2015年04月29日

原発事故や津波で奪われた生きがい (何でも金では買えない)



原発事故や津波で奪われた生きがい


(何でも金では買えない)


双葉町辺りで農業していて避難している人で65才の人が農業する代替地を用意してほしいという。
放射性廃棄物とかになるのは困るとかも言っていた。
その人は時々帰って農機具などの手入れをしている。
その人は生きがいを欲しいという、多額の補償金をもらうより生きがいが欲しいという
その生きがいは田んぼで米作りをすることであった。
でも考えてみると65才で農業ができるきかとなると確かに80才でも農作業している人はいるからいちがいには言えない
でもこれから先どれくらい農業ができるかとなると疑問である。
ただ避難民は田植えして収穫したとき喜びがあった。
毎日補償金でパチンコなどしていたら心も荒廃してくるだろう。
飯館村でも多額の補償金でギャンブラーになったという。
お前は金あるんだから何にもしなくていい遊んでいれというのも一見いいようでそれが人間の生活とかなる。
浪江の会社経営の人もたんまり金もらったんだから仕事はやらなくていいよと言われたのにはがっかりしたというのもそうである。
何億円もらったから仕事は回してもらえない、その金で遊んでいればいいだろうとか言われるの補償金から生まれた問題であった。
補償金でそんなふうにしてギャンブルなど遊んでいると回りから良くみられない

「なんだあいつら、補償金をたんまりもらって遊んで暮らしている
俺たちは補償金ももらえず汗水たらして働いているんだよ、あいつらのためにも働いているんだよ」

そう回りから見られる、つまり金もっていて金で買うのだからいいとはみんなならなかったのである。

これは少人数だったらあまり回りからの目が厳しいとは必ずしもならない
そんな変わり者もいるな、ほうっておけとかなる。
現実今の時代はニートとか働かない人が普通にいる時代なのである。
ただ補償金は高額でありそれは国の税金からでているから回りの人は良く思わない
だから原発避難民に対しては回りの人の見る目は複雑なのである。
避難民貴族ともなっているからである。避難民とか言うと世界ではそんなことなどありえないのである。
アフガニスタンの避難民やシリアなど避難民などとはあまりにも違いすぎるのである。
ふういう人たちが生きがいが欲しいなど言わない、
もう毎日が生きるか死ぬかに追い詰められているから生きがいもなにもないのである。
金より生きがいを求めることは贅沢なのである。
そして一億円もらったからとそれで生きがいは買えないのである。

近くで知っている人は小さな畑を作っている。
そこからとれるのはほんのわずかの野菜である。
一人分も間に合わない、一度ネギを二三本もらっただけだった。
でもその畑をするのに肥料代はかかる虫にはやられる盗まれる、草をむしらなければならない・・・延々とそ農業の大変さを言うだけなのである。
でもその人はもともと農家の出であり農業が好きなのである。
いろいろ文句は言ってもその小さな畑で農業することが好きなのである。
趣味の農業であるかそれか生きがいなのである。
だから金かけてでも農業がしたいとなっているのだ。
余裕がある社会になると例え金がかかってもうからなくてもやる
退職した人なども余裕があれば自分の生きがいになることをしたいとなる。
そういうことは人間として進歩していることである。
ただ強制的に食べるだけに働かせられと結局奴隷なんだよなとなる
なぜこんなに現代が働かない人がいるのかそれはそれだけの余裕があるからである。
高等遊民になれたのは戦前だったら本当に例外的でありほんのわずかな人だった。
その人たちかえって特別の人であり教養がある人で作家などになった。
今は普通の人が百万とか働かないのだから全く戦前の高等遊民とは違うのである。
要するに働きたくなければ働かなくてもいいとなっている社会なのである。


生きがいが欲しくて働くなど過去になかったと思う。
生きがいなどより現実として食べるものを生産しなければならないということだけである生きがいを求めるということは社会にそれだけ余裕があるからこそ生まれる
つまり生きがいをそもそも自覚しなかったのである。
農家の人が毎日補償金で働くなくてもいいとなってもそこに生きがいがないというとき
つまり働かなくてもいいということにされたからかえってはじめて生きがいを自覚したのである。
むしろ農業している時は小さな畑で農業している人のように文句が多かったのである。
米は金にならないとか苦労ばかりでなんだとかかんだとかしかないのである。
でも一旦もうあんたは金やるから働かなくていいよとされたとき生きがいが欲しいとなったのである。
漁業でも農業でも生きがいは自覚しないのである。
だから津波で漁師が久々に漁にでて魚をとったとき喜びにあふれていたのである。
農家の人が収穫したときも同じである。

