2015年06月06日

縄文語とアイヌ語の謎 (福島県は関東より弥生文化の先進国だった)


縄文語とアイヌ語の謎

(福島県は関東より弥生文化の先進国だった)

千島列島とカムチャッカ半島の地名を見ると、アイヌ語地名は北上したもののようであり、南下してきたものではない、村山七郎著「アイヌ語の起源」(三一書房)
http://www.dai3gen.net/ainutoku.htm

アイヌ語が北上してのであり南下していないという指摘は重要である。
アイヌ語はもともとの縄文語に由来して民族の移動とともに蝦夷(エミシ)が伝えた言葉である。
アイヌ語はツングース系統とすると北から侵入したようで南からの移動の勢力が強かった北海道にもエとつく地名が多いのはなぜなのか?
それは南方から北へと地名が移動していたのである。
アイヌ語はアイヌが何なのかわからないにしろエとつくのは北上してきたものであり
アイヌ語はアイヌは北方系にしても南方系に由来しているのである。

そうなるとアラハバキもアイヌ語で解がないであろうか。arpa-pake と解すると、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、ほどの意味になる。果たして出発して旅をしたものが熊の頭だったか部族の首領だったかはともかく旅してくるものをマロードとして祭ってきたわけだ。
一方、paki となるとこれは「エビ」の意味である。エビ、つまり、蝦夷、に転意するのに造作も無い。アラハバキが「蝦夷」の語源を教えてくれてはいまいか。
http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm

ezogo111.jpg

目・見・お前・?・? アイヌ語 e= お前(ニ人称単数)
いーせ
いーそ
いーる
いーま(居間)
いーね(稲)
いーほ(飯)
いーい(飯)
いーち(中国語)
いーし(石)
いーえ(家)
いーも(芋)
いーむ(忌む)
いーなう(いなう)
いーりえ(入江)
いーけ(池)
いーき(息)
いーのる(祈る)
いーにし(いにしえ)
いーねる
いーく(食う)
いーさご
いーらっしゃい

「えびす」の語源は、「エミシ(蝦夷)」が「エミス」になり、「エビス」になったとされている。また、「えびす」は蛭子の神さまでもあり、水に関わりがあるから、兵庫県の西宮戎神社や大阪の今宮戎神社のように海に近いところにあるのが多いのである。

えびすが蝦夷とかエミシの由来なのか?それは水に関係あるのか?
それでエが江になったのかとなる
図で示すとイから派生する言葉がある。イは接頭語でありそれ自体意味があるとはなっていない、要するに強調するためにイが用いられた。
日本語ではセは瀬であり一語でも成り立つのが多い
伊勢とあってもイは接頭語であり強調語でてある。
イネとあってもネも根であり一語で成り立つ、いほでも穂(ほ)であり一語で成り立つ
この接頭語がつくのは北方系ではなく南方系の特徴だという

たとえば、日本語の接頭辞は、ツングース語にはまったくみられない。
接頭辞は、常に他の語の前に付いて用いられる語構成要素で、「お寺」「ま昼」「か細い」「い抱く」などのオ、マ、カ、イがそれにあたる。
 このように、日本語は、ツングース語的な文法を持っていながら、ツングース語では説明できない要素も非常に多い。
 
「日本語はオーストロネシア語とツングース語の混合言語」ではないかという結論に到達する。すなわち、縄文時代に、日本列島ではすでに原ツングース語を話す人がいたとして、その後、渡来したオーストロネシアンとお互いに混じり合うなかで、日本語の原型が形成された、という。

 http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_04nihonngo_ha_konngougenngo.html
 
日本語が混成後であることはまちがいない、それはオーストロネシアンと北方系のツングース系だということである。
その典型的な象徴がイーエという言葉である。それはエにイが強調語として接頭語としてつなぎあわされたのである。
エがさきにありエはエゾーエソでりエミシなのである。
そのイエに漢字が入り家をあてたのである。
ツングースが北方系が東北地帯一帯に先に縄文人として日本を形成していた。
そこに南方系のオーストロネシアンが入ってきて混成後が生まれた。
日本の最古の原住民、蝦夷は東北にあったともなる
それは例えば福島県でも茨城県より田が先に作られたということが考古学の発見でわかってきた。
福島が先進国で茨城、ヒタチの方が後進国だったということもその一つである。
つまり原日本人が東北にあるということはかなり重要だろう。
そのげんじゅうみんか言葉がなかったというのではなく縄文語としてすでに言葉をもっていたのである。
日本の最古層に東北の縄文文化があったともなる。

ただこのエミシは本当に謎であり不明である。
渡来人がこの蝦夷にも交じり地名とか言葉も残した。
アラハバキが蝦夷とかいうけどこれも渡来人系統である。アラとはツノガノアラシトのアラでありアラという国が韓国にあったからである。荒という姓は渡来系なのである。
東北にはツガルもツノガノアラシトから敦賀(敦賀)がありツノガからツカルになったのである。鹿角(カヅノ)などもそうかもしれない、
つまりツノガノアラシトの変形したものである。
カヤというのヤマトタケルに抵抗した蝦夷の一団の中にいたのである。
カヤは伽耶なのである。それは渡来人の一団がすでに蝦夷でもあった。
だから蝦夷は物部氏とかツノガノアラシトから伽耶(かや)とかの渡来人と一体化した人たちのことである。
そして弥生文化は関東の方より福島県側が発達していた。


稲作の伝播には太平洋側と日本海側の2ルートがありました。そして、稲作は日本海側の方が向いていますから、このルートの稲作の伝播は太平洋側よりさらに速度を速め、たった100年で青森県まで到達しました。そして、東北の太平洋側の稲作は、日本海に注ぐ川を遡上して広まりました。
このルートは新潟から阿賀野川から東進し会津盆地に入るルートです。弥生時代中期の福島県域の人たちは、たぶんこの阿賀野川に沿ってやってきた人たちです。この人たちが県域の各地に広がり、その子孫が弥生時代に県域に住んだ人たちでした
http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/20944129.html

つまり弥生人はすてに渡来人でもあり福島県には濃厚にその跡が残っている。
これは渡来人の影響が大きかったともなる
しかしその前に縄文人が東北にはいてそれが縄文語のルーツでありそれにオーストロネシアンとツングース系の北方言語が混じり合ったのである。

いづれにしろ日本語が孤立語でそのルーツがわからないのはそもそも満州に住んでいる人たちとかインドネシアに住んでいる人たちの言葉とか東南アジアの言葉を知らないことによる
もし交流があったなら共通語が東南アジアとか中国でも形成されていたのである。
それはヨーロッパを見れば継続して交流があり明確に混成後として言葉がわかる
日本語は例えばオーストロネシアでもそれは断絶してしまったから不明になったのである現実に日本が戦争でオーストロネシア地帯にポリネシアなどに進出して兵隊が支配したときその島では日本語をしゃべっていたし今でもしゃべる人がいることでもわかる。
戦争を通じて日本と交流があったから日本語をしゃべっているのである。
戦争で征服、征服されると言葉が強制的に混成後になることが明確である。
日本は回りを海に囲まれて断絶してしまったのである。

言葉の不思議はもし縄文語があるとして縄文人がしゃべっていた言葉と同じ言葉をしゃべっているとしたら明らかに縄文人をルーツにした文化を言葉から受け継いでいるとなる
すると今の日常生活にも縄文人が日本人の中に生きているとなる
縄文時代となるとただ過去の死んだ遺跡のようにしか見ていない
今とは遠く切り離された遺物として見ているのである。
現実に今に生きていない歴史は歴史にはならないだろう。
民族の言葉を維持することはそうした縄文人の文化を受け継いでいるということにもある大和言葉というと縄文人が関係ないように見える
蝦夷といってもわからないから大和言葉は渡来人の言葉なのかともなる

でも日本語が孤立語だというのはそもそも回りとアジアと交流がなくなっていることにあるのだ。
戦争でもアジアから孤立していたし今でも朝鮮中国からも孤立している。
その孤立語というのは言葉だけではない、現実の世界でもアジアから孤立していることがつづいているのである。
言葉というのはだから現実の世界情勢を反映したものとしてもありつづける。
中国などはかえって今ではその文化でもわかりにくいのは明治維新から欧米一辺倒になったからである。
中国がまたアジアの中心になると必ず中国文化が見直されるのである。
文化という視点になればやはりその土地と一体化するアイディンティティ化する
だから東北の源流を探ることも大事になる
そこから東北ルネサンスが生まれるのである。
それで東北の歴史も見直す必要が出てくるのである。



2015年06月07日

相馬市の道の駅は自転車の散歩コース (車社会で活気あるものは変わったー配達する仕事も同じ)


相馬市の道の駅は自転車の散歩コース


(車社会で活気あるものは変わったー配達する仕事も同じ)

