2015年05月19日

廃藩置県で失われた地域の一体感 (県は広くて郷土愛などが育まれないー行政にも障害が)


廃藩置県で失われた地域の一体感

(県は広くて郷土愛などが育まれないー行政にも障害が)


明治維新を迎え、大政奉還をすると天皇が江戸に移りました―――といってみたところで、地方にはまだたくさんの大名がいます。権力は各地に分散していました。明治新政府が権力を持つためには、地方の権力を全部取り上げてしまわなければならない。そこで大名の持っていた武力をすべて召し上げて、藩をなくして全部県にしたいわけですが、それを実施するには中央に武力がなければならない。中央に権力と武力があって初めて中央集権が成立する。それが廃藩置県の意義でした。
明治の冒頭で、菊池寛がまず廃藩置県に注目したのはじつにみごとだと思います。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/?tag=%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A&page=1


神奈川って海あり山あり都会ありで
多様過ぎて一体感ないんだよね
県民性も地域によって大分違う


これはどこの県でもあてはまるだろう。
福島県でも広すぎる、ハマ、ナカ、アイヅで気候も風土も違っている
むしろ気候とか風土だと海岸線ということで今回の津波の被害にあった所が一体感がある世界だった。
相馬藩は江戸時代から伊達藩と関係が深かった

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に

今でも仙台に通勤している人もいたから同じである。
それは地形が影響していたのである。
阿武隈高原が障害となり隔てられていたのである。
こういう地形の影響はすでに古代からあったから変わらなかったのである。
まずその国は地形から地勢から地理から作られるのである。
自然村であり自然国である。自然から風土から一つの国が形成される。
これは世界的にみても自然から地形から風土から国が作られてゆく
だからその国を知るにはその国の自然と地理を地形を地勢をよむのが先である。

ところがこの地形をよむ地形を知るのが一番むずかしいのである。
これは地図をみてもグーグルアースを見てもわからない
例えば阿武隈高原でもそこを実際に越えてみて中通りに行ってみないとわからない
飯館村は阿武隈高原の村だが相当に標高差があり寒冷な地帯になる。
福島市になると冬は寒く夏は蒸し暑くなる。
それで阿武隈高原を越えた時海の方から風が吹いた時涼しくなりほっとした。
はっきりとそこに温度の差が生まれていたことを実感したのである。
つまり風土とはまさに風であり風を感じないとわからない
その風も今は感じにくくなっいてる
電車でも車でも風は感じないからである。

津軽平野に出て津軽鉄道の中里駅から十三湖に出たとき西風が吹いて
十三湖が波立っていたことであそこの風土を感じた。春でも日本海から西風が吹く、
そして冬はあの辺は地吹雪になる地帯である。
そういう厳しい風土なことを実感したのである。
そして青森県の車のナンバーの人がいてどこかと聞いたら大間だという
大間はどこかとすぐにわからなかった。
それは下北半島の先であり函館が原発があるのでもめている所だった
これも地理がわからないと理解できないのである。

30Km圏内に入る函館市や道南地域への説明もなく、また、同意を得ることもなく、建設が再開され、建設後には、大間原発の事故を想定した地域防災計画や避難計画を定めることを義務づけられることは、整合性を欠き、誠に理解しがたいものです。

平成24年10月、25年2月には、国や事業者に対し、函館市をはじめ道南の自治体や議会、経済界、農漁業団体、住民組織などが名を連ね、大間原発建設の無期限凍結を求めてきたところです。 
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031000166/

30キロ圏内にあるから函館市は今回の福島の原発事故で反対になった。
青森県で日本海と太平洋側では風土も違ってくるし下北となるとまたわかりにくいのである。
結局自然的にその地形とか風土に準じて作られた藩が一番わかりやすかったのである。
その藩があり城を中心に見ればわかりやすいからである。
その江戸時代の前に古代からそうした地理や風土によってすでに国はつくられてきていたのである。

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲びにせもと 紐結ばさね (万葉集 14−3426)
安達太良の 嶺に伏す鹿猪の 在りつつも 吾は到らむ 寝処な去りそね
陸奥の 安達太良真弓 弦著けて 引かばか人の 吾を言ひなさむ
陸奥の 安達太良真弓 はじきおきて 反らしめ置なば 弦著かめやも
安積香(あさか)山、影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を、わが思はなくに
陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

みちのく万葉集の歌の意味するもの (福島県の古代-みちのくの大地を深まる秋に想う)

万葉集に歌われたのは福島県までである。真野の草原は石巻説があり涌谷町の黄金花咲くは宮城県である。
ただ古代で奈良に知られたのは福島県では会津であり安達太良がある二本松であり
安積香(あさか)山がある郡山であり真野の草原がある南相馬市である。
これがその後も変わらない基となっている。
会津の国をさ遠み・・・というとき会津の国と記されていることが大事である。
すでに会津では国として認められるのものがあったから国がでてくる。
会津の名の起こりも古事記に記されほど古いからである。
つまり福島県には最初会津国があった。
安達太良というのは山でありそこには国ではなかった。
ただなぜ三つも安達太良の歌が残っているのか?
それは安達太良山が福島県の中心として位置づけられていたからである。
安達ヶ原の鬼婆とかもすでに都に知られていたのもそうである。

そしてその継続として二本松に霞城が築かれた、そのことは詩にもした。
二本松城が福島県の中心として地理的にあって城が築かれた。
会津はまた別な国だった。それで廃藩置県で二本松県があり会津県があり浜通りは
磐城県になっていた。
それが今のハマ、ナカ、アイヅになったのである。
郡山は古代も交通の要所であり都の郡が置かれて接待する女性がいた。
郡山はその後もそういう位置にあり東京に近く繁華な市を形成していたのである。
みちのくの真野の草原は港であると書いてきた。
ただ石巻なのか南相馬市の鹿島区の真野なのかはわからないが考古学的発見からは南相馬市の真野が有力になっている。

いづれにしろ廃藩置県で他国を理解することがかえってむずかしくなったのである。
藩を中心にしてその国の風土なり歴史をみるとわかりやすいのである。
だから廃藩置県は何か無理して線引きして作ったものだからなじめないのである。
地理的一体感がどこでも感じられないというときそうなのである。
県はどこでも広すぎるからそうなるのである。
だから神奈川県がどうなっているのとなると地理的にわかりにくい、それはどこでも県からはわかりににくいのである。
どこの県でも即座に地理がわかる人はいないのである。
地理的一体感がないというとき何かいろいろと問題が起きてくる。
原発のような科学的なものにも問題が起きた。
中通りの福島市とか二本松とか郡山まで放射能で汚染されるとは思わなかった。
それは阿武隈高原が障壁となって原発の影響はないと思っていたのである。
ただその時東風が吹いて放射性物質が運ばれたのである。

