2015年06月29日

東京の老人を地方に移す問題 (放射能汚染とは関係ないから浜通りは老人が住むのには向いている?)



東京の老人を地方に移す問題


(放射能汚染とは関係ないから浜通りは老人が住むのには向いている?)



地方創生の新型交付金、高齢者移住拠点などに重点

2016年度に創設する地方創生の新型交付金を、高齢者の移住拠点や観光戦略の司令塔の整備などに重点的に配分する。地方の自治体に移住者数や観光客数などの目標を設けるよう求め、成果を毎年検証して首都圏からの高齢者の移住や、訪日観光客の増加につながるよう促す。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS25H68_Y5A620C1PE8000/



前にも書いたけど福島県浜通りでいいのは気候なのである。
暑からず寒からずでこれだけは推薦できる。
だからわからないのは会津とか北海道とか雪の多いとか寒い所に老人が移住するというのはあっていないと思う。
それで会津とか福島市の方に避難した人たちもイワキとか浜通りに帰ってきているし帰りたいとなる。

東京の老人を地方でめんどうをみろというのは問題である。地方も人手不足だしそんな老人ばかりめんどうみていいことがあるのかとなる。
それはここだけではない全国でそう言われている。
ただ現実問題としてこの辺は放射能汚染で困っている
今は外部から工事関係者除染とかで人が入ってきている。
それでダンプが多いから危険なのである。
でも後何年かで工事でも除染でも終われば相当にさびれてしまうだろう
今だって子供をもっている人で避難している女性が帰らないとかある
そしてなにか産業になるものがなくなる
何でも放射能であり風評被害もあり観光にも影響する
地元の食を提供できないことも致命的である。
今はいいとしてあと5年後くらいから相当に経済は厳しい状態になる

その点放射能とあまり関係ないのが老人なのである。
すると老人にはこの辺でも気候がいいから施設に入りたいという人がでてくる
それより東京ではもう世話しきれないという深刻なものとなる
それを引き受けて地方でやれというのには相当に問題がある
ただ財政的にはメリットがある
それでも地方だって人手不足なのだから少子高齢化なのだからその人手を確保できるかどうかである。
はっきりいって在宅で介護するというのは負担が大きすぎるのである。
毎日家事と介護に追われているのが自分である。
一人でもそうした介護する人とか病人がいるだけでどれだけ負担になるのかを身をもって知った。
三食出すだけで手間だし介護度が低くても手がかかるのが介護なのである。
だからこれからすでに介護の重圧で自殺したり殺人になったりすることがすでに増えている。それはもう日常的になってめずらしくなくなる
医療でも福祉の介護でも金をかけすぎるのである。
それは無駄なものでありもっと金をかけずにできる方法はある
金がかかることで政府は在宅でして介護にかかる金を減らそうとするのはわかる
だからといって在宅でやれというと家族も少ないのだから自分のようにすべて一人に負担がかかるようなことが現代では多くなる
そこでもう耐えられないとなり事件になる

ともかくこの辺の事情を放射能汚染は大きなマイナスなのだが何か老人にとっては放射能はほとんど関係ないというとき5年後とかには老人の施設で雇用を保つとするのも一つの案になる。
ただ今でも老人がこの辺では他より多くなっているし老人だけの街、シルバータウンになったらどうなるのか、活気もなにもなくなるとかそれもいろいろな反発がある
放射能汚染の問題の解決策として老人にとっては放射能汚染は関係ないから地元の食料でも野菜でも魚でも食べさせることができるということである。
そうすれば地元の農家でも売れるからいいとなる
米を作っても売れないとか常にそういう心配ばかりなのがこの辺だからそういう案もあるのかと書いた。

新地などは海と森と山もあり老人にとってはいい場所だなと思った。
他より森が多いからそれで落ち着く場所になっている。
海も見えるから気持いいし気候的にも浜通りはいいから老人には適していると思った。
保養地としては温泉はないのだが適した場所である。
もちろんこの辺は過疎地とは違っている、交通の便がいいし仙台に近いしだから青森とか北海道のような工場がないというわけではない
原町と相馬市と新地にも火力発電所がありあそこは2000人とか働いているとなり大きな雇用の場となっている。
工場もあるから老人施設を受け入れて何とか経済を維持しようとまではなっていないかもしれない。
ただ放射能汚染とういうことでそういうこともありえるかなと思った。

これには実際はいろいろな障害がある。一体東京の人を何で地元でめんどうみるのかという動機がある。金が払うからいいじゃないかともならない、地元に生活してきた人なら
地元でめんどうみるということはありうる
でも東京で働いて老後は介護は地方でしてもらうというのは何かそぐわない
それは介護する方でも介護される方でも問題なのである。
何でも金で解決できるということではない、これも結局社会が広域化したとかグローバル化したことで起きている問題である。
つまり人間は昔のように農業中心で一カ所で定着して生活していないし一地域だけで生活が成り立たなくなっいる。
それでかえって避難者がこの辺でも小高などの人は金をもらって威張っているというのも地元の人には反発が生まれた。

でも現実問題として何も小高の人が鹿島の人に世話になるとか他でも地元の人に世話になっているという気持がない、起きない理由は食料でもなんでも外部から入ってくるし家でも今は建て売りで地元の大工が建てているわけではない、
すると地元で何をしているのか、何か地元の人にしてもらっているという感覚が起きないのである。
「この食料はみんな九州から北海道から外から入ってきたものだよ、地元のものなんか、放射能汚染で買わないよ、別に買わなくても食料など金を出せばいくらでも入ってくるよ」
「そうだな、見ろ、家だってみんな建て売りで外部のものが建てたんだよ、復興というけど復興で働いていたのはみんな外部の人だよ、地元の人は補償金でパチンコだなんだと遊んでいただけだからな」
こういうふうに広域化グローバル化社会になっていたことが家族まで散り散りばらばらになるということもあったのではないか?
うるさい姑と暮らすより他で補償金もらって新しい生活をした方がいいとか若い人にもなった。そもそも地元にこだわる人は少なくなっていた。
それは農業とか林業でもその土地の資源などに頼って暮らすものではなくなっていたからである。

まず第一次産業のしめる割合は地方でもこの辺でも一割にもみたない状態だったのであるその第一次産業が壊滅的打撃を受けても別に広域化グローバル化社会では金さえあれば困らないから避難者の方が原発貴族だとかなり威張っているとかなったのである。
それでも広域化グローバル化社会の弊害も様々に生まれた。
介護ではやはり住み慣れた所にしてもらいそこで死ぬというのが人間的なのである。
結局人間は物ではないから都合よく物のように移動させることはできないということはある。
物は人間と違って移動しやすいからグローバル経済になった。人間そのものは簡単に移動できないものなのである。
いくら金をもらったからといってどこに住んでもいいよと言われても戸惑うことがあり
それで老人は故郷に帰りたいとなる
だから人間の問題はすべて金では解決できないのである。