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相馬市の道の駅の燕の巣




道の駅人々行き交い燕の子
道の駅燕の巣二つにぎわいぬ
ツツジ咲き人々集まる道の駅

新緑に風のそよぎて山帽子咲きて影なす道の涼しき
新緑の風にそよぎて時鳥声清らかに近くに鳴きぬ



今日も相馬市の道の駅に行った。あそこまでが自転車でも散歩コースになる。
北海老のニコニコ堂の庭をみて八沢浦を回り道の駅につく
あそこに燕の巣が二つあり雛が育っていた。
あそこは人の出入りがありかえって烏などにねらわれないいい場所だった
埼玉から来た人だった、南相馬市と相馬市があることでわかりにくいと言っていた。
やはり外から見ると区別しにくいだろう。
地名でも名前でもなにか区別する、分けるということもある
同じような名前だと区別できなくなる
南相馬市も相馬市も同じじゃないかと外からは見えるのである。
名前をつけるとき外からの視点も必要だった。
やっぱり雲雀市というのありかと思った。

いつも道の駅とかではナンバーをみている。
釧路から着ている子供連れがいた。
それが釧路だったのである。遠いと思ったが苫小牧からフェリーで来たと推測した。
なぜなら苫小牧から仙台の太平洋フェリーで自分は十回くらい北海道に行っているからだもう一人も北海道であり除染でんの仕事で何でも岡山からこっちに移ってきたばかりだという。
スマホとタブレットをもっていてコンビニで休んでいた。

それからまた道の駅でぶらぶらしていると三輪車の大きなハーレーダビッドソンが二台置いてあった。
するとそれをしげしげみている人がいた。
「これは三輪車だからヘルメットかぶらなくてもいいんだよ、転ばないから」
「そうなの、これは転ばない、がっしりしている、まるで車だ」
「これは名取で売っているよ」
「これは高いだろうな」
「年配の人だよ、これに乗っているのは」
「みんな、いいバイクでも乗っているのは年配だな、この前もハーレーダビッドソンに乗っていたのは大熊の74才で頭がまるっきり禿げた人だったから驚いた」
「これはスピード出すというより車体を見せて自慢するもんだよ」
「ええ、そんなもんですか、ぴかぴかに磨いているな」


自分は何気なく触ったが触るなとその人に言われた。
三輪車が一台とサイドカーのついたものが黒いのと白いのが一台とめてあった。

「こんな大きなのはアメリカ向きだよ、アメリカで鉄道を利用したけど車内は広いんだよ、でも広くないと困るよ、太ったでかい人がどっしりと腰をおろすからあれくらい広くないと乗れない、日本では狭くてこまっているだろう」
「まあ、これは広い道路向きだよ、アメリカで作られたからな」

自分はアムトラックに乗ってアメリカを一度旅したことがあった。
車内は広いからゆったり座れたのである。まるで応接間のソファーにに座る感じだったのである。
そういう感覚がアメリカ的だと思った。日本では何でも一回り小さくなってしまう。
大陸的だというときそうした日常生活から何かするのにも影響している。
一見そんなことが関係ないようでも戦争のような大きなことをするにしてもアメリカのような大きな国は日本とは違ってものの見方まで変わっているのである。
日本は狭い国だから考え方もせせこましくなってしまうのである。
北海道はその点日本にてはアメリカ的なのである。
そのハーレダビッドソンに乗っていたのは意外にも南相馬市の地元の人だった
東京で買ったという、それなりに金がある人なのか、この辺でもそういう人がいたとかなる
もしかしたら補償金もらった避難民かもしれない、南相馬市にもいるからだ。
ともかくハーレダビッドソン見ていたやはり年配の人は相当にほしいという感じだった
やっぱりあれ一度のるのが夢なのだろう。
車を運転しない人にはわからないのである。
まあ、自転車だと百万円くらいのロードの軽い自転車に乗ってみたいとかと同じなのだろう。


道の駅に来る所の道に山帽子が咲いていた。外に咲く山帽子はまた気持良く咲いている。風がそよぎ木陰がなして気持いい、今日は晴天だけどそれほど暑くなかった。
そろそろ梅雨に入る時期だけど遠くには行けなかった。
ともかく介護とかなると遠くには行きづらいのである。
明日またショートスティだけどこれまた嫌だというし具合悪いとも言っていたしいつまで介護がつづくのだろうと思う。

ともかく相馬市の道の駅は自転車の散歩コースとして最適である。
原町は街中にあるから散歩コースにはならない、用事で行くことになる
今は鉄道の駅より本当に道の駅が駅らしいとなる。
そこには人々が行き交い集まるからそうなる。
前は鉄道の駅がそうして人々が集まる場所だったのである。
人間の生活は常に変わっている

アマゾンなどで何か本を中心になるが毎日のように配達してもらっている。
するとその人が田舎だから車をとめて家の玄関まで距離がある農家に配達していた。
そこまで走っていたのである。
走らないと時間を短縮できないからだろう。
今は通販時代になると配達することが社会にとって大事な仕事に見えた
自分でも配達されないと相当に困る。
だからますます配達する仕事が社会にとって重要な仕事に見えたのである。
そこには人手も必要であり人手もそういう所に移ってゆく
そういう仕事はこれから給料も高くなってゆくのかもしれない
社会で必要としている仕事は常に変わっているということである
道の駅とか配達している人が何か現代を象徴していて活気があるとなる
鉄道の駅は何かさびれているとなってしまったのである。

タグ:道の駅

2015年06月08日

南方系と北方系は世界史的なテーマ (日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


南方系と北方系は世界史的なテーマ


(日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


●ヨーロッパは南と北は明確である

日本での南方系と北方系の区別はむずかしい。
文化が地理から作られるから気候風土が深く関係している
それが明確なのはヨーロッパだと暑い方の地中海沿岸のラテン系と寒い国のゲルマン民族である。
フランス語とドイツ語が明確に別れているし言語学者でなくてもすぐにわかる
言葉の面から言えばドイツ語は東北のズーズー弁的なところがある
何か言葉が重いのである。そのドイツ語を基本にして英語が成り立っている
ということはドイツ語は世界的なものになっているという面もある
英語でドイツ語を意識しなくてもドイツ語がその根底にあるからドイツ文化の影響を受けているともなる
ヨーロッパだとこうして南と北は地理的風土的にも文化的にも歴史的にも別れているからわかりやすい
ギリシャやローマは南方系でありギリシャにはオレンジなどがとれる、それは日本だと瀬戸内海辺りになる。
ドイツとかは寒いし霧の国であり憂鬱になるから憂鬱な哲学者が輩出している
それは風土的な影響なのである。音楽でも重厚な音楽になる
ゴシック教会のようにゲルマンの森を象徴しているというのもそのためである。
日本だと東北から北海道はゲルマンににている北方系だが北海道は風土的にはより北方系である。トドマツなどがあり樹も重厚になるし太いのである。

カトリックはラテン系であり勤勉なプロテスタントは北方系である。
南方系のラテン系はシエスタとか昼間の長い時間を昼寝するとか休む
それは暑いせいもある、暑いところは昼間は働けないのである。
だからなまけもののように見える。
寒い国はかえって勤勉になるのである。
人種的に区別することもあるが人間はそこに住む風土の影響の方が大きい
ただユダヤ人は例外である。神の民として今も残存しているからである。
民族というより風土的歴史的に作られた文化的集団としての区別である。
だから日本人のルーツを探っても無駄なような気がする
遊牧民とか農耕民とか漁労民とか分けるのがその風土とか生業が人間の存在を規定する
世界は人種で分けるのではなく土地土地で培われた歴史と文化で分ける。
だからもし日本に移民がふえても日本の風土はかわらないから日本人の文化を受け継げば人種は関係ないとなる。
ただ言葉が変わったりしたら日本の文化は喪失するのである。

文化は風土が多様なように多様であるべきなのである。
方言をみんな標準語にしたのもつまらない、ズーズー弁は軽蔑の対象になったが
方言が喪失したら国の訛りもなくなり地域性もなくなる
今は子供からしてきれいな標準語をしゃべり方言は喪失しているからだ。
面白かったのは丸森の人がんだべっちゃと言ったことである。
仙台だと語尾がだっちゃになる、相馬ではんだとなる、それか結合してんだっちゃとなった
丸森には一時相馬藩の城があったから方言も結合したともなる
こういうふうに地域性があると方言でも文化であり面白いのである。
科学とか数学は共通であり地域性とかないからグローバル化で文化も破壊されたのである地域創生というとき方言だって見直す作業が必要なのである。

それは狭い一地域でも歴史が違っていて色合いか違ってくる
何回も書いたけど相馬市は相馬藩の城跡があり城下町である。
原町市はひは雲雀が原があり野馬追いでは神旗争奪戦が行われる場所である。
でも原町は明治になって鉄道が開通して原町機関区になったようにいち早く近代化した街である。
だから大正時代に巨大な東洋一の無線塔ができた。
駅前通りが主要な商店街になったのもそのためである。
相馬市は駅前と通りはなく城下町のままだった。
原町は何か感覚的に広々として感じになる、郊外が広い感じになり雲雀が鳴いているのがふさわしい、それで雲雀市という合併後の名前も浮上したことでもわかる
そういう土地柄なのてある
こういう違いはなかなか旅しているとわかりにくいのである。