日本の地理が複雑なのは海と山があり接近しているし山となるとわかりにくい、だから日本列島を横断してみるとわかりにくい
でも海に沿ってみるとわかりやすくなる。
今回の津波では津波の被害にあったところが一体感があったのである。
一方で安達太良山が万葉集で三つ歌われているように山を中心にみるのも日本である。
ヤマトというと山なのである。それは山に囲まれた山の国だからである。
ともかく廃藩置県後の県で日本をみることはむずかしい
それで地方活性化とかの国の方針もうまくいかないことがあるだろう。
なぜなら県単位になると地域の一体化が広くて一体感がもてないからである。
県単位の行政すら今回の原発事故でもわかったようにむずかしいのである。
福島市にまで被害があるなど考えなかったろう。
それは地理的な要因でそうなっていたのである。

そもそも明治維新は様々な面で無理があった。だから今になると明治維新が必要だったのかとか見直される。
西欧化というけどそれは日本的なのもを排斥する無理があった。
そういうふにう西欧から迫られたというのもあるけどその無理が後々まで影響したのである。
明治維新かなかったら太平洋戦争がなかったといわれるのもそうである。
廃藩置県もそうした日本を中央に武力と権力を集めることであった。
それは文化的にもそうであり標準語に無理やりしたのもそうである。
その時地方の文化的なものもかなり失われたのである。
そういうことまで考慮する余裕がない状態だった。
別に幕府でも開国を目指ししていたのだから廃藩置県がなくても開国はできたということは言えた。
明治維新は日本的な文化の破壊もあり今日まで甚大な影響をしていたのである。
だから明治維新が今になって見直される結果になったのである。


タグ:廃藩置県

県単位ではほとんどイメージするものがでてこない (地方創生でも文化は地方からしか生まれない)


県単位ではほとんどイメージするものがでてこない


 
(地方創生でも文化は地方からしか生まれない)

 

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県というき最初は藩があったところが県になっていた。
だから三春藩があり城があったが三春県になっていた。
相馬藩の中村に城があったから中村県になっていた。
県の規模はもともとも大きなものではなかった。
江戸時代の藩を基にしていたのである。
それが拡大解釈して今の県になった。

県というのはイメージがわかない
福岡県といっても佐賀県といってもどんな地域かイメージわかない
福岡というと玄界灘があり韓国に近いということはイメージする
それ以外わかりにくい、佐賀県などとなると余計にわからない
長崎県なら長崎があるから長崎からイメージする
鹿児島県は先端だから薩摩としてイメージしやすい
開門岳があり桜島があるので比較的わかりやすい
阿蘇山は宮崎県だとなる
港とか山が先にあり県をイメージする
安達太良山が万葉集に三つものっていることはいかに注目されていたかわかる
それで

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

蔵王は相馬地方でも見える、南相馬市の鹿島区からも大きく見えた。
ただ原町になると見えない、ただ意外と広い範囲で見えてる
蔵王は福島県と宮城県と山形県の三県から見えているからこういう歌ができた。
ただ蔵王と言えば山形県である。
県の象徴として山がある、岩手県は岩手山であり青森県は岩木山である
秋田県は鳥海山である。
富士山といえば静岡県なのかもしれないが富士山は山梨県からも他からも見える。
まず静岡県とあってもどのくらいの範囲であり地理的にイメージできない
それは県単位だとどこでも同じなのである。

山の上の桜に昇る朝日さし沖行く船に金華山見ゆ

これは新地の鹿狼山に登山口で牡鹿半島が見えて金華山も見える時がある。
そして相馬藩内に金華山の碑がある。
これは古くはなく明治時代以降のが多いから比較的新しい
湯殿の碑などは古い方だろう。明治まで金比羅参りなどもつづいていた。
新地は海から貝をとっていた手長の巨人伝説があるように山と海が接近している地形である。
蔵王でも亘理の鳥の海からはっきりと見える。それは船の当て山になっていたから海と結びついていたとなる。
新地では牡鹿半島が見えるからその見えることでつながりが感じられる。
会津の山などは全く見えないから一体感が感じられないのである。
海沿いに今回の津波の被害を受けた所が一体感を感じたのである。

日本では山国だから山からその土地をイメージすることが多い。
そもそも奈良県は大和ととして日本発祥の地だとするとき

やまとはくにのまはろばたたなづく 青がき山ごもれる大和しうるわし

この歌があるように奈良県は山に囲まれた中の盆地だからわかりやすい。
滋賀県だと琵琶湖中心に見るからここもわかりやすい。
結局あとはほとんど県単位ではわかりにくい、それだけ県単位だと広いから地理的なもの地形もわかりにくくなるのが日本である。
日本では県単位でイメージできるのはまれである。
市単位だとわかりやすくるなる。横浜市とか鎌倉市とかなるとわかりやすい。
ただそこが神奈川県だということはイメージできない
神奈川県となると広いからどこでも県単位ではイメージできないのである。

それから日本は海にそってみてゆくとイメージしやすい、瀬戸内海というとい瀬戸内海領域として見るとわかりやすい、それが山口県だ広島県だ岡山県だとかなると山の領域が入ってくるからわかりにくくなる。
京都府なども宮津まで入っているとなるとわかりにくい、宮津が京都府に入ると思う人は外からわからない、それでも方言だとにかよっていることも不思議である。
方言でなまりでみると大阪から近江から奈良から京都は共通性がある。
だからなまりで国がわかると言われたのは変わりない
方言はやはり一つの文化圏の形成として生まれ受け継がれたからである。
でも大阪弁と京都弁とか奈良の方言とか外から見てわかる人はいない
地元だったら似通っていてもわかるとなる
福島県でんだという語尾につけるとき宮城県ではだっちゃになるから明確に別れる
それで丸森ではんだべっちゃになっていたのも面白いのである。
丸森には相馬藩か一時城主であった金山城があったからそこで伊達藩の宮城県と相馬藩の方言が一緒になったというのも歴史だったのである。
こういうことは関西の人たちも知っている
近江商人というと有名だけど大阪商人の基は近江商人だったというのも知らなかった。
近江商人が大阪商人になっていたのである。

日本ではまず全国の地域をイメージするとき県単位ではほとんどできない
山とか川とか市とか城がある所とかからイメージする。
それは県より局所的になりイメージしやすいのである。
だから長崎市となると長崎県になるからわかりやすいのである。
横浜市とあったら横浜県になればわかりやすい、それが神奈川県になると範囲が広くなりわからなくなる。地元に住んでも福島県と同じようにわからないのである。
地理的一体感も歴史的一体感ももてない
鎌倉市だったら歴史的地理的一体化感をもてるし外から見てもわかりやすいのである。
あなたはどこから来たんですかと言っても神奈川県です福島県です、岩手県ですといってもわかりにくいのである。
だから富士山の車のナンバーがあったときわかりやすかったのである。
この人は富士山が見える所に住んでいるとわかるからである。
市にしても日本には藩があっても市はなかった
堺市などは例外だった。市民というのも存在しなかった。
外国に行くときパスポートにどこの市民かと記される
外国では日本国に所属しているのとどこかの市に所属した市民としてみる。
でも日本では村があり町があり市があるからどこの市民なのかとはみんなならないのである。

