2015年05月01日

北右田の人の津波の話と昔話など (無法所帯,混乱状態で火事場泥棒など必ず起きる)



北右田の人の津波の話と昔話など

(無法地帯,混乱状態で火事場泥棒など必ず起きる)


土手の道で休んでいた老人は北右田の人で津波に家を流された人だった。
北右田というと野球場のある所である。
あそこには津波のときに逃げた、逃げるのにはいい場所だった。
角の店があった所は大きないい石の庭を残してなくなった。
ばあちゃんと孫が死んで今はこの土地にはいないという。
あの場所は海からそれなりに離れているから津波か来るとは住んでいる人も思っていなかった。
でも実際はその倍の距離に津波が来ていたのである。
それで小学校前で津波が止まったのだがその手前でも床上浸水だった。
その被害にあった人に聞くと家が残っていてもひどかった。
泥があがりその泥をのぞくにも大変だし潮水だからそれも大変な作業だった。
あそこちは家を建てることはできない禁止地区だが家が何軒か建っている。
確かにあそこは今になると津波には危険地帯になっていた。
それは今だからこそ言えるがあの距離だと津波が来ると思えなかったのである。

その人は農家であり橲原(じさばら)の山に馬車で肥料の草をとりに行っていたという
橲原には北右田の山とか所有していて草を刈り肥料にしていたという。
その場所を通った道は昔の道であった。
それは自分の家の脇の道も通っていた。自分の家のあるところは昔は本道であり新しい道ができて旧道になったのである。
真野川にかかっている木の橋がありその道は見た感じも通ってもゆれたりして何か危険を感じる橋だった。
だから馬車が通るのには荷物も積んで重いからさらに危険を感じた。
その頃の道は舗装されていない、土埃のたつぼこぼこの道だったからだ。
それにしても橲原は遠いからそんなにしてまで肥料として草を刈って運ぶのは難儀であった。
農業の問題は肥料なのである。肥料でいい野菜でもとれるし米でも土が良くないといい米はとれないのである。
だからエチゴでも高級な苺はたっぷり栄養を与えたものなのである。
焼畑農業も肥料を作るために森を燃やして灰を作っていたのである。
江戸時代が人糞が肥料として貴重だったことでもわかる。
花だって土に栄養を与えないと咲かないのである。

橲原と北右田が肥料のために結びついていたということは郷土史として注目すべきである昔は自給自足であり化学肥料もあまり使わないとするとその土地土地にあるものを利用して何でもするからそうなる。
燃料も薪や炭であるとき近くの山の木を利用していた。
山を利用していたのは山の人だけではないのである。
海でもあて山として海からの目印となっていたのである。
地元の山の木材で地元の大工が家を建てていた。
今は大きな会社が外部から来た人が家を建てている。
家を建てるというより組み立てているという感じになっている。
だから何か地元でしている地元を地に足をつけて生活しているということが見えない
特に津波原発事故以後は主に外部の人が来て仕事しているのである。
そういう点で今は地元のつながりがなくなった時代でもあった。
一つの自給自足的生活圏としてあったのが江戸時代から戦後十年はあった。
そういう社会は貧しくても人と人のつながりは自ずとあった。
ただそこにも様々な問題がありすべてがいいとはならない
現代に失われたものが過去に昔にあったということで考察しているのである。
津波の被害にあった人は小高のように補償金がもらえない、もらったとしても南相馬市では小高区、原町区、鹿島区とあり額が違っている。
鹿島区は30キロ圏外でありもらっても少なかった。
別に津波の被害にあったからといって原発事故とは関係ないから津波ではもらえないのである。
ただ漁業組合に入っている人は東電から補償金を前ももらっているしその後も海を汚したとしてもらっている。
それでその人たちをうらやましがってる。北右田には船主はいなかったからである。
大内の人もなにもなくなったと嘆いていた。
近くに烏の人も家を建てた。土地も広いからかなりの金がかかっている
そういう金の問題でこの辺は複雑であり不満がある。

そして庭の石を最近までもっていかれたと言っていた。
庭の石が津波の跡にごろごろしていた。立派な大きな石もあった。
あれはかたづけたのかと思ったらみんな誰かがもっていったのかもしれない
あの大きな石をもっていけるのと庭作りとかする業者である。
石は意外と高いから売れるのである。それもいい石があったからだ。
津波で流された石は誰の所有なのかわからない。
だから盗まれても所有者が特定できないから盗み安いとなる。
何でも椅子までもっていかれたとか言っていたから津波や原発事故の混乱で盗まれたことがかなりあったようだ。
避難区域では骨董品を盗んでいた人が逮捕された。
人間の怖いのはそうした無法状態になると欲望がむきだしになってくることである。
そういうことは自分の家が店をして洪水にあったとき店の品物が流されみんなもっていかれた。
それかち最近でも自分が突然の病気になったときも家に誰もいなくなりその時家にいた人に大金を盗られた。
それから借金していることが自分が病気になったことをいいことに借金していたから自分からその弱さにつけこんで金をあからさまに要求してきた。
「今がチャンスた、金だ、金だ、金をとれ」しか自分の場合なかったのである。
津波とか原発事故では絆だとか助け合い精神が生まれたというが反面そうした人間のもともとある悪しき面が露骨に出てきたのも現実だったのである。

それで小高の人で良く戦争のことを話する老人が言うことにはやはり信憑性ある。
沖縄の戦争で一番怖かったのは隣の人、近所の人だったという。
混乱にまぎれて無法状態になったとき何が起きたか?
若い女性が近所の人にレイプされたというのである。
そのことか一番怖かったという。
近所の人でも助け合うということが戦争でも必ずしもなかった。
無法状態混乱状態になると人間の悪い面が露骨にでてくるのも現実なのである。
そんなことは沖縄の人は語らない、それも本当なのかとも思っていた。
それが何度も言うしその人はどこで聞いたと言ったら実際に沖縄に建築関係で仕事に行っていて飲み屋で聞いたというから本当なのだろうと思った。
つまり普通は語られないことがそうした飲み屋とかで語られるからである。
要するに近所の人が一番怖いというのは自分も体験しているからだ。
そんな人が同じ郷里の人にいるのかという驚きであった。
人間の欲望が無法地帯や混乱状態になったら露骨にでてくる。
石を盗み椅子まで盗むというときそれが誰のものかわからなくなっているからである。
津波原発事故では何かそうした老人の経験したことを聞きやすい。
その人も何もすることがなくて土手で休んでいたのである。
そうした暇な人が多くなったからである。


草を肥料にする

インターネットの知識はこういうふうに関連して調べられことである。
草の用途もいろいろある、そういう経験した人が書いているから参考にする
草はやっかいなものだけど役にたたせることもできる




 
タグ:火事場泥棒
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2015年05月02日

抽象画(水と緑)


抽象画(水と緑)


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入り江
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ピンクは街の色

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日本の複雑な地形


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地球の芽生え


これは一つのものから変化した。その原画はインターネットにある。
でも何かそれなりに変化させているから元の原画はわからなくなる
名前をつけるとなにかそれらしいものに見える。
「地球の芽生え」などとつけるとそんなふうに見えるから不思議である。
ただそれを変えて加工するのも手間なのである。

これは二つのソフトを使っている。
一つは2000円のペイントグラフィクでありG=TRIMである
ソフトは別に安いものでも今はできるが使いこなすのがめんどうなのである。
何十回と操作するから化学の実験ともにている
根気も必要になってくる。
それでもそれが一つの創作品になるからやっているとなる

奇妙なのはあとからピンク色にしたのは街である
三陸の入り江の街として桃色にしたのである。
だかち具象画が抽象画からも読み取る必要がある。
タグ:水と緑

なぜ相馬藩で慶長津波のことが一行しか記されなかったのか? (戦国時代なのと全国に情報が流通されない時代だった)


なぜ相馬藩で慶長津波のことが一行しか記されなかったのか?


(戦国時代なのと全国に情報が流通されない時代だった)


●インターネットで調べた津波の記録

 『鎌倉大日記』という記録は戦国時代の関東域の動きが記された数少ない記録である。その中の明応4年の項に「八月十五日鎌倉由比浜海水到千度檀水勢大仏殿破堂舎屋溺死人二百余、九月伊勢早雲攻落小田原城大森入道」と記されていて、大津波で鎌倉と由比に溺死者二百人を出し、9月には早雲が小田原城を攻め落としたという。

  他の史料は小田原「自落」と記すものもあり、津波と早雲の軍勢の両者によって大森氏は抵抗をあきらめたとのニュアンスが感じられる。

永正7年8月27日の津波 1510年9月30日 1510年10月10日 遠江の津波
永正9年8月4日の津波 1512年9月3日 1512年9月13日 阿波の津波
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E6%AD%A3%E5%9C%B0%E9%9C%87

本多徳次さんが昭和61(1986)年に著した『四倉の歴史と伝説』という本に「千人塚」の話が載っている。本を読むまで知らなかった。伝説をかみくだいて言うと、ざっと500年前の永正年間、四倉の大浦全域に津波が来襲し、家屋が流失した。死者が続出したため、仁井田浦に遺骸を合葬して「千人塚」を築いた。今は跡形もないという。 永正年間に津波が押し寄せたのは事実なのだろうか。
千人塚ができたのは永正年間から下ること100年余、元禄 9(1696)年の大津波のときだった。
その年、「大津波来襲、磐城七浜で死者2400名余。四倉、小名浜に千人塚を築く」。そのわずか19年前の延宝5(1677)年にも、磐城の浜に「大津波来襲、死者800名余」の大惨事になった
http://www.j-cast.com/2012/01/22119521.html

永正9年(1512)8月4日、津波が宍喰を襲い、宍喰浦で3,700余人の犠牲者が出て、1,500余人は助かったという。この時代には、城や宍喰の中心は現在の正梶の地にあったが、津波により街が壊滅したため、その後現在の愛宕山に城を移したと言われている。なお、この永正9年の津波は幻の津波と呼ばれている。この日、徳島はもちろん、国内のどこにも地震の記録が見当たらず、外国の遠地津波によるものでもないようである。暴風津波(高潮)という説もあるが、被害規模から、被害地域が宍喰浦のみというのは疑問が残る。

政宗領所、海涯の人屋、波濤大いに漲り来り、悉く流失、溺死者五千人、
世にこれを津波と曰うと云々(『駿府記』)
「…時に海面滔天、大浪山の如く来る。肝を消失し魂を失するのところ、こ
の舟彼の波上に浮びて沈まず。しかる後、波の平らかなるところに至る。こ
の時心を静め眼を開きてこれを見るに、彼の漁人住するところの郷辺、山
上の松の傍なり、これ所謂千貫の松なり。すなわち舟を彼の松に撃ぐ。波濤退去
の後、舟松の梢に在り。
…政宗これを語る由、後藤少三郎御前に於てこれ
を言上す。」
政宗の語る千貫松伝承
政宗は2人の家臣を漁村に派遣、1人は天候不順で出漁せず。1人は出船

「奥州筋生波(ツナミ)」700人溺死(相馬藩政記)

●閉鎖された環境で情報が全国に流通しなかった

これらの資料から何が読みとれるのか?
弘前市のレストランでたまたま出会った人が千葉の人であった。
その人は海岸の港に住んでいた。
それで津波のことを調べていたら元禄時代に津波が来て神社を移動させていることがわかった。
それは神社を改修したことが記録にあったからだという。
元禄時代までに三回も津波が来ていたことがわかったという。
記録に残っているのは元禄時代だという。

ここに記したらように津波のことは全国に語られているし記録にも残っている。
伝説にもなっている。津軽鉄道で終点の中里駅でおりて十三湖に言ったとき
そこも中世に港として栄えていたが津波で砂に埋もれてしまったという伝説か残っているあそこもそうだったのか、ここも津波で村ごと流されて何もない、砂に埋もれてしまったとなる。
磯部とかはもともと海岸の砂州だったから一軒の家もなくなった。
そのままにしていると本当に砂に埋もれてしまうことがイメージできる。
そういうことは全国的にみれば日本では地震と津波の国だからありうることだった

ではなぜ相馬藩ではそうした慶長津波のことが一行しか残れず伝説にしても明確なものかなかったのか?
だから津波などなかったという人もいる。それはそれだけ記録がないのだから探りようがないからだ。
でも相馬藩政記に記されたのは明らかに事実であり慶長津波のことであった。

「奥州筋生波(ツナミ)」700人溺死(相馬藩政記)

ここで生波をツナミとしている。奥州のツナミだから広い範囲にツナミがあったと記しているし今回のツナミと同じなのである。ツナミということば慶長津波で全国で普及して定着したのである。
その記録も伊達政宗が生きていた伊達藩から広がったのではなく『駿府記』に記されていた。
家康に伝えて『駿府記』に記されて全国に広がった。
貞観津波が全国的に知られたのは多賀城に京都の中央の役人が赴任していてその被害を目撃したから記録されて全国に知られたのである。
末の松山の短歌などが伝説であったが現実にあった津波であったことは今回でもその前で津波がとまったことで証明された。
一地域の情報も中央の政権ど結びつかないと重要視されないし見逃され記録に残らない。津波が全国にあるとしても今ですらそれを調べるのは学者でないと容易でないだろう。

たまたま出会った千葉県の人はインターネットで調べているという。
自分も学者でないし調べようがないのである。
地方の図書館に行ってもその記録を調べることができない
ここで調べたのはインターネットにてていたからである。
四倉の津波のことがインターネットに出ていたが

元禄 9(1696)年の大津波のときだった。
その年、「大津波来襲、磐城七浜で死者2400名余。四倉、小名浜に千人塚を築く」。そのわずか19年前の延宝5(1677)年にも、磐城の浜に「大津波来襲、死者800名余」の大惨事になった。

●戦国時代で相馬氏に敵対する勢力が津波で衰退した

これは事実だろう。元禄時代になると戦国時代も終わり平和と繁栄の時代になる。
だから津波の記録でもこの時代から残るのが多い。
千葉県の津波も元禄時代のものである。
慶長時代は戦国時代であり混乱の時代だった。
それでしきりに相馬藩政記でも記されているのは戦争のことである。
それはことこまかに記されているのである。
その時の最大の関心事は戦のことであった。
その後も秀吉や家康に領地をいかに安堵してもらうかが最大の課題だったのである。

大津波で鎌倉と由比に溺死者二百人を出し、9月には早雲が小田原城を攻め落としたという。
 
 他の史料は小田原「自落」と記すものもあり、津波と早雲の軍勢の両者によって大森氏は抵抗をあきらめたとのニュアンスが感じられる。

こういうことが相馬藩内でも起きた。
相馬氏が進出しても相馬藩内は相馬氏の支配下にはない、館を構えて中世の豪族が支配していた。
それは小高に大きな港があり原町の泉にも港があり勢力をもっている豪族がいた。
磯部も港の機能があり佐藤氏が大きな勢力をもっていた。
そうした在地の豪族が相馬氏に敵対していたのである。
だから小田原で北条早雲が
津波と早雲の軍勢の両者によって大森氏は抵抗をあきらめたとのニュアンスが感じられる