●日本では南北が東西になっている

とう‐ざい【東西】 

もと相撲で、東から西までおしずまりなさい、という意で言い始めたという》興行物などで口上を述べるときに、また、ざわめきをしずめるときなどに言う語。東西。とざいとうざい。

1 東と西。また、その方向。「―に走る道路」
2 東洋と西洋、関東と関西、東側諸国と西側諸国などの意。「―の文化」「洋の―を問わない」「古今―」
3 世間。また、世間の事柄や事情。「―もわきまえない青二才」
4 《東や西の意から》あちこち。方々。

東と西。また,東洋と西洋,東側諸国と西側諸国,関東と関西など。 南北 「川は町の中央を−に流れている」 「人の気持ちは洋の−を問わない」 「古今−」
A方角。転じて,世間の事柄。 → 東西を失う ・ 東西を弁ぜず
Bもと中国の俗語で,物品または金銭の称。

東人(とうじん、韓国語:동인〔トンイン〕)は、李氏朝鮮の官僚の派閥の一つ。

東人と西人の対立が始まると当時の大司憲・李珥は、金孝元、沈義謙双方を地方に退かせたため、東人の領袖の座に鄭仁弘を着かせた。1584年、李珥が亡くなると本格的な党争が始まった。東人はほぼ政権を掌握していたが、西人から東人へ寝返った鄭汝立の謀叛事件により西人に政権を奪われることとなった。
しかし、1591年に西人が世子冊封の問題で失脚すると東人が政権を掌握した。東人は西人の粛清を始めたがその過程で、南人と北人に分裂することとな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%BA

あずま‐びと〔あづま‐〕【▽東人】 

東国の人。田舎者の意を含んでもいう。あずまうど。あずまど。
「破 (わ) り子や何やと、こなたにも入れたるを、―どもにも食はせ」〈源・宿木〉

東男に京女
男は男らしくいきな江戸の男がよく、女は優しく美しい京の女がよい。
あずまあそび【東遊び】

古く東国地方で、風俗歌に合わせて行われた民俗舞踊。平安時代から、宮廷・貴族・神社の間で神事舞の一つとして演じられた。歌方(うたいかた)は笏拍子(しゃくびょうし)を持ち、笛・篳篥(ひちりき)・和琴(わごん)の伴奏で歌い、四人または六人の舞人が近衛(このえ)の武官の正装などをして舞う。現在は宮中や神社の祭礼で行われる。東舞(あずままい)。

あずまうた【東歌】
上代、東国地方で作られた民謡風の短歌。万葉集巻14と古今集巻20の一部に収められる。
あずまうど【東人】
「あづまびと」の音変化。
「あやしの―なりとも、賑ははしきにつきて」〈徒然・二四〇〉
あずまえびす【東夷】
京都からみて、東国の人、特に無骨で粗野な東国武士をあざけっていった語。東夷(とうい)。


日本では南方系と北方系は東と西である。だからトウザイ、トウザイとは東も西もで日本全国をさしている。
日本の方角感覚は南北ではない、東と西なのである。

●東西感覚は歴史的にも韓国と日本でも共通していた

それは歴史的にも関が原で東と西が奈良時代から別れている、東はあづまでありそれは戦国時代でも信長は尾張であづまの領域、東の勢力である。

それは天智天皇と天武天皇が争った壬申の乱からすでにはじまっていた。
大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月24日)に吉野を出立した。まず、名張に入り駅家を焼いたが、名張郡司は出兵を拒否した。この状況を不利と見た大海人皇子は、伊勢国に滞在し占いを行った後、伊勢神宮に参拝した。これにより大海人皇子は美濃、伊勢、伊賀、熊野やその他の豪族の信を得ることに成功した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

名張から伊勢へ向かった。伊勢から名張へ自分は旅をしたからこの地理感覚わかる。
面白いのは韓国でも同じ方向感覚で歴史が形成された。壬申の乱と同じように日本と同じように韓国でも東西の争いがあり国が作られた。
小野妹子が(7世紀初せいきはじめ)推古天皇時代607年,はじめての遣隋使として中国につかわされ,「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」という書き出しで有名な聖徳太子しの国書を皇帝煬帝にわたした。
日本は極東だとか東海だとか東の果ての国なのである。南北ではない、それは陽が上る方向の国である。人間の方向感覚は陽が上る方向と沈む方向で知るのは人間が住み始めてからどこでも同じ傾向があったろう。
でも日本でも日本海は山から陽が上り海に沈む、西に沈む、この感覚が太平洋側に住んでいるとなじめないのである。
盆地だと東山から上り西に沈むとなる。京都に東山があるのは陽が上ることは意識するが西山はないのは陽が上る方向を人は特に意識するからである。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 啄木

東海とは日本海も太平洋も視野に入れた広い範囲なのである。韓国から見ると日本は東海になっている。

東と西というとき不思議だったのは近江である。琵琶湖中心に湖西と湖東があり湖西となると淋しい感じになっている、東は風土的には陽の上る方向だから明るい感じになる。
西は陽が没する方向だから淋しい感じになる。
ただ歴史的には違っている。西となると別に関西は先進国で東は後進国であった。
それで今でも東京をトンキンとして関西人がネットで言っている。
地名でも書いてきたが地名の基本は方角地名なのである。
方角によってその土地を知るのが基本である。
それで相馬市と南相馬市となったがもともと相馬藩は小高に最初に相馬氏が拠点の城を築いてそこを中心にして鹿島とか相馬市の方向は北郷としていた。
北という感覚がここにはあった。東と北は日本では同一であり混同しやすいのである。
南はなじみがない、でも東風(こと)とか北風とか西風があり風では東風と北風がなじみがある、南が意識されたのは柳田国男の海上の道で沖縄や南が意識されたのである。

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄(よ)る椰子の実一つ ふるさとの岸をはなれて なれはそも波にいく月(つき) もとの樹(き)は生(お)ひやしげれる 枝(えだ)はなほ影(かげ)をやなせる ・・・」

この遠き島が沖縄の島になるしさらに南の島々に通じる。オーストロネシア語圏内になる椰子の実は日本の岸に流れ着くのは南の島からである。
それは黒潮の流れにのって流れてくる。
南相馬市の鹿島区の海老浜は車輪梅は南限の地として有名だった。
これは奄美大島が原産でその種が流れ着いて自生したのである。
まず太平洋は広いしアメリカの方からは何も流れてこないし交流もないのである。
台湾から与那国島から沖縄の島伝いに九州の薩摩とつながった。
薩摩芋ももともと沖縄から伝播してきたものらしい。
米はこの海上の道から来たというけど沖縄では稲作になる適地がないし本土とは江戸時代になるまで交流がなかったからどうなるかとなる
ただ貝は中国に伝わり貨幣となったり日本の関東地域とかまで運ばれたことはわかっている。

ともかく旅すると必ず方角がわからなくなる。だから方角を知るために磁石が必要なる。近江は琵琶湖を中心にして地理がわかりやすいところだった。
それでも湖西があり湖東があり関が原から向こうが東だという感覚がわからなかった。
たいがい自分の住むところは太平洋から陽が昇るからである。
ただ湖西となると何かやはり陽の没るところで比良などの山々があり淋しい感じになる。西会津でも会津のさらなる奥で淋しい感じになる。
つまり東とつくと何か明るい感じになる。東山とかあり東山温泉とかあるのは会津でも同じである。
でもまた会津でもあそこが東山で陽が昇るのかということもわかりにくい、会津は山国になるからその地理がわからなかった。
そして一番不思議に感じたのは太陽が湾から山に沈んでゆく、西沈んでゆく光景である。大阪湾などがそうであり他にもそういう場所は西になると多いのである。
大阪の日下とはもともと大きな湾があり陽の沈む所として名付けられた。
日下部というのはそこから生まれた。一つの太陽の方向感覚から生まれた地名でありそれが氏族の名前となった。
旅の面白さはそうしたありえないような風景に接することである。
それは太陽が山から昇るでも海から昇る陽をいつも見ているのとはまるで違った感覚になるからである。


 
タグ:東西

2015年06月09日

神田うのベビーシッターに3000万の窃盗被害 (家に入り働く人は一番危険で要注意ー泥棒にも三分の理)


神田うのベビーシッターに3000万の窃盗被害


(家に入り働く人は一番危険で要注意ー泥棒にも三分の理)


神田うの、ベビーシッターによる3000万円以上の窃盗被害に 「シッター4人体制」も発覚し、ママタレ資質に疑問の声も
2015年6月5日(金) PM 6:36
「主文 被告人を懲役2年4月に処する」。5月14日、東京地方裁判所711号法廷で“ある窃盗事件”の判決が言い渡されていた。被告人は60歳の女性。A被告はベビーシッターとしての立場を悪用し、派遣先の家から27点、時価にして1千万円以上もの金品を盗んでいたという。実は、彼女はタレント・神田うの(40歳)の元ベビーシッターだったのだ――。
うのといえばタレントとして活動するかたわら、手掛けるブランドの年商が100億円とも言われる実業家だ。07年には、大手パチンコチェーンなどを展開する「日拓グループ」社長の西村拓郎氏(45歳)と結婚。11年10月に長女(3歳)を出産すると、子育て環境の充実に力を入れ始めたという。11年12月、彼女はベビーシッターの派遣を知人の会社へ依頼。そこで紹介され採用されたのが、A被告だった。