観光でも県単位で外部にアピールするとき外から見ると福島県でもハマ、ナカ、アイヅになるからわかりにくくなる。
会津なら会津をアピールするとわかりやすい、だから会津県の方が地域創生としては良かったとなる。
岩手県でも盛岡市なら盛岡県となればわかりやすいのである。
県はもとも藩の代わりに使われていたのである。
名古屋市だったら名古屋城があり金の鯱がありそこを中心に考える
でも名古屋市が愛知県というときイメージができないのである。
外国でも一つの行政単位はギリシャだったらポリスでありその後もヨーロッパ
では市が一つの独立国となっていた。
それで市同士が敵対して戦争もしていた。
フィレンツとかも市として独立国だった。そういう歴史が日本ではないのでわかりにくいただ市単位でみると日本でもイメージしやすくなるのである。

県単位になると県歌など作るにも作れないだろう。
ハマ、ナカ、アイヅでは地理も歴史も自然も相当に違っているである。
そういう風土とか歴史を無視して線引きした廃藩置県が今になると文化の破壊だったとなる
要するに県単位になるとアイディンティティが見いだせないし県に愛郷心ももてないのである。
廃藩置県というのはそうした日本の風土と歴史を無視して強行された。
そこには自然の理に反した無理があった。
明治維新から130ねんとかたてばまたそのことが問われる
明治維新の影響がその後の日本を決めたことで影響が大きかったからである。
地租改正などもありかえって江戸時代の日本より農民は苦しむことになったこともそうである。
それは明治維新で強力な中央集権体制で政府に官に権力を集中させたことによっていたのである。
江戸時代にあった村々は解体されて村の共同の入会の山は私有地化された
だから原発が双葉や大熊に建てられ時漁業権が強力なものであり原発御殿が建つほどの補償金をもらった。
そして家の前の砂浜や海まで私有地でると主張されたことでも象徴されている。
それだけ私有意識が強くなり日本人私的なものとして個々に分断された原因ともなる。
ただその私有地を許すということは資本主義に欠かせないということから国ではそうした要するに江戸時代から明治維新のことがわからないと今の日本もわからないのである。

それは行政面でもあり文化面でもある。行政単位としても様々な障害が生まれる
福島一区の選挙区も福島市と相馬の浜通りがふくまれていることに違和感があるのは
地理的阿武隈高原で隔絶されているからそう感じる
地理的に一体感がもてないのである。
地域的特徴地方再生となると相馬藩だったら相馬藩として江戸時代の継続から作り直すとアイディンティティも見いだしやすいのである。
身の丈の感覚でとらえられるのは相馬藩のような六万石くらいになるのか?
この範囲は自転車でも一日で行ける範囲だからである。
その中に海もあり川も山も一応あるから多様な地形を織りなす文化が育まれるのである。これからは明治維新の中央集権体制から地方分権体制に行政的にも移るべきである。
一方で東京に過度に集中する弊害もかえってつづいている。
ただ東京からは文化は育まれないし生まれない
そのバックグランドの自然がないから文化も生まれようがないのである。
文化的側面からだったら本当は原発は東京に作るべきだった。
東京湾の方が津波に対して安全だったからである。
そして貧しくても相馬地方が独自の国造りをするべきだったとなる。


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複雑な地形



 
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2015年05月20日

抽象画(複雑な地形)


抽象画(複雑な地形)


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なんかわからないけど何かこれは抽象画的である

何に見えるから言ったらどうにでも見えるとなる

これを変化させたのが下の「複雑な地形」になる


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複雑な地形

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地形が作られる



自分のテーマは一つは地形だった、なぜなら旅したとき一番地形に興味をもったからである。
まず日本の地形ほど複雑で変化に富んでいる所はない
中国とか大陸になるとどこまでも平野がつづくようだと飽きてしまうだろう。
日本は狭くても地形が変化に富んでいることが特徴なのである。
地形をテーマにすると抽象画ではいろいろ表現しやすいものかもしれない
抽象画は何かどこまでも平野がつづくような大陸の景色とは違う
常に変化しているから抽象画に日本はあっているのかもしれない
四季でも抽象画に現せば日本的抽象画になる
ただ果たして抽象画が芸術なのかどうかはわからない
自分は画家でもないからわからない
実際自分の場合はインターネットにある原画を変化させているだけだからである。
タグ:地形

2015年05月21日

初夏の街を生きる(介護、家事、追われる生活)


初夏の街を生きる(介護、家事、追われる生活)

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赤い花は薔薇なのか?大きい花である


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駅舎あり薔薇増え咲きて光吸う
とりどりの薔薇を植えにつ新居かな
草原の風にそよぎて夏雲雀
原町の広々として夏雲雀
夏菊の白さに映えて赤き花
夏菊や新築の家に映えにけり
朝空に雲雀のひびき夏燕
街中を今日もめぐりて夏燕
夏の朝燕飛びかい外に出る
相馬市の道の駅かな松と藤
石一つここに動かじ文目かな
夏菊や全国の車走るかな
夏の山バイクの走る六号線
六号線夏のひざしやバイク行く
六号線かなたに夏の鹿狼山
よみがえる田の面に夕日暮らしかな

十数輪街中の畑に文目咲き静まりけるかな裏の道行く
この道に藤の垂れしも散りにけりプレハブの宿舎並びけるかな



今日も疲れた。10時から厚寿苑の人とケアマネとベッドなど借りている家具店の人が来た二カ月に一回予定などを決めるために来る。
なぜ家具店なのか、これも介護保険と関係しているから来る。
ベッドは買うと買いから借りているからだ。
家具店などは今商売にならないから介護関係の仕事なになっている。
その女性は何か愛想がいいとかいうかあういう仕事に向いている
まず女性にもいろいろ性格があるから必ずしもその職業とマッチしているとは限らない
社交性がない女性だっているからである。
そして結婚するとき外見だけ見てすると失敗するかもしれない
商売をしているときそれにあった人でないと夫婦でできないということがあるからだ。

だから農家では美人で華奢な人だったら嫁にもらわないとか機織りがうまいという人がその外見より重んじられていたのである。
それは生活がかかっていてそういうことができないと生活自体成り立たないからそういう価値観になった。
今は何か外見で決めてしまうからやせた時スタイルのいい女性がいいとかなり無理をしてまで女性はダイエットしている
中国でもふっくらとして女性の方が好まれていた。
なぜなら痩せているということは栄養不足であり満足に食べられないからだったかもしれない
ふっくらとしているということは豊かな生活をしていたからだとなる
つまり貧乏な時代はやせた人間が多いのである。
北朝鮮辺りはいまでもそうだろう。ほとんどやせている。兵士するやせて戦えるのかと報道していた。

