2015年05月17日

この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している (両親や祖父母のカルマは必ず受ける)


この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している


(両親のカルマは必ず受ける)


なんでこんなことが起きるのだということが誰でも経験している
なぜよりによって自分がこんな目にあうんだとかなる
カルマというとそれは親のカルマは目にみえてはっきりと受ける。
でもカルマは4百年前とかまで歴史的カルマになると受ける
津波でも相馬藩内で一行700人溺死とあったから被害があった。
それは全く忘れられて今回の津波で大被害になった
そうした風土や歴史のカルマがあっても忘れられていたのである。
カルマというのは忘れられ意識されないことが多いのである。
ただ何かその個々人の身に直接起きたとき何でこうなるんだとかなる

例えば歴史的カルマとなると相馬藩の歴史的カルマもあるかもしれない
相馬藩は天明の飢饉で越中からの移民などを受け入れた
三分の一の人口が消失したからだ。
そういうとき移民してくる人がいたということはその時代の貧しさがあったからだ。
そういう荒廃地になるところが多かった
移民してきた人たちの住んでいる所もそうだった
何か移民せざるをえない状態があった
移動が自由でない時代は藩を出ることは命がけだった。
だから移民する人にもそれだけの事情があった。
それで相馬藩内に移住して苦労した。
それで「加賀泣き」という言葉が残っている。
よほど移住して苦労したから加賀の人が泣いたということである。

これがカルマとなんの関係があるのか?
それはなぜ今回のように相馬藩から原発事故で避難民になって他の土地で暮らさねばならなくなったのか?
そしてやはり相馬藩に移住した人たちのようによそ者としてあつかわれ嫌な目にあう
まさにそのことは移民した人たちが相馬藩でされたことと形は違っても同じことをされている
実際は相当恵まれたものだけど何かよその土地に暮らすということで形見の狭い経験はしている
かなり楽な方でもよその土地で暮らすということがどういうことか身をもって知ったともなる
なかなかよその土地で集団で暮らすということがどういうことか理解できないからである戦争でも戦争の苦しみなどわからなくなっている、でもまた戦争になったらそのカルマがめぐり戦争の苦しみを知ることになる

カルマで確実なのは親のカルマから逃れられないことである。
自分の一身上のことでも書いてきたけどなぜこんな苦しみを受けねばならなかったかというと親のカルマを自分が清算するような立場になっていたのである。
長男長女はその家のカルマを一身に引き継ぐことになることは間違いない
それは悪いカルマだけではない良いカルマうも受け継ぐのである。
良いカルマも悪いカルマも受け継ぐのである。
なぜならどんな人でも良いことばかりしてるなどありえないからである。
例えば財産を残すにしてもそれが必ずしも良い金とは限らない
太宰治の斜陽館などは小作から搾取してできていた。
だからそういう家にはやはり小作の呪いのようなものが受ける
ただ江戸時代の庄屋とかなると別である、それは農民とともに一揆では戦い死んだ人もいるからである。

カルマは両親のカルマを必ず受ける。自分にしてもなぜこんなに介護しつづけねばならないのか?
それは60年間自分に食事を出し続けてくれたからお前もそれをしなければならないというカルマを受けたのである。それは逃れることができないカルマとなっていた。
百歳まで生きたことはそのカルマを自分に受けさせるために生きていたともなるのだ
両親というとき母がいて父がいる。その父のカルマも受ける
それは財産を残したことで災いが生じた、財産がカルマになっていた。
その財産はすべて良いものとして残されていたわけではない、
太宰の斜陽館のようにあからさまのものではないにしろ公務員という恵まれた境遇で残された
それで自分がそのカルマを受けたのである。
いいことであってもやはりその金が元で犯罪にあったり病気の時金を要求されて苦しめられたのはそのためだったかと思う
金にはなにか具体的なカルマとして現実的だからわかりやすいのである。
金がないのもカルマだけど金をもっているのもカルマなのである。

家系に起きてくるカルマは本当に不思議である。
ある人が収入もいい人と結婚した。その人は頭が良くて優秀だった
だからいい人と結婚したと外から見られていたのである。
それがなぜ事業で失敗した結果60過ぎて苦しむことになった。
まず60以上になると人生の総決算のようなことが誰にでも起きてくる
若いときの不品行であれ何であれ悪行であれそういうことは決して消えるわけではない
60以上になるとそうした若いときのことまで生々しく蘇りその悪に苦しめられる
要するに人間はどんなことしても何かしらカルマを積む
両親でも先祖でもそうでありその国でも歴史的カルマをつむ、それで今も責められているだから先祖供養しないとだめだというがそれでカルマが解消するわけではない
どうしたらカルマが解消するのか?
それは善行を積むほかない、残された財産があったら困った人に分けてやるとかになる
そうすれば金にまつわるカルマはだんだん消えてゆくことになる
ますます強欲になって金をためたらカルマをまた積むことになるからだ

