2015年05月27日

藤の花の俳句連作(まとめ作品鑑賞)



藤の花の俳句連作(まとめ作品鑑賞)
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日立木の五本松


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鹿島の蔵

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しのぶれどとは薔薇の名前

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相馬市や夕日のさして藤の花
朝静か図書館の前藤の花 
夕月や藤棚しつらえ町屋かな
相馬市の道の駅かな藤の花
道の駅曲屋風や藤の花
街道の松影なして藤の花
五本松変わらずここに藤の花
釣人や夕べ水面に藤写る
街中の倉に紋かな藤の花(鹿島)
公園に今日も我が寄り藤の花
白藤にしのぶれどかも室の中
六号線日影の歩道藤垂れぬ

ハイクは短いから連作にしないと作品にならない
一句一句鑑賞するのが無理なのである。
一句一句ではあまりにも短すぎるからだ。
十句とかなるとそさなりに読めるものになる
「藤の花」だったらその季語をテーマに一つの作品化する
自分はこれまで相当な量の俳句と短歌など作ってきたが
一句一句とかでは読みごたえがないし作品にならない
だから一連のものをまとめるとそれなりに読めるものになる
芭蕉の奥の細道でも一句一句ではない
全体の流れのなかで一句一句を読むのである
丁度川が上流から下流へと流れているがそれは一つの川なのである。
川を断片化して見せるのではなく一つの長い流れとしてみる

「藤の花」というのでこれまでも俳句などを作ってきた。
これは藤の花をテーマにして相馬市から日立木の五本松から鹿島までの道筋を行き俳句にした。
相馬市は城下町であり何かしんみりする場所である。
最初は中村神社の境内の藤の花は知られている
それから相馬市では公共の建物は曲屋風に統一している。
道の駅もそうである。それで藤の花がにあうのである。
藤の花も日本的な花であり外国人に人気なったことでもわかる
藤と松とかも何か日本的でにあっている。

道の駅から溜池がありそこではいつも釣りする人がいた。
そこにも藤の花が水面に写っていた。
それから鹿島に来ると街中に倉があり藤が塀の内に咲いていた。
六号線の小島田の歩道にも藤が咲いていた。
そこを自転車で通りとまっていたから俳句になった。
車では俳句とか短歌は作りにくいだろう。
そういう余裕が生まれないのが車なのである。

ともかく自分は今までプログでも前に創作したものでもまとめるのが大変な作業となっている
それも時間がかかるし手間になる。
俳句でも一連のものとしてまとめないとやはり作品としてはものたりないものとなる。
俳句の一句一句は断片化したものでありそれで作品とはならなくなっている
俳句はあまりにも短いからそうなる。
プログの便利なのは日々記録することでありそれをまたあとから検索で調べられることである。
何か奇妙なのは前に自分が書いたものすら忘れている
ええ、こんなこと書いていたのと発見するのも不思議なのである。
人間はつくづく次から次と忘れてゆくものだと思った。
膨大な人間が忘却されてゆく、次から次とこれからは同世代の人も死んでゆくからであるそれらの人にいちいち関心をもてないのである。
有名な人も芸能人ももう関心がもてない、次々に忘れ去られてゆくだけだとなる
最後は「さよならだけが人生だ」となってしまうのが人生も残り少なくなるとそうであるそしてこの世から自分も去ってゆくだけだとなる。




タグ:藤の花

2015年05月28日

抽象画(風の流れ)-streams of winds


抽象画(風の流れ)-streams of winds


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山を越える風

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風紋

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地球の色



抽象画も題を風としたとき、これは風なのかとみる、
でも風でもないし別なものに見る人は見る
でもどうしても現実にあるものに抽象画をあてはめるのが人間である。
ただ抽象画はどうにでも見えるとなる
@その人によって見え方が違ってくる
最初は俳句の「青嵐」というものからイメージして抽象画にした
漢字も抽象画でありそれぞれが絵なのが特徴である。
だから絵に変化しやすいのである。
一つの絵として認識しているのだ。
音として認識しているのとはまるで違っているのである。


抽象画は無限の変化だというとき形が決まっていないからである。
だから変幻自在になる。それはパソコンのソフトの作用でそうなっている。
他にも別なソフトを使えば別なものに変容する。
ただそうした機械的作業であり何か創作しているという気分になれないということもあるそれで画家自体が抽象画を非生産的なものとしてあつかっている
何かを創作したという感じがないのである
何かを変化させたというのが特に自分はそうである。
創作した気分には慣れないのである。

