の戦争と同じようなものになった。

人間社会は道具によって変わるということは常に言われてきた。
戦争というのも道具によって武器によって全く変質したものになった。
信長は鉄砲に目をつけ足軽に鉄砲隊を編成して城下に住まわせた
名だたる家来とか大将とかではない、無名でも量を重んじた専門の足軽の鉄砲隊を編成したのである。
信長は旧来の殿様というより社長だったというときまさに商業も重んじたからそうだったそして日本の鉄砲はすでに分業で部品化した世界でも最先端のもので朝鮮に秀吉が攻めた時も明では日本の鉄砲は優れているから戦わない方がいいといっていたのである。
日本人の特質は外来のものでもすぐに取り入れて自家薬籠中の物にするのが得意である。それは戦国時代に信長の時からそうだったのである。

ではなぜその後鉄砲を捨てたのか?これも謎だけどあえて優れた鉄砲を捨てて鎖国して平和な社会、徳川幕府の支配体制で300年もの戦争のない社会を作った。
こういうことは世界史でもないから軍縮を果たした歴史として評価される
ただ日本がそれができたのは大陸のように他国から攻めにくい海に囲まれていたという理由もある。国内だったら鉄砲を捨てて鎖国して平和が保てたのである。
大陸になると国と国、民族と民族の戦いは陸続きだからさけられないし熾烈になる。
民族みな殺しというのも大陸だから起きてくることなのである。
それは日本の特殊な地政として必然的になったともいえる。
このことはあとで考察することにして今回は野馬追いのことである。


野馬追いでは古典的な武士の戦の再現なのである。
鉄砲隊があったとしても主役はそれぞれが旗印をもち大将とか副大将とかの役があり
人間中心の騎馬軍団なのである。それは武田の騎馬軍団であり信長の鉄砲隊が中心の
近代戦に通じるものではない、
そもそもあれほど馬や鎧兜で着飾るというのが正にそうである。
不思議なのはそうした装飾によって相手を畏怖させるということもあるが何か現代のファションショーのようにも見える
どうだ俺の出で立ちを見ろ、格好いいだろうとか強そうに見えるだろう。
そういう装飾性を競っていることも不思議である。
むしろ殺し合いとなると信長の鉄砲隊のようになるのが合理的なのである。
殺し合いにそんな出で立ちを飾る必要がないのである。
ただ一番目立つ母衣(ほろ)にしてもそれは矢を受けるとかのものであっても大将が常に中心にいるということ、大将の存在感が大きいことがわかる

今回北郷の副大将の館に宇多郷(中村)と北郷(鹿島)の郷士が集まったが副大将の母衣は紫である。紫だと目立たない、どうして真っ赤な総大将の母衣が一番目立ち中心になる。
だから北郷の本陣に総大将をむかえたときは一番盛り上がるのである。
ただこれほど総大将の存在感があるのはやはり古典的な戦としての時代を反映している
それほど殿とか総大将とかがいかに古典的な戦いでは重要であり中心的なものになっていたかということである。
それはただ軍隊としてではなく精神的支柱としても殿様が総大将が中心として形成されていて忠義の中心として武士社会は形成されていたのである。

つまり総大将の真っ赤な母衣が一番目立って主役であり副大将の紫の母衣は目立たない
こういうところに何か戦国時代とか武士社会の在りし日の姿をみる
それは明治維新以降大将とか何かそうした中心的存在感となるものが消失したから殿様とか総大将とかの重みを感じなくなったのである。
それは鉄砲が戦いの主役の時に近代戦と同じようになり殿様とか総大将とかの重みが失われたのと通じている。
現代はもう機械の戦争のようにさえ見える、そこに母衣(ほろ)や鎧兜で身を飾り名を重んじるとか武士道的なものは喪失した。
野馬追いの行列とは身を挺して真っ赤な母衣(ほろ)の殿様、総大将を守る行列なのであるともかく戦国時代が殿様の総大将の首がとられれば負けであり戦争は終わる
だから殿様を守ることが一番大事になるという世界だった。
こういう世界は中心がはっきりしているから外見的にもその結束とかはっきり見えるのである。
現代になると何でも戦争でもどうなっているのかわからなくなったのである。


不思議なのは日本は鉄砲を捨てたというとき江戸時代は鉄砲など強力な武器があるとまた不穏になり平和が乱されるので鉄砲を捨てた。
鉄砲より武士社会の秩序を重んじることを選んだのである。
鉄砲があって足軽でも大将でも変わりないとなると武士の威厳も何もなくなってしまうからである。
そうしたら武士の地位も威厳も何もなくなり足軽や平民とは同じだとなってしまうから
秩序が保てなくなるから鉄砲をもたせなかった。
それで入鉄砲が一番関所で警戒されたことでもわかる。
武士が精神的存在として威厳とか地位を保つには鉄砲があってはできなかったというのも歴史の教訓が日本にあったとなる。
武器は技術はそもそも社会を根本的に変えてしまうのである。
刀には精神性があり重んじられたが鉄砲にはないから捨てたというのも不思議である。
刀は単に人を切るものではない、刀が侍の魂だというとき精神的なものとしてあった。


それは実際に明治維新以降日本がどれだけ変わってしまったかを見れば誰でも実感していることなのである。
現代では戦争は常に否定されるけど戦国時代も過酷でも何か人間的なものがあるから救われているともなる。
殺し合いでもそこに人間的なものがあったから救われる
現代の戦争はそういうものがなくただ人間の大量虐殺となっているだけだから忌避されるのである。
鉄砲から日本の歴史をみるのもまた一つの視点である。
だからこの本は読む価値があるのですぐにアマゾンで注文した。
こういうふうに本がすぐに手に入るので今は知識が広まる
だからまた本を相当買っている、でも読むのは触りだけなのである。
そんな時間がないからだいたい今は触りを読むだけで全体もわかる
本というのは膨大に知らない本があったのである。
だから肝心なものを読んでいないのが多いのである。


タグ:母衣(ほろ)
posted by 老鶯 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)