これは相馬氏にもあてはまる。津波は相馬氏にとっては都合が良かったのである。
在地の港をもっていた貿易で財力ももっていた豪族が津波で港が壊滅して衰退したのである。
相馬氏は片倉の八重米坂から入ってきて山側から勢力を伸ばして行った。
海側は港があり在地の豪族が支配していたからである。
戦国時代では大きな津波があっても被害が大きくても対処しようがない
むしろ自然災害でもかえって争う方にとっては都合がいい場合があった。
信長が桶狭間で嵐になって都合が良かったのもともにている。

慶長時代は戦乱の時代であった。津波でも四倉でも元禄になると記録が残された。
それでもなぜ四倉と言えば相馬藩ではすぐ近くであるのに相馬藩にはそのことも記録されていないのも不思議である。
四倉にそれだけの被害があれば相馬藩内にもあっても不思議ではない
それも元禄時代なのだから何らか相馬藩政記に記されてもいいはずだった。
それはなぜなのかというと封建時代は閉鎖社会であり狭い藩内で政治も経済も回っている他国に行くにも関所を通るとか情報も流通しないことがあった。
今でも全国で津波が起きたことを調べるのは容易ではない
たまたま弘前市で千葉県の津波を調べている人などに出会うことなどないのである。
そして津波の問題は百年に一回とか三百年のあととか四〇〇年とかの間隔になると
記録されたものも伝説も関心がなくなるのである。

ともかく地震とか津波とか今回のネパールの大地震でも日本だけではない地球規模で起きているのである。
スマトラの大津波があったのも最近でありその惨状を見ていて日本人が津波を警戒していなかったんだとか盛んに言っていたが日本でもそうだったのである。
封建時代の閉鎖的環境はやはり地震でも津波でも伝えられない、その局所だけのものとして広範囲に検討されなかったということがある。
全国的に見れば津波がいかに日本海側でも起きているしそれを見れば津波に警戒しないということが日本ではなぜなのだろうとなった。
まず海岸線に接して村があったということがなぜなのだろうとなった。
港があり漁業のための利便性があり津波のことは忘れてしまうということもあった。
また津波の被害にあっても海が生活の場の人は離れられないということもあった。
三陸などでは特にそうである。
今なら津波の被害にあったところは家を建てることが禁止されたからである。
それだけの政治力経済力があるからできることである。



十三湖で津波があり港は砂に埋もれた

そうか、今回の津波でも相馬でも同じことが起きた
磯辺なんか一軒の家もなくなって放っておけば砂に埋もれる
元禄時代に四倉に津波があり二〇〇〇人くらい死んだ
千人塚とはそのことだろう
四倉にあって相馬藩内に津波がなかったのか?
何にも記録されていないのも変だ
津波のことを全国で調べればいくらでもある
ここにも津波があったのか、被害が大きかった
ここたにもあったのか、ここにもか
津波は日本ならどうこでも起きることだった

江戸時代じゃあるまいしいくらでもそういうことわかったはずだけどな
なぜみんな警戒しなかったのかな?
相馬藩ではこの辺では津波は起きないという確信までなっていたからな
これも江戸時代ならわかるけど
科学の時代であり情報化の時代だからおかしかったんだ

津波が海岸線だったら例外なく起きるものなんだよ
日本ではそういうことがどこでもくりかえされてきたんだ
だからなぜ警戒もしなかったのか?
原発もなぜ津波を警戒しないで建てられたのか?

人間はともかく時間感覚で考えるのが苦手ということもあるな
時間軸で考えることは苦手である。
空間なら変わらずあるから理解しやすい
ところがここの一〇年前がどうだったとか
三十年前になると昔になりさらにわからなくなる
十年一昔だからな
人が死ぬとすぐにその人のことは忘れられる
その人が生きていたのかどうかさえわからなくなる
それほど人は忘れやすいんだよ

人間は時間軸で考える歴史が苦手である。
それは人間は十年前のことでも忘れるからだ
百年前になるともちろんそうだし四〇〇年前になると
なおさらであり大昔のことで全く忘れてしまうんだよ
その忘れることが大きな災いを産んだだよ
人間は忘れてならないことがあるんだよ
なぜならそれが後の教訓となり災いを防ぐからなんだな

タグ:慶長津波
posted by 老鶯 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2015年05月04日

抽象画(火と土と水) (抽象画は変化することによって意味が見いだされる)


抽象画(火と土と水)

(抽象画は変化することによって意味が見いだされる)

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春の大地

大地としてもふさわしいかどうかわからない
自分自身も何なのかわからない
春になると土があたたまるから種をまくのにいいという
土も寒いときとあたたかになると変化している
いづれにしろこれを大地と見えるかとなる
自分も見えないともいえる
俳句だって普通は自分が理解している
抽象画は自分さえ何かわからないのである。
でもなんか意味がありそうだとなるのが抽象画である

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地球の栄養分

心の青雲で人間の体は地球の成分から成っているという
それで他の惑星でも水だけは存在することはないという
人間の体も謎であり地球の成分がつまっている
だから地球が解明できないように人間の体もいまだに解明できない

この抽象画でも何か海の栄養分とか何か栄養のように見える
ただ見ているだけで栄養があるように見えるのである



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具象画にしてもこんな見方もできる
パソコンだからできたけど今までは絵画の鑑賞はこんなふうにできなかった



抽象画とは何か?
それが常に問題になるのはなぜなのか
それは結局未だに謎だからそうなる
具象画には謎がない、何を現しているから明確だからである。
抽象画は一体これは何なのだろうととなる
だから抽象画は評価されないというのもわかる
これか絵画なのかということになる

でも抽象画は具象画と切り離せない
赤ければ火をイメージしているとか青なら水とか土なら茶色とか
緑なら葉だとかイメージしているのである。
色からイメージしているのである。
色の配合でまた抽象画ができる
色というものの神秘の追及なのである。

一方で立体的なものの追及としての絵画もある
建築関係は立体の追及であり山は立体的なものとして追及の
典型的なものである。
抽象画は立体的なものがあるにしても色の追及になるだろう。
色の配合とか色を追及するとパソコンでは電気の色だからまた今までの色とは違っている
抽象画はまた無限の変容をしてゆく、形がないから無限に変化することになる
リンゴの絵だったらリンゴを変えることができないからである
抽象画にも変化させやすいものとないものがある
変化させてまた別なものになるときそれはまた一つの創作となるのだろうか?

苔というのはこれは明らかに著作権違反になるかもしれない
その原画を見せればすぐにわかくからである
やはり画家が描く抽象画は違っている、



私の実際の感覚から言うならば、抽象ばかり描いていると神経の一部が妙に疲れてきて制作意欲が減退してしまうのです。いらいらしてきますし空虚感にも悩まされるようになります

市民美術入門ー抽象絵画のすすめ
http://dantuku.blog59.fc2.com/blog-date-200607.html

抽象画をパソコンでしてみて画家が抽象画を描く気持がわかる
この人の言っていることを自分も感じたからである。
抽象画に上手下手もないのである。
それはパソコンの抽象画は機械的科学変化であるからだ。
だから自分で才能があって創作しているとも違うから何か虚しいとなる
そしてこの人の描いたものがこのページの最後にあったがこれを変えたら苔のように見えたのである。
これは原画を指摘すれば著作権違反になるのかもしれないが

もともとの絵から苔をイメージできない、変化した結果苔をイメージしたのである。
すると変化させて抽象画の意味を見いだすということもある。
変化させることに抽象画が意味がでてくる
抽象画はそれが一つの固定した作品として完結していないのである。
それが具象画との大きな相違である。
他者が素人でもかかわりやすい芸術だとなる
抽象画が何を意味しているかわからないというときそれを変容させることによって何か意味が見いだされるという不思議があるのだ
それで変わらない抽象画は優れていてもあきてしまうのである。
いつまでも同じなのだとなる。
具象画だったら変えようがないのだからそんなこと思わないのである。

変化しない抽象画は抽象画たりえない
こんなふうになるのである。
タグ:火と水と緑

ハーレーダビドソンに乗って去った大熊の人 (補償金でイワキに家を建て遊んでいる方がいい)


ハーレーダビドソンに乗って去った大熊の人


 
(補償金でイワキに家を建て遊んでいる方がいい)


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近くでイワキから来たというバイクにのっていた老人に出会った。
新車のハーレーダビドソンに乗っていた。
頭はまるっきり禿げているから相当な年だと思ったが73才であった。
網一人も70才とかだがこの人は若く見えた。
1800ccの大型バイクに乗っていた。
値段はわからないがインターネットでは百万以上であり大きなのは二〇〇万くらいだから車なみだろう。

その人はイワキに家を建てた、もう大熊には帰らない、飲み屋に行っている人もいるが
気を使っているとか言っていた。
そこには原発事故で被害を受けた苦しみは微塵も見られなかった。
ハレーダビドソンにのり老後を楽しんでいる
その人には老人でも何ら原発事故が悪く影響したようには見えなかった。
何か快活であり遊んで暮らしているらしい
家も建てたから別に帰らなくてもいいしあとは遊ぶだけだとなっているのかもしれない
ただこれは原発避難者だけではない、団塊の世代などか退職してバイクに乗っている人は良くみかける
若い人は高いから買えないけど老人は買えるからである。

何かそうした暇になった退職者などが遊んでいるのが良くみかけるようになった
青森の弘南鉄道でしきりに温泉の温度を聞いている退職して旅している人がいた
温泉が熱いとかどうかなど普通は気にしないだろう
なんらか温泉を回っているマニアなのかもしれない
暇で金があるとそんな人が増えてくる
高速バスで全国を旅している人にも出会った
その人も退職した人だった
まず退職した人とか団塊の世代などはバイクにも乗っていたし遊び上手なことがある
それで暇になり金があるからハーレーダビドソンなどを買ってのるということは聞いた

ただここでは大熊の人ということでそれだけの金があるからなとこの辺では思う
小高の人ももらっているが大熊、双葉となるとその何倍ももらうし事業やっていたとも言うから億の金は軽くもらっている。
そうすれば家も建てられるバイクでも高いものが買えるし車でもそうである
飲み屋でも金を使える、それは本当だったとなる
結局原発事故で補償金もらっているような人たちは勝ち組なんだよなと
外部で言うとき否定はできないのである。
つまり原発事故で故郷奪われたなんだとか言ってもそれで億の金が入りかえって得して良かったという人もいる
人によっては違うにしろほとんどがそうかもしれない
大熊と双葉になるとそうかもしれない
農家の人は生きがいとして代替え地を欲しいと言っていたが農家の人ももともと少ないからそれを基準にはできないのである。
ほとんど会社員とか事業しているとか仕事は農家ではない

この辺でも大熊の人が家を建てたということを聞いている。
それだけの金がある
小高の人も金が入っているが家とか土地の金は入らないから補償金を来年で打ち切られるとどうなるのか内情はわからない
でも小高はもう帰ることを強制される、外に家を建てた人は別である

ともかく原発事故で大熊や双葉の人は悪いとは言えない面があった
これからも長く補償金が入る
土地をもっている人は放射性物質の廃棄場になっても土地代だけで遊んで暮らせるだろうだから故郷に帰りたい帰りたいということが報道されていてもそれがすべてではない
あのように遊んで暮らしているのを見たらそう思う
それで原発をとめないでつづけろとか大熊の町長が言っているのはそうすれば別に町外に住んでいても補償金とか入るから町も維持できるし公務員としてありつづけられる
ただ土地がないのに他の市町で大熊町とか双葉町とか浪江町としてあり得るかとなるど問題がある
でも避難した先ですでに公営の復興住宅に入っている人もいるのだから
復興することばむずかしい、すでにそういう事実がありますます消滅の方向に向かっているように見える

今の世の中金があれば楽に暮らせる
そうしたら小高でも帰るより補償金で家を外に建てたり苦労するのは嫌だとなる
小高に帰っても金をもっていてもいい暮らしはできないからである。
イワキに住んで金があれば病院でも買い物でも恵まれているからいいとなってしまうのが現代なのである。
双葉の人が南相馬市立病院に入院していたことがあった
病院では浪江や双葉は不便なのである。

結局避難区域になった所は町ごと消滅する方に向かっているのかもしれない
故郷に執着する人は現代では少ない
老人は帰りたいと言ってもあのように60代でも七〇代でももう遊んでいた方がいいとなってしまう。
年になれば苦労する不便な所はかえって嫌だとなってしまうのである。

今回の地震や津波や原発事故では津波の被害者は福島県でも家も土地もなくなったとなり同情すべきな人たちだった
一方で原発事故の被害者はそうでもなかった
かえってこのように楽している人が多いというのも現実である。
南相馬市では小高の人、原町区の人、鹿島区の人、津波の被害にあった人、漁業組合の人・・・これらの人がまじりあって複雑になっている。
そこに市町村も心ではバラバラになってしまったのである。

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夏になり様々な花が咲き買った


夏になり様々な花が咲き買った

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八重桜影なす下に小花かな
釣人や夕べ水面に写る藤
蛙鳴き夕日さし暮る五本松
夏燕ハーレーダビドソンに去りにけり

しのぶれど薄紫のその薔薇の我がたもとに咲きて夕ぐる
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐり
我が庭の七輪の牡丹風に散り残る一輪見つつ暮れにき


昨日の夕方に溜池で釣りしている人がいた。藤の花が水面に写っていた。
釣りしている人はなにか自然と調和している感じになる
でもあの人は違っていた
パチンコならもうかるけど釣りはもうからないとか下品なことを次々に言っていた。
あういう下品なのが田舎でも多い
そもそも自然に親しむといってもそれは農家だったら生業としているのであり
自然に親しむという感覚はないだろう
農家だったら自ずと自然と生きなければ生きられないから違っている
釣りといってもそれは遊びであるから釣った魚を離している
あの人は別にそれほど釣りが好きではない、暇だからしている
パチンコなどの方が好きなのだろう。

桜は散り八重桜の季節になった。それから藤の花も咲いた。
今年は夏が早い、老人のライダーは一時休み去った。
あれも気持いいとなる
ところどころ植田がふえた。でも一割くらいしかまだない
それでも田が増えると元にもどるような気がする
田んぼに水か張られると蛙も鳴いていた

庭の牡丹は昨日の風で散った。一輪だけ残っていた
この季節何かめまぐるしく変わる
花もいろいろ咲いて買った
「しのぶれど」という薄紫の薔薇は名前のつけ方かいい
百人一首からとったのだが名前でさらに活きる
センスのある人が名前をつけた
もちろん百人一首を知らないとつけられない
ただ薔薇の名前にしてもそれが公認されて一般化するとなると
それにふさわしくないと定着しないと思う
「イヌフグリ」という名前は嫌なのである。
でもそれを変えられないし定着しているのはなぜだろうともなる
その名前がついたのはなぜだろうとなる

イヌノフグリの花はとても小さいので、たぶん実のほうがずっと印象が強かったのでしょう。その形から名前が付いたとしても理解できます。
http://homepage2.nifty.com/tnt-lab/s/nat/inufuguri/inufuguri.htm