 
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江戸時代との対比で現代をみる (空間認識と時間認識が大規模に変わってしまった)


江戸時代との対比で現代をみる


(空間認識と時間認識が大規模に変わってしまった)


武士の農をはなれて、城下にあつまり、足軽中間までも城下に住居するは、治乱ともにあしき事なり。むかしは士たるものも農を本とし、在所を持て住居せり。
『集義外書』より(熊沢蕃山)


土着的というときいろいろな側面がある。武士でももともとは農民であったし侍になっても農業をしていた。郷士となっているのは農民であり侍である。
郷士の郷は故郷だから故郷に根付いて生活していた。
封建時代は農本主義であり農民中心の社会である。
だからいくら侍が治めるにしても八割の農民を基にして政治も成り立つのである。

現代を知るには明治維新の前の江戸時代をいすすいな側面から知らないと現代もまたわからない。
江戸時代がすべていいというのではなく江戸時代と現代を対比して現代を理解するのである。
明治維新後に失ったものが何か?それが現代の社会を知ることなのである。
まず江戸時代の地理感覚や宇宙感覚は極めて狭い、村が中心だとするとそれは極小の世界である。大きくても藩を越えることはない。
そういう世界で培われた世界観は極めて偏狭なものになる。
人間は空間認識と時間認識が基本にある。
江戸時代の空間認識は村が中心でありそこから外へと拡大したが藩が一つの国でありそれ以上は拡大しにくかった。
ただそれでも良かったのは江戸時代は外国と交わらないのだから別に外国も知る必要ないのだからそれですんでいたのである。
日本が庶民まで外国を意識するようになったのか明治維新後である。
村中心藩中心の地理感覚や世界観では生きていけなくなった。
一方で空間認識が狭いということは土着的な生活であり身の回りにあるものでまかなっていたから自然と一体化する生活だった。
だから江戸時代は自ずと土着的な生活になった。
そして土着的思考が学問しなくても体で身についていたのである。

もう一つは時間認識である。これは別にむずかしいことではなく江戸時代の時間感覚は自然とともに生活していたから自然の時間感覚が自ずと身につく生活である。
山があり木材を燃料や家を建てるために使う時山菜でも糧にするときどういう時間感覚になるのか?
樹が成長するのちは50年かかる、50年かかるときそれだけの時間感覚をもって生活していたのが江戸時代である。
50年となればもう一代ではとても山を利用できないのである。
だから江戸時代は何代も家業を受け継ぎ山を利用する。
江戸時代は職業でも代々受け継ぐのが多かった。
それは自然を糧としたから自然のサイクルに合わせるために時間感覚が長くなる
この木が育つには50年かかる、そうすると50年後のことを考えて木を植えていたのである息子にも孫の代にその木は成長して使われるのである。

そうなると代々受け継がれるものがあるから世代間のつながりもできる
それは現代で喪失したのもである。
今の時間感覚は今良ければいい、今も楽しむものだとなりとても50年後を考えて生活している人はいない。
来年は会社がなくなってしまうかもしれないとか非常に短い感覚で仕事している。
特にフリーターだ派遣だかなる時給いくらで使い捨てにされているのである。
長い時間感覚で考えられないということは世界を簡単に自然でも破壊してしまうということである。
次代のためにを考えて仕事したりしない、今を楽しみ消費することだとなってしまう。
今あるもの使い尽くして楽しみあとはどうでもいいとなってしまう。
そういう時間感覚になるとき世代間のつながりはなくなり断絶する。
現代は老人と若者は断絶している。
共通なもの共有するものがない、それは時代がめまぐるしく変化するからである

自分が石の詩を百編書いたというとき山であれ石であれ樹であれそれらは時間感覚としては長い、自然の時間感覚は長い、千歳の岩とあれば千年でありさらに億年とか長い時間感覚として石がある。
そして石は一定の場所にあって変わらないということで安定性があり土着的になる。
都会では東京などになるとそういう自然はもうない、山もない森もない、樹も石もない
ただ高層ビルがあり一分一秒を争い仕事している工業情報ビジネス社会である。
山の時間、石の時間、樹の時間、牛の時間・・・とか時間も実際はそのものに付属して時間感覚が生まれる。
今は機械の時間感覚であり機械によって時間が一秒単位で刻まれているのである。
それが文明の時間でありそこにあればとても自然の時間感覚とはかけはなれてしまう。
そもそも自然を理解するというか自然と一体化するというとき時間が必要になる。
石の時間はやはりそこに千歳の石とあるごとくそれだけの時間があって重みをましてくるのである。
文明の中で生活していればどんなことしても時間に追われるのである。

