2015年05月10日

藤の花の章(白藤の詩)


藤の花の章(白藤の詩)

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白藤の花

白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
触るるもこばむ
風にかそかにゆれ
あるとしもなく
そこにありぬ
猫の性にも似にしや
わずらわしきことに
かかわることをこばむ
夕日のさして
幽かに冷たく月や光りぬ
白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
誰か待ちしや
騒がざるべし
我が家に置きて
都忘れの花をそわせぬ

幽玄の美というと白藤なのか?柳などもなにか似ている。
人間には性格がある。自分は母親と似ている。
自分の母親は今は毎日寝ているけどカーテンをしめきって外を見ることもない、
庭には花が咲いているしそんな暗い所にいるのは普通嫌である。
でもそういうところに一日誰とも話さずいる
話すこともできないのだけど普通のとき前からそうだったのである。百歳になったからというのではなく前からそういう性格だったのである。
人づきあいが苦手な性格である。
自分も何か人と会ったり話するだけでひどく疲れるのである。
一日一人切りでいた方が心が落ち着くのである。
自分も修道院のような所が向いていた。
ただそこも集団生活だから実際は向いていないとなる

花にはいろいろある。花はずいぶん見てきた。たまたま白藤の鉢を家に飾り都忘れの花を置いたらふさわしいと思った。
生け花でもフラワーアレンジメントでも花を適当に合わせるとできる。
要するにたいがい花と花はそれぞれの個性がありただ一緒に活けただけで調和するのである。
だから意外とフラワーアレンジメントは簡単だとなと思った。
生け花は作法とか型があるがフラワーアレンジメントにはないからである。
桜の次には藤とか菖蒲とか季節とともに移りゆく花がある。
それは日本の文化となった花であり野生の花とも違っている。
藤の花は別に山にいくらでも咲いている。
でも文化としてその花は山に咲くのとは違う
すでに藤原京とかにもないるし藤壺とか源氏物語にもでている。
藤にはすでに万葉集時代から人間化した文化となった花である。

藤というのも不思議な花だと思う。
「藤と猫」があっていると思って検索したらその絵がでてきたのでインターネットはそうして関連あるものを引き出すのに向いている。
猫は何か藤とあっている。猫も何か神秘的なのである。
犬とはまるっきり違った性格である。
自分は明らかに猫の性格である。何か人嫌いなのである。
石の詩を百編書いたというのもそうである。
石とか猫とか藤の花は何かにかよっているのだ。
日本的な花はやはり桜とか藤とか菖蒲とか萩とか桔梗とかある。
それらは日本の歴史と風土として文化となったものである。
最近桜だけではない外国人の観光客が藤に注目していることでもわかる
日本のような藤の花は確かにあっても外国のとは違う。
菖蒲でもジャーマンアイリスとかあるがまるで違っているのだ。

京都の迎賓館に藤の間とかあるのもいい、花を部屋の名前にしているのも外国ではないかせしれない。藤の間というだけで何か落ち着くだろう。
そこで茶を飲むというのもいい、それが日本の文化である。

藤の間に茶の味しみぬ京都かな

ただ別に京都だからといってすべていいとはならない、京都はやはり大都会なのである。だから情緒もかなり失われている。外国人でも観光客がふえると何か静かな古都という感じもなくなるのである。
そういう文化的なものは地方都市が向いている。
弘前が喫茶店の街だというとそうだった。あのくらいの規模の都市が今は文化をはぐくむ4,5万では文化は育たないだろう。10万以上ないと今は文化都市にはなれない。
啄木とか賢治が育ったのは盛岡があったからである。
この辺だと仙台になるのだがあそこは自然景観としてはぱっとしないのである。
どうしても独立峰がある岩手山がある盛岡とか岩木山がある弘前が文化都市にふさわしい


 
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2015年05月11日

同じ年の人が近くで癌で死亡 (癌が増えていることの恐怖)


同じ年の人が近くで癌で死亡


(癌が増えていることの恐怖)


そもそも日本人と欧米人は体質が異なるので、同じ食事を摂っていても、日本人のほうが糖尿病になる確率が高い。糖尿病になると、インスリンというホルモンの血中濃度が高まりますが、これにはがん細胞の増殖を促す作用があり、発がんリスクが2割ほど高まることがわかっています」(前出・中川医師)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40436?page=3

二年前だったかその人と話した。前の家の人と三人で話した。その時自分が病気で入院してひどいめにあったことを言った。
その人はその時は病気ではなかった。まだ癌に気付いていなかったのだろう。
その人が今日死んだと聞いて驚いた。
癌で医者に通っていたから突然ではなかった。医者嫌いで病院に行かないということも言っていた。
癌で死ぬ人は日本人で明らかに増えている。
高齢化もありそのためにふえたというが50代60代でも相当に増えていると思う。
最近50代の近くの人が癌だと聞いた。
でもその人も普通に仕事しているかとても癌になったとは思えないのである。
ただ癌でもいろいろあるからわからない、体の場所によって悪質なものとないものがある膵臓癌とかは最悪で確実に転移して死にいたると言われている。
自分も癌の検査をしたが癌ではなかった。
でも癌になった人は患部を全部切除している。その人も60代であった。
ただこれは切除すれば直るものらしい、患部によっては悪質であり直らないのが癌である。


癌の恐怖は中学生の時体験している。父親が肺ガンで死んだからである。
それ以来自分は死の恐怖にとりつかれた。
それで宗教を探求するようになった。宗教の道に入ることは病気が原因なことが多い。
病気が深刻だからそうなる。自分が病気でなかったが死というのは最大の恐怖であった。癌はまた苦しんで死ぬのも悲惨である。
癌は患部が増殖したまま焼けないで残っている。
それが癌の恐ろしさを如実に示していた。野辺送りで埋葬していたから自分はその焼けない癌を見たのである。
その頃まだ外で薪を積んで焼いていたのだから今になると驚くがその頃はみんなそうだった。
火葬場で焼くようになったのは戦後十数年たってからだった。
それまで火葬は外で薪を積んでしていた。それは今もインドではしている。
そういうふうにして人間は焼いていたのである。
これほど無情な光景はなかった。
人間には生きるということは驚くべきことである。
その最大の恐怖と驚きが死なのである。
津波でも多くの人が死んだがこれも驚くべき光景だった。
もちろん戦争で死んだ人たちもいたから常に人間が生きていれば死に直面する
ただ一時に多数の人が死ぬということが違っていた。
その時死は日常であり死ぬの当たり前であり生きているのが不思議だとなっていた。
そういう感覚もその時代に生きてみないと実感できないのである。

いづれにしろ癌が増えているというときなぜなのか?
高齢化で増えているというだけではない、それは日本人の食生活が変わったためだというのは本当だろう。
外国人の体質は日本人と違って肉を消化する酵素が出るというのもそうである。
人間にそんな違いあるのかというとき肉食民族は肉を食うための体に作られてきたのである。
日本人が穀物を食べるから腸が長くなったのと同じである。
日本人の体質は肉食に向いていないのである。
肉を消化する酵素が出ないのだから肉を良く消化できないのである。
牛のように穀物類を腸を長くして消化するように長い年月で作られてきたからである。
だからなんでもこうして人間は風土と一体化して作られた文化的存在なのである。
原発でも日本の風土に適さないものだった。地震国であり津波もあったからである
アメリカの指導で最初作られたのでアメリカで竜巻を恐れていて地下に電源を置いたが日本ではそれは通用しなかったのも同じである。
こうした風土とか文化の相違を無視すると何でも災いが生まれてくる。
グローバル化というのはそうした風土とか文化を無視して単一化した価値観をおしつけるから危険なのである。
それはアメリカの一国支配の横暴にもよっているのである。