これもインターネットに解答があった。
実の方が目立つのでそこからとった名前である。
確かに花は小さいから実の方が目立った
でもみんな花に注目しているからこの名前はいいものではなかった
でも一旦定着すると変えられないのである
薔薇の名前は「しのぶれど」とか文学的にでもつけやすいのだろう。
でもこれは文学的な粉飾には感じない、薄紫といえこの花にあっているのである。
街中にあっているのはチューリップである。
チューリップは何か都会的だともなる
野に咲く花とは違っている感じになる、薔薇もそうである。
何か都会的なのである。野生の薔薇の花とかチューリップなどは見ないからである。

ハーレーダビッドソンに乗った大熊の人は去った、夏燕の季節になる
自分は以前として介護から家事から買い物から時間に追われる生活なのである。
家のことをきりもりすることは一仕事だった
金の管理から掃除から次から次と仕事がある
ご飯をたくのとおかゆを作るのは機械だから楽である。
でも一日三食を用意するのが手間なのである。
だから生活にずっと余裕がないのである
プログに書くのも四時間くらいの時間はかかる
書く前に想をねることから時間がかかっている
前は時間がありすぎたけど今は時間に追われる
要するにどんなに暇なものでもいつか本当に時間がなくなるのが人間である。
そしてやれることは極わずかだったとなる
ニートとか何か今は暇な人が働かない人が多くなった
それも必ず後悔する、まず後悔しない人は人生ではいない

なぜなら時間はどんなに暇であっても死ぬほど暇と思ってもそれは一瞬のことである。
たちまち青春は過ぎて時間はなくなる
なにしてもなにしなくても時間は切れるということである。
だから暇で暇でしょうがなかったのがこれほど時間に追われるとは思わなかった
暇であると思う時間はいかに貴重だったとかなる
その時間を無駄にしているのが人間なのである。
ニートとかあとですごく後悔するようになるしひどい目にあうことになる
社会的に訓練していないと最後に困るのも人生だった
この七年間の苦しみはそのためにそうなったのである。

ただいづれにしろ最後には人生の総決算がくる
これはもうさけることができない、その人の一生否応なく現れる
もう隠すことはできない、内面的にも現れる
その顔にも現れ体にも現れる
不摂生していたらどんな丈夫な人でも病気になる
だから老年というのは怖いことなのである。
どんな人生を送ったか何でもあれ結果として現れるて隠すことができなくなるからだ。
地位ある人でも金があってもそれでその人生でしたことを隠すことはできない
その不徳な人生も顔にでも結果として現れて隠すことができなくなる
真善美でも何か見えなくなっている
つまり時間の浪費とそうした不徳な人生を悔いることが最大の恐怖である
なぜならもはやとりかえすことができないからである。
自分もそんなことを考えなかった。
今になってもはや死が近いとき感じたのである。
タグ:夏の花

2015年05月06日

体育系でないと勤まらない看護師 (病人や介護する人に気力が奪われる仕事)


体育系でないと勤まらない看護師

(病人や介護する人に気力が奪われる仕事)


●医者や看護師への要求が大きすぎるのも問題

看護学校ってなんで体育会系なんですか?女ばっかりなのに。
前から不思議です。
看護学生の行う朝、昼、晩の挨拶は軍隊式だし
教育というよりは調教、制裁的指導といった雰囲気。

じゃあ看護師が
患者が血だらけになり血圧がみるみる下がった時
『無理〜!』と逃げたら?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450816769

身体拭きのケアは体力勝負
1日に4〜5人もざらだし、
お風呂介助なんかしちゃったら
もう午前中で1日の体力を
使い果たしてヘトヘトになります。


看護師が主に看護婦が白衣の天使などというが実際は医者も看護師でも介護士でもハードな仕事である。
精神的に疲れる仕事なのである。看護師になると精神面から肉体面でもハードである。
看護師は病院を走り回ることがある。それはやはり緊急性がある仕事だからである。
患者の容体が急変したりするからである。
つまりなかなか気がぬけない仕事なのである。
だから看護師は体力も必要なのである。心身共に過重な負担がかかる仕事なのである。
自分の身内か看護婦だった。自分と違って体育系でありものすごく気が強かった。
体力もあったし頭の回転も早かった。男勝りであり力も持ちでもあった。
だから戦争で従軍看護婦としてシンガポールで四年間過ごした。
そこでは戦争で傷つく人を看護するのだから並大抵のことではできない
本人も腸チフスにかかったとか戦争が終わったときジャングルに逃れ食うや食わずのどん底を経験している。
そういう時を生き抜くにはとてもヤハの精神と体では生き残れないのである。
はっきりいって自分は体力もないしそういう強さがないから生き残れない

ただ看護師のことをいろいろ言うのはわかる。看護師に文句言うのもわかる
看護師にいい印象をもっている人は少ないのである。
患者側からすればそうなる、看護師に対してどうしても要求が過多なる。
なぜもっとやさしく接してくれないのかとかもっと気を使ってくれとか要求が患者側から常にあっても看護師は答えられないのである。
自分も入院してひどいめにあった。
ものすごい剣幕でしかりつけられたのである。
病人に対してあれほどまでに強く言う神経がわからない。
痴呆老人でもないしたかだか二週間程度の入院にすぎない手をやく患者でもない
でも患者に対してものすごく厳しい態度だったのである。
それ以来看護師が恐ろしくなった。
患者は弱者だから何も言えないのである。
医者や看護師や介護でも介護士に対してめんどうみられる方は弱者になる。
入院したときそこばまるで刑務所になるのである。

●医者や看護師は容易に人も殺せる仕事

病院に通ってみてもらうのとは違う、閉ざされた空間で絶対的優位な立場として医者や看護師に見張られるとなる。
実際に一カ月間病院から出れなくなっていた。
患者の言い分など聞かれない、一方的弱者の立場になっていた。
だから入院すると簡単にそこでは医者や看護師の言いなりにされ殺されることありうる
しかしそれはわからないとういことも恐怖だった。
医療ミスなど日常茶飯時に起きているけどそのミスは問われない
それも病院が入院で手術するとかなる怖い場所だと思った。
現実にブラジルで医者が三〇〇人殺したとか外でもドイツでも何百人殺したとかあった。そういうことが容易にできる場所なのてある。
そうしても気づきにくいのである。

シップマンは、1975年から98年にかけて250人をモルヒネで殺したとされるが、2002年に警察が
「シップマンによって、少なくとも215人以上の患者が殺された」
と発表する。
ハロルド・シップマン (イギリス)【1946〜2004】
http://syouji.blog.jp/archives/1006921136.html

医者でも看護師でも患者に対して強者になっていることが問題の根にある。
「お前らは逆らえないだからだまっていな、死んでも何もいえないんだよ」となる怖さがある。
患者は弱者とてなり頼る以外ないものとなるからそうなる。
人間は弱者となったとき人間の悪しき面が露骨に現れることがある
自分はこの七年間その人間の悪質性に実際に身をもって苦しめられてきた。
それまではそういうことをされていないから人間はみんないい人だと思っていた
人間は本当に犯罪にあってひどい目にあったりしないと何でも他人事なのである。
他人事になると殺人事件があろうが災害で近くで死んでもそうなのである。
この辺ですぐ近くで津波で死んだ人がたくさんいても自分自身が被害にあっていないと
必ずしも同情するとは限らないのである。
それは何も普通の場合でも人が苦しんでいることはしょせん他人事であり無関心なのである。
そして他人が苦しんでいてもかかわりたくないのである。
なるべく病人とか弱った老人とか障害者とかにはかかわりたくないのが本音なのである。それはなぜなのか?
それはそういう人たちにかかわると自分自身も心身がそこなわれるからである。
身内の人に精神的障害者がいると必ず自分自身も精神を病むようになる。
自分も鬱病になっていた。だからそしいう人たちとかかわりたくないのが本音なのである

●人間が誰かを思うことのエネルギー量は大きい

ところが医者や看護師や介護士はそういう人たちと日常的にかかわることが仕事だから何か病んでくるのだと思う。
家族だったら何年かとか今では介護でも十年とか普通にあるからそれでか家族で苦しむ
でもいつか終わりがくるが仕事にしている人はやめない限りいつまでもそうした弱者とつきあわねばならない、そういう病人とか介護するような老人とか精神障害者と接することは健康な気が奪われるということがある。
自分も認知症の介護してそうなった。何か陰気なものとなり元気が奪われてゆく
いつまで寝たきりの人を介護しているからそこで元気が奪われてしまう
その影響は思った以上大きいのである。
どこの家でもそういう病人であれ介護する人であれ精神障害者をかかえていると何か正常ではなく気が奪われ家が陰気なものとなってゆく
だからそういう家には他の人も近づかなくなるのである。
それを冷たいとなかなか責められないのである。
自分自身だとそう思ったからである。

医者とか看護師とか介護士とかの職業は他のものと根本的に違うのはそうした弱者を相手に肉体的だけではない精神的な面で気を使うから異常に疲れる仕事なのである。
なにしろそうした弱者に気を使うだけで相当な労力なのである。
四六時中その人は家にいるということはさらに気力を奪われる
医者でも看護師でも介護士でも家に帰れば正常な世界で過ごせるというのではないからだ気が奪われるというとき、それが実際は相当に深刻なのである。
誰かに気を使うということは相当なエネルギーを必要としているからだ。
例えば一人の人間が気が使えるのは限られている、何十人もの人に気を使い気を配ることはできない、せいぜい十人くらいが限度だろう。
ためしにあなたが思っている人をどれくらいいるのか?
せいぜい常に思っている人は家族とかあとは数人にしかありえない
ただコンビニとかで物を売ったり機械的に接するのとは違って相手を気づかうということは違う。
それは気力が一方的に奪われることになるのだ。
現実に家に病人がいてヘルパーなどがきてその病人がいて気を使うことだけで単に掃除とか何か家の仕事するより疲れるのである。
だから常にそうした病人や介護する老人と接するのは心身ともに疲れるから体育系のタフな人でないとできないとなる。
優しさが要求されてもそれだけではできないのである。

つまり人が人を思うというときそれは数人が限度であることでもわかる。
人を思うこと何かしら思うことは相当なエネルギーなのである。
だからカルト宗教団体などでは数が多いからそこでは上の人はそんな一人一人を思わないただ一票とし数えるだけである。一人一人を思っていたら身がもたないからである。
政治でも数だからそうである。
そして人間の思いがそれだけのエネルギーが必要とするときある人への思えばそれだけで思いの力が働いてその人を左右できる、いい方面にも悪い方面にもできるというのは本当だろう。それだけ思いのエネルギーが労力を要するからそうなる
だからこそ家にそうした病人とか介護する老人とか精神障害者がいると消耗の度合いが大きいのである。健康な気力が奪われてしまうのである。
どうしても子供や若い人から発する気を受けると元気になる、老人に接すると普通は気が奪われるのである。
自然も何らかの気を出している。花でも色がいろいろであり赤は赤の気を青は青の気を出している。緑は緑の気を出している。
自然が出る気は何でも健康的なのである。だからエネルギーを自然からもらい元気になる山に接すれば山の気をもらい元気になる。岩に発する気があり元気になる。
動物は病気になるが死ぬが自然自体は常に健康体なのである。
天国に病人もいないし年をとらないし若い人しかいないというのもそうだろう。
そこにすべてが気力が充実する世界だからである。


2015年05月07日

なぜ人は老化するとぼけるのか? (認知症の原因は社会での家族での役割喪失?)


なぜ人は老化するとぼけるのか?


(認知症の原因は社会での家族での役割喪失?)


●認知症の症状は千差万別

人間はなぜボケるのか、認知症になるのかというとそれは老化してゆくと誰でもなるもので病気とは認識していなかった。
しかしボケは明らかな病気であり老化とは違っていた。
それは混同しやすいものだったのである。

認知症の一番特徴的なことは海馬の機能が失い直前のことを全く忘れることである。
それで何かなくすことがある、サイフを置いたことを忘れる
するとパニックになり一番身近にいる人に疑う、「お前盗ったんだろう」と激怒して暴力になることもある。
それは実際狂気の現象だから怖いのである。相手が激情的で気が強いと余計に怖いのである。そういう恐怖を嫌というほど自分は受けてきた。
考えてみるとなぜサイフを隠したりいろんなものを変な場所に隠すのかというのも認知症の不思議だった。
サイフは誰かに盗られないように隠すのは普通の人でもするからわかる。
その隠した場所がわからなくなりあとでパニックになる。
それは普通の人にも起こるから推察できる。ただくだらないものを隠す心理はわかりにくい。
たいがい九〇以上になると半分は認知症になる。もう百歳になったらほとんどの人が認知症になっている

ただ不思議なのは自分の母はものすごく金にこだわる人だった。
駄菓子屋で店で働いていたので一円にこだわる人だったのである。
だからボケるまでは金にこだわる人だった
全く金のことがわかなくなった。大金を実際に盗られても笑っていた不思議である。
金のことがわからなくなっていたのである。
これも不思議なの現象である。一方で姉の方は銀行に自分の金をおろすことができなくなっていたが自分の金を盗ったとか金にこだわっていたのである。
ただ自分に金があってもその金をおろすことも何することもできなくなっていたのである金が大事であるということはわかっていたから金にこだわっていた。
一方は金に無頓着になってしまった。これは性格的なものがあったのだろう。
認知症はその人の性格は出やすいのである。
母はもともとおとなしい性格であったから認知症になっても穏やかなかもしれない。
症状としては入れ歯をよく忘れるがパニックにはならない
これはやはり認知症の典型的な症状なのである。
ただそこでパニックになるかはどうかは性格的なものであったのだろう。
だから認知症はその人の症状が違ってくるのである。

●社会的家族での役割喪失が原因

「集団に寄与できなくなると命を終わる」ということの二つです
「自分の健康」より「社会に貢献する」ことに重点を置く「健康法」を編み出すのが良いと思います。
(平成27年4月29日)武田邦彦 (中部大学)

この話は興味深かった。なぜボケるのかとか認知症になるのかということを前に追及してきた。
認知症の原因は何なのか?それは実際は謎である。
ただ記憶の機能が失って症状がでることは確かである。
それは直前のことを忘れるということで海馬の機能が失うためだとなる。
そこから脳全体に波及して痴呆症になる
でも知的障害者と違うのは何かなお人間としてありつづける
またはありつづけようとしていることである。
だから馬鹿にされると異常に怒る
馬鹿にされることがわかるのである。
母親であり父親であり姉であり年上であり会社に勤めていたら部長であり社長であることにこだわるようになる
それでボケても母は母であり親は親であり部長は部長であり社長は社長である。
それで施設で介護士が部下の役割をして機嫌をとっているとボケた人も気分が良くなり症状が落ち着くというのもそのためでてある。
そして認知症の人は時々正気になるという不思議がある。
特に死ぬ前に正気になるというのは本当だった。
姉も死ぬ前に正気になりその後全く無意識となりわからなくなり死んだのである。
これも認知症の不思議な症状だったのである。

なぜ自分の姉が認知症になったのか?
あれほど優秀な人間がなったのか?、それは他でもそういうことがある
優秀な人でも認知症になる。
でも姉は看護婦であり役場で保健婦をしていて最後は事務の方に回った。
そして60前で早めに退職してしまった
その後家でも家事をする人がいたから何もしなくなったのである。
趣味をしていたけどそれはたいしたものではなく姉にはあっていなかった。
ただ付き合いでしていたのである。
その時どういうことが起きていたのか自分にはわからなかった。
家族での役割がなくなっていた
社会で役割がなくなっていた

この二つが同時に起こっていた。そしていつしか社会からも忘れられた存在になっていた趣味でもそれが本物の趣味なら違う。写真などでも今はプロ並の人がいるしそれは相当に訓練を積んでいる、俳句なんかも退職してからはじめられるが早めにしていないとうまくならないだろう。
つまり普通の人は天才でない人は何でも積み重ねなのである。
積み重ねたものが何でも老人になって実るのである。
別にそれは才能でも何でもない、積み重ねなのである。
四季の感覚を磨くというときそれは俳句に不可欠であり年々感じるものがあって日本の季節感を会得するのである。
だから退職してから始めて実るものは趣味でも何でも普通はないのである。
積み重ねたものだからその積み重ねを退職してから一からははじめられいなのである。

結局武田氏が言うように動物ははぐれ猿が集団の役割がなくなり早死にするとかも動物でさえ集団の社会の役割が喪失するとき早死にするというのは社会的種的本能に生きるものだからそうなる。
ただ人間の役割は社会的に有用だというとき、社会的有用というのは何なのかわからない、会社に勤めていれば有用かといえばそれだけで有用ともならない
社会からはみだしたはぐれ猿ならぬ人間でも有用なことはありえるし人間の価値はあまりにも多様だから決められないのである。
例えば戦争のとき一番有用なのは一番非情な残酷な人間が価値あるともなる。
むしろ現実社会で有用で価値あるとされるものが有用で価値あるとは限らないのである。かえって官僚であれ政治かであれ企業であれ社会に様々な害悪をもたらすものともなる。原発などはその例である。社会で有用である人たちが害悪を作りだしたのである。
それで荘子の「無用の用」という思想も生まれたのである。

●認知症は役割がなくなった人、無役となった人?