プライムニュースで土地の値段が30年後辺りで三分の一となるとか家の資産価値がなくなるとか言っていたことで解説していたのが面白かった。
土地とか家は資産として資本として価値をもっていた。
ところが土地でも三分の一とか家でも空家が一千万軒時代になると土地も家も価値がないだから土地とか家を資産として考えることは変えねばならない
その土地を活かすものに価値があり土地自体には価値がない
資産として土地をもっていることは許されないとなる、なぜならそんな資産としてもっていても値上がりなどしないからである。
それよりその土地を有効活用してくれる会社に与えるべきだとなる。
空家にしても利用してくれる人の方が価値あるとなる時代である。
土地を家を使ってくれてありがたいとなってしまう時代になるという。

生きがいというのも土地や家をもっていても生きがいは生まれない
それを活用して社会のためになる人が生きがいをもつことになる
もともと地主と小作がいて地主はただ土地をもっているだけで豊かになっていたというのは理不尽なことだった。
その土地で働いて収穫する人の方が価値があったからである。
土地をもっているだけで裕福になるという社会は理不尽な社会だった。
そういう社会も土地が三分の一とか空家がこれだけ増えると何も価値がない
使ってくれるとありがたいとなってしまうのである。
土地をもっていたり空家をもっていても何の資産価値もないのである。
そこに住む人がいて土地も家も価値をもつ、利用する人の方が価値あるとなる社会であるそれが人間的なものであり公平なものである。
都会でも土地をもっているだけで家賃だけで暮らしているとかいうのは理不尽だった。
土地で家でも金でもそれを社会のために有効に活かせる人がもつべきなのである。
自分がプログを書いているのも生きがいのためである。
これは別に発表するのに金はかからないからできるのである。
これが本を出すとかなると個人ではできないからである。
たとえば画家にしても今は金のために描くなくてもいいとなる
自分の描きたいのを描かけばいいとなるときそれは余裕ある社会だからそうなる。

いづれにしろ生きがいが欲しいというのも仮設で四年もごろごろしていたらそう思うのも当然だとなる。
そういう生活にあきてしまうだろう。それでいいという人もいるし農家の人が言っていたが3年遊んでいたら仕事ができないというのもそうなきかもしれない
怠け癖がついてしまうのだろう。
この辺で当たり前のことが当たり前の価値がクローズアップされた、意識されないもきが意識され価値を認識するようになったのである。
故郷がなくなることなどイメージすらできなかった。
それが実際に故郷が消失したとき故郷ととは何かなど哲学的に思考するようになったのである。
津波や原発事故周辺はそうした人間のあらゆる問題を追及する場ともなった。
生きがいが欲しいというのもこの辺で避難暮らしになって特別意識されたことなのであるそもそも人が働くのは生きがいのためであることこそ人間本来の姿だった。
強制的に奴隷なんだよなというときは生きがいもないのである。
つくづく人間の社会の価値は常に変動している。
それは人生でもそうであり若いとき価値あると思うものが老人になると全く価値ないものとなる。

老人の考え方は若者とは違う。時間感覚にしても全く違ってる。
小さな庭に何を植えようかと思ったらもうすでに成長して葉が茂り花が咲いているのがいいとなる。
それが三年先に成長しているということに待てないのである。
そんな三年でも待っていたら死んでしまうかもしれないということが現実になる。
だからこの若者と老人の時間感覚の差は大きいのである。
復興するにしても若い人の意見を聞けというときそうである。
老人はもう何年後かに死んでいるかもしれないというとき十年後のことも考えられないのである。
もちろん十年後を考えて働くこともできない、十年後にここに木が成長して花が咲き実が実るだろうという希望をいだくことができないのである。
それより成長した木で花が咲いているのを見たいとなるのである。
だから避難民が帰るというとき老人だけになるときどうしてそこで復興できるのだろうかとなる。
あと何年がで人生も終わりだなとか長くても十年だなとかなると復興などできないのである。だから老人だけでは復興はむずかしいから避難区域になっているところは復興はありえないと思ってしまう。
はっきりいってめんどうだから小高に帰らないと鹿島に家を建てた人がいた人の気持もわかる。