人間の体も地が血であるようにその土地から植物のように作られているのだろう。
その住む土地から離れて人間もないのである。
だからその風土の制約からいくら科学技術が発達しても離れられない
それは宿命的なものである。それを無視すると災いが起きる
日本人は明治維新後あらゆる面で欧米化を制限なくしてきた
食生活でもそうでありそれが今になって災いになってきた。
日本人は何でも取り入れて豚でも牛でも鶏でも食べすぎるのである
それは欧米人は肉食民族だから体が肉食に適応するようになっていた。
日本人は肉食民族ではないからそうした体になっていなかった
そして癌がふえたのはそういう日本の風土に適した古来からつづいた食生活をしなかったからである。
肉とか乳製品のチーズとかあらゆるものを食べすぎてるのである。
野菜と魚と穀物類を主体にして肉類は極力さけるものだった。
もちろん江戸時代は栄養失調で目が見えない人が一割くらいいたというから
江戸時代の食生活はいいとはならない
外国から入るのものが何でも悪いともならない
ただ日本に適したように取捨選択が必要だったのである。
日本では宦官制度を入れないとか外国文化を入れるときは取捨選択していたのである。

明治維新後はあらゆるものを取捨選択なしで入れてしまった。
結果として日本の文化が破壊されて日本人とは何かさえわからない
日本を建て直すにはやはり日本古来からつづいたものを伝統は見直すことなのである。
だからといってキリスト教が悪いとか外国の文化でも宗教でも何でも否定することではない
いいものは取り入れ悪いものは取り入れないということである。
明治維新とは復古でありもともとあった日本人の精神の復活だったのである。
でも全くあらゆる面で欧米化したものとなり日本の文化は破壊されてしまったのである。
いづれにしろ60代以降は健康が最大の問題である。
あんなにあっけなく死んだら巨万の富があっても何にもならなかったとなる
もちろんその人は金持ちでない普通の人だからそんなことはない
ただ同じ年で癌で死んだということはショックだった。
自分も病気になったからいかに60代以降は健康が大事かということである。
少なくとも自分はあと十年は元気でいたい。
そうすればなんとか仕事が作品が成就するだろう。
同じ病気の人が十年生きているから他の病気にならないなら生きているだろう。
それでも人間はいつ死ぬかは百歳になってもわからないものだと思った。
癌で死んだ人の義理の母親は今も施設で生きている
義理の子供でも今では子供の方が早く死ぬということも超高齢化社会で起きているのである。
なぜなら60代で一割の人間はすでに死んでいるからである。
そういうことが起きても不思議ではないのである。



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2015年05月12日

文目の似合う町 日常の景色にも見いだすものがある


文目の似合う町


日常の景色にも見いだすものがある


新緑や少年未来へ走るかな

隣家の庭に牡丹や真昼間の光をあびて誇らかに咲く
公園の隅に見つけぬ花一つ都忘れやここに咲くかな
今日もまた公園の藤垂れにけりその下に一人我が休むかな
街中の畑に菖蒲咲きにつつ今日も裏道通りけるかな
白菖蒲ここに咲きにつ誰か住むもの言ふことなく通りすぎにき
街角に文目の咲くやこの町のものさみしかな人行くまれに
こぞにあれ話せし人の今日死ぬと驚きにけり春は終えなむ
一本の欅の高く新緑の風にそよぎて燕飛び交ふ
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐりぬ
厚寿園に母はとまりぬ近くなれ文目の咲くやここに住むかな

田舎というとき東京からすれば十万の都市でも20万でも仙台でも田舎になってしまう。一万の町に住んでいれば4万くらいでもそれは大きいとなる。
今はここにスーパーが一軒しかないしここですべてまかなえない
医者は二軒しかないしこれも何か使えない、めんどうな病気になると使えない
ともかくこのて7年間は自分は本当にこの小さな町を行ったり来たりしているだけである介護していると三食出すことでも時間がとられる。
朝食の容易だ昼食だ夜だとなるだけで相当な時間がとられる、負担になるのだ。
例え介護度が低くてもその手間がかかる。
だから在宅と誰かかかりきりになるからその手間が負担になる
施設だったら十人を一人でみるとかなるがそれだけ手間をはぶくことができる
介護は何かいろいろと手間のかかるものなのである。
近くに施設ができたからこれは良かった。
これは遠いと何か安心かないとなる

意外と老後は近くのものが何でも大事になる。
それで原町の人が来るにも車で来ると手間だからしょっちゅうは来れないのである
「遠くの親戚より近くの他人」が今でも現実だった。
その遠くとは車社会でも隣の市でもそうなのである。
車で来ても手間になる。だからコンパクトシティというとき介護になると施設にまとめてめんどうみるとか街に集めてめんどうみるというのがいいのである。
それで仮設暮らしでわかったことはあのように長屋形式で暮らしていた方が老人にはいいという面があった。
毎日親しく顔合わせて暮らしているから老人にはいいとなる
プライバシーの問題があるにしろもうなれてかえっていいと言っていたのでわかった。
街内に住んでいても車で一軒一軒を回るのは手間になる。
ところが仮設だと歩いて回れるのである。

インフラの整備でも水道でも電気でも他でもまとまって住むと手間がはぶかれるのである田舎では田畑を作る関係で広く散在していたからやむをえないことがあった
ところが老後はみんな集まって住むと世話する方では楽だとなる
仮設に住んでいる人は互いに交流しやすいということもあった。
ただ仮設はあくまでも仮設であり生活がそこにはない
老後の生活をどうするかということのヒントが生まれたことは確かである。
相馬市では長屋風の建物で一人暮らしの老人が住んでいるのも一つの老後の暮らし方である。
老後の一人暮らしは負担になる。
自分も風呂が地震で壊れたので今は街中の福祉の湯に入っている。
一人だけだと何か金もかかるからめんどうになるのである。

中学生が走っている、新緑の季節である。少年は未来に向かって走っている
反面昨日は同じ年の人が死んだ。その人とは二年前だったか一回話しただけだった。
自分の病気のことを言っていたがその後その人が癌になったとは思えなかった。
おそらくその時は何でもなかったのだろう。
ただそうして一回話しただけでも同じ年の人が死ぬということは驚きである。
死は突然にくる、老化も突然に来る、髪でも真っ白になってしまっている。
それは突然になったように思うのである。
人間はあっというまに老いて死んでしまう。
田舎ではそうして人が死ぬことが最大関心事になる。
だから沖縄の新聞が成り立っているのは死亡記事欄があるからだという
死亡を知るのが新聞でありそれで新聞社が成り立っている
今でも香典の費用がかかって困っているというのが田舎である。

どんな田舎でも町でも市でも長年住めば都となり親しむことになる。
一万の町でも一応そこで別に町内だったら車がなくても暮らせるのである。
隣の家の庭には塀がないから牡丹が丸見えである。
その牡丹に真昼間の光さしてまぶしい
花を見るのは別に金はかからない、隣の家の花でも無料なのである。
高い塀で防御すると庭も見えない
何かそれは安心が得られない街なのである
格差が大きくなるとそうなる。
太宰の生家の斜陽館がそうだった、高い煉瓦の塀は小作からの訴訟があり
襲われるという恐怖があって作られていたのである。
公園の花でもそうである。そちこちに咲いている花もそうである
一万の町だと文目とか咲き何か落ち着く、静まりかえっているとなる