結局結婚を60以上にならないとそれが良かったかどうかわからないかもしれない、
それは金持ちでもそうであり必ず結婚にもいい面と悪い面がでてくるからである。
双方とも満足するような結婚はないためだろう。
貧しくても夫婦で苦労して生活を築いたら夫婦の絆が強まることがある
それはわからないにしろ死んでからも毎日妻に手を合わせているのはやはり絆が強かったとなる。
とにかく人間には必ずいい面と悪い面がでてくる。
悪いと思ってもそれがいい面になる場合がある
外見は良くなくても性格がいいとか頼りになる女性だったとかともなる
外見が良くても頼りにならず苦しいときは助けにならなかったとかともなる
「人はみかけによらぬもの」というものつくづくそうだった。

鉄道は二両であり東京にも仙台に通じていないから淋しい、その駅の前に薔薇が咲いた。十輪くらい咲いた。花はいくら咲いてもいい、そして光を吸う、猫は子供が生むと増えるから良くない、捨てるようにもなりそれが嫌である。
猫は子供を産みすぎるのである。花だったらいくら咲いても養うことができるからいい。動物になるとどうしも人間でもそうだが人口の制限が必要になってくるのだ。
それで間引きとかあったから動物と同じである。
ある種の動物が増えないように天敵も用意されたのは自然の理であった。

以前として田は今年は増えたが草原化しているのがこの辺は多い。
雲雀は草原にあっていた。モンゴルのような草原にあっていた。
田んぼにはあわないものだった。
北海道のような広い草原で鳴くのがあっていた。
原町は何か郊外が広いし雲雀が鳴くとあっている
相馬市にはそういう感じがしない、広さがたりないからだろう。
原町は原っぱだった、野馬追いの神旗争奪戦が行われる雲雀が原はまさに雲雀が鳴くようにな原でありあっていた。
それで南相馬市が合併するとき「雲雀市」とかの案があった。
今になると合併しなかった方が良かったという意見も多くなった。
原町は原町でよかったとか鹿島は鹿島で良かったとう言う人も多くなった。
合併は様々な問題を産んだのである。


六号線は東京と通じたから前の活気をとりもどした。
ただダンプが多いから何か危険なのである。
今は外部からの人が多いから活気がある
それもなくなったら地方は活気がなくなるだろう。
介護もいろいろ言われるが地方の仕事も介護とか医療関係が多いのである。
だからこういう仕事も何十年後に減ると地方の仕事がなくなるということもある

六号線をバイクが走るのは格好いい、それはやはり若者があっている
白髪の老人がバイクにのってもあわない、ただ意外とバイクを写真をとろうとしたがバイクの走る数は少ない、バイクは双葉とかからは走れないことも影響している
バイクはやはり風とか光を受けるから自然とマッチする面があるとはなる
ただ自分が年配の人が自転車にのりバイクにのっていたのが若者だったというのは違和感があった。
バイクと自転車では全く違うのである。自転車はバイクよりずっと苦しい
バイクは楽であり自転車は苦行である。だから自転車が若い人ならわかるがバイクに乗って楽だなつくづく見ていたのである。
六号線のかなたには鹿狼山が見える、でもあの山に注目しているのは地元の人だけだろう高い山ではないし目立たない、でも遠くから見えることは確かである。

藤の花は散ったけどプレハブの仮設が並んでこれが増えているのがこの辺である。
3000人くらいふえたら3000の部屋を用意するとなると足りないことがわかる
これも長期間だからこの辺で必要なのは宿泊する場なのである。
藤の花はそのプレハブの宿泊所の道そいに建っていたのである。
これもこの辺の一つの景色となっている。
あまりいいものではないにしろ現実にそうなっているのである。

 
タグ:初夏

2015年05月22日

夏の6号線


夏の6号線

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夏の山バイクの走る六号線
6号線夏のひざしやバイク行く
6号線日影の歩道藤垂れぬ
6号線かなたに夏の鹿狼山
十数本朝の黄菖蒲6号線



道は現代では最も大事なものなのだろう。
車社会を批判してもとをにもなちらない、現実の社会は車社会なのである。
車に乗らなくても車の恩恵を受けている
変な話だけど自転車にのるということは贅沢なのである。
ええ、馬鹿なと思うかもしれないけど自転車に乗ったり歩くことはさらに
贅沢になっているのだ。
自転車や歩くことでしか体験できないことがある
車は日常的な生活に欠かせないものとしてあるか
歩くこと自転車などでたびするとしたら現代では最高の贅沢なのである。

もはや歩いたり自転車では普通は旅できないし労力と時間と金も必要になってくるからである。
農業も家一軒建つような畑を作るのにどれだけ労力がかかっているか
そこからとれるものは実際ほんのわずかなものである。
それでもそれだけの労力がかかってもやるのは農業が好きで趣味でやっていると同じなのである。
ただその女性は働いていると思っている

6号線は高速道路とは違う、生活に密着している道路である。
高速道路は生活から土地から離れてまさに鉄道のようになっている
現実に高速はやがて自動運転になるのだろう。
線路をしいた上を走っているとそう変わらないのである。
高速道路を走っているのは地上からは全く見えない
だから車がないとなんの関係もないように見える

6号線はすでに磐城とも東京とも通じている。
ただ前のように東京の方から自転車では来ない
バイクも来ない、車は東京と通じていないときも多かった
いづれにしろ人間の生活がないと何でも死んでしまうだろう。
花だって映えなくなる
人間の生活があると花も映えるということがある
黄菖蒲などは何か明るいから6号線にあっている。
夏菊もあっている

ともかく今日の日ざしは強く夏だった。
今年は夏が早い、自転車は夏と冬は弱い
舗装道路の照り返しで余計暑いからだ
その点車は楽だなと思う。
田舎では車なしでは結婚もできないだろう。
車を運転できない男性など相手にされないとなる
仕事もできないとかなる
ただ自転車にのっている人など実際は現代では贅沢なのである。
別に車に乗らなくても車の恩恵で生活しているのが現実だからである。

浪江とか双葉でも避難区域でも六号線は通じたから道は生きている。
ただ街は死んでいるから花も映えない
この辺では田んぼも5分の一は再開された
まだまだ原野が多くても何か前に戻ったような気分にはなる
とにかく六号線は通じたことはやはり大きな復興だったのである

写真の時代だけど写真だけでは現せないものがある
絵を描けないけと合成の絵がパソコンでできる。

タグ:6号線

2015年05月24日

インターネットの情報空間の特徴 (マスメデアから個の関心のメデアへ)


