2015年05月28日

江戸時代との対比で現代をみる (空間認識と時間認識が大規模に変わってしまった)


江戸時代との対比で現代をみる


(空間認識と時間認識が大規模に変わってしまった)


武士の農をはなれて、城下にあつまり、足軽中間までも城下に住居するは、治乱ともにあしき事なり。むかしは士たるものも農を本とし、在所を持て住居せり。
『集義外書』より(熊沢蕃山)


土着的というときいろいろな側面がある。武士でももともとは農民であったし侍になっても農業をしていた。郷士となっているのは農民であり侍である。
郷士の郷は故郷だから故郷に根付いて生活していた。
封建時代は農本主義であり農民中心の社会である。
だからいくら侍が治めるにしても八割の農民を基にして政治も成り立つのである。

現代を知るには明治維新の前の江戸時代をいすすいな側面から知らないと現代もまたわからない。
江戸時代がすべていいというのではなく江戸時代と現代を対比して現代を理解するのである。
明治維新後に失ったものが何か?それが現代の社会を知ることなのである。
まず江戸時代の地理感覚や宇宙感覚は極めて狭い、村が中心だとするとそれは極小の世界である。大きくても藩を越えることはない。
そういう世界で培われた世界観は極めて偏狭なものになる。
人間は空間認識と時間認識が基本にある。
江戸時代の空間認識は村が中心でありそこから外へと拡大したが藩が一つの国でありそれ以上は拡大しにくかった。
ただそれでも良かったのは江戸時代は外国と交わらないのだから別に外国も知る必要ないのだからそれですんでいたのである。
日本が庶民まで外国を意識するようになったのか明治維新後である。
村中心藩中心の地理感覚や世界観では生きていけなくなった。
一方で空間認識が狭いということは土着的な生活であり身の回りにあるものでまかなっていたから自然と一体化する生活だった。
だから江戸時代は自ずと土着的な生活になった。
そして土着的思考が学問しなくても体で身についていたのである。

もう一つは時間認識である。これは別にむずかしいことではなく江戸時代の時間感覚は自然とともに生活していたから自然の時間感覚が自ずと身につく生活である。
山があり木材を燃料や家を建てるために使う時山菜でも糧にするときどういう時間感覚になるのか?
樹が成長するのちは50年かかる、50年かかるときそれだけの時間感覚をもって生活していたのが江戸時代である。
50年となればもう一代ではとても山を利用できないのである。
だから江戸時代は何代も家業を受け継ぎ山を利用する。
江戸時代は職業でも代々受け継ぐのが多かった。
それは自然を糧としたから自然のサイクルに合わせるために時間感覚が長くなる
この木が育つには50年かかる、そうすると50年後のことを考えて木を植えていたのである息子にも孫の代にその木は成長して使われるのである。

そうなると代々受け継がれるものがあるから世代間のつながりもできる
それは現代で喪失したのもである。
今の時間感覚は今良ければいい、今も楽しむものだとなりとても50年後を考えて生活している人はいない。
来年は会社がなくなってしまうかもしれないとか非常に短い感覚で仕事している。
特にフリーターだ派遣だかなる時給いくらで使い捨てにされているのである。
長い時間感覚で考えられないということは世界を簡単に自然でも破壊してしまうということである。
次代のためにを考えて仕事したりしない、今を楽しみ消費することだとなってしまう。
今あるもの使い尽くして楽しみあとはどうでもいいとなってしまう。
そういう時間感覚になるとき世代間のつながりはなくなり断絶する。
現代は老人と若者は断絶している。
共通なもの共有するものがない、それは時代がめまぐるしく変化するからである

自分が石の詩を百編書いたというとき山であれ石であれ樹であれそれらは時間感覚としては長い、自然の時間感覚は長い、千歳の岩とあれば千年でありさらに億年とか長い時間感覚として石がある。
そして石は一定の場所にあって変わらないということで安定性があり土着的になる。
都会では東京などになるとそういう自然はもうない、山もない森もない、樹も石もない
ただ高層ビルがあり一分一秒を争い仕事している工業情報ビジネス社会である。
山の時間、石の時間、樹の時間、牛の時間・・・とか時間も実際はそのものに付属して時間感覚が生まれる。
今は機械の時間感覚であり機械によって時間が一秒単位で刻まれているのである。
それが文明の時間でありそこにあればとても自然の時間感覚とはかけはなれてしまう。
そもそも自然を理解するというか自然と一体化するというとき時間が必要になる。
石の時間はやはりそこに千歳の石とあるごとくそれだけの時間があって重みをましてくるのである。
文明の中で生活していればどんなことしても時間に追われるのである。