文目(あやめ)と菖蒲は違っている。
どちらもあやめだが文目は花が小さい、菖蒲は大きいのである。
自分が見たのは文目の方である。


タグ:あやめ

2015年05月13日

台風の風で藤の花散る (台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


台風の風で藤の花散る


(台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


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風荒く藤の花散るここにあれ穏やかなるはしばしの間かな

白藤のかそけく散りぬ我が家やかたえに咲くはしのぶれどかな



台風の風で藤の花は散った。今朝は地震だった。それもかなり大きかった。
体感的にはこの辺は震度4に感じた。
それが不気味だったのは3・11と同じゆれ方だったから怖かった。
他の人もそのことを言っていたから体感的には怖いものだった
震度はあくまでも目安であり隣合う市町村でも違っている。
震度より体感の方が正しかったということが3・11では言われた。
田から震度という数字だけでは地震は計れないのである。

今日は夏である。今年は夏が早いのである。
台風もすでに6個とか発生している。
やはり温暖化の影響なのか?
とにかく公園の藤の花の下に休んでいたのは二日くらいだった。
これもたちまち散ってしまった。
花は散るのが早い、一時咲いて散ってゆく
藤の花だとまだ長く咲くように思っていた。
だからこんなに早く散るのかと思った。
穏やかに藤が垂れていたのは短かった。
たちまち嵐が来て散ってしまった。

何かこの七年間はそういうことが一身上でもつづいた。
変わりやすいのである。
穏やかに藤の花が垂れて咲いているなと思ったらたちまち散ってしまった。
昨日は近くの同じ年の人が死んで驚いた。
晩年になれば同世代の人が次々に死んでゆくからその人について考えることもできなくなる
あの人はテレビに出ていたなと思ってもすぐ死んで忘れる
今有名な人もほとんど忘れられると思う。
だから50年後とかにまだ何でも作家でも名前でも作品でも忘れられないのはそれだけの価値があったとなる
死んでから50年後に今有名でもほとんど名前が残っていないからである。
マスコミで名前を売ったような人はほとんど残らないと思う。
テレビとか新聞とかすでに文化はなく大衆用の娯楽でしかないのである。
だから質も相当に落ちている。

ともかくプログはその時その時のリアルタイムの報告である。
だから俳句とか短歌は向いている。
ただ俳句は短すぎて文学として成り立たなくなっているかもしれない
その点短歌はまだ長いから表現として文学として継続される
どうしても短歌の方が出すのが多くなることでもわかる。
短歌にはそれだけ表現する余地が残されているからである。

「しのぶれど」という薔薇の花の命名は良かった。
百人一首からとった、こんな名前にするのも薔薇だからだろう。
薔薇は交配して新種の薔薇が作られ種類も多いからである。
でもこの名前つけた人はセンスがあった。
しのぶれどというとき別に恋だけには限らない
忍ぶ花ということにもなる。
花の見方はいろいろある。一つに固定はできないのである。


 

資本主義の労働倫理の頽廃


資本主義の労働倫理の頽廃


(介護から考える労働とは何なのか)


●資本主義は修道院からはじまり他者を助けるのが労働

人間を人間たらしめているのは労働だろう。労働なくして社会も成り立たない、生活もできないからである。
ただすべての労働が肯定されるものではない
別にパチンコ屋とかその他の娯楽は息抜きに否定はできないだろう。
低俗なのものでもこの世の中需要があれば否定できない
ただそうしたパチンコ屋でもギャンブルでもそれが労働とはならないだろう。
現実にこの辺で原発事故で避難民であふれ仮設に住んだ人たちが補償金ですることがなく遊び暮らすようになったとき何か起こったのか
パチンコ屋に働く人がいなくなるとかまで人手不足になったのである。
ところが他でも介護関係でもコンビニでもスーパーでもあらゆる所が人手不足になった。そんなときパチンコ屋が人手不足だなどと言っているのも異常だったのである。
別に普通の時だったらいいが働く人がいなくて困っているとき遊ぶ人が増えてその世話する人が人手不足で困っているというのは異常なことである。
その時は津波の被害もあり外からの人が懸命に瓦礫をかたずけるとか働いていたのであるそんなとき地元の人は遊んでいたから飲み屋で地元の人がもっと働けと怒ったというのも当然だとなる

労働とはもともと仕事そのもの価値のことを言っていた。
なぜなら修道院から資本主義がはじまったというとき修道士修道女が神の奉仕として働くこと自体が信仰になっていたからである。
その人たちは消費はしない、贅沢はしなかったのである。
ただ真面目に働いて他者に与える労働をしていたのである。
その労働が人助けとしての労働だったから神の意にかなうものとされていたのである。
資本主義もそういうまさに宗教からはじまったから主義なのである。
民主主義も主義でありそれはその根底に信仰のようなものがある。

資本主義はそもそも人助けのキリスト教から生まれたというとき今は全く違ったものとなってしまった。
そうした人助けの労働という観念が全く消失した。
つまり労働自体に価値を置かないのである。むしろ消費の方に価値を置いているのが現実である。
労働自体の価値より労働で得た金によって何か買う消費するということで働いている。
それが人助けだとかなんだとか関係ないのである。
コンビニであれスーパーであれ農家であれ会社であれそこで働いている人が労働自体に価値を見いだして働いている人はまれだろう。
ただ医療関係とか福祉関係は直接その個人に対しての労働だから奉仕的になり労働自体の価値を感じる、だから一番感謝される労働になっている
医者とか看護師の労働はその代わりきついけど直接今の社会で感謝されるのはまれだろう家を建てたから道路を作ったから電気を供給しているからとか感謝してくれる人はいるのか?。
現代社会は直接感謝してくれる労働はまれになっている。
ただ金をもらい消費するということが働く動機になっている。

そして資本主義の最大の矛盾が本質から全くそれてしまったのは労働倫理の喪失であった世界的マネーゲームで巨万の富を得るというのもそうである。
働かずして信じられない巨万の富を得る人がいる。
それが資本主義だと言えば否定はできない、そういうシステムで世界は動いているからだ現実に自分もそれで得した方だから矛盾している。
働かずして金を得ているというのは全く資本主義の発生した倫理が消失してしまったからである。
第一そういう人たちを見たら真面目に働くのが嫌になるだろう
若い金融関係の仕事している人が自分の給料より株でもうけている人のもうけが高いと言っていたのも矛盾である。
そういう格差が生まれているのが現代の資本主義なのである。

それは世界的にモラルの頽廃を生んでいる、それで資本主義は崩壊すると言われる
資本主義によって戦前からあった日本人のモラルも義理人情なども今はない、
ただ金だけがすべての基準になってしまったのである。
人間と人間の関係はすべて金になるとき「金の切れ目が縁の切れ目」となり自分の場合もたいして関係でなかったから切れたとなるけど他でそうなりやすいのが現代なのである。あらゆる価値を金で計算すればそうなってしまう。
いくら労働したからといって金で価値が計られるとしたら金の多少ですべての価値は決まることになる。
一千万稼ぐ人と500万稼ぐ人と300百万稼ぐ人がいてすべて収入で計られる
あの人はこういう労働していてその労働が価値あるとか見ている人はいない
金の多寡でその価値は決められているのである。
その労働自体の価値が見えにくいからそうなるということもある。