インターネットの情報空間の特徴

(マスメデアから個の関心のメデアへ)

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これは小島田から見たもの、鹿狼山(がろう)が見える
これは午後の写真である。


 
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人間の情報伝達は時代によって相当変わってきた。江戸時代までは直接人を通して口伝いなのが多かった。だから何か習う時、師を直接たずねて歩いた。
何かを知るのには教えてもらうのには直接人を通して知るほかないのである。
本とかあってもそれはわずかしか流通していない
だから知識とか情報の点では極限られたものしか得られなかった。
それで江戸時代に御伊勢参りが流行したが会津の農民がそこで農業の知識を直接旅して得た、種も買ってきたとか記録がある。
農業の知識でもそうして直接その場に行かなければ得られない時代だった。

それが急速に江戸時代になると変わってしまった。
新聞が生まれ新聞が権威あるものとなったり本も流通するようになった。
戦前から戦後十年はラジオの時代だった。
ラジオは過去のものになったけどラジオの影響は大きかったのである。
子供の頃ラジオを聞いていて・・・宝島で足音から恐怖をいだくイメージをした
ラジオというメデアは音に敏感になるのである。音から想像するから想像力は映像より醸成されることがあった。
映像として見えないから想像力が働くのである。
そしてラジオができた結果宣伝力が全国的に報道されることで拡大した。
それがナチスを産んだという分析も生まれた。
つまりその頃からラジオはテレビの役割を果たしていたのである。
ラジオさえそれだけの力をもつのだからテレビがどれだけ影響力をもったかわかる。

情報というとその場所がどういう場所かを伝えるだけで相当な情報量になる。
でもテレビ番組とか新聞でも何でもある場所についての情報は一部しか伝えられない
例えば地方については興味がなければ誰も関心ももたないし知らないのである。
一番関心をもっているのはそこに日々生活している人なのである。
そして地元のことでも地元のことを知らないということが普通にある。
最近近くの神社で「天明」の碑を発見したように知らないのである。
情報というのは今はデジタルカメラやスマホで映像中心になっている
これも大きな変化である。普通のカメラの時代は現像しなければならないから金もかかるしそんなにとれないからだ。
いくらとってもいいとなると今やデジダルカメラでもスマホでも写真で記録することになる。写真の日記が生まれた。
実際に人間は忘れやすいからデジタルカメラでとったものをふりかえると効果的である。こんな場面があったのかとか忘れていたのを思い出すのである。
それは一日の行動でもデジタルカメラで記録すると人間は忘れている
だから人間は記録することではパソコンや機械の方がはるかに優れている。
ただその記録したものち意味を与えるのは人間の方が優れている。
機械は記録してもそれが何を意味しているかなど関係なく記録しているだけである。

テレビとかで旅の記録を移す場合、編集しているからいい場面しか写さない
実際は百倍もの記録を映像としてとっている。その中に写されないものが多いから旅でも情報は省かれているから本当に知りたいことなどわからないのである。
例えば「夏の六号線」というのを先日プログに出した。

ここで小島田の所から「鹿狼山」が見える、これは新地にあるこの辺では一番高い山である。
でも地元の人もあそこから鹿狼山が見えるということに注目している人は少ない
まずあそこから「鹿狼山」が見えるというのが情報として伝えられることである。
それから山の陰に歩道に藤の花が咲いていたのである。
何か車が頻繁に往き来するから静かに垂れ咲く藤の花にはにわない感じだった
でも日影になり藤の花が歩道に咲いていたということで俳句にした。

6号線日影の歩道藤垂れぬ

藤の花が咲き6号線を車が走り鹿狼山が見えてそしてあそこまで津波が来ていたのである
一つの地点には空間にはそれだけの情報がある。
でもテレビとかで報道するときは時間も制限されているし面白くするために視聴率とるためにそうした何気ないものありふれた情報は省かれるのである。
だから営利的な情報発信には問題が生まれる、金になることはやるが注目されない金にならないことは伝えないとなるのである。
インターネットの場合は確かに読んでもらう人が多ければやりがいがある。
でも本質的には自分自身の関心から書いているのである。
そこがインターネット情報空間の今までのマスメデアとの相違である。
マスメデアは文字通りマス(大衆、集団)を相手にしたものであり個人的な関心とはまるで違ったものなのである。

personal innner issues
personal dairy issuse
personal interested issues

とかなる。第一あそこの地点に興味をもつ人は地元の人しかいない、自分は自転車でいつも通るからあそこに興味をもった。地元の人でも車の人はまたあそこからの景色に興味をもたないのである。
地元の人でも住む場所が違うと興味をもたないことがあるのだ。
ともかく情報というのはテレビだと一時間放映したとしてもその十倍の量の情報から取捨選択するのだから情報が不足するから必ず誤解が生まれているのだ。
細部が報道されないということがある。
真実の情報はその場を踏まないとわからないとなる。
それは写真でも動画でもそうである。その時の風とか気温とかそこで感じるのは五感でありそこに立たないと感じないものがあるからだ。
日影を感じるということもできないし距離感も感じられないだろう。

soler123.jpg


これも一つの例として写真をみてもらうと
ソーラーパネルがあり今年はこの辺では田んぼが増えた。
それから隣は以前として原野であり草原となっている。
この辺の状態がこの写真で象徴している。
でも外から伝えるときソーラーパネルを写すが回りのことは写さないとソーラーバネルだけが目立つことになる。
だから伝えるべき情報はなかなか外からは伝えられない、現場に立たないと真実が見えないのである。
そこに情報伝達に関しては誤解が常に生まれている、だからやらせが常にありそれで情報捜査される。
イラク戦争でも鳥が油まみれになっていたのを写していたがあれも嘘だったとか
もう情報は実際見ることができないものだから写真からも動画からも本当なのかどうかわからない、それでも一瞬映像を見て判断されるから誤解が多すぎるのである。
つまり映像の時代でも情報捜査されやすいのである。
だからマスメデアから報道されるものでも本当なのか疑う必要も出てくる。
その映像にしてもNHKでも編集されたものでありやらせがあったとかなるからである。

情報というのは五感では感じられないのが多くなった。
動物は言葉がないが何かを伝えあっている能力はある。
愛の表現でも猫があんなに愛し合うとは思わなかった。
顔から体から雄と雌がなめあっているのである。
その猫は同じ親から生まれた子供同士だった
猫は表情がありその表情で伝えている
餌をねだるときは足にまとわりついたり何かを伝える
動物は表情で伝えている、表情が豊かなのである。
一方人間は直接合わないと表情がよみとれないから言葉だけ映像だけでは誤解が生じる
でも反面人間は直接あっても誤解が生まれる
「人はみかけによらぬもの」と言うのも真実である。
あんな顔の人が意外と花に興味をもっていて美人だった人が花に興味をもたないのはなぜだろうとなるとか表情だけから人間はわからない
直接あってもそこで必ず人間に対しては誤解が生まれる
だから人間は常にだまされことがある
動物は正直でありありのままだから表情からわかる
人間はまた表情から見ただけではわかりにくいということもあるから複雑である。