高島忠夫と寿美花代の子供が家政婦さんに殺害された事を思うと 3000万の金品盗難で済んで良かったと言うべきか

自称保育士の男がベビーシッターとして預かっていた子供を虐待し、死体遺棄した疑いで逮捕されました
被告人は60歳の女性。一番の古株←しなさそうに見えていたのかもね そういう人が一番怖いってことだ

信頼までは金で買えなかったかぁ…松嶋菜々子と反町隆史のところは、プライベートを知られるのは怖いから、シッターやお手伝いさんは雇わないとかいう記事が出た事あったけど、それ位警戒して丁度良い位だね。
http://www.officiallyjd.com/archives/452658/


これは事件が起きるべくして起きた。こういうのは被害者もカルマがある。
要するに犯罪でもただ偶然には起きない、その人の因果で起きる、偶然だけではこの世のことはかたづけられない。
なぜある人が事件とか事故にあうのか?
ただ偶然にそうなっているのか?
自分のことを考えられると偶然には思えないから自分にもカルマがあったから犯罪にあったと今では考える。
もちろん相手もそうなのだが自分もそうだったのである。

被告人は60歳の女性。一番の古株←しなさそうに見えていたのかもね そういう人が一番怖いってことだ
自分にもこういうことがあった。近くだしそんなことしないと思っていた。
でもその人にすれば自分の家で働く動機がなく金だっけだった
だから最初から金だけが欲しくて家の中を荒らされたとなる。
そこに突然の自分の病気とか重なってそうなったのだがこれも自分のカルマだった
カルマは必ず清算されることが要求される
人生のしたことが必ず60以上になったら清算要求される、ツケは払わされるのである。
それはどういうふうになるか個々人で事情が違うのでわからない。
何かこの世に偶然はありえない、犯罪にあうのもあうべくしてあう、あわない人はあわないのである。

この芸能人はあうべくしてあったのだ。その生活を見たら誰でも盗みたくなるような家だったのである。高価な宝石やら何やら家政婦でもベビーシッターでもそんなところで働いていたらそうなる
なぜこの家にこんなに高価なものがあるのか、こんなに金があるのか、私はこんなところでなてぜ下働きしなければならないのか?
他人の子供の世話をしなければならないのか?
そういう生活の差が露骨にありすぎたのである。
一番危険なのは家に入って来る人である。家の事情がわかってしまうからである。
信頼関係がない人は家に入れるべきではないが入れたとしても常に看視していなければならないから心も休まらないだろ。
今では介護関係などでも家に人が入ってくるから危険である。
でもまたそうならざるをえない事情もある。大家族でもないし人手たりていからである。本当はこういうふうに家に入ってくる人は一番犯罪が起こり安い場所なのである。
青森では家政婦が働いている家々に火をつけて火事にしたとか様々な問題が起きる。
要するに人間は働くにしても動機が肝心になる。
犯罪では必ず動機を問題にする。動機があれば犯人と目星をつけられるのである。
働くにしても働く動機が必要なのである。
それが今は金だけもらえるから働くという人が多くなった。

例えば江戸時代以前とかは乳母(めのと)とかが殿の子育てなどをしていた。
それはその侍社会では城を守るという共同性の中に生きて生死をともにしていた共同体があったからである。
その殿様の子を育てるということは自分自身達の利益にかなうことであり守らねばならないものだった。それは単に利益というだけではない、長い時間でそうした家族と同じような絆が作られていたのである。
今はそういう動機がない、ただ金で雇う雇われる関係になると家の中で働くとなると危険である。
信頼関係は簡単に作れないからである。
実際インターネットで離婚した男性がベビシッターを雇い子供が殺されたとか虐待されたとか外国でも普通に起きている。
そういうことが起こりやすい世界なのである。
特に今は金だけの関係だけになるから特に問題が起こりやすいのである。
他人の子供をめんどうみる動機がない、金のためだけだとなると盗んだ方がいいとなる
ここにはこんな贅沢している、盗んでもいいとなり泥棒にも三分の理があるとなる
現実にこの人との生活の差は百倍もあるだろうから当然だとなる
3000万盗まれても端金になってしまう。
だから本当に子供でも殺されなくて良かったとかつくづくそう思う。
一万でも殺される人は殺されているからである。
だからこういう犯罪はどっちにしろ起こるべくして起こるというカルマがあったとなる。

最近東京で介護する老人が増えるから地方で介護させるとのがいいと東京で言っているのもまた身勝手である。

農業は米を作れば作るほど赤字を作り、再就職先も無い。 
 田舎は独居老人と孤独死(都会者は信じられないだろうが、百姓の餓死などザラだぞ)、空家と無縁墓だらけ。
いかなる形であろうが、余所者が入り込める隙間などどこにもない。

それより田舎で暮らしてきた人が金がある東京の老人を介護者として優先して地元の人が介護されないとか金がない人はお断りとなったらどうなるのか?
田舎の人たちは怒るだろう。
そうなると東京から施設に入っても歓迎されないから危険な状態になるかもしれない
それは金だけではそもそも介護の動機にならないからだ
介護となると常に問題になるのが義理の父親とか母親は実の親ではないのだから介護したくないとなり離婚になったケースもある
それも動機がないからそうなる、介護はもともと家族がするのが動機があるのだからそうなるべきだとなる。
子供を世話したのはその介護される親だからである。
他人は金をもらったとしてもいやいやでしかできないだろう。
だから介護というのは動機が深くかかわっているから施設ではいい介護は金持ちでもされない
世話する人には動機がないから金だけもらえるとしても表面では愛想よくしてもどうしても本音が現れるのが介護の現場なのである。

いづれにしろ殺されなくて良かったとしてあきらめるべきだった。

その人にとって3千万でもはした金だったからである。
だから泥棒にも三分の理というのは諺にはつくづくそれなりの理があって今も変わらず人間は変わらないから通用している
盗まれる人は殺される人は何かそれなりの理由があり偶然ではないとなる。
ただ必ず例外的なことはありすべてとは何でも言えない
これは外から見てもわかりやすい例である。
何か世話になったとか金意外の動機があれば家で働くのも安全になる。
そうでなければ保証はないということである。
その子供でも雇い主でも殺されるかもしれないということを自覚しなければならない
いづれにしろ人を雇うとか雇われる関係というのもまた様々な問題が起きる
ブラック会社のことが問題にされるのもそのためである。

そこには金だけが働く動機となり雇う人も雇われる人も金だけの関係になるから問題になる。
雇う人にも雇われる人にもなにかしらの人間関係が生じればそうはならないのである。
今は人間の関係を金だけで処理しようとするから問題が起きる
金がやるからいいだろう何か文句あるのかとかで終わりになる。
そういうことは福祉とかでは人とじかに接するから割り切れないから問題が起きるのである。
ともかく家に人を入れるとなるとそれなりの家で待遇しないと問題が起きる
それだけの金があればもっと金をはらっても良かったからである。
家の中で働いてもらうことははっきり言って金でありなんであれ与えないとできない、高価な代償が要求される。現代は特にそうした人間関係が簡単に作れないから問題が起きるインターネットでベビーシッターを雇った殺されたというのもそうである。
つまり家族の役割をしてくれる人などもともといないのである。
それを自分は介護とか自分の病気で自分一人だったからいたいほどわかったということである。

金は借金でもすれば出てくるが
人は湧いては出てこない

人手不足といっても仕事ができる人は簡単にはみつからない、その仕事にマッチした人は簡単にでてこない、確かに金はでてくるしある人も多い
でも信頼ある人が来るかとなるとそうならない
だから人手不足簡単に解消しない
金だけではこの世のどうにもならないのである。
金+?が必要なのが人間社会なのである。




ベビーシッターの男が預かった子供を殺害した事件は、もちろん一番悪いのは犯人だけど、預けた母親もちょっとバカすぎるよね。 ネットで見つけただけの赤の他人に子供を預けるなんてね、非常識もいいとこ。
母親は被害者ぶってると思うけど、あなたもはっきり言って間接的な加害者だよ。被害者ぶらないでほしい。

hasekai526さん 編集あり2014/3/1919:07:56

別のサイトでは母親のブログに、預けた日は彼氏と2泊3日で旅行に行ったと書かれていたそう。
ブログは既に閉鎖されているらしいので事実かは分からないけど、本当なら最低です。
何被害者ツラしてんの!
家族も彼氏も同罪だよ。(知ってれば)


世の中の事故なんて、何かと何かが、タイミング悪く
重なった時に起こるんだと、改めて思いました

つくづくこれが自分にあてはまっていた、事故や事件はいろいろなものが重なり起きる。
自分も全くそうだった、なせそのとき突然病気になったのかもそうである。
それも偶然ではなくなるべくしてなったとなる。
だからこの世で起きることは自業自得なんだよ借金した人もそうであり見栄からしているだからそれを他人に負わせるのも納得しないだろう。
自分でそのツケを借りをカルマを払わなければならないんだよ
まあ、他人のことは言えない、自分もそうだった。
ただなんとか自分はこの七年間の苦しみで自分のカルマは清算した感じた
そのあとまだつづきがあるのかもしれないけど金があるから安全はない
本当に殺されなくて良かったというのが世間の見方であることを知るべきである。