そうした土着的ものの喪失はある時文明的破綻現象として現れる
それが原発事故でもあったのだ。
原発事故が何か土着的なものと関係あるのとなるがあった。
土着的なものがあれば防げたかもしれないということである。
それは原発で働く東電の会社の人たちがもしここに何代にわたり生活するとなると
やはりと土着的思考になる。
その人たちは放射能の危険を肌で知っていた。
だからもし事故がここで起きたらここで子供を育てまた孫が生まれて代々つづき生活するとなると放射能のことを考えたかもしれない
もちろん地元の人は当然である。
ただ地元の人も放射能のことはしらない、事故が起きたらどうなるかなと考えなかった。今になって真剣に考えざるをえなくなったのである。
水とか森とか土とかまず土着的な土台となるものが汚染された。
それは致命的でありそこに住めなくなったのである。
もともと土着的であったその故郷自体を喪失してしまった奪われたというのが現実であるそれは今良ければいい、電気でも今使えればいいとか資源でも使える時使えばいいとか
何でも短い時間の単位でしか考えないし考えられないからそうなる。
そこが江戸時代の時間感覚を知り現代と対比して見直すべきことなである。
エジプト文明が3000年とかかつての文明が長持ちしたのはそうした長い時間感覚の文明だったからである。
現代のグローバル文明は百年で資源を使い果たすというかその時間感覚が短すぎる。
だから資源も消尽されて文明時代が消失してしまうかもしれないのである。
ともかく現代に起きていることは江戸時代と対比するとわかりやすいのである。
江戸時代に帰れというとかではなく対比して現代の問題が何か知るのであり
そこから現代の問題に対処してゆくのである。

とにかく現代は長期的視野をもてないことである。
今もうけなければなちらない、今成功しなければならない、十年後に成功すればいいとかならない
だから常に何か追われて生活している。
だから株のように急激にあがりま急激に落ちたり経済を動かしているのではなく翻弄されているだけだとなる。
そういう地からはなれた地につかない生活なのである。
その点貧しくても江戸時代は地につく生活はしていたのである。
だから何か人はのんびたしていたとかいい顔していたとか明治に来た外国人が見ていたのだろう。
今は何かに絶えず追われ焦燥感に満ちて疲れ一億鬱病の時代なのである。
何か幸せそうな人は顔している人はみかけないだろう。
金がいくらあっても満足していないとかかえって金持ちも余裕がないとかなっている。
幸せという観点からみれば今は物質的には恵まれても不幸な時代ともなる。
幸福とか不幸など時代によって違うから計られないのである。
病院で延命治療して一秒で長生きするのがいいかと言ったらならない
むしろ情ある人たちに囲まれて死んでいった人たちの方が幸せだったともなる。
病院で死ぬということは何か冷たい物ののようにあつかわれて死ぬからである。
病院で体をみても心はみない、ものとして人間をみて死んだらかたづけるという感覚になっているからである。
こういうことも江戸時代がすべて医療もないのだから全部が不幸だったかというとそれも計られないのである。

タグ:時間感覚
posted by 天華 at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2015年05月29日

原発事故から考える理系と文系 (理系集団で構成された原発の問題)


原発事故から考える理系と文系


(理系集団で構成された原発の問題)


●科学は万能ではない

文系大学などいらないと予算も減らされる、文系は自分もそうだったが何も勉強しない、遊びだったというのは本当である。文系でも自分はFランではないがたいして変わらないとかなる
でも団塊の世代の時代は田舎では大学に入る人は一クラスで四五人だったのである。
中卒で金の卵として就職した時代だった。
その時代からすでに大学はマンモス化して文系は遊びの場でしかなかったのである。
理系とは全然違う世界である。理系は実験の繰り返しとか毎日が実業に結びついている。文系は別に本を詠んだりインターネットでも学べるものである。
学者の授業など聞かなくてもまにあうのである。
では理系でこの世のことがすべてわかるのかとなるとそうはならない

