2015年04月30日

抽象画(夏のイメージ)


抽象画(夏のイメージ)


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水と緑の地球

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新緑に風

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結局抽象画も具象画を知らずして鑑賞できないだろう。
なぜなら自分の抽象画が具象画をパソコンで抽象画にしているからだ
新緑となればいくらでも写真がでている
それを加工しているというとき変化させているのは具象画の新緑を抽象画しようとしている
だから新緑という具象画があって抽象画ありうる


ただ色の配合だけでも何かを現せるというのが抽象画である。
パソコンの色は電気の色だから今までの絵の具では現せない
だからアートは技術なのである
新しい技術で見方が変わるのである


だからなんか抽象画は創作しているという感覚が薄い
機械的作業である。でも変化して何か別なものになっているから創作だともなる
要するにその種がパソコン上にインターネットにいくらでもあるから尽きないとなる
インターネットが影響している芸術でもある
タグ:新緑

初夏になっている (今年は夏が早い)


初夏になっている

(今年は夏が早い)
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これも原画があり変化させたものである。
原画がわからなくなるから出してもいいとなる


一時に七輪咲きぬ牡丹かな

道の駅燕交差し増えるかな

日立木の街道そいに蛙鳴く


山桜風に飛び散り海よりし東風(こち)吹きそよぐ新緑にあれ
 山桜昨日残ると見にけるもたちまち散りて東風の強しも
知られるざる道踏み分けて今年見る桜のあわれ夕日さすかな

 
今年は夏が早い、弘前の桜は連休に咲く、でも今はすでに散っている
このように桜の咲く時期に見ることがむずかしいのである。
今年は何か風が強かった、それでたちまち散ったということもある。
弘前の桜を見たい人は連休になってみれないとなると残念だろう
ギャンセルが増えるとうか土地の人は言ったいた
桜が咲いていないのに遠くからわざわざ新幹線でも金をかけてはこないとなる
だから弘前では商売的には今年の季節はいいとはならなかった

山桜が風に吹かれて飛びちる、それも山桜らしい、街の近くに山桜が咲いていたが今まで気付かなかった。
何か故郷でももう死ぬかもしれないというとき知らないことがある。
近くに咲いている桜さへ知らないのである。

知られるざる道踏み分けて今年見る桜のあわれ夕日さすかな

あそこの道は通ったことがなかった。それも近くだったのである。

今年はすでに夏である。新緑にもなっている。
道の駅に盛んに燕が飛び交い今の時期は一番活気がある
自転車は風を感じるから気持ちいい
車は風を感じないから季節感もなくなる
やはり自然とともに人間も生きるとき生きていることはすばらしいとなる
牡丹も今年は七輪も咲いた。
一時に命がみちあふれ花も開花して躍動的になるのが4、5月である。
この時期は一番いい時期である。
個人の人生であれ社会的歴史的にも花開く時がある
それがルネッサンスなのである
東北はまだルネサンスはなかったけどこれだけ富でも蓄積されて東北でも起きてくる
自分の庭のて輪の牡丹が一時に咲いたように経済を基盤にして栄える時がくる。

ともかく自転車に自分が乗れなくなったら最悪だった。
実際一時二年間くらいは自転車にのれても苦しかったからそうなっていたのである。


五月の風

五月の風を受けて自転車は颯爽と走れ
山桜の花が飛び散り
太平洋から東風が吹きそよぎ
新緑の季節に変わる
清冽な泉が大地より湧き出し
熱せられた銅の山の肌
体にも熱い血潮が巡り夏が来る
白い浪しぶきが遠くに見えて
燕は飛び交い蛙は鳴く
自然の躍動とともに汝はあれ
生命は今水々しく青々と輝いている
花々は今一時に祝福するように咲く
健やかな体に全身で自然の躍動とともに生きる
五月の風を受けて自転車は颯爽と走れ
水は轟き流れ風は唸り吹く
世界は広く究めることはできない
未知の領域は近くにもあり
汝の旅に終わりなし

自然と一体化して生きることが幸せである。そのためには体が健康でとないとだめであるどうしても病気になると表現するのも病的になるのである。
ただ自転車も疲れるようになった。筋肉痛になるから遠くは苦しい
結局体力がないと無理はできない、それができるのは若い内だけなのである。
今日は4月の最後だけど五月の風だった。


 
 
 
 
 
タグ:五月