人間が用がなくなるというとき、社会的に用がなくなるということではない
ただ一般的になんらか社会に用がある、機能しているときボケの予防になるということは言える。
workというとき作品という意味があり作品をしあげること、もう一つは機能する何か機械でも働く作用する、社会でも機能しているというとき人間もボケないとなる。
会社を退職するとそうした社会的機能役割が喪失するworkingしないことがボケに通じることは一般的に言える。
社会的無用化するとき社会的死でありそれは社会から消えてしまうのである。
社会で無用化しても家族で役割があれば別である。
でも嫁に「おばあちゃんはなにもしなくてもいいんですよ、テレビでも見ていてください」とか言われる人はぼけるというのは家族での役割がなくなるからである。
一見いいように見えてそうではなかった。
料理でも家事でもしていれば家族でworkingししているからボケにくいとなる
自分の姉は社会で有能であっても社会で役割がなくなり家族で役割がなくなっていたのである。
そして認知症になり迷惑をかけて死んだのである。
そして最後まで死ぬまで「自分は優秀だった」と言って死んだ。
実際に退職する前は優秀だったが退職してからは社会でも無用となり家族でも役割がなくなっていたのである。
こういうことがホケに通うじている。

不思議なのは例えは家族で介護している人とか知的障害者をかかえて何らか世話している人はボケないという
それはなぜか?心身ともその世話に費やされるからそのために心身がworkingするからボケないというのも皮肉である。
だから退職して何もしたくない、ゲートボールだとかカラオケだとかしている人か趣味でもプロの粋に達していないようなものは危険である。
それは若いときからの積み重ねがないとできないのである。
ともかく役割がないということは社会的死であり社会から生きながら消失することなのである。
だから奇妙なのは悪い政治家でも現役をつづけている人はボケないというのも社会的役割が以前としてもっているから機能してworkingしているからだともなる
悪役という役を演じつづけているからだという奇妙なことになる
ボケという観点から見ればそうなるのも奇妙なのである。

何の役もなくなる人が最悪のボケ、認知症になるというのも不思議なのである。
これは認知症という観点から人生を見た場合そうなるということである。
最後に認知症になることはいくらそれまで社会的に有能でも馬鹿になったということだからその功績すら無になるということがあるから怖いのである。
最後まで正気で生きていたらその人は普通の人でも認知症になった人より優秀だったとなってしまうのである。
そういう人を見ているからこの人は優秀ではなかったけど最後まで正気だったから偉かったなと見たからである。
優秀だと優秀でないとかこうして最後まで見ないとわからないのである。
ある人は優秀出されたが事業をして失敗したから最後は優秀だとは言えなかったとなる。人間は最後までみないとつくづく評価できないしわからないとなる。






タグ:認知症

2015年05月08日

青森県の地名の謎 (ツガルとはツノガノアラシトか?)


青森県の地名の謎

 
(ツガルとはツノガノアラシトか?)

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新幹線で行くと地名でも極限られたものしか頭に残らない、二戸(にのへ)というのが何か心に残った。八戸の前に二戸があった。
一戸二戸三戸・・・・・九戸がある。
これは必ずしも青森の最先端へ行く順序ではない、ただ何か順番がありそれに意味がある古代からのものなのか蝦夷征服の柵を意味しているのか不明である。
ただヘとつくのは日本語である。へは辺でありヘリとかへるのへなのである。
へっぴりごしとか言うのもそうである。屁(へ)もそうである。あまり感じのいい言葉ではない

「山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹(わぎも)」〈万・三七六四〉

へなるはへだたるである。

辺野古や野辺路もへがついている。場所でも辺野古は山原のジャングルをぬけた所にある町であり沖縄でも縁(へり)の場所である。その先は山原でありジャングルである。
野辺路も何か冬に行って沖に一艘の貨物船を見た。江戸時代は港として栄えていたか今は雪に埋もれてさびれていた。
青森は蝦夷との関係で地名もアイヌ語由来が多いとか言われる。ナイとかベツは川の意味でありそういう地名が多いというがそれも明確ではない、地名からそうした歴史を解きあかすことは危険なのである。地名はとにかく自分でもそうだが勝手に解釈しやすいからである。
むしろ大和言葉の古語が青森県と沖縄に化石のように残っていることの不思議である。
古いものがかえって辺境に保存されるということがある。
青森は海から森が望まれたから名づけられたというとき海からの視点で名付けられていた。
それは航海の民が名付けたとなる。青森というのはわからないにしても海からの視点で港として全体がある。
青森県の地理的特異性は周りを日本海であり津軽海峡であり下北は太平洋に接しいてる。
県全体が海に接しているからめずらしい県だと思った。
東北では青森だけが日本海と太平洋に接しているから特別なのである。
そこで日本海貿易があり北海道の繫ぎの場所であり太平洋にも接しいるから貿易で栄えるという地理的特性が古代からも縄文時代からもあった所なのである。


津軽鉄道の深野田という駅の名もフコウダと言っていたから南相馬市の原町区の深野もフコウノであり同じ地名の名付け方なのである。大阪にその元がありそこから地名が伝播した。それが青森の津軽に伝播しているのもなんらか共通の文化をもった人たちが移動したからそうした名付け方をしている。

蝦夷の種類を説いて云はく、類に三種あり近きを熟蝦夷ニギエゾ、次を麁蝦夷アラエゾ、遠きを都加留ツガルと


ツガルとは何なのか?これはツノガノアラシトがなまったものではないか?ツガルはツノガである。これを言うのは津波で神社のことが話題になったけど津波に関する神社はほとんどない、津神社となっていたのはツノ神社でありその元をたどればツノガノアラシトなのである。渡来人の製鉄の神なのである。
蝦夷とは何かとなると未だに不明である。それはただ大和王権に逆らって者達のことでありそれ以上のことがわからないのである。
一般的に言われるのは物部氏が仏教移入派に敗れて東北の方に逃れてきて渡来人と一体となり抵抗したという説である。物部氏と渡来人と蝦夷が一体化したのが大和王権に逆らったのである。
その中にツノガノアラシトの一団がいた。逃れてきたかや国の一団もいた。
それは日本の国造りの初期に産鉄族として技術者集団として日本の国造りにかかわった。
そこにはすでに渡来人が日本に根づいて生活して日本人化して日本原住民の蝦夷と一体化していた。そのツノガノアラシトの一団がこの最果てのツガルのに逃れてきて住んだのである。真野の草原(かやはら)の万葉の歌も真野の伽耶(かや)であり伽耶国の人が住んだからそうなった。
それが後に隠されて不明になったのである。
秋田にしろ物部一族の痕跡の強い場所であり物部と渡来人が古代には一体化していたのである。

敦賀郡津守郷

外からの渡来人や文化に関しては、ツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等、またの名は于斯岐阿利叱智干岐)の渡来説話がある。かれは、意富加羅国の王子で、初め穴門(長門国西南部)に至り、そこから北つ海から廻って出雲国を経て、角鹿(敦賀)に着いたという

 
ここの津軽はツガルは日本海回りでツノガノアラシトの一団が来ていたのである。
敦賀からはここは近いからこれは間違いないだろう。
ツガルというとき何か違和感を覚える、一体何を意味しているのだろとうなる。
ツガルはツノガノアラシトのツノガがツルガになったである
実際に敦賀(ツルガ)がツノガに由来しているのだから有力な証拠になるのである。
十三湖は日本海や対岸のツングース族とか住んでいて北の広範囲な貿易拠点だった。
越(こし)も古志神社とかありコシとつくのは中国から移動してきた国の名とかあり
日本海側は渤海でもそうだが入りやすい場所である。
今でも北朝鮮から船で脱出して流れ着いたりしているからである。
それだけ近い距離にあるためである。
最初は日本海から安倍氏などが船で来ていたのだから今は辺境でもツガルの方が古代では開けていたということもある。
そこは蝦夷はまだ大和王権にとっては物部氏などがいたとしたらまだ通じるものがあったツガルは大和王権も通じない北方系の渡来人達が住んでいたのだろう。
蝦夷といってもツガルが別個にありそれは蝦夷であっても独立国のようになっていた。
それは早くから貿易が行われていたからだろう。


三内丸山遺跡からは「交易品」の、ヒスイ製の玉類、黒曜石製の矢じり、コハク原石、アスファルトが付着した矢じり、イモガイをまねた土製品などが発見されています。これらの貴石や貴重品はそれぞれの地域の特産品であり、はるばる日本海を丸木舟でわたってこの地に運ばれてきたものです。
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/daieryAA/daiery/encarta/harukanarutabi/sannai/sannai.html

渤海の使節を乗せた船は、ロシアの沿海地方を出発し、冬の季節風にのって日本海を一気に横断、今の秋田県から山口県にいたる日本海側の各地の岸に着きました

太平洋は荒い海だけど日本海は早くから交易の海だった。北前船も日本海回りであった。歴史はとにかく地理の理解が不可欠なのである。
それが青森についてもわかりにくい、福島県も広いからわかりにくいのである。
地理は何回も直接にその地を踏まないとわからないのである。
弘前は一回行ったにしろその他は津軽は行っていないから津軽平野は広いと思った。
そこには日本海から十三湖に西風が吹いていた。だから太平洋から吹く東風とは反対の風だったのである。あの風が吹きつけたので津軽の荒寥さを地の果てなる地を感じたのである。

2015年05月09日

藤の花と五本松 (相馬市の道の駅から日立木の街道)


藤の花と五本松


(相馬市の道の駅から日立木の街道)


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神社の墓地の公園の藤もいい
あそこには復興団地ができたから何か都市の公園の感じになった
でもいつも人はあまりいないが増えたことは確かである。




道の駅曲がり屋風や藤の花
藤の花今日も暮れゆく五本松
五本松変わらぬものや藤に松
街道の松影なして藤の花
釣人の今日もありしや藤写る

街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐり
公園に昼間人なく藤の花白つつじにそ映えて垂れしも
影なしてこの細道に藤の花風にそよゆれ夕ぐるるかも



今年は夏が早い、ここのところ一週間は夏だった。夏になると家にいたくない。
だから毎日相馬市の道の駅まで自転車で行っていた。
あそこまでは自転車でも行きやすい散歩コースになる。
そこから相馬市になると遠くなる。相馬市までは15キロはある。
自転車だと5キロが遠くなる。
ここから5キロで温泉があると表示がでていても往復10キロになるから遠いと思い行かなかった。
結局自転車は疲れるからそうなるのである。

草臥れて宿かる頃や藤の花 (芭蕉)

これが江戸時代の歩くときの感覚である。自転車だと違っているがやはりそうした人間の体感としての感覚が残る。車ではそうした体で感じる実感が消失する。
特にこの辺はとにかく除染とかトラックが多くなった。
沖縄のナンバーは見ていないが最近大分とか宮崎を見ている。
富士山というナンバーはめずらしいと思った。静岡県だった。
毎日高い所で富士山を見ているというからうらやましいと思った。
まずこの辺で欠けているのは高い山だからである。
トラックが多いと事故も起こりやすい、危険である。
絶えずトラックがどこでも通るから危険である。
だからなんか情緒にこだわるといいものではない
ただ外部からの人が多いから経済的には今はこの辺はいいのである。


花にもいろいろあり自分は高山植物も見てきたし北海道では寒いから高山植物が平地で咲いている。ハクサンチドリとかも咲いていたのには驚いた。宗谷岬であった。
檜扇菖蒲なども咲いていた。花を見るには北海道がいい。
北海道には十回も梅雨の時期に行っていたから恵まれていたなと思う。
勤め人は連休しかそういう長い休暇はとれないからである。
旅は一日二日でできるものではない、本当は道は未知であり道が別れていたら気ままに道を選びどこまでも行くのが旅だったのである。
今は道は決められているしどこに行くかも決まっているから旅はなくなった。
そういう旅をするとなると大変な労力と時間と金すらかかるのである。
ただ思い出に残るたびはそういう旅なのであり江戸時代は不便でもそういう旅をしていたのである。


花にもいろいろあってチューリップとかバラは街の花である。
毎日買い物でありこれが意外と時間をくうし一仕事なのである。
それだけ今は買うことで生活しているからである。
何で毎日こんなに買うものがあるんだとなる
だから金もかかるから今は金にも追われている
三食用意するだけでも介護もしているから時間に追われるのである。

相馬市の道の駅への道の五本松はいい、五本が残っていることがめずらしい。
なぜあそこがいいのかとなるとやはり単に人も住んでいないところにあるのとは違う、日立木とかの街道沿いの村があり松並木があり田んぼが広がり城に通じている。
そうした実際は自然のままではない日本人の営みとして作られた光景だからである。
鹿島から川子の五本松もあったがあそこはそうした風景がないし松も残っていないのである。
この辺で特に感じたのは津波とか原発事故で変わり過ぎたのである。
だから変わらないものがいいとつくづく思うようになった。
若いときは変化を求めるが老人になると変化しない方がいいのである。
だから亜五本松を見ると心落ち着くのである。
あそこに行く途中に溜池で今は釣りしている人がいるのもいい
水辺に藤は写っている。
日本の景色は田んぼとか街道の松とかで自然そのものではない作られた風景であり
それが日本人の原風景となっていた。
だからソーラーパネルとか多くなったが風車などでも景観を乱すから嫌なのである。
東京などは学生時代に住んで嫌になった。
その後も自分は性格的に都会向きではない、人間関係は都会的なものを意外と求めているが環境は田舎の方がいいのである。
ただ都会も必要でありそのバランスがかたよると住みにくくなるのだ。





