2015年06月30日

物は移動できても人間は簡単に移動して住めない (移民は日本の家族のように受け入れないと不可能)


物は移動できても人間は簡単に移動して住めない


(移民は日本の家族のように受け入れないと不可能)


物が移動するのと人が移動するのは全く違ったものになる。
人が他国に移動するとどうなるのか?
家族であれその国のことであれまたは宗教であれその人ともにもたらされる
だから移民したヨーロッパではイスラム教が増えてそこが別な国のようになってしまう。日本でも移民を入れるとなると単に人間を部品のように働かせることはできない
つまり人間は物でもないし機械でもない、人間に付随するものは全体だから
この一部門で働く人がいないからと機械のように部品のように人を外国から臨時的に入れて働かせることは問題が起きてくる
そういう働かせ自体に問題がありもめごとが起きたしこれからも起きてくる。
それは人間は機械でもないし機械の部品でもないからである。
ただ文明の仕事は移民を入れるにしろ入れないにしろ仕事自体が機械化して効率化を計ってきた。

つくづく文明とは膨大な分業であり部品化だったのである。
人間の仕事はもはや無数に細分化された部品の集合なのである。
それは車を生産して使うとういことで象徴されている。
国がトヨタの会社でありその車を使うために人間が部品化され配置されているとかなる
車は部品の集合からてりその部品を請け負い作る中小企業がいて従業員がいるからである文明そのものがそうして生産を機械化して効率化してきた。
ただそれが外国人でも何でもいい、その機械化部品化として人間があるからいいとはならない。
障害者が最近雇用を会社でもしなければならなくなった。
でも意外と障害者でも流れ作業とか部品化した分業化した仕事ができる
てもそもそも人間の仕事は普通の人でも分業化して細分化して部品化していたのである。そういう仕事はかえって障害者にもできる、向いていたとさえなる

まず全人間的仕事をしている人は文明社会では極少数である。
文明の全体を知る人など誰もいないだろう。
第一次産業は自然の中で仕事していたから全人間的である。
工業化すると機械も部品の集合であり人間も機械化され部品化される
一人の人間が一つのものを作るとういことはない
江戸時代ならほとんど職人であれ一人の職人の手仕事だったのである。
職人一人が製品を全部仕上げていたのである。
田から職人も全人間的に生きていたとなる
医者でも現代のようないろいろな科はない、人間の全部の体をみていた。
人間の体の部品化はないしできなかった。

でも移民が問題になるのはなぜなのか?
人手がたりないから国内のように人間を機械のように部品のように使えないからである。移民とともにもってくるものは家族であれ国であれ宗教であれ一人の外国人はその国を代表してもってくるものがある。
移民の一人でも何かその国を代表したように国自体を外国にもってくることにもなる
だから移民は文化的衝突することになる
つまり国の中にもう一つの国ができることになってしまう。
でも外国から物だけを取り入れていればそういうことはないのである。
別にバナナが入ってくるからとフィリッピン人がメキシコ人がどうのこうのとかにはならない゛フィリッピン人が風俗であれ嫁になるのであれ人間そのものが入れば必ず全人間的なものとして問題になる

人を雇うにしても自分でもちょっとした時間でもいかに人を雇うことが特に家で働いてもらうとなると大変なのもになるか身をもって経験した。
そこには常に露に人間的な問題が露骨に現れる
もちろん普通の会社でも経理でごまかすとかあるから人間にはそうした信用問題がつきまとっているのだ。特に家に入るものは一番危険なのである。
そして時給一時間いくらはらえばいいとはならない、なにやかにやとその家の問題がありそれまでめんどうみなければなちらなかった。
家族の一員のようにしてめんどうみなければならなかった。
だから人間を雇うをほどめんどうなものはないと思った。
ただ時給いくらで雇うというときコンビニなどでもそうした家の事情とかには立ち入らないシステムになっている。
いちいちそんなことを聞いていたらもうもうけることもなにもできない
社会福祉事業になってしまう。
移民でも人間が入ってくれば現実に日本人の家族として受け入れるようでないとうまくいかない。
機械のように便利に使っては使い捨てというわけにはいかないのである。

いづれにしろ原発事故で避難した人たちも人間が各地に移動したから問題になった。
人間はそもそも物ではないのだから移動するとなると移り住むとなると簡単にはできない、移った場所に簡単になじむことはできないのである。
ただ旅するなら別である。旅人になる別に移動することが目的だし一所にとどまらない事か旅だから別である。
でも人間は長年住み慣れた場所から他の場所へ移り住むのは様々な問題をうむ
確かに第一次産業の自給自足の生活ではないからその土地に愛着するというこはそれほどなくなった。
でもやはり長年住んでいる場所と人間は一体化する
それは自然でも人でも他にもその場所に長年住むということは石のようになることでもある
その本が見つからないが会津の民話では村の欅が一緒にお伊勢参りしていたとかあり
それだけその村の古い木とか石は単なる自然の物ではない人間と一体化していたのであるだから浪江の女性が60代の人は田舎の淋しい場所に住んでいた。
それが高層ビルに住むようになったから相当な違和感がある
都会の灯の海を見て暮らすのとはあまりにも違っていたのである。
物だったら例えはみかんであれリンゴであれ野菜でも移動してもその味は変わらないのである。
ところが人間そのものが移動するということは物ではないから機械の部品でもないから簡単に移動できないものなのである。
人間は一つの部品ではない、全体に生きているからそうなる。
人間はその土地に根付く植物や樹とかともにている。結局人間の自然の中の生態系に生きる生物の一種だからそうなるのである。


タグ:移民問題
posted by 老鶯 at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題