とにかくカルマは何もなければ意識されないものなのである。
何か事故とか犯罪とか何か悪いことが起きるときカルマを否応なく意識される
なぜこんなことが自分に起きたのだろうとなる
それは理不尽な犯罪だったこの世には多い、ではなぜその人だけがその犯罪の犠牲者になったのだろうというのが謎なのである。
よりによってその人にそんなことが起きたというのが謎なのである。
それでカルマが意識される、家系も意識される
家系も謎でもその時家系の問題してカルマが意識される
会社に勤めていれば優秀で終わったのになぜ事業をはじめて失敗したのか?
そういう人にまた嫁いだのうかというのも謎である。
まず結婚するときそんなことなどわかりようがないからである。
それは嫁になった方のカルマが家系が関係していたのかとなる
実際に嫁になった女性の家族は普通の家族ではなく問題があった
その家系のカルマを受け継いで夫も失敗したのかとまでなる
昔は戦前までは家と家の結婚であった。
すると家系というのが問題になる
今は個人間の結婚で家系なんか関係ないよ二人が愛し合えばいいんだとなった
ところがなぜそうであればいいが家系の影響を受けるのかということである。
結婚は個人の問題でなく家系がかかわるからあとあとそのカルマを受けることなにる
でも家系でもその家庭のことはわかりにくい、だから今はあまり考えないのである。
家系にはやはり徳を積んだ家とそうでない家と明確にある
徳を積んだ家と結ばれることはやはりあまり悪いことは起こらないとなる

聖書ではその家系のことなのである。アダムから生まれた神の子孫のことを記したものであることでもわかる。
神の家系としてユダヤ人は神から選ばれたものとなっている。
だから家系を一番重んじていて異民族とは交わらなかったのである。
神の家系が汚されるからそういうふうになっていた。
家系がそれだけ重みをもっていたのである。
つまり最強の家系は神の子となるべき選ばれた民であり
それでユダヤ人がいろいろなことを言われても滅んでいない、
他は3000年前とかなればその時の人種はどこも残っていない
そして運の強い人につけというときそれもやはり運の悪いというのは何か
例え能力があってもうまくいかないのはなぜだろうとなるからだ
天才でも能力かあってもそれだけでは何かは成らない
そこに神の力が働かないと成らない、だからそれは運だともなる
運の悪い人につけば同じように結果が悪くなる
何かで失敗したり事故を起きたりうまくいかないのはなぜだろうとなる

だから結婚というのは二人があえばいいことだともならないのである。
むしろ家と家の結婚でもうまくいっている方が多かったかもしれない
それだけ人間は謎であり人生問題でも解きあかせないから悪いカルト宗教団体でもこれだけ増えたのである。
それは人生に不可解なことが多すぎるから何かに神仏に頼るようになる
ただそれもたいがいは間違ったものでありかえって悪いカルマを積んでいるのである。
それは神仏に頼っているのではなく本当はこの世の力に人に頼っているからである。
最終的にはカルマからは真の信仰によってしか脱せられないともなる
カルマはともかく逃れることができないから厳しいものとなる

ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」のように延々と石を持ち上げていなければならない要するに延々と持ち上げる岩はカルマなのである。
介護などもいつ果てるのかわからない、百歳になってもわからない
延々と介護からから脱することができない
カルマは人間の業であり人類が消滅しない限り終わることがない
つまりこの世でカルマが消滅することはないのである。
ハルマゲドンで最終戦で人類が滅びるというのもそうである。
業が積み重なって最後に最悪の結果となる。
人類のカルマはどれだけあるのか?
もう計りしれない悪行が歴史でもある
その総決算が最後に来る、それが人類が滅びるということである。
この辺で原発事故で積んだカルマも恐ろしいものだった。
プルトニウムの毒が二万年消えないという恐るべきカルマを追わされたのである。
それはまるで二万年間岩をもちあげるようなカルマともにていたのである。
原発事故によってもたらされたカルマだったのである。
その放射能から解放されるのが二万年後としたらその罰も過酷だったとなる

「シーシュポスの岩」

肩にずっしりと重い岩よ
いつまでこれを持ち上げねばならないのだ
いつになったら解放されのだ
今日もずっしりと岩が重い
休むことなく岩を持ち上げねばならぬ
これは与えられた罰(カルマ)なのだ
怠け者にも様々な悪徳を積めば
それは必ずカルマとなって負わされる
その刑罰を解かれるのはいつなのか
それぞれの人生にカルマがある
カルマからは誰も逃れられない
蟻は蟻のカルマを猫は猫のカルマを生きる
なぜ蟻として生きねばならぬのか
野良猫になり餌をあさらねばならないのか
人間もまた同じそのカルマは複雑だけれど
それぞれにカルマを負わされるのが人生だ
・・・・・・・


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