●介護も新しく生まれた仕事であり労働

労働についても探求してきたが正直自分は20代は結構アルバイトとか労働したけど流れ作業とか単純作業が嫌になりそのあとは30年間労働していていない
お前自体が遊んでいたのに労働のことが語られるのかといえばそうである。
今でも株などてしいるからお前も資本主義で得しているからそんなこと語られるのかとなる
ただこの七年間は何をしてきたのか?
このことはプログでも書いてきた。毎日親の介護であり家事である。
これは求めてしたのもではなく強いられたのである。
毎日三食出すことや家事が介護が加わると結構な労働になる。
その間に病気にもなっても誰も助けるものもいず自分一人でなんとかしてきた。
今や介護も一つの労働となっている。昔は介護という仕事はなかった。
介護は金の面でもいろいろな面で無駄だというのもわかる。
介護という労働に何の意味があるのだろうかとなる
ただ介護も病人の看病の延長として介護というのが生まれた。
もともと看護と介護は一体なものとして切り離されずあった。
介護は確かに看病の延長としても高齢化になって生まれ仕事なのである。
どうしても90才になると体力の限界になり介護状態に陥る人が多いのである。
自力で自分のことができなくなるのである。
だからその労働は人助けになる。労働自体が人助けなのである。
そういう点からする労働自体に価値があるとなる。

七年間というと結構長い、なぜならその間ほとんど息抜きもできなかったからである。
家事と介護に休みはないのである。医者が休みをとりにくいのともにている。
それは奉仕的なものとしての仕事だから命にかかわる仕事だからそうなっている
ただその見返りとして医者の地位は高いし給料もいい、感謝もされるから仕事自体としての価値は現代では一番高いように思う。
それでNHKのクローズアップ現代で献体するものが増えたというとき医者に直してもらったことがあり献体で医療に役立ててもらいたいという人が増えたのである。
それだけ医者の仕事の価値は今では一番高いからそうなる。
医者とコンビニの店員を比べれば一目瞭然である。
コンビニの店員に感謝する人など一人もいない、店員の方が客にありがとうと感謝しているだけなのである。つまりそれだけコンビニの店員の仕事自体の価値は低いのである。
その価値の低さは時給で計られ安いことでもわかる。
こういう仕事は機械化されて消失しやすい、一部スーパーのレジが機械化していることでもわかる。
コンビニの店員より介護士の方の労働自体の価値はある。やはり感謝されることでわかるただまだ介護士という職業は看護師のように認知されていないのは高齢化で新しく生まれた仕事だからそうなっているのである。

結局人間は労働してみなければ労働の価値はわからない。何でも金を払えば買えるじゃないかとなる。でも買うものには労働して売られている。
その労働の結果としての商品のことが労働してみない限りわからないのである。
もし一つの物を生産してそれを売るとなると運ぶことが必要でありまた店に並べて売るとなる。
もしその過程を一人で労働してみたらその物の価値がわかるのである。
例えば外国旅行して買ったものをもってくるとなると運ぶだけでも苦労である。
するとその運んだものには価値があるとなる
そういう労働をしてみないと物の価値もわからないのである。

自分が家事とか介護して思ったことは一日でも三食用意してくれる旅館で休んでみたいとなる。お前は自由に旅行していたではないか?
確かに旅行はしていたけどそれはあくまでも旅であり温泉旅館とかで料理を楽しむ休息するのとは違う。
自分は宿はとまるだけの場であり料理を楽しむ所ではなかった。
だから料理は金がかかるから最低で外でしていたのである。
最低の料理しか食べていない、長く旅すると料理に金がかけられないのである。
ホテル代だけで日本は高くつくからである。
自転車旅行になると野宿だから宿は無料だったとなる。

つまり毎日三食用意して出していたらその食を出してくれ人に感謝の気持をもつということである。
料理してくれて出してくれる人の労働の価値がわかるということになる。
つまりこういう単純なことでも実際に労働してみないと価値がわからないのである。
「七年間自分は三食を作り出しつづけてきました、一回だけでもいいから三食出してもらい、のんびりしたいです、それをしてくれる人には感謝します」となる
これは別に旅館とかではない、誰かそうしてくれれば同じである。
今まではそう思ったことがなかったからである。
妻が死んだときそういうことを痛切に感じるのと同じである。
妻が死んで妻の家事の労働のありがたみがわかると同じである。

●労働とは誰のために働いているかも問題

ともかく資本主義の労働が労働倫理がありそれはキリスト教に基づいていたのである。
なぜイスラム圏に資本主義が根付かないのか民主主義と相いれないのかは宗教の相違によるということもあった。
イスラム教の倫理はまた別なものとしてありそれはそれの違った倫理観がある。
それをいちがいに否定はできないわけである。
日本でも義理人情だって日本的倫理観になるからである。
日本でもどこの国でもそうした倫理観は必ずあるから否定できないのである。
そうしたその国独自の倫理観があって外来の倫理もモラルも道徳も根付つくのである。
だから武士道とキリスト教は結びつけられたのである。

こうした資本主義の発生したときの倫理観の喪失はやがて深刻なものとなってゆく、実際にもうなっている。
つまり働くの馬鹿らしいという感覚である。泡銭のように金が入る人といくら働いても働いても安月給で時給しかもらえないとなるとなるべく働かない方が得だともなってしまうそしてもうけさせるのはブラック企業の幹部になり得しているのは公務員だとか俺たちはそういう人たちの奴隷にすぎないとなり労働意欲が減退して遂にみんな働かないとなってしまうかもしれない
現実にそういう働かない人が若者にも増えている,それが別な理由にしろ労働することが馬鹿らしいということが起きているのである。
要するに一体誰のために働いているのか、奉仕しているのか?
結局社会の支配的地位の人のために働かせられているという感覚が強くなった。
もし医者や看護師ならはやはり患者のために働いているという労働倫理かある。
介護士の場合は安月給で上役や他のものに金がゆくが実際現場で働く人には回らないという不満がある。

労働というとき誰のために働いているのかというのも問題になる。
社会のためだと言ってもわかりにくいし結局上の人のために働いているとてり馬鹿らしいともなる。
介護の仕事だって金持ちに使われるのは嫌だというとき金持ちだけが優遇されることの不満がある。
「俺は巨万の富を持ち主だ、金はやるから俺のために働け、奉仕しろ」
そういわれたとき金をもらっても働く気力がそがれる
金のためにしかたないんだよなとなることでモラルの荒廃をうむ
金の多寡とは違うところに本来の労働倫理があったからである。
ただそうはいっても常にこの世は矛盾である。
薬とか買えないとか医者にも行けず早死にした人もいる。
そうなると金がないから早く死んだとなるからどうしても金が欲しいとなる。
嫌でも金になる仕事をしている人ではこの世にはいくらでもいる。
修道院からはじまった資本主義ならそんなことありえないのである。
困った人たちを助けるために働いているのだから自分たちのために働かせるなどありえないわけである。

カルト宗教団体とか政治運動でも創価などはすべてが一票とるための活動であり誰のために活動しているのかとなると議員になる人とか幹部のために働いているとなるから馬鹿らしいと気付くだろう。それはどこの政党でも組織でも似たものである。
要するに中国でも格差が極端だから一体誰のために働いているのか?
共産党幹部が王様のようになりぜいたくさけるためなのかともなる。
そういうことは他にもある。大企業でもたいしたことをしないでもある年齢になると高額の給料をもらっていると若者は不満になる。
一体自分は誰のために働いているのかということがそこで問われているのである。
働くということはそもそも自分のために働いているのではない。
コンビニの店員でも買いに来る人のために働いているのである。
他者のためにサービスして金をもらっている。

働くが端を楽にするというときもそうである。それは苦労している身近な人を見て助けたいうのが働く動機だったのである。
自分が助けてもらえたもらいたいとき、事情があるにしろパチンコ屋で働くのが忙しい、パチンコ屋で遊ぶのが忙しい、他でも仕事かあるのでエステなのか知らないけどそんな人たちのためにサービスして自分のことは何に関心もなかったのである。
そして金だけは要求していた、自分の母親に一杯の水も出さないのに金だけは要求してきた。
それで義理の母を介護している嫁にも遺産を分けるべきだというときそれだけの労働をしたのに他の兄弟はしていないのにすべての権利があるのかとなる。
何かしら労働したとき権利が生まれているのである。
だからこの点は法律も変えるべきなのである。