自分自身が何かこの辺でこんなふうになって問題だらけの所にいるのが嫌だとなる。
それは先が短いからそうなる。
もう最後はゆっくりして咲いている花を楽しみ実を食べたいとなるだけなのである。
今は耐えていれば十年後には花が咲き実がなるとか言われてもそれもできない
だからこういう所に住みたくないと正直自分も思っているのである。
普通の場所で少ない老後を楽しみ暮らしたいとなるのである。
この辺の老後の人生は破壊されてしまったのである。
いろいろなわずらわしいことが多い所には住みたくないのである。
だから息子娘が跡を継ぎ孫がいて曾孫がいておじいちゃんと呼ばれていて多少は農作業したりしているのがいいとなる。
そういう老後が破壊されてしまったのである。
確かに補償金があるにしても子供と親は別々になり老人だけが帰って老人だけの社会が成り立つのかとなる。
老人だけ帰って復興にならないのである。
だからこの辺の状態はあと五年くらいしたら相当に深刻になるだろう。
外部の人も極端にへり夕張のようになるか恐れもある。
シルバータウンになって跡継ぎがなく市町村が消滅してゆく、避難区域はすでにそうなっているからである。
タグ:生きがい
posted by 老鶯 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

情緒ある弘南鉄道(黒石のこみせ通り) (春と冬をたずねてその土地のことがわかる)



情緒ある弘南鉄道(黒石のこみせ通り)


(春と冬をたずねてその土地のことがわかる)


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黒石弘南鉄道こぶし咲く
境松弘南鉄道夕桜

青森の山間の里知らじかななほ雪残り電車行くかも
春なれど雪の厚きや青森の山々車窓に写りてすぎぬ
駅の名を一つ覚えぬ浪岡や電車過ぎゆく春の朝かな
黒石のこみせを歩みあわれかな弘南鉄道に帰る春かな
松の湯と確かに松あり古りにけるこみせ通りや春の暮かな
黒石のこみせに昔を偲ぶかな買い物をして春となるかな
雪の日に温川(ぬるかわ)温泉に泊まるかなここより遠し春になたしも
黒石より小国は遠き雪うもれトンネルくぐり一度通りぬ
弘前城の雪を踏みにつ古き門入りて桜の根を見て帰るかな
弘前城古木のごとく三つの門雪を踏みしめ帰りし日かな
大館に泊まりしことあり冬の日や汽笛の鳴りて寒き日なりし

城下町時代、秋田から蝦夷・松前へ抜ける街道の中間にあったため、物資の交流など商業が大いに栄えた。豪壮な構えの商家・造り酒屋の妻入りや平入りの屋根のラインが、雪国独特の木のアーケード“こみせ”の上に姿を見せ、独特の景観を見せる。
http://www.jalan.net/kankou/spt_02204ad2150016774/

青森は東北では最果ての国となり情緒がある。青森県は湖があり海があり歴史もありいろいろ変化に富んでいる。鉄道も変化に富んでいる。
そして新青森で乗り換えて弘前に行ったのだがここだけが山間に入り雪が凍り残っていたのである。
やっぱりここは寒いのかとそこだけは最果ての国でまだ寒いからなのかと思った。
その山間をめけると雪はなく春であり今年は暑く夏にもなっていて気候は福島県とか東京とも変わりなかった。気候の変化を感じないから余計に距離感を感じなかった。
ただ十三湖で西風が強く吹いていたときだけ荒涼としたものを感じた。
そこは一四度くらいで寒かった。