=A7dP5XXUanZVIzsAwNEUAPR7?page=2&qid=13125064868
posted by 老鶯 at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

抽象画(岩と地底) (抽象画は原画を変化させて意味与えて鑑賞する)


抽象画(岩と地底)

(抽象画は原画を変化させて意味与えて鑑賞する)

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奇岩

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死火山の火口

これは原画とかなりにているからまずい

ただ一連のものとして理解させるために出した


chiteipowaer.jpg

地底の紋章


これも著作権に違反しているかもしれない
でも抽象画が変化させてまた意味あるものとなる
つまり抽象画が見てもなにかわからない
それが変化させて岩になったなとしてまた鑑賞している
火口のように見えるとしてまた鑑賞している
これは原画みると変化させたものだからわかる
別に著作権は指摘されていない
結局わからないのだろう。

インターネットでは著作権違反は相当にある
なぜならインターネット自体が一つの巨大な本になっている
一冊一冊として作者があるのとも違っているからだ
共同制作みたくなっている
これも問題なのだけどそうなりやすいのである。
普通は絵画などは写真集でみているけどこんな変化させたりできないからである。
タグ:岩山

2015年06月10日

抽象画(光あれ、色のあれ)


抽象画(光あれ、色のあれ)

抽象画に適したレーザーグラフィックス


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光あれ、色のあれ

be lights  be colours

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山の色

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earthwwwwwww123.jpg

水がおおっていた




抽象画はこうした新しい電気の色に向いている。
電気の色は変化しやすいのである。
だからart(技術)とともに生まれた新しい芸術なのである。
タグ:

初夏の花々(薔薇などの写真)


初夏の花々(薔薇などの写真)

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torukoooo123.jpg

roselight1234_FotoSketcher.jpg
クリック拡大ーニコニコ堂(北海老)

小さなるトルコ桔梗の桃色に壺にさし見ゆ可憐なるかな
年ふりて花に花のつつむかな夏蠟梅を庭に咲かせぬ
花の中小さき花をつつみつつ夏蠟梅の我が庭に咲く
三色の百日草を部屋におくその色映えて明るくなりぬ
触らずに薔薇に光や我がよりて掃き浄めける朝の庭かな
窓により若き男女や大輪の赤き薔薇映ゆニコニコ堂かな



写真はデジタルカメラだとまずこれが良くとれているんじゃないかなと思ってもとれていない、角度を変えたり接近したりランダムにとったものをあとで見るとこれがいいなと選んでいる。
こういうことは写真だけとるならできなかったろう。
現像する前にどんなふうにとれていたのかわかるだろう。
だから写真というのはより身近になった。つまり素人でもいいのが結構とれる
ただ6万くらいのカメラは必要である。
光の具合などでかなり差がでる、実際見たものとは違ってくる。
この薔薇の写真はやはり光の具合が見た感じとは多少違っていた。
さらにいいカメラだったら見た目と同じくとれるらしい
それはソニーのカメラで二十万とかなるがそれだけの価値はある
夏蠟梅とかめずらしい花である。そういう写真はインターネットに今はいくらでもでている。

自分は庭を掃除したり花を挿したり手入れしたり家事をしたり介護したり金銭の管理からなにから毎日追われている
プログだってインターネットでもパソコンの操作は結構手間だし疲れる
今日は厚寿苑に三日ショートスティした。
だから余裕あるといえばあるが前とはまるで違う。
前はなんかいつまでもなにしもしない時間が延々とあった
だから暇で嫌な面もあった。でもそういうことも今はない
だから家事でも何でも何もしない時間が長くつづいたらなと思う
そういう時間をもてたのは幸せだった
結局人間で一番貴重なのは時間だった
その時間が無駄なことに費やされることが一番浪費だったのである。
そのことが若いときにはいくら言ってもわからないのである。
人間は何でもそれが現実化しないと自分の身にならないとわからないのである。

誰だか一万時間費やせば誰でも他よりぬきんでる、プロになるというのは本当である。
なぜなら一つの楽器を覚えるにはそれに時間をいくら費やすかで決まるからである。
一万時間費やせばプロになれるはいうことである。
そして楽器にしたっていろいろな楽器など時間がないから覚えられないのである。
北海老のニコニコ堂には日曜日は人が入っていた、若い男女は窓に見えた
自分は入らなかったがあそこの庭はいろいろ花が咲いている
今は大きな薔薇が咲いていた。あそこは絵になる場所なのである。
ただ昼間でも予約制の食事だから行きにくい
仮設のあつみ食堂には一週間に二回くらいは行っている
あそこまた昼間だけだから困る、晩方もやればゆきやすくなる
結局これも時間の節約のためなのである。
外食すれば時間が節約できるからそういうふうに思う
ただ野菜類とか自分でとらないと体に悪いから自炊が必要である。
今日はまた暑くなった。
暑いと外にでると自転車は疲れる
また明日から介護がはじまるからゆっくりしていられないのだ。

"天才"に生まれ変わる「10000時間の法則」

これが参考になるかもしれない,旅でも旅人になるにはそれだけの時間を費やす必要がある
それはみんな時間がないのでできないのである。

知識にしても膨大だからそれに費やす時間がなくて中途半端で終わるのである。
タグ:薔薇

2015年06月11日

結婚もしない家族もいない人の末路 (何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


結婚もしない家族もいない人の末路


(何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


歳喰って入院してみろ
独り身の老いぼれ爺に対する看護師の嫌がらせ虐待は凄まじいぞ
傍で見ていて見ちゃおれんぞ
独り身の男は差額ベッドの個室に入れるようにしないとな
金をたらふく持っていれば女と言うのは見下さないから

違うよ、独身がキツイのは親の死の時期を意識したときと自分が病気になったときだよ
親が死んだらもう一人ぽっちだ、誰も相談にも乗ってくれない、そもそも親の葬式はどうやって出したらいいのか、親の墓は?そして自分の死後は?
 病気になったときも誰も看病してくれないし、入院することになったら誰が入院準備をしてくれる?誰もいない

東京ですが、また数十年続いた店が潰れた。そこいらじゅう。結婚以前に、
 生存出来るかどうかの状況が広がり続けている事を議論した方が良い。
 結婚や幸不幸を語っている内は実に長閑。不幸でも何でも無い。
ちゃんと食べれて、ちゃんと家の中で眠れる。これすら出来ない人達が
 もの凄い勢いで増えてる。結婚したって、出産するだけで50万円。
お金持ちだけの選択肢じゃないでしょうか。貧困層はそのうち消えると
吐き棄てた政治家がいたけど、確かに一理あるかもしれない。自分だけで精一杯。



このことを身をもって経験した。全くその通りだった。自分は別にこんなこと予想もしなかったからのんきだった。何となく不安があったから的中した。
なんとなく不安なことは何か的中する度合いが大きい、本当はそんなこと考えたくないけど的中する、何かになるんじゃないかと不安なことは本当にそうなる確率が多いのかもしれない
原発だって近くにあればあれ危険じゃないのか?とか放射能のことはわからないにしても不安に思う人がいたろう。
人間でもなんかこいつヤバイんじゃないかとなると君子危うきに近寄らずとなる
つまりそういう不安が的中しやすいのである。
だからといってこの世の中そんなこと言ったら暮らしていけないから楽天的にすごした方がいいとなる。
それでもこの世で最悪なことが国レベルでも市町村レベルでも個々人でも必ず起きるということを身をもって津波とか原発事故で経験した。
最悪のこととは戦争で300万人死んだというのも今より最悪だった。
それは今になるともはや想像もできない最悪だった。
あれだけの最悪を歴史的経験するとどうしたら戦争をさけられるのかという国民になってしまうのは当然だ、9条だけの話じゃない、戦争経験した人は戦争だけはするなと言って死んだ人が多い。それだけ悲惨すぎたからである。
それも国民の歴史的経験からそういうことになったのだから悪いとはならない
でも戦争のことを知らない人は戦争を軽く考えてしまう。
人間は何でも実際に経験しないとわからないことが弱点である。

例えば牧師だろうが何だろうが例え本を出したとてもそれは言葉では誰でも言えることがある、人類みんな愛しないとか同情しなさいとかいろいろいいことは言える
でも実社会ではそんなに簡単に言葉だけは言えても現実に対処できない
そういうことを身をもって遅かったが体験した。
人間かいかに非情で自分のことしか自分の家族意外のことしか考えていないかというのも知った。
そんなことが当たり前じゃないかというが経験しないときみんないい人だと思っていたのである。
だから肉親が家族が殺されたり被害にあったとき憎まずに許しなさいということは簡単に言えないのである。
自分も被害にあって許さなかったからである。
キリストの十字架の上での言葉ならそれは嘘ではない、身をもって示したからである。
言葉ならいくらでも人間は言えるのである。
だからいくら本にいいことを書いてもその人がどんな体験をしたのかが問題になる。
戦争のことなどもだから実際は体験した人でしかわからないのである。