いづれにしろインターネットで明らかに情報空間は変化した。
でもまだまだインターネット情報空間は活用されていない
活用するのが手間なこともある。テレビならただ一方的に見ているだけであるが
インターネットだと探すこと自体手間になるからである。
だからインターネットから情報を得ることは相当な知力も必要になる。
それでもマスメデアからインターネットぃの情報空間へ移ってゆく
マスメデアの情報だけではたりないからである。
マスメデアによって支配されることは操作されることは危険でもあるからだ。
タグ:メデア

2015年05月25日

雲雀が原の本陣山から見えた鹿狼山 (角度を変えると見え方が変わるー野馬追いも近い)


雲雀が原の本陣山から見えた鹿狼山


(角度を変えると見え方が変わるー野馬追いも近い)


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ここは牛越を流れている小川である


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夕方に鹿狼山(がろう)がはっきりと見えた



高くあれ夏山望む遠きかな

be a higher mountain
in summer
in the distance

タンポポの一面に映え雲雀が原

夏菊の白と橙(だいだい)映えし道

時鳥朝に鳴きけり自転車に隣の市に買い物に行く
夏の日や本陣山よりかなたにそ鹿狼山見ゆ朝のすがしも
本陣山松影涼し国見山はるかかなたに鹿狼山見ゆ
松が枝の伸びて夏の日の山脈映えぬ雲雀が原に
夏の日や本陣山に松立ちてここに上れる武者を待つかな
旗とりて馬駆け上る本陣へ勇まし武者や夏の来たらむ
夏の日の六号線にまぶしかなかなたに望む鹿狼山かも

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加工すると感じが違う、絵画風になると力強い感じになる


国見山563メートルで鹿狼山が430メートルだった。
国見山の近くの大足山が656メートルで一番高かった
この辺では500メートルでも高い山になる。
鹿狼山一番高い山だと思っていた。
500メートルでも結構高く見える
山というのは何か場所によっても季節によっても見え方が違う
山は見る場所によって見え方がまるで違うのだ。
ヒマラヤでもエベレストでも3000メートルまで上らないと8000メートルの山は高く見えないのである。

これは富士山でも同じである。見る場所によって見え方がまるで違うからなかなか山の姿はとらえられない
ネパールでヒマラヤを見たのは一回だけだったから残念だった
今になるともう行けない、山はやはりもっと見たかった
この辺では山の魅力はわからない
ただ今回本陣山に上ったら鹿狼山見えた、やはり高いから見えたのだと思った。
それでも鹿狼山が国見山より低くかったのは意外である。
そして国見山より高い山が近くにあった。
この辺で山は低いといっても阿武隈山脈は新地から山元町に入ると山が低山になり
地勢が平凡になるからつまらないと見ていた。
国見山辺りは阿武隈山脈では高いから変化がある方なのである。

本陣山の一番上には上ったことがなかった。あそこに上ると視界が開けていた。
野馬追いの時は下の方で見ていたからわからなかった。
本陣山に上ると神旗争奪戦が見えるしあそこに立つと全軍を指揮している感じになるから不思議である。
ちょうどそこにいい松が立っていたのも良かった。
本陣山の一番上で視界が開けて見えたのである。
江戸時代とか最初は野馬追いは神旗争奪戦とかではない
本物の戦闘の体制を作り訓練していたのである。
それは絵巻物に残っている
それは陣形とかもいろいろあり実践として訓練していた
戦国時代の映画がいろいろ見ているけどやはりその場所に行ってみると実感するだろう。関が原なんかもそうだろう。
その場所の広さとか映画でもテレビでも実感できないから歴史の理解は常に浅薄なものとなってしまうのである。

 御神旗をとった騎馬武者は高々と誇らしげに旗をかかげながら、本陣山の羊腸の坂を一気に駆け上る。この時のどよめきと喝采は、旗を得た者の最高の栄誉だ。
 
あの坂は意外き短かった、でも急だし道が悪いから馬も上るのもかなりの力がいる、危険でもある。
野馬追いの見方は雲雀が原のあの本陣に立つと何か殿様になったような気分になる。
結局祭りはその時だけではないその前から始まっている、地元だと野馬追いの前に雲雀が原でそのはじまりをすでに感じるのである。
タグ:本陣山

2015年05月26日

入会権は明治以降に私的所有に細分化 (入会権は江戸時代の村から自然発生したもの)


入会権は明治以降に私的所有に細分化

(入会権は江戸時代の村から自然発生したもの)


幕末になって本来禁止されている割山の売買が事実上行なわれるようになり, しかもその違法行為に対する制裁(割山没収)規定が有名無実化してくると山割制度はもはや村中持山(入会山)の一利用形態たるにとどまらず,村中持山(入会山)が個人持山へ移行する過渡期的現象とみなければならなくなる。幕末にこのような状態に達し,事実上個人の持山に極めて近い性質を有するに至った割山が少なくなかったが,明治維新以後部落が村氏各戸から割山を回収できなくなり,個人の私有地として登記され,個人の私有地化が完成することとなった。


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公共事業で広島であった土砂崩れで砂防ダムを作るとか他に公共事業などで所有権が900区画にも分割されていたらそれを買収する手間だけで大変な作業になる。
それで土地は国のものであり公共のものであり私的に占有されてはならないという思想が古代からあった。

江戸時代から明治時代の変化は過去を全く否定して行われたわけではない、必ず歴史には連続性があった。
入会権の歴史でもそうだった。すでに割山というのがあり山は分割されていた。
割山というのは江戸時代に地名化していた。
地名はもともと古いから明治以降地名になっているのはまれだろう。
入会権は村民が共同で生活するために必然的に生まれのである。
その土地土地を糧にしていた時代だから必然的に入会権が生まれた。
山の木を木材を家でも萱でも馬草としても炭にしてもあらゆることに利用していた時代である。
山は別に山の人だげではない、海側の人も利用していたのである。
山に草を借り馬車で橲原村まで通っていたというとき山の人だけではない、海側の人も山を利用していたのである。それは入会権があったから利用させてもらったとなる。
入会権は山でも私的所有になることはありえなかったのである。
明治にもそうした村の公的所有から私的所有へ順次移行していった。
つまり江戸時代から明治時代に何が変わったかということを知るには様々な分野があるが入会権の村の共同所有から私的所有に変わったということも重要な視点である。
そこにすでに江戸時代の共同体から培われたものがモラルでも崩壊して資本主義に工業社会に近代社会に移行したからである。