黒石は前も一度行ったがこみせ通りには行っていなかった。
それでタクシーを頼んで行ったら松の湯があるところの古い通りとか言ったらすぐわかった。
松の湯のところはそこは工事中だったが松があるから松の湯になっていたのである。
これも地名と場所がぴったりとあいそれがこみせ通りに通じていたから情緒あると思ったこういう情緒はスーパーなどでは作れないのである。
そこには人間の営みとしての歴史があるためである。
歴史は現代では作り出せないものである。長い年月で作られたものだからである。
だから観光するとなると新しい通りはつまらないとなるしスーパーはただ買い物するだけだとなるからつまらない。
あそこを歩いて何か買ったりすると昔の情緒が味わえるのである。
だからあそこで松の湯に入ると癒される、いろいろ温泉をたずねあるいていた人がいた。温泉が熱いのかとしきりに聞いていた。
あれは相当な暇な人でありこれも退職した人であり温泉をたずね歩いているのである。
秘湯をたずねあるいている人もいる。退職した団塊の世代が今は相当に旅しているのである。
金と暇ができたからそうなる。

弘南鉄道もローカル線でありあれで黒石まで行くのも情緒がある。
「境松」とかありそうした駅名と地名がどういうわけか旅では心に残る
黒石という地名も何か青森では黒のイメージになるからあっているのだ。
あそこから冬には温川(ぬるかわ)温泉に行き二日泊まった
途中「小国」という所をトンネルをくぐり一軒宿の温川温泉に着いたのである。
小国という地名はどこにでもある、日本特有の地名である。
それは山深い所に多いのである。
小国というのは一つの国であり昔は自給自足していたからそうした地名が作られたのかもしれない。
福島県でも飯館村へ峠を越えて下がった平坦な盆地のような所が小国となっている。

バス泊まる梨の花咲く小国かな

そこてバスが泊まりしばらく待っていたことがあった。小国町というのもあるから小国という地名は日本全国で多いのである。
雪に埋もれた小国をバスが通ったときこんな奥深い所に人が住んでいて村があったのかと思う。今はどこでも行けるから秘境もなにもなにもない,実際に車でどこでも行けるから秘境などないのである。
秘境と思ったら観光地化していたというのが普通である。
ただ現代の交通の便がいいと何回も行ける、そしてその土地を知るには最低でも春と冬にたずねるべきである。
特に青森のような雪国は冬にたずねて春にたずねるとその風土が実感しやすいのである。冬に行くと全然違った感じになる。
弘前城でも冬に行った時、城内の雪を踏みしめて桜の根っこをみてきた。
そして春に訪れて桜が満開になっていたのを見た。
冬に耐えて一斉に一時桜は咲き散ってしまうのである。
そしてあの古い門が雪で埋まって通れないために高くしたというのも雪国らしいとなる。
弘前城に現存する門は、間口の高さが他の地域の城門に比べて高く作られています。これは、積雪時にも槍を掲げながら門を通過できるようにしているためだと言われています
これも風土であり何かそうした風土によって形成されたものが趣深いものが自ずから生まれる。都会は一様化するからつまらないのである。
どこにいってもビジネスのビルや観光用のものしかなかったらつまらないのである。
弘南鉄道とかあういうローカル線は情緒がある。
でも経営的には苦しい、津軽鉄道もそうである。
ただバスは情緒がない、車窓から見える景色も違ってくる
自分は電車の旅が好きである。バスでは移動したくないのである。
ただそういう恵まれた時は終わった。

今は思い出す旅である。
思い出を編むというかつないで一つの模様にするという作業である。
だからインターネットはそういう思い出す旅の役に立つ
検索できるからちょっとした知識でも役に立つのである。
弘前でコーヒーが薬としてはじめられたというのもそうだった。
旅というのはそうしたちょっとした知識を知っているのと知らないのではまた鑑賞の度合いも違ってくるのである。
だから芭蕉は平泉をその歴史ある場所として事前に調べていてあれだけの紀行文と俳句を残したとなる。
一面知りすぎても旅はつまらなくなるかもしれない、何か知らない意外のものとの出会い、未知(道)との出会いも旅だからである。
必ず旅にはそういうことが起きてくるのである。
決まったルートを行くだけではそうしたことは起きない、たから現代は交通が便利なのだけど観光地をただ回って終わるだけでつまらないとなる。
旅はその過程にあり目的にあるとはなちない、奥の細道は平泉が目的としてもその長い過程にあったからである。






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