将来を予測して結婚している人は若いとしてもしっかりしている
自分にはそういう感覚がなかった。
本当にこの通りになったのが自分だった。
もちろん自分にかかわった奴らも異常だった。
それぞれが大きな問題をかかえていた。
一人は家族から追い出されたとか離婚していたとかあり現代の家族関係を象徴していた。つまり現代では子供は親のめんどうみないし一緒に住むことはむずかしくなっている
たから結婚したら別々に暮らすのが普通なのだがその人はまた金もないなど追い詰められていたのだ。
もうぎりぎりに追い詰められていた。そういう人も老人で今は増えているのだ。
みんなが金持ち老人じゃないのだ。
もう一人はまた借金で首がまわらなくなった人だった。
成功していたというので本当に成功していたと思っていた。
前の代からつきあいがあったから信用もしていたがそんな人ではなかった。
事業を失敗したからこの人も追い詰められていたから自分の家が病気とかなり自分もなったとき借金の請求で攻めてきたのである。
だから自分が病院に入院するとき、保証人になってもらったがそのことで恩をきせるは
弱者化したときいじめてきたのである。
その人が事業に失敗したのも当然だと思った。弱者を虐待するような人だったのである。

ただ南相馬市立病院では別に保証人もいらなかったのが不思議である。
あそこは何かルーズだったので良かった。相馬総合病院はうるさかったのである。
その時手術もしたからその時立会人が必ず必要になる。それも結婚していないととかなる家族がなくなると困ることになる
そして人間は非情であり弱みにつけこまれたのである。
それもあったが相手もぎりぎりに追い詰められていたのである。
相手を思う余裕がなかったから当然そうなったともなる
腹減ったら動物でも獲物となるものを襲い食べなければならない
子供など怪我しているような動物だと獲物にされやすいというときそれはつかまえやすいからそうなる。
飢えているのだからてっとりばやくつかえまるものをねらうのである。
まさにこの弱肉強食の世界を自分は身をもって体験したのである。
弱者に対しては相手も言い分が通りやすくなるのだ。
何ら抵抗できない状態にあるからそうなる、それは病院とかでも起こりやすい

医者とか看護師には抵抗できない、だから身寄りのないものは悲惨なことになる
おもちゃのように看護師にもてあそばれていた90才くらいの施設に入っている老人がいたその老人が苦しくても家族がいなのだから看護師にとってやり放題になる。
現実自分も入院して虐待とにたようなことをされたから病院は怖いと思った。
看護師がやさしい人とか医者でも非情な世界だと思うようになった。
体をみても心はみないし病院で死ぬのは別に家族でもないのだし人間は次から次と死んでゆくのだから死ぬことは一丁上がりとかしかならなくなってしまう。
あとは物のようにかたづけるだけなのである。
だから家族がいないということは人間にとって弱肉強食の世界では恐ろしいことなのである。
そのことを結婚しない人が多くなったが60以降に自分のようになりやすいから恐怖を感じるべきなのである。

いづれにしろ結婚するに結婚しないにしろ離婚するにしろ家族をもっても様々な問題をかかえるのが人間だから別に結婚しなくても地獄を経験している人などいくらでもいる。
別に家族があってもでたらめな親だったら子供は介護したりしない、捨てられるから家族でもいろいろあるから家族が万能でもない、他人でも親切な人は親切である。
同情する人はまれでも同情するのである。
自分を弱者化した時攻めて来た人もぎりぎりに追い詰められていたのである。
結局何度も言ってきたが人間は結婚するにしろしないにしろ自業自得でありカルマの清算を60以降に否応なく強いられる。
これは本当に自覚すべきなのだが若い内はしないし想像できない

若いときの不品行など一時的なもので忘れると思っているが60以降にかえってよみがえりさえなまされるのである。
若いときはなにをしてもそんなに老人になるまで影響するとは思わないのである。
つまり若いとき老人になることが想像できないことが人間の弱点なのである。
若い人が良く俺は60くらいで死ぬのがいいとか言うがそんなこと60になったら誰も言わない、もっと生きたい70でも80でも平均寿命まで生きたいというのが普通である。
その若い人たちも必ずそうなるのである。
結婚しないとどうなるのかというのも想像できないからであり今回のような恐ろしい災害が起きたのも想像できないからこんな大きな被害になったのである。

結局人間はもう最後は結婚するにしろ結婚しないにしろ何になれすべてカルマであり自業自得としあきらめるほかない、つまり現実を受け入れ過酷でも覚悟するほかないと思ったそういう境遇なってしまったのだかからもう結果だからどうにもならないと現実を受け入れることを覚悟するほかない
借金した人も他人に負わされるのではなく自分でかたをつけるほかないのである。
人間はみんな最後は自業自得であり他人に責任転嫁ができないようになっている。
だから必ず何であれ責任がとらされる、最後はカルマの清算が強いられる
それは逃れることはできないと覚悟するべきである。
自分の場合はそういう覚悟を強いられたとなる。他の人も別に結婚しない人でも自分のカルマは借金でも自分で返す他ないのである。
結局他人がそれぞれの人生の責任など負ってくれない
その人自身が最後は負わされてカルマの清算を要求される

これからは日本も今までのような楽なことはない、経済的にもそうだし大きな国民的困難の時代になるだろう。貧乏になってゆくのもそうである
だから日本に関して甘い幻想をいだくのはやめた方がいいとなる
日本の経済成長とか楽な時代は高度成長のような時代はもうないのである。
日本は今回の震災や原発事故で苦難の時代に突入した。
それも国民的カルマとして自覚しておく必要がある。
まともに食べられないというとき、物価があがったから現実に野菜でも果物でもずいぶん上がって食べられないと思った。
だから何をたべればいいのか?バナナは安いからバナナでがまんするとかなるかもしれない、現実に自分の子供の時はバナナは田舎では売っていなかったし父親が病気になったとき仙台から買ってきた。バナナは最高の贅沢品だったのである。
だから昔の生活をふりかえりバナナが食べられることはまだ贅沢なんだとか思う必要もでてくる。
そういう心構えをもたないと今までのような贅沢の時代は終わったとしてひきしめないと生活すらできなくなるからだ。
物価が高いということは物の価値があがることであり賃金が上がることは労働の価値があがることでもある。それは悪いともならないのである。
それは節約とか倹約とか物を大事にするとかになりいい方面に働くこともあるが悪い面としては消費が落ちるから売る方では会社では困るともなる
ただ今までの贅沢な無駄な消費生活は見直される時代になるからいいことでもある

いづれにしろも老人は先がないからあきらめかつく、若者はそうはいかない、そこにまた大きな差がある。この辺で避難者は小高などに帰れというけど老人ばかりであり
そんな人たちがどうして復興するのだろうかと思う
シルバータウンになりうば捨て山になってしまうのじゃいなかと思う。
あと何年生きればいい、あと五年原発補償金もらって暮らしたいなどと言う人ばかりなのである。そんな人たちがどうして帰って復興できるのかとなる
そういう人たちを老人をみるともう復興がどうのこうの問題でなくなっているような気がする。
だからもう何も外からも何も言っても無駄だともなる。第一そこに住む人たちがもう復興などする意欲がないのだから外から何を言っても無駄である。

人間は例えばアメリカが日本を守ってくれるわけではない、日本が領土でも守る気がないとしたら血を流す気がないとしたらどうしてアメリカが血を流して助けるのか
それも日本人は他力依存に戦後アメリカに支配されてなってしまったのである。
戦争はするのはを拒否しても自分の領土を守るという気概が必要になる
なぜらなちら尖閣諸島だけではない日本自体が今度は中国の属国化してしまうからである人間は最後は覚悟と気概が要求される。
それは過酷な体験したことによりそういう覚悟ができる
イスラム国も残酷だがあそこまでしていることはやはり命かけて戦っていることは戦後に楽してきた日本人には理解できないのである。
だからあんな残酷な殺され方を日本人がされたとなる。
それは別に戦時中は普通のことでありめずらしいことでもなかっのである。
ギリギリにおいつめられると人間はどんなことでもする
飢えていると野獣と同じくなるからもはや何を言っても無駄である。
戦争終わってから捕虜になりどんな悲惨な目にあったかそういうことも体験したものでないかぎりわからないのである。


 
タグ:未婚

2015年06月12日

貧乏が賛美されていた明治から戦前のこと (山村暮鳥の詩の不思議)


貧乏が賛美されていた明治から戦前のこと

(山村暮鳥の詩の不思議)


