2015年07月03日

相馬市をイメージした抽象画 (ソフトで新たな創作ができる抽象画)



相馬市をイメージした抽象画


(ソフトで新たな創作ができる抽象画)

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フォトショプの試験版で作ってみた。
やはり今までできないことができる
相馬市の雰囲気は静かな城下町なのである。
六万石で城跡しか残っていないけど城下町である。
土臭い城下町である。
名古屋城とか大坂城とか姫路城とかとはあまりにも違っている。
でも城下町ということがその街の色となる

何回も言っていたきたけど原町はいち早く近代化した街であり駅前通りから発展した。
原町機関区があり物資を東京に運んだ。
東洋一の無線塔も大正時代に建った。
相馬市の城下町より原町は発展した。
それは会津の城下町より喜多方市が商業都市として発展したとにている。
古い城下町は新しいものをとりいれにくかったのである。
だから南相馬市でも相馬市でも新地でもそれぞれのカラーがあると思った。
もちろん飯館村もそうである。
つまり一地域でもそれぞれ歴史も違っていて個性がある。
だからこそそれぞれの個性を一地域で活かすことが地域にとっては良かった。

それが原発事故でだいしなしになった。
相馬藩内の地域的個性が失われたのである。
それを復興させることはかなりむずかしくなった。
どうししても現代は辺鄙な地域は切り捨てられやすいからである。
辛うじて維持していた辺鄙な過疎地域も一気に原発事故で崩壊したのである。
それは前々からそういう状態にあり原発事故が加速させたともいえる。
抽象画もやはり芸術なのである。
それで相馬藩内を小高、原町、鹿島,日立木、相馬市、新地、飯館とかそれぞれ色分けしたものとしてみる、それがパソコンのソフトでできる

花に例えると相馬市は藤の花なのである。
日立木は街道の細道があり菖蒲である
鹿島は草深く咲く月見草である
原町は近代化した街の機関区としてひまわりである
小高は小高城があったところであり一番相馬藩では古いから紅梅である。
小高城跡には紅梅が咲いて海が見えたのである。
新地は海の色であり泰山木の花がにあっていた。
飯館村はキクザキイチゲなど山草がにあわっている
つまり一地域でも個性があることによって芸術化されやすい
だから都会はそうした地域の特性がないからかえってつまらないともなる
ただ狭い地域の個性を知るのは外から来てはわかりにくい
城とか目立ったものがないとわかりにくいのである。

タグ:相馬市

最近の二つの事件の共通性



最近の二つの事件の共通性

(新幹線焼身自殺とギリシャの債務不履行問題)


恐るべき高齢化社会(孤立化する老人の暴走)
http://musubu.sblo.jp/article/41682077.html


このジジィと似た人が近所にもいたよ。
家族が全員、時期はバラバラなんだが首吊り自殺してて暫く独りで住んでた。
ろくな生活してなかったし、世間を怨んでた。
集落の集まりなんて知らないよくらいの勢いで孤立してたし、村八分だった。
最後は原因不明の住宅火災で死亡。
死体は真っ黒。12センチくらいの塊になって死んだ。
逃げ遅れて死んだのだろうと言われてはいるが、
実際は世間への不満を吐き出せずぼっちで生きているのが辛くなって自分に火を着けてしまったんじゃないかと噂されている。
実はその家の両隣近所も、、、首吊り自殺者が出ていて空き家のまま。
燃えた家は、片付ける人もいないから今もそのままだよ。


これも自分のプログで一番読まれているこれからの老人問題を予見したけど本当にそういう事件が起きた。
自分も被害者になったから追い詰められた老人が切羽詰まって事件を起こすのが増えてくる。
まず国民年金などで生活できない、今の生活そのものが何かと金がかかるシステムに作られている。
新幹線で事件を起こした人は2カ月で24万とかもらっていたから一カ月は12万はもらっていた。でも家賃が4万もひかれたら8万で生活しなければならない
それでもできるじゃないかとなるがもう食べるだけで精一杯になり何もできない
つまり家賃4万で都会で生活することは追い詰めたのである。
田舎ではこの辺では部屋が三つある市営住宅で4000円とかで住んでいる
その人はどれくらいもらっているかわからないけど8万くらいかもしれない
それでもぎりぎりであり社交もできない、それで何でも借りてカラオケなどをしていた。老後の趣味はカラオケが多い、人間食べれればいいじゃないかとなるがそれは昔の話である。
みんなそういう環境のときはみんな貧乏だから貧乏していても恥ずかしくもないのである

現代は何かみんな本当は贅沢できないのに無理している
見栄でも無理している。それで消費者金融から8人に一人が借りているのも異常である。
事業していた人は事業失敗していたのに成功していたと消費者金融から借金していた。
事業している人はやはり信用問題があるから失敗したことを隠すのである。
金もないのにいい車もっているし成功を装っていた。
でもそんなことしていたらいつかはわかる、その時はどうにもらないほど傷口が大きくなっている。
そしてそのことが回りに迷惑をかけることになる
自分もそうして一人には犯罪にあい一人には病気のとき借金している人に金のことで責められたのである。
そのことを書いてきたが保険金殺人のような恐怖を味わったのである。
まず推理ドラマで一番犯罪で動機が借金の人がいかに多いかである。
それは現実社会でもそうなのである。借金から犯罪に走る人が割合的に本当に多いのである。
まず借金していれば大きな動機をもつのでそこから調べているのである。