●地震のことが基本的にはわからない
●癌のことはわからない(病気のすべてはわからない直せない)
●人間の寿命は誰が決めているのか医者にもわからない
●社会を理系では理解できない(社会は数式化できない)

理系でこの世のことが人間のことがすべてわかるのかとなるとならない
地震のことが科学的に合理的に説明できないし予知もできない
もし予知できるなら理系の科学者は神のようになるだろう。
人間の体もすべてわかっているわけではない、癌は未だにわからないし様々な病気のことも実際はわかっていないのである。
つまり病気が病は気からだというときそんなものを否定して薬とか手術とか医療技術とか科学の発展で直るとしたら医者だって神のようになってしまう。
社会のことも数式とか統計とか盛んに利用しても社会がどうなるのか将来がどうなるのかわからない、今は株式もコンピューターで予測してコンピューターで一秒でも早く取引ができるシステムになっている
それは人間の頭脳よりコンピューターの方が株をまかせるとなると優れているとなる
ところが未来はコンピューターで予測できない
なぜなら突然の事件などが地震でも津波でも起きて狂ってしまうのである。
突然に株でも暴落してしまう、それは未来が予測不可能だからである。
そんなことは統計を見てもコンピューターでも予測できないのである。

●科学には限界がある

そもそも理系であれ神ではないのだからいくら科学が発達しても限界があるのだ
もちろん地震が予測できない、病気も全部直せない、社会も理系ではすべて理解できない何が起こるか予測できない、それで地震を想念の乱れから起きるなどというとオカルトとかなってしまい拒否される
自分がある人を津波が来る前に呪いつづけた。その半年あとくらいに津波が来たことに驚いたのである。何か想念が影響したのかとも思ったのである。
病気も全部直らないから宗教に頼るのが今でも多い、それでオカルト宗教団体に入る数が未だに多いというのも矛盾である。
科学と宗教はガリレオに見られるように対立する面があったからだ。
科学は法則であり数式や法則通りに成るということである。
でも法則通りにこの世界が理解できればいいのである。
それができないから限界が生まれる
人間は絶対にこの世界を科学的にでも理解はできない、神のように全能でないからできない
科学には必ず思わぬ落とし穴があり今回のように原発事故も起きた
科学者が百万年に一回しか起きないと確率で計算していたことも滑稽である。
どうしてそんな計算が成り立つのか今回のように津波は400年前にも起きていた
千年単位になったら必ず大きな津波が来るし予測つかな自然災害も起きてきている
それは歴史を見ればわかるし科学的に実証されたことでもあった。

ではなぜ原発を操作していた主に理系の人たちはそんな絶対安全神話に陥っていたのか?
そして事故が起きたときどうなるかは科学的に放射能のことを知っているのだからシュミレーションできた。
むしろ安全を計り事故が起きた場合のことを想定して備えていれば良かった。
それが科学者が安全神話に陥りオカルト的になっていたのである。
「事故は起きない」という前提で運営されていればそうなる
原発はまず前提として絶対に安全だということはないのは科学者であればわかっていたのである。
科学者だからこそわかっていた。それが理系と文系に分別して見れば文系の官僚や社長もコストカッターとして文系だったらしい。
そういう文系に反発して科学者は原発は全体安全などありえないと反発すべきだったのである。
科学的思考を徹底すれば原発は絶対安全はないのだからそのことを考慮すべきだと抵抗して国民に知らせるべきだったのである。
結局官僚とか政治家とか文系的指導層の圧力に理系的科学者が屈して御用学者になった。文系の人は本当に放射能のことなどわからないのである。
それは理系の人たちが常に言っているし文系をこきおろしていることでもわかる。
それなら理系的科学者がそのことをもっと言うべきだったのである。
ガリレオのように宗教者から批判されても地球は回っているということが科学者の言うことだったのである。

