2015年06月26日

新地の里の夏(詩) (新地は山と森と海が一体となる)


新地の里の夏(詩)

(新地は山と森と海が一体となる)

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ホトトギス六号線を朝走る
冷蕎麦カボチャの花や新地かな
杉林影なし店や清水飲む



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新地の里の夏

杉の林に影なす道や
右近清水に喉を潤し
森につつまれひそか
家点々と森に隠りぬ
畑に人小鳥の鳴きて
沙羅の花風にそよぎ
揚羽の舞い飛ぶごと
ゆくりかに気ままに
新地の里を巡るかな
六号線道標一つ古り
夏の日ざし照りつけ
旅心ここに湧きしも
海望み山を仰ぎつつ
今は我が里へ帰りぬ

many shadowy pathes
turn and turn in freedom
blooming flowers in the breeze
the houses covered apart
in the forest of the cedar
Strong sunlight of the summer day
at an old heated guidepost
a free wayfaring man want to go
in the distance



新地は伊達藩であり江戸時代までは相馬藩ではなかった。
でも明治以降相馬郡になったからすでにその歳月も長いから新地はむしろ相馬市とかの交流が長い
江戸時代までは伊達藩でも明治以降は相馬市とか原町市とかが近いのだから経済的には相馬に頼ることになる。
だから相馬市と合併しなくても相馬郡になっていたのである。
相馬市にある相馬総合病院は新地との合弁した病院であった。
相馬郡は消えて新地町は残った。
でも実質的には相馬市に頼る面が多いから相馬市になっても良かったと外からは見える
合併のときの事情はなかなか外からわかりにくいのである。
新地の地形的魅力は海と山が近接して杉の森の中に点々と家がありサイクリングして気持いい場所である。
ここは自転車だと遠いからあまり来ていなかった。
新地は飯館村とかと違うのは六号線があり最近は常磐高速道路も開通した。
鉄道も後に二年で開通するから意外と早いと思った。
常磐線が開通すればかなり復興したことになる。

今回は鹿狼山のレストランと宿泊所で冷蕎麦を食べた。地元の人が蕎麦を作っているという蕎麦である。
蕎麦通の人がいればその味がわかるかもしれない、自分は食通ではない、旅行してもただ腹をみたせばいいとしかならなかった。それは金がないからそうなっていたのである。
若いときは何も食べてもうまいからあまり味にはこだわらない
ただ最近旅もしないので食に多少こだわるようになった。
自分で料理しているせいもある。
料理しているとどうしても素材にこだわるようになる
料理できなくても素材がいいものを買いたいとなるのか自然になる。
料理の基本は礎材か良くなければいくら料理人でもどうにもならないのである。

蕎麦とカボチャの花が何かあっていた。
うどんと蕎麦はかなり違っている。蕎麦は山の味なのだろう。
新地だったら山海の味を作り出せば観光にはいいとなる
ただ今は地方でも独自のものを作り出すことがむずかしい時代である。
この辺はまた放射能汚染で海のものが食べられないというのも痛い
その土地の味を出せないのは致命的だとなる
でも右近清水の入り口にパン屋があるというのも何か街中にあるパン屋と違っていいなと思った。
もう一つ森の中に喫茶店があるともっといい、何かあそこは安らぐ場所だった。
杉林が多く杉目とあるのは元から杉が多く杉の目とは杉の間が目となってなづけられた。山から清水を取り入れて飲んでいたという家もあったからもともと山が近いから清水も出ていたのである。

六号線に出ると大正時代の道標の石碑があった。写真はとっていなかったのが失敗
大正時代というとまだ新しいという感覚があるがすでに百年たっているのである。
大正生まれの人は自分の母親のようにまだ生きている。
でもやはり百年は一世紀だから大正でも古くなっていたのである。
ただ明治と大正の碑は多いからあまり希少性を感じないのである。
でも大正と昭和があるがその差が際立っている
大正は何かより古い感じになる。昭和は最近まで昭和だし自分も昭和生まれだから実際は古くてもそう感じないのである。


その土地土地を知るにはまさに地歴である。地形とかその土地の特徴がありそして歴史がある
新地は歴史的には伊達藩の歴史であり地形的に海と山と森の国だとなる
そして何か田舎はどこでもそうなのだが新地とか森が広がっていてそこは安らぐ場所になる
するとやはりそういう場所は癒しの場所になるし渡辺病院などができたように何か保養所とか老人ホームとか向いているのかとなる。
相馬市と原町は火力発電所があるから工業地帯でありまた違っている。
新地はそうした工場のようなものがあっても目立たず森におおわれているのである。
地方再生というとき何かその土地の特色を出そうとするとき今の時代は介護とか医療とか福祉になってしまう。
東京の老人を地方でひきとれというのも問題だが田舎は癒しの場なのである。
それで

老い二人木陰の深く休むかな

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こうして老人が木陰に休んでいることが何かあっているのだ。蕎麦を作っているのもあっている。蕎麦の味はうどんとは違い、何か地味なのである。
飯館村も森につつまれて点々と家があったが新地もそうだった。
でもその相違は海が見えることと六号線や常磐高速道路やあと二年で常磐線が開通するから交通的に便利なのである。
そして高架橋になるし松原も消えたから電車から海を見えるようになるから景観的には前より良くなるのである。
まあ、あと二年は自分も生きているだろう。
ただ近くの人が同じ年の人が癌で死んだ、もう一人も近くの人が癌になったという。
それは自分にとってショックだった。
この年になるといつ何になるかわからないという恐怖なのである。
69才で突然心筋梗塞で死んだ人もいた。
それもいつも見ている人だったしそういことが珍しいことではないからだ。
ただ百歳になってもまだ生き続ける人もいるので寿命はわからない
今はいろいろ旅したことなど思い出して作品化している
その量は相当なものになる

今思うと旅というのは実地の学問を経験することだった。
地歴が学問の基礎でありこれを知らないと文系では何もわからない
文系の学部は本当は地歴と法学部くらいでありあと文学部があるがこれも地歴と関係しているのである。
その土地のことを知らないと文学も鑑賞できないからである。
だから日本全国を世界でも表面的でも実地に旅するとあらゆるものの理解が深まるのである。
そうなるとまず勤め人ではできない、結婚したりしてもできない、結婚というのはあまりにも重圧なのである。
それで芸術家の八割は結婚していないということもうなづけるのである。
人間の時間は限られているからそんなにいろんなことに時間がさけないのである。
恋愛したり結婚したり子供を育てたり勤めていたら他に何か関心をもつことすらできなくなる。
人間の時間がいかに限られているからそれはすぐ老いるから誰でもその時痛切にわかるのである。
老人になって何か知らないことは恥になる。新地が江戸時代まで伊達藩だったということを自分が郷土史研究などとプログで出していたのだから恥だとなる
そういう基本的な知識を身につけるのにも時間がかかる。
学問の領域は膨大であり時間は限られているから結局何か他者にぬきんでたことを書くことでもなかなかできないのである。


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