2015年06月11日

結婚もしない家族もいない人の末路 (何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


結婚もしない家族もいない人の末路


(何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


歳喰って入院してみろ
独り身の老いぼれ爺に対する看護師の嫌がらせ虐待は凄まじいぞ
傍で見ていて見ちゃおれんぞ
独り身の男は差額ベッドの個室に入れるようにしないとな
金をたらふく持っていれば女と言うのは見下さないから

違うよ、独身がキツイのは親の死の時期を意識したときと自分が病気になったときだよ
親が死んだらもう一人ぽっちだ、誰も相談にも乗ってくれない、そもそも親の葬式はどうやって出したらいいのか、親の墓は?そして自分の死後は?
 病気になったときも誰も看病してくれないし、入院することになったら誰が入院準備をしてくれる?誰もいない

東京ですが、また数十年続いた店が潰れた。そこいらじゅう。結婚以前に、
 生存出来るかどうかの状況が広がり続けている事を議論した方が良い。
 結婚や幸不幸を語っている内は実に長閑。不幸でも何でも無い。
ちゃんと食べれて、ちゃんと家の中で眠れる。これすら出来ない人達が
 もの凄い勢いで増えてる。結婚したって、出産するだけで50万円。
お金持ちだけの選択肢じゃないでしょうか。貧困層はそのうち消えると
吐き棄てた政治家がいたけど、確かに一理あるかもしれない。自分だけで精一杯。



このことを身をもって経験した。全くその通りだった。自分は別にこんなこと予想もしなかったからのんきだった。何となく不安があったから的中した。
なんとなく不安なことは何か的中する度合いが大きい、本当はそんなこと考えたくないけど的中する、何かになるんじゃないかと不安なことは本当にそうなる確率が多いのかもしれない
原発だって近くにあればあれ危険じゃないのか?とか放射能のことはわからないにしても不安に思う人がいたろう。
人間でもなんかこいつヤバイんじゃないかとなると君子危うきに近寄らずとなる
つまりそういう不安が的中しやすいのである。
だからといってこの世の中そんなこと言ったら暮らしていけないから楽天的にすごした方がいいとなる。
それでもこの世で最悪なことが国レベルでも市町村レベルでも個々人でも必ず起きるということを身をもって津波とか原発事故で経験した。
最悪のこととは戦争で300万人死んだというのも今より最悪だった。
それは今になるともはや想像もできない最悪だった。
あれだけの最悪を歴史的経験するとどうしたら戦争をさけられるのかという国民になってしまうのは当然だ、9条だけの話じゃない、戦争経験した人は戦争だけはするなと言って死んだ人が多い。それだけ悲惨すぎたからである。
それも国民の歴史的経験からそういうことになったのだから悪いとはならない
でも戦争のことを知らない人は戦争を軽く考えてしまう。
人間は何でも実際に経験しないとわからないことが弱点である。

例えば牧師だろうが何だろうが例え本を出したとてもそれは言葉では誰でも言えることがある、人類みんな愛しないとか同情しなさいとかいろいろいいことは言える
でも実社会ではそんなに簡単に言葉だけは言えても現実に対処できない
そういうことを身をもって遅かったが体験した。
人間かいかに非情で自分のことしか自分の家族意外のことしか考えていないかというのも知った。
そんなことが当たり前じゃないかというが経験しないときみんないい人だと思っていたのである。
だから肉親が家族が殺されたり被害にあったとき憎まずに許しなさいということは簡単に言えないのである。
自分も被害にあって許さなかったからである。
キリストの十字架の上での言葉ならそれは嘘ではない、身をもって示したからである。
言葉ならいくらでも人間は言えるのである。
だからいくら本にいいことを書いてもその人がどんな体験をしたのかが問題になる。
戦争のことなどもだから実際は体験した人でしかわからないのである。

