2015年05月12日

文目の似合う町 日常の景色にも見いだすものがある


文目の似合う町


日常の景色にも見いだすものがある


新緑や少年未来へ走るかな

隣家の庭に牡丹や真昼間の光をあびて誇らかに咲く
公園の隅に見つけぬ花一つ都忘れやここに咲くかな
今日もまた公園の藤垂れにけりその下に一人我が休むかな
街中の畑に菖蒲咲きにつつ今日も裏道通りけるかな
白菖蒲ここに咲きにつ誰か住むもの言ふことなく通りすぎにき
街角に文目の咲くやこの町のものさみしかな人行くまれに
こぞにあれ話せし人の今日死ぬと驚きにけり春は終えなむ
一本の欅の高く新緑の風にそよぎて燕飛び交ふ
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐりぬ
厚寿園に母はとまりぬ近くなれ文目の咲くやここに住むかな

田舎というとき東京からすれば十万の都市でも20万でも仙台でも田舎になってしまう。一万の町に住んでいれば4万くらいでもそれは大きいとなる。
今はここにスーパーが一軒しかないしここですべてまかなえない
医者は二軒しかないしこれも何か使えない、めんどうな病気になると使えない
ともかくこのて7年間は自分は本当にこの小さな町を行ったり来たりしているだけである介護していると三食出すことでも時間がとられる。
朝食の容易だ昼食だ夜だとなるだけで相当な時間がとられる、負担になるのだ。
例え介護度が低くてもその手間がかかる。
だから在宅と誰かかかりきりになるからその手間が負担になる
施設だったら十人を一人でみるとかなるがそれだけ手間をはぶくことができる
介護は何かいろいろと手間のかかるものなのである。
近くに施設ができたからこれは良かった。
これは遠いと何か安心かないとなる

意外と老後は近くのものが何でも大事になる。
それで原町の人が来るにも車で来ると手間だからしょっちゅうは来れないのである
「遠くの親戚より近くの他人」が今でも現実だった。
その遠くとは車社会でも隣の市でもそうなのである。
車で来ても手間になる。だからコンパクトシティというとき介護になると施設にまとめてめんどうみるとか街に集めてめんどうみるというのがいいのである。
それで仮設暮らしでわかったことはあのように長屋形式で暮らしていた方が老人にはいいという面があった。
毎日親しく顔合わせて暮らしているから老人にはいいとなる
プライバシーの問題があるにしろもうなれてかえっていいと言っていたのでわかった。
街内に住んでいても車で一軒一軒を回るのは手間になる。
ところが仮設だと歩いて回れるのである。

インフラの整備でも水道でも電気でも他でもまとまって住むと手間がはぶかれるのである田舎では田畑を作る関係で広く散在していたからやむをえないことがあった
ところが老後はみんな集まって住むと世話する方では楽だとなる
仮設に住んでいる人は互いに交流しやすいということもあった。
ただ仮設はあくまでも仮設であり生活がそこにはない
老後の生活をどうするかということのヒントが生まれたことは確かである。
相馬市では長屋風の建物で一人暮らしの老人が住んでいるのも一つの老後の暮らし方である。
老後の一人暮らしは負担になる。
自分も風呂が地震で壊れたので今は街中の福祉の湯に入っている。
一人だけだと何か金もかかるからめんどうになるのである。

中学生が走っている、新緑の季節である。少年は未来に向かって走っている
反面昨日は同じ年の人が死んだ。その人とは二年前だったか一回話しただけだった。
自分の病気のことを言っていたがその後その人が癌になったとは思えなかった。
おそらくその時は何でもなかったのだろう。
ただそうして一回話しただけでも同じ年の人が死ぬということは驚きである。
死は突然にくる、老化も突然に来る、髪でも真っ白になってしまっている。
それは突然になったように思うのである。
人間はあっというまに老いて死んでしまう。
田舎ではそうして人が死ぬことが最大関心事になる。
だから沖縄の新聞が成り立っているのは死亡記事欄があるからだという
死亡を知るのが新聞でありそれで新聞社が成り立っている
今でも香典の費用がかかって困っているというのが田舎である。

どんな田舎でも町でも市でも長年住めば都となり親しむことになる。
一万の町でも一応そこで別に町内だったら車がなくても暮らせるのである。
隣の家の庭には塀がないから牡丹が丸見えである。
その牡丹に真昼間の光さしてまぶしい
花を見るのは別に金はかからない、隣の家の花でも無料なのである。
高い塀で防御すると庭も見えない
何かそれは安心が得られない街なのである
格差が大きくなるとそうなる。
太宰の生家の斜陽館がそうだった、高い煉瓦の塀は小作からの訴訟があり
襲われるという恐怖があって作られていたのである。
公園の花でもそうである。そちこちに咲いている花もそうである
一万の町だと文目とか咲き何か落ち着く、静まりかえっているとなる

文目(あやめ)と菖蒲は違っている。
どちらもあやめだが文目は花が小さい、菖蒲は大きいのである。
自分が見たのは文目の方である。


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