夏の6号線
夏の山バイクの走る六号線
6号線夏のひざしやバイク行く
6号線日影の歩道藤垂れぬ
6号線かなたに夏の鹿狼山
十数本朝の黄菖蒲6号線
道は現代では最も大事なものなのだろう。
車社会を批判してもとをにもなちらない、現実の社会は車社会なのである。
車に乗らなくても車の恩恵を受けている
変な話だけど自転車にのるということは贅沢なのである。
ええ、馬鹿なと思うかもしれないけど自転車に乗ったり歩くことはさらに
贅沢になっているのだ。
自転車や歩くことでしか体験できないことがある
車は日常的な生活に欠かせないものとしてあるか
歩くこと自転車などでたびするとしたら現代では最高の贅沢なのである。
もはや歩いたり自転車では普通は旅できないし労力と時間と金も必要になってくるからである。
農業も家一軒建つような畑を作るのにどれだけ労力がかかっているか
そこからとれるものは実際ほんのわずかなものである。
それでもそれだけの労力がかかってもやるのは農業が好きで趣味でやっていると同じなのである。
ただその女性は働いていると思っている
6号線は高速道路とは違う、生活に密着している道路である。
高速道路は生活から土地から離れてまさに鉄道のようになっている
現実に高速はやがて自動運転になるのだろう。
線路をしいた上を走っているとそう変わらないのである。
高速道路を走っているのは地上からは全く見えない
だから車がないとなんの関係もないように見える
6号線はすでに磐城とも東京とも通じている。
ただ前のように東京の方から自転車では来ない
バイクも来ない、車は東京と通じていないときも多かった
いづれにしろ人間の生活がないと何でも死んでしまうだろう。
花だって映えなくなる
人間の生活があると花も映えるということがある
黄菖蒲などは何か明るいから6号線にあっている。
夏菊もあっている
ともかく今日の日ざしは強く夏だった。
今年は夏が早い、自転車は夏と冬は弱い
舗装道路の照り返しで余計暑いからだ
その点車は楽だなと思う。
田舎では車なしでは結婚もできないだろう。
車を運転できない男性など相手にされないとなる
仕事もできないとかなる
ただ自転車にのっている人など実際は現代では贅沢なのである。
別に車に乗らなくても車の恩恵で生活しているのが現実だからである。
浪江とか双葉でも避難区域でも六号線は通じたから道は生きている。
ただ街は死んでいるから花も映えない
この辺では田んぼも5分の一は再開された
まだまだ原野が多くても何か前に戻ったような気分にはなる
とにかく六号線は通じたことはやはり大きな復興だったのである
写真の時代だけど写真だけでは現せないものがある
絵を描けないけと合成の絵がパソコンでできる。
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