●科学を越えたこと奇跡とか現実にありカルマ論も統計的に証明される

ともかくこの世はこの世の終わりまでこの世界のことは理解できない、ただ全能の神のみが知るのである。
なぜ人間が死ぬのか?まずそういう大きい命題に科学は何の力もないのである。
死は分子に分解してもとにもどるだけだというだけで納得する人はいない
それは宗教とか信仰でしか解決しない、「永遠の命」が現実にあるというのが信仰である人間は死なないということを死なない命があることは科学的に証明できない
奇跡は証明できない、奇跡は確実に起きたことであり聖書に記されたことはすべて事実から記されているのである。そもそもこの世は地球でも奇跡によって創造されたとしか説明しようがないのである。
それをオカルトだとするときでは科学者は不老不死の薬を医療を永遠に老いることがないようにできるかとなるとできない、stap細胞など作れないのである。
そこに科学の限界があり科学が万能になりえないのである。

また社会というのも考えてもマルクスの理論は科学的であり合理的でありまるで宗教のようになった。
でも社会はそんなふうにならなかった。それは共産主義の国をみればわかる。
中国では一番格差がある社会になったのである。
社会科学とあっても社会は科学的に見ることはできない、社会は何か予期せぬことが必ず起こるからである。弁証法などでも説明できない。
だからカルマ論なども科学的根拠があるのかとなると実際そんなこと証明できない
でも現実にカルマが個々の人生で起きていることが確実にある
それも不可解であり人生そのものがみんな謎なのである。
そのカルマ論が自分にもあてはまったことであることを書いてきた。
他の人にも確実にあてはまっていたことなのである。
まず子供は親の運命と同じ運命をたどるというのは統計的に調べてすべてではないにしろほぼ確実だということがカルマ論を否定できないものにしている。

どうしてそれぞれの人がみんな違った宿命に生まれてくるのか?
寿命にしてもどうして長生きする人とすでに60代でも一割は死んでいるのか?
百歳まで生きる人がいるのか?
寿命は神が決めているというのも不思議ではないか?
人間の体を最新の危機で検査しても優秀な医者かみても寿命がどれくらいかわからないのである。
なぜ男性として生まれ女性として生まれるのか?
それは遺伝子の偶然の配合だとか科学的に説明できないのである。
人間はまた遺伝子によって生まれによってすべてが決まるわけではない
その後の人生で様々な体験を通して人間は変化するのである。
人間はすべて先天的なもの遺伝子とかで作られるわけではない
英雄なんかもその時代にもまれて作られるのである。
吉田松陰なども批判したが明治維新のような時代はそういう英雄を生む
今のような平和な時代には英雄はまた別な英雄になるのである。

要するにすべてを科学的に証明できないのである。
そこにだから「霊」の関与があり神が関与しているとなる。
すると科学者からはオカルトだとなるが科学者も説明できないからそうなっているのである。
この世には科学で理系ですべて説明できないから文系的思考になる。
その文系的思考を理系の人がすべて否定できるのか、オカルトと否定できるのかとなる
それより科学も科学を徹底すると原発事故は百万年に一回しか起こらないとか滑稽なことになる。専門馬鹿が生まれるのである。科学がオカルトにもなるのである。
科学とは水素と酸素から水ができるということは確実である。
でも「心の青雲」のプログで宇宙には水だけが存在することはありえないというのも確かである。
なぜなら世界はそんな単純なものではないし科学でわかるものではないからだ。
地球という全体の中で水も生成しているのであり水だけが存在することはありえないというのも言えるのである。
科学者は否定しても科学を越えたものとしての説も可能である。
なぜならこの世の事象はすべはて科学では説明できないからである。
科学的説明できないものはすべてオカルトだとして否定できとないのである。
心で思ったことがある人のことを思っていたらその人が現れた出会ったなどということは日常的に起きているのである。
すると人間の思いというのも科学的に説明できないものなのである。
思いは電波だとかしてもその電波が目に見えて科学的にとらえることはできないからである。

●人間は学歴だけではわからない

文系がいらないというとき、社会はみんな科学的に処理するようになる
その時原発事故を起こした科学者のように大きな落とし穴が生まれる
宗教であれ哲学であれ芸術であれそれは理系と文系とか分かつものではなく総合的なものとして生まれた。
例えば花を科学的に分析していたら花の美は喪失する。
もちろん科学的になれば花でも肥料が必要でありそれは科学的思考である
でも美というのはそうした科学的思考だけではない、美を感じるのは一体文系なのか理系なのかとか区別できないだろう。
理系的に花を分析していたら花の成分はどうだこうだとしたら美は失われてしまうのである。