 
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2015年05月10日

藤の花の章(白藤の詩)


藤の花の章(白藤の詩)

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白藤の花

白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
触るるもこばむ
風にかそかにゆれ
あるとしもなく
そこにありぬ
猫の性にも似にしや
わずらわしきことに
かかわることをこばむ
夕日のさして
幽かに冷たく月や光りぬ
白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
誰か待ちしや
騒がざるべし
我が家に置きて
都忘れの花をそわせぬ

幽玄の美というと白藤なのか?柳などもなにか似ている。
人間には性格がある。自分は母親と似ている。
自分の母親は今は毎日寝ているけどカーテンをしめきって外を見ることもない、
庭には花が咲いているしそんな暗い所にいるのは普通嫌である。
でもそういうところに一日誰とも話さずいる
話すこともできないのだけど普通のとき前からそうだったのである。百歳になったからというのではなく前からそういう性格だったのである。
人づきあいが苦手な性格である。
自分も何か人と会ったり話するだけでひどく疲れるのである。
一日一人切りでいた方が心が落ち着くのである。
自分も修道院のような所が向いていた。
ただそこも集団生活だから実際は向いていないとなる

花にはいろいろある。花はずいぶん見てきた。たまたま白藤の鉢を家に飾り都忘れの花を置いたらふさわしいと思った。
生け花でもフラワーアレンジメントでも花を適当に合わせるとできる。
要するにたいがい花と花はそれぞれの個性がありただ一緒に活けただけで調和するのである。
だから意外とフラワーアレンジメントは簡単だとなと思った。
生け花は作法とか型があるがフラワーアレンジメントにはないからである。
桜の次には藤とか菖蒲とか季節とともに移りゆく花がある。
それは日本の文化となった花であり野生の花とも違っている。
藤の花は別に山にいくらでも咲いている。
でも文化としてその花は山に咲くのとは違う
すでに藤原京とかにもないるし藤壺とか源氏物語にもでている。
藤にはすでに万葉集時代から人間化した文化となった花である。

藤というのも不思議な花だと思う。
「藤と猫」があっていると思って検索したらその絵がでてきたのでインターネットはそうして関連あるものを引き出すのに向いている。
猫は何か藤とあっている。猫も何か神秘的なのである。
犬とはまるっきり違った性格である。
自分は明らかに猫の性格である。何か人嫌いなのである。
石の詩を百編書いたというのもそうである。
石とか猫とか藤の花は何かにかよっているのだ。
日本的な花はやはり桜とか藤とか菖蒲とか萩とか桔梗とかある。
それらは日本の歴史と風土として文化となったものである。
最近桜だけではない外国人の観光客が藤に注目していることでもわかる
日本のような藤の花は確かにあっても外国のとは違う。
菖蒲でもジャーマンアイリスとかあるがまるで違っているのだ。

京都の迎賓館に藤の間とかあるのもいい、花を部屋の名前にしているのも外国ではないかせしれない。藤の間というだけで何か落ち着くだろう。
そこで茶を飲むというのもいい、それが日本の文化である。

藤の間に茶の味しみぬ京都かな

ただ別に京都だからといってすべていいとはならない、京都はやはり大都会なのである。だから情緒もかなり失われている。外国人でも観光客がふえると何か静かな古都という感じもなくなるのである。
そういう文化的なものは地方都市が向いている。
弘前が喫茶店の街だというとそうだった。あのくらいの規模の都市が今は文化をはぐくむ4,5万では文化は育たないだろう。10万以上ないと今は文化都市にはなれない。
啄木とか賢治が育ったのは盛岡があったからである。
この辺だと仙台になるのだがあそこは自然景観としてはぱっとしないのである。
どうしても独立峰がある岩手山がある盛岡とか岩木山がある弘前が文化都市にふさわしい


 
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2015年05月11日

同じ年の人が近くで癌で死亡 (癌が増えていることの恐怖)


同じ年の人が近くで癌で死亡


(癌が増えていることの恐怖)


そもそも日本人と欧米人は体質が異なるので、同じ食事を摂っていても、日本人のほうが糖尿病になる確率が高い。糖尿病になると、インスリンというホルモンの血中濃度が高まりますが、これにはがん細胞の増殖を促す作用があり、発がんリスクが2割ほど高まることがわかっています」(前出・中川医師)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40436?page=3

二年前だったかその人と話した。前の家の人と三人で話した。その時自分が病気で入院してひどいめにあったことを言った。
その人はその時は病気ではなかった。まだ癌に気付いていなかったのだろう。
その人が今日死んだと聞いて驚いた。
癌で医者に通っていたから突然ではなかった。医者嫌いで病院に行かないということも言っていた。
癌で死ぬ人は日本人で明らかに増えている。
高齢化もありそのためにふえたというが50代60代でも相当に増えていると思う。
最近50代の近くの人が癌だと聞いた。
でもその人も普通に仕事しているかとても癌になったとは思えないのである。
ただ癌でもいろいろあるからわからない、体の場所によって悪質なものとないものがある膵臓癌とかは最悪で確実に転移して死にいたると言われている。
自分も癌の検査をしたが癌ではなかった。
でも癌になった人は患部を全部切除している。その人も60代であった。
ただこれは切除すれば直るものらしい、患部によっては悪質であり直らないのが癌である。


癌の恐怖は中学生の時体験している。父親が肺ガンで死んだからである。
それ以来自分は死の恐怖にとりつかれた。
それで宗教を探求するようになった。宗教の道に入ることは病気が原因なことが多い。
病気が深刻だからそうなる。自分が病気でなかったが死というのは最大の恐怖であった。癌はまた苦しんで死ぬのも悲惨である。
癌は患部が増殖したまま焼けないで残っている。
それが癌の恐ろしさを如実に示していた。野辺送りで埋葬していたから自分はその焼けない癌を見たのである。
その頃まだ外で薪を積んで焼いていたのだから今になると驚くがその頃はみんなそうだった。
火葬場で焼くようになったのは戦後十数年たってからだった。
それまで火葬は外で薪を積んでしていた。それは今もインドではしている。
そういうふうにして人間は焼いていたのである。
これほど無情な光景はなかった。
人間には生きるということは驚くべきことである。
その最大の恐怖と驚きが死なのである。
津波でも多くの人が死んだがこれも驚くべき光景だった。
もちろん戦争で死んだ人たちもいたから常に人間が生きていれば死に直面する
ただ一時に多数の人が死ぬということが違っていた。
その時死は日常であり死ぬの当たり前であり生きているのが不思議だとなっていた。
そういう感覚もその時代に生きてみないと実感できないのである。

いづれにしろ癌が増えているというときなぜなのか?
高齢化で増えているというだけではない、それは日本人の食生活が変わったためだというのは本当だろう。
外国人の体質は日本人と違って肉を消化する酵素が出るというのもそうである。
人間にそんな違いあるのかというとき肉食民族は肉を食うための体に作られてきたのである。
日本人が穀物を食べるから腸が長くなったのと同じである。
日本人の体質は肉食に向いていないのである。
肉を消化する酵素が出ないのだから肉を良く消化できないのである。
牛のように穀物類を腸を長くして消化するように長い年月で作られてきたからである。
だからなんでもこうして人間は風土と一体化して作られた文化的存在なのである。
原発でも日本の風土に適さないものだった。地震国であり津波もあったからである
アメリカの指導で最初作られたのでアメリカで竜巻を恐れていて地下に電源を置いたが日本ではそれは通用しなかったのも同じである。
こうした風土とか文化の相違を無視すると何でも災いが生まれてくる。
グローバル化というのはそうした風土とか文化を無視して単一化した価値観をおしつけるから危険なのである。
それはアメリカの一国支配の横暴にもよっているのである。

人間の体も地が血であるようにその土地から植物のように作られているのだろう。
その住む土地から離れて人間もないのである。
だからその風土の制約からいくら科学技術が発達しても離れられない
それは宿命的なものである。それを無視すると災いが起きる
日本人は明治維新後あらゆる面で欧米化を制限なくしてきた
食生活でもそうでありそれが今になって災いになってきた。
日本人は何でも取り入れて豚でも牛でも鶏でも食べすぎるのである
それは欧米人は肉食民族だから体が肉食に適応するようになっていた。
日本人は肉食民族ではないからそうした体になっていなかった
そして癌がふえたのはそういう日本の風土に適した古来からつづいた食生活をしなかったからである。
肉とか乳製品のチーズとかあらゆるものを食べすぎてるのである。
野菜と魚と穀物類を主体にして肉類は極力さけるものだった。
もちろん江戸時代は栄養失調で目が見えない人が一割くらいいたというから
江戸時代の食生活はいいとはならない
外国から入るのものが何でも悪いともならない
ただ日本に適したように取捨選択が必要だったのである。
日本では宦官制度を入れないとか外国文化を入れるときは取捨選択していたのである。

明治維新後はあらゆるものを取捨選択なしで入れてしまった。
結果として日本の文化が破壊されて日本人とは何かさえわからない
日本を建て直すにはやはり日本古来からつづいたものを伝統は見直すことなのである。
だからといってキリスト教が悪いとか外国の文化でも宗教でも何でも否定することではない
いいものは取り入れ悪いものは取り入れないということである。
明治維新とは復古でありもともとあった日本人の精神の復活だったのである。
でも全くあらゆる面で欧米化したものとなり日本の文化は破壊されてしまったのである。
いづれにしろ60代以降は健康が最大の問題である。
あんなにあっけなく死んだら巨万の富があっても何にもならなかったとなる
もちろんその人は金持ちでない普通の人だからそんなことはない
ただ同じ年で癌で死んだということはショックだった。
自分も病気になったからいかに60代以降は健康が大事かということである。
少なくとも自分はあと十年は元気でいたい。
そうすればなんとか仕事が作品が成就するだろう。
同じ病気の人が十年生きているから他の病気にならないなら生きているだろう。
それでも人間はいつ死ぬかは百歳になってもわからないものだと思った。
癌で死んだ人の義理の母親は今も施設で生きている
義理の子供でも今では子供の方が早く死ぬということも超高齢化社会で起きているのである。
なぜなら60代で一割の人間はすでに死んでいるからである。
そういうことが起きても不思議ではないのである。



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2015年05月12日

文目の似合う町 日常の景色にも見いだすものがある


文目の似合う町


日常の景色にも見いだすものがある


新緑や少年未来へ走るかな

隣家の庭に牡丹や真昼間の光をあびて誇らかに咲く
公園の隅に見つけぬ花一つ都忘れやここに咲くかな
今日もまた公園の藤垂れにけりその下に一人我が休むかな
街中の畑に菖蒲咲きにつつ今日も裏道通りけるかな
白菖蒲ここに咲きにつ誰か住むもの言ふことなく通りすぎにき
街角に文目の咲くやこの町のものさみしかな人行くまれに
こぞにあれ話せし人の今日死ぬと驚きにけり春は終えなむ
一本の欅の高く新緑の風にそよぎて燕飛び交ふ
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐりぬ
厚寿園に母はとまりぬ近くなれ文目の咲くやここに住むかな

田舎というとき東京からすれば十万の都市でも20万でも仙台でも田舎になってしまう。一万の町に住んでいれば4万くらいでもそれは大きいとなる。
今はここにスーパーが一軒しかないしここですべてまかなえない
医者は二軒しかないしこれも何か使えない、めんどうな病気になると使えない
ともかくこのて7年間は自分は本当にこの小さな町を行ったり来たりしているだけである介護していると三食出すことでも時間がとられる。
朝食の容易だ昼食だ夜だとなるだけで相当な時間がとられる、負担になるのだ。
例え介護度が低くてもその手間がかかる。
だから在宅と誰かかかりきりになるからその手間が負担になる
施設だったら十人を一人でみるとかなるがそれだけ手間をはぶくことができる
介護は何かいろいろと手間のかかるものなのである。
近くに施設ができたからこれは良かった。
これは遠いと何か安心かないとなる

意外と老後は近くのものが何でも大事になる。
それで原町の人が来るにも車で来ると手間だからしょっちゅうは来れないのである
「遠くの親戚より近くの他人」が今でも現実だった。
その遠くとは車社会でも隣の市でもそうなのである。
車で来ても手間になる。だからコンパクトシティというとき介護になると施設にまとめてめんどうみるとか街に集めてめんどうみるというのがいいのである。
それで仮設暮らしでわかったことはあのように長屋形式で暮らしていた方が老人にはいいという面があった。
毎日親しく顔合わせて暮らしているから老人にはいいとなる
プライバシーの問題があるにしろもうなれてかえっていいと言っていたのでわかった。
街内に住んでいても車で一軒一軒を回るのは手間になる。
ところが仮設だと歩いて回れるのである。

インフラの整備でも水道でも電気でも他でもまとまって住むと手間がはぶかれるのである田舎では田畑を作る関係で広く散在していたからやむをえないことがあった
ところが老後はみんな集まって住むと世話する方では楽だとなる
仮設に住んでいる人は互いに交流しやすいということもあった。
ただ仮設はあくまでも仮設であり生活がそこにはない
老後の生活をどうするかということのヒントが生まれたことは確かである。
相馬市では長屋風の建物で一人暮らしの老人が住んでいるのも一つの老後の暮らし方である。
老後の一人暮らしは負担になる。
自分も風呂が地震で壊れたので今は街中の福祉の湯に入っている。
一人だけだと何か金もかかるからめんどうになるのである。

中学生が走っている、新緑の季節である。少年は未来に向かって走っている
反面昨日は同じ年の人が死んだ。その人とは二年前だったか一回話しただけだった。
自分の病気のことを言っていたがその後その人が癌になったとは思えなかった。
おそらくその時は何でもなかったのだろう。
ただそうして一回話しただけでも同じ年の人が死ぬということは驚きである。
死は突然にくる、老化も突然に来る、髪でも真っ白になってしまっている。
それは突然になったように思うのである。
人間はあっというまに老いて死んでしまう。
田舎ではそうして人が死ぬことが最大関心事になる。
だから沖縄の新聞が成り立っているのは死亡記事欄があるからだという
死亡を知るのが新聞でありそれで新聞社が成り立っている
今でも香典の費用がかかって困っているというのが田舎である。

どんな田舎でも町でも市でも長年住めば都となり親しむことになる。
一万の町でも一応そこで別に町内だったら車がなくても暮らせるのである。
隣の家の庭には塀がないから牡丹が丸見えである。
その牡丹に真昼間の光さしてまぶしい
花を見るのは別に金はかからない、隣の家の花でも無料なのである。
高い塀で防御すると庭も見えない
何かそれは安心が得られない街なのである
格差が大きくなるとそうなる。
太宰の生家の斜陽館がそうだった、高い煉瓦の塀は小作からの訴訟があり
襲われるという恐怖があって作られていたのである。
公園の花でもそうである。そちこちに咲いている花もそうである
一万の町だと文目とか咲き何か落ち着く、静まりかえっているとなる