 
タグ:介護
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2015年05月15日

失われた「真直」という大和言葉 (純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)


失われた「真直」という大和言葉

 
( 純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)



子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。
<小川未明「愛に就ての問題」青空文庫>

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

今日の万葉集の一首 (美しい自然と真直なる心があれば嘆くことはなかった)
http://musubu2.sblo.jp/article/56762498.html



大正時代まで「真直」ということばは使われていた。明治までは日本の古来の言葉が江戸時代から継続されて使われていた。
何か明治大正すら本当は遠い時代になってしまったのだろうか?
大正4年生まれの母は百歳で生きている。一世紀たったのだから遠いといえば遠い。
大正時代で一番意外だったのは人口が6千万であり大都会すら東京でも百万とか少なかったことである。
今からすると6千万というのは少ない、ということはそれだけ日本の自然が今とはまるで違う、砂浜でも広く残っていた。
鹿島と原町の間にも砂浜があった。それが火力発電所がたって消えた。
それから防潮堤が作られて波に浸食されて日本の砂浜は消失した。
その時まだランプを使っていたのだからその違いはあまりにも大きかったのである。
でも現代に生きるというとき何かまだ大正生まれの人が生きているということで遠いという感じがしなかった。
明治とるなるとすでに遠い過去になる
太平洋戦争も70年が過ぎる。それで戦争のことがしきりに語られる。
それは当時小学生だった人たちである。80代だとまだ戦争を経験していた。
団塊の世代は経験していない、それで今日NHKで見た九州の宮崎県が爆撃されて
小学生の時腕を半分銃撃されて失った女性がいたことには驚いた。
まだそういう人がいたということで生々しかった。
あれだけの傷を負ってまだ戦争のことをひきづっている人がいたことの驚きである。

「真直」とはまなおということはなくなり真っ直ぐとなって残った。
でもまなおとまっすぐは感覚的に相当違っている。
「真直」という言葉はもともと万葉集にあったし日本語の原型は日本の精神の原型は万葉集時代に作られたのである。
つまり日本人には日本人の言葉があり言葉は日本の自然とともに作られたのである。
だからネティブとなる。だから日本語がこうして消失するとき日本人の精神も失われていたのである。
だから日本人の精神を知るには万葉集を知ることになる。ただそれが恋の歌が相聞歌が多いというとき何かうわついたものになり軽薄なものとなり現代的なものとして解釈されやすい。ただその中にもやはり今とは違った日本人のまさに素直なる真直なる心があって歌われている。
日本人の文明に汚されない心に青雲で言えば「純なる日本」である。
この点で同じものを自分も追及していることは確かである。

日本は経済成長を遂げたけど失ったものも多いのである。
日本の純なる美しい自然が相当に失われたことは確かである。
日本の自然は特別美しいものだったことは確かである。
その美しい自然によってはぐくまれたのが日本の心でありそれが万葉集に結晶化して残された。
日本語で言われることはなぜ形容詞が少ないかということである。
これも逆説的だけど日本の自然があまりに美しいからかえって形容詞が発達しなかった。あまりに美しいと何か言葉を発することができない、息をのむとかなりそれで形容詞が発達しなかったのかもしれない、一方で何もない所では着飾る言葉をかえって発達する、形容詞が発達するということがあるかもしれない。

真直という言葉はもともとは直しに「なおし」という大和言葉に由来している。
ただ不思議なのは直しと真直とは何かかなり違ってる
真直という言葉には日本人古来の精神が宿った言葉ではないか?
真直とは不純なものが交わらない、純なるものの追及なのである。
それは日本の自然と融合して「真直」となるのである。
この真直というとき日本の武道と通じている。
日本の武道は型とか姿勢を重んじる。それは勝負にこだわるものとは違う。
礼にはじまり礼に終わるとか

そもそも武道とは、「武」を通して「人道」を学ぶものだからです。

日本の武道は単なる格闘技ではなく人道とかなると精神を重んじるものとなる。
外国は格闘技でありゲームでありそこで勝敗が第一になる。
そこでルールが大事になる。それは文化と歴史の相違である。
外国では絶えざる侵略戦争の歴史であった。だから勝敗にこだわる。
負ければ奴隷にされるのだから勝敗が第一になる。
日本でも格闘技としても勝敗より精神性を重んじる
「武士道」でもそうである。
だから「真直」というときその姿勢が真直だというとき精神も真直だとなる。
型があり心があるとなる。
つまり日本の武道は真直な心を養うことにある。外国ではルールでありルールを敗ることは許されない、公平なルールで勝敗にこだわるのである。
西洋と東洋というときそこに根本的な文化歴史の相違がある。
宗教は東洋アジアから発したというとき深い精神性はアジアにある。
誤解しているのはキリスト教が西欧だと思っているけどそれは西欧化されたキリスト教なのである。
イスラエルはもともとアジアなのである。だから西欧型のキリスト教は西欧化されたキリスト教となってしまう。
日本はあらのそることを欧米化一辺倒になってしまったのが明治維新以来そうだった。
ただ大正時代まで真直という言葉まだ使われていた。

直しとは

 ゆがみや誤りなどを正しくすること。また、こわれたものを、もとどおりにすること。
 
まさに現代日本に必要なのは日本古来の真直な心をとりもどすることなのである。
ただ万葉集時代にも奈良時代にもすでに何か嘆くものがあったということがある。
それが何なのか、自然の消失だとは思えない、やはりいつの時代でも必ず時代によって失われてゆくものがある。そういう嘆きが常にあるからそうなったのか?
現代だったらまさにいろいろなものが科学が発達しても便利になっても何か失われたものも大きい。そういう嘆きは自分も延々と書いてきたし巷にも満ちているのである。
美しい日本の自然が失われたとき日本の心も失われたのである。
心のに青雲で「純なる日本」は東京などから復古できない、像で外界をとらえるろというのは確かである。
その像になるべきものが東京にはないのである。毎日高層ビルをなげめていればそれが心の像となってしまうのである。
崇高な山を毎日眺めていればその像が心に定着するのである。
ここでもその山がないから岩手山とか岩木山とか富士山が見える場所に住んでいる人はうらやましいとなる。
つまりその独立峰という像によって日々心が作られるということがあるからだ。
山には精神性があるが海にはまたないのである。
どうしてもだから浜通りには精神性が欠如するのである。


真直なる富士の姿や今日も映ゆ美しき日本正すべしかな

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タグ:大和言葉

2015年05月16日

抽象画から具象画へ(春の川) (抽象画から抽象画へ)


抽象画から具象画へ(春の川)


(抽象画から抽象画へ)


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水と緑

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海溝

これは原画と比べるとわかる、でもこれの方が原画より抽象画的になっているのも
不思議である。




一つ目は川のように見えたから岸を新緑や芽吹きをイメージした。
そして岩山のようになったから山をイメージして加工した。
これはオリジナルの絵とはもうほとんど関係なくなっている。
ただ川の所が多少これと同じだなと原画を見ればわかる
これはだから著作権に関しては指摘されないだろう。

海溝はこれは明らかに加工したものとわかるから著作権が指摘される
これは参考のために出しただけである。
抽象画でも具象画とは切り離せないのである。
川とか山とかのイメージを抽象画で何を現しているのかわからないものを
具象画に変えたのである。
抽象画はインターネットから生まれた新しい芸術ともいえる。
普通の絵画からはこんなことできないからである。
タグ:春の川