将来を予測して結婚している人は若いとしてもしっかりしている
自分にはそういう感覚がなかった。
本当にこの通りになったのが自分だった。
もちろん自分にかかわった奴らも異常だった。
それぞれが大きな問題をかかえていた。
一人は家族から追い出されたとか離婚していたとかあり現代の家族関係を象徴していた。つまり現代では子供は親のめんどうみないし一緒に住むことはむずかしくなっている
たから結婚したら別々に暮らすのが普通なのだがその人はまた金もないなど追い詰められていたのだ。
もうぎりぎりに追い詰められていた。そういう人も老人で今は増えているのだ。
みんなが金持ち老人じゃないのだ。
もう一人はまた借金で首がまわらなくなった人だった。
成功していたというので本当に成功していたと思っていた。
前の代からつきあいがあったから信用もしていたがそんな人ではなかった。
事業を失敗したからこの人も追い詰められていたから自分の家が病気とかなり自分もなったとき借金の請求で攻めてきたのである。
だから自分が病院に入院するとき、保証人になってもらったがそのことで恩をきせるは
弱者化したときいじめてきたのである。
その人が事業に失敗したのも当然だと思った。弱者を虐待するような人だったのである。

ただ南相馬市立病院では別に保証人もいらなかったのが不思議である。
あそこは何かルーズだったので良かった。相馬総合病院はうるさかったのである。
その時手術もしたからその時立会人が必ず必要になる。それも結婚していないととかなる家族がなくなると困ることになる
そして人間は非情であり弱みにつけこまれたのである。
それもあったが相手もぎりぎりに追い詰められていたのである。
相手を思う余裕がなかったから当然そうなったともなる
腹減ったら動物でも獲物となるものを襲い食べなければならない
子供など怪我しているような動物だと獲物にされやすいというときそれはつかまえやすいからそうなる。
飢えているのだからてっとりばやくつかえまるものをねらうのである。
まさにこの弱肉強食の世界を自分は身をもって体験したのである。
弱者に対しては相手も言い分が通りやすくなるのだ。
何ら抵抗できない状態にあるからそうなる、それは病院とかでも起こりやすい

医者とか看護師には抵抗できない、だから身寄りのないものは悲惨なことになる
おもちゃのように看護師にもてあそばれていた90才くらいの施設に入っている老人がいたその老人が苦しくても家族がいなのだから看護師にとってやり放題になる。
現実自分も入院して虐待とにたようなことをされたから病院は怖いと思った。
看護師がやさしい人とか医者でも非情な世界だと思うようになった。
体をみても心はみないし病院で死ぬのは別に家族でもないのだし人間は次から次と死んでゆくのだから死ぬことは一丁上がりとかしかならなくなってしまう。
あとは物のようにかたづけるだけなのである。
だから家族がいないということは人間にとって弱肉強食の世界では恐ろしいことなのである。
そのことを結婚しない人が多くなったが60以降に自分のようになりやすいから恐怖を感じるべきなのである。

いづれにしろ結婚するに結婚しないにしろ離婚するにしろ家族をもっても様々な問題をかかえるのが人間だから別に結婚しなくても地獄を経験している人などいくらでもいる。
別に家族があってもでたらめな親だったら子供は介護したりしない、捨てられるから家族でもいろいろあるから家族が万能でもない、他人でも親切な人は親切である。
同情する人はまれでも同情するのである。
自分を弱者化した時攻めて来た人もぎりぎりに追い詰められていたのである。
結局何度も言ってきたが人間は結婚するにしろしないにしろ自業自得でありカルマの清算を60以降に否応なく強いられる。
これは本当に自覚すべきなのだが若い内はしないし想像できない

若いときの不品行など一時的なもので忘れると思っているが60以降にかえってよみがえりさえなまされるのである。
若いときはなにをしてもそんなに老人になるまで影響するとは思わないのである。
つまり若いとき老人になることが想像できないことが人間の弱点なのである。
若い人が良く俺は60くらいで死ぬのがいいとか言うがそんなこと60になったら誰も言わない、もっと生きたい70でも80でも平均寿命まで生きたいというのが普通である。
その若い人たちも必ずそうなるのである。
結婚しないとどうなるのかというのも想像できないからであり今回のような恐ろしい災害が起きたのも想像できないからこんな大きな被害になったのである。