その企業に育てる力がないのであれば、基礎学力の高い確率の集団から採用した方が無難でも、おもしろみのない、発展しない集団になるとも思う。

勉強のできる、学習能力の高い人のほうが、早く仕事を覚えられるが、役職が上がるほど、学校における学習とは違う能力、素養が要求されること。こちらの適性は、学歴・ペーパーテストの成績では判断できない。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK26032_W3A121C1000000/?df=5

東大ばかり出た人が上に立つことはできないしそんな人ばかりだったら社会はつまらないものとなる。
人間は学歴などで決まるものではない、そしたら社会は歪められる
むしろ東大閥とか官僚が現代の社会を歪めている要因にもなっている
人間社会にはエリートは必要である。でもそれが東大出でなければならないということはない、それが社会を大きく歪めるからである。
エリートというときそれは江戸時代の継続として侍がいてその侍を武士をすべて廃止したとき社会が混乱した。
一挙にそうした伝統的に培われたものを廃止して国民国家にしたとき指導者が明治維新で薩摩長州の下層のものがのしあがり支配者になったときゆがめられたのである。
その人たちにはモラルがない、利権とか地位とかそうしたものばかりを得ようとしてのしあがってきたからゆがめられたのである。

特に文系になると学歴は実際関係ない、語学などは判別しやすいけどその他の能力は社会でどう活かされるかはわからないのである。
戦後の教育の失敗はただ学問でもそれは立身出世主義しかない、どれだけ社会で利益を得て得するか、楽して得するための教育しかなかった。
受験戦争もそのためにあったのである。それは福沢諭吉からはじまっていたのである。
内村鑑三はその反対の軸として明治にあった。
理系文系というとき文系はいらないと偏差値がどうだこうだというので人間を若い内に決めてしまうのは問題なのである。
人間は若い内ですべてが決まらない、特に十代とか二十代前半で決めるのは問題なのである。
人生をそこで決めてしまったらつまらない人間しか生きられなくなる。
人生には何が起きてくるか予測つかないし意外な結果として人生が終わるのである。
理系で優れた人が事業を起こして失敗した。
その原因は何だったのか?よく分からないけどその人間性に問題があった。
人間性というときモラルがない人が果たして上にたてるのかとなる
それは理系文系でも関係ないのである。
社長になるのが文系が多いというとき何か別な能力が要求されている。
とても理系学者とか研究者タイプが社長とか勤まるとは思えないのである。

理想は理系にも文系の知識は必要だし活かされる、文系にも理系の知識が必要であり活かされる
それが理想なのだけとその両方を兼ね備えた人はまれである。
自分も数学とか科学に弱いから原発事故問題でも厳しく追及できないものがあった。
人間は結局何が無駄かなどわからない、無駄だと思えるものが有効だったりふりかえるとなる。
社会でも無駄だと思えるものが実は社会的に効用があったとかわからないのである。
核を科学者が発明したけどこれが人類にとって必要なものだったか?
核が発明されなければ核戦争も広島の原爆の悲劇もなかったし原発事故もなかったからである。
人間であれ社会であれ実は何が有用で無用なのかわからないのである。
東洋的には無用の用は必ず存在する、無用にこそ大いなる有用がある。
そもそも宇宙はあまりにも広大でありそれは地球にとっても人間にとっても無用の空間なのである。
だからそもそも何が有用か無用かとか社会で決めることか問題になる。
もちろん税金の無駄使いもあるからやむをえない面はあるが文系なんかいらないとか
偏差値が低い人間は劣っているとかそんなことで人間は決められないのである。
それぞれの人間がどんな人間になるのか十代前半とか20代前半でも予想がつかない
社会では別に学歴がなくても意外な才能を発揮して成功している人もいる
それは学歴ではないその時代とかその人の人間性とか運とかも左右している
ただ30才ではその人の将来はだいたい決まる
30才までが青春であり青春時代にモラル的に荒廃したら一生ひきずることになる
それがふりかえると人間の一番の落とし穴だったともなるかもしれない
青春時代はだから潔癖である必要がありそれを貫くことが大事になる
それが一つの人生の分かれ目になることが確かであり学歴は関係ないのである。



タグ:理系文系
posted by 天華 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年05月31日

南相馬市の被害にあった海老の人に聞く (津波で死んだのは早く逃げなかったからー津波の波は早かった)