文目(あやめ)と菖蒲は違っている。
どちらもあやめだが文目は花が小さい、菖蒲は大きいのである。
自分が見たのは文目の方である。


タグ:あやめ

2015年05月13日

台風の風で藤の花散る (台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


台風の風で藤の花散る


(台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


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風荒く藤の花散るここにあれ穏やかなるはしばしの間かな

白藤のかそけく散りぬ我が家やかたえに咲くはしのぶれどかな



台風の風で藤の花は散った。今朝は地震だった。それもかなり大きかった。
体感的にはこの辺は震度4に感じた。
それが不気味だったのは3・11と同じゆれ方だったから怖かった。
他の人もそのことを言っていたから体感的には怖いものだった
震度はあくまでも目安であり隣合う市町村でも違っている。
震度より体感の方が正しかったということが3・11では言われた。
田から震度という数字だけでは地震は計れないのである。

今日は夏である。今年は夏が早いのである。
台風もすでに6個とか発生している。
やはり温暖化の影響なのか?
とにかく公園の藤の花の下に休んでいたのは二日くらいだった。
これもたちまち散ってしまった。
花は散るのが早い、一時咲いて散ってゆく
藤の花だとまだ長く咲くように思っていた。
だからこんなに早く散るのかと思った。
穏やかに藤が垂れていたのは短かった。
たちまち嵐が来て散ってしまった。

何かこの七年間はそういうことが一身上でもつづいた。
変わりやすいのである。
穏やかに藤の花が垂れて咲いているなと思ったらたちまち散ってしまった。
昨日は近くの同じ年の人が死んで驚いた。
晩年になれば同世代の人が次々に死んでゆくからその人について考えることもできなくなる
あの人はテレビに出ていたなと思ってもすぐ死んで忘れる
今有名な人もほとんど忘れられると思う。
だから50年後とかにまだ何でも作家でも名前でも作品でも忘れられないのはそれだけの価値があったとなる
死んでから50年後に今有名でもほとんど名前が残っていないからである。
マスコミで名前を売ったような人はほとんど残らないと思う。
テレビとか新聞とかすでに文化はなく大衆用の娯楽でしかないのである。
だから質も相当に落ちている。

ともかくプログはその時その時のリアルタイムの報告である。
だから俳句とか短歌は向いている。
ただ俳句は短すぎて文学として成り立たなくなっているかもしれない
その点短歌はまだ長いから表現として文学として継続される
どうしても短歌の方が出すのが多くなることでもわかる。
短歌にはそれだけ表現する余地が残されているからである。

「しのぶれど」という薔薇の花の命名は良かった。
百人一首からとった、こんな名前にするのも薔薇だからだろう。
薔薇は交配して新種の薔薇が作られ種類も多いからである。
でもこの名前つけた人はセンスがあった。
しのぶれどというとき別に恋だけには限らない
忍ぶ花ということにもなる。
花の見方はいろいろある。一つに固定はできないのである。


 

資本主義の労働倫理の頽廃


資本主義の労働倫理の頽廃


(介護から考える労働とは何なのか)


●資本主義は修道院からはじまり他者を助けるのが労働

人間を人間たらしめているのは労働だろう。労働なくして社会も成り立たない、生活もできないからである。
ただすべての労働が肯定されるものではない
別にパチンコ屋とかその他の娯楽は息抜きに否定はできないだろう。
低俗なのものでもこの世の中需要があれば否定できない
ただそうしたパチンコ屋でもギャンブルでもそれが労働とはならないだろう。
現実にこの辺で原発事故で避難民であふれ仮設に住んだ人たちが補償金ですることがなく遊び暮らすようになったとき何か起こったのか
パチンコ屋に働く人がいなくなるとかまで人手不足になったのである。
ところが他でも介護関係でもコンビニでもスーパーでもあらゆる所が人手不足になった。そんなときパチンコ屋が人手不足だなどと言っているのも異常だったのである。
別に普通の時だったらいいが働く人がいなくて困っているとき遊ぶ人が増えてその世話する人が人手不足で困っているというのは異常なことである。
その時は津波の被害もあり外からの人が懸命に瓦礫をかたずけるとか働いていたのであるそんなとき地元の人は遊んでいたから飲み屋で地元の人がもっと働けと怒ったというのも当然だとなる

労働とはもともと仕事そのもの価値のことを言っていた。
なぜなら修道院から資本主義がはじまったというとき修道士修道女が神の奉仕として働くこと自体が信仰になっていたからである。
その人たちは消費はしない、贅沢はしなかったのである。
ただ真面目に働いて他者に与える労働をしていたのである。
その労働が人助けとしての労働だったから神の意にかなうものとされていたのである。
資本主義もそういうまさに宗教からはじまったから主義なのである。
民主主義も主義でありそれはその根底に信仰のようなものがある。

資本主義はそもそも人助けのキリスト教から生まれたというとき今は全く違ったものとなってしまった。
そうした人助けの労働という観念が全く消失した。
つまり労働自体に価値を置かないのである。むしろ消費の方に価値を置いているのが現実である。
労働自体の価値より労働で得た金によって何か買う消費するということで働いている。
それが人助けだとかなんだとか関係ないのである。
コンビニであれスーパーであれ農家であれ会社であれそこで働いている人が労働自体に価値を見いだして働いている人はまれだろう。
ただ医療関係とか福祉関係は直接その個人に対しての労働だから奉仕的になり労働自体の価値を感じる、だから一番感謝される労働になっている
医者とか看護師の労働はその代わりきついけど直接今の社会で感謝されるのはまれだろう家を建てたから道路を作ったから電気を供給しているからとか感謝してくれる人はいるのか?。
現代社会は直接感謝してくれる労働はまれになっている。
ただ金をもらい消費するということが働く動機になっている。

そして資本主義の最大の矛盾が本質から全くそれてしまったのは労働倫理の喪失であった世界的マネーゲームで巨万の富を得るというのもそうである。
働かずして信じられない巨万の富を得る人がいる。
それが資本主義だと言えば否定はできない、そういうシステムで世界は動いているからだ現実に自分もそれで得した方だから矛盾している。
働かずして金を得ているというのは全く資本主義の発生した倫理が消失してしまったからである。
第一そういう人たちを見たら真面目に働くのが嫌になるだろう
若い金融関係の仕事している人が自分の給料より株でもうけている人のもうけが高いと言っていたのも矛盾である。
そういう格差が生まれているのが現代の資本主義なのである。

それは世界的にモラルの頽廃を生んでいる、それで資本主義は崩壊すると言われる
資本主義によって戦前からあった日本人のモラルも義理人情なども今はない、
ただ金だけがすべての基準になってしまったのである。
人間と人間の関係はすべて金になるとき「金の切れ目が縁の切れ目」となり自分の場合もたいして関係でなかったから切れたとなるけど他でそうなりやすいのが現代なのである。あらゆる価値を金で計算すればそうなってしまう。
いくら労働したからといって金で価値が計られるとしたら金の多少ですべての価値は決まることになる。
一千万稼ぐ人と500万稼ぐ人と300百万稼ぐ人がいてすべて収入で計られる
あの人はこういう労働していてその労働が価値あるとか見ている人はいない
金の多寡でその価値は決められているのである。
その労働自体の価値が見えにくいからそうなるということもある。

●介護も新しく生まれた仕事であり労働

労働についても探求してきたが正直自分は20代は結構アルバイトとか労働したけど流れ作業とか単純作業が嫌になりそのあとは30年間労働していていない
お前自体が遊んでいたのに労働のことが語られるのかといえばそうである。
今でも株などてしいるからお前も資本主義で得しているからそんなこと語られるのかとなる
ただこの七年間は何をしてきたのか?
このことはプログでも書いてきた。毎日親の介護であり家事である。
これは求めてしたのもではなく強いられたのである。
毎日三食出すことや家事が介護が加わると結構な労働になる。
その間に病気にもなっても誰も助けるものもいず自分一人でなんとかしてきた。
今や介護も一つの労働となっている。昔は介護という仕事はなかった。
介護は金の面でもいろいろな面で無駄だというのもわかる。
介護という労働に何の意味があるのだろうかとなる
ただ介護も病人の看病の延長として介護というのが生まれた。
もともと看護と介護は一体なものとして切り離されずあった。
介護は確かに看病の延長としても高齢化になって生まれ仕事なのである。
どうしても90才になると体力の限界になり介護状態に陥る人が多いのである。
自力で自分のことができなくなるのである。
だからその労働は人助けになる。労働自体が人助けなのである。
そういう点からする労働自体に価値があるとなる。

七年間というと結構長い、なぜならその間ほとんど息抜きもできなかったからである。
家事と介護に休みはないのである。医者が休みをとりにくいのともにている。
それは奉仕的なものとしての仕事だから命にかかわる仕事だからそうなっている
ただその見返りとして医者の地位は高いし給料もいい、感謝もされるから仕事自体としての価値は現代では一番高いように思う。
それでNHKのクローズアップ現代で献体するものが増えたというとき医者に直してもらったことがあり献体で医療に役立ててもらいたいという人が増えたのである。
それだけ医者の仕事の価値は今では一番高いからそうなる。
医者とコンビニの店員を比べれば一目瞭然である。
コンビニの店員に感謝する人など一人もいない、店員の方が客にありがとうと感謝しているだけなのである。つまりそれだけコンビニの店員の仕事自体の価値は低いのである。
その価値の低さは時給で計られ安いことでもわかる。
こういう仕事は機械化されて消失しやすい、一部スーパーのレジが機械化していることでもわかる。
コンビニの店員より介護士の方の労働自体の価値はある。やはり感謝されることでわかるただまだ介護士という職業は看護師のように認知されていないのは高齢化で新しく生まれた仕事だからそうなっているのである。

結局人間は労働してみなければ労働の価値はわからない。何でも金を払えば買えるじゃないかとなる。でも買うものには労働して売られている。
その労働の結果としての商品のことが労働してみない限りわからないのである。
もし一つの物を生産してそれを売るとなると運ぶことが必要でありまた店に並べて売るとなる。
もしその過程を一人で労働してみたらその物の価値がわかるのである。
例えば外国旅行して買ったものをもってくるとなると運ぶだけでも苦労である。
するとその運んだものには価値があるとなる
そういう労働をしてみないと物の価値もわからないのである。

自分が家事とか介護して思ったことは一日でも三食用意してくれる旅館で休んでみたいとなる。お前は自由に旅行していたではないか?
確かに旅行はしていたけどそれはあくまでも旅であり温泉旅館とかで料理を楽しむ休息するのとは違う。
自分は宿はとまるだけの場であり料理を楽しむ所ではなかった。
だから料理は金がかかるから最低で外でしていたのである。
最低の料理しか食べていない、長く旅すると料理に金がかけられないのである。
ホテル代だけで日本は高くつくからである。
自転車旅行になると野宿だから宿は無料だったとなる。

つまり毎日三食用意して出していたらその食を出してくれ人に感謝の気持をもつということである。
料理してくれて出してくれる人の労働の価値がわかるということになる。
つまりこういう単純なことでも実際に労働してみないと価値がわからないのである。
「七年間自分は三食を作り出しつづけてきました、一回だけでもいいから三食出してもらい、のんびりしたいです、それをしてくれる人には感謝します」となる
これは別に旅館とかではない、誰かそうしてくれれば同じである。
今まではそう思ったことがなかったからである。
妻が死んだときそういうことを痛切に感じるのと同じである。
妻が死んで妻の家事の労働のありがたみがわかると同じである。

●労働とは誰のために働いているかも問題

ともかく資本主義の労働が労働倫理がありそれはキリスト教に基づいていたのである。
なぜイスラム圏に資本主義が根付かないのか民主主義と相いれないのかは宗教の相違によるということもあった。
イスラム教の倫理はまた別なものとしてありそれはそれの違った倫理観がある。
それをいちがいに否定はできないわけである。
日本でも義理人情だって日本的倫理観になるからである。
日本でもどこの国でもそうした倫理観は必ずあるから否定できないのである。
そうしたその国独自の倫理観があって外来の倫理もモラルも道徳も根付つくのである。
だから武士道とキリスト教は結びつけられたのである。

こうした資本主義の発生したときの倫理観の喪失はやがて深刻なものとなってゆく、実際にもうなっている。
つまり働くの馬鹿らしいという感覚である。泡銭のように金が入る人といくら働いても働いても安月給で時給しかもらえないとなるとなるべく働かない方が得だともなってしまうそしてもうけさせるのはブラック企業の幹部になり得しているのは公務員だとか俺たちはそういう人たちの奴隷にすぎないとなり労働意欲が減退して遂にみんな働かないとなってしまうかもしれない
現実にそういう働かない人が若者にも増えている,それが別な理由にしろ労働することが馬鹿らしいということが起きているのである。
要するに一体誰のために働いているのか、奉仕しているのか?
結局社会の支配的地位の人のために働かせられているという感覚が強くなった。
もし医者や看護師ならはやはり患者のために働いているという労働倫理かある。
介護士の場合は安月給で上役や他のものに金がゆくが実際現場で働く人には回らないという不満がある。

労働というとき誰のために働いているのかというのも問題になる。
社会のためだと言ってもわかりにくいし結局上の人のために働いているとてり馬鹿らしいともなる。
介護の仕事だって金持ちに使われるのは嫌だというとき金持ちだけが優遇されることの不満がある。
「俺は巨万の富を持ち主だ、金はやるから俺のために働け、奉仕しろ」
そういわれたとき金をもらっても働く気力がそがれる
金のためにしかたないんだよなとなることでモラルの荒廃をうむ
金の多寡とは違うところに本来の労働倫理があったからである。
ただそうはいっても常にこの世は矛盾である。
薬とか買えないとか医者にも行けず早死にした人もいる。
そうなると金がないから早く死んだとなるからどうしても金が欲しいとなる。
嫌でも金になる仕事をしている人ではこの世にはいくらでもいる。
修道院からはじまった資本主義ならそんなことありえないのである。
困った人たちを助けるために働いているのだから自分たちのために働かせるなどありえないわけである。

カルト宗教団体とか政治運動でも創価などはすべてが一票とるための活動であり誰のために活動しているのかとなると議員になる人とか幹部のために働いているとなるから馬鹿らしいと気付くだろう。それはどこの政党でも組織でも似たものである。
要するに中国でも格差が極端だから一体誰のために働いているのか?
共産党幹部が王様のようになりぜいたくさけるためなのかともなる。
そういうことは他にもある。大企業でもたいしたことをしないでもある年齢になると高額の給料をもらっていると若者は不満になる。
一体自分は誰のために働いているのかということがそこで問われているのである。
働くということはそもそも自分のために働いているのではない。
コンビニの店員でも買いに来る人のために働いているのである。
他者のためにサービスして金をもらっている。

働くが端を楽にするというときもそうである。それは苦労している身近な人を見て助けたいうのが働く動機だったのである。
自分が助けてもらえたもらいたいとき、事情があるにしろパチンコ屋で働くのが忙しい、パチンコ屋で遊ぶのが忙しい、他でも仕事かあるのでエステなのか知らないけどそんな人たちのためにサービスして自分のことは何に関心もなかったのである。
そして金だけは要求していた、自分の母親に一杯の水も出さないのに金だけは要求してきた。
それで義理の母を介護している嫁にも遺産を分けるべきだというときそれだけの労働をしたのに他の兄弟はしていないのにすべての権利があるのかとなる。
何かしら労働したとき権利が生まれているのである。
だからこの点は法律も変えるべきなのである。