結局人間はもう最後は結婚するにしろ結婚しないにしろ何になれすべてカルマであり自業自得としあきらめるほかない、つまり現実を受け入れ過酷でも覚悟するほかないと思ったそういう境遇なってしまったのだかからもう結果だからどうにもならないと現実を受け入れることを覚悟するほかない
借金した人も他人に負わされるのではなく自分でかたをつけるほかないのである。
人間はみんな最後は自業自得であり他人に責任転嫁ができないようになっている。
だから必ず何であれ責任がとらされる、最後はカルマの清算が強いられる
それは逃れることはできないと覚悟するべきである。
自分の場合はそういう覚悟を強いられたとなる。他の人も別に結婚しない人でも自分のカルマは借金でも自分で返す他ないのである。
結局他人がそれぞれの人生の責任など負ってくれない
その人自身が最後は負わされてカルマの清算を要求される

これからは日本も今までのような楽なことはない、経済的にもそうだし大きな国民的困難の時代になるだろう。貧乏になってゆくのもそうである
だから日本に関して甘い幻想をいだくのはやめた方がいいとなる
日本の経済成長とか楽な時代は高度成長のような時代はもうないのである。
日本は今回の震災や原発事故で苦難の時代に突入した。
それも国民的カルマとして自覚しておく必要がある。
まともに食べられないというとき、物価があがったから現実に野菜でも果物でもずいぶん上がって食べられないと思った。
だから何をたべればいいのか?バナナは安いからバナナでがまんするとかなるかもしれない、現実に自分の子供の時はバナナは田舎では売っていなかったし父親が病気になったとき仙台から買ってきた。バナナは最高の贅沢品だったのである。
だから昔の生活をふりかえりバナナが食べられることはまだ贅沢なんだとか思う必要もでてくる。
そういう心構えをもたないと今までのような贅沢の時代は終わったとしてひきしめないと生活すらできなくなるからだ。
物価が高いということは物の価値があがることであり賃金が上がることは労働の価値があがることでもある。それは悪いともならないのである。
それは節約とか倹約とか物を大事にするとかになりいい方面に働くこともあるが悪い面としては消費が落ちるから売る方では会社では困るともなる
ただ今までの贅沢な無駄な消費生活は見直される時代になるからいいことでもある

いづれにしろも老人は先がないからあきらめかつく、若者はそうはいかない、そこにまた大きな差がある。この辺で避難者は小高などに帰れというけど老人ばかりであり
そんな人たちがどうして復興するのだろうかと思う
シルバータウンになりうば捨て山になってしまうのじゃいなかと思う。
あと何年生きればいい、あと五年原発補償金もらって暮らしたいなどと言う人ばかりなのである。そんな人たちがどうして帰って復興できるのかとなる
そういう人たちを老人をみるともう復興がどうのこうの問題でなくなっているような気がする。
だからもう何も外からも何も言っても無駄だともなる。第一そこに住む人たちがもう復興などする意欲がないのだから外から何を言っても無駄である。

人間は例えばアメリカが日本を守ってくれるわけではない、日本が領土でも守る気がないとしたら血を流す気がないとしたらどうしてアメリカが血を流して助けるのか
それも日本人は他力依存に戦後アメリカに支配されてなってしまったのである。
戦争はするのはを拒否しても自分の領土を守るという気概が必要になる
なぜらなちら尖閣諸島だけではない日本自体が今度は中国の属国化してしまうからである人間は最後は覚悟と気概が要求される。
それは過酷な体験したことによりそういう覚悟ができる
イスラム国も残酷だがあそこまでしていることはやはり命かけて戦っていることは戦後に楽してきた日本人には理解できないのである。
だからあんな残酷な殺され方を日本人がされたとなる。
それは別に戦時中は普通のことでありめずらしいことでもなかっのである。
ギリギリにおいつめられると人間はどんなことでもする
飢えていると野獣と同じくなるからもはや何を言っても無駄である。
戦争終わってから捕虜になりどんな悲惨な目にあったかそういうことも体験したものでないかぎりわからないのである。


 
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