現代の生活は定着的農耕民的生活から離れている。江戸時代なら8割が農民であり生活も回りにあるものでまかなったからそんなに移動はしない
隣村にゆくのにも見知らぬものとして警戒されていたし民情が一致しないと飯館村大倉村と佐須村は明治以降になっても合併しなかった。
現代の生活からするとどうしてそういうことができたのか不思議である。
地球の裏側から物が入ってきてその物が入らないことを心配しているグローバル経済の時代である。
現代とは空間感覚が急速に拡大した。
文明とは空間を技術でもって交通でもって縮小することでもあった。
だから明治維新の象徴が鉄道になったのである。
鉄道によって日本という関所で閉ざされた空間が敗られ一挙に日本の国土意識をもったとなる。
切符一枚で日本全国に関所も通らず行けることがなくなったからである。
その江戸時代から明治の変化も大きかった
だから東京で鉄道でも見知らぬ人たちが乗り合わせることに違和感をもった
つまり見知らぬ人がそんなに一緒にいるということがありえてかったのである。
人間は常に見知った人たちと生活していた。
それが江戸でも長屋でもそうである。長屋でも人は移動しなかったのである。

江戸時代から明治に変わるとき空間意識も時間意識もまるで変わってしまったのである。ただ明治昭和戦前戦後十年とかとまだ生活的には江戸時代の延長ということがあった。
なぜなら燃料も炭とか薪であり時給自足的な生活だったからである。
そして農民的社会であり工業社会でも情報社会でもない、その土地土地に根ざした生活だった
一番驚くのは大正時代でも人口が6000万だったということである。
これくらいの人口だと日本の自然は十分に今より余裕があり残されていたのである。
それでけ山村暮鳥はホイットマンのように都会までありあらゆるものを賛美していた。
機械文明もその時は新しいものとしていいものだったのである。
そこに否定するものはなにもなかった不思議である。ガスタンクまで賛美している
その時文明は全面的に賛美するものとしてあった。
科学とか技術が新しいもの作り出してゆく未来と感じられていたのである。
明治から大正時代でもその時は日本の新しい文明の発展時代でありそれは何でも良いものとして受け入れられていたのである。
アメリカでも日本と同じように農民主体であり農本主義でありそこを基盤にして機械文明が発展してゆくはじめでありホイットマンも何でも賛美していたことは同じだった。
その時ソーローのように文明を批判していたのは例外的だったのである。
そういう田園を破壊する予感はあっても全体的にはそうはなっていなかったのである。

そして山村暮鳥の詩の特徴はまたその当時の詩の特徴は貧しさを賛美していることである貧しさの中になにか人間として尊いものを感じている。
現代は貧しさは最も嫌われるものでありふれたくないものであり貧しさ隠す時代である。だからボロを着ている人もいないし何か飢えている人などみかけない
生活保護制度もありそこまでにはならない時代である。
ただ現代の精神的貧困さはかえって車がないとか立派な家がないとか教育でもいい大学に入っていないとかそういうことで競っている
いい車をもっていない人は見すぼらしく見えるから借金してもいい車をもとうとする。
現実に前の親戚は事業を起こして失敗したがそういう見栄を維持するために借金していた他でも借金していい家を建てた人が多いのである。
だからいい車をもっていないとかいい家がないとかそうしたもので差別化される
教育でもいい大学に入っていないと馬鹿にされるとかなる
貧しい時代は食べるのが精一杯な時代はそういうことがなかったろう。
要するに江戸時代でもその後明治から戦後でも十年くらいは大方はその日暮らしではなかったか?

自分の家では一時部屋を貸していたみたいだ。その時毎日のように家賃をとりにいったと聞いた。これもありえないことである。一カ月に一回が普通である。
毎日となると手間になるからめんどうになる。
ではどうしてそうなったのか?それは日銭稼ぎでありその日暮らしが多かったからだろう酒でも升で子供のとき買わされたことがありその頃買い置きというのはできなかったのだろう。
そんな金をもっていなかったのである。
つまりその日暮らすのが精一杯だったのである。
今の時代は貧乏でも何かしら貯えのない人はいないだすろう。
ただ貧乏な人はその日その日を暮らせばいいとしている人はまだいる
蔵がある家はその時金持ちだったのだろう。
何かしら米でも貯えておけたからである。何も貯えられない人がほとんどだったのである病気になったらどうするのかといったらろくに医者にかからず死ぬ他なかったのである。今のような手厚い医療も介護もないのである。そんなことにかける余裕もなかったのである。
だから今の生活と比べるとその相違があまりに大きいのでそういう生活が理解できなくなっているのだ。

今の生活は今を見てもわからない、過去と比べると見えてくるのである。
今の当たり前のことは昔は当たり前ではない、特別恵まれたことだった
昔は三食食べられて眠る場所があればいいとか考えていたのだろう。
それ以上の贅沢は望みえようがなかったともなる
母が紡績工場で働いていて30分の休みに遊びたくてはや食いした女性が体を壊して死んだというのは信じられない、でも30分は短いから食べる暇もなかったのかもしれてない
そういう労働環境だったともなる
昔はなんらかどこでも働きづめの一生だったのが多かったことは確かである。
現代のように三分の一が働かない時代だとなるとこれは天国かもしれないとなる
自分などは恵まれてその天国を生きたのかともなる。
だから現代人の若者でも不満は過去に比べるとかわいいものなのかもしれない
もちろん時代時代によって苦しいことも楽しいことも変わっているから一がいにははかりえない
でも過去と比べれば現代は恵まれた時代なことは確かなのである。
ただそこで失ったものがは確実にある

なぜ貧乏がその時代に賛美されていたのかということである。一種の清貧というものがあった。清貧というのもは貧しさのなかでも何か精神的には美しいものを維持しようとすることである。
現代ではそういうことはない、貧しいということは落伍者でしかないのである。
現実に水道でも電気がなければ生活できないというときその最低限の出費でも金がかかるのだから金がないということは生活できないということに通じているからである
山の清水を井戸の水を飲んで暮らせばいいとはならないからである。
だから清貧などという暮らし自体が成り立たないのである。
それで人間はかえって文明的便利な生活の結果として精神的には貧しくなったともなる
貧しさの中に人間的精神的な高貴さを維持できるものがありえたが今はありえないからである。
上野霄里氏は戦前生まれだから「貧乏の哲学」をもっていた。
だから貧乏な生活でも精神の高貴性を維持できていた。
でもあのような貧乏をもう強いることはできないのである。
旅をしても一杯の水を飲むにも金がかかるからである。
自分は別に車がなくても今は生活できるし車がなくても貧しさは感じない
そもそも車は自然を感じないから嫌なのである。風も感じないし日影をゆく自然も感じない、だから自然を感じるために自転車に乗っている
ただそれも車社会では贅沢なことをなのである。
日常生活では車をもたなくても車の恩恵で暮らしているからである。
ただ車をもっていないとなると現代では一段と低く見られる
車ももてない貧乏なのかと見られのである。
むしろ自転車で生活していること自体豊かなことだと自分では思っている

軽快にロードで走る夏雲雀

やはりロードだと電動自転車と違い早し気持いいとなる。電動自転車ばスピードは出せないからである。
ともかく山村暮鳥の詩はその時代を反映したものであり今ではありえないことを詩にしている、それはまた現代で失ったものがいくら貧しくてもあったのである。
だからそういう昔にあったものを見直す作業も必要である。
それより今の時代はかえってそうした昔のことをもっと知るべきだと思う。
何を得て何を失ったかを知るべきである。
それは原発事故などで故郷まで失った悲劇を考える手助けになるのである。
昔の詩歌は貧しさを歌っていてもそれは現実から生まれていた。
山尾三省は作られた文明という豊かさの中に作られた貧しさであり
本物の貧しさではない、パンも食べられないというのは故意に作られた貧しさなのであるテレビで放送するのも貧しさがものめずらしいものとしてとりあげている
本当の貧しさがわからなくなったからそうなったのである。
だから山尾三省の詩はそんなに価値がないかもしれない
つまり芸術はその時代時代でしか作り得ないものがある
芭蕉の俳句もその時代だから作れたのであり今でもこれほど俳句が盛んでも俳句が作れるの芭蕉以上の人は出てこないことでもわかる
その時代に作り出した価値はいくら文明が発達しても豊かになっても作れないのである。


ボロを来て野良仕事している人間
車も機械もなにもない時代
家もボロ家でみんな貧しい時代
そこにも人間の美しさがあったのか?
その心は正直で飾るものがなかった?
今人間はいろいろなもので飾る
その着るものでその持つもので
家や車や機械や道具で飾る
でもその心は貧しい
ただ毎日たりないたりないと嘆き
不満が絶え間なく起こり
何にかがないと嘆く人ばかり
一人も感謝するものはいない
多額の借金までして身を飾る
自然の美もその人たちには映えない
車のない人たちは失格者となり
見下して車を吹っ飛ばしてさる
人間同士いたわることもなくなった
ただ金を求める声のみがある
・・・・・・・・

つきあいが悪くなり親密さがうすれてきたことが現代経済の特徴だという
親密さには時間かかる
社会的に物質的に豊かになりますます時間に追われると人間同士の親密さや思いやりが少なくなってゆく

我々が成長と生産性を重視するのは「根」の感覚が薄れていることと密接な関係がある
自分を確かにつつんでいた共同体が失われ自分の孤独ともろさを思いしらされたとき我々はそれを所有で埋め合わせようとするのだ。
捨てな新しいものを買う時、家の中を見回して新しいして物を買うとき力を感じるのである。

