2015年07月14日

津波で失われたものに木陰があった (右田の松原は消えて木陰ないので行けない)


 
津波で失われたものに木陰があった

(右田の松原は消えて木陰ないので行けない)


今日は朝から暑かった、福島市で40度に一時なっていたから記録的な暑さである。
ただ福島市と南相馬市は温度でも相当違っている。
浜通りは浜風が吹くから涼しいのである。
それでもここも今日は異常に暑かった。こうなるとやはりクーラーが自分の部屋にないといられなくなる、自分の部屋は二階にあって隣のトタン屋根が焼けて三度くらい暑くなるから余計にいられなくなる
そして思い出したのがいつまも右田の松原の日影で休んでいたことである。
松原が長く影になっていて海から風が吹くから涼しいのである
今になると日影になる場所が海辺には全くない
他の人も日影になる場所がないと言っていた。
これもまた津波で失ったものだったのである。

木陰というとなんでもない当たり前にあるもののように思っていた。
木陰は木がないと木陰にならない
その木がないのだから木陰にならない
そしてその木というのは簡単に作れない、成長しないのである。
それで確かに土盛りした高台に樹の苗をボランティアとともに植えた
でもその樹が育つのは50年後とかなってしまうだろう
そもそも右田の松原は江戸時代からあったのか?
百年は軽くすぎている,比較的太い松が多かったのである。
松川浦の松は年月が浅いから細い松林だった
だから右田の松原は貴重だと思っていた

もともと松原は人工的風景だったのである。
自然林ではなかった、そして松原は根が強く張らないので津波に弱かった
混生林だったら自然林だったら津波に強かったし点々と残っている樹は松は一本もないのである。
松は津波に弱いものだった、竹は強く根をはるから津波に強くそれで津波が遮られてよわめられておさえられて助かった所もある
松原といのうは津波を全く想定していなかった
それは海側を干拓して潮風を防ぐ防潮林として人工的に作られていた
ただ不思議なのは慶長津波(1611)の後の20年後くらいに津波の跡は塩田化して利用されたただその時田としても干拓した地域が仙台平野にあった
「潮入り」とかの地名は津波の跡がなお残っていた土地らしい
松原が日本にこれだけ増えたのは慶長時代の津波の後から大分たってからだろう
それは百年くらいたってからかもしれない
その時津波のことなど忘れていた。米をとるために防潮林として松原が作られた
それは自然と調和した光景のように見えていた
実際松原は日本の自然の風景となっていた

それにしても今回の津波で松原が喪失したことは驚きだった
なぜこんなうふうにてったのか今も解せないだろう
それは人間が悪いとも思えないからである。
ただ問題は松原が作られたのは日本では土地がないから海側に干拓したことが原因になっていた
松原が作られたのは稲作するために干拓したことがそもそもの原因だったのである。
それは日本は土地が狭く田んぼにする土地がないから海側を無理して干拓したのである。それは日本の風土の宿命というべきものだった
日本が満州に進出したのはやはり満州という広い土地で稲作するためだったのである。
満州は寒いから稲作には適していない後日本人は米を作ろうとしていた
その米を作ることがまさに日本人の業(カルマ)となっていたのである。
だから今になって米が余っているということは当時の人からみたら想像もできないことである。
減反政策など想像すらできないことである。
干拓とか海を埋め立てするかとかは自然に逆らうことだった
そういう無理が大きな自然災害を生んだのである。
文明は自然に逆らうことである。
原発事故でも実際は自然に逆らうことであった。核を分裂させて放射能の毒をもたらすからである。
自然には毒はもともないのである。
文明の災禍はこれからも大規模に起きてくる。人間の技、業(カルマ)なのである。
その業(カルマ)をとめることができないからまた災い(技わい)がとめられないのである。
いづれにしろ50年後に樹が成長してその木陰でまた休んでいたい

50年すぎて木陰に我はまた休みてあらむ海風涼しく

右田浜松影涼し昔かな

生きている内にもう木陰休むことはできない、でも30年くらいたてば木陰ができているかもしれない
それにしてもその歳月は長い、この津波の復興は20年たっても以前としてできない
それだけの長い時間が必要になってしまったのである。
タグ:松原
posted by 老鶯 at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

立葵(抽象画)


立葵(抽象画)


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これも一つの抽象画になる、自分は花をテーマにしてきた
立葵としての花の変化したものに確かに見えるのである
タグ:立葵