 
タグ:介護
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2015年05月15日

失われた「真直」という大和言葉 (純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)


失われた「真直」という大和言葉

 
( 純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)



子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。
<小川未明「愛に就ての問題」青空文庫>

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

今日の万葉集の一首 (美しい自然と真直なる心があれば嘆くことはなかった)
http://musubu2.sblo.jp/article/56762498.html



大正時代まで「真直」ということばは使われていた。明治までは日本の古来の言葉が江戸時代から継続されて使われていた。
何か明治大正すら本当は遠い時代になってしまったのだろうか?
大正4年生まれの母は百歳で生きている。一世紀たったのだから遠いといえば遠い。
大正時代で一番意外だったのは人口が6千万であり大都会すら東京でも百万とか少なかったことである。
今からすると6千万というのは少ない、ということはそれだけ日本の自然が今とはまるで違う、砂浜でも広く残っていた。
鹿島と原町の間にも砂浜があった。それが火力発電所がたって消えた。
それから防潮堤が作られて波に浸食されて日本の砂浜は消失した。
その時まだランプを使っていたのだからその違いはあまりにも大きかったのである。
でも現代に生きるというとき何かまだ大正生まれの人が生きているということで遠いという感じがしなかった。
明治とるなるとすでに遠い過去になる
太平洋戦争も70年が過ぎる。それで戦争のことがしきりに語られる。
それは当時小学生だった人たちである。80代だとまだ戦争を経験していた。
団塊の世代は経験していない、それで今日NHKで見た九州の宮崎県が爆撃されて
小学生の時腕を半分銃撃されて失った女性がいたことには驚いた。
まだそういう人がいたということで生々しかった。
あれだけの傷を負ってまだ戦争のことをひきづっている人がいたことの驚きである。

「真直」とはまなおということはなくなり真っ直ぐとなって残った。
でもまなおとまっすぐは感覚的に相当違っている。
「真直」という言葉はもともと万葉集にあったし日本語の原型は日本の精神の原型は万葉集時代に作られたのである。
つまり日本人には日本人の言葉があり言葉は日本の自然とともに作られたのである。
だからネティブとなる。だから日本語がこうして消失するとき日本人の精神も失われていたのである。
だから日本人の精神を知るには万葉集を知ることになる。ただそれが恋の歌が相聞歌が多いというとき何かうわついたものになり軽薄なものとなり現代的なものとして解釈されやすい。ただその中にもやはり今とは違った日本人のまさに素直なる真直なる心があって歌われている。
日本人の文明に汚されない心に青雲で言えば「純なる日本」である。
この点で同じものを自分も追及していることは確かである。

日本は経済成長を遂げたけど失ったものも多いのである。
日本の純なる美しい自然が相当に失われたことは確かである。
日本の自然は特別美しいものだったことは確かである。
その美しい自然によってはぐくまれたのが日本の心でありそれが万葉集に結晶化して残された。
日本語で言われることはなぜ形容詞が少ないかということである。
これも逆説的だけど日本の自然があまりに美しいからかえって形容詞が発達しなかった。あまりに美しいと何か言葉を発することができない、息をのむとかなりそれで形容詞が発達しなかったのかもしれない、一方で何もない所では着飾る言葉をかえって発達する、形容詞が発達するということがあるかもしれない。

真直という言葉はもともとは直しに「なおし」という大和言葉に由来している。
ただ不思議なのは直しと真直とは何かかなり違ってる
真直という言葉には日本人古来の精神が宿った言葉ではないか?
真直とは不純なものが交わらない、純なるものの追及なのである。
それは日本の自然と融合して「真直」となるのである。
この真直というとき日本の武道と通じている。
日本の武道は型とか姿勢を重んじる。それは勝負にこだわるものとは違う。
礼にはじまり礼に終わるとか

そもそも武道とは、「武」を通して「人道」を学ぶものだからです。

日本の武道は単なる格闘技ではなく人道とかなると精神を重んじるものとなる。
外国は格闘技でありゲームでありそこで勝敗が第一になる。
そこでルールが大事になる。それは文化と歴史の相違である。
外国では絶えざる侵略戦争の歴史であった。だから勝敗にこだわる。
負ければ奴隷にされるのだから勝敗が第一になる。
日本でも格闘技としても勝敗より精神性を重んじる
「武士道」でもそうである。
だから「真直」というときその姿勢が真直だというとき精神も真直だとなる。
型があり心があるとなる。
つまり日本の武道は真直な心を養うことにある。外国ではルールでありルールを敗ることは許されない、公平なルールで勝敗にこだわるのである。
西洋と東洋というときそこに根本的な文化歴史の相違がある。
宗教は東洋アジアから発したというとき深い精神性はアジアにある。
誤解しているのはキリスト教が西欧だと思っているけどそれは西欧化されたキリスト教なのである。
イスラエルはもともとアジアなのである。だから西欧型のキリスト教は西欧化されたキリスト教となってしまう。
日本はあらのそることを欧米化一辺倒になってしまったのが明治維新以来そうだった。
ただ大正時代まで真直という言葉まだ使われていた。

直しとは

 ゆがみや誤りなどを正しくすること。また、こわれたものを、もとどおりにすること。
 
まさに現代日本に必要なのは日本古来の真直な心をとりもどすることなのである。
ただ万葉集時代にも奈良時代にもすでに何か嘆くものがあったということがある。
それが何なのか、自然の消失だとは思えない、やはりいつの時代でも必ず時代によって失われてゆくものがある。そういう嘆きが常にあるからそうなったのか?
現代だったらまさにいろいろなものが科学が発達しても便利になっても何か失われたものも大きい。そういう嘆きは自分も延々と書いてきたし巷にも満ちているのである。
美しい日本の自然が失われたとき日本の心も失われたのである。
心のに青雲で「純なる日本」は東京などから復古できない、像で外界をとらえるろというのは確かである。
その像になるべきものが東京にはないのである。毎日高層ビルをなげめていればそれが心の像となってしまうのである。
崇高な山を毎日眺めていればその像が心に定着するのである。
ここでもその山がないから岩手山とか岩木山とか富士山が見える場所に住んでいる人はうらやましいとなる。
つまりその独立峰という像によって日々心が作られるということがあるからだ。
山には精神性があるが海にはまたないのである。
どうしてもだから浜通りには精神性が欠如するのである。


真直なる富士の姿や今日も映ゆ美しき日本正すべしかな

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タグ:大和言葉

2015年05月16日

抽象画から具象画へ(春の川) (抽象画から抽象画へ)


抽象画から具象画へ(春の川)


(抽象画から抽象画へ)


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クリック拡大

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水と緑

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海溝

これは原画と比べるとわかる、でもこれの方が原画より抽象画的になっているのも
不思議である。




一つ目は川のように見えたから岸を新緑や芽吹きをイメージした。
そして岩山のようになったから山をイメージして加工した。
これはオリジナルの絵とはもうほとんど関係なくなっている。
ただ川の所が多少これと同じだなと原画を見ればわかる
これはだから著作権に関しては指摘されないだろう。

海溝はこれは明らかに加工したものとわかるから著作権が指摘される
これは参考のために出しただけである。
抽象画でも具象画とは切り離せないのである。
川とか山とかのイメージを抽象画で何を現しているのかわからないものを
具象画に変えたのである。
抽象画はインターネットから生まれた新しい芸術ともいえる。
普通の絵画からはこんなことできないからである。
タグ:春の川

原発避難者が帰らない理由(NHKの原発避難者1154の声) (現代は誰も不便な所に住みたくない)



原発避難者が帰らない理由(NHKの原発避難者1154の声)


(現代は誰も不便な所に住みたくない)


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原町のイオンに一週間に一回くらい行ってみると品物が違っている。値段も安いし種類も多い。
自転車だとなかなか行けない、それで鹿島区にある一軒のスーパーでまにあわすほかない車がないと買い物と医者は不便になる
値段まで高いものを買うほかないのは苦しい
今は田舎が東京より物価が高いというのは本当である。
田舎では収入が低いが物価は高いのである。
ただ持ち家の人が多いし賃貸でも格安蜷場合がある
地域でも広いから実際は住む場所によって差がでている。
原町市内でも大原とかなると山の方で遠いから街まで行くのは遠いとなる。
だから大原に住んで農業をしていた人の息子が街内に住んで親は一人で農業していた。
今は空家になっている
田舎は広い土地に住んでいるから街から遠い所は買い物に不便になる。
だから田舎では車がないと生活できないとなる
実際に田舎では一人一台車をもっている、車をもっていない人はたいがい貧乏人なのである。
車が金あるかないかの判断基準にてなりやすい、原発避難者が補償金でいい車を買ったということで傷つけられたことでもわかる。

NHKの原発避難者1154の声で放送したことは何も目新しいことがなかった。帰るか帰らないかそれは早く決断を急がせるのではなく決められないままでも仮設にでも他でも住んでいられる安心感を与えるべきだと学者の人などが言っていた。
それも避難者側の言い分であり回りの人がどう思っているか回りの目が気になる、コミニュティにとけこむことができないということも言っていた。
つまりそうした宙ぶらりんなどっちつかずでいつまで補償金もらって暮らすつもりだという声が回りに大きくなっているのだ。
原発避難民は補償金で遊んで暮らしていられる、俺たちは地元で汗水垂らして働かねばならない、それでもたいした金にはならないとか不満になる
俺たちは原発避難者のために働かせられているんだとかまでなる
だから二本松であれ会津であれイワキであれ回りの目が厳しくなってきている
だから学者でもそのまま帰るか帰らない決断を迫らずにそのまま長くいられる状態を保たせるべきだというのは回りからするとかなり迷惑になる。

現実に南相馬市内では小高の中学生が鹿島区の小学校内に仮の校舎をもち、小学生は中学校に小学生が仮の校舎をもっている。
それは争いになるからだという。つまり同じ南相馬市内でも鹿島と小高ではイワキのように激しくはならなくても軋轢が生じている。
小高の人は金が入るから態度がでかいとか遊んで暮らしているとか不満が大きいのである特に津波の被害にあった人たちは家もなくなり補償金も鹿島区ではかなり少ないから不満になる。
とにかくこの辺は津波の被害もあり複雑になっている。
漁業関係者は原発から補償金をもらって家を建てたとかなんとかこれまた補償金問題で心が分断されている。
だからいろいろめんどうだから年もとっているからかかわりたくないと早い内に鹿島や原町に家を建てた人はかしこかったとか言われる
小高の避難者は来年は避難解除になり小高に帰る、小高以外に家を建てた人は帰らない
でも今の時代不便な所には住みたくないのである。
そしたらそんな不便になった所に帰るのかとなる

結局移住したコミニュティに溶け込めないというとき回りの目が厳しいというとき何かそうさせているのか?
それは相馬藩が天明の飢饉以来越中などの移民を入れて働かせて立ち直った。
今でも三分の一の墓が真宗系統なのが相馬藩である。
江戸時代は全国でそうした荒廃地が生まれ移住していたのである
そもそもそんな条件の悪い所になぜ移住したのかとなる
それはそういう時代でありあえて土地が与えられるということで移住した。
そして移住した人たちは「加賀泣き」とか伝えられるように相馬藩で苦労したのである。条件の悪い所を開墾したりしたからである。
もう一つ前にも紹介した十津川村が水害で壊滅的な被害を受けて北海道に村ごと移住したのも貧乏な農業で暮らしていた時代である。
そういう時代は条件が悪かろうがもともと条件のいい場所がない時代だったのである。

だからそんな苦しまねばならない場所に移住したというのはそういうもともと今のよう便利な生活などしている場所がなかったのである。
それでも武士が北海道に移住してその苦労に耐えられず離脱して官僚になったとか映画があった。
それはそんな苦しいのがいやで贅沢したいから官僚になって仲間から離脱したのである。そもそも北海道にはアイヌがいても回りの住民からの圧力がなきに等しかった
いくら金もっていてもそれだけの集団になるとなんだあいつら遊んでいるだけではないかとなり不満が回りからぶつけられる
相馬藩に移住した移民はもともといた土地の人に従い懸命に働いていたからそんなことは起こらなかったのである。
原発避難民が移住先で金があるからもともといた土地の人より裕福で威張っていられるなどありえなかったのである。

原発避難者とはこうした人たちと比べることはできない、時代がそもそも違うからである便利な贅沢な社会がありそこには金さえあればどこでも住めるという時代である。
現実大内村は山の中の孤立した村のようになっている。
それが郡山市で暮らしたら帰りたくなくなったという気持がわかるのである。
自分も原町市とか相馬市とかの方が便利で楽だとなるからである。
つまり不便な所には帰りたくない、住みたくないとなって帰還するのは時間がたつにつれてますますむずかしくなっているのだ。
ただ小高の人は南相馬市民だから浪江とか双葉とかは違う。
そういう点ではイワキのような深刻な軋轢がないがそれでもみんな鹿島区の人は不満であり口々に言っているから小高の人は小高の人で鹿島にはいたくないということがある
一方で小高に帰るの不便であり老人ばかりでありそんなところでどんな生活になるのかとうい不安がある。
だから早々に住むこともあきらめた人もいたのである。

そしていつまで補償金もらって遊んでいるんだとか回りの目が厳しくなっている
つまりどっちつかずのような宙ぶらりんな決断しないこともまた避難者にとってもいいものではない。決断をしないで帰る帰らないとか決めないでいられる状態を作ってやるというのも回りの人からすると困るのである。
アンケートをとったりなんかいろいろ外部から言われても何の解決にもならないというのも避難者にとってみればそうなる
ではどなん解決方法があるんだとなるとその個々の家族で決めるほかないとなる。
決断するほかないとなる。いつまでも決断をながびかせてもいいんだ、それをおしつけない状態にさせることも大事だというのも回りの人には困るのである。
むしろ避難者にとっても決断した方がすっきりするだろう。
帰るなら帰る、帰らないなら帰らないとして将来の方向を決めた方がすっきりする
帰るにしても帰らないにしてもどっちにしろ困難なことがあり問題がある。

いづれにしろどうしても現代では不便な所には住みたくないとなると帰還するのは無理だと自分は思う。
回りからなんだかんだ言われるとかそんなことを気にしないで金があるから家を建てた人が決断した人が結局はすっきりして良かったとなる
「進むも地獄退くも地獄」となるならどうしても楽な方を人は選ぶようになる。
一億円の金をもらっても回りに何らサービスを受けられないとしたら何の価値もない
原野に立って金があって自動販売機もなくジュースも飲めなかったら金の価値は何にもないとなってしまうからである。
一億円あっていろいろサービスを受けられるとき金にも価値がでてくるからである。
そういうことでどうしても帰還するのはもうあきらめる人が増えたきて避難区域の町は消滅するほかないとみてしまう。