南相馬市の被害にあった海老の人に聞く


(津波で死んだのは早く逃げなかったからー津波の波は早かった)


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津波の前の海老村

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野球場で20人死ぬ



津波は早い、逃げ遅れて死んだ人が多い


海老浜の津波で流された家の跡に立っている人がいた。
それは海にじかに面して家だった。
前に聞いた話では津波の波は海老村に襲ったのは高い所からと聞いた。
実際は違っていた。津波の波は右田の低い場所から松原の方から流れてきたのだ。
その人は必死になって海老の裏の山の森に入った。
そこで逃げた仲間の6人が死んだ。
なぜ死んだのか、津波から逃げ後れて死んだ。
津波の波は早いという、車でも逃げきれないほど早かったという。
大内村では津波か来てからトラックで必死で逃げて助かったという話を聞いた。
でも津波が早いとすると車でも逃げきれなかったという。
すると車で逃げても渋滞になったら津波にのまれる
それで大勢死んだということもあった。
津波は早いということである。


津波は低い土地の右田の松原から高い海老の方に流れてきた。
そして海老からまた下の右田の方に流れ下っていったのである。
それにしても海に接した場所だからあそこは怖かったろう
あそこの前に道があり海老の後ろの小高い森の中に入った
ところがその森でもちょっと奥に入らないと助からなかった。
それは津波が来た跡が木などに残っているからわかる
つまり6人があそこて死んだというのは森の奥に入れなかったからだという
それだけ逃げきることができなかった。
津波はそれだけ早いからいち早くに逃げなければ助からない
津波で被害を大きくしたのはチリ地震津波の経験しかなく
津波といってもそれくらいのものしか想定していなかったのである。
津波の前に海がひいたというのは見たという


津波から助かるにはどれだけ早く逃げるかにかかっている


結局津波の被害がこれだけ大きくなったのは津波はいち早く逃げなければ助からない
そのことが徹底していない、もうとっさに逃げなければ助からない
つなみでんでこーというのはまさにてんでんばらばらにでもいいからとにかく逃げろということである。
そういう言い伝えが残ったのは三陸でありこの辺にはない
頭にあったのはチリ地震津波のことしかなかったのである。
そして時間がなかったからかとか聞くと時間はあったという
一時間は津波が来るまであった
時間はあったけど警戒せず逃げなかったことが大被害になった
ただ自分もあの地震のときバタバタ物が落ちてきたりして
それでバタバタしていたらたちまち時間が過ぎる
だから津波の被害にあった人たちもとっさに逃げるという判断ができなかった


それから右田の真野川の岸の野球場で逃げきれずに20人死んだという。
あそこまで逃げきれなかった、海からの距離は2キロくらいあるかもしれない
それでも逃げきれなかったのは津波が早いということもあったし
とっさに逃げるということができなかった
つまり時間はあったが頭に津波がどういうものか何らイメージできなかったのである。
津波は4キロ地点まで被害があった
それも4キロ地点でも床上であり意外と被害が大きかったのである。


あと海老の高台を避難所にしてそこでも30人とか死んだ、それは海に面していたところであった。
もっと逃げる場所があったのだが津波のことを知らないので役所で決めた
ただあそこから後ろの森に逃げていれば助かった
何か木につかまって助かった女性があそこでいたのだ
いづれにしろ間一髪で助かったいた人がいて死んだ人がいる
野球場で20人か、海老で小高い森に逃げて逃げきれず6人死んだ
海老の避難所で30人しんだとか・・・・・
死者の数はやはり多すぎたのである。

やはり津波ということが経験がない知らないということが致命的になったのである。
この辺は400年も大きな津波が来ていない
500年前にも全国に津波が来ているがそれも記録が定かではない
記録ははっきりしているのは元禄からなのである。
それで千葉県とか磐城の四倉に残っている津波の記録がある
それは確かな記録であり伝説である。
ところが相馬藩内にはその元禄の津波の伝説も記録も残っていない
とするとそれは千葉県から四倉まで津波の被害があったが
相馬藩内にはその元禄の津波はきていないとなる
なぜなら元禄になると政治も安定して記録されるようになったから
相馬藩政記に記録が残らないということがありえないからである。
記録がないということは四倉までは津波が来ても相馬藩内には来なかったのだろうとなる


タグ:海老村
posted by 天華 at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処