終戦後、帝室「御料林」「と「御料地」ですね、これは岩倉具視の建白書に従って、明治二十三年に4百80万町が゛あっというまに天皇家の私有財産に決められたわけでしょう
それにつづいて島津、毛利、鍋島・・それからT家のような地方の素封家が山林原野を分け取りしてしまった(土地と日本人ー司馬遼太郎対談集)

この変化も大きかった。土地が権力の象徴として歴史があったとき、村や藩を基本にして作られた共同体が明治維新で根本的に破壊されたのである。1
その変化もあまりに大きかったので日本人のもともとあったモラルは破壊されていたのである。
モラルといっても道徳も社会の生活基盤があって作られていたのである。
日本の共有された精神もそこで破壊された。
幕末に国学が起こったというのは庶民レベルでも明治維新を促進させるものがあった。
侍だけではないそういう気運があった、下から明治維新を促進させるものがあった。
ただその下からの国学の勃興は上からの富国強兵とか中央集権の強権で圧殺された。
日本の土地の歴史が日本の歴史でもあったのはヨーロッパとも共通していたろう。
それを象徴していたのが原発事故にもあった。
双葉か浪江辺りで海の前まで私的所有がありそれで東電から補償金を獲得していたという一軒一軒の家の前の海に所有権があるなど考えられない、でも補償金がもらえるしその額が多いからそれを主張して認められたともなる
ただ歴史的にそれも根拠がないものではなかった。

江戸時代の漁業法上の原則は「磯漁は地付.根付次第也、沖は入会」と明文化されている
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/6461/3/V2p1.pdf

そもそも原発問題でも最初は土地の確保からはじまる、次に漁業権をおさえて県知事の許可を得ると建てられるのである。
だからそこに金をばらまけば一応原発は建てられるとなっていたのである。
要するに土地が私的所有になり細分化されて公(おおやけ)から離れてしまった。
村とか藩とかは地方の公であったがそれなくなりただ個人の私的所有だけが主張される時代になりモラルさえ荒廃したという指摘は重要である。
明治維新はもちろん功罪はあるが功の面だけが主張されすぎたのである。
フランス革命が「地籍」を明確にした。土地の所有を明確化した。
明治維新ではそれをしなかった。それが日本の異常な土地投機とかなり荒廃させた。

つまりそもそも土地所有権とかは歴史的にふりかえると常に時代を変えてきたのである。律令国家であれ鎌倉時代であり土地問題から発している。
時代を作るのが土地問題であった。
マルクスの言う資本主義の工業化が起きると農民が土地を収奪されて無産階級になったというのも明治維新で地租革命とか小作問題にも通じている。
土地というのは富と権力の象徴として常にあったからそうなっている。
カトリックが土地を所有することで腐敗したのもそうである。
土地は権力の象徴として常にあったのである。
仏教でも寺が土地を所有すると権力化するということがある。
土地をめぐって僧侶集団も争っているのである。
ともかく明治維新が継続して太平洋戦争となりさらに戦後もその継続があり現代の様々な問題がそこから発していたのである。
だから明治維新を見直さないと日本の近代史はわからないのである。






タグ:入会権
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2015年05月27日

明治以降は入会権とかの共同性は喪失した privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


 
明治以降は入会権とかの共同性は喪失した

privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


privateの語源を調べると、
「stem of privare "to separate,deprive," from privus "one's own, individual,"」とあり、
奪う、分離するという意味があるようです

privateとはpublicに対してprivateがある
ヨーロッパではpublic(公共性)を基に市でも作られてきた。
広場もそうであり公共のものという設計のもとに市が作られている。
それに反するのがprivateになる。
だから奪う分離するのがprivateでありいい意味には使われていない
これも日本語だと私(わたくし)するとなると奪うとういことでいい意味がない
わたくしはわたしでありわが基になっている。
わが我になる。わは割れるにもなる。我とは割れるとなるからまさに入会権の共同の山が無数にわたくしされて割れて割山になった。
それは明治維新で極端化して起きたのである。
明治維新からは日本人はわたくしすることがあからさまに強くなったのである。
江戸時代は藩主がいて庄屋が村をまとめていてpublicがありそれは拘束力になったが
わたくしするということは庄屋ですらなかったろう。
侍にしても「わたくし」するということはドラマのようにはそれほどなかった。
江戸時代は一つのpublicに公に生活していた。
それが900にも区画化され私的所有になったとき人間の心も900に割れた分割したのである江戸時代から明治の変化が現代に形を変えて継続されていたのである。

現代人の心は900どころではない、一千万の東京があるとしても心は一千万人に分割しているのである。
一千万人の人間はただ貨幣を通じて売買する時だけつながっているという感覚になる。
それは田舎でも同じであり農業があってもpublicは喪失している
むしろprivateが奪うということが民主主義であれ資本主義であれその心性はpublicに生きるということはない、そもそもpublicがないからである。
個々に分離して互いに奪うという心性になっているのだ。
逆にだから常に人間関係は奪い奪われる関係になる。
働いてもそれは労働が奪われているのであり協力しているという感覚はない
それでブラック会社に働かされて安い賃金で奪われている、搾取されているとなる
一方で他者に対してとにかく奪うという感覚になる。
安く働かせてその労働力を奪うとか国家規模になると他国の富を資源でも奪うとかなる
そもそもヨーロッパの植民地主義はアジアの資源を奪うことだったのである。

奪うというとき別に明治以降だけではなく常にあった。それは盗むにも通じている。
ただ一国とか大規模になると戦争して他国の富を奪っていたのである。
それが戦国時代だったのである。それで戦争に勝つと自国が裕福になったから戦争が指示されたという。弱肉強食が人間の歴史でもあった。
publicがあったとしても村とかの狭い範囲でありまた藩単位のpublicである。
その外になると奪う対象になっていたのである。
今や大きな国が奪い奪われる関係になっている。国と国が利権で衝突して奪い合いになっている。

奪うというとき天皇とか薩摩長州は明治維新で藩単位管理していた土地を山林でも奪ったとなる。
革命とはたいがい権力の移動であり革命そのものが権力を奪うことだから当然だとなる。だからあらゆる団体はまた奪う団体になる。わたくしする団体になる。
それは組合でも宗教団体でも同じである。
露骨に権力を奪うことを明言しているのが創価などであるが他の団体も同じなのである。国を奪うということはオウムでもオウム王国を目指していたから同じである。
だから創価では三国志をよませていかに国を奪うかを画策しているだけなのである。