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ただ狂いたいほど帰りたいという心境は故郷を失った人しかわからないだろう。
故郷とは何か、故郷を失うことがどういうことかわからないからだ
普通は外部から見ると故郷にそんなに固執するものなのか?
金があるんだから新しい土地ではじめたらいいじゃないかとなる
啄木は故郷をあれほど思ったのは東京で若くして死ぬという状況で起こった。
では原発避難者は東京に移り住んで人もいるが福島県内とかにも多いからから
大都会とは違う環境にある
やることがなくても困ったというのもこの辺の津波の被害者も言っていた。
そういうこともあり狂うほど帰りたいという気持は本人しか理解できない
それは年齢にもよりそう思っているのはやはり50代以上かもしれない
若い人はもう新しい土地になじみほとんど帰らないとなってしまったからである。
タグ:原発避難者
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2015年05月17日

この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している (両親や祖父母のカルマは必ず受ける)


この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している


(両親のカルマは必ず受ける)


なんでこんなことが起きるのだということが誰でも経験している
なぜよりによって自分がこんな目にあうんだとかなる
カルマというとそれは親のカルマは目にみえてはっきりと受ける。
でもカルマは4百年前とかまで歴史的カルマになると受ける
津波でも相馬藩内で一行700人溺死とあったから被害があった。
それは全く忘れられて今回の津波で大被害になった
そうした風土や歴史のカルマがあっても忘れられていたのである。
カルマというのは忘れられ意識されないことが多いのである。
ただ何かその個々人の身に直接起きたとき何でこうなるんだとかなる

例えば歴史的カルマとなると相馬藩の歴史的カルマもあるかもしれない
相馬藩は天明の飢饉で越中からの移民などを受け入れた
三分の一の人口が消失したからだ。
そういうとき移民してくる人がいたということはその時代の貧しさがあったからだ。
そういう荒廃地になるところが多かった
移民してきた人たちの住んでいる所もそうだった
何か移民せざるをえない状態があった
移動が自由でない時代は藩を出ることは命がけだった。
だから移民する人にもそれだけの事情があった。
それで相馬藩内に移住して苦労した。
それで「加賀泣き」という言葉が残っている。
よほど移住して苦労したから加賀の人が泣いたということである。

これがカルマとなんの関係があるのか?
それはなぜ今回のように相馬藩から原発事故で避難民になって他の土地で暮らさねばならなくなったのか?
そしてやはり相馬藩に移住した人たちのようによそ者としてあつかわれ嫌な目にあう
まさにそのことは移民した人たちが相馬藩でされたことと形は違っても同じことをされている
実際は相当恵まれたものだけど何かよその土地に暮らすということで形見の狭い経験はしている
かなり楽な方でもよその土地で暮らすということがどういうことか身をもって知ったともなる
なかなかよその土地で集団で暮らすということがどういうことか理解できないからである戦争でも戦争の苦しみなどわからなくなっている、でもまた戦争になったらそのカルマがめぐり戦争の苦しみを知ることになる

カルマで確実なのは親のカルマから逃れられないことである。
自分の一身上のことでも書いてきたけどなぜこんな苦しみを受けねばならなかったかというと親のカルマを自分が清算するような立場になっていたのである。
長男長女はその家のカルマを一身に引き継ぐことになることは間違いない
それは悪いカルマだけではない良いカルマうも受け継ぐのである。
良いカルマも悪いカルマも受け継ぐのである。
なぜならどんな人でも良いことばかりしてるなどありえないからである。
例えば財産を残すにしてもそれが必ずしも良い金とは限らない
太宰治の斜陽館などは小作から搾取してできていた。
だからそういう家にはやはり小作の呪いのようなものが受ける
ただ江戸時代の庄屋とかなると別である、それは農民とともに一揆では戦い死んだ人もいるからである。

カルマは両親のカルマを必ず受ける。自分にしてもなぜこんなに介護しつづけねばならないのか?
それは60年間自分に食事を出し続けてくれたからお前もそれをしなければならないというカルマを受けたのである。それは逃れることができないカルマとなっていた。
百歳まで生きたことはそのカルマを自分に受けさせるために生きていたともなるのだ
両親というとき母がいて父がいる。その父のカルマも受ける
それは財産を残したことで災いが生じた、財産がカルマになっていた。
その財産はすべて良いものとして残されていたわけではない、
太宰の斜陽館のようにあからさまのものではないにしろ公務員という恵まれた境遇で残された
それで自分がそのカルマを受けたのである。
いいことであってもやはりその金が元で犯罪にあったり病気の時金を要求されて苦しめられたのはそのためだったかと思う
金にはなにか具体的なカルマとして現実的だからわかりやすいのである。
金がないのもカルマだけど金をもっているのもカルマなのである。

家系に起きてくるカルマは本当に不思議である。
ある人が収入もいい人と結婚した。その人は頭が良くて優秀だった
だからいい人と結婚したと外から見られていたのである。
それがなぜ事業で失敗した結果60過ぎて苦しむことになった。
まず60以上になると人生の総決算のようなことが誰にでも起きてくる
若いときの不品行であれ何であれ悪行であれそういうことは決して消えるわけではない
60以上になるとそうした若いときのことまで生々しく蘇りその悪に苦しめられる
要するに人間はどんなことしても何かしらカルマを積む
両親でも先祖でもそうでありその国でも歴史的カルマをつむ、それで今も責められているだから先祖供養しないとだめだというがそれでカルマが解消するわけではない
どうしたらカルマが解消するのか?
それは善行を積むほかない、残された財産があったら困った人に分けてやるとかになる
そうすれば金にまつわるカルマはだんだん消えてゆくことになる
ますます強欲になって金をためたらカルマをまた積むことになるからだ

とにかくカルマは何もなければ意識されないものなのである。
何か事故とか犯罪とか何か悪いことが起きるときカルマを否応なく意識される
なぜこんなことが自分に起きたのだろうとなる
それは理不尽な犯罪だったこの世には多い、ではなぜその人だけがその犯罪の犠牲者になったのだろうというのが謎なのである。
よりによってその人にそんなことが起きたというのが謎なのである。
それでカルマが意識される、家系も意識される
家系も謎でもその時家系の問題してカルマが意識される
会社に勤めていれば優秀で終わったのになぜ事業をはじめて失敗したのか?
そういう人にまた嫁いだのうかというのも謎である。
まず結婚するときそんなことなどわかりようがないからである。
それは嫁になった方のカルマが家系が関係していたのかとなる
実際に嫁になった女性の家族は普通の家族ではなく問題があった
その家系のカルマを受け継いで夫も失敗したのかとまでなる
昔は戦前までは家と家の結婚であった。
すると家系というのが問題になる
今は個人間の結婚で家系なんか関係ないよ二人が愛し合えばいいんだとなった
ところがなぜそうであればいいが家系の影響を受けるのかということである。
結婚は個人の問題でなく家系がかかわるからあとあとそのカルマを受けることなにる
でも家系でもその家庭のことはわかりにくい、だから今はあまり考えないのである。
家系にはやはり徳を積んだ家とそうでない家と明確にある
徳を積んだ家と結ばれることはやはりあまり悪いことは起こらないとなる

聖書ではその家系のことなのである。アダムから生まれた神の子孫のことを記したものであることでもわかる。
神の家系としてユダヤ人は神から選ばれたものとなっている。
だから家系を一番重んじていて異民族とは交わらなかったのである。
神の家系が汚されるからそういうふうになっていた。
家系がそれだけ重みをもっていたのである。
つまり最強の家系は神の子となるべき選ばれた民であり
それでユダヤ人がいろいろなことを言われても滅んでいない、
他は3000年前とかなればその時の人種はどこも残っていない
そして運の強い人につけというときそれもやはり運の悪いというのは何か
例え能力があってもうまくいかないのはなぜだろうとなるからだ
天才でも能力かあってもそれだけでは何かは成らない
そこに神の力が働かないと成らない、だからそれは運だともなる
運の悪い人につけば同じように結果が悪くなる
何かで失敗したり事故を起きたりうまくいかないのはなぜだろうとなる

だから結婚というのは二人があえばいいことだともならないのである。
むしろ家と家の結婚でもうまくいっている方が多かったかもしれない
それだけ人間は謎であり人生問題でも解きあかせないから悪いカルト宗教団体でもこれだけ増えたのである。
それは人生に不可解なことが多すぎるから何かに神仏に頼るようになる
ただそれもたいがいは間違ったものでありかえって悪いカルマを積んでいるのである。
それは神仏に頼っているのではなく本当はこの世の力に人に頼っているからである。
最終的にはカルマからは真の信仰によってしか脱せられないともなる
カルマはともかく逃れることができないから厳しいものとなる

ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」のように延々と石を持ち上げていなければならない要するに延々と持ち上げる岩はカルマなのである。
介護などもいつ果てるのかわからない、百歳になってもわからない
延々と介護からから脱することができない
カルマは人間の業であり人類が消滅しない限り終わることがない
つまりこの世でカルマが消滅することはないのである。
ハルマゲドンで最終戦で人類が滅びるというのもそうである。
業が積み重なって最後に最悪の結果となる。
人類のカルマはどれだけあるのか?
もう計りしれない悪行が歴史でもある
その総決算が最後に来る、それが人類が滅びるということである。
この辺で原発事故で積んだカルマも恐ろしいものだった。
プルトニウムの毒が二万年消えないという恐るべきカルマを追わされたのである。
それはまるで二万年間岩をもちあげるようなカルマともにていたのである。
原発事故によってもたらされたカルマだったのである。
その放射能から解放されるのが二万年後としたらその罰も過酷だったとなる

「シーシュポスの岩」

肩にずっしりと重い岩よ
いつまでこれを持ち上げねばならないのだ
いつになったら解放されのだ
今日もずっしりと岩が重い
休むことなく岩を持ち上げねばならぬ
これは与えられた罰(カルマ)なのだ
怠け者にも様々な悪徳を積めば
それは必ずカルマとなって負わされる
その刑罰を解かれるのはいつなのか
それぞれの人生にカルマがある
カルマからは誰も逃れられない
蟻は蟻のカルマを猫は猫のカルマを生きる
なぜ蟻として生きねばならぬのか
野良猫になり餌をあさらねばならないのか
人間もまた同じそのカルマは複雑だけれど
それぞれにカルマを負わされるのが人生だ
・・・・・・・


タグ:カルマ

2015年05月18日

浪江の請戸に消えた原発御殿 (私有地の前の海に権利があり補償金が支払われた)


浪江の請戸に消えた原発御殿


(私有地の前の海に権利があり補償金が支払われた)



所有権の問題から海底の土砂を取除く工事などができず、港内の水深が浅くなって船の往来に支障をきたすようになってきたため、同市が買い取ることになったとのことです。なるほど、元は私有地ですから、例え海底に沈んだとしても所有権は消滅しないので、この土地の売買については納得できました。

先住民による前浜と海底の所有権
―ニュージーランドの2003年「マールバラサウンズ判決」―
マオリ族の間では,前浜及びその延長は,その前浜に隣接す
る陸地に居住する部族集団の土地であるという慣習上の了解がある。
http://www.shotoku.ac.jp/data/facilities/library/
publication/education-gaikoku43_01.pdf



漁業権というのは相当にわかりにくいし未だ確定されていないもののようだ。
「海は誰のものか」とか「山は誰のものか」とかなると海で生活する漁師のものであり山も山で生活する村の人たちのものだということになるのが普通である。
ところが一軒一軒の家の前の砂浜でも海でも所有権があるとなるとわかりにくいだろう
山が私有地になっているのはわかりやすい,でもこれも明治以降にそうなったのが多いのだろう。入会権となり村が山を所有していた。
今でも山菜をとるなというときそれは山が山に暮らす人の場となっているから勝手にとるな入山料を払えとなった。
川でもそういうことがあり鮎をとるとしたら組合に金を払う、組合では川を管理して稚魚を放ち釣りをできるように勤める
海もそれで漁師で組合を作り海を管理して漁業組合ができた。
ただその前に一軒一軒の家の前の砂浜であり潟でありその家の個人の所有だというのはどういうことなのかわかりにくい

でもなぜそれが主張されたのかというと原発で東電や政府から補償金をもらうために主張されたのである。
それでもその権利が認められてそれなりに補償金が支払われたというのも東電では金があり早く金で解決したかったからだろう。
それは浪江の請戸の話とか言っていた。
何でもその人は仕事で仲間になった請戸の人の家に招待されたことがあったという。
その家は金の襖だったらしい、それは東京から職人を呼んで作ったとか言われる。
それは相当に豪華なものだった。まるで秀吉の黄金の茶室とにていたかもしれない。
それだけ請戸は事故を起こした原発の煙突が見える位置にあり近い。
だから他より補償金が高かったことは言える

でも磯部の人も船主であった人が御殿を建てていたとか言っていた。
原発御殿というのが磯部でもあったのである。
松川浦には百艘の船があったからである。
だから今ではそうした漁業権をもって補償金が入っている人たちをうらやむ人がいる
原発前はそうであってもあからさまに言えなかったのである。
自分の家の近くにも烏崎の人が家を建てたからそのことは言える
相馬市の総合病院に入院したときも請戸の人がいて特等室に入って家を建てると言っていたから軽く億の金をもっている

小高のばあさんが補償金一千万ためて喜んでいるとか聞いた。
でも使わないという、将来のために金を使わないという。
ただ一千万で喜んでいるのはやはりそんな金をもったことがない人がまだ多いのである。一千万では家も建たない、そもそも補償金一億円もらったとしても
土地も家もなくなったら家を建てるのに5000万はかかる。
そしたら一億円で足りないとなるのである。
仕事も失ったらその損失は今の時代の計算では一億円でも高いとは言えないのである。
一千万で喜んでいるとしたらやはりそれだけ貧乏な人たちなのだろうとなる

ともかくこの辺で起きていることは様々な夢のような物語にもなっている
そんな黄金の襖の御殿が津波で一瞬にして流されたこと自体夢のようだとなる。
磯部であれ請戸であれ津波で何もなくなってしまった。
砂に埋もれて元の砂州にもどるような状態になったのが磯部であり
請戸は一軒の家も残らない、あまりにも無惨な悲惨な状態になった。
本当に夢のように消えた、夢の御殿だったとなる
それは別にこの辺だけではない今回の津波で家をし失った人たちの気持をどんなものなのだろうと想像がつかない
近くでもそうであり家がある人は感じないのである。

一瞬に贅を尽くして建てし家津波に流され夢の跡かな

まず浪江もあのように荒れ果てたままになりもどらない、人も帰らないだろう。
若い人はもう帰らない、だから請戸でもただ荒寥とした砂浜になってしまう。
もう漁港は再建できないのかもしれない、松川浦とか鹿島は一応漁港は再建しているから違っている。
磯部にはもともと漁港はなかった、新地も漁港はなくなった。
津波はあまりにも大きな災害であり最初から現実に思えなかったのである。
これは夢じゃないかと現実に思えなかった。
人間はあまりにも変化が激しいとそれが現実に思えないということである。
夢の中で生きているんじゃないかとしか思えないのである。
いづれにしろこの辺で経験していることは様々でありそれが未だに現実として受け止められないという人たちも多いだろう。
一瞬に幻のように村でも消えたということが信じられないのである。

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posted by 老鶯 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連