原発避難者が帰らない理由(NHKの原発避難者1154の声) (現代は誰も不便な所に住みたくない)



原発避難者が帰らない理由(NHKの原発避難者1154の声)


(現代は誰も不便な所に住みたくない)


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原町のイオンに一週間に一回くらい行ってみると品物が違っている。値段も安いし種類も多い。
自転車だとなかなか行けない、それで鹿島区にある一軒のスーパーでまにあわすほかない車がないと買い物と医者は不便になる
値段まで高いものを買うほかないのは苦しい
今は田舎が東京より物価が高いというのは本当である。
田舎では収入が低いが物価は高いのである。
ただ持ち家の人が多いし賃貸でも格安蜷場合がある
地域でも広いから実際は住む場所によって差がでている。
原町市内でも大原とかなると山の方で遠いから街まで行くのは遠いとなる。
だから大原に住んで農業をしていた人の息子が街内に住んで親は一人で農業していた。
今は空家になっている
田舎は広い土地に住んでいるから街から遠い所は買い物に不便になる。
だから田舎では車がないと生活できないとなる
実際に田舎では一人一台車をもっている、車をもっていない人はたいがい貧乏人なのである。
車が金あるかないかの判断基準にてなりやすい、原発避難者が補償金でいい車を買ったということで傷つけられたことでもわかる。

NHKの原発避難者1154の声で放送したことは何も目新しいことがなかった。帰るか帰らないかそれは早く決断を急がせるのではなく決められないままでも仮設にでも他でも住んでいられる安心感を与えるべきだと学者の人などが言っていた。
それも避難者側の言い分であり回りの人がどう思っているか回りの目が気になる、コミニュティにとけこむことができないということも言っていた。
つまりそうした宙ぶらりんなどっちつかずでいつまで補償金もらって暮らすつもりだという声が回りに大きくなっているのだ。
原発避難民は補償金で遊んで暮らしていられる、俺たちは地元で汗水垂らして働かねばならない、それでもたいした金にはならないとか不満になる
俺たちは原発避難者のために働かせられているんだとかまでなる
だから二本松であれ会津であれイワキであれ回りの目が厳しくなってきている
だから学者でもそのまま帰るか帰らない決断を迫らずにそのまま長くいられる状態を保たせるべきだというのは回りからするとかなり迷惑になる。

現実に南相馬市内では小高の中学生が鹿島区の小学校内に仮の校舎をもち、小学生は中学校に小学生が仮の校舎をもっている。
それは争いになるからだという。つまり同じ南相馬市内でも鹿島と小高ではイワキのように激しくはならなくても軋轢が生じている。
小高の人は金が入るから態度がでかいとか遊んで暮らしているとか不満が大きいのである特に津波の被害にあった人たちは家もなくなり補償金も鹿島区ではかなり少ないから不満になる。
とにかくこの辺は津波の被害もあり複雑になっている。
漁業関係者は原発から補償金をもらって家を建てたとかなんとかこれまた補償金問題で心が分断されている。
だからいろいろめんどうだから年もとっているからかかわりたくないと早い内に鹿島や原町に家を建てた人はかしこかったとか言われる
小高の避難者は来年は避難解除になり小高に帰る、小高以外に家を建てた人は帰らない
でも今の時代不便な所には住みたくないのである。
そしたらそんな不便になった所に帰るのかとなる

結局移住したコミニュティに溶け込めないというとき回りの目が厳しいというとき何かそうさせているのか?
それは相馬藩が天明の飢饉以来越中などの移民を入れて働かせて立ち直った。
今でも三分の一の墓が真宗系統なのが相馬藩である。
江戸時代は全国でそうした荒廃地が生まれ移住していたのである
そもそもそんな条件の悪い所になぜ移住したのかとなる
それはそういう時代でありあえて土地が与えられるということで移住した。
そして移住した人たちは「加賀泣き」とか伝えられるように相馬藩で苦労したのである。条件の悪い所を開墾したりしたからである。
もう一つ前にも紹介した十津川村が水害で壊滅的な被害を受けて北海道に村ごと移住したのも貧乏な農業で暮らしていた時代である。
そういう時代は条件が悪かろうがもともと条件のいい場所がない時代だったのである。

だからそんな苦しまねばならない場所に移住したというのはそういうもともと今のよう便利な生活などしている場所がなかったのである。
それでも武士が北海道に移住してその苦労に耐えられず離脱して官僚になったとか映画があった。
それはそんな苦しいのがいやで贅沢したいから官僚になって仲間から離脱したのである。そもそも北海道にはアイヌがいても回りの住民からの圧力がなきに等しかった
いくら金もっていてもそれだけの集団になるとなんだあいつら遊んでいるだけではないかとなり不満が回りからぶつけられる
相馬藩に移住した移民はもともといた土地の人に従い懸命に働いていたからそんなことは起こらなかったのである。
原発避難民が移住先で金があるからもともといた土地の人より裕福で威張っていられるなどありえなかったのである。

原発避難者とはこうした人たちと比べることはできない、時代がそもそも違うからである便利な贅沢な社会がありそこには金さえあればどこでも住めるという時代である。
現実大内村は山の中の孤立した村のようになっている。
それが郡山市で暮らしたら帰りたくなくなったという気持がわかるのである。
自分も原町市とか相馬市とかの方が便利で楽だとなるからである。
つまり不便な所には帰りたくない、住みたくないとなって帰還するのは時間がたつにつれてますますむずかしくなっているのだ。
ただ小高の人は南相馬市民だから浪江とか双葉とかは違う。
そういう点ではイワキのような深刻な軋轢がないがそれでもみんな鹿島区の人は不満であり口々に言っているから小高の人は小高の人で鹿島にはいたくないということがある
一方で小高に帰るの不便であり老人ばかりでありそんなところでどんな生活になるのかとうい不安がある。
だから早々に住むこともあきらめた人もいたのである。

そしていつまで補償金もらって遊んでいるんだとか回りの目が厳しくなっている
つまりどっちつかずのような宙ぶらりんな決断しないこともまた避難者にとってもいいものではない。決断をしないで帰る帰らないとか決めないでいられる状態を作ってやるというのも回りの人からすると困るのである。
アンケートをとったりなんかいろいろ外部から言われても何の解決にもならないというのも避難者にとってみればそうなる
ではどなん解決方法があるんだとなるとその個々の家族で決めるほかないとなる。
決断するほかないとなる。いつまでも決断をながびかせてもいいんだ、それをおしつけない状態にさせることも大事だというのも回りの人には困るのである。
むしろ避難者にとっても決断した方がすっきりするだろう。
帰るなら帰る、帰らないなら帰らないとして将来の方向を決めた方がすっきりする
帰るにしても帰らないにしてもどっちにしろ困難なことがあり問題がある。

いづれにしろどうしても現代では不便な所には住みたくないとなると帰還するのは無理だと自分は思う。
回りからなんだかんだ言われるとかそんなことを気にしないで金があるから家を建てた人が決断した人が結局はすっきりして良かったとなる
「進むも地獄退くも地獄」となるならどうしても楽な方を人は選ぶようになる。
一億円の金をもらっても回りに何らサービスを受けられないとしたら何の価値もない
原野に立って金があって自動販売機もなくジュースも飲めなかったら金の価値は何にもないとなってしまうからである。
一億円あっていろいろサービスを受けられるとき金にも価値がでてくるからである。
そういうことでどうしても帰還するのはもうあきらめる人が増えたきて避難区域の町は消滅するほかないとみてしまう。

