初夏の街を生きる(介護、家事、追われる生活)
赤い花は薔薇なのか?大きい花である
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駅舎あり薔薇増え咲きて光吸う
とりどりの薔薇を植えにつ新居かな
草原の風にそよぎて夏雲雀
原町の広々として夏雲雀
夏菊の白さに映えて赤き花
夏菊や新築の家に映えにけり
朝空に雲雀のひびき夏燕
街中を今日もめぐりて夏燕
夏の朝燕飛びかい外に出る
相馬市の道の駅かな松と藤
石一つここに動かじ文目かな
夏菊や全国の車走るかな
夏の山バイクの走る六号線
六号線夏のひざしやバイク行く
六号線かなたに夏の鹿狼山
よみがえる田の面に夕日暮らしかな
十数輪街中の畑に文目咲き静まりけるかな裏の道行く
この道に藤の垂れしも散りにけりプレハブの宿舎並びけるかな
今日も疲れた。10時から厚寿苑の人とケアマネとベッドなど借りている家具店の人が来た二カ月に一回予定などを決めるために来る。
なぜ家具店なのか、これも介護保険と関係しているから来る。
ベッドは買うと買いから借りているからだ。
家具店などは今商売にならないから介護関係の仕事なになっている。
その女性は何か愛想がいいとかいうかあういう仕事に向いている
まず女性にもいろいろ性格があるから必ずしもその職業とマッチしているとは限らない
社交性がない女性だっているからである。
そして結婚するとき外見だけ見てすると失敗するかもしれない
商売をしているときそれにあった人でないと夫婦でできないということがあるからだ。
だから農家では美人で華奢な人だったら嫁にもらわないとか機織りがうまいという人がその外見より重んじられていたのである。
それは生活がかかっていてそういうことができないと生活自体成り立たないからそういう価値観になった。
今は何か外見で決めてしまうからやせた時スタイルのいい女性がいいとかなり無理をしてまで女性はダイエットしている
中国でもふっくらとして女性の方が好まれていた。
なぜなら痩せているということは栄養不足であり満足に食べられないからだったかもしれない
ふっくらとしているということは豊かな生活をしていたからだとなる
つまり貧乏な時代はやせた人間が多いのである。
北朝鮮辺りはいまでもそうだろう。ほとんどやせている。兵士するやせて戦えるのかと報道していた。
結局結婚を60以上にならないとそれが良かったかどうかわからないかもしれない、
それは金持ちでもそうであり必ず結婚にもいい面と悪い面がでてくるからである。
双方とも満足するような結婚はないためだろう。
貧しくても夫婦で苦労して生活を築いたら夫婦の絆が強まることがある
それはわからないにしろ死んでからも毎日妻に手を合わせているのはやはり絆が強かったとなる。
とにかく人間には必ずいい面と悪い面がでてくる。
悪いと思ってもそれがいい面になる場合がある
外見は良くなくても性格がいいとか頼りになる女性だったとかともなる
外見が良くても頼りにならず苦しいときは助けにならなかったとかともなる
「人はみかけによらぬもの」というものつくづくそうだった。
鉄道は二両であり東京にも仙台に通じていないから淋しい、その駅の前に薔薇が咲いた。十輪くらい咲いた。花はいくら咲いてもいい、そして光を吸う、猫は子供が生むと増えるから良くない、捨てるようにもなりそれが嫌である。
猫は子供を産みすぎるのである。花だったらいくら咲いても養うことができるからいい。動物になるとどうしも人間でもそうだが人口の制限が必要になってくるのだ。
それで間引きとかあったから動物と同じである。
ある種の動物が増えないように天敵も用意されたのは自然の理であった。
以前として田は今年は増えたが草原化しているのがこの辺は多い。
雲雀は草原にあっていた。モンゴルのような草原にあっていた。
田んぼにはあわないものだった。
北海道のような広い草原で鳴くのがあっていた。
原町は何か郊外が広いし雲雀が鳴くとあっている
相馬市にはそういう感じがしない、広さがたりないからだろう。
原町は原っぱだった、野馬追いの神旗争奪戦が行われる雲雀が原はまさに雲雀が鳴くようにな原でありあっていた。
それで南相馬市が合併するとき「雲雀市」とかの案があった。
今になると合併しなかった方が良かったという意見も多くなった。
原町は原町でよかったとか鹿島は鹿島で良かったとう言う人も多くなった。
合併は様々な問題を産んだのである。
六号線は東京と通じたから前の活気をとりもどした。
ただダンプが多いから何か危険なのである。
今は外部からの人が多いから活気がある
それもなくなったら地方は活気がなくなるだろう。
介護もいろいろ言われるが地方の仕事も介護とか医療関係が多いのである。
だからこういう仕事も何十年後に減ると地方の仕事がなくなるということもある
ただダンプが多いから何か危険なのである。
今は外部からの人が多いから活気がある
それもなくなったら地方は活気がなくなるだろう。
介護もいろいろ言われるが地方の仕事も介護とか医療関係が多いのである。
だからこういう仕事も何十年後に減ると地方の仕事がなくなるということもある
六号線をバイクが走るのは格好いい、それはやはり若者があっている
白髪の老人がバイクにのってもあわない、ただ意外とバイクを写真をとろうとしたがバイクの走る数は少ない、バイクは双葉とかからは走れないことも影響している
バイクはやはり風とか光を受けるから自然とマッチする面があるとはなる
ただ自分が年配の人が自転車にのりバイクにのっていたのが若者だったというのは違和感があった。
バイクと自転車では全く違うのである。自転車はバイクよりずっと苦しい
バイクは楽であり自転車は苦行である。だから自転車が若い人ならわかるがバイクに乗って楽だなつくづく見ていたのである。
六号線のかなたには鹿狼山が見える、でもあの山に注目しているのは地元の人だけだろう高い山ではないし目立たない、でも遠くから見えることは確かである。
藤の花は散ったけどプレハブの仮設が並んでこれが増えているのがこの辺である。
3000人くらいふえたら3000の部屋を用意するとなると足りないことがわかる
これも長期間だからこの辺で必要なのは宿泊する場なのである。
藤の花はそのプレハブの宿泊所の道そいに建っていたのである。
これもこの辺の一つの景色となっている。
あまりいいものではないにしろ現実にそうなっているのである。
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