そうした土着的ものの喪失はある時文明的破綻現象として現れる
それが原発事故でもあったのだ。
原発事故が何か土着的なものと関係あるのとなるがあった。
土着的なものがあれば防げたかもしれないということである。
それは原発で働く東電の会社の人たちがもしここに何代にわたり生活するとなると
やはりと土着的思考になる。
その人たちは放射能の危険を肌で知っていた。
だからもし事故がここで起きたらここで子供を育てまた孫が生まれて代々つづき生活するとなると放射能のことを考えたかもしれない
もちろん地元の人は当然である。
ただ地元の人も放射能のことはしらない、事故が起きたらどうなるかなと考えなかった。今になって真剣に考えざるをえなくなったのである。
水とか森とか土とかまず土着的な土台となるものが汚染された。
それは致命的でありそこに住めなくなったのである。
もともと土着的であったその故郷自体を喪失してしまった奪われたというのが現実であるそれは今良ければいい、電気でも今使えればいいとか資源でも使える時使えばいいとか
何でも短い時間の単位でしか考えないし考えられないからそうなる。
そこが江戸時代の時間感覚を知り現代と対比して見直すべきことなである。
エジプト文明が3000年とかかつての文明が長持ちしたのはそうした長い時間感覚の文明だったからである。
現代のグローバル文明は百年で資源を使い果たすというかその時間感覚が短すぎる。
だから資源も消尽されて文明時代が消失してしまうかもしれないのである。
ともかく現代に起きていることは江戸時代と対比するとわかりやすいのである。
江戸時代に帰れというとかではなく対比して現代の問題が何か知るのであり
そこから現代の問題に対処してゆくのである。

とにかく現代は長期的視野をもてないことである。
今もうけなければなちらない、今成功しなければならない、十年後に成功すればいいとかならない
だから常に何か追われて生活している。
だから株のように急激にあがりま急激に落ちたり経済を動かしているのではなく翻弄されているだけだとなる。
そういう地からはなれた地につかない生活なのである。
その点貧しくても江戸時代は地につく生活はしていたのである。
だから何か人はのんびたしていたとかいい顔していたとか明治に来た外国人が見ていたのだろう。
今は何かに絶えず追われ焦燥感に満ちて疲れ一億鬱病の時代なのである。
何か幸せそうな人は顔している人はみかけないだろう。
金がいくらあっても満足していないとかかえって金持ちも余裕がないとかなっている。
幸せという観点からみれば今は物質的には恵まれても不幸な時代ともなる。
幸福とか不幸など時代によって違うから計られないのである。
病院で延命治療して一秒で長生きするのがいいかと言ったらならない
むしろ情ある人たちに囲まれて死んでいった人たちの方が幸せだったともなる。
病院で死ぬということは何か冷たい物ののようにあつかわれて死ぬからである。
病院で体をみても心はみない、ものとして人間をみて死んだらかたづけるという感覚になっているからである。
こういうことも江戸時代がすべて医療もないのだから全部が不幸だったかというとそれも計られないのである。

タグ:時間感覚
posted by 老鶯 at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

抽象画(風の流れ)-streams of winds


抽象画(風の流れ)-streams of winds


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山を越える風

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風紋

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地球の色



抽象画も題を風としたとき、これは風なのかとみる、
でも風でもないし別なものに見る人は見る
でもどうしても現実にあるものに抽象画をあてはめるのが人間である。
ただ抽象画はどうにでも見えるとなる
@その人によって見え方が違ってくる
最初は俳句の「青嵐」というものからイメージして抽象画にした
漢字も抽象画でありそれぞれが絵なのが特徴である。
だから絵に変化しやすいのである。
一つの絵として認識しているのだ。
音として認識しているのとはまるで違っているのである。


抽象画は無限の変化だというとき形が決まっていないからである。
だから変幻自在になる。それはパソコンのソフトの作用でそうなっている。
他にも別なソフトを使えば別なものに変容する。
ただそうした機械的作業であり何か創作しているという気分になれないということもあるそれで画家自体が抽象画を非生産的なものとしてあつかっている
何かを創作したという感じがないのである
何かを変化させたというのが特に自分はそうである。
創作した気分には慣れないのである。

 
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