「アメリカ人の来世はショッピング・センターにある。彼の勤勉はそこで報いられるのである」
(豊かさの貧困)ーポール、L ワクテル

自分も毎日が買い物であり買い物が一仕事なのである。
なぜこんなに買い物があるのかと思う、だから毎日行っているのはスーパーなのである。
ただそこは買う場所であり何か人間が親しくなる場所でもなんでもないのである。

この本も前に読んだが忘れていた、前に読んだ本を自分なりに活用してくるとき本も生きてくる
これをもう一度読んで評論してみよう



山村暮鳥の詩はいろいろあるが今ここでは紹介できない
山村暮鳥全詩集がでているのでそれを読む他ない
あとで詩の解説はするようになる



 
タグ:山村暮鳥
posted by 老鶯 at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

今日一日の実り(詩) (労働に充実感をもちえない時代)


今日一日の実り(詩)

(労働に充実感がもち得ない時代)



父の手は手というよりもむしろ大きな馬鋤だ
合掌することもなければ
無論他人のものをかすめとることも知らない手
生まれたままの百姓の手
まるで地べたの中からでも掘り出した木の根っこのような手だ
・・・・
いまもその手は骨と皮ばかりになって
なおもこの寒天のやせた畑地を耕している
ああ 自分は何も言わない
自分はその土だらけの手をとっておしいただき
このところではるかにその手に熱い接吻をする
山村暮鳥(父上のおん手の詩)



今日一日の実り

今日一日実りのあれや
多くのものがあふれ
今日も我はスーパーに買う
金があれば何でも手に入る
物なら何でも買える
しかし何か実りなきは
何か充たされるものなきは何故や
食べれば確かにうまく腹を充たす
とはいえ何か充たされぬは何か
ただ買いて腹を充たす
今日一日の実りのあれや
田畑に労して実りしもの
その住む大地から実りしもの
それを食べてこそ実りのあれや
今日一日腹は充たせど心は虚し
そのもののいづこよりきて
いかにして作られしものか知らじ
パートに働きて時給をもらいて
そは充たされしや
どこに働いても賃金のみで計られ
金が実りのすべての基準
今日一日いくら稼いだか
それが今日の実り
現代の仕事は無数あっても充たされない
ただ消費されることで充たされる
腹を充たしても心は充たされない
それでみんな仕事が嫌になっている
しかたなく金を得るために仕事している
金がたりない、金がたりないと
毎日不満を言っているのが現代
これほど物があふれても豊かにならないのはなぜ
そこに現代の心の貧困がある
いかなる仕事も本当に今日一日の誠の実り
それがなければ虚しいとなる



おそらく「豊かさの貧困」でも様々なことで現代文明は批判されてきた。人間はアトム化されるとか人間が数化されるとか人間が人間でなくなる、それでアウトサイダーとなり人間回生を目指したのかニーチェとかミラーとか上野霄里とか他の思想家でもそうなった。それは過激となったのは天才だったからそうなった。
天才は普通の人より生きるエネルギーが大きいからそうなる。
静かな思想家でもピカートなどはろはりアトム化した文明を「沈黙の世界」で示した。
それはそうした高度の思想とか文学でなくてもいろんな方面からの批判があった。
経済思想からもあったのが「豊かさの貧困」であったり他にそういうこと様々に語られてきたのである。その本も膨大になるから読みきれないのである。
結局本はいくち買っても読んでも自分のものとして書かなければ読んだともならなかったのである。
現代の消費社会はまさに消費するというときただ費やすという消極的なものとなったからだろう。
今でも生産するというときは積極的なものとしてある。
人間はただ消費しているばかりだったら何ら生産性がなかったらあらゆるものが虚しいとなる。
この世の中今はあらゆるものがそれは物だけではない、情報でも一方的に消費するだけなら虚しい、自分なりに考え自分で評価すれば生きたものとなる
だから何でも受け身では精神は充たされないし虚しいとなる
テレビの情報の奴隷になっている人たちもそうであり自ら考えないで生きている人たちも奴隷になりやすい。

いづれにしろ現代は何か労働そのものが拒否される、それはなぜなのか?
労働は嫌悪されているしなるべくしない方がいいとなる。
それが生まれたのがフリ-ターでありニートとかである。
労働はその場しのぎであり一時の賃金をえるだけのものとなる
労働の形態がそうなってしまった。労働はWORK(作品)ではない
JOBでありその場しのぎの一時的賃金を得るものにすぎないのである。
そういうふうに労働があるとき社会全般も荒廃してしまうのではないか?
なぜなら社会の基本は労働にあるときその労働が嫌われ労働しないことこそが一番いいことだとなっているからである。

現実に労働は機械にさせるべきで人間は労働しない方がいいという社会になっている
だからあらゆるものが機械化して雇用すらなくなってくる
その時人間は不用なものとなってしまう。
その時人間を山村暮鳥の詩のように讃歌することなとなくなる
(父上のおん手の詩)のようにその手はもうない
それは機械に置き換えられてしまったのである。
もはや働くの機械であり人間ではないからである。
そういう社会はまたどうなってしまうのか?
人間の生きる充実感はどうなってしまうのか?
人間はお払い箱となり頽廃してしまうのではないか?
それとも労働から解放されてパラダイスになるのか?
この辺では補償金で毎日パチンコだとか遊び暮らすようになった。
飯館村の人がギャンブラーになったとかもそうである。
みんなか知識人でもないから本など読まないのが普通だからである。

お前はどうなんだというとき、自分は旅に時間を費やした。その他学問とか芸術に費やした。その追及したものをプログなどで発表している
自分自身が流れ作業ばかりして日銭をかせぐ仕事ばかりだから労働を嫌悪して環境に恵まれていまになるまでせずにすんだのである。
そこに何でもそうだがプラスマイナスがあった。
いろいろな欠如したものも生まれてこの七年間は介護や自分の病気で苦労してきたのである。
現代の文明の問題は「今日一日の実りがない」ことではないか?
仕事をしてもそれを感じられないことではないか?
地球の裏側の人のために働いてもそういう労働自体に喜びを充たされたものがあるのか?
そういうグローバル経済というのももはや矛盾が大きくなり限界に達しているのではないか?
そんな遠くの人は何か困っても助けには来てくれない、確かに物は来ても助けてはくれない、実際に原町でも何かあったら家にきてもらいたいができなかった。
「遠くの親戚より近くの他人」は車社会になっても通用している。
車で原町かち来るのも手間なのである。グローバル経済の弱点は肝心なとき近くのものに助けてもらえないということにもあった。
それがアキレス腱なのだがまた反面この辺で津波や原発事故で働き助けたのは外部の人であり内部の人は遊んでいたという矛盾がある。
それは広域社会化しているからそうなった。
だからまたすべてが広域社会化したから悪いというものでもなかった。
すでに自給自足の村社会にはもどれないからである。

とにかく何か仕事の充実感が得られないというときそこに現代特有の問題がある
消費社会であり生産社会ではない、生産しても働いても充実感がない
例えば農家なら自給自足でもその働いたものは直接に家族とかが食べていた。
売るために働いて作っていないということが労働の充実感をもたらしていた。
そして父上のおん手の詩のように感謝していたのである。
いまスーバーに行って物を買って感謝している人などいない
ただ高いか安いのかうまいのかとかみているだけである。

でも名取の閖上(ゆりあげ)から来たシジミを売っていた。
あそこも津波で大被害を受けたからシジミもとれるようになって復興しているのかと感じた。他のシジミはどこから来るのかもわからなかった。
前はこの辺でも川でシジミがとれたし自分もとって家族に食べさせた。
それは大きなシジミだった。売っているのはみんな小さなシジミなのである。
そのシジミをとっていたとき何ら苦痛はなかった。

閖上(ゆりあげにとれるシジミをスーパーに買いて思いぬ津波の後に

それよりそれは楽しみだったのである。今では野菜でも米でも作るのは家族のために作るだけなら楽しみになる。機械でするしそんなに苦労ではないからである
それでもほんのわすかの野菜しか作らない人は毎日草取りだ肥料だ気候がどうだこうだと言っている。
だから農業というのは本当に手間でありかえって肥料だとかその他種でも金がかかるものなのである。
だから趣味としてやるのはいいがとても売るとなると全く違った労働となるのである。

結局変だが自分の今日一日の実りは風を切って軽快にロードで走ったことだった。
それは自分の一生すらそうだったとなる。何か仕事して充実感を得た経験がないのである仕事が多岐にわたりパーツ化すると仕事で充実感をもっているのは一パーセントくらいにしかならないのでないか?
そのことが現代文明の頽廃であり深刻な問題なのである。
ホイットマンであれ山村暮鳥であれあれほどすべてを賛美できたのはやはり時代だった。人間の労働が活きていて消費社会ではない自ら働いて労働自体が充実感をもたらしていたのである。だから現代は労働より遊びに重点が置かれる社会でもある。
ギャンブルとかでなくてもレジャーが盛んになったのもそのためなのである。



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posted by 老鶯 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題