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ただ狂いたいほど帰りたいという心境は故郷を失った人しかわからないだろう。
故郷とは何か、故郷を失うことがどういうことかわからないからだ
普通は外部から見ると故郷にそんなに固執するものなのか?
金があるんだから新しい土地ではじめたらいいじゃないかとなる
啄木は故郷をあれほど思ったのは東京で若くして死ぬという状況で起こった。
では原発避難者は東京に移り住んで人もいるが福島県内とかにも多いからから
大都会とは違う環境にある
やることがなくても困ったというのもこの辺の津波の被害者も言っていた。
そういうこともあり狂うほど帰りたいという気持は本人しか理解できない
それは年齢にもよりそう思っているのはやはり50代以上かもしれない
若い人はもう新しい土地になじみほとんど帰らないとなってしまったからである。
タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年05月17日

この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している (両親や祖父母のカルマは必ず受ける)


この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している


(両親のカルマは必ず受ける)


なんでこんなことが起きるのだということが誰でも経験している
なぜよりによって自分がこんな目にあうんだとかなる
カルマというとそれは親のカルマは目にみえてはっきりと受ける。
でもカルマは4百年前とかまで歴史的カルマになると受ける
津波でも相馬藩内で一行700人溺死とあったから被害があった。
それは全く忘れられて今回の津波で大被害になった
そうした風土や歴史のカルマがあっても忘れられていたのである。
カルマというのは忘れられ意識されないことが多いのである。
ただ何かその個々人の身に直接起きたとき何でこうなるんだとかなる

例えば歴史的カルマとなると相馬藩の歴史的カルマもあるかもしれない
相馬藩は天明の飢饉で越中からの移民などを受け入れた
三分の一の人口が消失したからだ。
そういうとき移民してくる人がいたということはその時代の貧しさがあったからだ。
そういう荒廃地になるところが多かった
移民してきた人たちの住んでいる所もそうだった
何か移民せざるをえない状態があった
移動が自由でない時代は藩を出ることは命がけだった。
だから移民する人にもそれだけの事情があった。
それで相馬藩内に移住して苦労した。
それで「加賀泣き」という言葉が残っている。
よほど移住して苦労したから加賀の人が泣いたということである。

これがカルマとなんの関係があるのか?
それはなぜ今回のように相馬藩から原発事故で避難民になって他の土地で暮らさねばならなくなったのか?
そしてやはり相馬藩に移住した人たちのようによそ者としてあつかわれ嫌な目にあう
まさにそのことは移民した人たちが相馬藩でされたことと形は違っても同じことをされている
実際は相当恵まれたものだけど何かよその土地に暮らすということで形見の狭い経験はしている
かなり楽な方でもよその土地で暮らすということがどういうことか身をもって知ったともなる
なかなかよその土地で集団で暮らすということがどういうことか理解できないからである戦争でも戦争の苦しみなどわからなくなっている、でもまた戦争になったらそのカルマがめぐり戦争の苦しみを知ることになる

カルマで確実なのは親のカルマから逃れられないことである。
自分の一身上のことでも書いてきたけどなぜこんな苦しみを受けねばならなかったかというと親のカルマを自分が清算するような立場になっていたのである。
長男長女はその家のカルマを一身に引き継ぐことになることは間違いない
それは悪いカルマだけではない良いカルマうも受け継ぐのである。
良いカルマも悪いカルマも受け継ぐのである。
なぜならどんな人でも良いことばかりしてるなどありえないからである。
例えば財産を残すにしてもそれが必ずしも良い金とは限らない
太宰治の斜陽館などは小作から搾取してできていた。
だからそういう家にはやはり小作の呪いのようなものが受ける
ただ江戸時代の庄屋とかなると別である、それは農民とともに一揆では戦い死んだ人もいるからである。

カルマは両親のカルマを必ず受ける。自分にしてもなぜこんなに介護しつづけねばならないのか?
それは60年間自分に食事を出し続けてくれたからお前もそれをしなければならないというカルマを受けたのである。それは逃れることができないカルマとなっていた。
百歳まで生きたことはそのカルマを自分に受けさせるために生きていたともなるのだ
両親というとき母がいて父がいる。その父のカルマも受ける
それは財産を残したことで災いが生じた、財産がカルマになっていた。
その財産はすべて良いものとして残されていたわけではない、
太宰の斜陽館のようにあからさまのものではないにしろ公務員という恵まれた境遇で残された
それで自分がそのカルマを受けたのである。
いいことであってもやはりその金が元で犯罪にあったり病気の時金を要求されて苦しめられたのはそのためだったかと思う
金にはなにか具体的なカルマとして現実的だからわかりやすいのである。
金がないのもカルマだけど金をもっているのもカルマなのである。

家系に起きてくるカルマは本当に不思議である。
ある人が収入もいい人と結婚した。その人は頭が良くて優秀だった
だからいい人と結婚したと外から見られていたのである。
それがなぜ事業で失敗した結果60過ぎて苦しむことになった。
まず60以上になると人生の総決算のようなことが誰にでも起きてくる
若いときの不品行であれ何であれ悪行であれそういうことは決して消えるわけではない
60以上になるとそうした若いときのことまで生々しく蘇りその悪に苦しめられる
要するに人間はどんなことしても何かしらカルマを積む
両親でも先祖でもそうでありその国でも歴史的カルマをつむ、それで今も責められているだから先祖供養しないとだめだというがそれでカルマが解消するわけではない
どうしたらカルマが解消するのか?
それは善行を積むほかない、残された財産があったら困った人に分けてやるとかになる
そうすれば金にまつわるカルマはだんだん消えてゆくことになる
ますます強欲になって金をためたらカルマをまた積むことになるからだ

とにかくカルマは何もなければ意識されないものなのである。
何か事故とか犯罪とか何か悪いことが起きるときカルマを否応なく意識される
なぜこんなことが自分に起きたのだろうとなる
それは理不尽な犯罪だったこの世には多い、ではなぜその人だけがその犯罪の犠牲者になったのだろうというのが謎なのである。
よりによってその人にそんなことが起きたというのが謎なのである。
それでカルマが意識される、家系も意識される
家系も謎でもその時家系の問題してカルマが意識される
会社に勤めていれば優秀で終わったのになぜ事業をはじめて失敗したのか?
そういう人にまた嫁いだのうかというのも謎である。
まず結婚するときそんなことなどわかりようがないからである。
それは嫁になった方のカルマが家系が関係していたのかとなる
実際に嫁になった女性の家族は普通の家族ではなく問題があった
その家系のカルマを受け継いで夫も失敗したのかとまでなる
昔は戦前までは家と家の結婚であった。
すると家系というのが問題になる
今は個人間の結婚で家系なんか関係ないよ二人が愛し合えばいいんだとなった
ところがなぜそうであればいいが家系の影響を受けるのかということである。
結婚は個人の問題でなく家系がかかわるからあとあとそのカルマを受けることなにる
でも家系でもその家庭のことはわかりにくい、だから今はあまり考えないのである。
家系にはやはり徳を積んだ家とそうでない家と明確にある
徳を積んだ家と結ばれることはやはりあまり悪いことは起こらないとなる

聖書ではその家系のことなのである。アダムから生まれた神の子孫のことを記したものであることでもわかる。
神の家系としてユダヤ人は神から選ばれたものとなっている。
だから家系を一番重んじていて異民族とは交わらなかったのである。
神の家系が汚されるからそういうふうになっていた。
家系がそれだけ重みをもっていたのである。
つまり最強の家系は神の子となるべき選ばれた民であり
それでユダヤ人がいろいろなことを言われても滅んでいない、
他は3000年前とかなればその時の人種はどこも残っていない
そして運の強い人につけというときそれもやはり運の悪いというのは何か
例え能力があってもうまくいかないのはなぜだろうとなるからだ
天才でも能力かあってもそれだけでは何かは成らない
そこに神の力が働かないと成らない、だからそれは運だともなる
運の悪い人につけば同じように結果が悪くなる
何かで失敗したり事故を起きたりうまくいかないのはなぜだろうとなる