奈良県民から聞いた話だけど
大仏があるおかげで全国から人が来て
そんな観光客相手にしてればそこそこの日銭が簡単に稼げる
商売人ですら額に汗せずそんな感じだから
奈良発祥の全国レベルの企業が存在しないんだ
と言ってた
曰く「大仏商売」とのこと

ギリシャ人はそれに輪をかけて納税意識がめちゃくちゃ低い
経済が好転する理由が一つもないわな

ギリシャ人はなぜ働かないのか (ギリシャは日本の江戸時代とにているのかな?)
http://musubu.sblo.jp/article/49945359.html


奈良と京都は何か違ってる。奈良は街があっても奇妙に感じたけどその郊外に田畑があり古い農家があった。回りも万葉以来の山に囲まれている。その山は万葉に歌われた山のままなのである。
一方京都は山に囲まれた大都会でありあくまでも古い都であっても現代の都会であり現代の産業も京都では活きている。
奈良にはそうした現代の産業がともしいから何か田舎に感じるというのは不思議である。関西でもそうみられている。何かのんびりした感じになる。
それがまたいい面であり悪い面になる。
まず人を別に宣伝しなくても来てくれる土地なのである。
それは京都ともにている。特別宣伝しなくても観光に来てくれる、今は外国からもいくらでも来てくれるとなる。

ギリシャも過去の遺跡で活きていたからにている。いくらでも遺跡があるからだ。
ただギリシャの神々の遺跡は現代に活きてはいない、お参りしたりしないのである。
だから日本の神社とも違う、それはすでに二千年前にその歴史は終わり遺跡としてのみ活きているのである。
だから子供でも学校ではギリシャ神話の名前を覚えている人は少ないという
でも聖書にでてくる人物はみんな覚えていたという。聖書はまだ生活に活きているのである。
遺跡というのは全く過去のものであり現代のギリシャ人に継続されたものではない
ただピラミッドを作ったエジプト人はアフリカ人だったとか言われるがその人たちはもう残っていない、アラブ人は人種的に別人でありピラミッドを作ったエジプト人とは関係ないのである。
ギリシャ人は人種的には同じでもその文化は過去の遺跡しかなく継承して発展したものがない、ローマにその文化が伝わりルネサンスと華開いたがギリシャは発展しなかったのである。

奈良もにているにしてもやはり違っている。奈良の大仏でも必ずしも過去の遺跡というのではなく日本の歴史の継続したものの象徴としてある。
日本は天皇からして連綿として日本の歴史で死んだことがないし活きた存在なのである。神社にしても今でもお参りしているのだから生活の中で以前として活きているのである。文化にしても短歌があるとすればそれは万葉集からの継続の文化である。
何かギリシャにはそうした連続した文化が歴史が二千年前で終わっているのである。
だから今のギリシャ人は別物だとか言われる、遺跡があっても歴史として文化として継続性がともしいからそうなる。
ギリシャ語は使われているからその言葉からギリシャ文化を探ることはある。
全くないということでもないがあまりにもともしいから過去のギリシャ人とは別人だと思われるのである。

この二つの問題は事件は共通性がないようである。
日本では年金で暮らしていけないという老後難民がこれから鰻上りに増えてくる。
恵まれた人は数バーセントだろう。あとはぎりぎりの暮らしでありその不満が事件になるその不満が高じると事件になり関係ない人まで巻き添えになる。
そのために女性一人が死んだがそういうことも自分も身をもって受けたからこれからは年金でも暮らしていけないとか事件が起きる。
金持ちもそういう切羽詰まった人が多くなると治安面で危険になる。
家に入ってくる人は特に危険である。家政婦になった人が勤め先の家を放火して回ったとか家政婦とか家で働くような人は不満が多いのである。
神田ウノがお手伝いさんに宝石など盗まれたとかなりやすいのである。
高齢化社会は介護であれ共倒れになり親を殺すとか自殺するとか日常的に起きてくる。
だからこうしてモラルが崩壊することは恐ろしいごとだと書いた。
新幹線でも安全策を講じなければならなくなり国民の大迷惑になったからである。

ギリシャにしても自分たちが観光でのんびりするのはいいとしてもそれがグローバル経済の中で世界的に迷惑になる、影響するから怖いのである。
別にのんびり生活したいなら現代の贅沢を拒否してギリシャ人は貧乏でも誇り高く哲学を生んだ国らしく生きればいいとなる。そういう哲人はデオゲネスとかいろいろ思想的にも生んだ国だからである。
現代文明の贅沢を享受してそれが自分たちの国の富でするのならいいが他国の稼ぎで金でそんな生活していたらつきあえないとなるのである。
それも借金で贅沢しているようなものでありその金は他国で払い、借金は大きくなって払えないというのも勝手である。
要するにグローバル経済というのはギリシャなど日本では中国でも関係ないようでも関係してくる世界のシステムになっているのである。
そういうシステムに世界が組み入れられているからギリシャの問題も隣人のように考えざるをえなくなっている。

 
posted by 老鶯 at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層