2015年06月27日

沖縄の基地と原発問題はにている (必要悪として排除できない国家の政策の問題)



 沖縄の基地と原発問題はにている
 
 (必要悪として排除できない国家の政策の問題)

勉強会は冒頭以外、非公開。関係者によると、百田氏は「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな」と発言。
 「ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ」などと持論を展開したという。

 「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」
 http://www.asahi.com/articles/ASH6V6F00H6VUTFK01V.html

 
このことは何かこの辺で起きていたこととにている。

原発はいらないといってもなぜやめられないのか?

沖縄に基地といらないといってもなぜできないのか?

東京に原発を作ればいいのになぜ東電はフクシマに作ったのか?

こうした疑問が沖縄とにている。
それがアメリカ軍基地でも原発でもその背後に国家としての国策としての問題があり
簡単にはやめられない事情がある。
アメリカ軍基地でも原発でもそれは国家的問題であり一地域の問題ではない
原発でもアメリカが背後にいて要請されているのであり核兵器製造のためにあるとか
原発には東電だけではない、国家の意図があり作られていたのである。
「電力不足、電力不足」と言うけどそれだけではないものが背後にある。
沖縄にしても経済力が弱いからアメリカ軍の基地に頼るということがあった
それはこの辺は特に大熊とか双葉地域にもそういうことがあった。
出稼ぎ者が多くて地元で働く場所がないから原発を誘致した。

要するに沖縄でも原発事故で避難区域になったところでもそれが国家的問題となっていた実際にだから国家的な問題として事故後も除染など莫大な金をかけているのである。
石油とかでもそれが入ってこないと国家的問題になり戦争までなるし戦争になった原因が石油の輸入をとめられたからだということもある
今でも石油が入らなければ車も動かなくなり大混乱になる。
この辺で一番問題になっのだがガソリンが入らなくなり身動きできなくなったことである戦争中でも特攻隊のゼロ戦でも燃料がなく片道の燃料で出撃したのだからそもそも帰ることはできない飛行機だったのである。
エネルギーはそれだけ文明の根幹を成すものでありそれが枯渇すれば文明も終わる。
常に言われるのは鉄が国家だということが古代からあった
鉄の生産を握るものが農業でも道具を供給できるので支配できる。
もちろん武器も製造するので支配者になれる。それが国家を作ってきて天皇は鉄の王だということが言われてもきた。
この辺で相馬藩と伊達藩が丸森で争ったのは木材資源のためであり新地で争ったのは
鉄資源のためもあった。
そういうことは人間社会では常に行われてきたのである。
地域単位で起きることは国単位に拡大したとなる

最近話題になっている憲法問題も自衛権をもち自衛隊を戦争できる体制を作るというのもそれがアメリカの要請でもありまた中国の脅威でそういうことが言われるようになった。沖縄は太平洋戦争では悲惨な犠牲を強いられた。そのことが以前としてまだトラウマになっている。
墓銘碑に名前も刻まれていないと親戚の人が最近名前を刻んだ、つまり死んだことすらわからない人もいたのである。その名前が刻まれることによって生きていた証がここにあるとその墓銘碑に思いをよせていた。
死んだときどうしてもなにもなくなるから墓に愛着するのである。
あういうことがあるのに父親の墓参りもしない人は何なのだろうととなる
父親でも思わない人は思わないから墓に無関心だとなる

ともかく戦後は経済成長一辺倒でがむしゃらに働いてきた。そして企業戦士とかエコノミックアニマルとか日本は言われた。その中核をになったのが団塊の世代だったのである。それが一つの転換期にきた。つまりこれまでは会社は意識しても会社員として生きてきた人がほとんどである。
では国家というのは意識されなかったのである。
ただ沖縄ではアメリカ軍の基地があったして戦争のトラウマをまだひきづっていた。
他の日本人はまず国家を意識しない時代だったのである。
また日本は世界でそうした戦争にかかわることもないので経済発展できたともいえる。
朝鮮戦争ではアメリカ軍でも4万人死んだとか中国でも他でも多大な犠牲があった。
朝鮮戦争では日本は特需となりもうけて復興になった。ベトナム戦争でも日本はかかわらず特需があった。

だから戦後は国家というのも特別意識する必要がなかったのである。
そもそもだから国家とは何か?というときもうわからなくなっているのだ。
戦争のとき、「国家、国家、国家」しかない、家族も会社も地域もない、ただ国家のみがあったのであり国家のために死んだのである。
ただ最近の世界情勢をみると本当にシリアとか国家がなくなると難民化して悲惨なことになると思った。
国家がなくなればもう家族も地域も維持できないから国家を最優先すべきだという意見になる。それが戦争のとき露骨に行われたのである。
国家の犠牲者が300万人とかなったのである。
戦後は経済成長一辺倒でありまず国家のために死ぬとかの気概はない
国家を意識する機会がなくなっていたからである。
国家を意識しないときは平和であり幸せな時代だったとなる
それで江戸時代の鎖国時代が世界とかかわらず平和が維持できたことは世界史的にまれであり海に囲まれた日本だからできたことなのである。

ともかく国家を意識しないときかえって平和であり幸せである。
国家を意識されるときは戦争とか何か国家の意志が強く感じられて平和でなくなってゆく中国に攻められとか国家の危機が国家を意識させられるからである

冷戦構造のなかでアメリカに全面協力した代わりに、日本は高度成長という非常に大きな果実を手にしたわけです
その背景には国家の戦略を放棄させられたという厳然たる事実があります
(日本なぜ原発と基地をとめられないのか?矢部宏二治)

日本は以前として戦争に負けて日本はアメリカの支配体制に組み入れられた国で自主独立国ではない、それが戦後70年でもそうだったのである。
だからどうして重大な過失死傷の事故に警察や検察が黙視して東電の幹部もなんら罰せられないのか?
それはそうしこアメリカの下でも権力体制ができあがっているからである。
つまり沖縄とはアメリカの最大の防衛拠点であり原発もアメリカの政策として日本は勝手にできない、それは日本だけの事情ではないのである。

ともかく原発の補償金のことでもいろいろこの辺はもめたし書いてきたがそれは沖縄でも同じだった。
地主は多額の補償金をもらって六本木で生活しているとか何かそういうこともにている。一方でそれは一部であり沖縄の大多数は基地はいらないとも言っている。
この辺でも補償金が全部そんなにもらっているわけではない、でも補償金で一番もめているのである。
金が今では一番現実的問題だからそうなってしまう。
そしてこの辺で沖縄で建築関係で働いた人が聞いたいう話

 「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」

これは本当だったのか?その人は飲み屋で聞いたのだからただの噂とも違うのか?
沖縄が常に本土の人に犠牲になったことを延々と言うが沖縄の人が隣の人が一番怖かったというのもまた現実味がある
近くの人も怖いということを自ら体験したからである。火事場泥棒は必ずでてくるのが人間の社会である。病気になり家ががたがたになったとき入ってきたのはそういう人たちである。
そういう人たちも借金だとか貧乏でぎりぎりになっているから明日食うものがないとなれば一万の金でも人は殺しているのと同じである。
そういう混乱のとき、人間の欲望がむきだしになり露骨に現れてくる。
だから人間の本性は怖い、人間の欲望は戦争のようなときとめられず噴出するということがある
だから戦争は人間の一番醜いことが全面的に解放されて現れる
そこはまさに生き地獄の世界だった。日本兵も捕虜になり悲惨な殺され方をしたのであるそれが戦争の現実だったのである。


タグ:沖縄基地
posted by 老鶯 at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連