漁業組合だって漁業権をたてに政府と東電から補償金を奪いとったとなる。
これも海は誰のものかというとき海をわたくしして国民から奪ったともなるのである。
個々にも奪うというわたくしすることが明治以降あからさまに容認された。
それは権利という名のもとにわたくしすることこそが正義だと戦後の民主主義でも公然のものとして容認されたのである。
それぞれがわたしくして利益を追及することが見えざる手に導かれるものとして奨励されたのである。
だから今や人間は人間にとって狼になった。
人間と人間の関係は家族でない限り奪い奪われる関係でしかなくなった。
食うか食われるかの獣社会である。互いに虎視眈々と奪おうとねらっている
食うおうと狙っているとしたら眠ることすらできなくなる。
そこに金だけが唯一の価値基準となりいかにして金をわたくしするかということが日々の活動なのである。

東電でもなぜ事故を起こしたかというとこれもpublicというものがない
privateでありあれだけの大会社でも自分の会社がよければ他はどうでもいい
政府も天下り先として検察でも用意しているから支配できる
自分の会社がよければいい、幹部なら多額の給料をもらえばそれでいい
我等の会社さえよければいいのでありあとは知らないと極端化すればなる。
会社があれだけ巨大化すると会社自体がわたくしすることが国単位になってもできる。
一つの団体が巨大化すれば宗教団体でも国をわたくしできる奪うことができる
官僚も東大閥で既得権化してその団体の利権を守るだけであり第一は官僚の利権を守ることにエネルギーが費やされる
公務員は常に批判されるけどこれも巨大な団体だから政府でもその既得権を奪うということはしない
つまり現代社会の不満はそうして巨大化する会社であれ団体であれそういうものに富がわたくしされていることに対する不満なのである。
でも結局その団体はあまりにも巨大だから何も言えないとなる。
この辺でも漁業権がどうのこうのなど事故前には言っていない、まず言えない
団体化したらどこでも何も言えなくなる、マスコミでも言えない
そういうことがどうなってゆくのか?今回の大事故や戦争とかにもまたなってゆく

だから資本主義がそれがなぜ生まれたのかとかいろいろあっても崩壊するというとき
そうしたモラルの荒廃から崩壊してゆく、誰も信じられない、信じられるのは金だけだとかなりモラルの荒廃から崩壊してゆく、人間が互いに信じられない、人間は人間にとって奪い合うものだとなるときそんな地獄のような社会に生きていたいかとなる
人間にはそういうものがもともとあったにしても欲望資本主義はその人間の悪しき面を
露骨にさせる。
何か抑制させるモラルがなければ人間は獣社会になってしまう。
そういうモラルの頽廃が限界点に達して崩壊してゆく

原発事故を起こした周辺を見れば何かそのことを象徴していた。
自分の一身上に起きたことでもそうだった。
漁業権で多額の補償金を得て原発御殿を建てたとかも本当だった。
富岡町長の五億円の金庫が津波で流れたというのも本当だろう
そういう金の噂は原発で飛び交っていたのである。
それだけの金が原発から生まれていたからである。
そして個々人をみて借金で贅沢しているというのも異常だった
借金して家を建てた人とか何か借金生活の人も多かったのである。
身の丈にあった生活など誰もしていない、金がなくても金のある生活をしていた。
そして借金で首が回らなくなりその借金を自分に肩代わりさせようと
病気のとき恐喝してきたのだから恐ろしい
そういうことをしても相手は何も感じなくなっている
それが当然であり奪うことが日々の生活だからそうなっているのかもしれないのだ。
金持ちは奪った人でありだから奪って当然だともなる
泥棒にも三分の理があるのだからそれも言える
津波とか原発事故はこうした社会のモラルの荒廃に対する自然の怒りのようにも思えたのである。
「もう醜い限りない欲望人間は一掃してやる」とノワの方舟のときのような大津波が来たのかもしれない。
そういう大転換期を迎えているのが今の現状である。


ノーベル賞受賞者で動物行動学のコンラート・ローレンツ博士はその著書『攻撃』において興味深い実験を報告している。それは、家族を形成しているネズミの群に、他のグループのネズミを放すと、あっという間に多数のネズミが襲いかかってこれを殺害してしまう、というものである。
 ローレンツ博士は「人間の社会構造はネズミのそれと大変よく似た構造を持っているのだと、十分な根拠をもって結論するだろう。人間はネズミ同様、閉じた同族の間では社会的に平和的に暮らそうとするが、自分の党派でない仲間に対しては文字通り悪魔になるのだ」といっている。

動物の行動と人間の行動はにている
人間も動物であり本能で生きる、欲望で生きる、

これで面白いのは人間でも家族でもなんでも団体化すると団体に属さないものに対しては敵対化するのである

動物にもあるとは思わなかったが団体化することは団体でわたくしすくことなのである

それは動物にあるということは人間と動物の行動は基本的ににているのである。


タグ:PRIVATE
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青嵐(今年は風が強い)


青嵐(今年は風が強い)

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来たれかし大木をゆする青嵐
ゆさぶるも動ぜぬ大木青嵐
この町に一本の大木青嵐
青春は過ぎしやしばし青嵐
青嵐大木目指し揺さぶりぬ

今年は毎日のように風か吹いていた。
今日は全国で暑いけどここは最初は暑かったけど今日は涼しい
阿武隈を越えた福島市は暑い、あそこはいつでも暑い
でも福島市が暑くなるとここも暑くなることがあった
ここは今は暑くないから助かっている
暑いと自分の家は風通しが悪いし隣がトタン屋根で照り返しで暑くなる
クーラーもないので夏は嫌なのである。

浜通りでいいのはこの気候なのである。
暑くなく涼しい感じである。
半袖では寒い感じもする
だから気候は全国一様じゃない
ここも暑いときは暑かった
最近は異常な暑さをこの辺でも経験した
ともかく気候がいいということは意外と老後の生活にひびく
会津とか福島市とかは住みたくない
だからイワキに住みたいと避難者が家を建てたのはわかるのである。
北海道なんか老後は向いていない
気候は一番体に答える
自分は体が弱いからまず寒いところとか暑い所に住みたくないのだ
その点浜通りは気候だけはいいのである。
寒からず暑からずなのである。

街中に立っている一本の欅の大木をゆすり青嵐の風が吹いた
青嵐という季語は使ったことがない
青嵐というのを経験したことがない
今年は風が強いからはじめて青嵐というのを経験した
日本の季語が多すぎて日本に住んでいてもすべて経験できない
それほど日本の天気は変わりやすいのである。
地震も常にあるから天候で日本は緊張するのである。
でも台風とか青嵐が過ぎくると何もなかったように暮らす
つまり日本人は忘れやいてのである。
一時は台風でも騒ぎ青嵐でもさらにこれは短いから過ぎ去ってあとは忘れるのである。
町に一本立っている大木に青嵐がゆさぶるのは迫力があった。
一本しかないから青嵐を感じたのである。
今年はやはり風が毎日吹いて強いから特に感じたのである。



タグ:青嵐