だから結婚というのは二人があえばいいことだともならないのである。
むしろ家と家の結婚でもうまくいっている方が多かったかもしれない
それだけ人間は謎であり人生問題でも解きあかせないから悪いカルト宗教団体でもこれだけ増えたのである。
それは人生に不可解なことが多すぎるから何かに神仏に頼るようになる
ただそれもたいがいは間違ったものでありかえって悪いカルマを積んでいるのである。
それは神仏に頼っているのではなく本当はこの世の力に人に頼っているからである。
最終的にはカルマからは真の信仰によってしか脱せられないともなる
カルマはともかく逃れることができないから厳しいものとなる

ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」のように延々と石を持ち上げていなければならない要するに延々と持ち上げる岩はカルマなのである。
介護などもいつ果てるのかわからない、百歳になってもわからない
延々と介護からから脱することができない
カルマは人間の業であり人類が消滅しない限り終わることがない
つまりこの世でカルマが消滅することはないのである。
ハルマゲドンで最終戦で人類が滅びるというのもそうである。
業が積み重なって最後に最悪の結果となる。
人類のカルマはどれだけあるのか?
もう計りしれない悪行が歴史でもある
その総決算が最後に来る、それが人類が滅びるということである。
この辺で原発事故で積んだカルマも恐ろしいものだった。
プルトニウムの毒が二万年消えないという恐るべきカルマを追わされたのである。
それはまるで二万年間岩をもちあげるようなカルマともにていたのである。
原発事故によってもたらされたカルマだったのである。
その放射能から解放されるのが二万年後としたらその罰も過酷だったとなる

「シーシュポスの岩」

肩にずっしりと重い岩よ
いつまでこれを持ち上げねばならないのだ
いつになったら解放されのだ
今日もずっしりと岩が重い
休むことなく岩を持ち上げねばならぬ
これは与えられた罰(カルマ)なのだ
怠け者にも様々な悪徳を積めば
それは必ずカルマとなって負わされる
その刑罰を解かれるのはいつなのか
それぞれの人生にカルマがある
カルマからは誰も逃れられない
蟻は蟻のカルマを猫は猫のカルマを生きる
なぜ蟻として生きねばならぬのか
野良猫になり餌をあさらねばならないのか
人間もまた同じそのカルマは複雑だけれど
それぞれにカルマを負わされるのが人生だ
・・・・・・・


タグ:カルマ

2015年05月18日

浪江の請戸に消えた原発御殿 (私有地の前の海に権利があり補償金が支払われた)


浪江の請戸に消えた原発御殿


(私有地の前の海に権利があり補償金が支払われた)



所有権の問題から海底の土砂を取除く工事などができず、港内の水深が浅くなって船の往来に支障をきたすようになってきたため、同市が買い取ることになったとのことです。なるほど、元は私有地ですから、例え海底に沈んだとしても所有権は消滅しないので、この土地の売買については納得できました。

先住民による前浜と海底の所有権
―ニュージーランドの2003年「マールバラサウンズ判決」―
マオリ族の間では,前浜及びその延長は,その前浜に隣接す
る陸地に居住する部族集団の土地であるという慣習上の了解がある。
http://www.shotoku.ac.jp/data/facilities/library/
publication/education-gaikoku43_01.pdf



漁業権というのは相当にわかりにくいし未だ確定されていないもののようだ。
「海は誰のものか」とか「山は誰のものか」とかなると海で生活する漁師のものであり山も山で生活する村の人たちのものだということになるのが普通である。
ところが一軒一軒の家の前の砂浜でも海でも所有権があるとなるとわかりにくいだろう
山が私有地になっているのはわかりやすい,でもこれも明治以降にそうなったのが多いのだろう。入会権となり村が山を所有していた。
今でも山菜をとるなというときそれは山が山に暮らす人の場となっているから勝手にとるな入山料を払えとなった。
川でもそういうことがあり鮎をとるとしたら組合に金を払う、組合では川を管理して稚魚を放ち釣りをできるように勤める
海もそれで漁師で組合を作り海を管理して漁業組合ができた。
ただその前に一軒一軒の家の前の砂浜であり潟でありその家の個人の所有だというのはどういうことなのかわかりにくい

でもなぜそれが主張されたのかというと原発で東電や政府から補償金をもらうために主張されたのである。
それでもその権利が認められてそれなりに補償金が支払われたというのも東電では金があり早く金で解決したかったからだろう。
それは浪江の請戸の話とか言っていた。
何でもその人は仕事で仲間になった請戸の人の家に招待されたことがあったという。
その家は金の襖だったらしい、それは東京から職人を呼んで作ったとか言われる。
それは相当に豪華なものだった。まるで秀吉の黄金の茶室とにていたかもしれない。
それだけ請戸は事故を起こした原発の煙突が見える位置にあり近い。
だから他より補償金が高かったことは言える

でも磯部の人も船主であった人が御殿を建てていたとか言っていた。
原発御殿というのが磯部でもあったのである。
松川浦には百艘の船があったからである。
だから今ではそうした漁業権をもって補償金が入っている人たちをうらやむ人がいる
原発前はそうであってもあからさまに言えなかったのである。
自分の家の近くにも烏崎の人が家を建てたからそのことは言える
相馬市の総合病院に入院したときも請戸の人がいて特等室に入って家を建てると言っていたから軽く億の金をもっている

小高のばあさんが補償金一千万ためて喜んでいるとか聞いた。
でも使わないという、将来のために金を使わないという。
ただ一千万で喜んでいるのはやはりそんな金をもったことがない人がまだ多いのである。一千万では家も建たない、そもそも補償金一億円もらったとしても
土地も家もなくなったら家を建てるのに5000万はかかる。
そしたら一億円で足りないとなるのである。
仕事も失ったらその損失は今の時代の計算では一億円でも高いとは言えないのである。
一千万で喜んでいるとしたらやはりそれだけ貧乏な人たちなのだろうとなる

ともかくこの辺で起きていることは様々な夢のような物語にもなっている
そんな黄金の襖の御殿が津波で一瞬にして流されたこと自体夢のようだとなる。
磯部であれ請戸であれ津波で何もなくなってしまった。
砂に埋もれて元の砂州にもどるような状態になったのが磯部であり
請戸は一軒の家も残らない、あまりにも無惨な悲惨な状態になった。
本当に夢のように消えた、夢の御殿だったとなる
それは別にこの辺だけではない今回の津波で家をし失った人たちの気持をどんなものなのだろうと想像がつかない
近くでもそうであり家がある人は感じないのである。

一瞬に贅を尽くして建てし家津波に流され夢の跡かな

まず浪江もあのように荒れ果てたままになりもどらない、人も帰らないだろう。
若い人はもう帰らない、だから請戸でもただ荒寥とした砂浜になってしまう。
もう漁港は再建できないのかもしれない、松川浦とか鹿島は一応漁港は再建しているから違っている。
磯部にはもともと漁港はなかった、新地も漁港はなくなった。
津波はあまりにも大きな災害であり最初から現実に思えなかったのである。
これは夢じゃないかと現実に思えなかった。
人間はあまりにも変化が激しいとそれが現実に思えないということである。
夢の中で生きているんじゃないかとしか思えないのである。
いづれにしろこの辺で経験していることは様々でありそれが未だに現実として受け止められないという人たちも多いだろう。
一瞬に幻のように村でも消えたということが信じられないのである。

タグ:漁業権
posted by 老鶯 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連